1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-02-20 09:52

#268 日本語の「あなた」使えなさすぎ問題 from Radiotalk

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関連トーク
https://radiotalk.jp/talk/320639
https://radiotalk.jp/talk/267213

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『ことばと文化』鈴木孝夫、岩波書店
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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:02
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今回はまず、お便りから読み上げたいと思います。こちら、はるはるさんからいただきました。
志賀十五さん、こんばんは。はるはるです。いつもお世話になっております。
さて、今回は話す言語によって性格も影響を受けるかということです。
私は母語が日本語ですが、英語や中国語を話しているときに、ちょっと心が自由になったように感じるのです。
おそらく、私はiであり、あなたはuになり、日本語ほど上下関係の縛りが緩いのではと感じています。
私は留学したことがないので、もしかしたらもっと英語のレベルが高くなると、上下関係の縛りも気にするようになるかもしれません。
隣の芝は青いかもしれませんが、英語話者、中国語話者の方が心が自由かもと思う次第です。
言語学でもこのようなことは研究対象になるのでしょうか。ではまた。ということで、はるはるさんどうもありがとうございます。
似たようなことは僕も感じたことがあって、留学しているときに、やっぱり向こうの先生のことをuとかファーストネームで呼ぶっていうのは
最初抵抗がありましたね。すぐに慣れましたけど。
あとは敬語の有無とかも関係しているとは思いますね。
英語に敬語がないわけではないんですけど、文法的にというか体系的に言語に組み込まれているわけではないので、
その辺を気にせず話せるという意味では、心が自由になったと感じるかもしれませんね。
日本語の場合は相手との関係が分かっていないと話せないようなところがあるので、
初対面の人だったら当然敬語から入っていくわけですけど、
社会的な側面が言語に関わっている部分があるので、そういうのがない言語を話すときは確かに自由に感じるところがあるかもしれません。
これが正確に影響しているかとか、言語学でも研究されているかというのは正直に言うと分かりませんね。
多分研究されているんじゃないかと思いますけど、言語心理学とか社会言語学とかかな。
ただこの辺の分野は僕の守備範囲外なので何とも言えませんね。
バイリンガルの方とかだったらよく分かったりするのかなとちょっと思いますね。
二言語を話すときに一方の言語の方がなんか性格変わるなとか思ったりするのかなと思います。
それと合わせて性格っていうのをどこまで含めるかみたいなところもあるので、難しい問題ではありますね。
03:09
まあでも学術的な研究は置いといて、僕個人の経験としてもハルハルさんのおっしゃっていることはちょっとわかる気がします。
先ほどちょろっと言いましたけど、日本語っていうのは話すときに社会的な側面にすごい影響されるような言語ですね。
ハルハルさんがおっしゃっているように、英語だったら自分のことは愛でいいし、相手のことは言うでいいっていうことなんですけど、
日本語だったら公の場では私とか僕とか言ったり、親しい間からだったら俺とか言うみたいにね、
社会的な要因によって一人称を使い分けているということになりますね。
もっとややこしいのは二人称で、英語だったら言うでいいところを日本語であなたを使うわけにいかないので、やっぱり名前がわかってないと厳しいし、
あるいはお客様とか定員さんとか、そういうふうに役割とか役職で呼ぶことが多いですよね。
あるいはコミュニケーションしているうちに名前がわかれば名前で呼ぶだろうし、
そういうふうにお互いのことがわかってないと気軽に相手のことを指すこともできないというか、
お互いのことがわかりに従って相手を指す言葉、自分を指す言葉も含めどんどん変わっていくというところが日本語の面白いところですよね。
英語だったらあいというで変わることはないのでしょうけど、日本語の場合は状況状況に応じて使い分けているということになります。
そもそも日本語に代名詞はあるのかというのが問題になることがあって、
僕は代名詞は日本語にはないと思っています。
そういうふうに考える研究者も多いと思います。
代名詞は日本語の場合名詞であると言っちゃっていいと思うんですよね。
代名詞というふうに別個に考える必要はないんじゃないかなと思います。
例えば英語の場合代名詞は名詞とはちょっと違う振る舞いを見せるんですよね。
あいとみみたいに動詞の前に出てくるのか動詞の後に出てくるのかで形が変わりますよね。
これは他の名詞ではありえないことだし、あるいは漢詞と一緒に出てこないとかね。
いろいろ名詞と違う振る舞いがあるんですけど、
日本語の場合は他の名詞と同じようにがとかをとか付けることができるし、
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そもそも歴史的に見てみても名詞とか支持詞とかから由来しているようなものが多いので、
日本語の代名詞ってそういう点でも他の言語の代名詞とは異なるものだと思います。
つまり他の言語の代名詞は文法的なものなんですけど、
日本語の代名詞は別に文法的ってわけではなくて、かなり語彙的なものって言っていいような感じがするんですよね。
他にもね、玉城浩二さんの田園っていう歌がありますよね。あれすっごいいい歌ですけど、
その冒頭が石ころ蹴飛ばし夕日に泣いた僕って始まるんですよね。
これは僕っていうものを石ころ蹴飛ばし夕日に泣いたっていうのが修飾しているっていう関係説の関係になっているわけですよね。
おそらく英語ではこういう表現はできないんじゃないかなと思いますね。
代名詞を関係説が修飾するっていうのは。
このことからですね、日本語の代名詞と考えられる僕とか私とかあなたっていうのは、
名詞と全く同じ振る舞いをしているということがわかります。
このことについては関連トークがあるのでそちらも聞いていただけたらと思います。
先ほど日本語では相手のことを指すのに役割とか役職っていうのが使われると言いましたが、
それと合わせて親族名称も使われますよね。
もちろん親族名称っていうのは実際の親族でも使われるんですけど、
実際の親族を離れて街を歩いている人にちょっとお姉さんとかお母さんインタビューいいですかとか言ってみれば疑似親族みたいな感じで親族名称を使うことがありますよね。
実はこの親族名称とか役職で呼びかける時にはルールっていうのがあって、
自分より年上の時にしか使えないんですよね。
つまりお父さんとかお母さん、お兄ちゃんとかお姉ちゃんとは言えるんですが、弟ちゃん妹ちゃんとは決して言わないんですね。
これは役職の方でも一緒で、先輩って呼びかけることはできますけど、後輩とは普通言いません。
年下のものに話しかける場合は普通名前を使うということになってますね。
親族名称が日本語の中でどのように機能しているかというか使われているかっていうのは、これも関連トークがありますし、関連書籍もありますのでぜひ見てみてください。
これは非常に面白いですね。
というわけで今回のトークは、話す言語によって性格が変わるかっていうところから、
09:06
一つ日本語を使う時に引っかかる点というかストレスになる点というか、そういうものの一つとして、自分や相手のことをどう呼ぶかという問題を扱いました。
そして日本語には他の言語でいう代名詞というものはなくて、その代わり親族名称や役職あるいは名前っていうのを使って相手を指すというような言語であるということですね。
繰り返しになりますが、関連トークも聞いていただけたらと思います。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。
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