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始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょう。元気で過ごしていらっしゃいますでしょうか。志賀十五です。
今回もですね、お便りいただいてますんで、そちらお返ししたいと思います。
KJさんからいただきました。ギフトと一緒にいただきました。
ありがとうございます。
志賀さん、こんにちは。
所有表現の言語学、例文を紙に書いて理解してきたつもりが、最後の敬語で沼にはまりました。
パッと聞いた漢字だと違和感がありましたが、よく考えるとわからなくなりますね。
彼は田舎に両親がいる。
うん、ま、これはいいと。
彼の両親は田舎にいらっしゃる。
うん、OK、OK。
彼は田舎に両親がいらっしゃる。
これね、はい。
また頭を悩ませる収録楽しみにしていますということで、KJさんどうもありがとうございます。
まさにこれは僕が混乱しているものの、なんていうかな、まさにその例といった漢字なんですけど、
これは何の話かというとですね、
日本語で所有を表すのに存在動詞を使うことがよくあるみたいなことを言ったんですね。
もちろん持っているとか所有しているみたいに、そういった動詞を使うこともあるんですけど、
ま、ここにあるように、
彼は田舎に両親がいる。
ま、これ本当に存在と所有の狭間みたいな感じですね。
あるいはね、もっと所有物っぽいものだと、
ま、彼の家には本がたくさんあるとかかな、
ま、そういったものですね。
あ、ま、これも存在っぽいな。
なんだろうな、えっと、
彼には知識があるとかがやっぱりちょっと所有っぽいかな。
ま、いずれにせよこのいるとかあるっていうのを用いて存在を表すことがあると。
で、この場合、つまりKJさんの例で言うと、
彼は田舎に両親がいるといった場合、主語はどっちなのかということですね。
で、主語が何なのかを確かめるのに、
尊敬語を使えばまあわかるみたいなことを言ったんですよね。
彼には知識が終わりになるみたいな、
こういった言い方をした場合、
終わりになるの、その、
動詞を尊敬語の形にしているのは、
ま、彼っていう名詞なので、
こういうふうに動詞の形を変えるのが、
ま、主語っていうね、ま、そういった定義の仕方があるということで、
ま、所有者の方が主語なんじゃないかなとかね、
ま、そういったことを言ったんですが、
彼は田舎に両親がいらっしゃる、
これはどっちに敬意を払ってるか微妙ですよね。
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彼に敬意を払っているのか、両親に敬意を払っているのか、
ちょっとわからなくて、
どちらか主語がちょっと決めがたいな、みたいな話をしたんですね。
あとはね、主語が何なのかを確かめるのに、
自分のっていうのを使って、
その自分のとイコールになるようなものが、
主語だっていうような説明の仕方もあるんですね。
例えば、太郎は自分の息子を叱ったといった場合、
この息子っていうのは当然、太郎の息子っていうことになりますよね。
なので、この文の主語は太郎ということになります。
つまり、太郎は花子の家で自分の息子を叱ったといった場合、
これも当然、息子っていうのは太郎の息子っていうことになりますね。
花子の息子という解釈にはなり得ません。
っていうふうに、自分と、
小王関係とかいったりするんですけど、
イコールになるようなものが主語であると、
そういう説明の仕方もあります。
この観点から言うと、
彼は田舎に自分の両親がいるっていうふうに言えるので、
この両親っていうのは彼の両親っていうことになるので、
自分中の自分とイコール関係になる名詞という意味では、
所有者の方が主語っていうことになるんですよね。
どうですかね。ちょっとややこしいんですけど、
僕もこの辺すごく苦手で、
うまく伝わっているか分からないんですけど、
日本語ではですね、自分っていうものの行き先っていうか、
イコールとなるものは主語しかありえないっていうね。
ありえないって言っていいよな、たぶん。
まあそういう基準が一つあるっていうことですね。
だからまあ主語っていうのは本当にめんどくさくて、
いわゆる学校教育で言われている、
がとかはがついたら主語っていうのはまあ浅すぎますね。
めちゃくちゃ浅いです。
意外と見た目で判断できなくて、
動詞を敬語の形にできる名詞とか、
今言った自分の行き先になれるというかね、
自分とイコールになれるような名詞みたいな定義の仕方を、
本当はしないといけないんですね。
日常生活でもね、よく主語がないよお前とか、
この文は主語があいまいだとか言ったりしますけど、
あの主語っていうのが何を表しているか、
僕にはよく分かりません。
まあ言語学的に言うとですね、
このような基準から主語っていうのは、
よく定義されるということです。
もちろんこれは日本語に関してのことですので、
言語が変わればまた主語の定義も変わります。
というわけでKJさんお便りどうもありがとうございました。
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今日は金曜日なんですよね。
で金曜日配信のトークっていうのは、
いつもお題トークっていうのに合わせて話してるんですよね。
ラジオトークで聞いてくださっている方は、
そういうのがあるっていうのは分かっていると思うんですけど、
なんかね今週のお題トークがお休みらしいので、
ちょっとお題トークで話す気満々だったので、
まあそういったトーカーさん多いと思うんですけど、
どうしようかなと考えてたんですが、
一つはお便りがあったんで、
それにお答えすればいいということと、
今日はですね、
自分の中で考えがまとまってないんですが、
日本語で、日本語に限らずかな、
面白いなと思っている、
ぼんやり思っていることをお話ししようと思います。
それはですね、
日本語の形容詞を名詞にする設備字として、
さっていうのがあるんですよね。
まあ今みっていうのがすごく勢力を持ってて、
やばみとかいうのがありますけど、
それは置いといて、
さっていうのもあって、
例えば、長さとか大きさとか速さとか深さとか、
こういったものですよね。
でね、これちょっとうまく説明できるかわかんないんですけど、
こういう形容詞の名詞化したものを使うときに、
程度の大きい方がデフォルトとして使われるんですね。
これ説明なってるかな。
例えば、長さを測れとは言うんですけど、
短さを測れとは普通言わないんですね。
大きさがどうのこうのは言いますけど、
小ささっていうのは本当に小さいときにしか使えないと。
速さとか深さっていうのもそうで、
遅さとか浅さっていうのは本当に遅いときとか浅いときにしか使えないんですよね。
一方、長さ、大きさ、速さ、深さっていうのは、
実際に程度が大きくても、つまり長くても大きくても速くても深くても使うことができるし、
どんだけ短くてもその長さを測れとか、
どんなに小さくても大きさどれくらいって聞くことができるんですよね。
そういった意味で、程度が大きい方の形容詞の方がデフォルトになってるっていうことですよね。
程度の小さい方は本当に程度の小さいときにしか使えないというか、
ある意味、特定の意味を帯びちゃってるっていうことですよね。
これはね、たぶん日本語だけではないと思うんですよね。
どんな言語でも程度の大きい方、プラスの方っていうかな、
これなんて言えばいいのかわかんないですけど、
そちらの形容詞の方がある意味デフォルトというか、
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無味無臭というかね、そういったものとして使われています。
だからなんだっていう感じなんですけど、
これはちょっと調べたらわかるかもしれないんですけど、
面白いなと感じるところですね。
これ逆の現象もあるんですよね。
例えば結果を出すとか、ステータスだとか、タイプだっていった場合、
これは良い結果を出すとか、高いステータスだとか、
好みのタイプだ、みたいなことが含意されてるんですよね。
結果、ステータス、タイプ、こういったものは意味的にニュートラルというか、
良い悪い何もないはずなのに、ポジティブなプラスの意味で使われています。
このことと根底でつながってるようなところはあるんじゃないかなとなんとなく思ってるんですが、
ちょっとまだわかってない、ぼんやりしたところとなっております。
この点について何か気づいたこと、あるいはご存知のことがあれば、ぜひお便りいただけたらと思います。
というわけで、今日のトークはここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ではまた次回のトークでお会いいたしましょう。ごきげんよう。