言語形式の密度
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。みなしご発知です。
今回は、exponence と synthesis というのがテーマですが、
exponence の方が定訳があるのかどうかちょっとわからなくてですね。
具現性みたいなのが調べたらちょっと出てきたんですが、
カタカナでexponence という言い方をしようと思います。
synthesis の方は、総合性とか統合性と言われるもので、
こちらの方がどちらかというと、より浸透している定訳があると思います。
エクスポネンスにしろ、シンセシスにしろ、一般には使われていないと思います。
今回参考にしているのは、ビッケル&ニコルズという研究でございます。
これは、小編の言語類経論の3巻本の中の1章なんですけど、
これが屈折を扱っている章なんですよね。
かなり専門的ですので、興味のある人は読んでみてもいいと思うんですけど、
シンセシスの分析
かなり難しいというか、面白いっちゃ面白いんですけど、難しい感じかなと思います。
まず、シンセシスの方から話していこうと思います。
というのも、こちらの方がより言語学界隈ではよく使われる用語だからなんですね。
先ほども言ったように、シンセシスというのは、あるいはシンセティックな言語といった場合は、
総合的、統合的な言語と言われて、
さらにポリシンセシスという、あるいはポリシンセティックという言い方があって、
これは副統合的、副総合、多総合的という言い方をします。
これはどういうことかというと、たぶん過去のエピソードでも話したことはあるんですけど、
1単語内における形態素の数というのが1つ指標になっていて、
一番端っこにあるというか、究極的には1つの単語に1つの形態素というのが考えられます。
形態素というのは単語よりも小さい単語の部品みたいなもので、
意味を持つ最小単位とかそういう言い方をすることもあります。
そういった言語はシンセティックに対してアナリティックな言語と言われることがあります。
どういった言語かというと、中国語とかベトナム語というのがよくアナリティック、分析的な言語と言われるんですね。
そういった言語だと、1単語1形態素で、例えば、何でもいいですけどね、
中国語でI love youというのは我愛你というわけですけど、
我というのが一人称、代名詞、愛というのが愛する、ラブの動詞で、
にというのがあなたでというふうに、1つの単語に1つの意味みたいになっているんですよね。
それに対してシンセティックな言語、統合的、総合的な言語というのは、
1つの単語に複数の形態素が含まれるようなものです。
例えば日本語だと、食べさせられなかったようですね、とか言うんですよね。
これを1単語と見るかどうかはすごい難しいですけど、
途中で切ったとしても、食べさせられた、これは1単語と、おそらく多くの研究者が捉えると思います。
これは食べとさせとられとたというふうに分かれて、
具体的な、語彙的な意味を表すeatの部分、食べというのと、
死液のさせ、受け身のられ、過去のたというふうに、4つの形態素が1つの単語に収まっているということなんですね。
ポリシンセティック、複統合的、多層合的な言語だと、
日本語や英語だったら文で表すようなものを1つの単語で表すということが起こります。
例えば、模倣句語という言語では、
彼は身につけるものを彼女のために醜くした、というのが1単語で表せるんですよね。
これ多分過去のエピソードで取り上げたことあるんじゃないかなと思うんですけど、
彼は身につけるものを彼女のために醜くした、これが1つの単語で表されるんですね。
ですので、中国語と模倣句語というのが分析的言語と多層合的言語、複統合的言語で、
その統合性・総合性という指標、つまり1単語内における形態素の数という点では、
日本語というのはその中間ぐらいかなと、なんとなくね、僕はずっと思ってたんですけど、
今回参考にしているビッケル&ニコールズはどうやらそうは考えていなくてですね、
その総合性というのは、シンセシスというのは、
エクスポーネンスの理解
1単語内における形態素の数は数なんですけど、
その形態素というのは屈折的な形態素のことを指しているようで、
この屈折っていうのもね、話せば長くなるんですけど、
要はその単語を完成させるために必須な要素みたいなのが屈折なんですよね。
日本語の子役のさせとか受け身のられっていうのは、
普通これは屈折ではなくて派生と考えられて、
派生っていうのは新しい単語を作るようなプロセスのことを言うんですよね。
派生と屈折については過去にエピソード撮ったことがあるはずなので、
ぜひそちらもね、合わせて聞いていただきたいんですが、
ですので日本語は屈折形態素は食べさせられたの場合はただけなので、
屈折形態素は1個しかないんですよね。
それに対してポリシンセティックな言語、統合性・総合性が高い言語っていうのは、
屈折形態素がいくつも含まれているような、
そういった言語が総合性が高い、統合性が高いというようなんですね。
この時点でなかなか難しい話ではあると思うんですが、
ちょっと気にせずね、続けていこうと思います。
次はエクスポーネンスの話ですけど、
このエクスポーネンスっていうのは、
1つの形態素における意味機能の数みたいなものです。
さっきの日本語のたーだったら、させでもられでもいいですけど、
1つの形態素につき1つの意味しか乗っかってないんですよね。
させは詞役、られは受け身、たは過去。
ただ、言語によってはそういう形態素ばっかではなくて、
分かりやすい例だと、英語の三単元のSっていうのが、
エクスポーネンスが高いというかね、
エクスポーネンス的な形態素です。
三単元っていうのは三人称、単数、現在ですけど、
つまりあのS、綴りではSと書かれる形態素、単語のパーツの上に、
3つの機能が乗っかってるんですよね。
こういうふうに1つの形態素における意味機能の数というか、
密度の濃さみたいな指標がエクスポーネンスと言われて、
さっきも言いましたけど、これが定訳があるのかどうかがちょっと、
調べられてないんですよね。
このエクスポーネンスという点において、
日本語はあんまそういう形態素はない気がするんですよね。
1つの形態素に複数の意味がどうですかね。
インドヨーロッパ系の言語はそういうエクスポーネンスの高いというかね、
エクスポーネンス的な、この言い方が合ってるかどうかあれですけど、
つまり複数の機能を担う1つの形態素みたいなのがたくさんあって、
特に古典語とかラテン語とかがそういった言語なんですよね。
このエクスポーネンスの話をするときに、
カバン形態素というのは別校に考えるべきだというのが、
ビッケル&ニコルズの主張で、
カバン形態素というのは一応言語学の歴史とした用語でございます。
よく挙げられるのはフランス語の全知識と漢詩が一色体になったみたいなものがあるんですけど、
あれは2つの形態素が1個になってるんですよね。
エクスポーネンスの話をしているのは、2つに分けられない、
2つあるいはそれ以上に分けられない1つの形態素の話なので、
それは別校にしようということも書いております。
というわけで今日は、エクスポーネンスとシンセシスの話でしたけど、
完全に今回は私の微暴力的なエピソードでございました。
要は、言語における形式上の密度の話みたいな感じじゃないかなと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー!