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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今回のトークは、日本語の「のだ」っていう表現について考えていこうと思います。
バコボンのパパが言ってる、「これでいいのだ」っていうやつですね。 この「のだ」。
交互だと、「これでいいんだ」みたいに、「んだ」っていう音にね、変わることもよくあります。
この、「んだ」とか「のだ」っていうのは、話し言葉でも書き言葉でもよく使われるものですけど、
何をやってるかっていうと結構説明が難しいですよね。 まあバコボンのパパが、「これでいいのだ」みたいに「のだ」って使ってるのは、
どっちかっていうと、 役割語的っていうかな、そのバコボンのパパというキャラクターを特徴づけるのに使われているような気がしますけど、
まあバコボンのパパでなくても皆さんよく使っている表現だと思うんですね。 まあ専門的にはね、この「のだ」っていうのはそのまま「のだぶん」と言われることがあります。
歴史的に見てもいろいろ面白いんですけど、
まあ今日は、 日本語教育ではどういうふうに教えられているかっていうのをざっくり解説していこうと思います。
こういうふうにね、非日本語母語話者にどういうふうに教えられているかっていうのを見るっていうのもね、また面白いんですよね。
全然意識してないことが母語としない人に向けては、こういう説明になるんだなーっていうふうに新しい発見があると思います。
まずはですね、 この「のだ」の機能の一つとして
理由や解釈というものがあります。 例えば、
今日飲みに行かないと聞かれた時に、ごめん明日早いんだって答えるようなこの早いんだ、早いのだ、これは理由を表しているっていうことですよね。
飲みに行かないと聞かれて明日早い、 これはかなり厳しいですね。日本語としてかなり厳しいと思います。
明日早いんだというだけで理由を表しているっていうことになるんですね。
あるいは遅刻した時に、すみません遅れました。 電車が遅延していたんです。こういう時もしていたんですと、
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のだの 丁寧形が使われているわけですよね。これも理由を表しています。
逆に言うと、こののだのだばっかり使っていると言い訳がましく聞こえてしまう可能性があるんですね。
時々ね留学生でそういうのだばっかり使っちゃって、 言い訳がましく聞こえちゃうっていうようなことも実際あるみたいなんですね。
こののだの機能は、 それはどうしてかというとっていうふうに言い換えることができます。
すみません遅れました。それはどうしてかというと、 電車が遅延していたから、みたいにね。
こういった理由や解釈ののだっていうのは、みなさん 巧みにね使いこなしていると思います。
のだの機能は他にもあって、 発見とか再発見みたいな時にも使われるんですね。
ああこんなところにあったんだとか、 そういえば今日あのドラマがあるんだったみたいなものは、
新しく認識したものっていうかね、 まあ一旦知ってはいたものの再発見したような時に使われるものです。
ただこの発見ののだっていうのは、 物の発見には使いづらいみたいですね。
物の発見というよりは、 抽象的な内容とか情報とかことの発見っていうかな。
例えば スカイツリーが見えるって言った場合と、
スカイツリーが見えるんだって言った場合と、 両方一応発見を表しているんですけど、
スカイツリーが見えるって言った場合は、 スカイツリーというものの発見なんですけど、
スカイツリーが見えるんだって言った場合は、 この場所はスカイツリーを見ることができるという情報の発見なんですね。
まあちょっと説明するとかなりまどろっこしいですけど、 日本語母語話者であれば
スカイツリーが見えるっていうのと、スカイツリーが見えるんだっていうこの2つのニュアンスの違いってかなり明確に捉えられるんではないかと思います。
他にも、 本があるといった場合は、
その本というもの自体の発見なんですけど、 こんな本があったんだといった場合は、
本の内容の発見っていう感じなんですよね。 なのでのだが表す発見というのは、
かなり抽象的な、具体的ではない情報の発見とでもいうようなものなんですね。
他にものだっていうものには、 先ぶれとか前置きという機能もあるんですね。
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ちょっと言っておきたいことがあるんだけど のあるんだっていうこのんだが使われているんですけど、
これは先ぶれののだと言われるものです。 これは最初にお話しした理由ののだと逆っていうかな。
理由ののだっていうのは、前に何か情報があって、 それを受けてのだ文を使うと。
すみません遅刻しました。電車が遅延していたんです。 みたいにね。
逆に先ぶれや前置きののだっていうのは、そこから文が始まるって感じですよね。
言っておきたいことがあるんだけどとか、 お話があるんです。みたいな。
こういったことからのだっていうのは、 さまざまな機能を持っているっていうことがわかりますよね。
こののだが面白いのは、当然今の話も面白いんですけど、 否定文になった時にかなり面白い特徴を見せるんですね。
いわゆる部分否定というものです。 否定文っていうのは普通、
悔しかったから泣かなかった。 こういった感じですよね。
のだ文を使った否定になると、 悔しかったから泣いたんじゃない。泣いたのではない。
こうなるんですね。 これは泣いたこと自体は否定していないんですね。
否定しているのは、悔しかったからという理由の方を 否定しているということになります。
つまり部分否定っていうことになるんですね。 なので、悔しかったから泣いたんじゃないとくると、
悔しいのところが否定されているので、 悲しかったから泣いたんだ、みたいな文が想定されるわけですね。
他にも、スマホで見たんではないって言った場合は、 スマホじゃないんだったらパソコンで見たのかな、みたいにスマホの部分が否定されるわけですね。
こういうふうに、のだの否定っていうのは部分否定を表すことができるんですけど、 わけではないっていうのも部分否定を表すんですね。
このわけではないは、 述語の否定に使われるもので、
例えばね、このお菓子はまずいわけではないって言った場合は、 まずいのとこだけ否定されているっていう感じで、
のだの否定とちょっと似通ったところはあるんですね。 その部分否定という意味では。
こういうふうに、のだを使うことによって、 否定する部分を巧みにこう表し分けているっていうかな。
この否定の対象になるところを、 否定のスコープとか、あるいは焦点っていう言い方をすることがあるんですね。
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これも日本語学習者にとっては、 ちょっと難しいところかもしれませんね。
そもそもこののだっていうのは、 のっていうのは形式名詞と言われるもので、
そののの直前まで現れている全体を 名詞化していると考えられるんですね。
で、それにだというものがついていると考えられます。
で、こののだ文はね、かかり結びの衰退した頃に 出てきたっていう説があって、
この辺の歴史的経緯も面白いんですけど、 またこの話は別の機会に譲りたいと思います。
というわけで、今回のトークは、 これでいいのだ、の、のだについてお話ししました。
まあ新しい発見がね、皆さんあったんじゃないかなと思います。 それではまた次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手は、しが十五でした。