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梅雨の時期になって雨が降ることも多くなったんで、もしかしたら虹を見る機会も増えてきているのかもしれません。
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 志賀十五です。
僕はちょっと最近虹は見てないような気がします。 虹って言うと、まあ当然7色だ、みたいなね。
なんか常識みたいなのが日本人だったらあると思うんですよね。 赤、橙、黄、緑、青、
藍色、紫の7色ですね。
ただまあこれは皆さん、皆さんというか知っている方も多いと思うんですけど、 言語によって虹の色の数は違うんですよね。
日本語母語話者っていうか日本人だったら 7色って言われてるから7色なだけであって、
まあこれは言語によってはもっと少なかったり、あるいは多いこともあんのかな。
まあ それぞれ虹が何色かっていうのは言語によって異なります。
まあこれは当然と言えば当然ですよね。
その虹の色の連続体、スペクトルって言うんですかね。
であれは赤から順番に紫の方まで行くわけですよね。
人間が見える光は赤から紫で、その外側にあるのが赤外線とか紫外線とかいうもので、
その間っていうのはもう連続体になってて、 日本語の場合は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫っていう風に区切ってるわけですけど、
まあその連続体なんだから、区切るのは言語の勝手っていうか人間の勝手なので、
どこに線引きをするかっていうのは、 言語によって異なっててもおかしくないし、
実際それが異なるからこそ、 いろんな言語で虹の色の数が異なっているわけですよね。
やろうと思えば黄色と緑の間に黄緑とか入れてもいいわけですからね。
現実世界の連続体というかカオスをどのように切り分けるかっていうのは言語の勝手であるし、
こういった見方から言語相対論みたいな考えも出てきたんですよね。 これは色の切り分け方に限った話ではなくて、
例えば日本語では水とお湯っていうのを別々の単語で表しますけど、 考えてみればあれは温度による相対的な違いで、
どこからお湯でどこから水かっていうのははっきり決まっているわけではないですよね。
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言語によっては水とお湯っていうのを区別しないものも多くあります。 もしかしたらそっちの方が多いかもしれませんね。ちょっとわかんないですけど。
でお湯っていう時は熱い水みたいな言い方をするみたいなね。 これも色の話と一緒で、
水の0度から100度まである連続体を どこかしらで切って、日本語の場合は水お湯と名付けているのに対して、
他の言語だったら区別せずに水に相当する一つの単語で読んでいるということです。 話を色に戻しますが、
色彩の連続体をどこで区切ってどういう名前で呼ぶかっていうのは言語によってそれぞれということだし、
もっと言うと個人差みたいなのもあるでしょうね。 もちろんね。
例えばデザイン業界に勤めている方とかだったら ファッションとかね。
より細かい色の区別とかしているかもしれません。 究極的には
色を表す単語が2つしかない言語もあるみたいなんですね。 これはパプアニューギニアの言語のダニゴという言語で、
暗い冷たい色っていうのと 明るい暖かい色っていうこの2つの語しかないっていう言語もあります。
これも少ないなぁと思われるかもしれませんが、さっき言ったように色っていうのは連続体なので、
その連続体を区切る境界線っていうのを一つしか持ってないっていう言語があっても、 まあおかしくはないんですよね。
同じような例は日本語でもあって、 もともと日本語の青っていうのは青も緑もカバーしてたんですよね。
今は緑っていうのが出てきたんで、その役割分担というのをしているわけですけど、 その青の守備範囲の広さを感じられるような例は現代でも残ってて、
青信号とか 青ガエルとか
あるいは野菜のことは青ものとか言ったりしますよね。 でこれは現代日本語母語話者から見れば緑じゃんってことになるんですけど、
昔の日本語の青というのが緑までカバーしていたことの名残ということなんですね。
この青と緑を区別しないっていう言語は日本語以外にもあって、 そういう色のことをグルーっていう言い方をするんですよね。
グリーンとブルーの造語ですね。グルーっていう言い方をするようです。 今お話ししたように色彩の連続体をどこで区切るかは言語によっているっていうことで、
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言語相対論を支持するようなね、そういった格好の例に思われるんですが、 ただ色彩語彙に関して一定の法則というか、
普遍性みたいなものがあると指摘した人もいます。 これはバーリン&ケイっていう
2人の研究者によるもので、これは非常に言語学でも有名な研究なんですね。 こういう色の名前とか色彩語彙とかっていう話になると必ず出てくる研究となっています。
その普遍性っていうのは、まずどんな言語でも必ず最低2つ色彩に関する語彙を持っていて、 それは白と黒であるっていうような指摘をしたんですね。
これはさっき出てきたダニ語っていうのがこれに当てはまります。 どんな言語でも白と黒にあたる単語は持っていると。
そしてもし3色目があるとしたら、それは赤らしいんですね。
だから白黒赤っていう単語を持っている言語はあっても、 白黒青あるいは白黒黄っていう単語を持っている言語はあり得ないっていうことなんですね。
色彩語彙が4つか5つだったら、それは黄色か緑かっていうことで、 ここは順番前後するみたいですけど、
6つ目に色があるとしたら、それは青で、 色彩語彙が7つあるなら茶色でっていうふうに、こういう普遍性っていうのがあるそうです。
つまり青っていう単語がないのに、茶色っていう単語があるっていうことはなくて、
必ず出てくる順番としては、まず白黒があって、次は赤、 次は黄か緑で、その次に青、その後茶色っていうふうになるそうです。
ですので散々言ってきたように、色っていうのは連続体で、 その区切りっていうのはどういう区切り方をしても構わないんですが、
そこに一定の法則性があるっていうことを指摘したのが、バーリンとケイということになります。
ただこのバーリンとケイの提案した普遍性に対する反論みたいなものもあるみたいで、
言語は相対的なものなのか、あるいはすべての言語に共通する普遍性みたいなものはあるのかっていうね、
この2つの考えの決着っていうのは未だについてないといったところですかね。
というわけで、今回のトークは色彩語彙、色の名前についての言語学のお話でした。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ではまた次回のトークでお会いいたしましょう。ごきげんよう。