1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-02-26 10:49

#420 私たちにとって、「同一」とは何を意味するか? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:05
始まりました。志賀十五の壺。
鯛は投げられました。
ついでに、カバンも投げられました。
ユリウスカエサルです。
今回はお便り、ぎょうさんいただいてるんで、
そちら読んでいこうと思います。
というのも、この間、番組開始2周年を迎えたので、
それに対してね、メッセージいただいております。
まずは、りんごさんから、
2周年すごいパークマンスおめでとうということでね。
ありがとうございます。
2周年迎えられたのは情けないようで、たくましくもある。
続きまして、りょうすけさんからもこちら、
お祝いのメッセージですね。
ギフトと一緒にいただきました。
2周年おめでとうございます。
他、各発信者が発信したものに、
リスナー受信者が意味を与え直すことが、
本当のコミュニケーションである、
というメッセージに共感いたします。
どんなふうに意味を与え直しているか、
お伝えしたくてたまらないときはお便りしますので、
またお付き合いくださいねということで。
3周年を迎え見えたことについて、
聞かせていただけますようにということで、
どうもりょうすけさんありがとうございます。
続きまして、はしゅさんからギフトと一緒にいただきました。
シュパポン。
これはシャンパン開けた音らしいです。
シュパポン。
2周年おめでとうございます。
ありがとうございますね。
シャンパンも開きたくなりますわな。
ありがとうございます。
続きまして、れいれいから、
こちらもギフトと一緒にいただきました。
2周年おめでとうございます。
Cの言うてはる内容に最近合図値を打ちながら聞くようになりました。
3年目のさらなる飛躍も応援しておりますということで、
ありがとうございます。
もう一つ、まなさんからいただきました。
こちらもギフトと一緒にいただきました。
2周年ライブ行けなかったおめでとうございますということで、
ありがとうございます。
ラジオトークっていうアプリだとね、
そこで2周年良かったねみたいなライブ配信、生放送をしたんですよね。
そちらに来ていただいたリスナーの方もいらっしゃるかもしれません。
でもライブ来られなくてもね、
こうやってお祝いしていただいてね、
どうもありがとうございます。
今までのメッセージがそういうお祝いのメッセージで、
もうちょっと内容的、内容的って言うとあれだな、
質問としてのお便りもいただいております。
こちら、マクタブさんからいただきました。
こんにちは。第1回放送から追いついた記念に初メッセージします。
03:01
大変でしたね。ありがとうございます。
日本語における何と何は同じ語なのでしょうか?
はじめは同じ語で、一方は音便形だと思いましたが、
何できましたか?は理由、
何できましたか?は手段になる説明がつきません。
あるいは、何語ですか?は量、
何語ですか?は種類になるのも同様です。
千賀さんのお考えは何でしょうか?
ちょっと追伸もあるんですけど割愛します。
漢字で書いてしまうとね、両方同じになるわけですけど、
確かに何と何で意味が変わることがあるということですね。
端的に言うとですね、
僕自身は何も何も同じ単語と考えていいんじゃないかなと思います。
という話を今からやっていこうと思います。
この何と何に限らず、
同じか違うかっていうのは言語学において非常に大きいテーマっていうか、
重要なことなんですよね。
現実世界というか物理的な世界において同じということと、
言語で言う同じっていうのは全く違うものというか、
たとえ物理的なレベルで違うっていうものでも、
言語の中では同じというか、
言語っていうのはすべて関係で決まっている相対的なものなので、
その中で同じであれば同じっていうことなんですよね。
例えば日本語では声音と濁音っていうのがあって、
カキクケコウとガギグゲゴっていうのは違う音として認識されています。
実際カっていう虫とガっていう生き物は違う生き物ですよね。
一方韓国朝鮮語ではこの声音と濁音の違いはなくて、
カとガっていうのは同じ音として認識されています。
我々日本語母語話者にとっては、
カとガっていうのが同じ音っていうのは想像できないかもしれませんけど、
韓国朝鮮語っていうその一つの言語の体系の中では同じということになっています。
逆に日本語のンっていう発音は、
例えばハンパっていうのとハンタイっていうのとハンコっていう、
それぞれハンっていう音が入ってますけど、
すべてンの発音は違うんですね。
違うっていうのは物理的な意味で違うんですけど、
日本語母語話者にとっては同じンとして認識しています。
06:03
より専門的には物理的な音の違いのことを音声と言って、
言語にとって重要な音の違いのことを音素という言い方をするんですね。
それで何が同じかっていう問題はこの音の問題だけじゃなくて、
形態素の方でもそういう問題があります。
形態素っていうのは意味を持つ言語の最小単位っていうことなんですけど、
これは単語のこともあれば、
一つの単語が複数の形態素からなっていることもあって、
例えば食べたっていうのは、
これは単語としては一単語ですけど、
形態素は2つあって、
食べっていうのと過去を表すたっていう2つの形態素からなっています。
パーツですね。
で、このたっていうのは、
飲むっていう動詞につくと、
飲んだっていう風に濁音になりますよね。
つまりこの過去を表す形態素には、
たっていう形とだっていう形があるわけですけど、
言語学では同じ形態素としてみなします。
ただ、その前に出てくる形態素、
動詞によって音が変わっている条件によって違う形になるという風に考えるんですね。
でまた専門的な言い方ですけど、
こういうのを異形態という風に言います。
まあなので、
潜在的にはというか、
真相では、あるいは抽象的な意味では、
同じ形態素だけど、
それが何かと組み合わさるときに、
違う形になって出てくると、
そういう風に考えるんですね。
で、やっとこそお便りの問題に戻っていくわけですけど、
何と何っていうのも、
やはり抽象的な意味では、
同じ1つの形態素で、
その組み合わせによって、
違う形が出てくると、
まあそういう風に考えた方が、
合理的ではないかなと思います。
問題は、この何と何っていうのが出てくる、
その条件っていうのが、
双方分布的ではないんですね。
またちょっとね、専門的な言い方ですけど、
双方分布っていうのは、
一方が現れるときに一方が現れないみたいなもので、
食べたと飲んだだと、
食べだとか飲んだっていう風に、
そういう言い方はならずに、
必ずどっちかしか出てきません。
ただ何と何の場合は、
マクタブさんのお便りにあるみたいに、
何でと何でという風に、
09:03
後ろにでが続くからといって、
一方しか現れないっていうわけではないんですね。
そこがちょっと面倒なとこですけど、
一応法則みたいなものはあって、
まあ多分ね、マクタブさんもお便り書いてて、
気づいてると思うんですけど、
後ろに助数詞がつくときは、
何っていう形になります。
何匹とか何人とか何行とか。
ですので、
何と何っていう2つの形態層を、
認めるよりも、
少なくとも助数詞の前では、
何っていう形になりますっていう風に、
説明した方が、
説明としてはすっきりするんですよね。
言語学において、
その説明っていうのは、
シンプルであればあるほどいいんですよね。
僕の印象だと、
一語っぽい、
一つの単語っぽいものは、
何っていう形が出ると思います。
何でみたいに、
理由を表すものは、
意味としてはなぜっていう一単語に近いので、
そういったものは、
何っていう形になりやすいんじゃないかなと思います。
言えることはせいぜいそのくらいで、
結論としては、
何と何っていうのは、
同じ単語というか形態層で、
ただ、
言える条件っていうのが、
やや説明しづらいかなといった感じです。
というわけで、
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
お相手はシガ15でした。
10:49

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