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この番組を聞いてくださっている方の中には、ラジオトークないし、ポッドキャスト等で音声配信をしているっていう方もいらっしゃると思います。
あるいは、音声配信はしてないけど、人前で話す機会が多いといった方もね、いらっしゃるかもしれません。
いずれにせよ、多かれ少なかれ、人前で何か話すっていう機会はね、誰しもあると思います。
そういった時に、できるだけ魅力的な話し方とか、何というか、人を引きつける話し方っていうのを意識したいというかね、身につけたいと考えている人も多いんではないでしょうか。
こんにちは、シガ15です。今日もシガ15のツボ、やっていこうと思います。
僕自身もそうですね、どうせ音声配信やるんだったら、
うーん、何というかね、魅力的な話し方をしたいとは思っています。
今日のトークは魅力的な話し方と言語学っていうことで、魅力的な話し方、
それを言語学的に考えるとどうなるか。
結論から言うと、言語学はそういったことに全く関与しないと言っていいと思います。
魅力的な話し方っていうのを言語学的にどうこう言うということはないと思うし、あるかな、あるかもしれないけど、
ある意味言語の本質から最も離れたところにあると言っていいと思います。
なので今回のトークを聞いたところで、魅力的な話し方というのは全く身につかないと思います。
そういうのを身につけたいんだったら、もうちょっとね、ボイストレーナーなりなんなり、
やれ、複式呼吸だ、なんだの、そういったものを参照なさるのがいいと思います。
ただ、このトークを聞いても魅力的な話し方は身につきませんが、
もっとね、言語の本質的なところに関わってくるトークとなっているので、
ぜひ最後まで聞いていただけたらと思います。
魅力的な話し方っていうのがどういうものかっていうのを考えると、
声の大きさだったり、間の取り方、スピード、そういったものが関わっているのではないかなと僕も素人なりに思うんですけど、
そういったものは言語の本質とはかけ離れているものですね。
言語というのはまあいろんな機能がありますけど、
一つパッと思いつくのは意味の伝達に関わるというか、意思疎通のための道具立てというか手段というのが言語ですよね。
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なので意味が伝われば声の大きさだろうと、 間の取り方だろうとスピードだろうと、まあどうでもいいんですね。それは本質的ではありません。
これは具体的な例を考えてみればわかります。例えば声の大きな人が小さいと叫んでも、
声のか弱い人が大きいって小声で言っても、 意味が逆転することはありませんよね。
大声で言った小さいも、小声で言った大きいも、 意味が逆転することはなく、それぞれ小さいと大きいという意味を表します。
つまりそういう物理的なというか、 物体的物質的な要素っていうのは言語の本質には全く関わってないんですね。
そういう物理的な音量っていうもの以外にも、 例えば
スピードを落としてゆっくり速いと言っても、 早口でゆっくりと言っても、これも当然意味が逆転することはないですよね。
だからここでも物理的な話すスピードっていうのも、 言語の意味、本質には全く関わっていません。
これは話し言葉だけではなく、書き言葉、書かれた言葉についても同様のことが言えます。
例えば赤ペンで青って書いたとしても、 赤いっていう意味には絶対になりませんよね。
あるいは薄いインクで濃いっていう字を書いても、 薄いという意味にはなりません。
これは当たり前すぎて誰も普段気には止めないと思うんですけど、 まあ考えてみれば面白いもので
そういう物体的物質的あるいは実在的なものから 人間が一歩離れているっていうかな
そういうことがわかると思います。 裏を返せば我々は継承的とかね形式的な世界で生きているというふうにも言えるかもしれません。
つまり関係というか相対的っていうか、 まあその物質的なものに左右されないということですね。
言語っていうのはよく下辺に例えられるんですよ。 例えばこの日本という国において
きれいなまっさらな千円札よりも 汚いヨレヨレの一万円札の方が価値がありますよね。
どっちか選べと言ったら みんながみんなおそらく汚い一万円札を選ぶと思います。
これも今までの話と同様です。 つまり物質的な要素っていうのはお金には関わってないんですね。
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その物質、物体的なものを離れた形式的な、 系層的な目を通して
一万円札なり千円札っていうものを見ているということです。 あるいは昨今は
キャッシュレスだなんだつって、 コゼになりお札なり持ち歩かない人も増えましたよね。
僕もそうですね。スマホだけで決済を行うということもだいぶ増えました。
これは段階が一歩さらに進んでいて、 一万円札だ千円札だっていうのは
物体としての紙っていうものはそこにあったわけですけど、 そういったものをさらに飛び越えてですね、
より関係的な世界に我々は踏み込んでるっていうかね。 まあそういうふうにお金っていうのも
物質的な要素というものに全く依存していないという点で、 言語とかなり近いんですね。
それと、 この貨幣っていうのと言語が似ているのは
どちらも その社会の中でしか通用しないっていうことですね。
一種の社会制度というか決まり事であるということです。 これも当然、海外に行って日本のお金は普通使えないし、
日本語っていうのもその 日本語母語話者の共同体を抜けてしまえば通じることはありません。
そういった意味でも貨幣と言語っていうのは 似てるんだなぁっていうのがね、なんとなくわかっていただけたと思います。
冒頭申し上げました通り、魅力的な話し方っていうのは 言語学ではそんな扱わないと思います。
なぜならそれは言語の本質とはかけ離れたところにあるからですね。 言語の本質っていうのは
物理的、物質的、 あるいは実在的なそういった要素から離れて、
なんというかな形式的な世界の話だということです。 言語において重要なのは声の大きさとか
間の取り方、話すスピードとかそういった実質的なものではなくて 他の要素と異なっているっていうことなんですね。
他と差異があればもうそれで十分だし、 まあそれが言語のすべてであるということです。
例えば何でもいいですけど、赤っていう 単語にとって大事なのは声の大きさとかスピードとか
副式呼吸とかではなくて、赤が朝と区別されていることが大事なんですね。
あるいはひらがなの和と礼っていうのは非常に似てますけど、 最後
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内側にこう払うのか、外側にこう跳ねるのか、 まあそこが違ってさえいればそれで十分ということになります。
まあちょっとうまく伝わっているかどうかわからないので、 関連トークがございますのでそちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
というわけで今回のトークは割と言語の本質に迫るものとなりました。 よろしかったら番組フォローもお願いいたします。
ではまたお会いいたしましょう。ごきげんよう。