キリスト教の宣教師 フランシスコ・ザビエルについてお話しました!
・僕がザビエルについて話す理由
・バスク人とは
・ザビエル来日の経緯など
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みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。
今日は、キリスト教の宣教師、フランシスコ・ザビエルについてお話ししたいと思います。
フランシスコ・ザビエル
日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師として、歴史の教科書に出てくる人で、みなさんもよくご存知じゃないかと思います。
ちなみに最近では、英語の読み方であるザビエルに対して、ポルトガル語読みのシャビエルと表記する歴史の教科書も出てきているそうです。
今回は、そんなザビエルについていろいろとお話しできればと思います。
今回、内容的にザビエルのミイラですとか、遺体についてのお話が出てきますので、そういった内容が苦手な方はご注意いただければと思います。
今回、なんでザビエルについて話すのかということなんですが、話は4年前に遡ります。
4年前のある日、僕が奥さんのバクコと話をしていたところ、どういう話の流れでそうなったか記憶がないんですが、ザビエルのミイラの話になったんですね。
その時、バクコからザビエルのミイラがどこかに保管されているという話を聞いたんですが、僕はその時点では、歴史の教科書に出てくるザビエルがミイラとして保存されているなんて全く想像もしていなかったので、すごく驚いたんですよ。
で、一体どういうことだろうと思って、すぐに調べ始めたんですね。
で、調べていくと、実際にザビエルの遺体はミイラとして保存されていて、しかもどうやら体のいろんな部分がいろんな場所に分かれて保管されているということがわかってきたんですよね。
なぜザビエルがミイラとして保存されたり、体のいろんな部分がいろんなところに保管されているかというと、それは彼が人生を捧げたキリスト教に深く関連しています。
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ザビエルは1552年に亡くなったんですが、彼の死後ちょうど70年にあたる1622年にローマ教皇グレゴリウス15世によってザビエルは聖人の認定を受けたんですよ。
僕はキリスト教についての深い知識は持ち合わせてないんですが、この聖人の認定によってザビエルの遺体は聖遺物という扱いになり、世界各地の教会に分けられて置かれることになったということみたいです。
ザビエルの体の一部はカトリックの本拠地があるローマや、彼の聖歌であるスペインのザビエル城、彼がかつて布教を行った土地であるインドや、そしてこの日本のキリスト教の教会にも保存されているそうです。
このザビエルの未来については4年前に僕のやっているセミブログというブログで詳しいまとめ記事を書きましたので、もしご興味があれば概要欄からチェックしてみてください。
記事には世界中に分かれて保管されているザビエルの体の一部、ザビエル聖遺物マップも掲載しています。
この僕が書いたザビエルについての記事なんですが、僕がザビエルの未来の話を最初に聞いた時点ではネット上にまとまった情報ってほぼなくて、自分がその全容を理解するために情報を集約して記事としてまとめたものになります。
ザビエルの未来が世界各地に分かれて保管されているのはキリスト教の信仰によるものということは理解してますし、それについてどうということはありません。
なんですが、僕が初めて歴史の教科書で習ったザビエルの未来が世界各地のいろんなところで保管されているということを知った時、率直に言って世の中ってあまりにも奇妙すぎてやばいなというふうに思いました。
今もその思いは変わってないですね。ザビエルの未来が世界各地に分かれて保管されているということを思い返すたびに、なんて奇妙な世界に僕らは住んでいるんだろうって思います。
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そんなザビエルなんですが、そもそもどういう人だったかというのを振り返ってみたいと思います。
フランシスコ・ザビエルは1506年スペインのバスク地方に生まれました。
バスク地方というのは、ピレネ山脈にあり、スペインとフランスの両国にまたがっている地域のことで、バスク人という独自の言語と遺伝的特徴を持った民族が暮らしています。
実はザビエルもこのバスク人でした。
バスク人が話すバスク語は、周辺地域やそれ以外のあらゆる言語と類縁関係がない、孤立した言語と言われています。
バスク人の遺伝的特徴としては、頭蓋骨の形がその他のヨーロッパ人と少し違うのと、あとは血液型ですね。
バスク人の約60%が血液型のRHマイナスの遺伝子を持っているということで、これは世界的に見て突出しているようです。
なのでザビエルもRHマイナスの遺伝子を持っていたかもしれません。
バスク人の文化的なところで言うと、帽子のベレー帽がそうで、このベレー帽はバスク地方が発祥なんですね。
あと、近年スイーツとして人気を集めているバスク風チーズケーキ。表面を焦がした深みのある味わいが人気のチーズケーキですが、あれのバスクというのもバスク地方のことなんですよね。
ということで、バスク人というのはヨーロッパの中でも一種独特な文化を持つ民族で、ザビエルもそのバスク人だったわけです。
ザビエルは1506年、そのバスク地方の地方貴族の家に生まれました。
兄2人、姉2人がいる5人兄弟の末っ子でした。
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その後1525年、フランスのパリ大学に入学し、哲学コースで学んでたんですが、同級生から影響を受けて聖職者を目指すことを決めました。
その後の1534年、ザビエルは同じく聖職者を目指す同級生たちと一緒にカトリック教会の修道会であるイエズス会を立ち上げました。
ザビエルはこのキリスト教のイエズス会の創立メンバーだったんですね。
この時期、ポルトガルにジョアン三世という王様がいたんですが、このジョアン三世はキリスト教の国外への普及に熱心な人で、海外に行って布教をしてくれる宣教師を募集してたんですね。
ザビエルはこのジョアン三世の呼びかけに応じて、イエズス会の他のメンバーと一緒に1541年にポルトガルのリスボンを出発しました。
イエズス会の立ち上げから約7年後のことでした。
ザビエルを乗せた船はアフリカ大陸の南端を回って翌年の1542年、インドのゴアに到着します。
ザビエルはこのゴアを拠点にインドの各地で布教を行いました。
その後、1545年には東南アジアのマラッカ、1546年にはモルカ諸島に渡り、各地で布教活動を行いました。
この時点のザビエルには日本に来たり、日本で布教を行う予定は実はありませんでした。
というか、当時のヨーロッパの地図にはまだ日本が載ってなかったみたいです。
日本という国があるということ自体は認識されてたんですが、どこにあるかもよくわからない謎の国という感じだったようです。
それくらい日本についての認識が曖昧だったので、ザビエルはもともと日本を目指してはいなかったんですよね。
ただ、この頃ザビエルはマラッカである一人の日本人と出会うことになります。
それはアンジローあるいはヤジローとも呼ばれる当時サツマと呼ばれていた鹿児島出身の人で、若い時に罪を犯してサツマに来港していたポルトガル船に乗って遠くマラッカまでやってきていました。
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そしてその罪を告白するためにザビエルに会いに来たんですよね。
ザビエルと意気投合したアンジローはザビエルの勧めに従ってキリスト教の洗礼を受け、記録上は最初の日本人キリスト教徒になりました。
この時アンジローはパウロデサンタフェという聖なる名前、聖名を授かったそうです。
アンジローとの出会いはザビエルにも大きな影響を与えました。
アンジローは日本人は好奇心旺盛で知識欲があるのでザビエルが日本に来ればキリスト教を布教することができるだろうと受け負ったんですよね。
これがザビエルが日本を目指すきっかけになったんですね。
1549年ザビエルはアンジローの案内で鹿児島に上陸しました。
これがザビエルが43歳の時のことになります。
この頃の日本は京都の室町幕府が政治の中心にある室町時代でした。
日本に渡ったザビエルは九州の各地や今の山口県、また日本での布教の許可を得るために京都に行ったりもしたんですが、
その頃の京の都は戦乱によって荒れ果てて安心して滞在できる場所ではなかったようです。
ザビエルの日本での布教活動はすでにキリスト教に改修していたアンジローの存在もあり、それなりにうまくいったようで、
山口では2ヶ月の布教で500人もの人がキリスト教に改修したそうです。
ただ、ザビエルが日本で布教活動を行っていたこの時期というのは、実は彼にとっての晩年でもありました。
日本で布教を進める中、考え方の違いから大名や仏教の僧侶と対立することもあったようで、
布教活動をより強力に進めるためには日本への影響が大きい中国でまず布教を行う必要があると考えたザビエルは日本を離れ、中国を目指したんですよね。
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ザビエルはまず中国の上仙島、漢字だと上、川、島と書いて上仙島という島に渡って中国本土に入るための船をそこで待ってたんですが、
なかなか船は来なくて、走行しているうちにザビエルは熱病にかかってしまい、1552年12月3日、46歳の生涯を終えることになりました。
ザビエルの遺体は石灰と一緒に海岸に埋められて、その後掘り返されました。
石灰の作用で遺体が腐敗することなく保存されたのかもしれません。
その後は冒頭でお話ししたミイラや生異物としての各地への保管などの話につながっていきます。
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今日はキリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルについてお話しさせていただきました。ご視聴ありがとうございました。
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