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2025-02-07 09:36

【介護335】「情」に流される介護⚠️ 「情=心が青い(未熟)」

#介護 #ケアマネ #アドラー心理学
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どうもボブです。今日は介護の話をしたいと思います。 ずっと介護の話をしていなくて、心のこととかね、そういった話ばっかりだったんですけど、
でもこれもね、介護の話に通じるかなぁとは思いながら話してたんですけど、 今日もちょっと半分は考え方の話なんですけど、
情が熱いねこの人はって、よく介護の現場でもね、 結構熱血な方とか、すごい思いが熱い方で、
一生懸命にされている方たくさんいます。すごいなぁと思います。 ただこの情っていうものですね、
あるちょっとお話で聞いた話をそのままね、するんですけど、 情っていうのは立心弁に青いって書きますよね。
この立心弁は心で、心が青いっていうこと。 つまり、心が未熟とも考えられるわけですね。
じゃあ、情って悪いものなんですか?って言ったら、 決してそうではなくて、
情が熱いっていう方っていうのは、何か未熟なというか未完成な自分がいて、 何か困っている人たちがいたとして、
そこに対して、この未熟な自分、未完成な自分が何かできることないかなって、 心が熱くなるような、
そういうことは決して悪いことではないですよね。 未完成だからこそ、いいわけですよね。
ただ、情に流されるっていう言葉がありますね。 情に流されてしまう。
この情っていうのは、相手の情に流されるわけですよね。 相手の未熟な心に自分の未熟な心が同調して、
あっち行ったり、こっち行ったり、 かわいそうっていう言葉が出るのも、この情かもしれないですね。
介護の現場でも、この人をかわいそうだからって言って、 よく介護職の方とかも言うんですけど、
かわいそうっていう言葉も、そもそも失礼な話で、 かわいそうっていうのは、上から下に見ている言葉なんですよね。
本人はそのつもりはないと思うんですけど、 でも言葉としては、どうしても下に見てしまっている言葉になる。
何かもう私たちが、やってあげないといけない、 みたいな、そういう固定観念がある。
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そういう方は決して悪いわけではないんだけれども、 ついついやりすぎてしまうとか、
過剰にね、介護サービス以外のことも、 ついついやっちゃう。そういうことがあるんですよね。
ヘルパーさんとかでも、やっぱり生活の場に 支援しに行くわけですから、いろんなことが気づいちゃうんですよね。
いいことです。いいことで、なんかね、窓が汚いな。 介護保険ではできないけど、ちょっと拭いとってあげよう。
ちょっとプラスアルファすることが、本人のためになる。 で、これをちゃんと
みんなで話し合って、 みんなね、こういう共通認識でやっていこうとか、
ちょっとね、プラス1、2分時間が余ったら、 こういうことをしようかとか。
みんなでね、検討してやるならまだしも。 私の時はやってあげるからね、こっそりと、みたいな感じで
やっちゃうとですね、結局 その人がいなくなった時とか
他のヘルパーさんに対しての不満が出てきたり、 あの人はやってくれてるのに、とかいうのが
やっぱり長くやっていくとどんどん出てくる。 ヘルパー事業所さんが、もし何かの都合で別の事業所に変わった時にも
前のヘルパー事業所はここまでやってくれてた、 っていう不満が出てきてしまう。
よかれと思って支援をしたことが不満に繋がっちゃうんですよね。 でもこれも相手の情に流された。
相手の心が未熟な状態であるからこそ、
完全に自立にはいたっていないからこそ、 アドラー心理学でいう自己中心性が
やっぱり強まってしまうんですよね。 過剰に支援をすることで
自分の自立が逆に遠のいてしまう。 そういうこともあり得るんだっていうことなんですよね。
本当はここはお金を別に払って 慈悲という形で支援してもらうのが一番ベストな方法かもしれないけれども
その手段を奪ってしまうんですよね。 タダでできるからもちろん利用者さん本人にとってはいいんだけれども
でも結局全体的に見たら不安が起こってしまうということで
そうしてしまうとやってくれたんだからなんでお金を慈悲で払わないといけないの? っていうふうに後でねなってしまうわけですよね。
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だから本来はお金を払ってでもやってもらおうっていう そういう考えを奪ってしまうんですよね。
施設に行かないといけないような状況が陥ってたとしても、例えばヘルパーさんだったりいろんな支援者が過剰に支援してなんとか生活が成り立っている
そういう状況の時にこの バランスが崩れた状態をずっと続けないと
本人は 生活していけない
みんなどんどんどんどんヘルパー事業者さんとかその支援者が疲弊をしていく でどっかで
介護保険制度もいろいろ変わっていくのでごめんなさいって サービスはここまでしかできませんよってなった時に困ってしまうんですよね
その時の本人はもう ちょっと依存的になってしまっているので
本当は前の段階でもうそろそろ 施設を考えないといけないって自身で決めないといけないタイミングがあったとしてもそれを
逃してしまうんですよね。それを逃して 支援をやってしまったことで
逆に なんでっていうね自分以外の外に不満や
苛立ちが出てしまう だからその情を持つっていうことは大事なんだろうけど
情に流されるっていうことは 危険じゃないかなぁと思うんですよね
まず支援者自身が しっかりと自立をして
まあ そのあくまでね情は自分の情を持っておくだけで相手の情に同期してしまって
そのまま相手に 右左動かされてしまうそれは良くないなって思いましたね
でも結構介護現場では 医療の現場でもそうかもしれないですね
あるあるの話でよかれと思ってやっていることだからこそ注意しづらい 注意したとしたら
逆に不満を持たれたりするわけですよね
なんで言われないといけないの?みたいな 難しいところなんですけど
最初の気持ちはすごく良い 優しいからこそいろいろ気づけるからこそそう思うわけですよね
とっても良いことなんです 全ては他人軸
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相手に軸を置いてしまうことで流されてしまうんだなって思いました あくまで自分の軸をしっかり持った上で支援しないと
やっぱり情が移って流されてしまって余計支援が困難になってしまう これは多々あることだと思いますので
僕も気をつけていきたいなーって思います ではではご視聴ありがとうございました
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