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2022-01-16 16:02

【心理】「施設に入れるなんて可愛そう」足かせの心理

ボブです。

足かせをつけたゾウの話

もしかしたら、みんな多かれ少なかれあるのかも

でも、それは本当はないんだよ

#介護 #心理学 #アドラー心理学  #ケアマネ
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どうもボブです。最近ですね、こう、自分がこれベストだと思った選択があったとしても、それを選べない人がいるなぁって思ったんです。
これ自分も含めてそうだったんですけど、どう考えてもこのAの選択肢の方がベストだって本人もわかっていて、
で、周りもそうだろうって思うけれども、その本人はそのAを選べずに、Bの、結局自分が困る選択を選んじゃう。どうしても選んじゃう。そういうことってあるなぁって思うんですよね。
不思議なんです。なんでこんなことになっちゃうのかなぁって思った時に、これ確かに自分も色々過去に経験はあるんですけど、改めて考えてみると、一つなんかこういった話を聞いたことがあるんです。
檻に、こう、確か象さんだったと思うんですね。象が入れられて、で、象の足に足枷をこうガチャンとつけられて、で、もう、あの、なんかこう、鎖に繋がれて、この檻の中を何歩しか歩けないような状況にずっとさせてるんですね。
で、それをずっとさせると、後々足枷を外したとしても、その範囲内しか動かなくなるんですね、象さんは。で、同じように、壁、最初はですね、あの、こう、で、別の実験かな、こう、檻に、檻の壁にですね、あのビリビリの電気がビリビリってなるのをつけて、
で、外に出ようとしたらビリビリってなっちゃう。で、そういう状況をずっと続けるんですね。かわいそうですね。で、そんな実験を続けると、もう、その檻のドアを開けてですね、ずっと開放しているにもかかわらず、象さんは外に出ようとしなくなる。
そういった実験、まぁ、ちょっと間違ってるかもしれない。こんな、確かね、こんな話があったんです。で、それを思い出したんですよ。いや、なんで、あの、もう、このほうがもういいだろう。例えば、介護の、僕仕事してますけど、介護で例えば、もうこれ以上やったら倒れてしまう。もう、介護者が倒れてしまう。
本人をね、母を施設にもう入れないとどうしようもない。そんな状況に陥ったとしても、いやいや、娘である私が見ないといけない。とかですね、周りに何て言われるかわからない。周りの目が気になる。
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あと、急に本人のことを考えると、かわいそう。施設に入れるなんて、かわいそうだって、こう、いろいろ言ったりするんですね。直前になって。
で、でも、まぁ、散々いろいろですね、まぁ、考えて、で、もう、これしか方法がないっていうところまで来たとしても、
そういう判断をしちゃうんですよね。でも気持ちはわかりますよ、もちろん。あの、やっぱりね、本当にお母さんのことを思ってって思うと、やっぱりそう思いたくはなるんですけど、ただね、これって
その、自分が本来見ないといけないんだ。とかですね。
あと、周りから何て言われるか、周りのね、目が気になる。だったりね、まぁ、そういった部分が根本的なネックになっているんじゃないかなって思うんですよね。
これは今に始まった考え方じゃなくて、今までのずっと長い習慣。
これはさっきの象さんで言う鎖に足枷をつけてですね、鎖に繋がれてた状態。
で、今ね、もうその鎖なんてないはずなんです。
なのに、なんかね、
こうしないといけないんだ。周りからこう言われる。
これが当たり前なんだ。
そう、そう思うことの方が安心するんですよ。自分が。
象さんもね、足枷外れたんだけど、あの、足枷の範囲内で行動する方が安心するようになっちゃったんですよ。
電気ビリビリで痛い思いするぐらいだったら、もうその範囲内で行動する方が、象さんは楽になっちゃったんです。
そうする方が安心なんですよね。
そういう考え方に習慣がついてしまっていると、もしいい話が飛び込んできたとしても、そっちをつかむことができなくなってしまう。
この考え方の習慣って一体何なんかなーって思ったら、やっぱり、僕の好きなアドラー心理学で言うと、縦の関係性。
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もうね、あの、昔で言う、もう本当、
定種間白みたいなですね。もう、こうするのが当たり前だ。おいって言ったらもうお茶持ってこいっていうことだみたいなですね。
そういう、なんか上から上下関係を作ってるか、そういうのに慣れ親しんでしまっている場合は、こういう考え方を持ちがちなんですよね。
この人が言うからこうしないといけない。
周りがこうだから自分もこうしよう。そういう考え方をずっと続けていくとですね、
もう自分の考えで動くことができない。周りの考え、周りがどう思うか、これが判断基準になってしまうんですよね。
これを他人軸って言いますけどね、よく。自分軸じゃなくなってしまうんです。
自分軸で考えたときに、あ、今ね、今もうかわいそうだと思うけれども、施設に今入れないと私も潰れてしまう。私が潰れるとこの家族みんながダメになってしまう。
で、じゃあ、施設どんなところか、ちゃんと確認してみよう。この施設いい施設だったら、いい人たちがいるとこだったら、
お母さんもきっといい生活送れるんじゃないかなっていう風にこう前向きに考えていくっていう思考ができなくなってくるんじゃないかな。
先にそう考える以前に、なんか、かわいそうだ。本当は私がしないといけないのに。
なんか、罪悪感を持たないといけないって思ってしまうとかですね。
で、周りの人にはね、本当は私が見ないといけないんだけどって、こう、みんなにこう言うわけですよね。そういう方って。
そうじゃなくて、あ、いやいや、あの、もう本当にできる限りは頑張ったんだ。だけどどうしてもダメだった。
だからね、あの、もう施設に、いい施設を見つけて、いい人たちの出会いにね、出会えるように、まあちょっといろいろ自分も調べてみたよと。
それでケヤマネさんとかにも協力してもらって、施設に入れることにしたよっていう風に決めてしまうことが、決めることができるはずなんです。
どうやったら施設に入れられるかの前に、まずは自分のその考え方、ね、周りの人基準にしてませんか。
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周りの人がどう思うか、そこばっかりに意識を向けていたら、逆に施設に入れた後も、また苦しむことになると思うんですよね。
周りの人にずっともうね、入れたくなかったんだけれども、入れて後悔してるのよ、ずっと言い続けることになる。
それが本当にお母さんのためになるんだろうか。
この、なんというか、こう、あの、檻につながれて、電気ビリビリ、これが安心感に変わってしまった、そういった考え方の人。
縦の関係をずっと続けて、縦の関係が当たり前だ、その関係であることが自分の安心につながってしまっている方。
それにちょっと注目してみてほしいんですね。自分はそうなってないかな、僕自身ですけどね。
本当に、ちゃんと必要なチャンスが来た時に、そのチャンスをつかめなくなっちゃうんです。
ただ、周りが、じゃあ、気づかせようとして、一生懸命アプローチしてもね、それはまたうまくいかないんですよ。
あなたの考え間違ってますよって言ったところでね、いやいやいや、足枷ついてると思っているのに、
いや、あなた足枷もうついてないよって腕をグッと引っ張っていこうとしても、何してくれてんのよ、と。
もう、何そんな危険なことすんのよっていう風に怒るかもしれませんよね。
引っ張って外に出そうとしても、電気ビリビリなところに行こうとさせて、もう、何してくれてんの、と。やっぱ怒っちゃいますよね。
やっぱり自分で気づくしかないんです、ゾウさん。ゾウさんは自分で少しずつ、あれ、もしかしてもう足枷ないのかも、足動かしてみよう。
あれ、ドア開いてるかも、あっちの方少しずつ進んでみよう。
そういう気持ちにならない限りは、なかなか変化は生まれないと思うんです。
縦の関係から抜け出すっていうのは、自分自身じゃないとできないことなんですよね。
でも、これはこれで必要な出来事なんだと思うんですよね。
もし、それがその介護で、この話だとしたらですね、その介護を通じて、この縦の関係から抜け出すっていう機会をもらってるんだと思うんです。
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もし、介護でこういった苦しんでる方の場合は、これはある意味チャンスなんですよね。
そこで、ちょっと自分の考え方だったりとか、今まで縛られているものは何かなっていうのをしっかり見つめた上でですね、そこから脱する。自分が脱していくっていう。
そこを今、お母様の介護をしているとしたら、お母様から教えてもらっているんだ。
そういう機会を与えてくれてるんだ。この介護を通じて。そういうことなんですよね。
これって何にでも言えると思います。
もう何かね、情報が飛び込んできた時に、これ儲かるよとかですね、そういった話が来た時にも、
他人軸で何でも判断しちゃう人ってひょいひょい引っかかって、自分で判断せずに、自分で調べたりせずに、この人が言ってるから信じよう。
何でも信じちゃう。全部その人のせいにしちゃう。
これってやっぱり良くないですよね。
ちゃんと自分軸で捉えられる人はですね、もし失敗したとしても自分の責任と思えるんですよね。
自分で考えて、これいいなってピンときて動ける。そういうふうになった方が、やっぱり後々その失敗もプラスに変えられるはずなんですよね。
なので、何か選択する時に、人の意見、人の目線、周りの目線を意識したりとか、人がこう言うからとかですね、なんか変に罪悪感があるとか、そういった場合は足枷つけてませんか?
その足枷、自分でつけてますよ。
その足枷が何なのかっていうのを自分で確認できるようになったらどうかなと思いました。
わざわざ苦しい選択をしてるかもしれない。
わざわざ他に良い方法があるのに、自分が苦しんでしまう選択をしてしまう。
もっと自分の肩の力を抜いて、自分の本当の気持ちに正直に動いたらどういう選択になるかっていうのを普段から考えるようにしたらどうかなと思いました。
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なかなか難しいことだと思うんですけどね。
でも、わざわざ苦しむ必要ないんだよっていう、そういったこともあると思います。
なので、考え方の癖、今までのこびりついてる癖があるんじゃないかなっていうことを今日ふと思ったので配信させてもらいました。
どうかな、ちゃんと伝わったでしょうか。
これが正しいっていうわけでもないと思いますけどね。
僕の今日思ったことということでした。ご視聴ありがとうございます。
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