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2024-08-25 17:41

843.おたより「カウンセラーは自分の子どもにどう接している?」

リスナーさんのお悩みに回答!自分の母がカウンセラーだったのに我が子である自分のことはちゃんと扱ってくれなかった…そんな経験をお寄せ頂きました。カウンセラーは家族とどう接しているのか?母子関係とは?そんなお話をしてみました。


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ということで、今日は、公認心理師、心理カウンセラーとしての久野にいただいた質問かなというところで、マシュマロにお寄せいただいた質問に回答していきたいと思います。
読みます。
私の母が児童カウンセラーをしていました。
実家の本棚には、子どもへの適切な接し方について書かれた本がたくさんありましたが、私は母から怒鳴られ、叩かれ、否定され、兄弟と差別されながら育ちました。
小学校高学年の頃、私が本を読み、「そういうやり方はよくないんじゃないの?」と指摘すると、
親の本は勝手に読むなと逆切れし、自分の子にはそんな正しいやり方ができないの?と開き直り。
ちなみに本は量が多すぎて母のスペースに収まらず、私の部屋の本棚の半分以上埋めていました。
おそらく、医者が身内を見れないのと同じだと言いたかったのでしょう。
よその子は助けて、自分の子はサンドバッグ。カウンセラーとはそんなものか?と不審感を抱いた時期もありました。
でも、久野先生は息子さんにも心理学の知識をベースにした接し方をされていますよね。
結局、人によるのでしょうが、実際、カウンセラー業界では、自分の子どもにも知識を活用できる人とできない人、どちらが多数派なのでしょうか?
ということで、ありがとうございます。
今日は、公認心理師として、心理カウンセラーとして、私が言えることですけどね。
カウンセリングではないので、残念ながらね、この放送は。
カウンセリングって、やっぱり双方向のやり取りが肝というか、それができないとできないものなので、
このメッセージをきっかけに、私が感じたり、思い出したりしたことをお話ししてヒントになれば、
そういうスタンスで、このリスナーさん以外の質問にもお答えさせていただいているんですけど、
今日もそんなスタンスでお伝えできればなと思います。
オシャレの呪い床ラジオ、本日で843回目の配信でございます。
この番組では、あなたに巻きつくファッションへの思い込み、イコールオシャレの呪いをバサバサと解いていきます。
服装心理学をベースに、オシャレをもっと楽しみ、自分を変えるコツをお届けしています。
お相手はパーソナルスタイリストで、公認心理師のヒサ・ノリサです。本日もよろしくお願いいたします。
カウンセラーだけではないのかな。私、意外とパーソナルスタイリストもやっているじゃないですか。
そっちも結構共通性があるなと思うんですけど、アドバイス職、アドバイザー、
身内は難しいかなと思いますね。
カウンセラーは明確に身内にはできないというのが定説というか、
できないものなんですよ。
心理カウンセリングって、関係性ですら心理カウンセリングの道具なんですよね。
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伝わるかな。
他人であって、カウンセラーとクライアントとしての関係しかないこと自体が、
カウンセリングに効果を発揮するんですよ。
カウンセラーとクライアントとして出会っていること自体に意味がある。
自体が意味を持つんですよね。
知らない他者だったら、おばさん、私、キサ・ノリというおばさんと、
Aさんというおじさんでいいのかというと、
なんでおばさんとおじさんか分からないけど、
おばさんとおじさんというケースもありますよ、心理カウンセリングもね。
で、いいのかっていうと、
おばさんに聞いてもらってもな、みたいなところがあるんだけど、
それがカウンセラーと名前がついたときに、
カウンセラーに相談するんだって思った瞬間に言えることがあるわけで、
肩書とか役割なしに、人間って振る舞い行動はないから、
やっぱりカウンセラー、全くの他者であり、
その他者2人がカウンセラーとクライアントと出会ったということ自体が、
すごく大事な意味を持つんですよね。
そういう意味で、カウンセラーとクライアントである以前に、
母と子であるとか、
先生と生徒であるとか、
従業員と雇いのしてあるみたいな、
そういう他の関係性がある状態では、
絶対にカウンセリングはうまくいかないというのは、
もう分かっていることなんですよね。
そういう意味では、
お母さまが言っていることは、
実装としては正しいんですよね、実装としては。
やっぱりカウンセラーがやっていることは、
他人だからできるということはすごくあります。
その関係性、肩書きが大事ということももちろんありますけれども、
私がクライアントさんにやっていることを、
クライアントさんにしている態度と全く同じ態度で、
自分の子どもに接しているかというと、
そのほうがいいんだろうなと思う場面は多々ありますが、
完全には全然できない。
他者だからできる。
やっぱりね、
自分の子どもには感情が入っちゃいますよ、どうしたって。
いい感情も悪い感情も入っちゃうから、
カウンセラーって完全な鏡になって、
お客さまのことを映し出すということが、
必要な場面も結構あるんですけど、
鏡って感情を持たないじゃないですか。
それはなかなかできないね、身内には。
だから、
カウンセラーがやっていることは、
他人だからできるということばかり。
なので、そういう意味では、
完全に私も自分の息子に、
カウンセラーとしての態度で接しているかというと、
そんなことはないです。
ただ、質問としては、
実際カウンセラー業界では、
自分の子どもにも知識を活用するとできない人、
どちらが多数派なんでしょうかということなんだけど、
知識を活用するということは、
完全にカウンセラーとしてのスタンスで、
子どもに接するということではないから、
知識を活用するかどうかというのは、
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仕事もできなくはないということなんですけど、
それをできる人とできない人、
どちらが多数派かというと、
超人によるから、
超人によるから、
何とも言えない、
どちらが多数派とも言えないかなという感じ。
誰が活用できている、
ジャッジするんだという問題もあるじゃないですか。
実際に子どもにカウンセラーとしての
真理の知識を活用したときに、
子どもが喜ぶかどうかはまた別だからね、
ということなので、
知識を活用すれば、
子どもと関係性が良くなるかどうかというのは、
それは分からないので、
そういう意味でも、
測りようがないかなって。
やっぱり親子関係とか家族関係って、
すごく、
社会から実は確実されていますよね。
最小単位の社会なんだけど、
それが開かれていないというところが特徴で、
だからこそ、
それがよく働ければ、
社会にあるいろんな危険から隔離されて、
守られるという部分もあるし、
それが悪く働くと、
その家庭の中で起こっている、
その歪みとか、
歪みみたいなものが、
明らかになりづらいし、
解決されづらいということがあるということなんですけど、
だから、
非常に閉じられた世界なので、
このカウンセラーさんが自分の子どもに
知識を活用できているかどうかというのは、
測れる人がいない。
だから、私が接した経験で言っても、
本当にどっちが多数かとか分からないというのが、
正直な解答になっちゃいますね。
それは分からないんですけど、
でも、
質問者さん、
そこを聞きたいんじゃないんじゃないかなという、
気がするんですよね。
本当にどっちが多数かが気になったら
質問じゃないでしょう、多分これね。
という気がするんですよね。
カウンセラーだったら、
自分の子どもじゃなければ、
誰にでもいい接し方をできるかというと、
そういうことではなくて、
やっぱりカウンセラーって、
自分という人間を使って、
相手とやり取りをする仕事なので、
まさに自分自身が商売道具と言ったらいい語りだけど、
仕事道具なんですよね。
だからやっぱり相性はあるんですよ、絶対に。
だから、
当然すごくいいカウンセラーとされている人でも、
変わらないクラウドさんがいるので、
そのカウンセリングを受けるときも、
やっぱり自分のフィーリングでいいから、
この人がいいなと思う人に
当たるまでは大変だけど、
いくつか行ってみたほうがいいよと
私も言っているんですよね。
ただ、
それが親子関係と決定的に違うのは、
今言ったように、カウンセラーは変えがきくんですよ。
その人がいなければ他のところに行けばいいんだけど、
親子はソルダなんですよね。
母親って、
自分の本当の生みの親という意味の母親であれば、
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一人しかいないじゃないですか。
変えがないんですよ。
その辛さっていうのはあると思うんです。
変えがきかない、
自分のたった一人の母親だからこそ、
子どもは願ってしまう。
自分の理想どれの母であってほしい。
自分に、
自分が望むような接し方をしてほしい。
自分のことを大事にしてほしい。
願うし、
期待しちゃう。
そこが辛さですよねって思いますね。
だから、
うちの子どもも多分私にそう思うと思う。
いい母であってほしいって自分にとって。
それはみんな思うじゃないですか、絶対にね。
しかも変えがきかないから、
こんな大変な関係性はないなって思いますね。
じゃあ私は、
だからこそ自分の親肉の知識を生かし、
しっかり接しようと思っているかというと、
全然そうではなくて。
親はいつも間違えるんですよ、絶対。
って思ってる。
こんな言葉が質問者さんの慰めになるとは全然思ってないけど、
親は慰めになると思ってないし、
私が親の立場に立って、
質問者さんのお母さんを擁護してるわけでも全然ないけど、
現実問題そうだなって私は思ってる。
親はいつも間違えてる。
親はいつも間違える。
行動的にそうなってるんですよね。
だって子どもは親のもとを育って、
親よりもより良い家庭を作ろうと育って、
より良い家庭を作ろうと頑張る。
その繰り返しが、
良い人類という生物の繁栄に繋がっていったわけじゃないですか。
多様性ってあるじゃないですか。
多様性が担保されないと生物って繁栄しないですけど、
だから親と同じような子どもが生まれるだけでは、
生物は耐えるわけで、
絶対に親と違うタイプの子どもが生まれるようにできてるはずなんですよ。
どっかしら違う。
だから絶対に気が合わないんです、どっか。
だから親が良かったことも、
基本的には全部間違いって思ってるくらいちょうど良くて、
私がどんなに心を尽くして、
このことを思いやったとしても、
全部間違いですよっていうふうに思ってる。
全部間違いだったよって怒られてもしょうがないなって思って、
覚悟してるところはありますね。
それが心理学の知識をベースとした接し方なんでしょうか。
強いて言えばわからないけど。
でも私がそう思ってるだけで間違いなのは間違いだからさ、
子どもはいい迷惑だねって思うけど、
頑張るよ。それは頑張るし、間違いだったらごめんって直す。
だから教えてほしいなとは思うけど。
でも基本的には親なんて全部間違いだなって思う。
私もそんなに良い親子関係ではなかったので、
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私の場合両親が奇跡に入っちゃってるので、
思う存分言えるんですけど気を使わず。
あまり良い関係ではなかったなっていうか、
良い部分もあるけど、
全部が全部悪いって言ったら本当に失礼な話だけどさ、
全然嫌なとこもあったよ。
でも親っていつも間違えるしなって思いますね。
そこまで求めちゃダメだなって思うところもあるし。
だからといって怒ってはいいと思いますよ。
怒っていいところ全然だと思うし。
だけど基本的に親って間違えるんだよなとは、
どっかではずっと思ってるかなっていうことですかね。
カウンセラーだろうが自分の子供には間違えるんだよね
っていうところは言えることなのかなと思います。
そういう意味で、
間違えますごめんなさいってヘイで質問するとダメなので、
私が何を意識しているかというと、
私以外の頼れる大人を増やすことかなと思いますね。
例えば学校の先生もそうだし、
習い事の先生もそうだし、学童の先生もそうだし、
親戚もそうだし、
なるべく私以外の同級生のお母さんお父さんもそうだし、
私以外にも頼れる大人がいるんだと思ってほしいし、
私がこいつおかしいなと子供がね、
私のことをこいつおかしいなと思ったら、
永遠なく他の大人にあいつおかしいんですって言ってほしいなと思っているので。
だからその点かな意識しているのは、
それかできることかなと思っていますけどね。
他の人がどうなんでしょうね。
多分私がどうしているかというのを話したんですけど、
これもまた質問者さんが聞きたいことはない気がするんです。
質問者さんが聞きたいことって、
聞きたいというか知りたいことって、
なんで母が自分を尊重してくれなかったのってことだと思うんですよ。
ずっとその質問があるんじゃないですかね。
心の中に。そりゃそうですよね。
尊重されなかったって思っているんだとしたらね。
そうでしょう。多分そういうふうに書いてあるので、
そう思っていると思うんですけど。
なんでよその子は助けて、
自分の私は助けてくれなかったのってことですよね。
それは他のカウンセラーさんがどうなのかっていうことを探しても、
答えは見つからないじゃないですか。
お母さんがカウンセラーであることが、
なんであの人は私の母親でさらに、
カウンセラーにも関わらず自分を大事にしてくれなかったんだろうっていうことが、
カウンセラーという属性がお母さんに乗っかることで、
より自分が大切されなかったことが辛くなるようであれば、
カウンセラーという属性は関係なかったって考えたほうがいいかなと思いますね。
全然関係ないと思う。
カウンセラーなのに私を大切にしなかったということは、
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より自分への悪意が強かったってことなんじゃないかって思っているんだったら、
そうではないと思うんですね。
そうではないと思う。
カウンセラーであるかどうかはその問題には関係ないし、
そこを考えてもあんまり質問者さんの質問の答えは出ないかなって思うし、
それは答えを出すものなのかなと思う。
尊重してほしかったんだよねっていう自分の気持ちを受け止めて、
そこからどう進むかですよね。
もしまだお母さんがご存じであるのであれば、
じゃあ関係性を直すというほうに行くのか、
対決するというほうに行くのかわからないですけど、
いずれにしても、
まずは、私は私を尊重してほしかったっていうところ。
相手が誰か、母がどんな仕事であれ、尊重しなかった母が悪いし、
私は尊重してほしかった。
それからのスタートかなという感じですかね。
ここから先はカウンセリングでしか難しいんだけど、
セルフカウンセリングというのかな、
そこに立ったときに何を感じて何が見えるか、
まずそこからちょっとスタートしてほしいかなっていうところですかね。
どうかな。
参考になったかな。
わかんないですけど、
ちょっと考えてみていただけるといいかなと思います。
ありがとうございました、お便りを。
ということで、この番組ではまだまだ皆さんからのお悩み、ご相談、
メッセージ、テーマお待ちしております。
何でも結構ですので、番組概要欄にあるマシュマロか、
あるいはSpotifyでお聞きの方はコメント機能を使ってお届けください。
こういうディープな話でもカウンセリングするほうがないんだよな、
みたいなことって結構私がやっているノートのメンバーシップの
副創新ラボの会員性チャットでは割と話せたり話せたりします。
結構重い話題だからどうかなって思うかもしれないけど、
結構うちの会員さんたちはいろいろそれぞれに抱えて経験している人たちなので、
全然話せると思うので、よければそういう場所もあるので、
ぐるぐる考えちゃうと結構こごらがっちゃうので、
どういう形でも吐き出したり書いたりするのってすごい大事なので、
その場所としても使っていただけるので、よければ活用してください。
ということで、また次回の配信でお会いしましょう。おやすみなさい。
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