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2025-01-24 28:37

リノベの時間2023.9.7:株式会社ラクジュ 代表取締役 本橋哲幸

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ゲストは、株式会社ラクジュ 代表取締役 本橋哲幸さんです。 

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 横浜市出身。若い頃に自動車整備士をしながら夜間建築専門学校を卒業して建築の世界へ。 意匠設計事務所、地域工務店、マンションデベロッパーなどを経て2010年に一級建築士事務所ラクジュを開設。 建設業・宅建業もはじめ、不動産仲介から設計施工すべてを網羅する住宅特化の専門会社を経営する。 その傍ら、YouTube(ラクジュ建築と不動産)で住宅や不動産について約600本を配信。チャンネル登録者は9万人を超える。 

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ぜひお聞きください!

00:00
はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今晩はですね、会いたかったというかですね、
YouTubeでいつも見させてもらっていた先生に来ていただいているので、
非常にですね、いろいろ聞けたらなというふうに思っております。
というところで、タイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓先断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、
建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪宮の徳でリノベーションと町づくりをやっています。
美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
この感じ久しぶり。
そうですね、なんかフルスに戻ってきたという感じですね。
前回ね、公開収録やったんですよね。
そうですね。
今日は家なんですけど、
今日は、これ多分1年がかりぐらいでようやく来ていただけたみたいな。
ずっとね、来てもらいたくて。
でもきっかけもなくて、やっと。
まさかのDMからアタックするという。
というところにお願いします。
この番組は全国のリノベーションと町づくりで活躍する
大変なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、
トークセッションでお送りする30分です。
じゃあ早速。
それでは早速本日のゲストをご紹介いたします。
株式会社ラクジュ代表取締役、本橋哲之さんです。
よろしくお願いします。
なんか緊張しますよ。
そうですよね。
僕はいつも見てる、あの画面のままなんですよね。
時々トラがね。
トラさんとね、言いますよね。
たぶんYouTubeをやってらっしゃると、
いろいろあると思うんですけど、
僕らからすると、テレビに出てる人だ感がめちゃくちゃあるんですよね。
そうなんですか。
僕らもさっきね、話しさせてもらったんですけど、
YouTubeをやるにあたって、
ラクジュのめちゃくちゃ見させてもらいましたし、
めちゃくちゃ、ごめんなさい。
大阪風に歌うのパクらしてもらってるんですよ。
ありがとうございます。
有名なコラボ的な感じでできたらなと。
今日は聞きたいことたくさんありますので。
よろしくお願いします。
それでは早速ゲストのご紹介していきたいと思います。
横浜市出身、若い頃に自動車整備士をしながら夜間建築専門学校を卒業して建築の世界へ。
一生設計事務所、地域公務店、マンションデベロッパーなどを経て、
2010年に一級建築士事務所ラクジュを開設。
建設業、宅建業もはじめ不動産仲介から設計施工すべてを網羅する住宅特化の専門会社を経営する。
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その傍らYouTube、ラクジュ建築と不動産で住宅や不動産について約600本を配信。
チャンネル登録者は9万人を超える。
はい。一級の先生なんで、僕去年製図カド版やって、であかんかって、もう一回学科からやり直して。
難しいかもしれないですね。
いやー、もう一回頑張ろうと思ってるんですけど。
今日リノベの時間なんで色々聞きたいんですけど、
たぶん本橋さんのYouTubeを見ている限りでいくと、
高性能、高断熱住宅っていうところをおそらく結構専門的にやられてなんですけど、
リノベーションとの相性の話だとか、その辺の話はリノベの時間なんで聞きたいんですけど、
僕個人的にはですね、整備士から建築に入った。
僕も法律の方から建築なんで、全く畑違いで文系の人間なんで、
どんな感じで建築になっていったのかがめちゃくちゃ聞きたいんですけど、
若い頃に整備士っていうのは、これは若い頃の定義をどのタイミングが。
18から専門学校、自動車整備の専門学校行って、2年間終えて、
20歳で就職した。トヨタのディーラー系列で就職をして、
大体2年くらい働かさせていただいて。
高校から専門学校に行ったってことは、
自動車の整備士になろうっていう明確な意思を高校の時に持ったってことですよね。
それは車好きだったとかそういうことですか。
そうですね。もともとは中学卒業したら、自動車の整備の専門学校というか、
そっちの方へ行きたいって言ったら、親に止められて。
高校は出ておけーぐらい。
もともとよろしくメカドックって知らない。
知ってます。めちゃくちゃ知ってます。
あれに大体感化されて、絶対整備士になるんだって。
整備する車はレース仕様でも一般車でも、何せ車に関わる仕事がしたいと思ったのが学生の時。
そうですね。
実際整備士になって20歳になって2年間働いている中で変化があったってことですか。
そうですね。もともと就職した時から夜間学校行かせてほしい。
ちょうど90年なんですね。バフルが崩壊する一歩手前。
なんでも聞いてくれたんですよ。わがまま。社員のわがまま。
毎日4時にあがって、夜間の建築の専門学校行かせてくださいっていう話で。
06:00
もう働き出してすぐに。
すぐにですね。
それはなんでなんですか。
整備士って専門学校行ってた時も、これって整備するだけで作り出すことができなかったんですよ。
なるほどですね。
やっぱり設計がやりたい。
車の設計がしたい。
設計がしたい。
車の設計ってなかなかしてくれないだろうな。
相当難しそうですね。
それで言うと、建築の設計だったらなんとか下っ端から勤められるんじゃないかという形で建築の世界へ行ったんです。
整備士でやりながら建築、作るほうがやりたいなになって、夜間の学校に通って。
これは資格を取るために、受験資格を取るためのということですかね。
そうですね。
大体2年間の専門学校なんですけど、建築の夜間。
卒業すると2級建築士が受けられると。
4年後には1級建築士が。
これまた2級建築士が最後まで受けられなかったんです。
どういうことですか。
1回学科が受かると3回まで受けられるんですけど、今はわかんないんですけど。
可動版で行けたってことですか。
いや、可動版も落ちた。
落ちて3回やったってことですか。
3回。
2級を。
まじですか。すごいですね。
もうやめようかなと思ったんですけど、1級も一応受けられる資格があったんで、その後1級資格を。
え、ちょっと待ってくださいね。
2級建築士持ってないんですよね。
学校出て、2級を学科通って落ちて落ちて。
落ちて。
可動版落ちて、で、もう1回2級。
もうやめよう。
でもやめて1級行ったってことですか。
1級行った。
1級も3年連続落ちたかな、学科で。
学科が、はいはい。
で、やっと4年目だったと思うんですけど、受かって。
生図はね、ずっとその頃設計事務所にいたんで、プロなんで。
さすがにこれは受かるよって言って受かった。
専門学校が終わった時点で、もう整備士を辞めて、建築の方に仕事としても入っていった。
そうですね。
何の会社に最初勤めたんですか。
最初普通に衣装の設計事務所に。
衣装系、大きいやつですか。
いや、ちっちゃい、ほんとにこじんまりとした。
住宅?
いや、ビルの、ちょっと施工図みたいなのを描く事務所に勤めて。
設計事務所ってあんまり長く勤めるメリットってないんですよね。
その能力を、もうそれ以上上げられないんだったら、辞めた方がいいって言っていく形なの。3年置きぐらいに。
09:04
僕、設計事務所で働いたことがなくて、どんなんかが全然分かんないですけど。
その設計事務所の技術レベルっていうのは、ある一定のものがあって。
そこまで行ったら、習得したら。
そうなんですよね。
ほいで、3年置きに行く、でも1軒目のところで2級でつまづいたってことなんですね。
2級はそうですね。その時つまづいた。別にいらないんでね。設計事務所に勤めていれば、先生が持ってるんで。
ちなみにそこって、これ僕個人的に聞きたいことなんですけど。
僕は受験資格が経験年数7年。実務7年。
すごい、そこから行くんですね。素晴らしい。
そうなんですけど、自営業、会社20年目なんですね、今年が。
なので、やりだした時は自営だったんで、自分で自分を判行するか、認めてくれなくて。
2級受けるのに11年かかったんですよ。
そうですよね。
2級取って、そこが4年で1級やりだして、落ちて落ちて落ちて落ちて。
去年1年やってなくて、いばりたるっていう感じで。
いや、1級はでもやりたいなと思ってるんですけどね。
学科は受かってるんですよね、でもね。
学科はね、一発でいけたんですけど、生図が。
生図はたぶん、そのうち受かると思うんだけど、生図は異常に簡単でした、1級は。
2級より難しかった、簡単だったっていう印象があります。
なんか、最後もこれあんまり色々時間の関係ないですけど、最後のカドマ落としだったし、
絶対ミスったことのないような、絶対誰も間違えへんやろっていうやつを、最後の年にミスしてしまって。
いやー、悔やむに悔やみきれるなって。
あれ面白いですよね、生図って最後トントントンって外交やるじゃん。
あれを可能な限り早くやってやろうと思って。
早くやりだして。
他にプレッシャーかけようって。
外交のね、トントントントン。
あれを他で聞くとすごいプレッシャー感じますよね。
プレッシャーみたいな。わからんでもないですけど。
だから2級は買うかって、1級行く、で、1級スッと行ったんですね、ほんなら。
いや、でも3年間は。
3年やって、学科は一発だったんですね。
いや、学科は分かんないですね。
学科が3発で、生図が一発だったんですね。
で、1級取った時はまた違う会社で働いてらっしゃる。
そうですね。違う設計事務所に行きましたね。
設計事務所ってトータルどれくらいやったんですか?
3社ぐらいかな。
それは全部でっかいビル系から。
そうですね。土地活用系とかビル系とかですね。
収益系とか。
12:00
個人住宅のっていうのはどこで、今は。
個人住宅はその後、どうしても個人住宅をやりたくなって。
ビルって3年4年かかるんですよね、1つのプロジェクトに。
でもその間にだいたいポシャルのが99%ぐらいポシャルでしょ。
自分で描いた住民が。
で、やっとこれが動き始めたっていう時に、
もうかなりの時間がかかっちゃうので、
こだて住宅やりたいなと思ったんです。
こだて住宅の全然知識もなかったし、
木造団体、木造、だから二級建築士が落ちてるから嫌いだったんですよね、そもそも。
で、公務店に入ろうと思って公務店に入った。
あ、公務店に入ったんですね。
そこでどうしたら結構、こだて住宅のっていう。
地域公務店ですね。
そうですね。
公務店さんはどれくらい勤めた?
結構長くて、たぶん5年から7年ぐらいいたのかもしれないですね。
それって働いてる時は自分で将来的にはやろうっていうイメージを持っていた?
そうですね。それ最初に社長さんに言ったらすごい怒られたんだけど。
でもその会社が営業から設計から施工管理まで全部やるシステムを組んでいて、
全部学べたんですよね。
この会社にいなかったらちょっと私は独立はできなかったろうっていう。
ベースをここでその会社さんで。
ずっと同じ地域ですか?横浜市。
そうですね。ずっと横浜ですね。設計事務所も。
でもその後どうしても東京で働きたくなっちゃったんですよ。
綺麗なビルでこんなのぶら下げちゃって。
ネームタグみたいな。
すごい憧れって。
僕もそれはわかります。
絶対もう転職しようって東京の。
赤坂にある前所で。
なんか憧れは。
すごいですよもう。
いろんな有名人が歩いてますから。
地元地域公務店で働いて、東京への憧れが出て次東京に行かれた。
どこで独立になるんですか?
そこを務めてたのがサブプライムローンの煽りで倒産したんです。
2007年?2008年くらいですか?
そうですね。すごい暗い雰囲気で。
どうしたんだろうと思ったら全員解雇で。
そういう経験もすごい良いなと思ったんですけどね。
確かに。リーマンショックの時は僕も結構大変だったイメージがありますね。
2007年?2008年?2007年?
そうですね。
で、倒産したのをきっかけで独立。
15:04
まだそこでは独立できなくて、もう一社公務店に勤めて、2年も経たないうちに独立です。
それってタイミングやったのか気持ちの問題やったのか、なんでなんですかね。
どうなんでしょうね。もともとは本当に会社作るっていうのは高校生の頃からそういう気持ちだったので。
それが自動車整備工場なのか設計事務所とかなのかっていうのは別に決めてなかったということですね。
独立するを決めて、だから赤坂のところから次のところに行って、で独立をした。
独立をするは最初から不動産業もやる、決めていった。
あ、そうですね。公務店にいた頃に設計士だけれども、やっぱり不動産のことがすごい興味があって、不動産部の方に行かせてもらったんですよね。
開発的な仕入れとか。
仕入れはしない会社なので仲介の。
え、仲介してあったんですか。
仲介してました。
普通に仲介の営業マンとして。
そうですね。
それは売買ですよね。売買仲介、一個だての。
そう、だから設計士とか建築士の一番悪いところって不動産の知識がなさすぎるんです。
確かに。
あれはもうイラッとして、私はなんとかその知識をつけたいと。
なぜならその作った家が数十年後に売却された時に、全く価値を生み出されない今の時代。
もうありえないよね、私は作りたくないと。
でもそれには何をしたらいいかというと不動産しなきゃダメでしょってなっちゃったんですね。
だから独立する時のイメージはもう不動産、建築、ワンストップでやるみたいなイメージを持ってらっしゃった。
そうです。もともと作ったのが中古のリノベーションのワンストップ事業。
一番最初。
作ろうと思ってずっと会社を設立させたんです。
2000何年ですかね。
2010年ですね。
2010年だったらリノベーション協議会が2009年なんで。
あの時が本当に一番盛り上がっている時じゃないかな。
中古流通に関してインスペクションをやろうとか、そこら辺の知識をどんどんつけていったっていうところですね。
ルール整備が結構されつつあるタイミングで、独立はワンストップで中古を仕入れて加工して売る。
もしくは仲介をして、それをそのままリノベーションと。
2010年ぐらいって僕たちは受け売りだけをやってた時代だと思うんですけど、その時のワンストップ、こだてですかね。
こだてってどんなのだったんですか。
ところが開業して2010年に宅券業も取ってレインズ見たりするじゃないですか。
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そうするとお客さんが欲しい物件が中古であって、電話をするじゃないですか。
元付け会社に。そしたらそこ売れてます。売れてるんですかって。
電話切ってお客さんに売れちゃってるみたいだけど、これ多分売れてないと思いますよって。
お客さんそのまま電話かけてください、その会社に。そしたら、ありますって言っちゃうんですね。
じゃあさよならって。
不動産の闇のようになるんですかね。
本当に闇でしたからね。そういう物件しかなくて、あ、これ無理だなと。
囲い込みひどすぎて、もう無理だなと思ったので、新築の方を頑張って取っていくっていう。
もうそっから新築の方に舵を切られたんですね。
一番最初の新築は、普通の一般的な新築みたいな。
うち第一号は、でも今はもう変わってなくて、長期有料住宅の認定を取って。
その時から本なら、なんか新築でも人エッセンスは長期有料住宅性能性を上げる。
構造計算もしてた人計算を取って、っていう物件を作ってましたね。
2010年くらい。
2010年、だから完成したの11年だと思うんですけどね。
だいぶ早い。
早いと思うんですよね。長期もう出始めた頃ですよね。
長期有料住宅の話、ちょっと余談になっちゃうかもですけど。
僕らこの間、初めて長期、250万ぐらい予算が取れるやつ。
既存住宅のね。
あれに新潟のリノベ屋さんに平田さんが来てもらって、教えてもらいながらやっていって。
いけるかなと思ったら、基礎部分が、RCの基礎がめちゃくちゃ大きくて、
そこの構造計算もしてくれみたいな話になって。
いや、それはもうできひんし、どうやってやるんだろうで。
それをやってくれるところをめっちゃ探したんですけど、結局どこもそんなんできひんで、
結局取れなかったんですよね。
やっぱ中古のやつだと結構難しいですよね。
難しいし、何年前ぐらいかな。3年前ぐらいから出来始めましたよね、制度としてね。
大きい方とちっちゃい方の認定取るやつと両方あるじゃないですか。
250万と150万ですかね。
こっちはまだ全然いけそうなんですけど。
それは長期認定取れないやつですね。
認定のやつ、そうですね。
これは多分中古流通なかなか難しいなと思うんですけどね。
あれも結構早かったですよ、認定取るの。
たまにリノベイもやってるんで。
今もですか。
そういう流れから、どっから今のYouTubeのスタイルが始まる?
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YouTube始めたのが2018年なんですよね。
19年が一番メインというか。
だから何年前だ?
5年前ぐらいですかね。
その前って多分普通にずっと建築やってこられてたので、別にやらんでも良かったはず。
そう思うじゃないですか。
これはたまにYouTubeで話してるんです。
2018年の12月に始めたんですが、その時に決算が上がったんですね。
初めて赤地を出して。
良い家を作ってるんですよ。
大新東京さんの構造計算をして、長期色住宅とって。
でもね、もうお客さん来なくなっちゃった。
なのでもういいやと。
来年あたりにさよならするからっていう話で、もう全部知ってることでぶちまけようと思ってYouTubeを始めた。
ほら、赤地をきっかけにもう会社ばらしたろかで、もう全部言ったろみたいな。
全部言っちゃおうと。
なんでこれ分かってくれないんだろうっていう。
中古住宅に。
最初の動画が中古住宅の価値ってっていう動画なんですよね。
中古住宅はどういうところに価値があるんですよっていうのを教える動画だったんですけど、
見られたのはたぶん3回ぐらいだった。最初の1週間ぐらい。
そのうち2回は私が見た。
誰かが1人見た。
でもYouTubeが始まるってそうなんですよね。
そっからなんですね。
ってことは、長期色住宅ってええのになんで分かれへんねっていう苛立ちも含めてそっからってことなんですね。
もっと言うと、もともとの原点は20年後に住宅の価値がゼロになっちゃう。今の世の中。
買えないと私も作りたくないよっていう原点から走ってる。
そこめちゃくちゃ共感すね。
古いのが好きなんで、普段は古着。バイクも車もビンテージ大好きみたいな。
ビンテージが好きなんで古着良きいいですよねっていうスタンスなんですけど、
日本の法律ルール上、20年ぐらいで価値がなくなってしまうって言ってもたぶん建築やってない人たちはみんなそう思ってるでしょうし。
スクラップ&ビルドで縦買いですよねみたいな話を改善していくためにYouTubeを始められた。
ディノベの時間とつながるところはあるんじゃないのかなと思うんですけど。
そうですよね。
24:01
で、やり出した。そこからどういう風になっていくんですか?YouTubeと会社は。それが興味あるんですね。
その次の19年にはチャンネル登録5万人超えてて。
やり出したのが18年。
18年で19年の6月だから6ヶ月後ぐらいまでは1000人超えてないんですよ。数百人。
でもちょっと増えたなと思ったらいきなりどんどん増えてくるんですよね。
それと同時に問い合わせがじゃんじゃん来るんですよ。
会社のホームページに普通に案件やってほしいみたいな。
ほんの1年ぐらいで劇的に変わったってことですか?
そうですね。変わりましたね。
きっかけはなんやったんですかね?
なんなんでしょう。それはね、わかんないんですよね。
ずっと動画は1週間に1回は確実に上げてたので、その蓄積期かなとは思ったんです。
コンセプトは20年後の価値なくなる家っていうのをなくしたいっていう思いがあったっていうのは存じ上げなかったんですけど。
建築知識をわりとずっと解説しているっていうなんとなく。
僕も知らん建築用語とかその辺も含めてそれで勉強させてもらって。
うちの自分の会社のYouTubeにそれを丸っぽトレースするっていうことがあって。
そんな感じやったんですね。分岐点はそこにあるんですね。
そうですね。一番の失敗は自宅なんですよ。
自宅が18年前ぐらいに作ったんですよね。事務所と一緒に作ったんですけど、店で。
いつも撮影してた?
とてつもなく寒いんですよ。その頃の私は断熱は入れない方がいいですよって言ってたんですよ。
YouTubeじゃなかった?お客さんには?
お客さんにはちゃんと入れてたんですよ。でも時程は断熱業界のこれは絶対闇だから断熱入れない方がいいんだよ。
それだけあって家族に反対されてちょっと入れたんですけど、それでもやっぱ寒いんですよね。
こんなに寒いんだよねって思ったのが、だから結構それはもう独立するより全然前ですよね。
勤めに出らっしゃるときに時程を作られた。
そこが大失敗した。
それがいつも撮影した春、あそこを。
なるほど。YouTubeは一応始まるところまでたどり着けて。
27:01
そうですね。2019年までは。
YouTubeやりだしたっていうのがそういうきっかけだったっていうのはあれですね。
そうですね。だから別にチャンネルの登録者数が伸びるとかそういうのも全然考えてなかったですね。
なんとなく来週、今のYouTubeとリノベーションとかその辺の話を引き続きお伺いできたらなというふうに思います。
番組へのリクエスト、質問・感想など皆様からのメールもお待ちしております。
メールアドレスはrenovationtime.jp、innovationtime.jpです。
またスマホアプリ、FMプラプラカーもメッセージが送れます。
リノベーションの時間、ツイッターからもお気軽に感想DMなどお待ちしております。
またアーカイブ、毎週月曜日6時にYouTubeとスタンドFMにて配信しております。
これまでのゲストの方々のアーカイブも残してますので、ぜひぜひご視聴ください。
これ裏リノベーションの方は楽寿のYouTubeの方で。
そうですね。動画でも出しますので。
裏の方が怖いですからね。
これでも見た後、裏か表かどっちが良いか分からなくなるんですよ。
向こうの方が本音かみたいな感じもあるんで、適切な感じで。
ちょっと壊れるとね。
危ないところはちゃんとカットします。
そんな感じで。引き続き来週もよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
28:37

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