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どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私ダイチとミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には厚く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回はですね、作品紹介のない番外編となっておりまして、ゲストをお呼びしております。今回はですね、新田享子さんという方に来ていただいております。新田さんよろしくお願いします。
どうもよろしくお願いします。
で、新田さんはですね、今回ちょっとツイッター経由で、あ、今Xか、X経由でちょっとご連絡いただきまして、ちょっとゲストに来ていただくことになりました。
元々は以前久保田優子さんをゲストにお招きして、いろいろお話ししましたが、久保田さんのご紹介という流れになっております。なので、新田さんは翻訳なんかをお仕事にされている方ですね。
じゃあまずちょっと今回ですね、どういう話をするかというと、新田さんがですね、翻訳者の方々、仲間とですね、翻訳について書いた本ではなくて書評についた本なんですけれども、翻訳者、豊崎由美さんと読んで書くというジンを作られておりまして、
このジンがめちゃくちゃ面白いので、このジンの話をまずはしたいなと思っております。
じゃあそんなわけで、新田さんまずちょっと簡単に自己紹介していただいてもよろしいでしょうか。
はい、えっと、新田恭子です。どうも初めまして。今日はお招きいただきましてありがとうございます。
カナダのトロントに住んでまして、その前はアメリカのカリフォルニア州、サンフランシスコ米エリアというところにずっと長いこと住んでいたので、日本にいる時間よりは北米に住んでいる時間の方が長いというノンフィクションの翻訳者です。
英語を日本語にしている翻訳者です。
で、翻訳をしている内容は国際政治とか国際経済とかすごく堅いものから、創作ツールの本でフィルムアート社から出ている類語辞典シリーズというのをずっとやっていて、私趣味が創作なので、趣味を生かして翻訳しているみたいな感じですね。
あとは18世紀のドレスメイキングとか、それも趣味なんですけど、すごく手芸が大好きなんで、そういう歴史衣装とか歴史メイクの本なんかも翻訳しています。
で、結構今聞くとですね、割と文芸から離れていらっしゃるんですけれども、でも今回ちょっとお話しさせていただく本はですね、書評で文学作品を書評されている。文学作品だけではないか、ちょっといわゆるミステリーとかもあったのかな。
でもいわゆる小説ですよね。小説と言われるジャンルを書評している。
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というようなところはあるんですが、そのあたりはちょっと後々いろいろ聞きたいんですけれども、今回ですね、このジン、翻訳者豊崎由美さんと読んで書くという本がですね、めちゃくちゃ面白くて、私と三重さん読んで、まず裏でいやこれ面白いよねっていう話を結構したんですけども。
どうもありがとうございました。
いやこれあのちょっと我々の紹介を、この文学ラジオの紹介の仕方ももしかしたらちょっと変わるかもしれないぐらいの学びがありまして、今日は本当にいろいろ話したいなと思っております。
じゃあまずちょっとこの本をどういう経緯で制作したのかというところをですね、簡単に教えてもらってもよろしいでしょうか。
はい、私が取りまとめ役となって、書評講座、翻訳者のための書評講座っていうのを年に2回ぐらいやっていて、それがちょっと5回目を終えたあたりから、形にしたい、何かを形にしたいよねっていう話が、歴代の受講者の中から話が湧き上がってきて、
いろんなアイディアが浮かんできたんですけど、その中の一つが結構毎回同じことを講師の豊崎さんに指摘されている。
で、毎回そうだった、そうだったって思ってるのに、全然毎回書評を書く本も違いますし、想定媒体をちゃんと考えてないとか、同じことを繰り返し指摘されるんで、自分たちの教科書的な参考書的なものを作ろうということになって、本当に自分たちのためだけに作って、
もしも書評に興味を持っている人たちが、もし他にもいたら、その人たちにも買ってもらえるよねっていう感じで、そういう形で作った陣です。
なるほど。自分たちのためだけに作ったっていう話だと思うんですけども、これがですね、めちゃめちゃ勉強になるんですよ。
だからそもそもですけど、その想定媒体が新聞とか雑誌とかっていうところに載せたいって思っている方々が受講されているっていうので、載ってる書評自体がそもそも面白いんですよね。
ありがとうございます。
受講生の書評がまず面白くて、そこに対して、これいいなって思ったら、その後豊崎さんからね、ちょっと手厳しい選票があって、そういう視点もあるんだっていう。
そうなんですよね。書評が載ってて、その後選票会みたいな文字起こしされてるんですけど、自分がこの書評めっちゃ面白いと思ったら、結構突っ込まれてて、ああそうなんだっていう。
なかなかすごい勉強になりました。
毎回ね、提出された書評を受講者が採点するから全員読むんですよ。
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その時に本当に高押しつけがたいぐらいにいい書評だなって思ったりしながら採点するんですけど、講座の当日に豊崎さんの好評と受講者からのいろんな意見を集める学評と両方やるんですよ。
その時に、なんかうまく書けてるけど一言言いたい、もう一つみたいなところから話し合いが起きるんですよ。議論みたいな感じですかね。
受講生がだいたい歴代みんな黙ってはいないので、こんなことを私はもっと深く知りたいんだっていうようなことをわーっと豊崎さんに質問するんですね。
それを受けて豊崎さんも、じゃあそんなこと言うなら説明するけどっていう感じで、結構講座の間すごい静かな時間がないぐらいにうるさいんです。
豊崎さんいろんな書評講座を持ってらっしゃるんですけど、私たちのこの翻訳者のための書評講座っていうのが一番うるさいって言われました。
じゃあちょっとここでですね、豊崎由美さんについてご紹介をいただきたいなと思います。
これめちゃめちゃ有名な方ではあるんですけれども、我々のリスナー結構いろんな層がいるので、豊崎由美さん知らないって方もいらっしゃると思うので、
豊崎由美さん知らない方に向けて可能であれば、豊崎由美さんのご紹介をお願いします。
そうですね、私がするのもなんか僭越な柄って感じなんですけれども、たぶんバブルのちょっと前とかそれぐらいの時にサブカルチャーのライターさんとして世に出てきた方で、
同時代にすごく活躍されたライターさんで言うとナンシー・セキさんとか、おなくなりになったんで、むしろナンシー・セキさんを知ってる人の方が少ないかもしれないんですけど、
ナンシー・セキさんと同時期に活躍されてて、そのまま諸評家としてずっと生き長く活躍されているライターさん、ライタープラス諸評家の方です。
そのサブカルチャーから出てきたっていう時代もあったと思うんですけれども、今となってはツイッターの独舌家みたいな感じで、昔から独舌な方ではいらっしゃったんですけど、
SNSで独舌を吐くと炎上するしがちになるので、そういう面では知っている人も多いと思うんですけども、基本は諸評を数々書いていらっしゃって、中でも開学文学をすごく愛していらっしゃるので、それをすごく推していらっしゃる。
一番有名な作品かどうかわからないんですけれども、日本の諸評という本を書かれていて、そこにそれを読めば豊崎さんの諸評に対する哲学みたいなものがわかるので、ここで私がそれを言う必要はないかと思うんですけれども、
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基本は諸評家というのは作品と書き手、書き手の方を押して、後ろから押して世に広めるみたいな、そういう考えを持っていらっしゃる。なので諸評講座の中では作品をうまく伝えるための、作品の素晴らしさを伝えるためのネタっていうのは何でも使えみたいな感じで教わっています。
なるほど。私のイメージだと豊崎さんは大森のぞみさんと、たまにまだやってると思うんですけど、文学賞めった切り、YouTubeチャンネルとかもあると思うので、その前は雑誌とかでやってらっしゃったと思ったんですけど、その印象が強いですね。
そうですよね。確か文学賞めった切りを終わるみたいなこと、違ったかな?
多分そうだと思います。芥川賞の先行委員から石原慎太郎が抜けたあたりからちょっと温度感が変わってきたような感じがしますが。
そうですね。大森のぞみさんと一緒にやってらっしゃった文学賞めった切りっていうので、よくご存知の方もいるかな。
僕もその印象をですね、ツイッターであったり動画の中で文学賞めった切りとかで見ている印象で。
ニットさん、ちょっと気になったのは豊崎ゆみさんに、ツイッターのDMで確か最初に、
そうなんです。
この書評講座脱信されたっていうのをジンで書かれているようなんですが、ちょっと勇気言いませんでしたか?
思ったりはしなかったですか?
なんかですね、私はそういうところに関してはちょっと心存に毛が生えているというか、好願無知と言いますか、平気でそういうことをしてしまうタイプの人間なんです。
それは相手が豊崎さんだからちょっとひるんだのではないかっていう、そういうご質問ですよね。
なんかね、ずっと豊崎さんの、当時はツイッターでしたけど、ツイッターをずっと追ってて、いろいろと共通点があるって勝手に私は思ってたんですよ。
性格的な部分とか、物事の見方とか、勝手に仲間意識みたいなのがすごい自分の中にはあったんですけど。
なるほど、はい。
それはありましたし、基本的に人脈を築いていくっていうか、そういう人脈を開発?掘り起こしていくみたいなのがそんなに苦にならない方なので、別にそんな失礼なメールを送りつけたわけではないんですけれども、脱信をしてみたら快楽していただいたっていう感じですね。
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もともとあれですね、豊崎さんのことよく追ってらっしゃって。
そうです、そうです。私は一方的にですけど。だから、私のこと全く知らない豊崎さんがいいよって言ってくれたことの方が驚きだと私は思うんですよ。
そこに確かにすごい。最後の寄稿でも豊崎さんに書かれてますけど、これをやることによってこういうことが起きるんじゃないかみたいなこともちょっと考えながら豊崎さんやられたっぽいので、それはすごくいい相乗効果を生んだんじゃないかなと。
相乗効果って言うとまた相乗効果ってなんだっていう話をしなきゃいけないと突っ込まれそうですが。
じゃあちょっと豊崎美美さん、知らない方もいらっしゃったかと思うんですけども、日本の書評家という中では結構有名な方だなっていう認識で今回の話聞いていただけたらなと思います。
そうです。ちなみに最近も本出されてますもんね。
そうですね。
今年の年末に地表書評という孫択なしのブックガイドという本で、2020年以降に書かれている。
結構書評なんですけど、時事と関連づけて書いていて、すごく文学作品と今の世の中とのつながりが見えるような書評で。
面白いのは、カズオイシグロのクララと、ヤンマキュアンの恋するアダムという、どっちもAI小説なんですけど、その2つを並べて論じていたりとか。
ラジオでも取り上げているような海外文学が結構出てきて、これ本当に面白く読みましたね。
私も買っていくつかしか読んでないですけど、目次2番目に読んだ書評がそれですね。面白かった、あれ。
なんかやっぱり、ああいう字表と絡めてっていうところが、相当経験のある書評家の方でないとできないから、豊崎さんレベルの方ならではの技ですよね。
あとやっぱり、書かれたときは少し時間が経ってしまっているので、その時事ネタが少し時間が置いてしまっているところはあるんですけども、読まなきゃなって思わせられますね。
やっぱりすごく大きな時事ネタで、ちょっと時間を置いて振り返ってみても、ちょっと違った視点というか、一旦落ち着いてからの振り返りができる時事ネタを扱っているので、
そうすると、それに関連している作品に対しての読みたいとか、もう一回再読したいとか、そういう気持ちにさせられますよね。
書評の力っていうのはすごいなって、ちょっと改めて思ったところですね。
で、なんか偶然に豊崎さんの出された辞書書評と、私たちの出した辞が黄色だったっていう。
確かに、調子の色が。
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確かに。
これ偶然なんですけど。
でも完全にシリーズじゃないですけど、なんか意味がありそうな。
これちょっと話が逸れてしまうかもしれませんけど。
全然全然。
なんか表紙デザインを半顔の刺繍で回復する人間でしたっけ。
夕方に。
そっか、夕方に月を。
引き出しに夕方を、引き出しに夕方をしまって。
そうだそうだ。その表紙、ブックデザインをされた方に、これを、私たちの陣もブックデザインしていただいたんですよ。
お名前を松岡さとみさんという方なんですけど。
すごくデザイン案をいくつも出してくださって、その中でこの蛍光色シリーズみたいなのがあったんですけど。
黄色とかオレンジとかピンクとか、ブルー系の蛍光色。
いろいろある中で、私たちの中で投票したら黄色が1位だったんで、黄色にしたんです。
なるほど、めちゃめちゃいいっすね。
この表紙が私もすごく気に入ってて、本に万年筆がグザって突き刺さるような、それが扇形みたいになってるし。
あと、表紙をめぐった後に、あそびの半透明の紙が入ってるんですけど、それも黄色なんですよ。
本当だ、これ薄い黄色なんだ。
うん、黄色。
こういうのもできるんです。
だから、自分たちでやらなくて、プロの方にお願いしてすごい良かったなと思って。
こんな細かいことはできなかった。
確かに。
これ作ってみて、私たちは書くことしか知らなかったので、一つの本を作る。
これ人なので作りは簡略化されてますけれども、ブックデザインであるとか組版であるとか、
もう様々なところに本当にいろんな人の努力が詰まってる一冊なんです。
デザインのことなんか全く知らなかったんですけど、それを教えていただいたり、
そのデザイナーの方のすごさっていうのを改めて実感して、本を見る目が変わった一冊でした。
なるほど。
よくね、電子書籍か紙の書籍かっていうことをおっしゃる人いますけど、
どうしても紙にこだわりたい方の気持ちが、私すっごくよくわかりました。
我々も字に作っていろいろ勉強になったんですけど、
確かに自分で作ってみると全く知らなかったことが見えてきますよね。
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そんな感じでこの作られた黄色い表紙の翻訳者、豊作由美さんと読んで書くなんですけども、
これからちょっとこの本の話に入っていきたいと思います。
まずちょっと私と美江さんの感想をお伝えしたいかなと思ってまして、
じゃあちょっと私大地の方から感想をお伝えしたいと思います。
これ読んでですね、書評っていうのが文字数制限とかがあるっていうことに、
これ普通に考えれば、警察やる媒体とか紙ですね、新聞だとか雑誌とかによって、
ページ数とか文字数っていうのが決められてるっていうのは冷静に考えればわかるんですけど、
あんまりそういうことって自分意識したことなくて、
我々のこの文学ラジオ、私が何かの本を紹介するとなると、
もうこの文学ラジオかSNSの投稿でしかないんですけども、
特にこの文学ラジオなんていうのはもう喋り言葉で、
つどつど編集で尺なんか全く違う状態でアップロードしてるので、
こういう話せる内容に制限があるっていう状態っていうのが、
実はあんまり経験したことがなくて、
これ読んでると、あ、そうかこの制限の中で何を伝えるかっていうのをちゃんと整理して、
こう伝えていくことが書評なんだなって思うと、めちゃくちゃ勉強になりました。
というのはやっぱり自分たちがこの文学ラジオも構成を書くんですけど、
とにかく書いちゃうんですよ。
で、もちろん全部言わないんですけど、
でも結構削るっていう作業はそんなにしなくて、
結構削るって作業超重要だなって思いました。
で、やっぱり我々の紹介ちょっとダラッとしてしまうとこもあるし、
やっぱりエッジを立たせるには紹介するべき場所っていうのを、
こう選定していくっていうのはすごく重要なんだなと思いました。
で、それに関して結構ですね、この本は書評があって、
その後、豊久崎さんはじめ参加されてる方々とですね、議論があって、
その中でこう、あ、そうかこのポイントが重要なんだなみたいなのが見えてくる本だったので、
個人的にはめちゃくちゃ勉強になったので、
これから自分の本の紹介にめちゃくちゃ活かしたいなと思ったところですね。
もうもっといろいろあるんですけど、
一旦ちょっとこの程度にして三枝さんにちょっと渡したいと思います。
僕もそうですね、本当に習うところがすごいいっぱいありまして、
例えばあの短編小説の書評は難しいということを述べられていて、
で、やっぱりあの短編小説は何を紹介するかとかっていうのもありますし、
かといってじゃあ全部紹介するのは一見無理かもしれないけども、
でもこの読んでる人からすると、その書評を読んだ人からすると、
もう何がフックになるかわかんないから、やっぱりそのタイトルだけでもとかですね、
もう簡単にでもできるだけその掲載されている短編は紹介した方がいいっていうですね、
そういうことを書かれていて、で、このラジオやっていてもやっぱり
短編集についてしゃべるときは2つ3つ取り上げることが多いんですけども、
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なかなかそれ以外の短編はちょっと触れるのが難しくて、
ちょっと時間的にカットしていたりしていたんですけども、
でも確かにその聞いてくれている人にとって何がフックになるかわかんないから、
もう簡潔にでも、いやその兄さんの短編以外にもこういう短編もあったとかですね、
やっぱりそういうのは紹介した方がいいんだなってちょっと思ったりしてですね、
というのもありましたし、とかあと僕が結構自分で文章を書くときにカッコを使いがちなんですよね、
そう、なんとかなんとかでした、後ろにカッコをして、いやでも実はこうだったんですみたいなんですね、
で、そういうカッコを使うのはもう甘えだという、楽をしてはいけない、
なんか補足説明の楽をしちゃっているから、なんかね、そういうのはしない方がいいとかですね、
具体的なピンポイントアドバイスがいろんなところにあって、確かに読むとなるほどってね、
自分でもそうしてしまっているなって思うところがあったりして、すごい勉強になるところがいっぱいありましたね、
で、この本自体もやっぱり面白くて、僕が海外文学好きっていうのもあるのと、
書評集でその書評されている本が結構このラジオでも今まで紹介してきているような、
ルシアベルリンのソウジフの旅の手引き書とかですね、
ハンガンの引き出しに夕方をしまっておいた詩集ですね、
他にもあれですよね、このベルン・ハルトシュリンクの朗読者とかですね、
マギー・オファレルのハムネットとか、海外文学好きな人はなんか好きな作品が紹介されているんで、
読み物としても単純に面白かったっていうのがありましたし、
それプラスちょっと最初のほうでも言ってましたけど、すごく読みごたえのある書評をその後、
豊崎さんが選評して改善箇所の指摘とかを結構されているんですけども、
この書評集の中でもいくつか紹介されている、最後に書評王という講座の中でチャンピオンに輝いた書評が紹介されているんですけども、
僕がすごいなと思ったのは、書評王のインベンション・オブ・サウンドというですね、
チェック・パラニュークの小説の書評で、チャンピオンに輝いた書評なんですけども、
ここはもっとよくできるっていう、ブラッシュアップできるということで、豊崎さんが指摘していたところとかですね、
例えば本当にもうちょっとした文章ですね、
この作品は叫び声を題材とした作品でありながら、
登場人物の叫び声が聞こえないのが何より恐ろしいと感じますという、
まあ書評で書かれているんですが、いや、そこ登場人物の叫び声でいいのだろうかと、
それは主人公2人の叫び声が聞こえないのが何より恐ろしいという、
その主人公2人じゃないのかとかですね。
で、これはもう僕読んでると面白そうだなと思って、ただ読んでただけなんですけども、
さて、豊崎さんがでもそういうふうに指摘するとですね、
逆にこの、よりその作品についてちょっと気になってくるっていうですね、
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そういうのがあって、この書評の書き方というか見方というかですね、
そこの勉強にもなりますし、
豊崎さんの選票も含めてその作品へのちょっと興味がすごく湧いてくるような、
そんな紹介になっているなって感じてですね、
これは本当になんかそういう書評勉強したい人もそうですし、
なんか面白いものを読みたいっていう、
そのブックガイドとしてその面白い小説を知りたいっていうような、
他にとってもすごく面白く読めるんじゃないかなと思いましたね。
ありがとうございます。嬉しいです。
なんかね、講座の中で話してる時に、
なんか書評講座みたい、書評講座って歌ってるんですけど、
なんかものすごく深く読む読書会みたいな感じになるんですよ。
その読書会のリーダーが豊崎さんで、
受講者が豊崎さんのガイドに従って、
自分の読みをもう一回疑うというか、
あの読みでよかったのか、読みができていても、
それを書き表しているかどうかっていうもう一つの難関があって、
読みができているのに、ちゃんとその読みをかけてないとか、
あと、その自分のすごい鋭い読みがあるのに、
著者の紹介とか、背景情報にばっかりに字数を使ってしまって、
本当にその評者が感じた、
一番面白い読みどころだと思ったところに字数が避けていないとか、
そういうのがあって、
すごく面白い講座なんですよ。
この本を読んでいただいた方に感じてもらえたと思うんですけど、
書評って文章が上手な人だったら、
誰にでも書けそうなイメージがありますよね。
確かに。
読書家は感想文が上手に書ける人なので、
誰にでも書けるんじゃないかって思ったりすると思うんですけど、
結局はその人の読解力っていうのがすごく重要になってきていて、
その人の読解力っていうのは、
唯一無二で誰のものでもない。
それを受講されてくる方、
受講者の方には原石のような形で、
その人なりの読解力っていうのがあるんですけど、
それを豊崎さん中心になって磨いてくれるっていう感じなんですよ。
なるほど。
なので、一般的にこういう書き方がいいよねっていう教え方もされるんですけれども、
このあなたの読みは素晴らしいっていう、
キラーセリフ、
殺し文句みたいなのが。
キラーフレーズみたいな。
その殺し文句みたいなことを豊崎さんに言われると、
私ってそんなになんか好き。
もしひょっとしたら輝けるものを持ってるのかしら?みたいな、
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勇気の枠、言葉もかけてもらえるんですよ。
私は実際そうだったんですけど、
自分がちょっと変わってるっていう、
自負って言ったら変ですけど、
私は自分がどこかちょっと変わったことが、
変わっているところがあるって思ってるんですね。
だから豊崎さんに講座を開いてくださいとか、
平気で声をかけたりとかするんですけど、
でも世間一般では、なんてズルズルしい人なんだとか、
なんて世間知らずで、
そんな有名な人の時間を無駄にするようなことをするんだって、
思われがちなんですけれども、
でもこの講座に来て、
ちょっと私のおかしなところ、
他の人と違う部分は、
磨いてもらえるんですよ。
この人はこういう読みをする。
その読みは、ひょっとしたら世の中の誰かに、
こんな読みができるんだったら、
私もこの本読んでみたいなって、
思ってくれる人が多分いるんですよ、世の中に。
そういう意味では、
こんな言葉を言うと安っぽく聞こえるかもしれないんですけど、
とってもエンパワーリングな講座です。
なるほど。
本で豊崎さんが、みんなに好かれる書評はない。
やっぱり好き嫌い分かれるのが、
それはもう仕方ないんじゃないかっていうのが書かれていて、
結構でも読んでると、
やっぱり書き手のその人の思いというか、
そういうのはすごく肯定されている講座だなってすごく感じましたね。
なんか、講座の半分ぐらいの人はリピーターさんなんですけど、
そうすると互いに文体というか、
物事の見方っていうのがなんとなく分かってくるんで、
この書評はあの人がきっと書いたんだろうなっていうのが、
分かってくるぐらいですね。
それぐらいにやっぱり文章力と読解力というのは、
その人の人間性というのがものすごく出てくるし、
そのあらすじを書いたりするときに、
何百ページもある小説を800字の書評にまとめるときに、
ものすごく主作選択があるんですけれども、
その主作選択をしている人間の、
主作選択の基準というのがやっぱりその人の性格であったり、
そのときの気持ちとか興味を赴くところであったりするので、
すごく書評うまくなりたいと思って始めた講座なんですけど、
人の作品を読むことに対してものすごく真摯になりますし、
それを読んで感じたことを書くことに対しても、
30:02
きちんとその作品の良さを伝えようっていう気持ちにすごくなりますし、
さっき私が自己紹介したときに、
ノンフィクションの翻訳をしているので、
全然畑違いな分野で講座を開いているように見えるんですけれども、
その面に関して言うと、
そんなにノンフィクションの翻訳をしていても、
その作品に対するリスペクトであるとか読解っていうのはものすごく大切なんで、
そんなに私の中では、
きっぱりと二つに分かれた領域という感じがしないですよね。
なるほど。
面白いですね。
今ちょっとお話聞いて感じたのは、
今回の書評講座っていうのが、
深い読書界、結構最初の方でできたと思うんですけど、
読書界であって、
おそらくこういうことを思ったけれども、
言語化がまだ追いついてないとかっていう人たちもいたりして、
言語化できてることもあってみたいな。
その中でアウトプットされたものからまたさらに言語化が進むみたいな、
すごくいいスパイラルというか、
連鎖が起きてるんだろうなってちょっとお話聞いて思ったところです。
それで出てきた、今回ジンという形に落とし込まれてますけれども、
だからこそこんなに面白いものができたんだろうなって、
今お話を聞いて思いました。
ここから我々の紹介の違いについて話していきたいと思うんで、
じゃあちょっとこの本、本役者豊崎由美さんと読んで書くを読ませていただいて、
我々が普段文学ラジオ空飛猫たちというポッドキャストで本の紹介させていただいてるんですけども、
なかなかこの学びになった部分っていうのが結構あって、
その部分を中心にちょっと本の紹介という形と書評、
あとこの本を読んでちょっとそういえばってところだったんですけど、
書評と批評も違うんだなってところをちょっと感じたので、
そのあたりのことをちょっとお話できたらなと思っております。
あのちょっと感想の中でもちょっとお伝えさせてもらったんですけど、
やっぱりですねちょっと私が一番感じたのは、
制限をどう設けてるかってところかなと思ってまして、
私と三枝さんがやってるこの文学ラジオ空飛猫たちは、
本当感想ベースの本の紹介をテーマにしているんですけど、
なんとなく収録時間を短くしたいよねみたいな意識はあるんですけれども、
結構ですね毎回長くなっちゃうんですよ。
で、その中で私が最終的に編集をする時に、
どこを切ろうかとかはあるんですけど、
そこまで切らずに出しているかなって今思ってます。
やっぱここが一番今回ちょっと配読させてもらった書評とですね、
この文字数制限が厳しい中で、
どういう情報を取捨選択するかっていうところと結構違うなと思ってまして、
逆に言うと私が思っているのは、
我々がやっている文学ラジオ空飛猫たちを逆にテキスト提供したら、
全然読んでもらえないだろうなと思ってます。
33:01
っていうのは情報量の多さとかもありますし、
やっぱりこれはもうポッドキャストに載せるしかないような情報の使い方だなと思ってまして、
多分動画でもダメですね。
YouTubeでもっとコンパクトにしないと多分ダメだと思うので、
ポッドキャストっていう媒体にあったというか、
我々があっていたのか、我々が合わせたのか、
その辺はよくわからないんですけど、
情報の出し方をしてるなとちょっと思っていて、
この書評とは全く違うなと思いました。
書評のこの制限っていうのは個人的には、
ちょっとやっぱり我々のこの本紹介にも取り入れるべきポイントかなって、
ちょっとこれを読んで正直思ったところです。
なんか聞いててすごく勉強になりました逆に。
でもすごくポッドキャストっていう媒体が流れ作業をしながら聞いたりとか、
割と脈絡のない話をしているかのように見えて、
所々あらって気になるキーワードが聞こえてくると、
真剣に聞き始めるみたいな媒体なので、
なんかこの長くなるっていうことには意味があるのかなって思いましたね。
そうですね。
意図して間を作ったりとか、
それこそよく思うけど、
YouTubeの動画って短いんですけどめちゃめちゃ情報量濃いんですよ。
で、あれってなんでああいうことができるかっていうと、
テロップとかにめちゃめちゃ頼ってるんですね。
テキストでも出てくるから、
情報量をグッとその尺あたりの情報量を詰めても、
聞いてるだけはあれだったんですけど、
動画として見てる人はテロップもあるから、
結構詰め詰めでも理解してもらえるんですね。
でもポッドキャストでそれ、
ポッドキャストで詰め方やっちゃうと、
YouTubeってジャンプカットっていう、
パンパンパンパンってこの尺を詰めていくことがあるということを言うんですけど、
あれをポッドキャストでやっちゃうと、
多分パンクするんですよ。
その辺はちょっと気をつけなきゃいけない、
編集するときのことなんですけど、
気をつけなきゃいけないなっていうのはあるんですけど、
多少ちょっと自分は、
長くなってしまっても構わないと思って、
編集はしてて、
ただ長すぎるのはちょっとあれなんで、
とか思いながらやってるのはいるんですけど、
そこはいろいろちょっと気をつけながら、
やってるところでもあるんですけど、
テキスト、動画、ポッドキャスト、音声か、
の情報量の出し方、
密度の作り方みたいのはやっぱり違うなって今回改めて思いましたね。
ポッドキャストはただ喋るだけっていうのもあって、
そんなに短い時間で制限も設けていないので、
初めてのアウトプットをここでしているっていうのもあって、
それも長くなっている要因かなと思いますね。
事前に読んだ後、感想を書いたりはするんですけども、
ただやっぱり考えながら喋ったりしていて、
そこで初めて気づくこととかですね、
自分の中で腑に落ちることとかっていうのがあって、
というような話をしているとやっぱり、
このポッドキャストの感想ベースの本紹介が、
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なかなかもう端的に言うのはちょっと難しくて、
ちょっとだらっとした話になるんですけども、
逆に言うとライブ感があるのかもしれないっていうですね。
実はこの本にはこんな良さもあったんだっていう。
そこで気づけるっていう、
そういう初めてのアウトプットの場にもなっているっていう。
そうですね。言語化する過程を見せることができるっていう。
あと話しているうちに、
我々側の感想が醸成されてくさまを伝えることができるので、
ポッドキャストって、ちょっとポッドキャストやっている友人が言ったんですけど、
時間芸術だって言ってて、
ああ、なるほどなと思った。
30点ぐらいからスタートしていって、
70点ぐらいになっていくみたいな。
確かに。深まっていく感じですよね。
書評はいきなり100点からスタートしないといけないっていう。
なんか、やっぱり音声のせいなのか、
ちょっとその辺が私にはわからないんですけど、
ラジオとかポッドキャストって、
共感を、共感どころを探るっていうか、
喧嘩しに行く感じではないじゃないですか、媒体的に。
そうですね。
でも、多分書評って共感しなくてもいいっていう、
ちょっと冷たく突き放したようなところがあって、
そこが暫定的であったり、
そこが書評の短さとして現れてたりとかすると思うんですけど、
なんかその共感を別に求めてません、みたいな。
なんていうのかな、それが多分冷たく聞こえるかもしれないんですけど、
書いてる人の、ある意味、主観が凝縮されて出るので、
同じ情報量を救うにしても、
割と短い時間でパッと書評で救えるという。
でも、何も後に残らないかもしれないですけど、
ポッドキャストでずっと聞いてると、
そんなに最初は面白いと思えなかった話、小説なのに、
みえさんとだいじさんがすごい楽しそうに話しているのを聞いて、
その作品自体が面白いのではないかっていう。
ありがたいですね。
そういうのはよくありますね。
聞いてた、このポッドキャスト聞いてた。
ありがとうございます。
ありがたいですね。
そうですね、多分音声で言うと、
多分3つぐらいの視点があって、
これはもしかしたらコンテンツ全てなのかもしれないですけど、
共感と理解と発見っていうのがあるコンテンツであれば、
多分聞き続けてくれるっていう話を聞いたことがあって、
ポッドキャストにおいてやっぱり、
共感も大事なんですけど、やっぱり理解と発見も結構重要で、
新しい知識が入ってくるっていう発見と、
それに対して分かるように情報が出されてくる理解っていうところが
すごく重要だっていう話があって、
39:00
そこはちょっとなるべく意識はしてはいるんですけど、
多分書評は発見が強いんじゃないかなって話を聞きながらちょっと思いました。
読んだ人の発見。
読んでる側の発見、読んでる時の。
で、私やっぱり今回書評王に輝いていた、
引き出しに夕方をしまっておいた、
ハンガンさんの本はめちゃめちゃ好きなので読んでますけど、
このラジオでも紹介してますけれども、
読んだ時に、あ、そっか、この具体的に言っちゃうと、
この言葉を発する器官である唇下、物事を見極める目、
生きるための血っていうですね、
この身体のところに対して言及されてる部分があって、
この書評を書かれてる方の。
で、あ、このハンガンさんにすごく共通するテーマだって思って、
で、自分はそれをハンガンさんの作品めちゃめちゃ好きで、
ほぼ全部読んでるのに言語化することができなかったと思って、
ここにすごい発見が私はあったんですね。
だから、やっぱり書評っていうのはもしかして、
発見が強いコンテンツなのかなってちょっと思ったなっていうところがあります。
発見させることによって読ませることに導いていくっていう。
その本を読ませることに導いていくものなのかなってちょっと思いました。
そうですね。
なんかその面白いと思わせる、
こういう、この本はこういう本ですよって伝えるための材料っていうのは色々あって、
それが著者の略歴であったり、様々な受集歴であったり、
映画家であったり、ドラマ家であったりっていう色んなものがあるんですけど、
それを全部使えっていう風に、この書評講座では教わるんですよ。
それを全部使えていても、全部使い切るわけにはいかないとは思うんですけど、
そうやって色んな情報を探してきて書いてるうちに、
何でしょうね、表者である、書評を書いている私が書評を書いている段になって、
新たにその作品に対して発見するっていうのもありますね。
あれって多分こういうことかもねっていう。
読んでる時にはちょっと気づかないんですよ。
やっぱり作品読んでる時はその作品の中に没入しちゃってる時もあるし、
やっぱりさっき大地さんがおっしゃったみたいに、すぐに言語化できるわけでもないし、
でもその周辺情報を集めてきてる時に、あーって思ったりとかしますね。
あってね、講座の中で課題書をいつも1,2冊選んでもらって、
それを受講生が書評を書くので、
同じ作品の書評を立て続けに5作品ぐらい書評を呼ぶんですよ。
その時に似た漢字のものももちろんあるんですけど、
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この作品をそう読んだっていうような書き方をするものとか、
あと書評に似たいとありますけど、すごく客観性を重視して、
なんか表者の感情なんかはすごく最低限に抑えて書いてあるものと、
表者の感情がほとばせるように出てくる書評と似たいとあるんですけど、
一度何かの作品でその表者の感情がほとばせる、
あらすじはその書評を読んでも全くわかんないんですよ。
なんとなくこうかなっていう想像ができるんですけど、
そのほとばせる感情が何でしょう、
読書漢字のレベルより100倍ぐらい宣伝された漢字の書き方なんですけど、
その表者の感情にすごく私は揺さぶられて、
なんかわからないけど私もその気持ちになりたいと思って、
揺さぶられたことは何度もあります。
なるほど。
そうですよね。
なんか不思議ですね。
私は揺さぶられる方なんですけど、
そんな風に書評で揺さぶられたくないっていう人ももちろんいるんですよ。
そうなんですね。
僕がちょっと思い出したのが昔の話なんですけど、
池沢夏樹さんの新聞の書評で、
ロレンス・ダレルのアレクサンドリア・シジュースを大学生の時読んでですね、
そこで池沢夏樹さんがその本を読んで、
実際自分はアレクサンドリアに行って住んでしまったっていうですね、
そこまでの行動を起こしてしまったっていうことが書かれていてですね、
その前後のいろんな、池沢夏樹さんなんてすごい良い文章書かれていたはずなんですけど、
自分の中でやっぱり残ったのはそこの、
実際池沢夏樹さんがそこの町に行ってしまったっていうですね、
それくらいの何か引きつけるものがある小説なんだっていうので、
読むきっかけになったんですね。
すごい。
ちなみに今回書評、毎回参加されてた、
日田さん毎回参加されてたんですよね?
はい。
この回を重ねるごとにどうですか?自分の書評の腕が上がっていったなとか。
腕が上がるというよりは、挑戦をするようになりました。
あ、挑戦。
例えば、文章を書くにしても、
である調で書くのか、デスマス調で書くのか、
一番最初の頃に豊崎さんがおっしゃってたんですけど、
である調だと結構立派な書評が書けるのに、
デスマス調で書けって言われると、
なんか妙に子供じみたことを書いてしまう人がいるっていう。
だからその指定は、
相手、媒体によってその文体は指定されるんですけれども、
やっぱりデスマス調で書いてくれって言われることもあるので、
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デスマス調で書いてみたらどうかっていうことを言われて、
そういう挑戦をしたこともありますし、
あとちょっと遊びなんですけど、
なりきり書評っていうのがあって、
自分が新幹線になった気持ちで書評を書くみたいな。
新幹線ですか。
全てはスピードだみたいな感じで。
この小説にはスピードが足りないとか、
そういうなりきり書評をしてみたりとか、
あとこの間私は3作、
同じテーマで3作、3冊紹介するっていう書評に挑戦したりしましたね。
やっぱりちょっとDJになった気持ちで、
3冊をうまいことつないでいくんですよ。
あんまりにもその3冊ってベタな組み合わせだよねっていうよりは、
ちょっと意外なものを3つ組み合わせたりとか、
そこに共通の意図があるんですよみたいな、
そういう挑戦の仕方を今まで5回、今度6回目やりますけど、
各受講者の人がしてると思います。
リピーターの方は。
あと何でしょうね、作品が毎回違うので、
自分の書評を書く能力が上がってるかどうかは本当分からないんですよ。
その作品が全然違うからですけど、
あと何でしょうね、どうしても書評っていう形にこだわってしまって、
書評という形式上、発表する媒体を意識してしまい、
書くに欠けないことっていうのがどうしても出てくるんですよ。
何回目の時だったか、インベンション・ウォーズ・サウンドでしたっけ?
パラニュークの作品。
インベンション・ウォーズ・サウンド。
あれを課題書でやった時に、みんなすごく消化不良だったんですよ、話の展開に。
もちろんパラニュークの作品なので、
そんなにハッと踏み落ちるところがあるわけではないんですけど、
なんだこりゃーみたいな感じで、
読んだ人が全員いろんなところでなんだこりゃーって思って、
書評講座が終わった後にみんなで座談会しようって言って、
書評には書けなかったけど、そこの座談会ではうわーっと本音が、
本音というか中途半端にしか言語化できていないことでも、
なんでもうわーって話し合って、
なんだあの作品は、でもなんかすごかったよねっていう、
そういう番外編の喜びもありますね。
みんながちゃんと100%理解して書いてるわけじゃなくて、
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なんかわからないところを抱えたまま書いているっていうね。
なんかそうですよね、すごくわかるところで、
私も結構このもやってしまった作品をどう紹介しようかみたいな、
この文学ラジオとかで思って収録望むときに、
ちょっとずつ話しながら見えてくるとこあるんですけど、
どう話そうみたいな悩むときは、
ストレートにそれはもう三枝さんにこれどう話そうかっていうのは相談するんですけど、
でもありますね。
全部がわかっている体で書きがちじゃないですか、書評って。
でも本当はそうじゃないっていうところを、
講座の中で、講座の中というか講座のメンバーと話し合ったりするのもすごい楽しいですね。
いいですね。
でも多分小説の面白さってそういうところですよね。
わかんないところが読んでもわからないみたいな。
答えがないってところが本当に文学作品の面白いとこですよね。
ちょっといい時間になってきたんで結構いろんな話もさせてもらいましたが、
ちょっとまとめに入っていくと、やっぱり今回お話しさせてもらって、
やっぱり書評ってめっちゃ面白いなと思ったので、
今まで自分もそのウェブ記事とかで本紹介されているものとか読んだりはしてたんですけど、
ある程度制限があるものっていうのはちょっと読んでみたいなと思ったので、
これがやっぱちょっと新聞とか雑誌に載っているものとか、
身近なところで言うと多分本の雑誌とかに結構載っているので、
そういうのちょっと読んでみたいなと思っております。
ぜひですね、ちょっとこの書評講座の宣伝も含めて、
最後ですね、今日田さんが参加されている書評講座の、
今回の陣の元になった講座ですけれども、
どんな講座なのかとか、どんな人が参加しているのかとか、
ちょっと改めて最後、参加条件みたいなものがあればですね、
ちょっとお聞かせいただけたらなと思います。
はい。今回また3月の30日にですね、第6回目が開催されます。
その時に書評講座の課題書が1冊あって、
それはハリケーンの季節なんですけれども、
大体課題書が1、2冊あって、自由選書っていうか、
自分で好きな作品を選んで書評を書くっていう参加方法もあるんですよ。
参加の仕方としては、書評を書くところからフル参加するっていうやり方と、
大体10作品ぐらい、10作品前後を集めて、
それを採点するところから始める参加方法と2つあるんですね。
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書評を書かない代わりに、課題書は読んでほしいですけど、
皆さんの書評を採点、採点方法も決まってるんで、
それに基づいて採点するんですけど、
参加資格っていうのは別になくって、翻訳者のための書評講座って言ってるので、
何らかの形で翻訳をしている人、
2足のわらじを履いてらっしゃる方がほとんどなので、
別に片手間でしかやってませんとか、
3行翻訳しかやってませんとか、
そういう方でも全然構わないんです。
私自身もノンフィクションの翻訳者ですし、
3行なんかは半導体の翻訳をしてるので、
全く文芸の翻訳をしてなくても参加できる。
で、大体講座は2時間ぐらいを目安にしてるんですけど、
最初に申し上げたように、すっごく発言が活発なんですよ。
どうしても長くなっちゃって、3時間ぐらいになってしまうこともある。
で、ちょっと反省も込めて書評の数をちょっと減らして、
2時間でコンパクトにまとめようかなとは思っていますけれども、
もし参加したいなっていう方がいらっしゃったら、
すぐ後に何かの用事を入れるとかはなるべくしないほうがいいかもしれません。
でも、もし途中で抜けるようなことがあったとしても、
一応録音してるので、その録音を後で見てもらうこともできます。
オンライン開催になるんですね。
そうです。Zoomでやってます。
なので、どこの国にお住まいでも全然関係ないですし、
自由に時差さえ気にしなければ。
日本時間のね、大体午後1時からやってるので、
そこから2、3時間見ていただければいいと思います。
そのね、肝になるのが、たとえ採点から参加しても、
その参加の評価軸っていう、採点方法っていうのは決まってるんですよ。
自分の持ち点が何点ありますよとかっていうのは決まってるんですけど、
評価軸は自分で決めるんですよ。
なるほど。
それが難しい。
難しいですよね。
面白いか面白くないかっていうのじゃなくて、
その本を読みたくなったか読みたくなったかっていうのもありますし、
読んだことのある作品だったらもっと深い採点もできますし、
その採点の点数の配分に基づいて学評が進められるので、
ものすごくアンバランスな、誰かにすごい高得点をあげて、
他の人は全部0点みたいな極端なことを言うと、
そういう採点方法もありなんですよ。
この人が突出していいから、他の人にはもう悪いけど点は上げませんみたいな。
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そういう点数の付け方をすると、
豊崎さんになぜその作品がそんなに良かったんですかって言われるんで、
発言の機会が与えられるんですね、自分に。
もちろん喋りたくなったら挙手をしていただいて、話したいだけ話せるんですけど、
採点の仕方によってそういうアンバランスな点の付け方をすると、
必ず豊崎さんに当ててもらえるんで、発言の機会がある。
そういう楽しい講座です。
一応書評講座って歌ってるんですけれども、
役者あと書きっていうのも書けるんですよ。
自分が役者になったつもりで。
なるほど。
今までに多分1人か2人しかやったことないんです。
挑戦した方ないんですけど、そういうのもOKです。
じゃあもう、いわゆる役者と書きっていうのも、
作者の経歴とか、この作品が生まれた背景とかってことは結構調べなきゃいけないわけですね。
そうですね。
自分の役所で1回世に出てるけど、また再挑戦みたいなのもいいかもしれないですね。
なるほど。
豊崎さんも言われてますけど、翻訳家こそ最上の書評家になり得るっていうので、
やっぱり役者あと書きがすごい書評になっていたら、書評家はもう書けることがないっていう。
それをみんなになってほしいっていう。
この書評講座がニュースレターを発行してるので、
そのニュースレターを無料公読できるので、
公読していただけると書評講座の情報とかも前もってお届けすることできますし、
あとXのアカウントもあるので、XのアカウントだとBookbot編集部っていうので検索してもらえると、
そこでも情報とか、今回初めてジーンを作りましたけど、これからも作っていくつもりなので、
それの情報もそこから得られると思います。
本当に次回作を期待しております。
そうですよね、第2巻。
このアカウントとニュースレターのURLは、今回の番組概要欄にも掲載させていただきます。
ありがとうございます。
それともう一つ、これだけお二人、三重さんと大輔さんから、
このジーンについてすごいお褒めいただいて恐縮なんですけれども、
このジーンとっても売れまして、
今在庫禁商になってまして、ネットでも少し売ってたんですけれども、
57:00
そちらは今停止中で、まだ少しは残ってるかもしれないんですけれども、
もしどうしても欲しいという方がいらっしゃったら、私のところまでご連絡ください。
在庫を確認します。
もしも身近にこの本を持っていらっしゃる方がいたら、
その方たちから借りて読んでいただくっていうのでもいいと思います。
私と三重さん一冊持ってるんで、近しい方は是非見寄せてご連絡いただければお貸しします。
ページ数ですね、実はこれ内容の濃さの割にはちょうど100ページないぐらいですよね。
97で割ってるのか、97ページぐらいの本で、
多分2時間ぐらいあれば読めるかなと思うので、
あと気になった書評だけ読んでみるとかもいいと思いますし、
すごくいろんな発見に富んだ本ではあるんですが、
たぶんつまみ食いもできる本ではあるかなと思うので、
是非ちょっと近くに持ってる方いるなと思ったら探してみてください。
私と三重さんに関しては、ちょっと連絡いただけたら可能な限りお貸ししますので、
そういうとこですかね。
じゃあニッタさん今回ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
じゃあちょっと次回予告して終わりたいんですが、
次回もこのままニッタさんにご出演いただいて、
ちょっとこの話の延長と、
あとニッタさんカナダに住んでいらっしゃったりするので、
そのあたりの話、少し広がっていくかなと思いますので、
是非次回もお聞きいただけるとありがたいです。
では番組の最後になりますが、メルマが会員募集しております。
メルマが無料版、有料版とありまして、詳しいことは番組概要欄ご覧ください。
番組の完成やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された方を読みました、
読み返しましたとございましたら、
ハッシュタグ空飛び猫たちをつけて教えいただけると大変嬉しいです。
Xやインスタの投稿などでお待ちしております。
お便りフォームも番組情報欄に載せておりまして、
いただければ定期的にやっているお便り紹介会でお答えいたしますので、
是非こちらを寄せください。
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ではまた来週。
ありがとうございました。
ありがとうございました。