00:04
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私、柿内正午と、本日はゲストでこの方たちです。
海乃凧です。
二見さわやかです。
奈良原生織です。
岸波龍です。
どうぞ、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
というわけで、きょうは柿内さんが編集をして、我々が寄稿している、この読書のおともという陣が完成して、この前のブンフリーでお披露目になって嬉しいなというところで、
その打ち上げも兼ねて、貧乏症なので、ついでにこれを録音して、ポイエティークRADIOでも配信しちゃえという、横着な企画でございます。
今までも普通に話していたので、そのまま続きみたいな感じで話していければなと思うんですけれども、
まず編集していただいた岸波さんから、ざっくりこの読書のおともってどんな本なの?みたいなところを簡単に説明だけしてもらってもいいですか。
はいはい。一応、僕はポイエティークRADIO2回目なんで、
そうですね。
2回目だなあって今気持ちなんだけど。
今回、読書のおともっていう、読書に合う食事と飲み物についてのエッセンスストロジーを作りたいと思って、
4名の方に声をかけて、っていうのがきっかけですね。
単純に言っちゃうとそれだけなんですけど、お題っていうのはそんなに詳しいことはそんなに伝えてなくて、
それでどういう原稿が集まるのかなっていう、それを楽しみにして、文学フリまで売ってみたい。
その後本屋さんで売ってみたいっていうのが始まりですね。
そうですね。
たぶん次の月曜日だから、何日かわかんないけど、
次の月曜日にこれが配信される頃にはまだ、
でもその頃にはもう双子のライオン堂さんとか、もしかしたら置いていただいた後かしら。
双子のライオン堂には、ただ今緊急事態宣言中でたぶん5月。
そっかそっか。
5月中は営業時間が少ないからですね。
じゃあとりあえず6月にはいろんな本屋さんで手に入るようになってしょうね。
03:00
そうですね。
そういう感じでなる予定。
ちょっと昨日、全員見せ番っていうちょっと変わったスタイルを撮ったんだけど。
楽しかったです。
みんな12時から17時で5人で全員1時間ずつやるっていう。
それがちょっと面白かったですね。
そうなんですよ。
なかなかこの状況だからその5人で最後にせっかくだったら見せ番お疲れ様でしたかいみたいなのがやりたかったんだけど、
なかなかそれが難しいからこそ、こういう形でお話できるのはすごい嬉しいなと思っています。
昨日あのあれですよね。
お店もその読書のお供っていう本を置いてる横で、その本の中に出てくるおかめサブレを横で売ってるっていう。
それもなかなか面白かったなと思って。
はい。
ちょっとそのあれですよね。
見たけど文学不倫までお菓子売ってる店ほぼいなかったと思うんですよ。
あんまりな感じ。
私はでもそんなに。
お菓子売ってるって言いながら。
でも頑張りました。頑張ってくれましたおかめサブレは。
でもきっとブンフェリーに来るような人は、しかもこういう時期に来るような人は、
お菓子を買うんだったらその分本を買いたいと思うので。
じゃあもうちょっと気持ちがしました。
でも結構やっぱり普段業者とかでお客さんとしてらっしゃるのに、
すごいスムーズに導入してくださって。
一緒に売り場に立ってて結構そういうイメージあった。
そう。いっつもあんな感じで結構そんなに大きい声ならないくて、
ボソボソってお菓子ありますとか言って。
どこに行っても同じやり方をしてる自分みたいな感じでした。
すごい販売スタイル、ブンフェリーだと結構難しいですよね。
自分が本買おうと思ってブースのところ歩いて行ったりする時も、
すごいそれぞれに販売スタイルがあって、
めちゃくちゃブースから身を取り出してビラを配ってくださる人もいれば、
怖くないですよみたいな、全然こっちに目を合わせないでスッて
餌食するだけの人もいたりとかして、
それぞれの感じている、どういう読者に届けたいかみたいなのが、
すごいその接客スタイルだけでも伝わってくるから、面白いなって思いました。
あのビラって伸ばすのね、絶対こっち届かないだろうってどこでも伸ばしてるしね。
そうそうそうそう。一生懸命すぎるからもらっとこうかなって思っちゃう。
僕はこの読書のお供をもう皆さんも多分読まれたと思うんですけど、
06:04
今回自分の文章を原稿を書いてお出ししてからは、
もう全部岸並さんにお任せだったので、
今回こういう形でこの本が出来上がった時にこういう本になるのかっていうのを見ながら思っていて、
他のその原稿を読みながらもこの人たちが、
どういうような考えでこれを書いたのかっていうのをめちゃくちゃ聞いてみたいなっていうのがあるんですけど、
なんかまず、何だろう、各原稿の話も後でガッツリしたいんですけど、
まずこの全体感の中で岸並さんは何でこの形にしたんだろうかっていうところを、
ちょっともう一回突っ込んでおきたいなっていうふうに思っていて、
岸並さんはもともと一冊目がアスク・フォーサドネスっていう詩の紹介の本を一人で作っていて、
これがある意味第2弾、ジンの第2弾だと思うんですけど、
本の作りとか組版のあり方とかが割とそのアスク・フォーサドネスとこの読書のお供っていうのは両方とも共通していて、
なんかこう詩集のような形で、特に前掛けみたいな説明もなしにバンと始まって、
組版も下側にすごい余白を広くとって、上にこう字を詰めて、
字数としてそこまで1ページにあんまりたくさんの文字を詰めて、
前作は詩についてのお話だったからっていうところで、
その作りと内容の関連みたいなのがすごい分かりやすいというか、
提示されていたと思うんですけど、今回このアスク・フォーサドネスというのは、
アスク・フォーサドネスというのは、
大胆に余白を使って、しかもそのある意味、
明確に読書のお供のアンソロジーっていうのがありつつも、
親切に何だか、それを帯だったりとか、前書きで何も提示しないままに、
書くようなものを作ったりとか、
そういうものを作ったりとか、
それを帯だったりとか、前書きで何も提示しないままに、
書く執筆者の文章をどんって載せていくっていうスタイルっていうのは、
これ元からこういう形にしようかなってイメージされてやってたのか、
作っていく中で決まってたのかってどっちなんですかね。
作っていく中でかな、
もともと表紙に、これ表紙読書のお供っていうこのシール貼ってあるじゃないですか、
その貼ってあるだけにしたのも、もともとは全然作者名とか入れる予定だったんですよ。
イメージはもう最初のイメージとか。
なんだけど、それも取っ払っちゃったのは、
シンプルな本が作りたいっていうのもあるんだけど、
ちょっとあの、僕が本屋でねのいさんよく行くんですけど、
09:01
ねのいさんにこの貼っ付けた状態の見せたら、
なんかお菓子の箱みたいだねって言われて、
あーなるほど。
それでもいいかなって思ったのと、
結構実はいろんな本の影響があるんですよ。
アクスタカシさんの読書の日記の2つ目あったじゃないですか、
あれ絵だけだったじゃないですか。
それのイメージもあって、
表紙に別に作者名とかそういうの入れなくても、
いいんじゃないかなっていうのがまず、
ちょっと頭の中にあって、
ねのいさんので表紙はそれでいこうかなっていうのは、
ちょっと思ったかな、そのあたりで。
あんまり余計なことせずに、
読書のお供っていうことだけをボーンて出すっていう。
表紙に関してはそれですね。
おせんべいの缶とかこういう感じですかね。
そうそう、缶みたいな。
昨日ちょっと河岡さんがおかめサブレット一緒に
こうやってポンと置いてたけど、
こうやって板柱の中にこうやって。
ああいうのだと別に字いなくてもいいなって
あの時も思いましたけど、
このタイトルだけでわかりやすいし、
確かに説明があったほうが親切なんですけどね。
でもやっぱり前回やったのもそうだけど、
詩とかの影響もあるのか。
でも前回のエッセは一応始めにはつけたんですよ。
ああそうですね、あれはついてましたね。
そうそう。
でも最初はやっぱり始めにはつけようかなと思ってた時もあったけど、
わりと早めにもそれは原稿が来だしたあたりから、
原稿でもしわからないんだったら、
全然読書の元から離れてくるんだったらあれですけど、
あんまりきっちりテーマを決めて説明しないで
みんなに書いてもらったんで、
あんまり離れすぎてるようなのはもしかしたらあったかもしれないけど、
そこの始めに関しては原稿を見ていけるんじゃないかなっていうのがあった。
ですね。
あとこの余白に関しては、
最初は普通の小説とかエッセみたいなのが下まで埋まってるのも試したんですけど、
この詩っぽい感じ、
これ、詩の影響もあるんだけど、
北野裕作さんの100文字SFがあるじゃないですか、
あれのね、1ページにドンっていう枠に、
文字が詰まってるみたいな。
そのイメージもちょっとあるんですよね。
本当に、ちょっと薄くて小さいものっていうのをイメージしたときに、
12:07
なんかね、その視覚的な問題、視覚意っていうか、
そういう感じしてたんですよね。
ちょっと完全に文章だけじゃなくて、
視覚的な問題で今回はこういう感じに。
最初からこうしたかったわけではないです。
なるほど。
ある程度普通のも試しつつ、でもやっぱりもう1回これをやりたいみたいな。
どっちかというとそんな感じで、
多分これの影響はあると思うんですよ。
文体とかが。文体によって。
かけないさんがちょっと日記の方で書いてたけど、
自分の文体、こういうの来ると思わなかったみたいなことを。
あ、そうそうそう。
そうそうそうそう。
なんか文字の組み方で全然そのなんだろうな。
要請される読むスピードだったりとか、
読む丁寧さって全然変わってくると思っていて、
余白たっぷり取れば取るほど割とその、
一文一文にすごいしっかりと、
なんだろう、読んでいこうっていうか、
しっかりと、なんだろう、読んでいこうっていう意識が多分働くと思うんですけど、
なんか多分詩集とかも含めて、
そういう効果もあって余白を結構使うんじゃないかなっていうか、
あの、何でしたっけ。
なんかシリーズでその詩のいろんな詩人の、
同じフォーマットで2段組で作ってるシリーズあるじゃないですか。
何でしたっけあれ。
現代詩文庫のあれですか。
そういう形で詩がこうびっしり載っていると、
結構読むの難しいんですよね。
すごい2段でびっしり文字が詰まっているから、
一生懸命早く読もうとしちゃって、
そうするとうまく詩が読めないみたいなのがあって、
割とその余白ちゃんとしっかり取ってあるって大事だったんだなっていうのを
そういうのを見てて思ったんですけど、
なんか自分のその、特にそのなんていうのかな、
詩以下を目指していないような三文みたいなものが、
同じフォーマットで余白たっぷりで置かれると、
自分の思っている以上にBPMが遅い、みたいな。
なんか意図せず、すごい早引きで書いてたつもりなのに、
意図せずボサノバカバーになって出力された感じが。
だからなんか、自分の文章なんだけど、
自分で読んで、なんか自分じゃないみたいだったのが、
すごいこう文字の組み方だけでこんなに変わるんだって思ったのが、
個人的にはすごい面白かったですね。
ふたみさんの文章とか、それこそ岸並さんの文章とかは、
なんかこのフォーマットですごいすんなり読める気がしてて、
15:04
こんだけいろんな文体の人が揃うと、
フォーマット揃える、揃えるのがいいのか揃えないのがいいっていう選択も
もしかしたらあったかもしれないですけど、
揃えると読むスピードによって変わってくるのが、
すごいわかるなっていうのが思いましたね。
そうですね。それこそ冒頭、たこさんのエッセイから始まっていくじゃないですか。
たこさんが初っ端からめちゃくちゃ一文が長いっていうところが
最初から始まっていくのを、
最初この組版で読むことの効果って結構でかいなと思って。
もうちょっと下までびっしりあったら、それこそ速さで読んでいって、
一文の長さをそう感じさせないというか、
もしくは一文長いことが読む速度をちょっと早めるような効果があるような感じが、
いつまるに早くたどり着きたいみたいなのがある気がするんですけど、
この組版だと一行一行丁寧に拾って読んでいるから、
最後にこの丸にたどり着いた時に一気にひっくり返るじゃないですか、
それまでの前振りが。そこのひっくり返され方に、
普通の組版で読む時よりもそこでひっくり返すんかいみたいな感じが、
すごいちょっと強くなった感じがしてて、
そういう効果もあるんだっていうのを。
最初のこの文章を読んだ時に、ただ丁寧に速さを求めないようなためだけに
この組版にしているわけじゃなさそうだなみたいなのが、
一番最初のエッセンス、最初の書き出しでいきなり提示されるっていう構成も含めて、
面白いなと思っています。
短くて薄い本だから、しっかり読んでもらいたいっていうのは結構あって、
その精読するのに、やっぱり詩のフォーマットを使うとこうなるんだっていうのはやっぱりあると思うんですよね。
加古さんの長くて丸い点、ここでつくんだみたいなのが、目で一発で入るじゃないですか。
本当に視覚的な感じで、この塊を読むみたいな面白さがあるんじゃないかなと思うんですね。
そうですね。
しかも最初の1ページできっちりである丸で終わっているのも結構いいなと思いました。
これ途切れて終わっているとまた違うんだろうなと思うんですけど。
そう、これ気持ちいいですよね。
気持ちいいですよね、このページ。
ちゃんと、何だったらここまでで一旦完結しているぐらいの感じがあってから始まっていくから。
18:02
最初のページとしてすごくこういうふうに始まっていくんだっていうのが提示されてて。
そこが何かさっき言った100文字SFじゃないけど、本ってこのページだけでも結構面白く読めるみたいなイメージみたいなのはあるかな。
やっぱその何ページかこれうまくハマってるなってページ、やっぱ自分で読んで作ってたと思いました。
このページきれいにハマってるなみたいな。
僕結構気になったのが、普通タイトルがあってから名前なのかなと思うんですけど、
名前が先に来てて、後にタイトルが来るっていうのがあまり見覚えがなくて、これも何か意図されているのかなっていうのは聞きたかったですね。
これは、目次でこういう形のは割とあるのかな。
でもこれもさっき言ったみたいに、決めた時には本があって、この見える?これですね。
病と障害と傍らにあった本っていう。
里山社から出てるんですけど、アンソロジーでいっぱいこうやって出てる。
この本の目次を読んでた時に、著者名の方が上なんですけど、
これもこの本のイメージで、著者名、普通は作品名の方が上に来るし、大きくて著者名の方が小さいみたいなことが多いんだけど、
逆でもいいんじゃないかなって思ったのは、この本読んだ時ですね。
逆に言うと、説明がない分、作者を少しでも前に出したいみたいなのは、多分気持ち働いたのかもわからない。
その説明が逆にない分、ちょっとそこはそうなっちゃったのかな。
いきなり作者名ですけどね。
これはこれで珍しいけど、別に全然どんな本作ったらいいと思ってたら。
あんまりそういう固定観念みたいなのはあんまり気にしないで作る。極力ないものをみたいな。
面白いですよね。
それこそ、最初の書手でめちゃくちゃ気持ちよくハマるとかっていうのは、文字組みの時に初めて出てくる効果じゃないですか。
21:01
だからそれこそタコさんが書いている時に、このハマり具合を狙って書いているわけではないじゃないですか。
一文の長さとか、乗ったり乗ったりと、どこに行こうとしているかも含めて、すごい先延ばしにしていこうとしたがる感じの書き方とかが、
それこそ僕が自分で書いているやり方とかと、一番近いものを感じたのがタコさんの文章だったんですけど、
僕がこれ思ったより遅い、自分で書いている時に計算していたより読まれ方が遅いぞみたいな戸惑いみたいなのって、
タコさん自分の組まれたものを読んだ時とかって感じられたりとかありました?
だいぶ感じましたね。
文章を書く時も気を使って書くというか、やっぱりダラダラダラと小さい文字がギュッと詰まっている状態で書かないと、
書きながら推行して読みながらってやっていくと全然リズムが合わなかったりするので、
これを読んだ時、最初はやっぱり進んでいかないので、すごい戸惑いましたけど、
でもやっぱりこの最初のページ、進んでいかないから何回も読み返したりとかしてもらえるんだとすると、
この本の読み方みたいなのができてきて面白いのかなと思いましたけどね。
そうなんですよ。だから僕最初にこれを真っ新の状態で読んだ時に、
タイトルがそれこそ読書をする体のための調律じゃないですか。
最初のこの1文がそれこそ1ページの大半を使ってずっと1文が続くっていうのが最初出てくるんだけど、
これに対して途中で今何の話だったっけ、何の話だったっけって戻りつつ何にしつつっていうのをやりながら読んでいく作業が
すごいこの組版に対して自分のリズムを調理としていくような感じに要請するような書き方になっているから、
意図してのあれではないんだけれど、すごいこれが最初に来ることの意味ってそういうところにも効果が出てそうだなっていうのが面白かったのと、
だからこそタコさんの想定だとそんなに行きつ戻りつつするっていうよりは結構速さで、
ここは読まれることを想定して書いたんだろうなっていうところのギャップが個人的にすごい面白かったですよね。
24:03
そうだからこの組でやっぱり影響を受けるのはタコさんが好きな人だなと思っていて、
結構表と裏じゃないけど、そこなんかほんと合いますよね。
それがタコさんのがトップバッターで、かけないさんのが大鳥になってるけど、そこはほんと、
作った自分のイメージはほんと似てる部分もあるし、でも結構逆な部分もあるしみたいな。
でやっぱその分解のスピードみたいなのは、2人の作品を読んでて早いっていうのはやっぱあったんで、
この組み方だとやっぱそこはね、どうなるかどう思うかなーみたいなのが思いつつ、やっちゃいましたね。
いや面白いですよね。なんかそれこそ速さだけで何とかごまかして書いてたみたいな自覚はあるので、
同じカーブばっかりでなかなかスピードが出せないみたいな組になった時に、
こういう風に読まれるんだっていうか、こういう風な読み、読む感覚になるんだみたいなのが見えてきたのが、
自分でこれから書く時とかもなんかいろいろ考えられそうな感じがして面白かったです。
昨日の文学フリマで言うと、書けないさんの代わりに読む人の月報でも書いてたじゃないですか。
はいはい、月報さん。
あれの組み方で読むとほんと全然違うっていうか、どっちかというとあっちがいつもの書けないさんの文章に見えると思うんですよね。
そうですね。月報さんはすごいだからそういう意味で違和感があんまりなく。
ないですよね。
な感じでしたね。
なんかほんと不思議なもんで、この文章の組み方でこんな印象変わるんだっていうのは、
あと文字の大きさもあると思うんですよね、かなり。
結構大きくやってるんで。
そうなんですよ、だから内容だけじゃなくてその内容の届き方みたいなのを、
そういう組み方だったり文字の大きさだったりでこんなにほうが変わるんだみたいなのは、
編集ってどういうことなんだろうみたいなのっていうのを結構改めて強く感じたなって自分も載せてもらいながら思いましたね。
そうですよね。だからなんか自分が意図してない風になっているんで、やっぱりこれは岸並さんの本なんだなっていうのをすごい感じました。
27:11
自分の記事ではいるんですけど、岸並さんの本になっているのがすごいなと思いましたね。
うん、そうそうそう。なんか素材は提供したけれどっていう感じがして、結構それは面白かった。
面白かったですね。
編集、前回は自分一人で作ったんで、編集しててそれは確かに思いましたね。
自分の文章とまた違う人の文章を読んで、自分で組み立てるとね、やっぱり全然、
全然と混ざり合いがないけど、でも違うものになるんだなと思って。
それは確かにあるかもしれない。
面白かったですね。
本当、さっきも話したんだけど、このタコさんの文章が、この原稿を読んで、始めにがなくても成立しているような気がするっていう。
読書のお供っていうことに関して、しっかり書かれていながら、でもやっぱり最初に引き付けるような文章のほうが先頭に来てほしかったから、
イメージとしては本当に理想のトップだったっていう気がしてますね。
嬉しいです。
本当、このタコさんので決まったんで、並び順は。
嬉しいですね。
さっきも何回も言ってますけど、本当それがありますね。
僕の文章も、最初のほうは全然読書のお供なんで、食べ物とか飲み物とか出てこないんですけど、
書いてて、もうこれ本当に大丈夫なのかなと思いながら書き進めて、最後も多分原稿紙2ページぐらいでちょっと入れないかと思って入れてはいるんですけど、
引き付けられてるんだとしたらすごい嬉しいですね。
すごいそれこそ、タコさんの最初にこれ読んだときに、読書のお供っていうテーマで書くならこういうことを書くのが良かったんだって思って。
自分のやり方にちょっと反省もしちゃったぐらいだったんですけど、
導入として本当にもうほぼめちゃくちゃ完璧だと思っていて、
読書っていうものの行為っていうのが実はわりと抽象的なものではなくて、
30:06
具体的な自分の体の状態とか現実の生活のコンディションにめちゃくちゃ左右されるよねっていう、
それっぽい言い方をすると身体性みたいなのが実はちゃんとあるよねみたいなのが、
第一にありつつっていうのをすごい分かりやすいというか、
身近な事例から引き付けつつ、だんだんそうだよね、体ってあったよねみたいなのに意識を向けた後に、
食べ物の話が始まっていくっていう、なんか書き方も含めてすごい、
だから本当にこのタイトル通りに、これからこの読書のお供っていうような話を読んでいくぞっていう、
身体の調子を整えてくれるような形で話が進んでいくっていうのが、
本当に岸並さんはこれ来た時も導入にこれが行くだろうなって、
ドンピシャで決まっていくのをすごい分かるなっていう文章だったなと思って。
そうそう、めっちゃいいの来たなっていう、よしって感じがありましたよね。
タイソルもいいしね。
読書のお供って言ってるだけで、食べ物とか飲み物っていうことを前書きもないんで一切言ってないじゃないですか。
それで読み始めて、食べ物飲み物ってこと分からずに読んでいくけど、
その読書の、読書する身体もお供だし環境も全部お供として読めるものが書けたらなと思って。
単純に読書のお供っていうワードから引き付けるものを書いていって、
最後に食べ物飲み物を持ってきたんで、
導入としては我ながら良かったんじゃないかなと。
これって何だろう、それこそたこさん的にオープニングじゃろみたいな。
いや、全然ないですね。
全然順番とかを考えてないし、出来上がった時も考えてはないんですけど、
さすがに岸上さんの説明が最初に入るだろうと思ってたのもあります。
やっぱりそう思うんだ。
僕もそれは思ってます。
そうですか。
そういうもんですね。
なるほど。
だからそのたこさんの、だんだん周りの環境との相性から自分の身体にフォーカスしていって、
食べ物にっていうところで話が進んでいく流れから、
その次にさわやかさんのオカメサブレが主役の食べ物の話がドンと来るじゃないですか。
だから綺麗な流れだなって思いながら読んでたんです。
33:01
そのパターンの経緯が私は本当に気に入っています。
あとそれこそさわやかさんの文章が、
それはそれこそキビズの話を知っているからっていうのもあるかもしれないけど、
思いっきりそのオカメサブレの食べることメインの話だと思って、
読み出すと、
思っている射程が広いところで文章が進んでいくから、
一回それこそだんだん食べ物に修練していった話から、
今度食べ物をきてにまたいろんなところに発散していくっていうような文章が次に来るっていうのも、
流れとしても、
岸上さんの配置がすごい光っているなっていうのと、
単純にいい文章なんですよね、このさわやかさんの文章。
うれしい。本当ですか。
さっきこの録音を始める前にもチラッとお話ししていましたけど、
まとまって公開するような文章を書くのが今回初めてで、
っていうお話もされてたんですけど、
面白かったのは、推行するときにプリントアウトして、
音読して読み上げながらやってたっていう話があって、
それすげえ面白いなと思って。
やりましたね、お風呂場の壁に貼り付けて、
湯気とともに。
湯気で見えました?ちゃんと。
ちゃんと見えました。意外と丈夫でした。
それってなんだろう、読み上げながら、例えば突っかえたりとか、
なんかちょっとここ違うみたいになったときに、
その場で直していくんですか、その文章とか。
その場では紙しかないんで、
そうですよね。
本当にお風呂でやったから、当ててから直してました。
やっぱりちょっとあれってなるんですよね。
単純なところでも一文字が多い気がしたりとか、
それで削ったとか結構あります。
点の位置に変えたりとか。
面白い。
けれどとけどぐらいでも気になったりとか、
そういうレベルのことをやってました、結構長い。
それってそれこそ他の、いおりさんとか岸上さんとかタコさんとかって、
そういう自分の書いたものを1回声に出してチェックするみたいなことってされます?
僕その発想すらなかったので結構びっくりしてた。
36:00
僕は結構音読をする派です。
僕もお風呂ではないんですけど、紙には一度印刷して、
で、読んで、このくらいの長さなんで、
ゆっくり音読して、気になるところは解除して、
もう1回パソコン上で直してっていうのを何度か繰り返していました。
面白い。
僕はあまりしないですね。
タコさんはしなさそうだなって勝手に読んでました。
どうだろうな、心の中ででも音読してるみたいな、
でもそのくらいの声に直接出してはないかな。
そうだ、それ面白いな。
喋ってるみたいな文体ですけどね。
今回はそうですよね。
そうそう、これは喋ってないんで。
喋ってないんだ。めっちゃ話しかけてくる。
めっちゃ話しかけてくるけど。
なるほどな。
そっか、なんとなく読んでて、
僕とタコさんはすごい目から入ってくるものなんだっていう、
文字に対してのスタンスがある感じが、
読んでて勝手にシンパシーを感じてて、
だからこそ組版によってすごい影響を受けるのも、
僕とかタコさんの文章なんだろうなって思っていて、
残りの3方の文章は割とこの組版であっても、
そうじゃない組版であっても、
割と違和感なくハマりそうな感じが読んでいてもあって、
もしかしたらその一つの要因として、
一回その声に出してみるみたいなところがあるのかもしれないなっていうのは。
面白いですね。
面白いですね。
でもみんながやったほうがいいとは全然思ってなかった。
自分がすごい自信なかったからやったんだと思う。
自信が。
でもものすごい、なんて言えばいいんだろう。
すごいいいなって思ったんですよ。
すごいいい文章だなと思って見ていて、
なんかすごい読んでて羨ましいなというか、いいなって思ったのが、
割とこの短い文章の中にも、
すごい緑の匂いがするじゃないですか。
39:03
要所要所に木の具体的な名前であったりとか、
木が呼吸している感じの描写であったりとかっていうのが、
割と具体的に入ってきていて、
食べ物にまつわる生活の柔らかな雰囲気というか、
ふわっとした感じの話でまとめることも多分できただろうけれども、
そこに具体的に木であるとか水であるとかっていうところで、
人工物ではなさそうなものの描写を、
割と端正になされていることによっての効果というのは、
かなり大きく出ているなあみたいなのを読みながら感じていて、
それがすごい僕はいいなと思いながら読みました。
ありがとうございます。
本当にあった1日の話だから、書きやすかった。
きちんと書くときには、きちんとした名前があるものは、
その名前で読んであげたいという気持ちがありました。
別に自然が大好きとか、好きですけど、
そういう話をしたいわけじゃなくて、物の名前をきちんと読んであげたかったです。
本当にあった1日の話なんですね。
そうです。
あ、あんまり言わないほうがいいのかな。
そうなんですね。
短いからどこまで歌えていくか難しいけど、
でも別にいいんじゃないかな。
本当の話ですね。
この散歩に出るところから本当の話ですかね。
そうです。
なるほど。
岸並さんにエッセイを書いてくださいって頼まれたときに、
本当に人に読んでもらうための文章を書いてたことは今までなかったから、
すごい悩んだけど、
頼まれると断らない立ちが結構あって、
それで引き受けになったんですけど、
どうしようって結構思ってて、
で、最初オカミサブレのこと書いちゃダメだと思ってて、
なぜか私宣伝になるからとか、なんかわけわかんないかと思ったんですよ。
なんか、
岸並さんに私一回聞いたんですよね。
どうしてもオカミサブレの話になってしまうんですけど、いいでしょうかみたいな感じ。
今考えると本当に笑っちゃうんですけど、
真剣に悩んでて宣伝しちゃいけないとか、
なんか思ってたんですよ。
でも、結果的にはこれしか言いたいことがなかったんで、
本当によかったです。
42:00
うんうん。
私としてはね、オカミサブレで書いてほしいっていう気持ちもあって。
ほんとですね。
そうそうそうそう。
もともとオカミサブレで読書のお供と思ってる人にオカミサブレじゃないので、
聞かれてもみたいな。
でも自由だからなんでもありなんですけど。
なんかわかんないけど、何を期待されてるのかがわかんなくて。
笑
笑
笑
笑
笑
でも、あのね。
どうぞ。
どうぞ。
いいですか。
そのオカミサブレのちょっと爽やかさんのは、
来たの原稿もらうまでは、
実際来たのイメージがちょっと違ったかもっていうのは思いましたね。
前半の感じで行くのが、
ずっと続くような原稿が来る勝手なイメージがあって、
後半のああいう感じになって、
予想外にもちろんいい意味で、
ちょっと裏切られた感じじゃないけど、
それはありましたね。
そうなんですね。
思ったよりも違うのが来た感じがちょっとする。
そうなんですね。
すごい。
結構中身にどこまで触れていいかみたいなのがある中で、
全部言いたいですね。
インポイントで、
感想を言うのが難しいんですけど、
結構その自分、この作中主体、
多分爽やかさんもそう思うんだけど、
いろんなものに変わっていくみたいな描写が結構。
16ページとかに、
オカミサブルの私だっていう、
なんかが来たり。
最終的には、
とりあえずその意味を踏まえて、
一本のガラス瓶みたいな、
っていうのがあったりして、
そういうところが、
これは僕のフェチなんですけど、
すごい良いなっていうか、
小説としても、
物語によっていいかなとしても、
すごい使えるような面白いものだなっていうのが一つと、
あと今回爽やかさんが初めて、
公開するようなものを描いたとおっしゃってたんですけど、
それにしては僕、
すごく刺さる文が多いなっていうのは感じて、
描けないんですよね、こういう文章は。
そういうふうに思いながら、
ちょっと半分、
本当に初めて描いて、
羨ましいなっていう気持ちも持っています。
最初で最後ですね。
いやー、これは本当にいっぱい読みたいです。
いっぱい読みたい。
45:00
すごい細かいところなんですけど、
僕が聞きたいなと思っていたのは、
文末の締め方が時々ブレるじゃないですか。
はい。
18ページの最後とか、
これブレてるのは、
結果的に僕はすごく良い効果を生んでいますよね。
はい。
これはどういう意図的なものなのですかっていうのは。
そうですね。
よく学校とかだと、
フェスティバル・オラエルとかだったとか、
論文帳みたいなの、
オラエルとかやった記憶はもちろんあるし、
何か良いのかなと思うんですけど、
どう考えても、
この方が自分がしっくりくると思ったところは、
直さなくて、そのままやります。
本当にこの18ページの印象とか、
すごくいい作りで。
いや、本当に。
そんなこと誰にも今まで言われたことないから、
びっくりする。
これはもっと言われた方がいいと思うんですね。
びっくりだ。
おかめさぶりをやりだしてから、
本当に自分の生活がかなり変わったことを書いておきたかったんだと思います。
特に去年はコロナもあったから、
その時に何か思った。
いろいろ思ったの。
みんながやればいいとは思わないんですけど、
おかめさぶりみたいなことを。
おかめさぶりみたいなことをした方がいい人もいると思って、
そういう人が少しでも私もできるかもって思ってほしくて、
書いています。
いつもそれを言ってるんですけど、
本とかそういう世界じゃなくても、
何かしたいけどまだ何もしてないとかそういう人に、
これなら私でもできるかもって思ってほしくて、
キキビズをやっています。
すごい一番面白いなって思ったのが、
このタイミングでの一年間、
それこそコロナウイルスで振り回されている一年間があった上での
観光になっているんですけど、
ちょっとタコさんのお話とかもチラッと出てきますけど、
あまりそういう感染症的な話をあまり誰もしないまま書いていくとか、
あまりそれを感じさせないように書いていっている文章が多い中で、
この沢岡さんの文章が割とがっつりと2020年に書かれた文章みたいなところで言うと
48:03
自信性が高い感じがして、
なおかつ、僕それこそコロナウイルスにかっこつけた文章で
あまり面白いと思ったことがなかったんですけど、
すごい沢岡さんのこの文章の時にこういうのが読みたかったんだってすごい思ったんですよね。
よかったです。
コロナのこと入れる入れないって何やっても、
今なんかする人は思うことだと思うんですけど、
私の場合はこれは後で読んでいくらこれが古く見えようがどうだろうが書いた方がいいと思ったので、
その通りに書きました。
今見ればやっぱりクラスター、ライブハウスのクラスターなんて今誰も読めないじゃないですか。
それでも多分その空気を覚えている人は、
あの頃ねって思い出せるためにはちょっと使いたかったです。
だからこれ本当にこれから買う人はあまり楽しみを奪いたくないので、
全部読みたいけど読めないんですけど、
19ページから20ページにかけての文章に僕はものすごいハッとして、
今の時代に文章を書くときに必要だったのは飛沫って言葉ではなくて、
蒸散だったんだっていうのが、僕は勝手にめちゃくちゃ感動したんですよ。
そこかよって感じかもしれないんですけど。
ここでその中学の理科の授業以来、久しぶりに聞いたこの言葉に。
すごい、私も結構忘れててその単語。
なんだっけ、なんだっけって思い出して。
いや、でもこれですごいなんかハッとしたんですよ。
結構大真面目にその飛沫的なこうなんていうのかな、
こう自分の口とか鼻から出てくる何かっていうものじゃなくて、
植物みたいな他のこう絶対的他者みたいなものから、
もう何かしらその飛沫的な出ているものっていうのはあって、
そういうものをこれまで吸い込んで自分の中に取り込んでいくとか、
それこそそれはお菓子を食べることとかもそうなんですけど、
そういうそのいろんなこうその飛沫的なものっていうのはあって、
それこそそれはお菓子を食べることとかもそうなんですけど、
そういうそのいろんなこう他人というか他者をこう自分の中に取り込んでいって、
自分の中を通り過ぎていってっていうような体験が、
実はものすごい損なわれていたんだみたいなことに、
改めてこの段落を読んだときに僕はこう、
ああこれだったんだみたいな、今書けてほしい言葉はこれだったんだみたいな気持ちになって、
すごいこう、これは今読みたいものを読んだなっていう気持ちになったんです。
僕はそんなことを思う柿内さんはすごいです。
古代妄想的な読み方かもしれない。
自分はあの20ページの、
オカメサブレがマジックリアリズムみたいになるでしょ、ちょっとちょっと。
51:02
それを読んでもらいたいんですけど、
オカメサブレがどうなっちゃうのかってちょっとすごいですよね、この辺。
でもなんか突拍子もないことを書いてるつもりはほんと微塵もなくて、
本当に全部そうなんですよね。
だから事実なんですよね、たぶんね。
本当に、なんか気を照らしたようなところは全くなく、
なんかすごい文章からも気を照らしてないっていうのは、
なんかやっぱ初めてこう、ちゃんと文章を書くのが初めてっていうのはあるかもしれないですけど、
なんか自分、普段から小説を書いたりしてると、
こういうなんかあざとくない文章っていうのをなんかなかなか書けなくて、
なんかそういう意味ではすごい最初にこう、
なんて言うんだろう、すごい丁寧にこう、
その方は爽やかさんのことがこう、ちゃんとわかるように書かれて、
途中からこう、ある日から始まる、そのある一日の話、
ここでちゃんと、ちょっとこう心を動かされるのが構成としてすごい、
ちゃんとできてますよね、この原稿用紙6枚分の文章が。
それがすごいなぁと思いましたね。
どうか実感に裏打ちされてる文章だっていうのを感じる。
それにもかかわらず、これだけリーダビリティがあって、
構成としても綺麗みたいにして、
たぶん小説家さんの選挙っていうことが正しくはわかんない。
すごくこう、なんかすごい見事ですね。
でも本当に初めてだったので、原稿用紙何枚分とか言われたときも、
どうやって文字数えたらいいですかって聞いたぐらいで、
一個一個数えてるのかな、みんなと変わって。
本当に綺麗だったんです。
たぶんちょっと終わったような気がしたときに、
計算したら全然足りてないことに気づいて、
絵を描けるんですよね。
いいですね。
でもこれからもぜひ書くことをやってほしいですね。
また読みたいです。
そう、また読みたいですって。
そういうこと言ってもらえただけでやってよかったです。
でもなんか恥ずかしくて、あまり本当の普段の私を知ってる人には逆に、
読まれたくないか、読んでも知らんぷりしてほしいって言ってます。
でもそうか、僕もあまり自分のリアルな友達っていうかに、
自分の日記読んでほしいとは思わないもんな。
そういうもんですよね、きっと。
54:05
そうなんですよ、だからすごいいいなと。
読んでほしいですね。
これ読んでほしいですね。
嬉しいです。
これを読んでほしい。
でもそうなんですよ、すごいところとはいえ流れの中に置かれるからこそのところもあって、
だからアンソロジーっていいなって、
多分今日僕これをずっと言い続けるんだと思いますけど、
いいなって思いました。
うん。
そうなんですよね。
でなんで、その次の、このたわやかさんの話の後が、
いおりさんの文章で、これもまた、
すげえなって思いながら読んでました。
何かそういうものとして映る?
何だろう、それこそその、
タコさんも、それはさわやかさんも共通なのかもしれないですけど、
ちょっと自分の話になっちゃうかもしれないんですけど、
僕すごい風景を書くとか、情景を書くみたいなのがすごい苦手で、
だからこそその日記みたいなことでも大体関連的なことしか書かなかったりするんですけど、
すごい日常の中の身の回りで起きていることだったり、
に対しての解像度をちゃんと上げて書くっていうことを、
こうやっていくんだみたいなことを、
面白いなというか勉強になるなと思いながら、
読んでいた部分がずっとあったんですけど、
その中でこの、いおりさんの文章に入ったときに、
よりグッともう一段解像度が上がっていく感じがあって、
ここまで国名に、
ある意味ささいな一連の動作を描写していけるんだっていうところに、
僕はかなりグッときたんですよね。
だからその、
関連的にこういうことを思ったとかじゃなくて、
それこそスクリプト的な動作だけの配列だけで、
こんなにいろんな効果が出せるんだみたいなところで、
結構読んでいて、思ってなりました。
これ岸並さんと田子さんにも聞きたかったんですけど、
なんで結構その、何だろうな、
描写の国名さだったりとか書き方でいうと、
一番その小説との距離が近そうなのが、
57:01
このいおりさんの文章だなっていうふうに思っていて、
で、岸並さんと田子さんはそれこそいおりさんの書かれている小説だったりも、
読まれているんだと思うんですけど、
これ読んだときお二人として、
これまで読んできた小説みたいなものと、
どのぐらい違っているものなんですか?
奈良原さんの文芸ファイトクラブの、
ちょっとSF入っている感じの、
これと比べたらまた全然また、
虚構の度合いが全然違うんですけど、
むしろちょっと文体で、
すごい今回これいいなと思ったのが、
ひらがなの使い方、漢字とひらがなの。
これがすごく完璧だなと思って、
奈良原さんのは。
ここが今回、
今までの小説以上に、
どっちかというと結構ストーリーがしっかりしている、
小説のイメージだったんで、
この文体に今回は、
特に惹かれたなっていうのがありますね。
至る所に結構ね、
あるんですけど、
いい感じの、
いいなっていうのがすごいありますよね。
かなり練られて書かれているんだろうけど、
でもそれが、
パキパキハマっていくっていうか、
パズルのピースがハマっていくみたいな、
使い分けみたいなのが、
ここですかね。
あとはどっしりした、
たぶん小説とのエッセイの感じで、
なのかわかんないけど、
この組み方にすごいハマっているのが、
奈良原さんっていうイメージが。
そうなんですよ。
一番ハマっている気がしてますね。
ひらがなとかの比率も含めて、
パッと見のバランスがめちゃくちゃいいじゃないですか。
いおりさんだけ最初にこういう組みになるって
思ったんですよ。
知らない。
格ナンって思ったんでね。
いおりさんの文章はやっぱりちゃんとこう、
一文字一文字というか、
単語ごとをしっかり読み込んでいくと、
すごい情景が開けてくるような、
小説、今回エッセイですけど、
エッセイなので、
すごい合ってますよね。
今まで文芸ファイトクラブとかでは、
本当にSFっぽい小説だったので、
1:00:00
エッセイで日常というか、
自分ごとに近いことを書かれているのを読むと、
僕は今回のこれが一番好きな文章ですね。
いおりさんの文章。
最初のとこすごい好きなんで、
読んでもいいですか。
この3行、
すごいぐっと来たんですけど、
北鎌倉の駅を出て、
5分くらい歩いた路地の奥に、
庭と呼ぶには、いささかし全体すぎる、
緑の溜まり場がある。
僕はこれを率直に森と呼んでいる。
すごい惹かれましたよね。
この僕というか、
いおりさんなんだと思うんですけど、
考え方というか、
感じ方がすごい出てて、
すごいぐっと惹かれました。
この率直に。
ありがとうございます。
少しだけ自分の書いたものについての話を
聞きたいです。
ちなみさんとかも言ってくださって、
北鎌倉さんも言ってくれてる、
いちごいちごとか、漢字の使い方、
窯の使い方みたいなところは、
確かに僕はこだわる方かなと思っていて、
多分それは、
それが良い方に行くこともあれば、
そうでない方に行くことも結構あって、
すごい細かいですね、僕の性格が。
それがそういうところに出てるのかなっていうのは、
確かに僕の実感とも合っていて、
今回ここを良いように捉えていただいて、
すごく嬉しかったっていうのがあります。
僕、このお題をもらったときに、
結構直球にお菓子とか飲み物、
僕コーヒーすごく好きなので、
それに関しての、もうちょっと日記に近いというか、
もうちょっと本当に日常の一コマを、
そのまま切り取ったような文章を書いてみたいなと
思ったんですよ、最初は。
ただ何か、
書いたときに、
何ですかね、僕の中にそれにかなう文体がなかった。
何か、
それの体で書こうとすると、
すごいGoogleのレビューみたいな、
すごく自分の文体と合わなかったので、
1:03:01
この空間、
これ実際に、
ここと、
結構、本とか、
写真、
何かその中で、
歴節の変わり目で、
読書をするっていうことと、
何かそこでの食事、
のときに感じたこととか、
その最後の方に、
ちょっと、何だこれみたいなものとの遭遇みたいな、
を、何か、
スケッチみたいに書きたいなと思って、
で、ちょっとこれで行こうっていう風に書いて、
はい、あと小話なんですけど、
ノーザンライツ、
報告本の中で読みまして、
星野道夫の有名な本だと思うんですけど、
僕、星野道夫の息子と、
大学の同級生で、
個人的な繋がりというか、
それがあって、
星野道夫の文章すごく、
勝手に、
縁があるものだと思ってよく読んでるんですけど、
っていうだけの話なんですけど。
いい話ですね。
そうなの。
本当、至る所に仕掛けがあるといえばある、
エッセイだと思ってるんで、
その辺に関しては長原さんとちょっとだけやり取りしたんだけど、
後半のところの、
辺りは本当に、
読んでもらえればというところなのかな、
あんまり言い過ぎると。
銀歯とかなんだけど。
そこね、言葉の使い方、
言っちゃったらあれだよね、
最後の29ページの後ろから4行目の、
甘さで銀の奥歯が痛かったっていうところは、
ちょっとやり取りしたんですけど、
ここは普通だったら、
奥の奥歯が痛いんですけど、
前の銀歯が痛かったなんじゃないの?
っていう話をしたんですけど、
これにはこれでは、もちろん理由があって、
こうなってるっていうのは、
その前の方のを読んでもらえれば分かると思うんだけど、
その辺り、長原さんの単語だったり、
言葉の使い方だったりっていうのは、
1:06:01
本当、至る所にあるなっていう、
じっくり読んで、面白いエッセイなんじゃないかなと、
思ってますね。
そういうふうに考えされる情景としては、
行ってしまえば、お店に行って飲み食いしたっていう、
すごい粗末なことだけが書かれているはずなのに、
読むと結構、
気候分というか、
なんか遠く行ったなみたいな気持ちにさせられるから、
遠くに行った気持ちになるためには、
それこそ、ただテーブルで何かを食べたり、
謎の物体と出会わしたり、
写真や本を読んだりするだけで、
人って割とこう、
割と遠くまで行けるよなみたいなのを、
それこそこのエッセイを読んでいる間に、
追体験できるみたいなところが、
スケールでかい話をして、
スケールでかい気持ちにさせるんじゃなくて、
っていうところに、
すごいグッとくるなって思いました。
【佐藤】無理やりさっきの、
沢岡さんの時の話につなげると、
このコロナの時期だからこそ、
そういう感覚を得られる、
得られるというか、
そういうふうに物事を見たのかもしれないかもね。
多分、普通に旅行ができたり、
普通に出かけるのが当たり前の世界だったら、
多分、
この店もコロナになってから知った、
本当に。
そこまで、
家の近くの店に対して、
驚きとか、
非日常を求めたりはしなかったのかもしれない。
こういう、あまり旅行ができなかったり、
っていう時期だからこそ、
サファインの日常の中に、
何か、
ちょっと、
何て言うんですかね、非日常と言うか、
ちょっと旅行をするように、
何か、ここにいるけどここにいないみたいな感覚を、
得ようっていうのを見せたのかな、
というふうに思いますね。
すごい良いですね。
本当に、
この3つの
エッセイの並びとして、
ちゃんと何かしらうっすらと読んでいる間に、
読んでいるが勝手に付与していく連続性みたいなのが、
すごい綺麗にはまっていく感じがあって、
沢川さんの散歩の描写から入って、
次の河川の描写に行っているところで、
1:09:03
すごい綺麗な流れがあるな、
というふうに読みながら。
そういう風に思っていました。
岸上さんのマッチオーターに。
そうですね。
僕はここから急に、
ここまで結構綺麗な流れが来ていたのを、
岸上さん自身が結構見出していくんだ、
というような読み方をしていたんですけど。
すごいですよね。
面白いですよね。
マッチオーターってタイトルを最初に知ったじゃないですか。
マッチオーターを知っていた方はどのくらいいるのかなというのを。
いや、全然分からなかったですね。
ですよね。
もっとこう、
もっと芸術みたいな。
そうなんです。
岸上さんの全略も知っているから、
きっと私の知らない文学作品の名前なんだろうな。
そう。
そう。
これはすごくよく思っていて、
1行目ですよね。
やられたっていう。
そう。
すごい。
ここで一気に姿勢を崩される感じが、
最高だなって思います。
これは本当に。
いや、すごいですよね。
何とも言い難い。
最初の一段落目の最後で、
たまりませんよねって話しかけられたところで、
もうなんか、
これ何なんだっけみたいになりました。
やったことないですね。これは。
ないですね。
発想がないですよね。
混ぜるっていう。
どこまでいくのか。
これだからすごい難しいですよね。
結構、何も知らないで読んでほしい感じもあるから。
そうですね。
確かにそうだね。
岸上さんこの文体って、
それこそノートで書かれてた、
授業スタイルで、
そうですね。
書いてるやつと同じような書き方というか、
語りかける体の書き方だと思うんですけど、
これってどうなんだろう。
やっぱり速いんですか、書くスピードとしては。
速いですね。
1:12:01
あっという間にできてますね、本当に。
時間だけでいったらかなり速い感じで作れる。
一気に。
止まらずに書いても、最初から最後まで。
途中結構、
話が混んで、混んで。
これもあえてそのまま飛ばして、
飛んで、また戻って、
そのまましてる。
飛んでるけど、戻してっていう感じなのかな。
本当に即興みたいな感じで書いてるんで。
まあまあ、
飛んで飛んで、最後ここに着地すればいいかも。
あんまりゴールも考えずに短いのを一気に。
ポイントポイントだけあって、
あまり意味がない。
あまり意味がない。
あまり意味がない。
これだけ書きたいっていうのはあるだけで、
あとはほとんどこの語りみたいな
文体でいっちゃおうみたいな書き方です。
え、これってそのポイント、
結構僕が読んだ書類では、
結構な頻度で入ってきてるんですよ、
ポイントが。
ポイントというかエピソードというかボケというか。
はいはい。
僕は何個くらいそれを想定して、
このうちどれがあらかじめ想定してたのか。
どれが一個偶発的に出てきてもらうかなとか、
すごい気に入って、
選択しながら読んじゃったんですよ。
あんまりそんな真剣に考えても、
あんまり出てこないと思う。
だってこれはすごいですよ。
真剣に読んでてもそんなあるかな。
いや、ステージに一回は必ず出てくる。
飽きさせない。
本当に僕にとってはこれはステージなので、
マイク1個もので語っている漫談誌みたいなイメージなので、
本当に話し上手な人の話を聞いている。
なんですね。
なんか、
タンカとか作るじゃないですか。
タンカとか作って、
いろいろどうなんですかって聞かれるんだけど、
結構、
即興性というか、
読む人が読むのが自由なんだけど、
意外とそこまで考えてないみたいなことも、
ざらにあるんで、
1:15:02
本当、
できたらこうだったみたいなところがあるかな。
ポイントを、
でも3つくらいかな、考えてたのは。
3つ?
これだけでよ、みたいな。
そうですね。
ちょっと過去のエピソードとかも入ったりするけど、
でも本当3つか4つくらい決めといて、
そこ繋いでいってるみたいな書き方ですね。
僕が見ただけでも倍はある。
本当に?
本当?
倍あります?
6倍あります。
ちょっとなんか、
気になってるのは、
岸上さん、例えば今から、
10分間一人で喋ってくださいって言われて、
この文章に書いてるようなスタイルで、
ずっと喋れる感覚ありますか?
いや、喋れると思いますよ。
喋れると思うけど、
この、
喋ってるのとはまた違う文章だからやっぱり、
あれだけど、
エピソードだけならいけますね。
文体、喋りをそのまま文章に押し付けることは絶対できない。
けど、
そこは頭で書いてるっていうイメージがあるんで、
意外と喋ってる、書いてるイメージなんですけどね。
うん、なるほど。
エピソードは全然喋れると思うけど、
じゃあこの文体で書けるかって言ったら、
喋れるかって言ったら喋れない。
なるほど、面白いですね。
読んでるとやっぱりどっちかっていう、
語りかける感じの口調に、
確かに読むんだけど、
実際にこの口調で喋ってる人はあったことねえなみたいなのも、
あったりするから、
割とだからフィクショナルな身振りとしての語り方なんですよね、
この書き方が。
だから、なんかその、
ちらっとさっき何かの話で作中したいみたいなことが出てきてたと思うんですけど、
一番この岸並さんのこの書き方が、
一番これ、誰っていう感じが一番あった感じがするんですよね。
このここに書かれてる僕って、
誰のことなんだろう、
岸並さんこういう喋り方しねえじゃんっていうことも考えたりすると。
だからそれこそだからこの、
レンドというか、
一つのその作品としての寝られ具合とかで言うと、
それこそいおりさんの文章とかが一番こう、
高いとは思うんですけど、
とはいえ割とこの作中したいと書きてとっていうところの距離感が、
1:18:01
とはいえ近く、
そごなくあんまり読める、安心して読める感じがあって、
なんか一番この岸並さんの
文章が読んでて、そういう意味では不安になるんですよ。
この語り手は誰だって。
確かにこれ急に急に現れて、
急にこの話始められたら割と怖い。
そうなんですよ。
結構こう、こんぐらいの距離感。
近い近い。
そういう不気味さもあるなって思いながら。
面白い。
なんかちょっと階段を語るようなテイストでもあります。
そういう意味だから、ものすごい怖いオチが待ってて。
おかしくないですよね。
最後の段落で何か。
確かにそうです。
ちょっと後ろを振り返ってみてください。
近海になってもおかしくないように。
たもりと一緒ですよね。次はあなたかもしれません。
そうですね。
自分の中に何種類かあるんですよ、スタイルが。
その中の一つですね、
その中の一つの僕ですね、これは。
なんか真剣にバカな話をするやつみたいな。
そういう感じの。
この抗議バージョンは、
そのノートのやつの時の僕が出てくる。
それこそ岸上さんは、
ラテンアメリカ系の文学を好きだから、
そういう系譜もあるのかなっていう感じ。
なんかその饒舌な、
自画自賛な饒舌さみたいな、
一人称小説の饒舌さみたいなものを、
日本語ネイティブで落ち込んでいくと、
それこそ赤羽とか上野で昼間から飲んでたら、
急に目も合っていないのに、
突然すごい近距離で話しかけてくるおじさんみたいな、
怖さが宿るんだなっていうのが、
面白かった。
すごく面白かった。
なっていう風に読んでました。
一番その編集で一番取りまとめ、
場を取りまとめる人が一番こう、
のびのびと暴れ回ってる感じに見える文章を
こう書いていくっていうのも、
結構こう、この本の広いところだなっていうか、
表のいいところだなって思います。
岸上さんの文章があるから、
なんかこう幅が広くなってる感じが
すごいなって思いましたね。
若干だから、
あと書きないとヤバいなって思ったのが、
自分の作品があるからかもしれないですね。
あと書きつけとかないと、
なんでこんな本作ったんだよ、こいつ。
面白いな。
1:21:02
頭おかしいやつみたいになっても困るっていうのが、
あと書きの調整してるところある。
なるほど。
そう言いつつも、この岸上さんの文章があるからこそ、
最後、僕にバトンがちゃんと
渡してもらえたなっていう
気持ちもあって、
そうですね、岸上さんのこの文章ないまま
僕の最後の
文章に入っていくと、
すごい僕の文章に友達がいない感じが
来たりとか。
間違いない。
この原稿の中、どれとも連続性を持てない。
終わっちゃいそうだ感じがするから、
すごい岸上さんの文章で
寄って
お前もこっち来いよって言ってもらえた感じの中で、
この文章が始められてよかったなっていうのを
読んでいって思いましたね。
なら良かったですね。
マッチウォーターとは何かっていうのを
それを読んでもらう感じになった。
そうですね、その謎を前に繰り広げていくっていう話になった。
マッチウォーターとはっていうところを
何かちょっとで文学性を感じた方は
ぜひ手に取って
明らかにしてほしいですね。
本当に。
じゃあ最後は柿内さんのかな。
一応自分がホストって言ってたときは
自分のやつの話やりづらいですね。
でもこれ、柿内さんって
文学界にもエッセイを
このタイミングで
これよりちょっと前じゃないですか。
そうです。
このタイミングで
これよりちょっと前じゃないですか。
そうですね。
本当に来たときに
あの文章とこれを
比較してみたいな
そういう楽しみ方が自分はあって
でも本当にこの読書の感覚は好きですよね、自分は。
良いの来たなっていうのが
先ほども話したんですけど最初に原稿来て
良いのが来たなって思ったけど
戦闘向きじゃないなっていう
トップバッター向きじゃないなと思ったけど
本当に取りとしては
自分の中ではめちゃめちゃ良いと思ってます。
それだったら良かったです。
なんか僕はさっきも
これ録音前かもしれないけど
柿内さんから提示された締め切りの1ヶ月ぐらい前に
もうすでにこの原稿をお渡ししているので
多分一番乗りだったと思うんですけど
1:24:02
この原稿がある意味
その読書のお供みたいなのあんまり僕ないっすねみたいな
ある意味文章をこう書いて渡しちゃってるので
こうなんか
柿内さんからするとなんだお前ってなるだろうなって
いうのはちょっと薄々思いながら
これで書いて出しちゃったんですけど
うん。
でも結構
来たお題に対して
ギリギリまで答えないでいられるかみたいなのは
考えちゃうんですよね。
だから
柿内さんにそれはさすがにって言われる
ギリギリのところを狙おうみたいな気持ちで
書きました。
確かにこれだって
食べ物と録書は一緒にできないって言ってますね。
お題を否定してますからね。
そうなんですよ。
喧嘩言ってんのかっていう話ですよね。
わかりますね。
食べ物と録書は一緒にできないですよね。
できないですよね。
結構たこさんが冒頭に書いてるところで
ちゃんとお題に沿いつつも
味が強すぎるとどうのみたいなところで
書いていただいてるからちょっと結構ほっとして
話をしてて
一人じゃなかったって思いながら
私は結構食べながら読むの好きですね。
耳使うのはできないです。
確かにそこどうですかね。
たこさんと柿内さんはあんまり食べるのを
平行でできないと。
そうですね。
コーヒー飲んだりとか
あんまり味がしないものを食べたりとかはいいですけど
本当に食べたりしながらは
ちょっとできない。
大丈夫かなこのアトロジー。
自分はあれだけど
歩きながら聞きながら筋トレしながら
本を読む。
コーヒー飲んでもできてるし。
確かにちょっと
その根本そもそものところを
取り直してみたいです。
なんかいろんな期間で
いろんなことを
分けてやってるっていう感覚をすごい
わかりますね。
たこさんの小説にもそれが
1:27:02
入浸されてますけど
感覚が独立してるんですよね。
僕がちょっと違うあれになるんですけど
文芸ファイトクラブ2で
2回戦で書いたやつも
いろんな体についてるものが独立して
主体的に動いてるっていうのが
入ったんですけど
その時もこういう感覚
いろんな部品
体の部品が
違うことを考えながら
同じ時間で違うことを考えてるってことが
感覚として分かるっていう感じで
読みましたね。
面白そうですね。
どこかで読めるんですか?
ネットで読めます。
後で調べてみますね。
本当に読書の音もって
パッと聞きすごい分かりやすいテーマに
思えながらも
わりと根本のところからスタンスが全然違うんだな
っていうのが面白かったですね。
エッセイとかって最初から最後まで
わりとテイストが似てるみたいなのも
全然ダメにあるじゃないですか。
そういう中ではちょっと異質な
エッセイアンソールになってるんじゃないかなって
気はしますよね。
でも綺麗に決まってるとこは決まってる。
奈良原さんとちょっと話したけど
目次のタコさんの読書する体のための調律から始まって
かけないさんの読書の感覚で
なんか綺麗に
決まってる感じもちょっとあって
面白いところもあるし
変にそういうところもあるしみたいな
なんかよくわからないものになってていいなって
思いました。
この分量でこれだけいろんな側面があるの
本当に面白いですよね。
お得ですよね。
みんなが違うことをやってるじゃないですか。
ちなみさんは
シとかタンカだし
奈良原さんは小説だけど
そもそもテイストが全然違ったり
澤岡さんに至ってはサブレ作ってる
書きないさんは普段は小説は書かない?
普段僕は小説は書かないですね。
それこそやっぱり風景描写ができないので
それこそ
具体的な動作のデッサンみたいなのが
1:30:01
できないと
運動を書けなかったら小説は書けないなと
今は書いてないです。
それともみんな違うスタイルの人なんで
面白いですよね。
こんなバラバラな絵師
アンサラシー
全然それぞれ
売りやすい本ってあるじゃないですか。
それこそ読書本も割と
そこそこ売れそうだし
食べ物に関しての
エッセイ集とかも
売れそうじゃないですか。
それ2つ合わせたらめちゃくちゃ売れそうな本になりそうなのに
全然
都合のいい分かりやすそうな
ご飯が売れそうなのが
食べ物が美味しい
読書が楽しいみたいなところに
全く収まらない
全然みんな好き勝手なことやってるっていう
ものが出来上がってるところに
僕は効果を持ってます。
どこに置いたらいいか分かんない本ですね。
そうなんですよ。
テーマだけ見るとすごい売りやすそうな本なのに
下を開けてみたら
なんだこれはっていうのができてるのが
すごい楽しいなって思います。
よく分かんないものが読みたい人にも
特におすすめですし
人に読んでほしいですね。
というようなことを思っております。
一応ちょっと
ざっと全体もできたので録音としては
ご紹介しちゃおうかなと思います。
結構長くやっちゃったかな。
というわけで岸上隆さんが編集された
読書のお供をぜひぜひ
よろしくお願いいたします。
本屋さんあるんでよろしくお願いします。
本屋さんで売れるようになったら
またツイッターとかでもお知らせできると思います。
どんどん出していきたいと思います。
それではコイエティブラジオ
岸上隆さんと
稲さんです。
もう一回一人ずつ言っておきましょうか。
私が来ない称号と
海のダコと
奈良原井よりと
岸上隆でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。