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2021-11-22 38:23

第63回 人生の夕暮れ「夜想曲集」カズオ・イシグロ著

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【今回の紹介本】

■『夜想曲集』カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳

今回紹介するのはカズオ・イシグロの短編集!

5つの短編から2作取り上げます!

人生の夕暮れに直面した主人公たちが奏でる音楽

是非お聴きください!

【番組内で紹介したトピック】

■『夜想曲集』カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳 ハヤカワepi文庫

https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/310063.html

【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

【SNSでご投稿ください】

番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

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どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、
文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。お相手は、私小説が好きなダイチと羊を巡るカフェのミエの二人でお送りします。
文学のトラではない二人ですが、東京と京都を繋いで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
番組概要欄に詳細情報を記載しているので、初めてお聞きになる方などそちらを見ていただけるとありがたいです。
本編入る前に1点お知らせがございます。この度、文学ラジオ空飛び猫たちのしおりが出来上がりました。
ちょっとオシャレな可愛いやつが出来たので、これを今後配っていきたいと思っております。
この配信が11月22日なんですが、11月23日東京の文学フリマにて、私が1時ぐらいからノーベル文学賞を見守る会のブースで配りたいと思っていますので、
もし東京近郊にいらっしゃる方、もしくは文学フリマにいらっしゃる方が配っていますので、ぜひそのブースに来ていただければ渡しますので来ていただければなと思います。
他のリスナーの方々にどうお届けしていくかは、今後考えていこうと思っていますので、お楽しみにしていただければなと思います。
今回はカズオイシグロの作品を紹介したいと思っています。これはクララとお日様以来2冊目になりますね。
短編集の野草曲集をお届けしたいと思っています。
これまでSFとかファンタジーが続いていたので、そろそろ純文学にしたいというところで、なおかつ長編がちょっときついので、短編でいいものないかなというところでのカズオイシグロさんの短編集ですね。
私もいつぞや手に入れてて、みなさんとこれいつか紹介しようという話をしてたら、今年の初めですかね。まさか今年中に実現するとは思ってなかったんですけど。
でもいいタイミングだと思います。
そうですね。読んだのが結構昔で、確か数年前に一度読んでいて、すごい面白かったという印象があって、内容とか忘れていたので、読み直すいい機会になりました。
じゃあ、署名いっちゃいましょうか。
今回紹介するのはカズオイシグロさんの野草曲集になります。土屋雅夫さん役で、早川エピ文法から2011年に出版されています。
私の方からあらすじを。
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見たアメリカの大物シンガーとその妻の絆とは、ほろ苦い出会いと別れを描いた老歌手をはじめ、
うがつの上がらない作奏者が一流ホテルの特別会でセレブリッジと過ごす数夜を回奏する野草曲など、音楽をテーマにした5編を収録。
人生の夕暮れに直面して心揺らす人々の姿を切なくユーモラスに描き出した物価小作家の初の短編集となってますね。
この時はまだノーベル文学賞取ってないか。
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そうですね。
でもね、加藤石黒さんってすごくこの時には有名で。
でも初めて短編集を出されたのかな。それが話題になったのかなと思うんですね。
私を話さないでの後に書いてあるこれってことですね。
この短編集、さっきのあらすじの中でテーマが音楽だったんですけども、
この話題にも音楽と夕暮れを巡る5つの物語が書いてありまして、
5つの短編には音楽のモチーフと、あと夕暮れというのが人生の夕暮れですね。
というのに直面する人々の姿というのを描いている。
そういった作品になっています。
加藤石黒さん自体、若い頃ミュージシャンを目指していたというのもあって、
結構ね、そういう音楽というところが作品に影響を与えているみたいですね。
なるほど。
時代背景としては、現代なんですけど、
ベルリンの壁崩壊から9.11、主には1990年代というところになってくるかと思います。
5つの短編集なんですけど、今回ラジオで紹介しているのは、
その中から2作、ローカストーリーやソークをこれから話していきたいと思います。
その2作入る前に、この短編集の魅力のようなところをお伝えできたらなと思っています。
まずですね、私を話さないで、ひろがおり、ふららとおきさまの3作は読んでいるんですけど、
他の作品にも確かにあるんですけど、この作品から感じたのは結構ユーモアな部分は大きかったかなと思いますね。
笑い話みたいなのは結構わかりやすく入ってたりとかしたので、
他の展でも読みやすいんですけど、結構読みやすさを生んでいたなというところと、
あとやっぱり文章がテンポがいい。サクサク読めるというところがありましたね。
ちょっとカズオ石黒さんの長編とは違った趣というか、文体なのかなと思います。
で、登場人物はさっきのみえさんの話にもあった通り、人生の夕暮れ。
これから終わりに向かっていくというか、最後の時間に向かっていく直前という感じで、
結構切ない部分があるんですけれども、それもさっき話したユーモアがちょっと出てくるので、
結構面白く読める部分も多いなという作品集です。
やっぱり初めてカズオ石黒さんを読むにはおすすめなんじゃないかなと私は思いました。
そうですね。作品によっては本当にコメディに振り切っている作品とかもあって、
カズオ石黒さんこんなに面白いんだって。ちょっと驚きながら読めるものもあったりするんで。
私を離さないから考えるとだいぶいいですよね。
重さがないわけじゃないんだけど、ああいう命みたいな重さがなくて、手に取りやすいかなと思います。
やっぱり読んでいくといろいろ考えさせられることが多いというのも特徴かなと思うので。
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そういう意味では今回一つが才能ですね。
特に音楽家がたくさん出てくるんですけど、やはり成功している音楽家と売れない音楽家がいて、
その間には才能の差というのはあるんだろうかと。
結構その辺が小説の中でも触れられたりしていて、そこで才能についても考えさせられるというところはあるんですけど、
本当に成功するのに才能というのが果たしてどれだけ重要なんだろう。そういったところとか書かれているのかなと思いますね。
他に小説の良しというところでは、次元生の夕暮れに直面した人々というのが出てくるんですけども、
そういった人の描き方がすごくいいなと思っています。
作品に登場する音楽家というのも多いのが本当に若い時に成功を夢見ていた人たちで、
才能もある人たちなんですけど、ただ思っていたような成功というところまでは実現せずに、
今を迎えている人生の夕暮れに直面しようとしている。
そういう人たちが今どう生きていて、この先どう生きようとしているのかというところが描かれていて、
そういったところを読めるというのは本当にこの短編集の醍醐味かなと思っています。
本当そうですね。才能というところと、上手くいかないという状況で苦しんでいる方々というのは描かれているので、
そういう姿は共感してしまうところも多くて、その中で夢を打ちましたね。
あと私が今回読んで感じたのは、和尚石黒さんが一貫して持っているテーマというのも、
やっぱりここにもこの作品にも現れているなと思っていて、
和尚石黒さんっておそらくアイデンティティというものを、自分とは何かというところにテーマを置いて描いている作品が多いんじゃないかなと個人的には思っていて、
今回もですね、やっぱりこの後話しますけど、この老歌手を置いてスター性を失っていった老歌手は、
かつての輝きというか、自分が持っていたものに固執しているし、その後話す野草曲の方では、
ブレダイサックス奏者っていうのはプライドに固執しているのかなみたいなところもあって、
自分を保ってくれているものっていうものに対して固執する人たちが多い。
それを持っていた時ということを何というか思い出したりするっていうところがあって、
これは日の名残りとか、私を離さないで、クララとお日様にも通じているところでもあるなと私はちょっと読んで思いました。
音楽だけが全てじゃないとは思いますし、そこから人生とは何だろう、人間って何だろうって結構変われているような気がしましたね。
多分パズー石黒さんが持っているテーマなんでしょうね。
じゃあちょっとそのところで具体的に2作紹介していきましょうか。
じゃあちょっと老歌手を私の方からあらつきをお伝えしたいと思います。
この老歌手はベネチアでギター弾きとして活動しているヤネクという男が主人公です。
彼は旧共産圏の出身で、いくつかのカフェでバンドをしながら掛け持ちして生計を立てています。
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ある春の日、ヤネクの憧れの歌手トニー・ガードナーが広場で客で来ているのを見つけて、これは思わず声をかけてしまったというところからこの話が始まります。
このトニー・ガードナーという人物なんですけれども、60年代スターになったアメリカの歌手で、このヤネクの母が大ファンで子供の頃からいつも聴いていました。
ヤネクも一緒に聴いていたという思い出がある歌手でございます。
ヤネクから声をかけられたガードナーは予想に反して親しく会話に付き合ってくれて、その妻であるリンディ・ガーディナーがやってきまして、
このガードナー夫妻はその時立ち去るんですけれども、帰り際ヤネクにガードナーはある頼み事をします。
ちょっと後で話しますが、元々今回ガードナー夫妻はベネチンに来たのはハネムーン以来、27年ぶりという特別な旅行でした。
ガードナーはこの夜、ゴンドラに乗って二人が泊まっているホテルの窓の下に現れて、
ゴンドラの上から妻リンデのためにスレナーデを歌いたいという計画を考えていました。
そのためには演奏が必要なので、このヤネクに演奏を頼めないかと依頼したという流れになっています。
ヤネクは憧れのガードナーからそんな依頼をされたので、もちろん喜んで引き受けます。
しかもこの60歳の男と50歳の女性の夢のような計画をめちゃめちゃいいなと思って引き受けました。
いざ夜になって待ち合わせ場所に行くと、ガードナーの雰囲気が明らかに重くて、あんまりロマンチックな感じじゃなかったんですね。
ゴンドラに乗って目的地に向かう間に、ヤネクはガードナーからリンデとどういう経緯で結婚したのかということを聞くされます。
ゴンドラが2人の部屋の下に着くと、ガードナーはリンデに呼びかけてリンデが姿を現します。
ヤネクの演奏と共にガードナーはリンデに昔の思い出の歌を歌いだします。
ガードナーが何曲か歌うとリンデは部屋に消えていき、部屋の中から彼女のすすり泣く声が聞こえてきました。
演奏が終わるとガードナーはリンデがなぜ泣いたかということを伝えます。
実はこのイタリアの旅行が、このベニセの旅行が27年間の結婚生活の最後の旅行だったということを告げられます。
ヤネクは仲の良い夫婦が別れるのは納得いかない。
でもガードナーは我々2人が別れるというのは今お互いにとって必要なことだと話します。
ガードナーはヤネクに礼を言って別れるというところでこのお話は終わります。
すごくいい小説なんですけど、読んでるとしっとりとした感じで、本当に大人な小説だなと思って読んでいて、
舞台がベネチアっていうのもいいですよね。
めっちゃいいよね。
設定がすごく良くて、ゴンドラに乗ってホテルの窓の下に現れて、奥さんに向かってセレナーデを歌うという歌手という、すごいロマンチックな設定だなと思って。
12:00
だけどそれが別れ話だったというのは、かぞり仕事だなというところではあるんですけど。
そうですよね。決してモロマンだけではないというか、そういうちょっと哀愁あるところっていうのがすごく良くて。
あとでもやっぱり良かったのはガードナーが奥さんの倫理を、お互いがお互いのことを本当によく理解しているんだなというのを読んでて感じて、
別れの話なんですけど、ただそれが悲しいとか切ないだけじゃなくて、結構明るい部分っていうのを感じれて、この辺はさすがというか、良いと思ったんですよね。
元々ガードナーと倫理って、倫理が自分がガードナーの立場を使って乗せ上がりたいみたいな気持ちから、良い生活を送るというか、そんな感じのところから、
自分の夢を叶える手段としての結婚だったので、初めは全く愛がなかったんですけども、一緒に過ごしていくうちにどうやら愛が生まれたようで、
お互いを結構大切にしているという状況になったのにも関わらず、ガードナーはこの先自分が進むために倫理と別れるという決断をしていて、
感情の流れはわかるし、状況もわかるんですけど、それなのに今の幸せを手放して、他のところに行くっていうのは、なかなかガードナーも自分に縛られてしまってるなと思っていて、
これは結構、この書かれたのはちょっと前ですけど、現代の闇だなと、個人的にはちょっと感じましたね。
でも読んでると、倫理もガードナーも、多分人生の最終からそれを選んでるっていう感じですよね。
ガードナーね、昔スターですけど、今はちょっと限りが出ていて、もう一回カムバックしたいと。
そこにやっぱり変化しないといけないというか、打って出ないといけない。そのために必要なことだという感じがします。
倫理についてちょっと補足すると、もともとアメリカの田舎、ミネストタッシュで生まれ育ったんですけど、セレブを夢見て、ハリウッドスターとかがいるカリフォルニアに若い時にやってきて、
そこでそういうスターと結婚しようと思って、ウェイレットレスをしながら、日々仲間と一緒に切磋琢磨、婚活みたいなことをやっていくわけですけど、
そこで最初、ある歌手と結婚できて、セレブの仲間入りをするんですけど、その歌手がちょっと人気が落ちてきたというタイミングで、倫理はガードナーと出会って、
一回離婚して、今度はガードナーと結婚するという、そういう経緯があったんですけども、倫理は自分で選んだ道をずっと生きているんですよね。
自分はこうありたい、こういう人生を生きていて、すごい本当にたくましい女性で、2人ともこの先の未来っていうところには明るいところがあるんじゃないかなって、
確かにでもちょっと現代らしいのかなって思ったりもしますね。
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あと印象的だったのが、これも読んでいてよかったところなんですけど、主人公のヤネクですね、旧共産圏出身で、今ベネチャーにいるんですけど、
故郷があって、そこで少年時代であったり、あとお母さんの姿ですね、それをガードナーを通して回想していく、思い出していくというのがあって、
そこのところその描写があって、ヤネクの人物像がかまっているというのがあって、そこの描き方もすごい好きだったんですけども、
あとちょっと印象的だったのは、小説の最後でガードナーがヤネクのお母さんに向かって、君の母上は出ていけなかった人なんだというテリフがあって、
これがガードナーとリンギは別れるという、これがある意味今の腹を破って出ていくという、ちょっと厳しい状況になるかもしれないけど、
でも変化していかないといけないんだと思って、外に出ていくという、そういう人生を歩んでいる人たちなんですけど、
ただヤネクのお母さんは自分の国から出ていくことをしなかったという、出ていけなかった人なんだという、ここは通列にガードナーが言って、ちょっと心に残るようなシーンでしたね。
なんか個人的な感覚ですけど、ここは明らかにガードナーの自分の正当化がちょっと見えたなと思ってて、このヤネクのお母さんとガードナーの状況が全く違うと思うんですよ。
なのに、お母さんは出ていけなかった人で、自分は出ていける人なんだっていうことを言ってて、これも自分の方が正しいということを自分に言い聞かせるポイントだなと思ってて。
そうですね。自分というのはガードナーとリンギですね。
そうですよね。ちょっと嫌だなと思いました。
ガードナーもヤネクのお母さんのことはすごい認めていて、本当に立派な人だっていうのを褒めてるんですけど、ただヤネクがなんでガードナーとリンギが仲いいのに別れないといけないんだって理解していないっていうところで、ちょっと対比で言ったんですよね。
自分たちはこうだけど、でも君のお母さんの場合はこうだ。
でもここは読んでて、ちょっとああって思いました。
あと同時に、こういうセリフを作れるカズオ・ヒシゴロスってすごいなっていう。
これはね、結構すごいと思いました。この小説、こういう突然ズバッと言うところがあって。
他の歌詞でもあるんですけど、こういうのを蹴るっていう、しかもそれがちょっと心に残ってくるんで、カズオ・ヒシゴロスすごいですね。
すごいよね。
悲しい話ではあるんですけれども、この主人公のヤネクにとって、ガードナーは他の方々から見るともう落ち目のスターというか落ち目の人物っていう形で捉えられてるっぽいんですけど、
ヤネクにとってはいつまでも偉大な人っていうちょっとあり方をしてて、そういうのはなんか結構個人的にはすごくいいなと思って。
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ヤネクも自分が憧れてたというか、憧れてたか、憧れてた人に出会ってその人と何かをできてっていうのはなかなかないものだなと思うので、
そういう経験を通して見せてくるっていうのがやっぱりうまいなと個人的には思いますね。
そうですね。ヤネクにとってこの人生経験って何だろうって思いますし、なんか本当にいいですね。
こういう人生の本当にちょっとした一瞬かもしれないんですけど、それは人生の中でヤネクにとってすごく大事なことだったと思いますし、
多分ヤネクもこの先生きていく上で、この一瞬のここからすごく影響を受けて生きるんだろうなと思います。
そこにやっぱりガードナーの偉大さというか、なんかそれが今までは聞いていた曲であったのがガードナーという人と関わった時に、
ヤネクもちょっと何か変化というか変わるかもしれないなっていう、そういうちょっと予兆みたいなものを感じたりします。
じゃあちょっとこの辺にしときましょう。
ローカシュー、いやローカシューめっちゃいい曲だった。
では次に紹介するのが野草曲ですね。先ほどのローカシューに続いてなんですけど、実はリンディガードナーが登場するという作品になっていて、
さっきのローカシューに比べるとこの野草曲はすごくコメディな内容になっていて、面白おかしく読めるものかなと思っています。
どういう話かというと、主人公は才能もあるのに売れないサックス奏者のスティーブですね。
そのスティーブがマネージャーに裾を抜かされて顔面成形を受けるというお話なんですけれども、
このスティーブ、ちょっと奥さんとの関係もうまくいっていないという状況があって、奥さんとの関係も修復したいという思いもあって、
スティーブは成形とかしたくないと思ったんですけど、奥さんとの事情というのも考えて成形をすることになっています。
しかも奥さんがなかなかできる人というか、成形ってすごくお金がかかって、一般人にはなかなかできないんですけど、奥さんが手配をしてくれて、
スティーブは本当にすごく有名な一流の成形外科の先生に手術をしてもらって、
その人はなかなか泊まれないような高級ホテルに泊まって入院する、そういう人になります。
実はスティーブが入院しているホテルの隣の部屋には、同じく成形手術を受けたばかりで入院しているリンディガーデンがいました。
さっきの農家誌に出ていたリンディガーデンが、今度は成形を受けたばかりで入院しているという状況で登場しています。
スティーブはこれまでゴシップで名声を得てきたリンディに対して、良い印象というのは持っていなかったです。
どちらかというと見下したような思いというのは持っていたんですけども、しかも最近リンディはポニーガードナーと離婚したばかりでニュースになっているので、
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ただ入院生活というのは結構退屈なもので、しばらくするとスティーブの元にリンディからお茶のお注いがあります。
そういう話し相手をしてほしいということで、そこからスティーブはもちろんリンディと会って喋るというのはピラゴメンだと思っていたんですけども、
ただマネージャーであったり、そういう業界の有名人と知り合っておくと後々メジャーになれる、何かきっかけになるかもしれない。
そういったところでスティーブは渋々なんですけども、リンディと会って話をしていくと。
これが一回だけじゃなくて何度か会うようになっていて、リンディもスティーブのことに興味を持っていて、
スティーブの演奏が入ったCDを聴かせてほしいと言って、それを聴いて、実際スティーブっていうのがすごく才能のあるサックス奏者で、
リンディがその才能を認めたりするという、そういう二人もあったりします。
これもちょっと面白いところが、リンディが結構自由気ままの性格で、スティーブも最初はイヤイヤ会いに行くんですけど、
何とかんだ会うとリンディのペースに引き込まれて、だんだん二人も仲良くなっていくという見込みが出るということで、
ある夜ですね、実はこの二人が泊まっているホテルで、ジャズの年本最優秀、ジャズインジサン賞というですね、受賞式が行われるということになっていて、
リンディが日課でホテルの中をうろうろ散歩すると言っていたんですけども、その受賞式で使われるトロフィーを偶然見つけてしまって、
リンディが受賞するはずだったミュージシャンよりもスティーブの方がもらうのがふさわしいと言って、このトロフィーをスティーブに渡してしまいます。
ただスティーブは、もしこれトロフィーに潜んだというのがバレると、スキャンダルになってしまって、この先が全て終わってしまうということで、
慌ててリンディと一緒に元の場所にトロフィーを返しに行こうと言って、ここでちょっとした二人でホテルの中を冒険したりします。
これは結構コメディ要素の強いところで、途中で警備員に見つかったりするんですけど、この辺をリンディが臨境編に実行して、無事トロフィーを戻して部屋にまた戻ってくるという、
これちょっと夜の出来事なんですけど、一夜のちょっとした二人の冒険というのがあって、最後リンディは本当スティーブのことを認めていて、才能あるから必ずメジャーになれると断言して、
ただスティーブはちょっと自分に自信がないというか、自分が売れるという、メジャーになれるというのは夢にも思えない。
でもリンディは断言するぐらい自分のことを認めてくれると、これはどういうことなんだろうと思ったんです。ただし一夜を過ぎてから退院するんですけど、
24:02
そうなるとスティーブとリンディというのも会うこともなくなって、そこでスティーブは考えます。
その成形を受けたのが、もともと売れないサックス奏者というところからメジャーになりたいという、そういうマネージャーの思惑、もちろん自分の思惑でもあるんですけど、
そういうのがあって手術を受けたものの、これは人生のペンキのようなことだ、本当に自分はメジャーになれるんだろう、リンディが言っていたことというのは正しいことだったんだろうというのを考えて終わるという、そういう小説ですね。
テーマもありつつ、ドタバタコメディーがですよね。
そうですよね。特にトルフィーを返しに行くというところは結構ドタバタで、リンディがこの小説が良い味を出していて、
芸能人というのをわがままというか世間知らずというか、そういうところが良い感じに出ていて、結構スティーブを振り回してしまうという、その展開が良いですよね。
ローカーショーの時は結構大人しい方なのかなという印象があったんですけど、これ同一人物かと思うくらいアクティブですよね。
ちょっと私でもこの話で面白いなと思ったのは、そんなリンディが別れたガードラーのCDを聴いているシーンとかって、さっき話したローカーショーの話が結構生きてきて、
やっぱ好きなんだなっていうのが離れたくなかったんだなみたいな垣間見えで、ちょっとそこがいいスパイスになったかなと思いますね。
本当にリンディの人間性ってよく出てるなと思いましたし、そのガードラーのCD聴くのに。
リンディがスティーブを認めるところを、スティーブの演奏を聴いて、リンディは最初ちょっと不機嫌になるんですけども、それが才能に嫉妬していたんですね。
でもその後素直にスティーブの才能があるっていうところを認めて接するようになっていったんですけども、
最初相手になった以上に才能があるというところで、ちょっと機嫌になってしまうということかも。
だからリンディらしいというか、人らしいというところに出てるなと。
結構今回の小説では、リンディがいろんな人性組みというか、そういったことをスティーブに教えていて、
さっきの小説だと、老化死の歌とガードナーがヤネクに人生とは何かみたいなものを教えていたと思うんですけど、
今回はリンディがスティーブに教える側になっていて、その中で印象的だったセリフが、
人生は一人の人を愛せるよりも大きいということを最後の方で言っていて、
これも本当リンディの立場かなと思うんですけども、一人愛せるよりももっと自分はやるべきことがあるというか、やれることがあるという、
そういったのがすごく現れていて、これもさっきの老化死に通じることなんですけど、やっぱり出ていくという感覚ですね。
27:01
リンディすごく綺麗な女性なんで、果たして整形とかする必要ってあるんだろうって思われていたと思うんですけど、
リンディにとってそうやってやっぱり殻を破って出ていくというところが本当はやらないといけないことだというのをすごく理解していて、
おそらくそういったことをリンディとスティーブにとっていいと。
この二人ってリンディとスティーブの共通点っていうのは包帯をしていて、顔に。
要は人生の再出発の前っていう状況だと思うんですよ。この感じが結構いいなと思って。
さっきの老化死のガードナーもそうだったし、これが表題作野草曲集になってますけど、表題作に近い名前が与えられているこの短編に、
この再出発前っていうのがすごく出てるなと思ってて、ちょっと私はいいなと思いましたね。
そうですね。最後に読み終わって、スティーブが果たしてリンディのように出発していくことができるのかどうなのかというところを問い合わせて、
それもスティーブって自分に自信がなくて、そういうメンタリティだったと思うんですけど、
リンディと出会ったときに何かその辺のメンタリティの変化っていうのが起きたんだろうかどうなのかというところが気になりました。
見せずに終わるからいいですよね。
そうそう。どっちかというとね、最後はちょっと半信半疑というか、悩みつつ終わったというところだったので、
ここからはですね、この短編集のテーマの一つでもある才能というところに続いて大地さんと話をしていけたらなと思っていまして、
このね、さっき話していた野草曲っていうのは、結構顕著に才能があるだけではメジャーになれないというようなことを作中の中で言っていたりして、
果たしてその才能って何だろうとかですね、成功するのが果たして全てなのかと思うところはあるんですけど、
そういうのにね、才能ってどれだけ必要なんだろう、才能って一体何だろうっていう話をちょっとしてみてもらったと思うんですけども、
そもそも才能とかについて考えたこととかあります?
いやもう私は常に考えてますもん。常にっていうか、自分の才能って何だろうみたいな。
みなさんどうですか、才能について考えたことはあります?自分の才能と他人の才能。
なんかそうですね、考えていたと思いますね、やっぱり。
一つがアウトプットと一緒なんですけど、文章を書いたりするっていうところ、願望はありつつ全然やってもいないんですけど、
そういうのは自分って才能あるんだろうかっていうのは思いますし、
それが才能あるかもしれないと思うから怖くてやってないのかもしれないですけど、
他にはあんまり才能で考えたことはないです。
これ結構音楽に絡めた話が多いから、この野草曲集の中で言うと、才能って言うと芸術に火入れてるみたいな、
30:04
芸術に対して力があるみたいなイメージが強くて。
だからさっきみなさんが言った分裁ってことですよね。
自分はもっとミニマムに、仕事においての才能とか、そっちを結構考えちゃいますね。
それって交渉であったりとか?
そうですね、コミュニケーション能力の才能が一つだと思います。
それが自分に火入れてる部分と全く足りない部分があるなとか、特性があるなと思ってますね。
自分の才能をまだ自分は掴み切れてないと思います。
僕も今回そこでふと思ったのが、才能ってすごく大事なものだと思うんですけども、
これもし得意・不得意に置き換えた時に、
もちろん仕事でも何でも得意・不得意に分かれてくるのは人それぞれあると思うんですけども、
そんなに拘るようなことなのかなとちょっと思うんですよ。
不得意なものはもう仕方ないし、得意なことをできるだけたくさんできたらそれでいいんじゃないかって思う方なんですけども、
もし仮に才能が得意・不得意で片付けられるものだったら、
人ってそんなに才能にこだわらなくても尋常のあるものを受け止めちゃっていいんじゃないのかなと思えるところがあってですね。
でもこういう音楽であったり文章であったりの才能ってなると、
どうも得意・不得意ってのはイコールで片付けてしまっていいんだろうと思うと考えてしまいます。
この小説の中に出てくる音楽に対して才能を発揮したい方々は、
やっぱり彼らにとって目指すべき姿とか理想の場所があって、
そこにたどり着いていないから、たどり着くために動かなきゃいけない、しなくてはいけないことがあるみたいな感じだと思うので、
それが才能とはまたちょっと違う感じもしますね。
才能があるけれども認められていないという状況じゃないですか。
芸術関係において難しいところだなと。
そうですね。よくスポーツの世界でも言っていますけど、
本当に実力の差って紙一重かもしれなくて、
メジャーな人とちょっとマイナーな人でも紙一重かもしれないし、
それが大きくすると運かもしれないし、運以外のところで差がついているところがあるのかもしれないし。
才能って一緒くたに考えるとめちゃくちゃ難しい領域ですね。
自分の才能って全くわからない。
それは覚えますね。
いい歳してますけど、自分の才能って何なんだろうなって。
本当そうです。
自分を理解しないんだろうなっていう状況ではある。
自分の資格は理解することができないと思うんですけど、
自分の理解が深まってないんだろうなって今感じちゃいましたね。
あとよく成功というところに話を聞くと、
33:02
才能プラスで継続であったり経験であったり、
そういうのの掛け合わせで人が結果を残すかどうか、成功するかどうかってなってくると思うので、
もちろんそういったところで才能も大事かもしれないし、
何か目指すものを持てるかどうかっていうのもまた重要ですよね。
そこに向けて努力できるかどうかっていうところとかも大きいかもしれないし、
そういう環境にいるかどうかっていうのも大きいかもしれないし、
そういったところではこの小説に出てくる倫理とかガードナーっていうのは、
やっぱり努力しようとしてるし、環境を変えようとしてるっていうのはすごく読んでると感じましたね。
スティーブもトイレみたいなコースでずっとサックス吹いてるじゃないですか。
あれもすごい才能に対しての努力だなってちょっと思いますし。
そうですね。でもやっぱり倫理とかから言わせると、
そこだけじゃなくて思い切っても人がいるところに怒られようが何だろうが、
人前にバンって出て一曲吹けみたいな、やるのはそちらだって。
そういう意味でやっぱり才能をどう伸ばそうかって。
才能を磨くのと目標、理想を達成するっていうのが実は完全な一致ではないのかなと。
もちろん才能を磨くのも大事なことであって、
目標を達成するためには理想を達成するにはさらに他にもやるべきことがあるかもしれない。
そういう意味で言うと、才能ってなんだろうっていうのはよくわかんなくなってる。
強引に定義しなくていいかもしれないけど、
自分の特性、活かせる特性だと思うんですよね。
それはみんな誰が何かしら持ってると思うんですけど、
それがピタッとはまる場所に今いるかいないかっていうのが結構重要なんだなって。
懐かしいなって思いますね。
だから私ちょっと最近よく考えます。何が得意なんだろう、才能があるんだろうって。
あとやっぱりガードナーとか倫理のような、外に出て行って行動するっていうのは、
つい現状維持やっていけないんだなって感じますね。
理想を達成するならっていう話ですけど。
これが変な、別に才能があることがAIってわけじゃないと思うんで。
だからちょっと誤解されないようにちょっと補足すると。
いろんな人がいて、別に全ての人が能力を発揮する必要はない。
発揮できる状態っていうのがベストと思いますけど、
私も発揮せずに日々生きてる人も多いと思うので、私もその一人かもしれないし。
現状楽しければそれでいいんじゃないかって思うタイプではありますし。
それでもいいと思います。
いやでも才能についてあれですね。
真剣に話し出すと、たぶん普通に漫画編一本になりますね。
そうですよね。
最後、感想とどんな人に読んでもらいたいか、お話ししてもらいたいと思います。
36:05
じゃあまず私から。
カズオ石黒さんが持ってるテーマっていうものが、やっぱりこの作品集にも多く見られたなと思っていて。
それはちょっと話しましたけど、アイデンティティと自分とは何者かっていうところがやっぱり描かれてるなと思いました。
短いながらもこんなに彼の作品の魅力を味わうことができるっていうのはいいなと思っていて、すごくおすすめだなと思いました。
長編やっぱりどうしても読むのに時間かかってしまうし、ちょっと軽めに読みたいなっていう人にはおすすめかなと思います。
さっきも話しましたけど、私を離さないでとか、フララとお日様みたいな、結構重い漢字ってのはあんまないので。
なんかはないんですけど、私結構読む前まではちょっと身構えてたんですけど、読んだとき思ったよりも軽妙だったので、すごく読みやすかったので。
カズオ石黒、読んでみたいなって人にはぜひおすすめでございます。
そうですね、この短編集は愛衆があってユーモアもあって大人な短編集だと思いました。
才能の問題とか夫婦の問題とか、いろんなテーマ取り上げられていると思うんですけど、
同時に音楽がすごく作品の中で出ていて、読んでいるとすごく音楽を聴きたくなる。
特にライブでですね、演奏で聴いてみたいなと思いました。
すごく大人な小説なんですけども、ただすごく読みやすいので、おそらく学生さんとかそういった年齢の方でも楽しく読めると思います。
そういった点ではカズオ石黒さん、興味あるけどまだ読んでないという人にはおすすめな一冊かなと思います。
じゃあカズオ石黒の野草曲集、この辺りにしておきましょう。
次回はですね、ジェニー・エルペンベックの行く、行った、行ってしまったという小説を取り上げたいと思います。
ドイツの歌が書いた難民の文学でございます。
ちょっと重そうだなと思っているんですが、かなり面白そうなので楽しみにしていただけたらなと思っております。
番組の完成はリクエスト。またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました。
読み返しましたとございましたら、ハッシュタグさとみ猫たちをつけて教えていただけると大変嬉しいです。
TwitterやインスタのDMや投稿などでお待ちしております。
メッセージ本も番組情報欄に載せておりますので、そちらから直接いただいても大丈夫です。
積極的にたくさん共有していただけると助かります。
ではまた来週。ありがとうございました。
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