00:04
イランにルーツを持つドイツ人のモーナーは、祖母の死をきっかけにイランに戻る。イランとドイツの狭間で揺れ動いていた自身のアイデンティティが、プルシャ語の言葉を通じて描かれる。ナヴァー・エブラーヒーミーの十六の言葉を紹介します。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私大地と三枝の二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を、時には熱く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ナヴァー・エブラーヒーミーさんの十六の言葉になります。坂より新一さん役で、こまい組から2023年に出版されています。
こちらですね、海外文学好きの中ではかなり話題だったイメージがありまして、ちょっと後で話すかもしれないですけど、こまい組という出版社になるのかな?
一人出版社ですね。
第一弾観光作品になるのかな?ということで話題でしたね。
で、表紙もすごいおしゃれで印象に残る表紙で、書店なんかで見てもだいぶ気にはなってました。
なのでこのタイミングでちょっと読めてよかったなってところと、あとこの外側じゃなくてですね、中身のところでちょっと触れていくとですね、
イランからドイツに移民した作家による作品なんですね。女性なんですけれどものデビュー作となっています。
生まれてあまりイランにおらず、ドイツの方に移住した人なんですけれども、このイランにルーツがありながら、イランにもアイデンティティがあるのかないのかみたいなところがですね、
結構ちょっと揺れる方なんじゃないかなと思っていて、そのあたりはおそらくこの作品にも反映されていると思います。
文学作品でこういう作品、移民系って大枠くくっちゃうとあれなんですけども、こういう大きなカテゴリーというかジャンルみたいのがあるなぁと思ってるんですけども、
今回このイランとドイツっていうところで感じたのは、やっぱりある文化からある文化へ二つ行き来している方って、
どちらにも寄りどころがないみたいな部分がありつつも、どちらも客観的にちょっと語るような部分があって、個人的にはこういう作品を読んだ時に入っていきやすいなと思います。この世界観に。
翻訳されたものではあんまりないのかもしれないですけど、例えば日本の作家で読んでて、これ多分海外の人に読んだら全く数字ないんだろうなみたいな本、たまに出会うんですけど、
そういうのとやっぱり真逆で、非常に自分の文化的な国籍的な問題というか、そういうところもどこに寄りどころがあるんだろうみたいなところが描かれている気がするので、たぶんある意味入りやすくなってるなとちょっと思った作品ですね。
03:03
っていうのがこの設定というか、この本の書くにもなっている部分なんですけれども、あと話としてはですね、ストーリーが結構面白くて、だけれどもなんだろう、静かで何とも言えない読み心地でしたね。非常に自分は刺さりました。
僕も結構新鮮に読めてですね、作者の人か若手の方というのもあるかもしれないんですけども、結構主人公がイランで生まれてドイツで育った、どっちかというとドイツの若者みたいな感覚の方が近いかもしれなくてですね、なんかすごくそういう若い人のストーリーというので、なんか今風の小説かなっていうのもですね、ちょっと感じてですね、すごく面白かったですね。
主人公がイランとドイツの狭間にいるような人で、自分はどっちの側なんだっていうところがですね、結構揺れ動いていて、作中の中でイランに行ってまたドイツに戻ってくるっていう、ある意味旅をしている小説ではあるんですけども、その旅の中で感情の揺れ動きであったりがあって、人生をもう一度踏み出せるというかですね、
そういうのが読めてですね、そのあたりのこのストーリーの展開っていうのかな、そういったのもすごく良かったなと思いました。しかもその国同士だけではなくて、家族が抱えている、家族が持っているドラマっていうのも加わってきたり、時代背景的なところもあったり、
あとそれぞれの国の文化とか言葉とかっていうのも作中でやっぱり述べられていくんで、すごくなんか読んでいると広がりを感じる小説だなと思いました。300ページないんですけども、でもですね、読みやすいかなと思うんですけども、でも読んでいくとすごくなんか深み、広がりを感じれて、なんかすごく充実した読法感っていうのがありましたね。
確かにこれ300ページ切ってんだよね。結構、なんというかどっしり。 そう、なんか要素が多いんですよね。単純ではなくて、いろんな要素が混じり合っている小説かなって思います。
なので今日はちょっといろんな話をしていきたいなと思っています。じゃあその前に著者についてちょっとお伝えします。著者のナバー・エブラーヒミーさんなんですけど、彼女はですね、78年、1978年テヘランに生まれます。イランのテヘランに生まれますね。で、その翌年にもう母とともにですね、ドイツに移住しています。
で、ドイツのケルンのジャーナリスト学校に進んで、ケルン大学で経営大学を専攻した後に、ドイツでジャーナリストとして活動を始めます。で、この本はですね、デビュー作になっていて、オーストリア書籍新人賞、モルゲン・シュテルン文学賞、ケルン市書籍賞などを受賞していて、かなりいろんな賞を取った話題の方ですね。現在もいろいろ作品を発表を続けているようで、
06:03
最新作なのかな?が、ドイツ語圏の作家の登竜門の一つ、バッハマン賞を受賞ということで、かなり注目を浴びている若手作家の一人という感じですかね。
なんかあの、やっぱりもともとジャーナリストっていうのがあって、結構なんか作品でも、僕はなんか結構ジャーナリストっぽいなんか書き方というかですね、なんかそういう情報の伝え方というかですね、なんかそういうのが感じれて。
そうだよね、なんか事実ベースみたいなところが入ってきたりするもんね。
そうですね、確かに確かに。
なんか読みやすいし、なんか難しい情報も伝わるような、なんかそういう書き方されているなってちょっと印象として思いましたね。
で、この本を出版されたコマイグミというところがですね、コマイミノルさんという方が立ち上げた一人出版社になりまして、
このコマイミノルさんがですね、もともとは公文社の方で、公文社古典新約ですね、それが2006年から始まっているんですけども、その初代編集長で長らくされていたという方で知られている方になります。
で、僕実は一度ですね、オンラインでコマイグミという名前の読書会がされていてですね。
そうなんだ。
ねこまちクラブの中でなんですけども。
あ、ねこまちか。
そうですね。で、そこ一応参加したことあってですね、ちょっとオンライン上ですけども、コマイミノルさんの話を聞いたりしたことがありまして、あのすごい面白い方で。
で、僕はコマイミノルさん、本も何冊か出されていてですね、読みは読んでいてですね、ファンでして、そのコマイミノルさんが出版社自分でされて、そこから最初の本が出たというのは個人的にはすごく応援したいなと思っているちょっと本にもなりまして。
で、YouTubeでコマイミノルさんと役者の坂より新知さんが対談している動画もですね、配信されていて、たぶん検索すると出てくると思います。16の言葉とかで動画で検索するとですね。
で、やっぱりこのドイツで注目されている作家というのは坂よりさんの話だとこのドイツ版の芥川翔的なですね。
なんかすごくそういう若手の、若手になるのか、なんかそういう注目を集めるような、ちょっとその他の中でもちょっと脚光浴びるようなですね。
なんかそういった章を捉えているということで、16の言葉はデビュー作になるんですけども、それ以外の作品とかもですね、なんかちょっと気になるなという作家だなというのはですね、ちょっとこの対談を聞いて思いましたね。
私も軽く見ました。YouTube確かにね、ちょっと1時間ぐらいあった話。結構ね、この本を読み解く上では重要な話がたくさん出てましたね。じゃあ行きましょうか。
09:04
じゃあここから具体的に作品紹介入っていきたいと思います。
まずですね、今回ちょっとコマイグミ様のホームページが無さそうだったので、ハンモトトットコムのあらすじを読み上げたいと思います。
21世紀世界文学の最先端がここに、ドイツ語圏の移民文学の機種が書いたデビュー作、ついに翻訳。3つの文学賞を受賞した注目の小説です。
イランで生まれ、ドイツに育った女性、モーナーが主人公。彼女の心の軌跡が大変見事に描かれた作品です。
祖母の葬儀に出席するために母とイランに戻ったモーナーは、その旅の間に自分の人生を振り返ります。
イスラム文化とドイツ文化の狭間で、自分を見失うことなく生きていく重要性を改めて認識するのです。
思い出すのはもちろん亡くなった祖母のこと、仲の良かったドイツ人の旧友のことも記憶に蘇ります。
父はイランからドイツに亡命し、最後は失意のうちに亡くなりました。
20代でしばらくイランで過ごした時に知り合った人たち、やがて自らの出生に関わる衝撃的な事実が明かされることになります。
タイトルの16の言葉はプレシャ語です。
ドイツでドイツ語を日常的に使って生活している彼女にとってプレシャ語は難しい位置にあります。
以下プロローグより引用となります。
誰しも人生で最初に覚える言葉がある。その言葉が見事に私を不意打ちにした。
ちょうどここで取り上げる16の言葉と同じように。
その言葉から身を守ることはただの一度も成功したことがない。
他にも言語はあるんだぞ。お前の母語だ。お前が今口にしているのがお前の言語だと思ったら間違いだ。
16の言葉は繰り返しそういうメッセージを送りつけてきた。
私は何度も何度もその16の言葉を突きつけられてきた。
著者自身も幼い時に母親とイランからドイツに移住しています。
この物語には恋愛もあり、文化の葛藤もあり、そして死もあります。
2つの言語の狭間で成長していくことがどんなに困難を引き起こすか、これは私たちから遠い物語ではありません。
今日の世界で様々な形で起きていることですが、この小説はそれを消化させた見事な文学作品として読むことができます。
少し長くなってしまいましたが、こういう形であらすじが描かれていて、これめちゃくちゃうまくまとまっているあらすじだったなと思っています。
これを読むとこういう作品なのかっていうのがちょっとイメージができる、すごくいい解説になっているなと思いますね。
そうですね。
ではですね、ちょっとこの作品に触れていこうと思うんですけども、まずちょっと前提としてどういう時代背景なのかというですね、そこのちょっと軽く触れたいなと思います。
これは実際に小説でも、この小説を読む前にということでですね、この時代背景について触れられていてですね、現代ではあるんですけども、
イランで20世紀に入って、イランで3つの革命が起きていて、それは立憲革命と呼ばれる1905年に起こったものから、
12:02
1963年から始まる白色革命、1978年から始まるイランイスラム革命というですね、この3つの革命、それぞれにどういう経緯でそういう革命が起きているのかというのが述べられているんですけども、
それらがこの主人公家族の人生にも結構ですね、影響を及ぼしていて、その個人の人生とその歴史というのがですね、結構関わっているというですね、そういうところがあるので、このイランの現代の革命についてちょっと述べられているという。
話としては1970年以降ですね、80年90年とか2000年とか減ってくるんですけども、お母さんとかおばあさんとかお父さんとかそういった人たちは結構革命をダイレクトに影響を受けたりしているので、そこがあってこの小説が始まっていくというですね、というのがですね、ちょっと時代背景としてちょっと先に触れておきたいなと思います。
そうですね、なかなかちょっとね、難しい時代もあったしっていうところで、この作品の中でもね、イランに滞在している時にね、ちょっとなんか逮捕されそうになるような瞬間とか描かれたりして、なかなかちょっと緊迫したムードがあるんだなっていうのは伝わってくる作品ではありましたね。
この小説についてちょっといろいろ話していきたいんですが、まずちょっとストーリー、あらさじで結構言ってる部分あるんですけども、ストーリーの紹介の前にですね、ちょっとこの作品の特徴だなと思えるようなところ、3点ほどちょっとお話ししてからストーリー入っていきたいと思います。
まず16の言葉という設定ですね。これ16章からなってるんですけども、それぞれペルシャ語のタイトルが与えられています。で、これがこの主人公モーナーが不意打ちにされたというか、繰り返し自分が襲ってきた言葉として挙げている言葉です。
で、これ全部ペルシャ語なんで、第1章がマーマンボゾルグっていう言葉なんですけど、これはおばあちゃんっていう意味ですね。で、モールデッシュ農管士、コスインヴ、ハーステガール旧婚者、チューベドサルゴビー、両端にクソがついたポッポーってなかなかちょっと衝撃的な言葉なんですけれども。
次がチューベドサルタラ、両端に黄金の棒、今度は黄金がついているという章があって、エザーフェバール、超過手荷物、アナール、これはザクロって意味ですね。ガリーベルースト、外面がいいやつとか、シェルキャテナフト、石油会社、バーバーアーブダード、父さんが水をくれた、ナムルコなんでコンディショナーって意味ですね。
次がジュージェヒヨコという意味、ジャハールラーフ、ヨンフォンミチ、ドルーグ、ウソ、最後の章がアーザディーで自由という形になっています。
ペルシャ語の言葉を聞いても全くイメージは日本人の我々はできないんですけれども、もちろんおそらくドイツも同じなんですね。ドイツという国で成長していったモウナーは、この16のペルシャ語というのが自分を繰り返し襲ってくる言葉だと、自分を縛っているものだという感覚があったみたいなんですけれども、
15:25
ある時ですね、この言葉をドイツ語に翻訳してみたら、その言葉が無力になるのを感じたと。で、唐突にこの16の言葉がですね、自分を支配する力を失ったと。翻訳によって私は言葉の呪縛を解き、捕虜の受け身から解放されたとちょっとプロログに書いてあるんですね。
こういう形でですね、彼女はちょっとこの言葉から自由になっていくという話になっています。で、一章一章ですね、その言葉を使いながら話が展開していって、彼女の人生とか反省が描かれていくんですけれども、これ最終章のところですね、結構こう開放された感のある描かれ方をしていて、モウナーが。
ちょっとこれ最後まで読んでプロローグを読むとですね、結構また違った見え方をしてくるんですけれども、非常にうまい作りだし、このプロローグが非常に意味を持っているなという小説ですね。
この発想がいいですよね。ペルシャ語の16の言葉を翻訳してみると、そこからちょっと見えてくるものがあるとかですね、自分の中でモヤモヤしているものが出てくるとかですね。
そうですね。ペルシャ語とドイツ語で多分対応はしてるんだけれども、例えば、解説にも日本でも同じような文化があるんじゃないかみたいなところで書かれてたのは、旧婚者か。
イランだと旧婚のスタイルっていうのが結構こういう感じっていうのがカチッと決まってまして、それはこの本書の中で描かれてるんですけど、とはいえ西洋の旧婚のスタイルってかなり様々だと思うんですね。
昔はわかんないですけど、でもイランにおいてはおそらくその文化っていうか伝統っていうのが結構守られてるっぽくて、それはちょっと文化の違いとか同じ言葉でも全く違う意味合いを持つみたいなところがあって、そこはすごく面白い小説だなと思いましたね。
そうですね。この16個の言葉、それぞれの意味があって、それが一つの小説として繋がってるっていうのが、改めて考えるとすごいこの作りが、作るの難しそうと思いつつ上でもそれが実現できてるっていうのがすごいなって思いますね。
しかも本当にこの一章一章うまく構成してるので、読み応えもあるけれどもしっかり読みやすいっていうこのすごい試みだなと思いますね。で、次の点ちょっと行きたいと思います。次はですね、ちょっと私もこれ非常にここ上手いなと思ったところなんですけれども、移民としての感覚というのをちょっとタイトルつけたんですが、ちょっとこれですね、ちょっとずれるかなと思いながらちょっとこの観点かなと思ってちょっとお話ししますね。
18:06
このイランとドイツという2つの文化の狭間にあって、モーナー、あとは著者のエムラーヒミーさんもそうだと思うんですけれども、2つの狭間にあるですね、うまく言語ができないくて、そして捉えることがかなり難しいこの感覚っていうのを、やはり小説というスタイルでうまく表現してるなと思ってます。
イランの方々、特にこれ回想の中でですね、おばあちゃんの話出てくるんですけど、おばあちゃんとかイランにいる人たちとちょっと感覚合わないなみたいなところっていうのは結構出てきてるんですが、モーナーはですね、それをですね、イランの人たちにうまく伝えることができないんですね。恋愛観とか人間関係、家族に対しての感覚なんかはですね、これはですね、なかなか難しいなってところですね。なので、モーナーは伝えるべき言葉を持たないというか何というか伝えることができる言葉を持たないみたいな感覚があって、
全体的にこの所在のなさみたいなのがすごく、自分は読んでる間感じました。特に恋愛というか、まあ男性との関係において、結構モーナーはですね、揺れ動いている部分があって、この漢字をですね、この小説はかなりみずみずしく描いているような部分もあるなと思っているので、人生観って言ってしまってもいいと思うんですけれども、それがですね、このイランとドイツイン、どちらにもですね、ありそうでないというか所在のさみたいなところが、
多分この小説の大きな核になっているんだろうなと思っています。
そうですよね。このモーナーは、自分はイランでもドイツでもどっちの側でもないという感覚を持っていることがあって、結構それをなかなか僕の場合だと実感ししにくいんですけども、それを想像してみるとかなりつらい状況なのかなと。
多分普段生きていると、それどこまで感じるのかってあれですけども、結構モーナーの場合、なんかそれが自分もそうだし結構家族も、お父さんお母さんはドイツに行ってたり、おばあちゃんはイランの人でコテコテのイラン人っていう感じで、
自分はどっちに着くんだろう、どっちが自分の居場所なんだろうとかって、かなり揺れ動いている感じが、読んでいると感じれるんで。
これどうなんだろうね、このドイツの方が読んだらどんな感じなんだろうね、なんかその感覚を持てないからさ、我々は。
ドイツの人もやはりすごい移民の人が多くてですね、読む人によってだいぶこれ捉え方が強いのかもしれないなとは思いますし。
そうですよね。
ちょっとなんか日本で言うとエンタメ色強くなっちゃうからだけど、かなり何年前だろう、ゴー、久保塚陽介が映画で主演あった、金城和樹の小説、ゴーってあれ確か在日朝鮮人か在日なんだっけ、韓国人を主人公にした作品だったから、
そこでやっぱりちょっと日本でのこの生きづらさまではいかないけどね、ちょっとこの摩擦みたいなのもちょっと描かれてた気がするので、ちょっと読んだけど結構うる覚えなんだけど、
21:08
あんな感じではあるのかなとちょっと思いながら。
モーナーに関しては、今回の主人公に関してはちゃんと大学も出ていて、ジャーナリストにもなっているんで、イメージにある移民の方で、暮らしもちょっと厳しくてとかですね、生活するのもすごく困難でとかっていうのは、そういう状況ではないという、非常に頭が良くて、おそらくですけどお金もちゃんともらえている女性なのかなと。
そうだよね、ゴーストライター。
そうそう、ゴーストライターのゴーストライターを手伝っているみたいな。
結構いろんな仕事されてますね。
そうですね、こういう関係も結構広そうっていう、広いのかな、でもなんかね、付き合っている男性も何人かいるっていう。
そんなところでですね、ちょっと最後のお点なんですけれども、これはやっぱりこの小説ですね、今まで結構設定的な部分ちょっとお話ししてきたんですけれども、ストーリーがですね、面白いんですね。
このモーナーの祖母、母、父など家族を巡る話もありながら、モーナーがですね、ちょっとイランにいる時だけ会う男性ラーミンとかですね、ドイツにいる、今はまだ深い仲ではないけど気のおけない関係のヤンとかですね、ちょっといろんな人物が出てきて、そのいろんな人物たちと展開される物語がですね、結構シンプルに面白いなと思っていて、ストーリーが結構立っている小説です。
で、結構この16の言葉を巡りながら、モーナーの人生、反省というのが断片的に回想の形で描かれたりもするんですけれども、その内容も面白いですし、そしてですね、ラスト付近にですね、ちょっとあらつじにもありましたけれども、明かされる真実っていうのがかなり衝撃的で、結構その衝撃によってですね、この小説の見方が変わってしまうようなぐらい、ちょっとぐるっと大きな衝撃がある作品で。
これはもうストーリーの面白さっていうのは、なかなかピカイチなんじゃないかなと思っていますね。
おだしょー はい。そのストーリーの面白さでちょっと思ったのが、モーナーはどっちかというと巻き込まれる側で、自分から何か言い入れる側。やっぱりおばあちゃんが結構キャラが強烈で、何かとおばあちゃんが話題、なんていうかめっちゃパワフルな人なんで、どんどん自分で話題作っていって、モーナーとかお母さんとかがね、それに巻き込まれていってっていう。
何かそんなちょっと流れかなと思うんで、確かに面白いですよね。モーナーの話なんですけど、やっぱり何か特に最初の方とか、何かおばあちゃんのキャラがね、結構際立っているところがあるんで。
おだしょー そうですよね。確かに。おばあちゃんはめちゃめちゃ強烈で、もう第1章がすでにおばあちゃんという意味のペルシャ語なんですけれども、そこからもうすでにすごい強烈さは伝わってくると思います。
24:00
おだしょー それで何か単純に面白いし、入っていきやすいっていうのもあるかもしれないですね。 そうだね。じゃあそんなところなんですが、ちょっとあらすじのところで結構お話はしてしまったんですが、もう一度ちょっとストーリーを紹介していきたいと思います。
イランで生まれてドイツで育った主人公モーナーは、亡くなった祖母の葬儀のために母を共にイランに帰るというところから始まっていきます。モーナーはですね、あの祖母のことや様々な過去のことをイランに戻る途中、そしてイランでですね、取材するような話が出てきたので、ラーミーという男性と共にバムという都市に行くことになるんですけれども、この道中でいろんなことを思い出していきます。
このバムへの旅というか道中もですね、ちょっとひょんなことからですね、母もついてくることになってしまって、モーナー、ラーミン、そして母という3人でですね、バムに向かいます。このモーナーとラーミンっていうのは、さっきちょっと軽く触れたんですけれども、実は関係を持っていて、ラーミンとはですね、イランに滞在するときには、影で会って、影でもないのかな?会っていて、ラーミン自体はちょっと寄婚者なんですけれども、モーナーとラーミンっていうのはなんか恋人のような感じで、あの今いますね。
ちょっと恋愛関係にある2人です。なんですが、そんな2人のですね、母と3人で行動することになって、なかなか微妙な空気が、ここは戸惑いますね。
お母さんは結構ね、ラーミンのことが気に入ってるんですよね。いい男だっていうことで。
そうだよね。なんで結婚しないの?みたいなことを言い出して、いやいや、僕は寄婚者だからみたいな。いや、そんなの関係ないじゃない。みたいな感じの時あるんですけど、まあいろんな空気が流れますね、この3人には。
っていうのが全体の流れで、最終的にモーナーと母はですね、ドイツに帰ってくるんですけれども、ドイツに帰った後もちょっと描かれるんですが、祖母の遭遇のためにイランに戻って帰ってくるまでというのがこの小説の大枠でございます。
その道中ですね、16の言葉に寄せて、この16のペルシャ語の言葉に寄せて、モーナーはですね、自分の家族や出会った人々たちの思い出や経験などが回想されていくという流れになっています。
その内容っていうのは亡くなった父の話とか幼馴染のこと。父はですね、父が30代の時に母が13歳の時に結婚してるんですね。
父はですね、母のことは17歳と聞いていたと。実際に結婚する段階になって13歳だったということが明かされて、祖母に騙されていたことを知るという。
お母さんのお母さんですね、に騙されたことを知るということになっています。
でももう結婚を決意してモーナーが生まれると。モーナーがまだ幼い頃ですね、母が離婚を切り出してきて離婚することになりました。
祖母がですね、離婚した娘の母でいたくないということでちょっと外国に留学したことにしたいということになって、母とモーナーはドイツに渡ることになります。
父はですね、イランに残りながら、離婚はしてるんですけども、イランに残っていて、アメリカ大使館誘拐未遂というか、アメリカの大使館をですね、ちょっと誘拐しようとするんですけれども。
27:05
それが未遂に終わって、ちょっと刑は下るんですけれども、釈放はされ、しかしもうイランにいられないということでドイツに渡ります。
ドイツのですね、大学病院の推薦状があったんで、それを頼りに仕事を得ようとするんですが、うまくいかずですね、ドイツで食料品店を始めます。
この時も別れてるんですけれども、モーナーたちの近くの場所でちょっと食料品店を始めるので、モーナーはですね、父とこの辺り、この食料品店ではですね、頻繁になってきますね。
そして父はですね、そのままドイツで亡くなってしまいました。
その後のことももちろん改装されるんですが、さっきみえさんが言った通りですね、めちゃめちゃ強烈な人物として描かれます。
ここはもうちょっと最初逆なんじゃないかって思うぐらい、強烈に描かれますね。
この改装の中でですね、モーナーが自分が抱えているアイデンティティの問題とか、イランにもドイツにも属していない、所在の無さのようなものがですね、描かれていって、これが結構断片的に積み重ねられていく小説だなというところです。
で、繰り返しになりますが、本当にこれラストでかなり衝撃的な事実が明かされるので、小説としてですね、めちゃめちゃ出来の良いというか、かなり後世がですね、出られている作品ではないかなと思います。
というのが一応ストーリー紹介かなと思ってます。
これ、まあちょっとこの後ちょっと印象に残ったところを話していきたいんですが、まずこのラストの衝撃について、ちょっと言える範囲で話していきたいなと思ってるんですけど、これこんだけ繰り返し言ってるとみんな身構えるよね。
そうですね。まあ衝撃というとそうですよね。何が待ってるんだってなっちゃいますけど。
なんか帯にさ、書かれてるじゃん。衝撃的な事実が明かされるって。帯の裏帯かな?に書かれていたから、なんとなく、ああ読めなかった。
俺これだけ読んでたけど、そこまでなんだろう。身構えてなかったっていうか。
そうですね。
だったらちょっとこんだけアラートしちゃうとちょっとなんか、これから読む人にとってちょっと誘導しちゃうとこあるかなと思いつつも、でもこの点については少し話さないとなってところではあるかなとちょっと思ってますね。
みえさんはあんまり衝撃的な事実というのは意識せずに読み進めてた?
いや、僕それがですね、ちょっと役者跡書き最初に読んでたんですね。
あーなるほどそうか。結構書いてあるもんね。
帯に書かれているのも役者跡書きの引用で、衝撃的な事実が明かされるって書かれていて、跡書き読むとちょっと若干読めたところがあったんですね。
あーなるほど。
なんで、まず一つ言っておくとですね、役者跡書きは小説読む前は読まなくてもいいかもしれないなとはですね、ちょっと思っています。
まあそこでなんて言うんですかね、人によってはですね、もしかするとこういうことかってピンとくる人がいるかもしれないっていうので。
あーなるほど。今回丁寧に坂頼さんが前書きを書いていただいておりますからね。
そうですね、もう前書きで十分かなとは思いますね。
確かに確かに。
30:00
そうですね。で、ちょっと繰り返しこんだけ言ってると気になる人が気になってしまうと思うので、ぜひ読んでもらいたいところではあるんですけども。
個人的にはこのラストの事実を知ってですね、今回この紹介するために構成案を作るためにパラパラパラパラ読み返したんですけど、
要所要所ですね、この衝撃的な事実の意味っていうのが浮き彫り、なんだろう浮き彫りっていうか。
あーなんか散りばめられてる感。
そう、散りばめられてる感あるよね。
あります。
見方が変わっちゃうっていうか、この小説に対する見方が変わってしまう部分が結構あって、これはちょっとびっくりしたな。
あ、その衝撃的な事実じゃなくて、上手いっていう意味で。
そうですね、一回読んだだけでもしかすると、この小説は何度か読むともっと感慨深いものになってくるかもしれないですね。
多分いくつかのシーンはですね、全く違う見方をすると思いますね。
ちょっと自分もいつか2回目行きたいってすげー思ってますね。
そうですね、確かに。僕はもうこの衝撃の事実をして、ちょっといろんなことは思ったんですけども、やっぱりちょっと自分の気持ちとしてはしんみりしてしまったところもあったんですけども、
でも最後の16章をですね、この16章を読んでいる時に、やっぱりこのモーナーがドイツで、その時はもうドイツに戻ってきていたんで、これからまだ人生がありますし、生きていかないといけないっていうところでですね、
いろいろ考えたりするんですけども、なんかね、そこを読んでると、なんかすごいこの16章がもう輝いて見えたんですね。
わかる。
なんかすごく前向きというか、希望を感じるとか、そういったところが感じれてですね。
なんか私も16章めっちゃ好きで、最後の自由っていう章ですね、すごく好きで、これで終わってくれてというか、これでこの16章で閉じるのがすごく良くて、
で、これを読んだ後、さっきちょっとも言ったけどプロローグを読むとですね、めちゃくちゃプロローグがまた違う輝きを持つというか。
16章までは結構起伏があるというか、ちょっとね、しんみりしてしまうような話もね、あったりはするんですけども、やっぱ最後まで読むと、なんかすごく良かったなって思えるところはありましたね。
そうですね。で、ちょっと他、ちょっと細かいところになってるかもしれないけど印象に残ったところをちょっと話していきたいんですけれども。
あと印象に残ったところの話をしていくとですね、舞台がイランということで、やっぱり何でしょうね、その辺はちょっとそのイランの不穏さっていうのを感じるところが所々あってですね、
この辺はちょっとやっぱり日本にいたりすると全然違う感覚なんじゃないかなって思うところがあって、
例えばこのモーナーがおばあちゃんのお葬式でイランに戻るんですけど、その時にちょっと取材協力してほしいというのが、というちょっと仕事の依頼が入ってですね、
33:10
それがなんかドイツ人の実業家がイランで逮捕されて、なんかその女性に手を出したか、確かそういうことだったと思います。
で、逮捕されてもう大問題になりそうだと、そのまま処刑されてしまうんじゃないかとかですね、でそれについてちょっと取材協力に入ってほしいというのがあったりとか、
あとその取材でバムという都市に向かうんですけども、ただその行く前の話で、バムはちょっとやめといた方がいいんじゃないかと、風紀警察というのがあって、
それはもう重装備している麻薬密売組織と毎日戦ってて、相当手強い組織だというので、
なんでそのドイツ人の人があいにそこに行って捕まったりすると、理不尽に捕まったりするかもしれないからとかですね、
そういういろんな危険に合わせる話があって、こういうのはちょっと国の持っている、なんていうんですかね、抱えている不安さというのは感じましたね。
そうなんだよね結構ね、なかなかちょっとこれ捕まっちゃうシーンとか、捕まるわけではないのかなっていうのが連行されちゃうっていうとあれだけど、
少し警察に捕まってしまうところがあるんですけども、その時ラーミンと一緒にいるときに捕まるんだけど、モーナーはめちゃめちゃビビってるんだけど、
ラーミンは結構うまくそれをやり過ごすというかね、くり抜けることができて、結構そのあたりとかね、やっぱりその辺のタフさみたいなのが必要な国なんだなみたいなのは。
たぶん一歩受け答え間違えたらもうそのまま連行されてしまうっていうことだと思うんで。
なかなかちょっと怖いなと思いましたね。これも結構ですね最初の方に描かれてちょっとびっくりしたんだけど、イランではですね葬式に7日間かかるそうなんですよ。
まあそれぐらい滞在しなきゃいけないっていう話にはなってくるんですけれども、モーナーの感覚するともうドイツだと1日で終わる葬儀がなぜ7日間もかかるみたいな。
もうこのあたりでも結構いろんな文化の違いみたいなのが見えてくるんですけれども、
そうね、あのその時ちょっと行きたいアーティストのライブがあって葬儀と被ってしまったんで行けなくなったみたいな感じになって、ちょっとはがゆい思いをされるところがあるんですけれども、
なかなかこの辺の文化の違いも、まあ割と端的に大きく出たのはここかなと思うんだけれども、やっぱちょっとそういうのもあって、
この小説がやっぱりこの2つの文化を描いてるなっていうところはありましたね。
うん、そうですよね。しかもこの葬式も7日間もあるんで、途中いろんな人が来るんですよね。
ああね、そうそうそうそう、あれも面白かった。
モーナーの中ではおばあちゃんってなんていうか、強烈な人間なんですけど、どっちかというとなんかもう、ちょっと気嫌いするようなおばあちゃんだったんですけど、
ただなんかもう本当にいろんなところからいろんな人が来て、おばあちゃんに本当によくしてもらったとかですね、
あとなんか物語みたいな人って、おばあちゃんにこれもらったから次あれくれないみたいな、テレビくれないみたいなこと言って、
36:07
そのままテレビに持って帰ったりする人とかいたりとか、なんかその辺ちょっとコミカルで面白かったですね。
そうよね、しかもそのテレビもリモコン忘れちゃうっていうね、ちょっと面白い展開でしたよね。
リモコンがテーブルの上に残されているっていう。
あの葬儀のね、あの訪問曲面白かったですね。
文化の違いとかはですね、結構あの5章の両端に草がついた棒の章ですね。
ここもなんかもうなんかイランの美容文化と、あと恋愛文化、あのイランにいるんで、なんかドイツとはちょっと違っていて、
なんかそこになんでしょうね、面白おかしく翻弄されるみたいなところがあって、ちょっと面白いなって思ったんですよ。
イランではもう化粧とかもめっちゃバッチリ、もうコテコテになんでしょうね、なんか眉毛とかももうくっきり描いたりとかですね。
もうなんか大掛かりな美容を施すっていうですね。
また結構その性欲の話とかになってた時にも、イラン人女性から見たらもうドイツ人男性は性欲がないに等しいとかですね。
結構この辺りもなんか読んでると、なんか面白いなんか説明がされていて。
で、モーナーはイランのその当たり前な美容の文化とか、その恋愛感というか、そういったところにちょっと置いてけぼりになってるっていうですね。
なんかそういうところはちょっとどっちかというとドイツ寄りなのかなとかですね。
ああ、そうだね。
そういうところとかいろいろ、なんかモーナーがイランのそういう文化とかとちょっと距離を感じるところとかあったりするところがいろいろあって、なんかそういうの面白いですよね。
あと、これはちょっと僕がこの作品の中で一番好きだったところなんですけども。
ページで言うと198ページで、これはなんかお父さんが水をくれたというですね。
11章の中で出来事なんですけど、お父さんの思い出をちょっと語っていてですね。
で、その中でこのイランの滞在していて、なんか今までちょっと思っていたそのお父さんの像とちょっと違うなんていうか。
お父さんは本当はドイツで途中から生活してドイツで亡くなったけど、実はもうイランにどれだけもう焦がれていたのかっていうのをですね。
なんかモーナーが気づく場面があって。
なんかそこは結構ですね、僕もちょっと感動したところで。
で、お父さんが実はイランにどれだけの思い出があったのかって分かったら、なんかそこからですね。
モーナーが持っているイランへの感情っていうのも、お父さんを通じて変化していくという。
お父さん、この時はもう亡くなっているんですけども、記憶の中のお父さんへの解釈が改めてできた時に、
お父さんを通じてイランへの見方と感情がモーナーの中で変わっていくと。
そのお父さんへの思いを馳せることで、イランへの思いも変わっていくというですね。
そういうふうに読めてですね、なんかこの小説がすごく素晴らしいなっていうですね。
39:03
そういうちょっと心境になっていったっていうもう場面で、僕はもうこの198ページがなんか読んでた中で一番グッときたところでしたね。
全体的にこの11章はもうお父さんの話だよね。
なんかお父さんってダイレクトには登場しないんですけども、
なんか節々で階層で出てくるお父さんが、なんか子出し子出しですけど、
だんだんお父さんの人柄というか生き様というか、そういうのが見えてくるとだいぶこのお父さんの見方も変わってくるというので。
確かに。で、自分がですね、結構ちょっと好きなシーンの話をすると、112ページでスイヤーボシュ。
スイヤーボシュっていいのかな。ちょっと読み方難しいんだけど。っていう登場人物がいて。
ジャーナリストですね。一緒に仕事をする。
新聞の特派員の方なんだけれども、彼がですね、車でちょっと送ってくれるシーンがあるんですね。このモーナーを。
もうタクシーを捕まえようとしたら、タクシー返して自分の車で乗せてくれて、そのまま送っていってくれるんだけど。
そこでちょっと感じるのが、111ページの終わりから始まってるんだけど。
できることなら永遠に走り続けたかったと。空港を通り越してひたすら西へ。イラン国内のクルドジン移住区を抜け、シリアも通過して地中海に落ちるまで。
そうすれば人生を見極めることができそうだった。
どこにもたどり着きたくないという欲求をあれほど強く感じたことは、あれっきり一度もない。
文章があるんですけど、ここにめちゃくちゃ刺されましてですね。
今これ状況としては、葬儀が終わって、これから空港で取材のためにちょっと移動すると。
そのために母とラーミンと3人で移動することになるんだけれども。
っていうちょっと直前のところで、多分このモーナーが今いろんな気持ちが揺れ動いている中で、
多分おそらく何も決めたくないみたいな気持ちがあったんじゃないかなと思って。
走り続けて、どこにもたどり着きたくないっていう気持ちが生まれてきたんだろうなっていうのがですね、
ちょっとうまく描かれている気がして、ここは私はかなりお気に入りのポイントですね。
なんかこういう描き方いいですよね。
結構随所にあったりするね、こういうのはね。
確かに、なんか読んでて気持ちが乗るというか。
あと最後ちょっと些細なことなんですけれども、結構自分はこのタクシー運転手というか、
結構このモーナーはタクシーを使うんだけれども、タクシー利用するんだけれども、
タクシー運転手との会話が結構面白くて、
なんかタクシーの運転手の男性がちょっと前に娘に旧婚者がやってきてみたいな、
それが多分気に食わないらしくて、ちょっとウダウダ言ってるシーンとか続いたりするんだけれども、
なんかそういうのが結構、いろんなところでタクシー運転手の会話が挟まれてね、
それもいいアクセントになっていて、面白いなと思いましたね。
実際、なんかそういうタクシー運転手とそういう話することってやっぱりなんかあるんですかね。
あるんじゃないかな。やっぱ同じイランのなんか出っぽい感じで、
42:01
あ、イランじゃないか。これイランだからイランのタクシー運転手だもんね。
ドイツじゃない。あるんじゃないかな。やっぱり。
物語の進行も含めてこうちゃんと寄り添ってる感じがあって、この辺りはやっぱり自分は結構好きでしたね。
確かになんかそうでしたね。なんかタクシー運転手もそうですし、
なんかそのイランの人とモーナーとの会話が基本的に面白いっていうのはあるかもしれないですね。
そうですね。
なんかそこでなんかいろいろ教えてもらったり、カルチャーショック受けたり、
なんか両端が黄金の棒っていうのも、この意味もタクシー運転手に教えてもらってるんですね。
あ、そうだった。そうだったね。
なんかね、タクシーの中でそんな会話をして、その前が両端にクソがついた棒の話をしていて、
いやでも両端が黄金の棒っていう言葉もあるよって言われても、
それどういう意味なのって言ったらタクシー運転手がさらって答えるっていう。
確かにそういうちょっとしたところの会話とか、いやいいですよね。
じゃあ最後感想を言って終わりたいと思います。
じゃあ私の方からですね。やっぱり今回話してみて思ったのは、やっぱりめちゃくちゃ完成度の高い本だったなと思っていて、
正直これがデビュー作っていうのがですね、やっぱりちょっと信じられないレベル感なので、
エブラヒミさんの作品はですね、またちょっと読みたいなと思いますね。
なかなかちょっと翻訳されるかどうかはあれですが、難しいかもしれないけど、
ぜひちょっとまたちょっと日本で読める、日本語で読めることを期待しつつというところですね。
今日いろいろ話してきたと思うんですけれども、
最後これ多分文学好きな人には結構ハマる一冊だなと思うんで、文学好きが好きな要素はかなり詰め込まれてると思うので、
ぜひ今日の話聞いてですね、面白そうだなと思ったら手に取っていただければなと思います。
確かに。今日ですね、おばあちゃんがそういえば下ネタ大好きだったっていう話をですね、
いろいろ忘れてたっていうのを今気づきました。
本当にいろんな要素がたっぷりの小説なんで、あれもこれもちょっと話そうと思っていたら、
肝心のおばあちゃんが下ネタ大好きだったっていうのをですね、ちょっと言いそびれてしまったっていうのがあってですね。
でもそれくらいちょっと話さないといけないことがいっぱいあって、もうだいぶ省略してるところもあるんですけども。
なので1回で読んでも面白いんですけども、やっぱりこれはもう繰り返し読むとさらになんか面白くなっていく小説かなと思うので、
ちょっとまたどこかで読んでみたいなと思いましたね。
じゃあそうですね、ちょっと2回読んだりするのは非常に重要な作品ではないかなと思うので、またちょっと繰り返し読みたいと思ってます。
じゃあ次回予告して終わりたいと思います。次回はですね、デニス・ボックのオリンピアをご紹介します。
45:03
お楽しみに。
番組の最後になりますが、メルマン会員募集しております。
こちらですね、無料版、有料版となりまして、詳しいことは番組概要欄ご覧ください。
番組の感想やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました。
読み返しがございましたら、ハッシュタグするときにこたちをつけて教えていただけると大変うれしいです。
TwitterXやインスタの投稿などでお待ちしております。
お便りの本も番組情報欄に載せております。
こちらいただけたら、2ヶ月に1回のお便り紹介会でご案内させていただきますので、何でもいいのでいただけるとありがたいです。
この番組気に入っていただけましたら、正規的に拡散・共有・フォローをしていただけると助かります。
ではまた来週。
ありがとうございました。