どうもみなさん、こんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私小説が好きの甲斐のダイチと、羊を巡るカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、第0回で話しているので、そちらをお聞きください。
今回はですね、アカシアは花咲く、デボラ・ホーゲルのアカシアは花咲くのノーカット版をお届けしたいと思います。
こちら以前配信してましたが、結構、今編集し直してみたんですけど、6分程度削っていたので、その6分を今回収録し直してます。
そちらに関しては、ちょっと迷ったんですけど、自然の流れで入れていくか迷ったんですけど、
そうすると、どこ入れたのかよくわかんなくなるなと思ったので、今回、今まで配信していたアカシアは花咲くがこの後始まります。
その最後のエンディングが終わった後に、約6分間カットしたアカシアは花咲くの、私たちが話している部分ですね、入れます。
編集してみたところ、全てですね、アザレヤの花屋から撮っていました。
アカシアは花咲くっていうのは、アザレヤの花屋、アカシアは花咲く、鉄道駅の建設と、後期イディッシュ語作品っていうのを収録しているんですけれども、
これ実際に書かれた順番で結構、この順番通りじゃないんですけれども、
私たちはアザレヤの花屋から話していって、ラジオ収録の時にアカシアは花咲くまで話して終えているんですけど、
アザレヤの花屋が最初に来ているせいか、結構ここ、いろいろ話していたところを削っていました。
アカシアは花咲くパートはほぼ削らない状態で配信されていたので、
アザレヤの花屋で削ったところを今回6分ほど追加しております。
なので、そこだけ聞きたいという人は最後の6分だけ聞いてもらえればなと思います。
本編始まる前に、今1月21日か、明日配信するつもりでギリギリで声、しかも三枝さんいなくて一人で入れているんですけれども、
私ですね、日本翻訳大賞というのがものすごく好きでして、これは調べてもらえばいろいろわかると思うんですけど、
1月の10日から14日までだったと思うんですけど、5夜連続で翻訳ラジオという素晴らしい翻訳者たちが、先行員だった翻訳者さんたちと、
あと、去年第6回日本翻訳大賞を受賞した、今回話しているアカシアは花咲くの翻訳者である加藤有子さんとか、
あとですね、サリバンの精神病理学指揮、安部大樹さん、菅井秀平さんかな、が出たりしています。
でもそういうの知らないなとか初めて聞いたなって人が多分このラジオを聞いてくれている人には多かったんじゃないかなと思っています。
なのでこういう作品を私と三重さんが取り上げることによって本当に一人でも多くの人に知ってもらえたらいいなとか思いました。
他の作品もそうなんですけど知らなかったなと思うような作品とか、
たまにものすごく有名な作品を取り上げる時もあるので、レイモンド・チャンドラーとか、
でも読みたいけど読んだことないなとか、どの話なんだろうなと思っている人たちに入り口になればいいんじゃないかなと思っております。
そんな真面目な話もありつつ、本編楽しんでいただければなと思いますので、
これからまず配信したパートが始まり、エンディング、もう本当にエンディングがあります。
エンディングとかエンディング削除しないで、空飛び猫たちが予告、アカシアの花咲くの次はなんだっけ、通話だったかな。
ちょっと忘れちゃいましたけど、そちらの予告が流れ、6分ちょっと未収録だった部分を流しますので、
そちらもしこの後そこだけ聞きたいって人は最後の6分だけ再生していただければなと思います。
それではお楽しみいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
じゃあ今回ご紹介するのはですね、デボラ・ホーゲルのアカシアは花咲くという、これ何ですかね、小説ではないんですよね。
そうですね、3文。
3文と言ってもなんていうか、3文の定義は多分聞いている方もぼやっとしちゃうと思うんですけど、
陰を踏んでない文章のことは3文っていうことになっちゃうんですけど、とはいえ非常に詩的な表現が多い文章で、
矛盾するかもしれないですけど、詩的な3文の作品ですよね。
詩を読んでいるような感覚ですね。
こちらですね、1930年代くらいに書かれた本で、今まで扱った作品の中では一番古いんじゃないかなと思っています。
こちらですね、多分ほとんどの人が読んでいないと思うんですけど、先週先々週と異動計画を扱ってきて、
おそらく一番読んだことがある作品から、おそらく一番読んでいる人が少ない作品に振ってるのが空飛猫っぽくて、非常にいいなと思うんですけど。
振り幅が面白いですよね。
いいなと思うんですけど。
こちらですね、第6回日本翻訳大賞受賞作となっております。
こちらがですね、2020年の5月にこの賞が発表されるんですけれども、
飲み出しは3月から発表されているので、受賞する前からちょっとずつ有名になっていた作品で、
受賞直後かなり有名になった作品、その界隈ではっていう言い方なんですけど。
そうですかね。
私の友人でもその辺りで読んだ人が多かったですし、
受賞した時って確かちょうど緊急事態宣言もあった中で、
そうか、その時期だったんですかね。
5月だし。
アマゾンでは売り切れてたかな?
そうですよね。
売り切れてたと思います。
アマゾンじゃなくて、その時に本がなかなか流通が滞っていたっていうのもあるんですけど。
で、なんかその時に外出する機会があって、新宿のキノクニ屋に行ったんですけど、売り切れてましたね、5月。
その話ね、大地さんとこの本欲しいですよねって話をしてて、なかなか買えないっていう。
そうですよね、三谷さん買ってましたもんね、すぐね。
そうですよ、僕は京都のマルゼンで、まだ置いてあったので買えたんですけど。
東京ではですね、大きい本屋なかったんですよ。
でもその時そんなに行動できなかったんで、1店舗ぐらいしか行かなかったんですけど。
で、私はその後買ったんで、帯が日本翻訳大賞受賞となってますね。
じゃあやっぱり違いますね、帯が。
あ、やっぱそうですよね。
第2釣り、そうですね、6月19日に印刷してるんで、多分急に売れた本ですね。
本当ですね。
そうですね、ちょうどあの時まだ空飛び猫の準備段階ぐらいの時でしたもんね。
で、いろいろ話してる時にこの日本翻訳大賞の話になったのを覚えてますね。
翻訳大賞という意味ではめちゃくちゃ納得の一冊ですよね。
今回読んでやっぱすごいなと思いましたね。
しかも元々イディッシュ語っていうマイナーな言語と言っていいんですかね。
発表時代はそのイディッシュ語だったんですけど、
ポーランド語版に本人が書き直したやつをこれは一応翻訳して、
一応ポーランドからの翻訳ではあると思うんですけど、
多分イディッシュ語も加藤有子さんは読んでますよね、きっと多分。
そうですね、本の中にイディッシュ語作品も一応入ってる。
そうか、だからイディッシュ語でも予約してますもんね。
ポーランド語と。
前出ししちゃったけどちょっと署名行きましょうか。
そうですね、行きましょうか。
今回紹介するのはデボラ・フォーゲルが書いたアカシアは花作になります。
将来者から出版されていて加藤有子さん役になります。
2018年の出版になります。
じゃあ私の方が戦艦機のポーランドの作家、
ブルーノシルツの第一短編集、日系色の店、成立に多大な影響を与えた存在として知る人と知る存在だったデボラ・フォーゲル。
今世紀に入ってからその作品が再発見され、世界のモダニズム地図を書き換える存在として注目を集めている。
その短編集、アカシアは花作と、ディッシュ語で発表された短編3作を収録。
ブルーノシルツによる書評も収めたとなっておりますが、
まあもうこのあらすじは今回正直どうでもいいというか。
もう内容触れてないですからね。
これ一応、消費者のホームページから持ってきたんですけど、どうでもいいかなというところです。
ちょっとデボラ・フォーゲルさんについてちょっと話しておきたいんですけど、
この方ですね、1930年代にこの作品書かれてるんですけれども、ユダヤ系です。ユダヤ人ですよね。
ポーランドに生まれたんですけど、当時オーストリア領だったので、
ドイツ語とポーランド語が話せます。
後にですね、イディッシュ語という、これがイディッシュ語っていうのが一応ユダヤ人が使っている言語、言葉になります。
で、こちらを学んで、デボラ・フォーゲルさんはこちらの言葉を執筆言語として選択しました。
イディッシュ語でシア作品を発表していて、そのうちの一つがアカシアが花作でした。
これは後にですね、さっき話したんですけど、ポーランド語でも書き直されています。
悲しいんですけど、1942年にドイツナシスの手により家族ともども射殺されてしまったという経歴を持っております。
って聞くとかなり重くなっちゃうんですけどね。
そうですね。
今回の目的なんですけど、結構この本、非常に話しにくい点もありまして、物語はないし、登場人物もいないしってとこなんですけど、
でも読んですごい印象に残る本ではあったので、今回このラジオで取り上げるという目的としてはですね、
すごいファーストステップなんですけど、この本を一人でも多くの人に知ってもらうっていう非常に低いハードルをミネさんと話して設けました。
そうですね。しゃべるのは難しかったんですよね、今回ね。
そうなんですよね。
いや、これ、結構冒険してます私、実は。まだこれから話しますけど。
そうなんですけど。
なので今年でも興味を持ってもらえたらなと思ってます。綺麗な言葉が並んでるので、ハマる人はマジでハマると思います、これ。
なんか感動する言葉とかもあったりして。
なんかちょっと励まされてる気分になりませんでした?
そうですね。
生きるってことに対して。
確かに、そうですよね。
急にそれでも生きることには価値があるとか言葉出てくるじゃないですか。
おおっていうか。
じゃあちょっと行きましょうか。
まずアカシアは花咲くなんですけど、アカシアは花咲くっていう短編も入ってるんですけど、アザレアの花屋とアカシアは花咲くと鉄道駅の建設。
あと後期イディッシュ号作品、これが3編入ってます。
で、あと書評が入ってるんですよね、この当時のアカシアは花咲くに向けての。
それと航海往復書館ですね。
これが書評を受けてデボラ・ホーゲルさんが書評をしてくれた人たちに対して応答してる文章というか。
これ面白かったですよね、この作りもね。
そうですね、作品読んだ後読むと結構理解がちょっと深まると言いますか。
良かったですね。
一方通行じゃないのがいいですよね。
それに対してデボラさんがちゃんと返してて、そこはすごく理解をしてもらえたんですねとか。
面白いですよね。
で、今回主に話すというかちょっと話せるという、話すわけじゃないんですけども感想みたいな感じなんですけど。
あざれ屋の花屋とアカシアを花咲くと鉄道駅の建設というこの3編についてちょっと話していきたいと思ってます。
まずですね、重要なことはですね、これ物語ではないということですね。
登場人物はいません。守護が人じゃないですね、そもそも。
そこが面白いですね、まず。
自分の印象ですけどなんというか空間というか時間、空間時間みたいなのが守護になっている感じがすごく私はしましたね。
守護というか描かれているというかなんていうか。
そうですね。
一応これ副題なのかな。アカシア花咲くモンタージュってなってて。
一応このデボラ・ホーゲルさんはこれはモンタージュというなんていうか手法の文章なんですっていうことみたいなんですけど。
作者がモンタージュですと言ってるんですけど。
モンタージュっていうのはもうどういう意味なんだっていうところがなかなか難しいんですけど。
調べた限り組み立てるとかそういう意味だったりとかするんですけど。
印象としてはなんか自分としてなんかこれ同じ言葉がすごく繰り返し出てくるんですよ。
なんか同じ表現なのかな。
なんて言ったらいいのか。
それでなんかこうなんか散りばめられている感じがモンタージュだったりするのかなとか思ったりしました。
みえさんこのあたりどうですかこのモンタージュっていう。
そうですね。
なんかこのさっきその登場人物いないという話とちょっと重なってくるんですけど。
なんかその作風がすごいスケッチのようなイメージで。
なんでそういう意味ではデボラ・ホーゲルさんが見ていたその瞬間とかその時の場面とかを描いているような気がして。
でそうなると繰り返しで登場する言葉としてなんかモンタージュっていうのがあるのかなと思ったりも。
いわゆる小説とちょっとまた違った表現の仕方になってきているのかなと思いますね。
そのスケッチで例えると言うなら私が主にこの繰り返しで使われている言葉。
句形とかカシャっていった単語も結構出てくるんですけど粘着性とか粘着粘り気とかよく出てくるじゃないですか。
これすごく使われるんですけどなんかそれがある意味色みたいな感じですね。
繰り返し使う色が決まっているみたいなメインの色が決まっているみたいな。
でそれが文章の中に散りばめられてて確かにスケッチっぽいなっていう感覚はすごくありますね。
これ言い方あれですけど意外と面白いんですよね。
これがある。
まさかこんな表現とかありえるんだって思うような言葉が結構ね、もう散りばめられていて。
そうですよね。ちょっとこれ言い方ですけどちょっとこのモードに入らないと理解できないです。
理解してないんですけどそもそも。
そうですね。だからそういう意味では本当そうですよね。文脈から感じるとかではなくて本当その言葉言葉一つ一つになんか辿っていくというか一個一個は切り離してなんか読んでいくみたいな。
そうですよね。でも切り離されたものだけを急に前に出されても多分その文章なんだろうとか思っちゃうんですけどこれ読んでて浸ってる状況でそのなんか独立したっていうかその言葉が出てくるから。
14章で、生をめぐる論考第1章という章で、ここの書き出しがすごい好きでしたね。
路上へ、10月の琥珀色の夕闇に出れば十分だ。午後4時と午時の間のその一時。人生はいつも壊れてしまっていて、どんなことも私たちには起こり得ない。
これもどういう意味なんだろうと思いつつ、でも書いてあることに関してはすごい良いこと書いてあるなと思えてきてですね。
確かにね、わかる。これ、10月の琥珀色の夕闇に出れば十分だなと思いました。
ポーランドの10月ってどういう季節なんだかわかんないですけど、結構日暮れ、日が暮れている状況ってことですよね。夕暮れ。夕闇か。
そうですね。
夕闇に出れば。4時と5時の夕闇。人生はいつも壊れている。どんなことも私たちには起こり得ない。
なんかすごくイメージはできますよね。
そうですね。
でも、それをここで得たイメージを伝えにくいんですけどね。
そうですね。一応この後ね、この章では、街の中で働いている人の描写があったりとか、
美容師さんの話とかあったりするんですけど、なかなか説明が難しいという。
その意味でこの章全体を読むと、ちょっとどういう話なんだろうってわかりづらいんですけど、
この書き出しの2行だけでもすごいわかりやすいんですよね。
そうですね。
現実的なことを突きつけられる、人生の厳しさみたいなのも描かれるよね。
どうだこの書き出しの2行だけでもすごい やっぱりなんかいいなと思って読めるところがあって
確かになんかこのあたりは結構ね 励まされている感じありましたね
なんかその現実的なこともなんか突きつけられつつみたいな なんて言ってんのかな
なんか人生の厳しさみたいなのもなんか描いてるけど
それでも生きていくことには価値があるとか 切り抜けねばならないとか
まあ忘れることができるとか なんか要所要所うまい感じに差し込まれてて
このなんかテクニックというか なんかねあの提示の仕方は非常にうまいなと思いますね
今話したのは全部アザレヤの花屋という作品の これが21章構成のやつからちょっと抜粋させてもらったもので
一応これアザレヤの花屋っていうのは1年間なんですよね ある年の
そうですよね うん
年代域とも書かれてるけど まあ4月から始まって11月で終わるのか
ちょっと不思議なあれなんですけど なんていうか話ではないっていうかなんてうまく言えないんですけど
ああそうですね
この多分アカシアっていう言葉というか
アカシアの意味か
タイトルにもなっているから当たり前ですけど
多分すごく重要なんでしょうね
この章の中だけでもいろんなこと考えられちゃうんですけど
アカシア最初のさっきみえさんが読んだくれた文章の中だと
怒らなかったけど怒り得たものの悲しい匂いっていうのが多分アカシアですよね
きっと
ってなるとなんかそれを象徴しているのがアカシアとすると
結構アカシアが花咲くっていうのは
成し得たかったけれども成し得なかったこととか
なんかそのいろんな意味合いを持ってそうで
それがこう主張してるみたいな感じにも捉えることができるので
もう全然これ想像の域しかないんですけど
そうですね
いろんなこと考えちゃいますねこの章だけでも
そうですね
まあでもこれ16章なんで
そのねもっと前の前から重たい話を結構ね書いてきてるから
それでいくとやっぱりここのアカシアを花咲くのとかってすごい
やっぱりねグッてきますね
じゃあ一応この後は一応鉄道駅の建設があるんですけど
ちょっと時間的にあれなんでここのあたりで閉めたいと思います
でもだいぶちょっと魅力の一端は紹介できたんじゃないかなと
そうですねなんか不意に出会う言葉を紹介できたかなというのが
これを機に興味を持っていただければなと思います
いつも通り最後全体的な感想とどういう人に読んで欲しいか
話して終わりたいと思います
話し通りなんですけど文章がすごく美しいんですよ
なのでそういう文章が好きな方とか触れたい方にはかなり向くのと
あと物語とかストーリー展開みたいなのがないので
なんかそういうことによってなんかスピード感
読んでてスピード感が増すとかそういうことは一切ないので
こうゆっくり文章を味わいたい人とかにはすごく向いてるんじゃないかなと思ってます
実際ですね私もこれ2回読んだんですけど
1回読んでよくわかんないなと思って2回読んだんですけど
読むのにも結局時間同じぐらいかかってたし
まだまだ私もですねこれアカシアが何を意味するのかとか
灰色ってなんだろうとかちょっと理解度がかなり低いとは思ってるんですけども
それでもやっぱりですねすごく心に残る言葉とか
この本から得たイメージとかあって非常に面白い読書体験でした
読むたびに結構イメージ変わるんじゃないかなと思います
なので万人に会うわけではないかもしれないんですけど
ハマる人にはハマる本だと思うので
ぜひ立ち読みしてハマりそうだなと思ったら
自分の本棚に収めてもいいんじゃないかなと思います
そうですね僕も読んでみてよくわからなかったんですけど
ただ不思議な感覚の美しさがあったというのが率直な感想ですね
時代にしても場所にしても今の日本からは遠い話なんですけど