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2023-07-03 43:22

第122回 人に生まれて、人を考える詩集「僕には名前があった」オ・ウン 著

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【今回の紹介本】 ■『僕には名前があった』オ・ウン 著 吉川凪訳 クオン https://k-book.org/yomeru/20230531/

クオンのセレクション韓・詩シリーズ第二弾。

韓国を代表する詩人による「人」で始まり、「人」で終わる連作詩集。

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人に生まれて、人を理解し、人を誤解しました。 人だから理解し、人だから誤解しました。
人を、ついに人となりを考えるようになりました。 韓国の詩人、オ・ウンさんの詩集
僕には名前があったを紹介します。 どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな2人がゆるーくトークするポッドキャストです。
お相手は私、ダイチとミエの2人でお送りします。 文学のプロではない2人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、オ・ウンさんの僕には名前があったです。 吉川凪さん役で、クウォンから2023年に出版された本になります。
今回この本ですが、文学フリマ東京5月にあったものですね。 クウォンさんが出展されていて、そこのブースで、あれはちょっと先行発売的な感じだったのかな?
そうですよね、おそらく。本は5月31日が初版の発行日ですが、文学フリマ東京よりもちょっと早かったので、若干早めに入手できたのかもしれないですね。
そこで我々2人手に入れまして、これがクウォンさんが出している、クウォンのセレクション漢詩は韓国語で紡がれた同時代の詩の言葉を送るシリーズですというシリーズの2冊目ですね。
これは以前我々のラジオで紹介した、ハンガンさんの引き出しに夕方をしまっておいた、に続く2冊目となります。このシリーズ2冊目となります。
シリーズだから結構カバーが似てくるのかなと思ったんですけど、このオウンさんの僕には名前があったのカバーめっちゃ好きなんですよね。
もちろんハンガンさんのあの白い表紙もね、めっちゃ良かったんだけど、なんかすごい味のあるカバーで。
そうですよね、今回のこの僕には名前があったの良いですよね。なんかちょっとなかなか他の本ではないような。
なんか作品の雰囲気とも合ってるしね。そうそう。なんか色合いとかも良いですよね。これあれだよね、なんだっけ、えっとピンっていうか。
あ、そうですね。あれなんて言うんですかね。これなんて言うんだろうね。
名前が出てこない。布とかを留めておくね。あのピンですよね。職場とかにあるあのピンですけど。
あ、クリップだ。クリップで良いのかな。クリップ?やっぱ違う。クリップではないと思うぞ。
安全ピン。安全ピンだ。そうだ。安全ピンですね。思い出しました。そうだ、安全ピンでした。この世には安全ピンというものがありましたね。
あんま着かないからね、なかなかね。そうですね。安全ピンが並んでますね。
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安全ピンをこんなにオシャレに覚えたのは今回初めてですね。
やっぱこの表紙のセンスが良いですしね。良いよね、これね。なんか本当作品とマッチしてますね。
で、この本なんですけど、まあ詩集なんですが、なんか割と言葉遣いとか表現にユーモアが溢れていて、かつちょっと鋭くさしてくる部分もあって、表現形式もですね、詩集と言いながらエッセイのような文章も入っているような感じもするし、
これちょっと短編小説ぐらいまで起承転結というか、話ができているものも入ってたりするので、だいぶ自由なタイプの詩集だなと今回思いました。
で、テーマが結構人なので、めちゃめちゃ共感できる部分があるし、グサッと刺さってくる部分もあって、結構好きな人は好きなんじゃないかなと思いますね。
僕もちょっと読んでみて思ったのが、オウンさんという韓国の詩人の方の詩集なんですけども、結構ですね、日本でも感じるような現代社会の生きづらさとかですね、僕たちでも感覚が分かるなと思うような内容が多いかなと思っていまして、そういった意味ではですね、読みやすかったというのは非常にありますね。
あとはやっぱり文章もすごく読みやすかったと思いますね。そんな難しいことを書いていなくて、日常的な内容のことが多いですし、使っている言葉遣いもダジアレがあったりして、面白かったり、ユーモアがあったりしますし、読みやすかったりするので。
なので、この詩集はすごいちょっとした空き時間とかですね、ちょっと疲れている時とかでも苦にならずに読めたので、すごく気軽に読めるものかなと思いましたね。
そうですよね。なんか気軽さありますよね。
そうですよね。あとは言いつつ、やっぱり大地さんも鋭い部分と言われていたんですけども、やっぱり読んでいると結構ハッてなるようなところがあってですね。
やっぱりこの人って何だろうみたいなところをすごく説いている詩集かなと思っていてですね。
なんか読んでいると逆にちょっとこのオウムさんから問われているような感覚もあってですね。人って何っていうところを考えさせられるような、そういうタイプの詩があるなと思っていて、その感覚も楽しめましたね。
なのでちょっと思ったのは、これ普段詩を読んでいない、詩が苦手だなと思う人でも楽しんで読んでいけるタイプの詩集かなというのは思いましたね。
そうですね。ガチガチの詩ではないですよね。
そうですね。
自由ですよね、だいぶね。
僕もそんなにあの詩は読んでいないんですけども、でもなんかすごく読みやすかったですし、次どういう内容なんだろうってちょっとすごく次が気になるような、これは本当、詩に慣れてない人にもすごくお勧めかなって思いました。
じゃあ具体的に入る前に、著者についてちょっと行きましょうか。
作者の大雲さんですが、1982年、韓国のチョルラプトクチョムウプというところで生まれているそうですが、すいませんちょっと地理が全くわからないので、どのあたりになるかあれなんですけども。
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ソウル大学社会学科を卒業した後、大学1年生だった2002年に現代詩作品を発表して以来、20年間詩を書き続けているという、今や韓国の詩の世界では中堅にあたるそうです。
2014年に第15回パクインファン文学賞、2018年に第1回クサン新聞学賞を、そして2019年には第20回現代詩作品賞と第27回大賛文学賞を受賞となっています。
結構数々の賞を取っていらっしゃる方ですね。おそらくまだ翻訳はされてはないと思うんですけれども、この作品で大賛文学賞というのを取っているんですね。
ホテルタッセルの豚たち、私たちは雰囲気を愛している、ユーからユー、左手は心が痛い、などの詩集があると、結構いろんな作品を今も出されている方みたいですね。
ちょっとこれ解説を引用しているんですけど、ちょっと衝撃的だったのが、詩を書く以外にも1日1冊を目標にした読書ってあって、なかなかすごいなって。
ポッドキャストの司会、テレビラジオの出演みたいな感じで、かなり多彩に文化系で活動されてらっしゃるんだろうなという方ですね。
韓国で最も忙しい詩人と言われているみたいですもんね。
活動的な人なんでしょうね、きっとね。
そうですね。で、あと和術が巧みということで、ユーチューバー的な人気もあるとかですね、解説に書かれていて。
確かにオウンさんの音声とか映像を見たことはないんですけども、経歴とかですね、この作品とか読んでると、多分話めっちゃ上手いんだろうなっていうのが、たりますよね。
という方になっております。
そんなオウンさんが書いた作品、ちょっと具体的に行きましょうか。
ではここからですね、今回の作品紹介していきたいと思います。
まずですね、概要を引用したものを話したいと思います。
人から始まり、人で終わる連作詩集。
言葉遊びで描く喜びと悲しみ。
会うときはアンニョンでいたくてアンニョン。
別れるときはアンニョンではいられなくてアンニョン。
待つ人が路地にいた。
待つときまでいた。
言葉遊びに気を取られているうちに周囲の時空が歪み始め、
自分がいつの間にか韓国のあるいは日本にも共通した生きづらい世の光景を眺めていることに気づいて愕然とする。
そしてこの詩人はただ者ではないらしいと改めて認識するだろう。
役者解説より。
たくさんの詩が収められているんですけども、
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人から始まって人で終わるという、そういった連作詩集になっているというのが一つと、
あと言葉遊びですね。
というのが結構詩の中に入っていて、
すごくユーモラスな作り方のされているシーンで、
そこには喜びもあれば悲しみもあるというような、そのような詩集ですね。
読んで思った作品の印象ですね。
それをですね、語っていきたいなと思います。
まず一つ目がですね、日常やよくあるシチュエーションを描いている詩が多いんですけども、
それを読んでいるとですね、突如ハッとさせられることがあるというですね、
そこが印象としてありました。
例えばですけども、出先のトイレの中に人がいたと。
トイレしようと思って、ちょっと扉を開けたら中に人がいたとかですね。
夜勤が終わった後のバスですね。夜勤が終わった後、バスに乗って家に帰るというですね、そのシチュエーションであったり。
あとこれは学校とかでイメージしやすいかもしれないですが、
全校集会のような人が集められて、校長先生がですね、スピーチするような、そういった場面というんですかね。
そうした場面というのが結構あってですね、イメージしやすい。
そういえば自分にもこういう時があったなという。
そこから始まるんですけど、結構どの詩もです。
日常から始まっているのに突然ですね、その人とは何かというのがですね、ちょっと問いかけられるような展開になっていくというですね、そういう詩が多くて印象には残りましたね。
なんか今回は日常と事実期間がすごいあって、詩って日常描くからそうだと思うんですけれども、
自分がこういうシチュエーションあるみたいな時とか、こういう時にこういうことを感じるようなみたいなことが結構散りばめられているので、
その辺りで引っかかってくることが多いなと思ったし、なんか読んでると自分もこのちょっとしたモヤっとしたことを文章にしたくなるなみたいなのもちょっと感じたんで、
この大雲さん、めちゃめちゃその辺の拾い方というか、汲み取り方みたいなのがすごくお上手だなと思うんですけれども、
だから書けないんですけど、書きたくなる気持ちを書き立ててくれたところもあって、読んでて楽しかったですね、この辺りはね。
ちょっと鋭いところはね、ちょっとドキドキしちゃうんですけどね。
そうですね。実際じゃあどういう詩があったのかっていうのはですね、またちょっと後ほど話していきたいなと思いますんで、
ちょっと今の話のそのちょっと続きにもなると思うんですけども、今回のこの詩集の詩のタイトルが〇〇する人っていうのが結構多くてですね、
例えば最初と最後は人っていう詩なんですけども、それ以外だとよく考える人とか望ましい人、凍りつく人、〇〇する人とか〇〇な人っていうのがですね、この詩のタイトルになっていて、
いろんな人が登場するんですけども、これちょっとあくまで僕の印象ですけども、なんかそれぞれ個人の顔が浮かんでこないような描写がされているなという、
なんかすごく抽象的に描かれているような気はしまして、〇〇な人とか〇〇する人っていう、それが特定の個人じゃなく、
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そういう人みたいな栗で人がその詩の中で生きているというようなですね、顔が浮かんでこないような描写で、なので重なる部分があれば結構、
だからこれは自分が当てはまるかもって思うこともあれば、いや今の社会に確かにこういう人とかこういう状況あり得るなと思ったりとかですね、
とはいえですね、そういう個性がない人を描いているっていう言い方をしたんですけども、この本の書名が僕には名前があったっていうですね、
ちょっと僕が思った印象とは逆のようなタイトルになっているので、これが意味しているのがですね、
その個人の持っているものっていうのが大切にされる瞬間っていうのがやっぱりあってですね、ちょっとした温かみとかですね、
温かみって言ったらいいのかな、ちょっとした希望と言ってもいいかもしれないですけど、詩を読んでいるとですね、やっぱりそういう瞬間があってですね、
それはすごい良かったですね、この詩集、大宇野さんのこの、何でしょうね、このすごく優しい眼差しというか、それをすごく感じましたね。
うん、なるほど。なんか私どっちかっていうとあれですね、個人の顔が浮かんでこないっていう感じではなくて、
なんか割と具体的なポイントで自分の中に引っかかってくるんで、登場人物っていうよりは自分みたいな感じでしたね。
自分と重なるか重ならないかみたいな感じで読んでましたね。で、結構感覚が似ているようなことが書かれていると、
というかシチュエーションで自分もこういうことあったなみたいなことが書かれていると、結構共感してしまうので、
すごいわかるってなって、それで結構テンション上がったりとかしましたね。
そうですね、なんかその辺はあるかもしれないですね。
非常にこれ、人っていうのにフォーカスしているんで、丸々する人っていう、三枝さんが話してましたけど、
人にフォーカスした作品が多いなっていうので、ちょっと私はその部分で結構いろんなところに引っかかってきたんですけど、
きっと同じように引っかかる人いるんじゃないかなと思います。
次、最後ですね、この作品で印象的というか特徴的なのが、言葉遊びを詩の中で行っていると。
言い方が言えると、言葉遊びから詩が生まれてくるですね。
そういうのが特徴的かなと思います。
すごい面白いなと思ったのは、例えばですけども、発音が合ってないと思うんですけども、
イルリュという言葉があってですね、これイルリュ学っていうのが、イルリュ学といって一流学ですね。
一流二流とかのその一流学っていうのがあって、でこれを実はこのイルリュっていうのは人類と読むこともできて、
登場人物が人類学科、それからイルリュ学科になるんですけど、人類学科と思って入学したら、
実はそこが一流学、イルリュ同じイルリュなんで一流学だったっていう、
そんな一流学科みたいなものがあるのかっていう話なんですけども、
人類学科ともたいったら一流学科だったみたいなんですね。
そこから一流とは何かみたいな、教えられるっていうですね、すごい面白い詩もあって、
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こういうのも本当ちょっとしたね、ダジャレというか遊びから詩が生まれていくようなもので、
こういうのが結構所々というか結構ありましたね、この同じ言葉だけど意味が異なるという。
韓国語で同じ響きだけど意味が違う、意味が2つある言葉かな、だと思うんですけど、
一応注釈ちゃんと入れてくれるっていうんで、韓国語分かんなくても読めますね。
私はもう全然ちんぷんかんぷんだったけど、そういうことか、みたいなことになりました。
ここは気づけると楽しいポイントの一つと思うんですけども、
あんまり意識しなくても多分この詩集は全体的に楽しんでいけると思うので。
じゃあここからはもう具体的にどの詩が気に入ったかちょっとお互い話していきましょうか。
そうですね。じゃあまずはやっぱり一番最初に掲載されている人という詩ですね。
これちょっといきなり僕は読んでちょっと本当にハッとするような詩で、
すごくちょっと印象的だったので、まず最初はこれを紹介したいなと思うんですけども、
これはどういう詩かっていうと、出先でトイレ入ろうと思って、
ドアノックしたら中に人がいて、トイレの中にいたのが裸の子供だったんですね。
何も着ていない男の子で。この後ですね、すごいちょっと面白い表現がされていて、
嬉しい恥ずかしいという言葉が続けて書かれていてですね。
嬉しいと恥ずかしいというのが両立しているような、そういう表現をしていて、
これがすごいちょっとこの詩の中ではなかなか今までこういう、
嬉しいと恥ずかしい同時に提示されたことがなかったなというのでですね。
まず最初にちょっと親って思ったところなんですけども。
なんで嬉しい恥ずかしいかというと、生まれたままだから子供は嬉しかった。
子供、その裸の子供ですね。トイレの中にいた子供は嬉しかったと。
その子供に出会ってしまった僕は恥ずかしかったというですね。
そういうのがあって。さらにもうちょっとこの詩が進んでいくと面白いのが、
そこで僕、主人公がですね、君誰?って言うんですけど、
子供は何も答えないんですよね。逆に僕をジロジロ見てくると。
そこで面白いのがね、じゃあ僕は誰だろうって。逆にこの主人公がね、
自分って誰だろうって考えていくというですね。そんな詩ですね。
ちょっと説明するのはなかなか難しいんですけども、何とも言えないこのシチュエーションで、
なぜかその少年に君は誰って問いかけたのに、逆に自分が僕は誰だろうって。
自分で自分を解いてしまうという。その後考えていくというですね。
なかなかこれ面白いなって思いましたね。最初の詩ですけど。
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で、これ私はかなりインパクトのある詩が一番最初に来ているなと思っていて、
なんていうか何度も読み返したくなるような詩だし、話もね、
こう言ったり来たりしながら、なんか深くなっていくような感じがあって面白いし、
やっぱこれ他者というかね、こう人がいるから自分が見えてくるみたいなのをちょっと自分は感じて、
いい詩だなって本当に思いました。
そうですね。この中この詩の最後で、嬉しさ、あ、違うんです。恥ずかしさですね。
恥ずかしさから嬉しさに繋がっていくようなですね、そういった文章があって。
ちょっとこの自分を思い起こした時に、恥ずかしいと思いつつ、
嬉しさも込み上げてくるような、この詩と同じような感覚というかですね。
そういうの今まで自分にあっただろうかっていうのは、ちょっと自分の中でふと思いましたね。
この詩で書かれているような、この嬉しさのあんまり恥ずかしい人がいたみたいなんですね。
書かれ方をしてたんですけど、それはでも自分にはそういうのあっただろうかってちょっと思ったりして、
そういうのを思えるっていうのはすごくいい詩なのかなっていうのはやっぱり思いましたね。
ではですね、次に印象に残った詩が、凍りつく人というタイトルの詩ですね。
これはキムという主人公が出てくるんですけども、このキムという人の反省が描かれている、
偶話のような詩で、詩というか偶話みたいな感じで読んでいけるかなというものですね。
すごいこのキムという人が結構野心家で、この世で一番背の高い家を作ろうとして、
しかもですね、周りからも応援されていたりすごくですね、称賛されているような人で、
このキムという人がもうイケイケドンドンで突っ走っていって、
マスコミに対してもですね、自分はそういう世界一の高い家を作るんだって言って、
大きなことを言ったりするんですけど、ただですね、キムがそうやって野心を持っていたんですけど、
壁が立ち塞がって、思うようにはいかなくて、だんだんキムが沈んでいくというですね、
周りからも見捨てられてしまって、一人ぼっちになっていくというですね、
そういう詩で、これもなかなか感慨深いところがありましたね、この詩は。
そうですね、なんかもう小説ですよね、これね、詩というよりはね。
そうですよね。
確かに偶和っぽい。個人的にはこの壁っていうのがすごくわかりやすい象徴で、
読んだ人の中に残るし、読んだ人は自分の壁って何だろうっていうのを、
ちょっと投影しやすい形になっているなと思いました。
僕は結構この詩は、最後好きでしたね、
このキムという人が一人ぼっちになっていって、ヘナヘナって崩れ落ちていくんですけども、
そんなキムの背中を支えてくれたのも壁であったと。
立ち塞がったのも壁であったら、支えてくれたのも壁であって、
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その壁は硬いけれど心地よさもあったっていうですね。
なんかこの最後の終わり方はすごいいいなと。
あとはこの詩と、そこまで当てはまってないかもしれないんですけど、
僕も20代の頃ですね、本当20代前半とかの時かな、
やっぱり結構仕事でしんどかった時とかですね、たまに夜とか寝れない時があったんですけども、
実家に帰って猫を抱っこすると、なんかすごい寝れたっていうのがあってですね、
もうダメだって思った時の何か、そのすがるものがあるっていうですね、
なんかそういうちょっとした感覚みたいなところが最後書かれてるんですけども、
なんかそこもちょっとわかるなっていう。
自分の場合は壁じゃなくて猫だったなとかって思いながら読んでましたね。
支えてくれるものね、確かにね。
これ壁が立ちはだかるけど、支えてくれるのも壁だっていうの面白いよね、このね。
そうですよね。
イメージできたけどね。苦労して取り組んで大変だったけど、
でも何かしら自分の中で生まれてきたものが支えるみたいなイメージが俺はあったけど、
そうか、三枝さんはもう猫にすがせたわけですね。
そうですね、自分もそういう時あったなってちょっと思い出しましたね。
なるほど、俺も猫にだいぶ救われてますけどね。
じゃあ次はですね、松人という作品を紹介したいんですけれども、
ちょっとこれもう私ちょっと朗読したいので、読ませていただきます。
松人
路地には松人がいる。路地にも大通りにもスーパーマーケットにも市場にもいる。
学校の正門にもいる。息子が母を30分待つ。男が男を30日待つ。
おばあさんがおじいさんを30年待つ。体が体を待つ。心が心を待つ。
いつも待つ。どこででも待つ。あちらこちらに待つがある。
今月の生活費を待つ人がいる。チャンスを待つ人がいる。希望を待つ人。成功を待つ人。
ライバルの失敗を待つ人もいる。昨日の栄光を再び待つ人。
明日の幸福を初めて待つ人もいる。松を反復する人と松を覆す人がいる。
路地をうろついたげく携帯電話をかけようとする手がある。切実な瞬間がある。
松人の前を走っていく人がいる。松人がいるのかどうか知らず全速力で走る。
どれほど待っているのかも知らずに利己的に走る。松は衝突しようがない。
一つの情熱が一つの松をかすめていく。息を切らせた人の後ろにため息をつく人がいる。
弾む二つの心臓がある。松人がいる。松が影のように長く伸びている。
松人はその人がいつ来るのか生半可に予測しない。来ると言ったことがないからだ。
待っているとようやく行った時、その人はもう後ろ姿だった。その瞬間松が凝固した。
じっとしていても後ろ姿は遠ざかった。必死で近づいても後ろ姿は小さくなっていった。
松が追われまで松は解消されようがない。前姿で後ろを追う人がいて、後ろ姿で前に向かう人がいる。
24:03
松人は振り返らない。
30分が30日になり、30日が30年になり。会う時はアニョンでいたくてアニョン。
会う時はアニョンではいられなくてアニョン。松人が路地にいた。待つ時までいた。
という詩なんですけれども、大分私刺さりましたね。
この待つっていう感覚、たぶんね、自分すごく持っている気がして、
この希望を待つ、成功を待つとか、ある瞬間もずっと待っている気はするんですよ。
待っていってる気もするけど、待っていってる感覚もすごいなんかあって、
この詩から能動的なのか自動的なのか、ちょっとどっちなんだろうみたいな、
とかもすごい色々考えさせられる詩で、めちゃめちゃ好きでしたっていう。
途中であったね、松が追われまで松は解消されようがないっていう言葉が、
もうグサッとされて、そうなんだよなって思って、
結局何かもう自分が望んでいるものに出会うまでは終わらないんだよなみたいな。
なるほど。
めちゃめちゃいい詩だったなと思ったんで、ちょっと朗読させていただきました。
この待つ詩とはね、いいですよね。
すごい待つっていう、なんかすごい不気味なニュアンスの言葉と思っていたんですけども、
すごいなんかこの詩を読むと、待つっていうのも深いなって思いましたね。
最後の30分が30日になり、30日が30年になるっていうのも、
なんかそういうことなのかなと確かに言われると、
ちょっと30分待っていたことも、時間過ぎていくとそれが30年になるっていうのもね、
あり得ることだなって思いましたし。
自分は一体何を待っているんだろうとか、これもね、なかなか考えたくなりましたね。
あとね、これもなんか人と喋りたくなる詩かもしれないですね。
ああ、そうだね、確かに。
何を待つとかとか、そういう話とかって、意外とそういえばしたことないんじゃないかって思ったんで。
で、次ですね、紹介するのは、読む人というタイトルの詩ですね。
これも結構面白い話で、主人公は趣味を聞かれた時にですね、
どういう趣味を答えるといいんだろうかというので、
本を読んだりするのはいいんじゃないか、そういう読書ですね。
そういう反応があってですね、読書家になっていくっていう、そういう人なんですけども、
ただ最終的にはですね、この読書家になった主人公がいついかなる時、
それが本じゃなくても、ポスターでもビラとか牛乳パックの成分表とかですね、
自分が年をとって老眼になったり病気になっても読むのをやめなかったと。
最初はですね、この主人公って趣味何を持てばいいんだろうっていうので、
無難な人になりたかったんですよね。
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で、周りの反応から読書を趣味にしようと思っていたんですけども、
ただそれをやりすぎてですね、無難な人になろうと思っていたのに、
結局は変人扱いされていくっていうですね、
なんともちょっと切なさが残るようなシーンで、なかなかこれは面白かったですね。
これね、でもなんか分かるよね。始めたことにのめり込んじゃって夢中になっちゃうっていうのはね。
そうですね。
これ、面白いのがあれなんだよね。一番最初SNSで匿名の人たちに尋ねて、
ほんと、たまにこういうことする人いるじゃん。
なんか、この人たまにいるなーって。
趣味何始めたらいいですかみたいなことをTwitterでつぶやいてる人たまにいるなーみたいな。
それで始めたことが、こうライフワークになり、生活になっていくっていう。
いやいや、これはでもなんか、でも僕らのこのやってるラジオも、
自分たちが好きな海外文学とか文学作品をコンスタントに読んで、
話し合えたらいいねぐらいで始めたんですけど、
それをなんか週一で継続してやっていくとですね、
だんだんなんだろう、ちょっとこの人たちは大丈夫かと思われることが。
変人扱いされてますよね。
そうですよね。
若干そういうところは重なるなと思いましたね。
何気なく始めたことがね。
私これ最後のこの詩の一文めちゃめちゃ好きなんですけど、
最後の一文がですね、数万ページ読んでも自分の心は読めなかったって締めていて、
ゴーゴーゴーゴーと思ったんですけど、
我々も何百回とエピソードの配信を重ねても、
自分の心は分からないまま終わっていくんですかね。
それはなんかそうですよね。
何故海外文学に惹かれてしまったのかみたいな。
そうですね結局説明できないまま、
そうですね。
時が過ぎてしまって。
自分の心は読めない。
そうですよね。
ちなみに今回のこの 僕には名前があったの刺繍ですねこれの書評
がクォンのノートで公開されているんですけどもその書評を書いているのがの友田 トンさんという代わりに読む人というですね
出版レーベルをされている方が書いていてその方もですね この読む人っていうのが言ってみればすごい無難な人になるつもりが変人になってしまった
人のエピソードですねこれが結構自分にも重なるっていうのをですね 書評でも書いていて結構ねこの話は読書館の人とかはですね
共感できるというか自分そうかもしれないって思う人はいるんじゃないかなと 思いましたね
まあそれがねなんか良いとか悪いとかっていうのではないですけども 気づいたらなんか思ってたのとは全然違う姿になっていたっていうのはですね
これはまあ人 意外とそういうのことあるんじゃないかなというそんな詩ですね
じゃあ次はですねちょっと私が紹介しますが散歩する人という詩でちょっとこれもね テンポがいい文章なんでちょっと読ませていただきたいなと思います
30:05
散歩する人歩いていった道があった歩いていった知らない道だった ゆっくり歩いた急速のために歩き始めたのではなかった
歩幅が一定ではなかった歩いていった足跡は言い訳だ その方向に歩かねばならない切実な理由のような
四方に言い逃れをする中途半端な弁解のような ちょっと足を止めて周囲を見ました試作のために歩き始めたのではなかった
知らない風景だった深い足跡が刻まれた歩いていった そこも終わりもないから歩いていった
何もわからないから歩いていった そこが見えないから終わりがないから歩いていった歩いていった疲れなかった
いつの間にか歩調が早まった健康のために歩き始めたのではなかった 背景の風景が一点で消失していた僕が前に歩いていった風景が後ろに走っていった
歩いていった道があった歩いていった知ってる道だった 知ってる道なのに慣れない道だった
おせっかいのように足を突っ込んだ最後まで言えなかった言葉のように歩いていった 次の日も歩いていった道がなかった足の置き所がなかった歩いていった
最初の一歩を踏み出し2歩目を踏みつけ3歩目を踏みしめ4歩目の足を伸ばした 人肌脱ぎ靴を脱いだ足がすり減っていた歩いていった突然雨が降り出した
足を踏み出せなかった考える必要があった まず傘を誘う歩いていった雨の道を歩いていった足元でダソクたちがピチャピチャ音を立てた
という詩なんですけどリズムもすごくいいんだけど この歩いた時の感覚というか
もあるしきっとこれはなんだろう人生とか自分がどこに住んでいくのかとか そういうことも多分含まれていてすごくいろいろ考えてしまう部分があるなぁと思って
なんか知らない風景だからこそ深く足跡が残ったりするんだろうなとか 知っているのに慣れない道最後まで言えなかった言葉のようにとかってもうすげー刺さってる
このあたりはだいぶいろんなとこに自分の思考が飛んでいく 一変だなぁと思ったのでかなり気に入りました
そうですよねこれを何か散歩する人というタイトルで歩いて行ったから始まるんです けどあの最初はねちょっとそういう
日常的な平和な話なのかなと思いきや 最後の方読んでいくとなかなかちょっと怖い
これも話だなと思いました物事には終わりがあるというか 最後足元で蛇足たちがピチャピチャ音を立てたっていうので終わるんですけど
この終わり方はなかなか強烈なものを感じてですね これを人生に当てはめたり人類の歩んできた道のりに当てはめたりとか
いろいろ考えれる想像できるものかなって思いますし こういうのを読んでも個人的には最後に待ち受けているものがあるっていうのが何とも切なさを感じますね
33:11
最後には我々死ぬわけですから待ち受けてますよ そうですね最後はもう全てが消滅して終わる
そういうちょっと終わりを予感させるっていう話 あとあれです死の中で歩いていったっていうのが何度も挟まれるんですけども
あの言葉がこれがリズムがあって良かったなと思いましたね まさに散歩しているような感覚が持てる詩だなって思いましたね
じゃあちょっと続けてまた私から一編ご紹介したいんですけど 今回は30歳という
30歳という詩をちょっとこれもですね短いのでちょっと朗読させていただきたいと思います 30歳
雲を掴もうとしてある日岩川目にあったぼんやり歩いて道に迷った ぼんやりしていても道は常にあった
されど地球は回るなのに頭はどうして回らないのか悲しいのに涙一滴流れなかった 次の日体が丸ごと流れた大人とは成長した人のことだ
もう少し成長しなければならないらしい 歳を食っても食っても消化できない病気にかかった
っていう詩なんですけどこれめちゃめちゃいいなって 短いけどもう詩らしい詩ですよねこういうのがねもう世界がイメージできる部分から
ガッと広がってきて その中にいろんな思考が巡って
そして割とパンチ力のある言葉で終わるっていう そうですね
いや本当になんかこの今の世の中のこの社会が与えてくるこのプレッシャーというか なんかそういうのをすごく感じさせるけどまぁでも世界はそれだけじゃないよっていうのも
言ってくれているようななかなかこれはすごい詩ですよね 俺どっちかと言ったらこれやっぱりどうしても大人にはなれない部分があるよねっていう
ことを言ってくれてるような気がしたけどね 社会が与えてくるプレッシャーとかそのなんていうか大人はこうでなくてはならない
とかっていうイメージ それだけではないよって言ってくれてるような詩かなとも思いますね
今のすごい現代的な詩だったなと思いますね 次は最後ですねこれ一番最後に収録されている詩
人というタイトルでこの詩はですねどういうことかというと シチュエーションとしては大人になってから学生時代の同級生とバッタリ出くわすような実際にあり
えそうなそういうシチュエーションを描いた詩なんですけども そこからですね話が展開していくとでこれちょっと面白いなと思ったのは主人公が
その出会った同級生というのはもともと交換を持っている人で なんかそんなすごい友達というわけではないんですけど評価している相手交換持って
られていると またその相手とも結局はお互い背を向けて離れていくようなんですね
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なんかそういうちょっと最後やっぱり切なさが出てくるようなシーンですね これもなかなかやっぱりですねもうちょっと考えさせられるものがあるので印象の
残ったシーンとして取り上げてちょっとね感想を話せたらなと思いますね 僕はやっぱりこの詩の中で途中一文ですね
向き合うべきか背を向けるべきかっていうこのバッタリであった同級生に対して 主人公がですねそのように考えるんですけども
これってでも結構自分でも当てはまるなと思うところがあって実際 昔ですねその学生時代仲が良かったり
学生時代に知り合った人でも やっぱりその大人になってじゃあ同じぐらい仲良くなれるかというとちょっと話は違ってくる
と思っていて記憶とか感情としては やっぱり昔どっちかというと仲が良かった人とかだったらやっぱり仲もバッタリであったり
したら嬉しさとかですね懐かしい記憶って出てくると思うんですけど じゃあその人とまた向き合うべきか
それとも大人になった自分たちがもしやっぱりお互いそれぞれ 違うなっていうのがあれば背を向けるべきかとかっていうのもですね
出てくるなと思っていてこの辺はなんか自分でもそういうことはありそうだなという ので本当自分ごとみたいな感じでこの詩は読んでますね
みえさんはその感情にだいぶリンクしちゃったわけですね なんか私はあれですねちょっと後半の方に
みえさんが今言ったその向き合うべきか背を向けるべきか ちょっと後ぐらいに手を繋いでいたはずの人が容赦なく手のひらを返すようにって
あって まあ同じだけどね昔仲良かった人が相変になっちゃうってことあると思うんで
そこの感情にはすごくリンクしたんですけど これでもなんかもうどっちかというとちょっと仲悪くないかなって
この感じ結構人ですよね 生きた時間が
人を分かつ時もあるんだなっていう 最初の詩から最初の人と最後の人はやっぱいいですよね
この詩集がぐるっと回ってくるような感じがあって僕には名前があったと
それがグッと落ちてくる気がする
連作詩集というので全部読んでみるとやっぱり繋がっている部分ってあるんだろうなっていうのは感覚としては思いますし
この人の最後の終わり方ですね今回のこの詩のが人が人を呼んだちょっと前まで人だった人をこの人をっていうので終わっていて
本当人って存在はしているんですけどもでもこのシーンの中だったら主人公の僕かな
僕から見ているその人はもう僕の中の世界ではもう人ではないみたいなんです
なんか人という存在が急に浮かび上がってきたり急に消えていったりするっていうすごい儚さのある本当世界だなっていう
やっぱりこれはこのシーンからは感じましたね
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これ最後にこの詩で終わった後にですね不録というのが入っててこれもいいんですよ
BGMとしないというエッセイみたいなのかな
でBGMとなんか何々しないっていう文章がいくつかあってあと推的効果っていう
推的効果すごい不思議だったんだけど
これはなんか詩なんですかね
そうですね詩だよねきっとねこの辺はちょっと最果てた悲観があるんだよ
まあそんな不録もついてるんで僕には名前があった非常におすすめですね
なんか今回お互いこのね構成案上全然取り上げなかったけど詩を結構選んでるんですけど話したいみたいな
やっぱりばらけましたね
そうですね今回は意外とかぶらなかったですね
俺もうあれだもんなオレンジ色の少年とかすごい意識薄かったけど
そうなんですね
そっかーと思った
そうですね
取り上げてはいないんですけどオレンジ色の少年っていう詩は結構好きで
一応メモはね結構びっしり書いてましたね
じゃあ最後どんな人に読んでもらいたいか感想交えて話して終わりたいと思います
じゃあ私の方からなんか今回はですね詩というよりは音さんというジャンルに触れたような気がしていて
なんか非常にいい読書体験だったなと思ってます
ふと多分屈折した気持ちなんか抱えちゃった時に寄り添ってくれる本なんじゃないかなと思っているので
ペラペラっと読めば何かしら刺さる部分があると思うので
ぜひ気になった方は手に取って見てはほしいなと思います
一度読んでみて収録のためにパラパラ読み返してみたんですけど
結構ですね刺さってくる部分がまた違っていて
これはやっぱ読んだ時の心境とかその自分のその直前の気持ちとかにだいぶ左右されるなと思ったので
これはたまにパラパラ読み返したいなと思いました
非常にいい一冊だなと思います
そうですねペラペラ読めるのがいいですよねこの詩は
僕も本当にたくさんの詩があるんですけど
自分に結構伝わってくる詩が多かったなという印象でした
日常の風景とか出来事が出発点になっていると思うんですけど
ただ言葉遊びとかですね
この自由な展開ですね
この詩の中でのなんかそういうのが楽しめて
大雲さんの想像力豊かなそうした詩にはすごい魅力的ですし
憧れも持ちました
こういうのが書けたらすごく楽しいんだろうなというのも思いました
今回のこの作品は
もしですね
重たい本読むのはちょっと疲れているとかですね
忙しくて本が読めないという時とかに
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むしろ手に取って読みやすい詩集かなと思うので
あとは詩がそんなに得意ではないという方にもすごくお勧めかなと思います
じゃあ次回告知で終わりたいと思います
次回はですね
アリスミスの5月その他の短編をご紹介します
今回ですねちょっとゲストをお呼びする予定でして
本紹介のyoutubeでポッドキャストされている
ヨルさんという方をお招きしてご紹介します
ぜひお楽しみに
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ではまた来週
ありがとうございました
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