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2020-12-07 39:02

第24回「アカシアは花咲く」デボラ・フォーゲル著 ~1930年代に書かれた詩的な散文~

spotify

※今回長いエピソードになってしまったので、2回に分けてお聴き頂くことをオススメします!

【今回の紹介本】

■『アカシアは花咲く』デボラ・フォーゲル著

今回第23回目でご紹介するのはポーランドの作家デボラ・フォーゲルの「アカシアは花咲く」です。

今年、第6回日本翻訳大賞を受賞した作品、物語はなく登場人物もいない、けれども詩的で非常に味わい深い散文を

二人が恐る恐る紹介しております!

是非お楽しみください!

【番組内で紹介したトピック】

■『アカシアは花咲く』デボラ・フォーゲル著 加藤有子訳 

http://www.shoraisha.com/main/book/9784879843715.html


■2021年に向けた企画、発動中!

2021年も「空飛び猫たち」は羽ばたき続けます!

そちらに向けたリスナーが選ぶベストエピソード投票、アンケート、そして年始の配信で読み上げるリスナーからのお便りを募集しております!

詳しくは、空飛び猫たちのnoteをチェック!

https://note.com/cafecatwings/n/n61792d93aece


【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

【SNSでご投稿ください】

番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!

よろしくお願いします!

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

00:03
どうも皆さんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな2人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私小説が好きの会のダイチと羊を巡るカフェのミエの2人でお送りします。文学のプロではない2人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、第0回で話しているので、そちらをお聞きください。
今回ですね、本編に入る前にちょっといろいろお話ししたいことがありまして、これが12月7日配信ですよね。
一応2020年が12月に入っても終わる感じになるんですけど、年末年始に向けてちょっといろいろ企画をしたいので、12月7日段階では準備が整って展開はしていると思うんですけれども、何回やってきたんだ?
3回目?
3回目です。
3回目ですよね、作品紹介で。この後、ボラーノとストナーがあるから、25回で終わるのか。
なので、計25回の作品紹介プラス番外編がいくつかあると思うんですけど、そちらのエピソードのリスナー投票をしたいなと思っております。
これはちょっとお遊びなんで、どれが良かったかなとか、好きなエピソードに投票してもらって、私たちもこれが人気あるんだみたいなのを知りたいので、ちょっと知りたいなと思っているので、ちょっとエピソード投票をやってみたいと思っています。
集まらなかったら集まらなかったりするものなんですけど、ぜひよく聞いてくれている方、もしくは途中から聞いた人でも、これだけ聞いてくれている人でも投票していただいて構わないので、どういうか投票していただきたいので、ぜひお願いします。
あと一応年始、年始というか2021年も今のところやろうと、このラジオを続けようと思っています。
どれくらいのスパンで期間でとか、ちょっと検討の余地はあるんですけど。
なので、このラジオ一応自分たちが、私とみえさんが好きなようにやっているんですけど、改善すべきところは改善したいなと思っているので、ちょっとアンケートを取ろうかなと思っています。
収録段階ではまだ、どれくらいの長さとかどんな内容にしようか検討しないんですけど、可能な限りなるべく短くやりやすいようにしようと思っているので、アンケートご協力いただけたらなと思っています。
あと、これ年末には間に合わない、年末の配信が再来週撮るから間に合わないと思うんですけど、年始一発目はまたちょっと、この第0回みたいにこの空飛び猫たちを説明する回をやろうと思ってまして、
ただ説明するだけじゃつまらないので、ちょっとリスナーからのメッセージを募集してそれを読んでみようかなと思っております。
非常にラジオっぽく、とうとうラジオっぽくなってきましたよね。
03:05
集まらなかったらちょっとどうしようって感じになるんですけど、でもちょっと一回やってみようかなと思っているので。
多分このメッセージ読み上げたりとか、リクエストのこととか読み上げたりする時間ってのは普通の回やっているとなかなか取れないので、この機会にやってみようと思っているので、
メッセージに感想を送りたいとか、リクエストを送りたいとかいう人がいたら、ぜひこの機会にいただけたらなと思っておりますので、よろしくお願いします。
今お話しした3点なんですけれども、この空飛び猫たちのノートという、ノートを知らない人に対してノートを説明は難しいですけど、
ノートというアプリで、ブログアプリみたいなものですね。
Googleホームを貼り付けてやってみようと思っているので、番組情報欄にもURLを載せますし、もちろん検索してもらっても出てくると思うので、
Twitterとかでもしばらく展開すると思うので、そういうところからGoogleホームで参加してもらって、
基本的には個人情報がわからないような感じになっているので、好きなように言っていただければなと思いますので、よろしくお願いします。
じゃあ今回ご紹介するのはですね、デボラ・ホーゲルのアカシアは花咲くという、これ何ですかね、小説ではないんですよね。
そうですね、なんか3文?
3文と言ってもなんていうか、3文の定義は多分聞いている方もぼやっとしちゃうと思うんですけど、
陰を踏んでいない文章のことは3文ということになっちゃうんですけど、とはいえ非常に詩的な表現が多い文章で、
矛盾するかもしれないですけど、詩的な3文の作品ですよね。
なんか詩を読んでいるような感覚ですね。
こちらですね、1930年代ぐらいに書かれた本で、今まで扱った作品の中では一番古いんじゃないかなと思っています。
ポーランドの作品ですね。
こちらですね、多分ほとんどの人が読んでいないと思うんですけど、先週先々週と異動計画を扱ってきて、
おそらく一番読んだことある作品から、おそらく一番読んでいる人が少ない作品に振っているのが、空飛び猫っぽくて、非常にいいなと思うんです。
これ振り幅面白いですよね。
いいなと思うんですけど。
なんですけど、こちらですね、第6回日本翻訳大賞受賞作となっております。
こちらがですね、2020年の5月にこの賞が発表されるんですけれども、
飲み出しは3月から発表されているので、受賞する前からちょっとずつ有名になっていた作品で、
受賞直後かなり有名になった作品、その界隈ではっていう言い方なんですけど、
そうですね。
私の友人でもその辺りで読んだって人多かったですし、
受賞した時って確か、ちょうど緊急事態宣言待ってた中で、
ああそうか、その時期なんですね、5月だし。
アマゾンでは売り切れてたかな?
そうですよね、売り切れてたと思います。
アマゾン時代はちょっとその時、本がなかなか流通が滞ってたっていうのもあるんですけど、
06:01
で、なんかその時外出する機会があって、新宿のキノクニ屋に行ったんですけど、売り切れてましたね、5月。
その話にね、大地さんとこの本欲しいですよねって話してて、なかなか買えないっていう。
そうですよね、三谷さん買ってましたもんね、すぐね。
そうですよ、僕は京都のマルゼンで、まだ置いてあったので買えたんですけど。
東京ではですね、大きい本やらなかったんですよ。
でもその時そんなに行動できなかったんで、1店舗ぐらいしか行かなかったんですけど。
で、私はその後買ったんで、帯が日本翻訳大賞受賞となってますね。
じゃあやっぱり違いますね、帯が。
そうですよね、6月19日に印刷してるんで、多分急に売れた本ですね。
本当ですね。
ちょうどあの時まだ空飛び猫の準備段階ぐらいの時でしたもんね。
で、いろいろ話してる時にこの日本翻訳大賞の話になったのを覚えてますね。
翻訳大賞という意味ではめちゃくちゃ納得の一冊ですよね。
今回読んでやっぱすごいなと思いましたね。
しかももともとイディッシュ語っていうマイナーな言語と言っていいんですかね。
発表時代はイディッシュ語だったんですけど、
ポーランド語版に本人が書き直したやつをこれは一応翻訳して、
一応ポーランドからの翻訳ではあると思うんですけど、
多分イディッシュ語も加藤有子さんは読んでますよね。
多分。
そうですね、本の中にイディッシュ語作品も一応入ってる。
だからイディッシュ語でも予測してますもんね。
ポーランド語と。
前出ししちゃったけどちょっと署名いきましょうか。
そうですね、いきましょうか。
今回紹介するのはデボラ・フォーゲルが書いたアカシアは花作になります。
将来者から出版されていて加藤有子さん役になります。
2018年の出版になります。
じゃあ私の方が戦艦機のポーランドの作家、
ブルーノシルツの第一短編集、一見色の店、成立に多大な影響を与えた存在として知る人と知る存在だったデボラ・フォーゲル。
今世紀に入ってからその作品が再発見され、世界のモダニズム地図を書き換える存在として注目を集めている。
その短編集、アカシアは花作と、ディッシュ語で発表された短編3作を収録。
ブルーノシルツによる書評も収めた。
となっておりますが、このあらすじは今回正直どうでもいいというか。
もう内容触れてないですからね。
これ一応、消費者のホームページから持ってきたんですけど、どうでもいいかなというところですね。
ちょっとデボラ・フォーゲルさんについて話しておきたいんですけど、この方ですね、1930年代にこの作品書かれてるんですけれども、ユダヤ人ですよね。
ポーランドに生まれたんですけど、当時オーストリア領だったので、ドイツ語とポーランド語が話せます。
後にですね、イディッシュ語という、これがイディッシュ語っていうのが、一応ユダヤ人が使っている言語、言葉になります。
で、こちらを学んで、デボラ・フォーゲルさんはこちらの言葉を執筆言語として選択しました。
09:06
で、イディッシュ語で視野作品を発表していて、そのうちの一つがアカシアが花作でした。
で、これは後にですね、さっき話したんですけど、ポーランド語でも書き直されています。
悲しいんですけど、1942年にドイツナチスの手により、家族ともども射殺されてしまったという経歴を持っております。
って聞くと、かなり重くなっちゃうんですけどね。
そうですね。
今回の目的なんですけど、結構この本、非常に話しにくい点もありました。物語はないし、登場人物もいないしてることなんですけど。
なので、今回でも読んですごい印象に残る本ではあったので、今回このラジオで取り上げるという目的としてはですね、
もうすごいファーストステップなんですけど、この本を一人でも多くの人に知ってもらうっていう非常に低いハードルをちょっと三重さんと話して設けました。
そうですね。だからね、しゃべるの難しかったんですよね、今回ね。
そうなんですよね。いや、これ結構冒険してます、私。実は。
まだこれから話しますけど。
まあそうなんですけど。
なので、今越でも興味を持ってもらえたらなと思ってます。綺麗な言葉が並んでるので、ハマる人はマジでハマると思います、これ。
結構ね、なんか感動する言葉とかもあったりして。
なんかちょっと励まされてる気分になりませんでした?
そうですね。
なんか生きるってことに対して。
確かに、そうですよね。
急にそれでも生きることには価値があるとか言葉出てくるじゃないですか。
おおっていうか。
じゃあちょっと行きましょうか。
はい。
まず、アカシアは花咲くなんですけど。
アカシアは花咲くっていう短編も入ってるんですけど。
アザレアの花屋とアカシアは花咲くと鉄道駅の建設。
あと後期イディッシュ号作品。これが30編入ってます。
で、あと書評が入ってるんですよね。この当時のアカシアは花咲くに向けての。
そうですね。それと航海往復書館ですね。
これが書評を受けて、デボラ・ホーゲルさんが書評をしてくれた人たちに対して応答してる文章というか。
これ面白かったですよね。この作りもね。
そうですね。作品読んだ後読むと結構理解がちょっと深まると言いますか。良かったですね。
一方通行じゃないのがいいですよね。それに対してデボラさんがちゃんと返してて、そこはすごく理解をしてもらえたんですねとか。面白いですよね。
で、今回主に話すというかちょっと話せるという。話すわけじゃないんですけども感想みたいな感じなんですけど。
アザレヤの花屋とアカシアを花咲くと鉄道駅の建設というこの3編について話していきたいと思ってます。
まずですね。重要なことはですね。これ物語ではないということですね。
登場人物はいません。守護が人じゃないですね。そもそも。そこが面白いですね。まず。
12:01
自分の印象なんですけどなんというか空間というか時間。空間時間みたいなのが守護になっている感じがすごく私はしましたね。
守護というか描かれているというかなというか。
そうですね。
一応これ副題なのかな。アカシア花咲くモンタージュってなってて。
一応このデボラ・ホーゲルさんはこれはモンタージュというなんていうか手法の文章なんですっていうことみたいなんですけど。
作者がモンタージュですと言ってるんですけど。
モンタージュっていうのはもうどういう意味なんだっていうところがなかなか難しいんですけど。
調べた限り組み立てるとかそういう意味だったりとかするんですけど。
印象としてはなんか自分としてなんかこれ同じ言葉がすごく繰り返し出てくるんですよ。
なんか同じ表現なのかな。なんて言ったらいいのか。
それでなんかこうなんか散りばめられている感じがモンタージュだったりするのかなとか思ったりしました。
一番この辺りどうですか。このモンタージュっていう。
そうですね。このさっきその登場人物いないという話とちょっと重なってくるんですけど。
なんかその作風がすごいスケッチのようなイメージで。
なんでそういう意味ではデボラ・ホーゲルさんが見ていたその瞬間とかその時の場面とかを描いているような気がして。
でそうなると繰り返しで登場する言葉としてなんかモンタージュっていうのがあるのかなと思ったりも。
いわゆる小説とちょっとまた違った表現の仕方になってきているのかなと思いますね。
そのスケッチで例えると言うなら私が主にこの繰り返しで使われている言葉。
あの句形とかカシャって言った単語も結構出てくるんですけど粘着性とか粘着粘り気とかよく出てくるじゃないですか。
これすごく使われるんですけどなんかそれがある意味色みたいな感じですね。
繰り返し使う色が決まっているみたいなメインの色が決まっているみたいな。
これがあの文章の中に散りばめられてて確かにスケッチっぽいなっていう感覚はすごくありますね。
これ言い方あれですけど意外と面白いんですよね。
これがある。
まさかこんな表現とかありえるんだって思うような言葉が結構ね。
散りばめられていて。
そうですよね。
ちょっとこれ言い方ですけどちょっとこのモードに入らないと理解できないです。
理解してないんですけどそもそも。
そうですね。
そういう意味では本当そうですよね。
文脈から感じるとかではなくて本当その言葉言葉一つ一つにたどっていくっていうか一個一個は切り離して読んでいくみたいな。
そうですよね。
でも切り離されたものだけを急に前に出されても多分その文章なんだろうと思っちゃうんですけど。
これ読んでて浸ってる状況でその独立したっていうかその言葉が出てくるから急にハッと刺さられますよね。
マイページごとぐらいにすごい印象に残る言葉があるので。
確かに。
そうですね。
本当に2、3行ぐらいの表現なのに本当マイページマイページつい見入ってしまいますよね。
15:02
だからこれ結構実際短いんですよ。
そうなんですよね。
ページ数もメインは多分150ページ160ページぐらいしかなくてあと解説とかさっき言った書評とかになってるんですけど。
それもですねこれ解説読むと書いてあるんですけど原作が結構行間を取ってるみたいで文字の密度はかなり低いですよね。
他の一般的な本に比べると。
文章量かなり短いんですけど読むのに時間かかりましたね。
私はかかりました。
そうですね僕もそうですね確かにこのページ数にしたらちょっと時間かかったかもしれないですね。
具体的に話すのが非常に難しいのでちょっと印象に残った文章をちょっとご紹介して進めていきたいと思ってます。
ちょっとまずじゃあちょっと私からでもこれ私一番最初の1行目すごいなと思ったんですよ。
本当ですよね開いて一番最初ですよね。
本当本当ですよねこれすごいですよね。
確かに良かったです。
これアザレヤの花屋っていうのが一番最初に入っててそれの街路と空っていうこれ章なのかななんだろうもうその1行目ですよね。
ちょっと読み上げますがその日街路は空を映した空は灰色で暖かい空が灰色の時街路はいつも冷えしながら甘い灰色の暖かい海のようにってあるんですけどこの私この街路はいつも冷えしながら甘いっていうこの表現なんだろうと思って。
そうですよね。
なんだろうということで引き込まれましたね。
1ページ目のこの街路はいつも冷えしながら甘いっていう。
そうですねしかも空が灰色の時ですからね。
そうですねもうなんかイメージが全くできないけどなんか非常に印象に残る言葉から始まるので最初これ結構灰色が出てくるんですけど20ページぐらいだったか20ページのここもなんかすごく不思議と励まされる文章だったというか。
20ページなんですけどどっから読もうかなっていうぐらいなんですけど最初からめっちゃいいんですよね。
そうその時人間たちはもう一度憧れることを欲するって文章あるんですけどそこもいいんですけどでもそこから読むと結構長いので途中から読もうかな。
街路が海のようで灰色の空を映し出す日こんな日は失った事柄への未練をどうすることもできないそれでもこんなにたくさんの日々が人生にはありこんなにたくさんの人がいる忘れなくてはならない
人生には私たちが待つ何かがまだあるっていうところでこの章を終わるんですけどこれ章の一番最後のところを今読んだんですけどこれもちょっと意味が定る文章だったなと思って。
そうですねここ良かったですよね本当に。
これもうちょっと前からすごくいいんですけど一番最後の忘れなくてはならないっていうのが何にかかってるかちょっと私よく掴みきれなくて人生に私たちを待つ何かがまだあるということを忘れなくちゃいけないのか
いやその前のたくさんの日々が人生にはありたくさんの人たちがいるってことを忘れなくてはならないのかどういう意味なんだろうなって結構そこでどっちにかかるかでだいぶ意味合いが変わってくるなと思ってて
18:09
たくさんの日々が人生にあってたくさんの人がいるってことを忘れなくては人生に私が待つ何かがまだあるってことを感じられないのかなとか
それとももうたくさんの日々が人生にあってこんなにもたくさんの人がいるから何が待ってるか忘れなきゃいけないのかなとかどっちなんだろうなと思ったんですけど
でも私は前にかかってる気はしてはいるんですけどね
なるほど
まあでもねこればっかりはちょっと見聞からどう思ってきてるかもよくあれなんでわからないので
でも全体としてこのガイロが海のようで灰色の空を映さすこんな日は失った事柄への未練をどうすることもできないってのはもうめちゃくちゃ刺さりましたね
そこの一文がよかった
もうめちゃくちゃいいですよね
いいですよね
なんかすごく人生を
これ全編通してたんですけど
人生というか生きることに関して何かこう強いメッセージを感じる文章多いんで
ここもそうなんですけどね
みなさん何か残ったとこあります?
そうですね僕は11章っていう
いいのかな
永遠に砕けた心という章があってその中の途中の本当一言なんですけども
そして不意に人生には幸せが必要なのだということが明らかになる
同時に砕けた心を抱える人がいっぱいいることもわかったという一言なんですけども
これもなんかね不意にパッてこの言葉に出会ってしまうんですよね
急に来る感がありますよね
そうですね特にこの砕けた心を抱える人がいっぱいいることもわかったっていうのが急に言葉として現れてくるので
ハッとして
人生について語っていてちょっとその何というかやっぱり詩的な言葉で表現してるんで
その人生とはっていうのを結構読んでいると美しいものにやっぱり思えてくるんですね
そういう流れで読んできての急にこの砕けた心を抱える人がっていう厳しい表現というと言い方なんですけど
こういうのがすごいいいなと思いますよね
文章自体がここはもうこれだけ切り取ってももっとすごいわかるっていうか
そして不意に人生には幸せが必要なのということが明らかになるって
現代の自分の感覚でもすごくわかるっていうか
そうなんですよね
忙しい時に急になんかやっぱ幸せじゃないとダメだなみたいな思う時あるじゃないですか
そうですよね
疲れてる時とかなんかそういう時いろんな程度は
この時代の生きるって相当意味合いがもしかしたら違うのかもしれないですけどね
俺はいつもこうこの文章を読んでしまったときに
とても楽しくて
ていうかな
次の話です
好きでしたね
これは流行的に
21:00
うっとうと
何十本書くか
14章で
『生をめぐる論考第一章』という章で
ここの書き出しがあのすごい好きでしたね
午後4時と午後5時の間のそのひととき 人生いつも壊れてしまっているって言う
どんなこともその間は自分たちには起きることはないって言うですね
これもどういう意味なんだろうと思いつつ でも書いてあることに関してはすごい良いこと書いてあるなと思えてきてですね
確かにね わかる
これ10月の琥珀色の夕闇に出ればって書いてあるけど
ちょっとポーランドの10月ってどういう季節なんだかわからないですけど
結構日が暮れている状況ってことですよね 夕暮れ
たぶんそうですね
夕闇に出れば
4時と5時の夕闇 人生はいつも壊れている どんなことも私には起こり得ないって
なんかすごくイメージはできますよね
そうですね
それをここで得たイメージも伝えにくいんですけどね
そうですね 一応この後この章では町の中で働いている人の描写があったり
美容師さんの話とかあったりするんですけど なかなか説明が難しいという
その意味でこの章全体を読むとちょっとどういう話なんだろうって
分かりづらいんですけど この書き出しの2行だけでもやっぱりいいなと思って読めるところがあって
確かにこのあたりは結構励まされている感じがありましたね
なんか現実的なことも突きつけられつつみたいな
人生の厳しさみたいなのも描いてるけど
それでも生きていくことには価値があるとか
切り抜けねばならないとか忘れることができるとか
要所要所うまい感じに差し込まれてて
このテクニックというか提示の仕方は非常にうまいなと思いますね
今話したのは全部アザレアの花屋という作品の
これが21章構成のやつからちょっと抜粋させてもらったもので
一応これアザレアの花屋っていうのは1年間なんですよね ある年の
年代域とも書かれてるけど
4月から始まって11月で終わるのか
ちょっと不思議なあれなんですけど
話ではないっていうかうまく言えないんですけど
描写というかさっきみえさんが読んだとこ
秋あたりからなぜか性に対する論考が深まっていくっていう
生きるとか人生に対する論考が深まっていくっていう作りになってて
私結構好きでしたアザレア
僕も好きでしたね
24:08
一応次がアカシアは花咲くという作品になりますね
そうですねアカシアは花咲くは先ほどのアザレアの花屋よりも
ちょっと哲学的な話が増えてきた印象があって
そうした中で僕が好きだったなと思ったのが
この3章のパーケリンが膨らむという
ここの最後の言葉なんですけども
こんな具合に生活そのものが粗悪品であふれかえる
10月の灰色のように甘くもなれば
出発や全人生で一度きりの出来事のように
悲壮で傲慢にもなれる
そんな垂直と水平の世界のギガだった
という言葉なんですけども
ここ私も印象に残りました
粗悪品ってところがかなり
その前に結構本当に具体的なものの描写とかも
あったりするんですけども
それを粗悪品であふれかえるみたいなまとめをして
なんていうんですか面白いと思ったのが
一番最後なんですけども
締めがそんな垂直と水平の世界のギガだったという
この垂直と水平って一体何なんだろうって
思ってしまって
ここがわかればこのデモラ・フォーギルの描いていることが
すごいやっぱり感じ取れるのだろうなと思ったりもして
僕はこの垂直と水平何かっていうのは
なかなかピンとこなかったんですけども
でも表現としてすごい好きで
イメージできないけど文章の流れとしてめちゃくちゃいい質問ね
そうなんですよねすごいいい文章で
しかもこういう表現の仕方
垂直とか水平とかってすごい面白いなと思って
このでも粗悪品があふれかえる
結構すごく現代的だなと思って
1930年っぽくないなってすごく思いながら
読んでましたね
本当ですね
言われると確かにそうです
流通がすごくしっかりされているというか
いろんなものが大量生産できる状況にあってなのかなとか
でも状況もしかしたら逆かもしれないですけどね
いいものが多く作らなくて
悪いものばっかりあふれちゃってるっていうことなのかもしれないなとか
思いながらどっちなんだろうなとか思いながら読んでましたけど
この次の章が14章幕間劇
コーヒーってあるんですけど
これなんか不思議な章じゃなかったですか
そうですよね
ここに関しては結構僕すんなり入ってきましたね
すごいなんかもうコーヒーブレイク感ある章ですね
なんか急にコーヒーの話になって
なんか世界中にコーヒーがブラジルとかスマトラから
コーヒーが輸出されて世界中に行き渡ってるんだっていうのが
27:03
ちょっとイメージが全然できなくて
でもそういうことなんだろうなと思って
しかもまずいコーヒーじゃなくておいしいコーヒーの話してるじゃないですか
おそらく
そうですよね
ちょっと私印象に残ったのが
これ人間がコーヒーを飲むのは
黄色い明かりの灯る灰色の夕方
またもや何かがダメになってしまった
夕刻ってあるんですけど
であって最後ですねいろいろあって
最後じゃないですけどすごく印象に残ってるのが
それでもコーヒーは必要に一体においしげる雑草とは違う
コーヒーそれは何百もの規則正しく固いアロマの楕円
それは甘美な粉という形
楕円のこのような雫を
その辺の雑草のように扱うことなどできない
それだからコバルトブルーの海へ
贈り物に出すために
黒人たちの疲れ果てた手のひらが
それらを撫でさえする
コーヒーは世界に整えておくべきだ
っていう文章で終わるんですけど
なんかすごくコーヒーをちゃんと扱ってますよね
そうですね
結構コーヒーへの愛が強いですね
ここで急に
しかも急に
本当ですよね
コーヒー急にきますもんね
印象残れますよねすごい
みんさんもコーヒー好きだからだと思うんですけど
私もすごいコーヒー愛してるこの人
めちゃくちゃコーヒーに対する表現がいいですよね
そうですね
何百もの規則正しく固いアロマの楕円って
すごい表現するなと思いましたね
大地さんが言うな
人間がコーヒーを読むのは
黄色い明かりの灯る灰色の夕方とか
いいですよね
こんな表現できるようになりたいなって思います
思ったぐらい良かったですね
コーヒーを飲むタイミングの話をしてる話ですけど
またもや何かがダメになってしまった
夕刻ってすごいなって思いますね
そうですね
そういう時に人間はコーヒーを欲するんだみたいな
すごいわかると思って
ほんまですね
というだけのくだりなんですけどここは
でも良かったですよね
突然こんなページが現れてするから面白いんですよね
あとは結構やっぱり
哲学的な話とか
また生きるの話とかに出てくるかなと思うんですけども
僕が
ちなみに次が一番好きな言葉があって
110ページで17章のアカシアは花咲くという
表題の章なんですけど
そこの出だしが
不意に広場のアカシアが花開いた
その後怒らなかったけれども
怒り得たものの悲しい匂いで
30:00
あらゆる街路を満たした
こういう言葉があってですね
怒らなかったけれども
怒り得たものの悲しい匂いで街路を満たしたという
それって想像力の世界かなと思ったんですね
そういう表現っていいなと思って
そうか
なるほど
一番最初が不意に広場のアカシアが花開いたってあるんですけど
ここにすごい季節の繰り返し感を感じたんです
この季節
6月なんですけども
6月になってアカシアが花開いたと
それは例年のことで
去年も開いていたと思うし
何年も前にも開いていたと
これから先も開いていたと
その中で今年も開い
不意にアカシアが花開いて
でもそこでおそらくデボラ・フォーゲルがいろいろ想像したと思うんですよね
過去と違って今現在はこうだからみたいな
何かそういう思うところがあったのかなという
広場のアカシアが花開いたという言葉だけなんですけども
すごいそこに考えさせるものがあったなと思う
すごい好きですね
私その次のページも同じ章なんですけど
111ページの頭のところがすごく印象に残って
こうして重要で偉大な出来事の時代が再び始まる
これまで理解されなかった重大さを帯びる
悲しくて悲壮な事件の時代
それはあの不運な出会い
不幸せな愛であり
悲しい手の届かない
幸せなのだが
それでも幸せあることには変わりはない
そして再びアカシアは花咲く
っていうところがあるんですけど
そうかこれまた6月アカシアが花咲くってことか
なるほど
なんかねこの不運な出会い
不幸せな愛
幸せなのだが
それでも幸せであることには変わりはないとか
なんかこう
この一番最初の
今三枝さんが印象に残ったって言ったところと
かかってますね
起こらなかったけれども
起こり得たものの悲しい匂いっていうのと
そうですね
大志さんに読まれたところで
やっぱりその
これまで理解されなかった重大さを帯びるっていうので
あのなんて言うんですかね
おそらくその過去から周りの出来事って
すごい大変な状況だったと思うんですけど
なんかそこのでもね
本当の深刻さというのが
やっぱり年々大きくなってきているというか
それをデボラフォーゲル自身も
だんだん大きく感じ取ってきているのかな
っていうのもね
そうですね
この多分アカシアっていう
言葉というか
アカシアの意味か
タイトルにもなっているから
当たり前ですけど
多分すごく重要なんでしょうね
この書の中だけでも
いろんなこと考えられちゃうんですけど
アカシア
最初のさっき三枝さんが読んだ
くれた文章の中だと
33:01
起こらなかったけれども
起こり得たものの悲しい匂いっていうのが
多分アカシアですよねきっと
ってなると
それを象徴しているのがアカシアとすると
結構アカシアが花咲くっていうのは
成し得たかったけれども成し得なかったこととか
いろんな意味合いを持ってそうで
それがこう
主張しているみたいな感じにも
捉えることができるので
もう全然これ想像の域にしかないんですけど
そうですね
いろんなこと考えちゃいますね
この章だけでも
そうですね
これ16章なんで
もっと前の前から
重たい話を
結構書いてきているから
アカシアを花咲くのってやっぱり
グッてきますね
一応この後は鉄道駅の建設があるんですけど
ちょっと時間的にあれなんで
ここの辺りで締めたいと思います
でもだいぶ魅力の一端は
紹介できたんじゃないかなと
そうですね
不意に出会う言葉を
紹介できたかなというのは
これを機に興味を持っていただければなと思います
いつも通り最後
全体的な感想とどういう人に読んでほしいか
話して終わりたいと思います
話しとるんですけど
文章がすごく美しいんですよ
なのでそういう文章が好きな方とか
触れたい方には
かなり向くのと
あと物語とかストーリー展開みたいなのがないので
そういうことによって
読んでてスピード感が増すとか
そういうことは一切ないので
ゆっくり文章を味わいたい人とかには
すごく向いてるんじゃないかなと思ってます
実際ですね
私もこれ2回読んだんですけど
1回読んでよくわかんないなと思って
2回読んだんですけど
読むのにも結局時間同じくらいかかってたし
まだまだ私もですね
アカシアが何を意味するのかとか
灰色ってなんだろうとか
ちょっと理解度がかなり低いとは思ってるんですけど
それでもやっぱりですね
すごく心に残る言葉とか
この本から得たイメージとかあって
非常に面白い読書体験でした
読むたびに結構イメージ変わるんじゃないかなと思います
なので万人に会うわけではないかもしれないんですけど
ハマる人にはハマる本だと思うので
ぜひ立ち読みして
ハマりそうだなと思ったら
自分の本棚に収めてもいいんじゃないかなと思います
そうですね
僕も読んでみて
よくわからなかったんですけど
ただ不思議な感覚の美しさがあったというのが
率直な感想ですね
時代にしても場所にしても
今の日本からは遠い話なんですけど
しかもすごい難しく書かれているんですけど
でも通じ合うところがあったと
そういう文章に出会えることができたというので
そこは良かったなと思ってます
これが書かれたのが
1930年代のポーランドのリビューという
36:00
町なんですけども
そこってすごく戦時中で
だんだん厳しい時代になっていく状況の中で
そこでデボラ・フォーゲルが
30代半ばで書いたと思うんですけど
そこも面白いなと
伝統的な小説とかではなくて
こういう形の3文を書いたというので
登場人物とか
そういう人の個性みたいなものを消したような
文章ですので
それを思うと
こんな文学作品というのが
その当時書かれたというのが
すごい面白いなと思ったし
それを今の時代に読めるというのも
すごい感慨深いなと思ったので
文学作品好きな人は
読んでみて
面白いなと思いました
面白かったというか
伝えられたかどうか
伝えることができたかどうか
ちょっと不安なとこはありますが
僕今までの
扱ってきた中で一番難しかったですね
この本が
本当ですね
実際ちょっと迷いましたね
やってよかったんじゃないかな
そうですね
正直ね
読んで
すごいやっぱりいいことが
言葉がね
本当にたくさんあったんで
そこはね
やっぱり取りあえず
紹介したかったなというのはありますね
よかったですね
これね
紹介するとなかったら
私多分読むのをだいぶ後回しにしたかもしれないんで
確かに
このタイミングで読めても
よかったなと思ってます
あれですね
日本翻訳大使を
基本的にいろんな人が
最初の大使選考の中では
推薦できるじゃないですか
来年の時は
私たちも投票してみましょうか
やってみますと
音楽ラジオそろとび猫たちの名前
別にそれぞれの
個人の名前でやってもいいかもしれないですけど
2人で1票考えて
やってみましょうか
いいですね
あれハンドルネームでもいけたから
別にお互いの活動の名前にしてもいいし
そろとび猫の名前にしてもいいし
押したいのはあるかな
あると思うな
ありそうですねお互い
期間決まってるもんだから
そんな予断はありつつ
じゃあ次回を告知で終わりにします
次回はですね
ロベルト・ボルラーニョの
2話でございます
こちらは三枝さんが大プッシュの
僕が好きなサッカー
3人いるんですけど
その中の1人になります
番組の完成はリクエスト
このラジオを聞いて紹介されてる方を
読みました読み返しましたなどありましたら
ハッシュタグそろとび猫をつけて
教えていただけると大変嬉しいです
ツイッターやインスタの投稿
DMやリプライなどでもお待ちしております
メールアドレスも番組情報欄に載せてますので
そちらからいただいても大丈夫ですので
積極的にやっていただければなと思います
また気にいただけたら
拡散共有していただけると大変助かります
ではまた来週の配信お楽しみに
それではまたありがとうございました
39:02

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