集まらなかったらちょっとどうしようって感じになるんですけど、でもちょっと一回やってみようかなと思っているので。
多分このメッセージ読み上げたりとか、リクエストのこととか読み上げたりする時間ってのは普通の回やっているとなかなか取れないので、この機会にやってみようと思っているので、
メッセージに感想を送りたいとか、リクエストを送りたいとかいう人がいたら、ぜひこの機会にいただけたらなと思っておりますので、よろしくお願いします。
今お話しした3点なんですけれども、この空飛び猫たちのノートという、ノートを知らない人に対してノートを説明は難しいですけど、
ノートというアプリで、ブログアプリみたいなものですね。
Googleホームを貼り付けてやってみようと思っているので、番組情報欄にもURLを載せますし、もちろん検索してもらっても出てくると思うので、
Twitterとかでもしばらく展開すると思うので、そういうところからGoogleホームで参加してもらって、
基本的には個人情報がわからないような感じになっているので、好きなように言っていただければなと思いますので、よろしくお願いします。
じゃあ今回ご紹介するのはですね、デボラ・ホーゲルのアカシアは花咲くという、これ何ですかね、小説ではないんですよね。
そうですね、なんか3文?
3文と言ってもなんていうか、3文の定義は多分聞いている方もぼやっとしちゃうと思うんですけど、
陰を踏んでいない文章のことは3文ということになっちゃうんですけど、とはいえ非常に詩的な表現が多い文章で、
矛盾するかもしれないですけど、詩的な3文の作品ですよね。
なんか詩を読んでいるような感覚ですね。
こちらですね、1930年代ぐらいに書かれた本で、今まで扱った作品の中では一番古いんじゃないかなと思っています。
ポーランドの作品ですね。
こちらですね、多分ほとんどの人が読んでいないと思うんですけど、先週先々週と異動計画を扱ってきて、
おそらく一番読んだことある作品から、おそらく一番読んでいる人が少ない作品に振っているのが、空飛び猫っぽくて、非常にいいなと思うんです。
これ振り幅面白いですよね。
いいなと思うんですけど。
なんですけど、こちらですね、第6回日本翻訳大賞受賞作となっております。
こちらがですね、2020年の5月にこの賞が発表されるんですけれども、
飲み出しは3月から発表されているので、受賞する前からちょっとずつ有名になっていた作品で、
受賞直後かなり有名になった作品、その界隈ではっていう言い方なんですけど、
そうですね。
私の友人でもその辺りで読んだって人多かったですし、
受賞した時って確か、ちょうど緊急事態宣言待ってた中で、
ああそうか、その時期なんですね、5月だし。
アマゾンでは売り切れてたかな?
そうですよね、売り切れてたと思います。
アマゾン時代はちょっとその時、本がなかなか流通が滞ってたっていうのもあるんですけど、
で、なんかその時外出する機会があって、新宿のキノクニ屋に行ったんですけど、売り切れてましたね、5月。
その話にね、大地さんとこの本欲しいですよねって話してて、なかなか買えないっていう。
そうですよね、三谷さん買ってましたもんね、すぐね。
そうですよ、僕は京都のマルゼンで、まだ置いてあったので買えたんですけど。
東京ではですね、大きい本やらなかったんですよ。
でもその時そんなに行動できなかったんで、1店舗ぐらいしか行かなかったんですけど。
で、私はその後買ったんで、帯が日本翻訳大賞受賞となってますね。
じゃあやっぱり違いますね、帯が。
そうですよね、6月19日に印刷してるんで、多分急に売れた本ですね。
本当ですね。
ちょうどあの時まだ空飛び猫の準備段階ぐらいの時でしたもんね。
で、いろいろ話してる時にこの日本翻訳大賞の話になったのを覚えてますね。
翻訳大賞という意味ではめちゃくちゃ納得の一冊ですよね。
今回読んでやっぱすごいなと思いましたね。
しかももともとイディッシュ語っていうマイナーな言語と言っていいんですかね。
発表時代はイディッシュ語だったんですけど、
ポーランド語版に本人が書き直したやつをこれは一応翻訳して、
一応ポーランドからの翻訳ではあると思うんですけど、
多分イディッシュ語も加藤有子さんは読んでますよね。
多分。
そうですね、本の中にイディッシュ語作品も一応入ってる。
だからイディッシュ語でも予測してますもんね。
ポーランド語と。
前出ししちゃったけどちょっと署名いきましょうか。
そうですね、いきましょうか。
今回紹介するのはデボラ・フォーゲルが書いたアカシアは花作になります。
将来者から出版されていて加藤有子さん役になります。
2018年の出版になります。
じゃあ私の方が戦艦機のポーランドの作家、
ブルーノシルツの第一短編集、一見色の店、成立に多大な影響を与えた存在として知る人と知る存在だったデボラ・フォーゲル。
今世紀に入ってからその作品が再発見され、世界のモダニズム地図を書き換える存在として注目を集めている。
その短編集、アカシアは花作と、ディッシュ語で発表された短編3作を収録。
ブルーノシルツによる書評も収めた。
となっておりますが、このあらすじは今回正直どうでもいいというか。
もう内容触れてないですからね。
これ一応、消費者のホームページから持ってきたんですけど、どうでもいいかなというところですね。
ちょっとデボラ・フォーゲルさんについて話しておきたいんですけど、この方ですね、1930年代にこの作品書かれてるんですけれども、ユダヤ人ですよね。
ポーランドに生まれたんですけど、当時オーストリア領だったので、ドイツ語とポーランド語が話せます。
後にですね、イディッシュ語という、これがイディッシュ語っていうのが、一応ユダヤ人が使っている言語、言葉になります。
で、こちらを学んで、デボラ・フォーゲルさんはこちらの言葉を執筆言語として選択しました。
で、イディッシュ語で視野作品を発表していて、そのうちの一つがアカシアが花作でした。
で、これは後にですね、さっき話したんですけど、ポーランド語でも書き直されています。
悲しいんですけど、1942年にドイツナチスの手により、家族ともども射殺されてしまったという経歴を持っております。
って聞くと、かなり重くなっちゃうんですけどね。
そうですね。
今回の目的なんですけど、結構この本、非常に話しにくい点もありました。物語はないし、登場人物もいないしてることなんですけど。
なので、今回でも読んですごい印象に残る本ではあったので、今回このラジオで取り上げるという目的としてはですね、
もうすごいファーストステップなんですけど、この本を一人でも多くの人に知ってもらうっていう非常に低いハードルをちょっと三重さんと話して設けました。
そうですね。だからね、しゃべるの難しかったんですよね、今回ね。
そうなんですよね。いや、これ結構冒険してます、私。実は。
まだこれから話しますけど。
まあそうなんですけど。
なので、今越でも興味を持ってもらえたらなと思ってます。綺麗な言葉が並んでるので、ハマる人はマジでハマると思います、これ。
結構ね、なんか感動する言葉とかもあったりして。
なんかちょっと励まされてる気分になりませんでした?
そうですね。
なんか生きるってことに対して。
確かに、そうですよね。
急にそれでも生きることには価値があるとか言葉出てくるじゃないですか。
おおっていうか。
じゃあちょっと行きましょうか。
はい。
まず、アカシアは花咲くなんですけど。
アカシアは花咲くっていう短編も入ってるんですけど。
アザレアの花屋とアカシアは花咲くと鉄道駅の建設。
あと後期イディッシュ号作品。これが30編入ってます。
で、あと書評が入ってるんですよね。この当時のアカシアは花咲くに向けての。
そうですね。それと航海往復書館ですね。
これが書評を受けて、デボラ・ホーゲルさんが書評をしてくれた人たちに対して応答してる文章というか。
これ面白かったですよね。この作りもね。
そうですね。作品読んだ後読むと結構理解がちょっと深まると言いますか。良かったですね。
一方通行じゃないのがいいですよね。それに対してデボラさんがちゃんと返してて、そこはすごく理解をしてもらえたんですねとか。面白いですよね。
で、今回主に話すというかちょっと話せるという。話すわけじゃないんですけども感想みたいな感じなんですけど。
アザレヤの花屋とアカシアを花咲くと鉄道駅の建設というこの3編について話していきたいと思ってます。
まずですね。重要なことはですね。これ物語ではないということですね。
登場人物はいません。守護が人じゃないですね。そもそも。そこが面白いですね。まず。
自分の印象なんですけどなんというか空間というか時間。空間時間みたいなのが守護になっている感じがすごく私はしましたね。
守護というか描かれているというかなというか。
そうですね。
一応これ副題なのかな。アカシア花咲くモンタージュってなってて。
一応このデボラ・ホーゲルさんはこれはモンタージュというなんていうか手法の文章なんですっていうことみたいなんですけど。
作者がモンタージュですと言ってるんですけど。
モンタージュっていうのはもうどういう意味なんだっていうところがなかなか難しいんですけど。
調べた限り組み立てるとかそういう意味だったりとかするんですけど。
印象としてはなんか自分としてなんかこれ同じ言葉がすごく繰り返し出てくるんですよ。
なんか同じ表現なのかな。なんて言ったらいいのか。
それでなんかこうなんか散りばめられている感じがモンタージュだったりするのかなとか思ったりしました。
一番この辺りどうですか。このモンタージュっていう。
そうですね。このさっきその登場人物いないという話とちょっと重なってくるんですけど。
なんかその作風がすごいスケッチのようなイメージで。
なんでそういう意味ではデボラ・ホーゲルさんが見ていたその瞬間とかその時の場面とかを描いているような気がして。
でそうなると繰り返しで登場する言葉としてなんかモンタージュっていうのがあるのかなと思ったりも。
いわゆる小説とちょっとまた違った表現の仕方になってきているのかなと思いますね。
そのスケッチで例えると言うなら私が主にこの繰り返しで使われている言葉。
あの句形とかカシャって言った単語も結構出てくるんですけど粘着性とか粘着粘り気とかよく出てくるじゃないですか。
これすごく使われるんですけどなんかそれがある意味色みたいな感じですね。
繰り返し使う色が決まっているみたいなメインの色が決まっているみたいな。
これがあの文章の中に散りばめられてて確かにスケッチっぽいなっていう感覚はすごくありますね。
これ言い方あれですけど意外と面白いんですよね。
これがある。
まさかこんな表現とかありえるんだって思うような言葉が結構ね。
散りばめられていて。
そうですよね。
ちょっとこれ言い方ですけどちょっとこのモードに入らないと理解できないです。
理解してないんですけどそもそも。
そうですね。
そういう意味では本当そうですよね。
文脈から感じるとかではなくて本当その言葉言葉一つ一つにたどっていくっていうか一個一個は切り離して読んでいくみたいな。
そうですよね。
でも切り離されたものだけを急に前に出されても多分その文章なんだろうと思っちゃうんですけど。
これ読んでて浸ってる状況でその独立したっていうかその言葉が出てくるから急にハッと刺さられますよね。
マイページごとぐらいにすごい印象に残る言葉があるので。
確かに。
そうですね。
本当に2、3行ぐらいの表現なのに本当マイページマイページつい見入ってしまいますよね。