はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
はい、はじらぢさんでぃ、シーズン5のエピソードラッキーセブンですね。
ラッキーセブン、今日は7月14日。7月14日、7の倍数。
ラッキーセブン、やっぱ7に縁があるんですね。7、7のダブルに、ラッキーセブンですね。ナナづいちゃってますね、はい。
いつもありがとうございます。
ということで、はじらぢさんでぃもシーズン5に入って7個目のエピソードになります。
シーズン5に入って、こう、サブタイトルを付けるようにしてね。
1回目が言葉をデザインする。2回目が、これ後付けで付けたんですが、壁を壊すと広がる世界、2回目。
3回目、バトンが繋がらない。これが一番再生されてるという、ちょっと危ない話してるんですが。
4つ目が一人でできるもん。5つ目が運命の赤い糸。6つ目が時間軸で考える。
今日は7つ目。強い光は濃い影を生む。強い光は濃い影を生む。
というテーマで、第1コーナー、人生いろいろ。第2コーナー、がんばれホモ・サピエンス。
第3コーナー、SNSあれこれ。そして第4コーナー、ザ冬一郎散歩でお送りして参りたいと思います。
今日もぜひ最後までお聞きください。
はじめるラジオキャンパス。シーズン5。プレゼンテッドバイキャンパス。
ということで第1コーナー、人生いろいろ。今日のテーマは、強い光は濃い影を生む。
まあこれいろいろありすぎてね、大変なんですが、昔あのカムイ外伝っていうのがテレビでやってまして、
まあもともとは白土三平さんのカムイ伝というコミックスがあって、これがまたすごい、すごい本なんですが、
政治学の入門書って言って読んでたんですけども、必死になってね。
それを知ったのは学生時代、大学時代なんですが、私は。
その前はテレビでね、アニメでね、カムイ外伝っていうのを見てて、そこで出てくる忍者の話なんですが、
光あるところに影がある。まこと、栄光の何とかの影には、何とかの忍びの忍者があった、みたいなそんな話で始まるんですけどね。
とにかく光あるところに影があるという。
強い光は濃い影を生む。これ誰が言った言葉が知ってますか。これゲーテじゃなかったかな。
あ、そうですね。ゲーテの言葉ですね。
光が強ければ影もまた濃い。これよく使う人いるんですが、これ最初は原点ですね。
ゲーテですね。ゲーテが原点ですね。ゲーテが原典。
これはもうある意味物理的な法則でね、光が強い分、影は濃くなるっていう。
だからこれなかなかいろんなことがあるんですけども、
例えば輝いてる人がいると、そうするとそれに対する妬みも濃くなるとかね、そういうこともあるし、
兄弟で誰かがね、ちょっとお姉ちゃんが輝いてると、妹はやっぱりそこで少し影になっちゃうとか、
あるいは友達同士でね、片やすごく人気者で、片方はどうしても影の光の存在、影の存在みたいな。
よくドラマにもなりますよね、そういうストーリーってね。
なんだろう。やっぱり光と影ってのは永遠のテーマですね、これはね。
人生においてもそうだし、自然界を見てもそうだしね。
そんな話で人生いろいろで光、強い光は濃い影を生む。
何を喋ろうかな。決めずに録音ボタンを押してしまうという。
この癖なんとかしなきゃいけないんですが、強い光は濃い影を生む。
何話そうかな。これはなんていうのかな。
日々無難にこう過ごしてね、当たらず触らずみんなが保身に走って、
それぞれの身を守って生きていれば、こういうことはあんまり起きにくいのかもしれないですね。
つまり弱い光が集まっても、あんまり実は強い光にはならないんですね。
弱い光はいくら集まっても弱い光のまんまでね。
それはそれで例えばろうそくの火がたくさんあって道に置いてあったら、すごく幻想的ないい雰囲気になるし。
私、照明、強い光嫌いで、夜なんか家にいるときは本当に最低限の光しか灯さないんですけども、
強い光はあんまり好きじゃないんですが、弱い光が集まっても強い光にはならないんですけど、
ただ突然太陽のような強いギラギラした光が来たりするとね、
これは周りはなかなか影になっちゃって大変なんですね、これに。
波紋が起きるわけですね、波紋がね。
だからなるべくみんなことを起こさずに、ひそかに静かに当たらず触らずで生きる人も多いんだろうなと思うんだけど、
でもね、やんなきゃいけないときもあるんですね。
みんなで弱い光で細々やってても、世の中の未来がないかもしれない、
その組織の未来がないかもしれないと思ったときにやっぱり、
誰かがなんかやんなきゃいけないときっていうのはあったりするような気が私はしていて。
これがまたやりはじめるのは難しいというか、普通やろうと思わない。
私も子供の頃はそういうのはもうなるべく黙ってる、隠れてる、目立つことはやらない。
それはやっぱり怖いからね、やらなかったんですが、いつからかな?わかんないね。
なんかまあいやいや学級委員長とかなり始めちゃったのが小学校3年生ぐらいからですよね、たぶんね。
だいたい1学期の委員長、2学期の委員長とか、なんか1学期の委員長の方が強い光だったりしてね。
まあよく委員長やってたんですけど、まあそれでやらざるを得ないわけですよね。
自習があったりすると事業でね、みんな騒ぎはじめる、静かにしてくださいっていう役割が回ってくるわけだよね。
静かにしてくださいってもう役割で言うわけね。
何かもう委員長ぶってやだねーなって言われちゃうわけだけど。
だけど静かにしてくださいって言うわけだよね、一応役割で。
それもなんだかやだな、やらされてる感があってと思ってたんだけど。
それと一方でやっぱりなんかその場をなんとかしなきゃいけないみたいな気持ちは出てくるわけね、そこでね。
これはもうしょうがないですよね、そういう役割が振られるわけだから、社会、世の中から。
いろんな場面で、クラスもそうだし他のいろんな集団や社会の中で、やっぱりこうね、なんかまとめ役というかリーダー的な役割っていうのは期待されることが多かったんだよね。
それが嫌だと思った時もあるわけで、なんでこんな貧乏くじ引かなきゃいけないんだと。
俺はこうね、影に隠れて静かに自分のひそかな楽しみだけで生きていきたいんだと思ってても、役割を振られるわけですよ。大人の社会からだいたいね。
振られたら期待に応えなきゃいけないじゃないですか、役割期待にね、ある程度。
応えないと委員長が呼び出されて、怒られたり、怒られたりっていうか、なんとかしろって言われたりとかっていうこともあったし。
なんで俺がやらなきゃいけないんだと思いながらも、まあでもやっぱりそういう部分が育ってっちゃうわけね。
子供だし素直だしね。やってるうちにこれを上手にやろうと思うようになるわけね。
その時にこう、たぶん大きく2つあると思うんですよね。
談合型というか、まあまあまあまあ、なんとかみんなでやったことにしとこうぜみたいな、そういう裏取引みたいなのをしてやる形もあると思うんだけど、
一方で正義感でね、正義面してもうとにかく強権的にやるってやり方もあるんだけど、これどっちもダメだなと。
正義感を振りかざしててもダメだなと。正論だけ吐いててもダメだなと。
やっぱりある程度、談合とは言わないけども、こう、なんていうかな、気心通じてうまくやるみたいなところも必要だと。
これもなんだろう、やっぱり大体こう、いわゆる当時は不良って言葉があって、今それ使うと問題になりますが、
不良って言葉があって、やっぱり不良に目つけられるわけだよね。いじめられたりするわけね、不良にね。
そこで負けちゃいけないんですが、まあそれはさておき、中学校ぐらいになるとね、そういう人たちと仲良くなったんですね、これね。
いつぐらいからかな、小学校6年ぐらいからかな、やっぱりなんかこう、一方で一応、建前ではないけども、
まあやることはちゃんとやるというふうにして、一方でやっぱりそれ面白くないと思う人とも、それなりにこう、
まあフォロー、フォローするわけだよね、フォローする。まあとにかくちょっと、ちょっと我慢しようぜとかさ、
そういうこう、裏取引じゃないな、それだと言葉悪いね。
まあとにかくそういう不良、不良にだ、不良にもちょっとね、ともこう、なんていうかな、仲良くできたというか、
そういうところはあったりしたんだよね。これはなんだろうね、やっぱり真面目だったんですね。
真面目ちゃんだから、まあ名前はじめって言うんだけど、まあ真面目ちゃんが言うからしょうがねえかって言ってくれるような優しさがあってね、やっぱりね、そういう人たちにはね。
むしろそういう人たちの方が優しさがあったりしてね。
まあこっちの事情もわかってくれよ、みたいな感じで、まあしょうがねえな、って言ってやってくれてたっていう部分がね、あったりして、
こういうのも大事なんだなと思って、だからそこで光と影ね。
やっぱりこう強い光が影の存在に気づかないとこれはまずいわけね。
村上春樹の小説なんかでもね、影がテーマになってるでしょ、一つね。
影の存在を忘れちゃうと影に乗っ取られちゃったりとかね、影がどっか行っちゃったりとかっていう話になるんだけど、
やっぱりこう光と影っていう両方ね、こうやっぱ意識しながら生きてきたつもりはあるんですけどね。
ただまあ、いい大人になってくるとね、これが30代40代ぐらいまではそんな感じでやってきて、
まあ50代頭ぐらいまではそんな感じでやってきたので、だんだんいい大人が何言ってんだっていう気にもなってくるのね。
こっちもだんだん歳とってくると、さすがに自分より年上で今までお前ら何してたんだと、どういう経験積んできたんだと思うのが出てくるわけね。
こっちもさらに大人をいけばよかったんだけど、むしろ30代40代の時は大人の対応を心がけれたわけ。
まともに張り合っちゃいかんって誰かに言われたんだよね。大人の対応。
ああそうだ、大人の対応と言われたんだ、思い出した。
こういう時はまともに張り合っちゃいかんと。
まあ僕より10個、20個ぐらい上の人がまあわけのわかんない子供のじみたこと言ってきたもんだから、
さすがにこっちもキレて論破してやろうとか思ったんだけど、ある弁護士さんに言われたんだね、相談に行ったら。
こういう時は高橋さん、僕、高橋って言うんだけど。高橋さん、こういう時は大人の対応だよ。
って言って、相手20個も上なんだけども。大人の対応だ、なるほどなと。さすが弁護士さんだと思ってね。
それでまあ、それ40代ぐらいの時ですけど、大人の対応を心がけた。30代、40代ですね。
50代ぐらいまで大人の対応をやってきたんだけど、さすがにまあもう大人の対応疲れたっていうか、他にもっといい大人いっぱいいるだろうと思ってね。
それでちょっとまあ、影の部分ぐらいなんとかしろよと自分たちでっていうね、思う部分もあったりして。
まあ一言で言えばちょっとめんどくさくなっちゃったんだよね。
だけどこれはね、やっぱり濃い影を生むんだね。濃い影を生むんだなっていうのはね、改めて思ったね。
いやーまあ人間っていうのはそんなもんだね。強い光は濃い影を生む。これはもう何歳になっても永遠の真理だね、という気がして。
私も濃い影を心の中に抱えて60年生きてきましたという。そんなオチでいいですかね。オチにもなってないですけど。
あんまり、これは難しい。このテーマ難しいっていうか、危ないのでしゃべれない。これ以上。
ということで第一コーナー、こんなんでよかったでしょうか。中身なかったね。人生いろいろでした。
はじらぢさんでぃ。プレゼンテッドバイキャンパス。
はい第二コーナー。がんばれホモ・サピエンス。がんばれホモ・サピエンスね。
強い光は濃い影を生む。これはもう本当にゲーテが言ったことなんで、ホモ・サピエンスに共通する何かがあるんでしょうね。
単なる自然現象ではなくて、何か人間関係、社会関係のところでメタファーとしてね、
強い光は濃い影を生むという言い方を言ったんだと思うんですが、ホモ・サピエンスで言うとやっぱり、
すぐ思い浮かぶのは、ホモ・サピエンス、あっちこっちで何度も喋ってるから耳にタコできた人もいると思いますが、
やっぱり友好性、一番フレンドリーな動物種だったんですよね。人類の中ではね。と言われてるんですよね。
その友好性フレンドリーシップがあったから集団規模も大きくなったし、それで集団規模が大きくなったことで生き残ってきたんだけど、
一方でだからその裏腹なのが敵対性ね。人殺しができちゃうというね。大量虐殺もできちゃうという。
この友と敵っていうのを明確に区別する力。これが、例えば他の動物、何かクマに襲われたとかっていう時に戦うのはそうなんだけど、
こういう動物種同士の戦いはあるけど、同じ動物同士の間でね、やっぱりこう、ある程度なんだろう。
むしろ同じ動物同士だとそこまで残虐な殺し合いはしないっていうふうに言われてるんですよね、これはね。
違う動物種だとそれこそ食べちゃったりとかあるんだけども、同じ種の中ではあんまりそういうことはしないんだけど、
これをやったのがやっぱりチンパンジーが一番残虐だって言いますけどね、類人猿というか。霊長類の中ではね。
でもそれよりもっと残虐なのがホモ・サピエンスですね、間違いなくね。
友好性の笑顔の裏には残虐な鬼のような顔があるというね。
強い光は濃い影を生む。そのテーマがやっぱりすぐ浮かんじゃうんですね。他にありますかね、ホモ・サピエンス。
強い光は濃い影を生む。
あとやっぱり社会関係の中でしょうね、日の当たる場所と日陰の場所っていうのがどうしても付き物で。
みんなが日が当たってみんながポカポカ幸せにっていう風になればね、一番いいんですけれども、これはなかなかそうならないですね。
近隣関係見てても、いろんな組織や社会とか集団とか見ててもどうしても光と影は生まれるんですね、これね。
人間関係、ホモ・サピエンスの社会には。
これ例えばアリンコの社会ですね。いきなり飛びますけど。
アリンコの社会には光と影はあるんだろうかっていうとなんとなくね、見てるとないんですね。
女王アリだけが光を浴びて、働きアリは日陰の存在かっていうとそうでもないんですね。
やっぱあそこはちゃんと働きアリが全部女王アリを支えて、それでみんな、なんていうのかな、働きアリ同士も常にコミュニケーションを取り合いながらね、
おいしいものを見つけたらみんなで教え合って、それをちゃんと全部丸ごとゲットしていくというね。
あのアリの組織力っていうか全て、アリの巣掘って影の中に住んでるから、だからできるのかもしれないですよね。
あとはもう光の世界しかないみたいな。そんな昆虫ですよね、アリってね、なんとなくね。
鳥とか見ててもそうなんですよね。これも同じ種類の間でやっぱりそんなに殺伐としたことは起きないし、
わきあいあいと、ペンギン見ててもそうですよね。ペンギンの殺し合いなんて見たことないし。
みんなが光を浴びてね、北極の方、行くとさ、ペンギンが短い昼間の光を一生懸命浴びて、
あとはもうみんなで寄せ集まってペンギン同士が寄せ集まって、
体温奪われるのを夜の間じっと我慢してっていう、なんだろうね。
種、その同族というか、動物種の中にはあんまり光と影がなくて、みんなで光を共有し、みんなで影を共有しみたいなところがあるのに、
なんで人間社会は社会の中に、同じ種の中に光と影ができちゃうのかっていうね、
ゲーテは何を考えてこんなことを言ったんだろうなぁとか思うし、
これでそれなりに生きてきて、歴史も学び、将来もある程度予測したりすると、
やっぱりこの光と影の問題っていうのは最後まで克服できないのがホモ・サピエンス人類かもしれないなと。
決してアリにはなれない。ペンギンにもなれないというね。
それが霊長類、そしてホモ・サピエンスなのかなぁなんて思うんですが、この辺りどうなんでしょうね。
ホモ・サピエンスみんなで、弱い光でもいいから、みんなで生きていくということができるのかどうなのか。
逆にこれはあれですかね、これからこうだんだん数も減って、長い長い何年かかるかわかりません。
1000年、2000年、3000年、4000年かけてネアンデルタール人が滅んだように数千年かけてね。
ホモ・サピエンスもそういうプロセスに入ったと勝手に思ってるんですけども、
そうするとその中でもしかしたらあれですね、みんなで過酷な環境の中で光を分け合って生きるのか、
それとも逆に殺し合いが、殺伐とした世界なのか、どっちに転ぶんでしょうね。
両極端には転ばないんでしょうね。常に両方の要素があって展開していくのがホモ・サピエンスの社会なのかななんて、
自分が死んだ後のことを心配してもしょうがないんですが、やっぱりちょっといろいろ気になりますね、この辺りね。
第3コーナー。SNSあれこれこれもいろいろあるね。
SNSあれこれ。これもうSNSの世界も面白いもんでね。どうなんでしょう。今はそうでもないのかな。
なんか殺伐とするんですよね。マウント取りたがるっていうか。
よっぽどリアルワールドでマウントが取れない人がSNSだとマウント取りたがるのかなって勝手に思ってるんですけどね。
つまりリアルワールドで光を浴びてない人がSNSの世界で光を浴びようとして
なぜかそこで濃い影を投影してしまうというようなことはないんでしょうか。
よくわかんないですね。ちょっと見てるとなんかそういう、SNSっていうのはある意味リアルワールドと対すると影の部分。
リアルワールドは本当は光の世界なんだけどその光の世界で光が当たらないで影を感じてると
SNSという影の世界で光を放とうとしてしまうみたいなね。
なんかそういうことがあるのかななんて勝手に思ってるんですけどね。どうなんでしょうね。
SNSとリアルワールドの違いって本当はSNSも実名で全部やってりゃそれでいいんでしょうが
それはまたリスクがあるってことで匿名性っていうね世界で始まるわけですよね。
昔私パソコン通信やってた時はハンドルネームを作りましょうってハンドルネームを作りましょう。
ネチケットを覚えましょうって言われたんですよね。ハンドルネームってなんだって最初思ったんですよね。
車のハンドルを思い出しちゃってハンドルネームなんでハンドルネームって言うんだろうといろいろ思ったんですけども
今はIDとかニックネームって言い方が普通になってハンドルネームっていうのはもう死後ですか、もしかしたらね。
パソコン通信の時代ハンドルネームはハンドルネームは何々ですとかなんか自己紹介する人がいて
こいつはオタクだなぁなんてね思われたりした時代もあったんですけれども。
オフ会なんかあるとね、まだ当時オフ会一般的じゃなくてネットで知り合った人と会うのって、もうなんか怪しい影の世界とつながってるみたいな言われ方をした時代もあったんですね。
1980年代90年代ですね90年代入ってましたね。
それでだけど面白いのがオフ会に行くとみんなもう影の世界で、影の世界で表で会ってるみたいなこっそりね居酒屋の片隅でね。
だからあんまりこう表の世界の人と近いところで会話聞かれるとなんか白い目で見られるようなところが昔本当にあったんですが
あったんですが、怪しい世界。ネットでつながること自体怪しい世界だったんですけども。
そんな中でオフ会とか行ってねハンドルネーム何々ですって、本名言わないのね。
ハンドルネーム何々ですってハンドルネームで呼び合うからすぐ分かっちゃうのね。
あれネットオフ会だよね。
当時はあの本当に希少っていうかあんまりいなかった。
今はもうみんな普通に会うようになったけど。ミクシー以来だね。
普通にオフ会が一般ピープルのものになったのは。ミクシー以前はそうじゃなかったね、怪しい集団だったね。
どっから見てもね。
そこでやっぱりどうしてもまあいわゆるね、ちょっとやっぱりリアルワールドで影を感じてるような人も結構集まってたような気もするし。わかりませんが。
そこでこうね集まってなんとなく光を感じた部分あったのかもしれないしよくわからないですけども。
不思議な空間でしたねあれね。
まあまあそんなこんなで。
ところがそれが今やもう全部リアルとSNSの境目がほぼなくなって。
まあそれでも常に作ろう作ろうとするんですけどね。
作ろう作ろうとする動きはあるんですが。
そこでのなんだろうな。
まあ特にやっぱり一番見てて思うのは昔は2チャンネルだったんですよね。
あれはもう影がすごいなと。
リアルワールドで言えよみたいなのが、全部こう影の鬱積したものが集まってくるみたいな。
それだけじゃなかったんですけどね。
でもそれが目立っちゃったのね、2チャンネルはね。
そこにもう何でも影の部分は書き込めるみたいな話になって。
それが今あんまりないのかな。
昔は裏サイトとかあったりね。
いじめにも発展したりしたのがあったんだけど。
闇サイトじゃないな裏サイトだね。
そういうのはだいぶなくなってきたんでしょうが。
まあなんだろうね。
やっぱりエックスTwitterの書き込みを見てるとまともなのも結構たくさんあるけども。
なんだか依然としてひどいのはひどいなと思いながら最近見てますけどね。
まあそこにこう勇猛果敢にね。
上手にこういなしながら関わっていく人もいるんだけど。
そこまでやる気はないね私はね。という感じで眺めて見てます。
今日は本当に中身がないね。
1,2,3と。
なんでかっていうと陽気がいいんです。
とても過ごしやすくて。
もう本当に今7月14日ですけど。
5月の陽気というかね。
北海道札幌は。
とても気持ちが良くって。