2023-03-10 11:57

#376 福島市出身で『銀河漂流バイファム』などを監督した神田武幸さんの話

福島市出身で、旧虫プロを経て、サンライズなどで多くのアニメ作品を演出、監督した神田武幸(横山裕一郎)さん。高橋良輔さんと共同監督の『太陽の牙ダグラム』、原作も手掛けた『銀河漂流バイファム』、『機甲戦記ドラグナー』、『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』などなど。1996年に52歳という若さで亡くなられたのが非常に惜しかった監督でした。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2023年の3月10日、金曜日です。本日は第376回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県高山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをたらたら話をしていくという番組です。
そんな親父の一言が気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪にはなかったんです。
不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
福島県福島市出身のアニメ監督のお話です。 お名前は寛太竹幸さんと言います。
別名の横山雄一郎さんという名前の方が一般的かもしれません。
福島県に寛太という名字は非常に珍しいので、もしかしたら横山という方が本名かなぁなんて私は思っているんですよね。
1943年の8月生まれ、そして1996年の7月に亡くなられている方なんですね。
52歳の若さで亡くなられているんですね。 もしもですね長生きされていましたね。今のねアニメ業界もねかなり変わっていたと思うんですよね。
1965年にですね、手塚治虫さんの作った虫プロダクション、そちらの方に入社したんですね。
そこでワンダースリーなどのね、テレビアニメの制作進行を経験したそうなんです。 虫プロの演出のところでね、富野由悠季さんとかね、高橋凌介さんとかね
がいらっしゃいましたので、この頃からのお付き合いみたいですね。 アニメのワンダースリーと言えばですね、最初でねスタートした時視聴率が20%だったんですかね。
裏番組でですね、ウルトラQが始まっちゃったんですね。 そしたらガクッとね、視聴率が下がってしまったんですね。
神田さんですけどね、実を言いますと多摩美術大学を卒業しているんでね、ちゃんとした絵を描ける方なんですが、ところがですね
演出などにするための絵コンテ、絵コンテなどはですね、丸2点みたいなね、そんな風な感じの簡単なですね、略図で描いてるらしいんですよね。
で、その聖書のね、バイトを頼まれたのはですね、安彦志和さんなんですよ。 安彦さんはね、その絵コンテ自分でね、絵にしていくことによってね、それでかなりですね
自分ならこうするっていうことを鍛えられたみたいですね。 それで富野由悠季さんみたいにね、絵が描けない人だと思っていたんですね。
そしたら実は描けるって知って、後でびっくりしたらそうなんです。
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虫ぽん時代までですね、テイビーアニメのね、アンデルセ物語ね、そしたらの演出などを担当しています。
キャンティーとね、ズッコっていうのが登場してね、狂言増ししてきてね、面白いアニメーションでした。 そしてあと国松様のお通り台ね、そしたらの方でですね、初演出をしたそうなんですね。
で後にですね、退社、虫ぽろを辞めるんですね。 その翌年の1972年に虫ぽろは倒産してしまいます。
1972年にね、虫ぽろの元メンバーが集まりましたね。 アニメ制作会社を作るんですね。それは創影社という会社です。
後にね、サンライズっていう日に名前変わるんですよね。 その創影社ですね、アニメーション制作に関わっていくんですね。
ゼロテスターとかね、勇者ライディーンとかね、1975年頃ですかね、 あとワクワク大昔、クムクム、こういうところでね、携わっていくんですね。
ライディーンとかね、クムクム。 キャラデザインしたのが安彦義和さんなんですね。
またこの頃ですけどね、サンライズじゃなくて、ナックっていう会社がいまして、 その会社が作りました、星の王子様プチフランス。
そちらの方でもね、チーフディレクターをされます。 当時はですね、チーフディレクターというのは実質的な監督なんですね。
ちなみにこの時ですね、安彦義和さんがね、演出で参加してるんですね。 それからツブラプロがね、アニメーションでウルトラマンを作ろうとして作った、ザ・ウルトラマンですね。
そちらの方の、後期の方のチーフディレクターを担当されるんですね。
ところがですね、サンライズはですね、アニメを作ってもね、いくらですね、あのおもちゃがたくさん売れてもですね、会社は儲からないってなんですね。
で、自分たちで儲かるためにどうすればというと、自分たちで企画してやらなければダメだなとなりましてね。
それで作って、自分たちでオリジナルのアニメーションを作っていくんですね。
そして生まれてきているのが機動戦士ガンダムなんですね。 その時も演出を担当されています。
また翌年あたりにはね、東映が作っている宇宙大帝ゴッドシグマ。 そちらの方のやつで、前半の1話から10話までのところですね。
そちらの方をチーフディレクター制なんですね。 ところが10話まで作ったところで、体調不良のため休んでしまうんですね。
この頃ですかね、サンライズの方の無敵ロボドライダーG7なども担当してますね。 自分好きなアニメーションなんですね、これね。
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また別な会社の方に行きまして、新鋭のね、ドラえもん。 テレビ朝日版の方のドラえもん。現在のドラえもんの一番初期の方ですね。
そちらの方でもね、コンテ、演出を担当しています。 ドラえもんの劇場版映画ですからね。
1981年にドラえもん、僕、モータロウのマンマンさんという作品で監督するんですね。
それから後、あのー 当時ですね、単発の2時間のアニメっていうのはね、よく放映されることがあったんですね。
映画みたいな感じなんですね。 その作品でね、白い牙、ホワイトハング物語っていう作品をですね、手がけんですね。
これもですね、実を読むと安彦義一さんがキャラデザインしてんです。 この時代のね、安彦さんのキャラっていうのはすごいですね、魅力的なんですね。
1981年からはすごいんですよね。
太陽の牙ダグラムですね。高橋凌介監督とですね、共同監督を務めたんですよ。 リアルロボットものですね。アーマードトルーパーというのがね、かっこよかったんですね。
しぶれました。 そしてその翌年ですね、銀河漂流バイオハムですよ。
これ原作も担当してるんですね。そして監督、絵コンテ、やってるんですよ。
ロボットもね、ラウンドバーニャンと呼ばれるロボットですね。 非常にデザインがかっこいいんですよね。
ストーリーはね、宇宙版の15少年漂流記なんですよね。 ですもこれがね、かわいいキャラなんですけどね、歌がですね、英語版でね。
かっこいいんですよね。
1986年ですね、劇場版も使えましてね。 銀河漂流バイオハムの絵、消えた12人の監督もしております。
またこの頃ですけどね、私の大好きな超力ロボからと。 そしたらその方の監督もされてるんですね。
そして1987年に気候戦記ドラグナーですよ。 そしたらその方の監督もされてるんですね。
ロボットの名前はね、メタルアーマーっていう風に言うんですよね。
その翌年あたりにはですね、ボトムズの外伝でね、サンライズとバップが作ったですね、オリジナルビデオアニメーションがあるんですよ。
レンタルビデオさんに行かないと借りてみることができないアニメーションですね。 気候両兵メロウリンクって作品なんですね。
こちらの方で監督しております。 当時オリジナルビデオアニメーションは非常にブームだったんですね。
というので、ムシプロダクションが作りました赤い牙ブルーソネット。 こちらの方の監督もしてるんですがね、あんまり評価は高くなかったみたいですね。
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テレビの方ではですね、ドラゴンクエストですよ。 第二の大冒険じゃないです。
そのドラゴンクエストの第二部、そちらの方の監督してるんですね。 そこは1991年からですね、楽しいムーミン一家冒険日記。
こちらの方の監督しています。 冒険日記って書きついてますね。これ第2期の話なんですね。
昔ムシプロの方でムーミン作ったんですね。 原作と違うというね、原作者の方からダメ出しされちゃったんですね。
で、かなりですね、そのため今回のこの楽しいムーミン一家はですね、原作にかなり近づけたアニメーションでしたね。
その分、視聴者である自分の方からするとね、あんまり魅力的じゃなかったですよね。
当時はですね、架空戦機ブームが訪れてましたね。 っていうので、オリジナルビデオアニメーションね、コンペキの艦隊、こちらの方監督するんです。
そして1996年です。 オリジナルビデオアニメーションね、機動戦士ガンダム第08MS小隊、そちらの方監督されるんですね。
ところがですね、1話から5話まで作った段階で無くなってしまったんですね。 6話以降は別の方が担当して制作します。
非常にリアルなガンダムでしたね。 それから2年後なんですよね、映画で機動戦士ガンダム第08MS小隊
ミラーズレポートっていうのがね、制作されるんですね。 その監督はですね、夜明け出身の加瀬敦子さんなんですよ。
女性発のガンダム監督です。 というわけで、
福島出身の監督がですね、夜明け出身の監督にですね、作品をパトロンタッチしていたんですね。
福島出身のアニメ監督の神田竹幸さんの話をいたしました。 現在もね、生きていらっしゃったらですね、富野由悠季さんだとかね、高橋老介さんとかね、
様々なアニメ業界に影響を与え続けていた方だと思うんですよね。 その他はね、早く無くなったって非常に残念なことなんですね。
はい、それではまた次回よろしくお願いいたします。 本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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