2023-01-26 11:30

#333 日本にあった映画館を集めた「消えた映画館の記憶」がすごいという話

日本中にかつてあった映画館についての情報を集めたデータベース「消えた映画館の記憶」( https://hekikaicinema.memo.wiki/ )がすごいです。1925年から現代まで、日本中のどこになんという名前の映画館があったのかの情報がわかって面白いです。興味ある方、ぜひ観てくださいね。 

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2023年の1月26日、木曜日です。
本日は第333回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県小泉市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そんな親父の人言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったらごめんなさい、悪意はなかったんです。
今後もこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
昨日はですね、面白いサイトを見つけてね、見に行ってしまいました。
消えた映画館の記憶というサイトです。 検索すると出てきますんでね、ぜひ見ていただきたいと思うんですよね。
これはですね、サイトと言いましてもね、ウィキっていうものを使ったものです。 シーサーウィキ、そちらの方でね、公開されているものなんですね。
カンタっていう人はですね、日本中の映画館のね、どこにあるのかな、いつあるのかな、その情報を集めたものなんですよ。
時代的に約100年前のですね、1925年からですね、現代までですね、約5年ごとにですね、日本のどこに映画館があったのかね、それをまとめてあるんですね。
秘伝画のね、年代の方をクリックしますとね、県ごとにね、どこの地方にね、何という映画館があったのかが出てくるんですよ。
例えば1920年代ですけどね、チャーリーズ・チャプリン、バスター・キートン、ハロードロイドとかいうね、世界の三大劇場王が誕生した頃です。
またあとメトロポリス・月世界旅行などですね、特撮映画が現れてきた頃です。
またあと蒸気船ウィリーをはじめとするですね、アニメのね、ミッキー・マスが登場した頃なんですね。
その頃ですね、福島県には映画館がどのくらいあったのかということがわかるんですよね。
死に8館、そうあと死以外にですね、軍部、そこのとこに21館があったってことがわかるんですよ。
それにしてもですね、当時死ってですね、福島市と若松市だけだったんですね。
まだ郡山市もね、弱木市も存在していないということをね、知っただけでもね、へーっと思っちゃうんですかね。
この1920年代ってね、ただの芝居小屋だとかね、あるいは公民館みたいなもの、こういったものはね、まだ映画館とね、混在していた時代なんですね。
というわけでね、すでにですね、映画館としてね、ことを思い出していたのにね、カウントの仕方によってね、まだ映画館になっていないっていうところもあるみたいなんですね。
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例えば今年109年目となりますね、本宮市民にあります本宮映画劇場。
このリストのね、1920年代の時にはですね、まだ出てきてないんですよね。
1943年のね、映画館っていうのね、名称になった時、その時以降はなってるんですよね。
多分この時代もですね、映画をちょこちょこと上映していったと思うんですけどね。
その一方ですね、例えば原町市にあります朝日座、その方は当時からですね、映画館としてね、登録されていたみたいですね。
またあと、戦前っていうことでね、カラフトだとかね、台湾とか、朝鮮とかね、満州だとかね、そういったところに映画館があったということでね、その映画館の名前も出てるんですよ。
すごいですね。
そしてですね、このサイトの右側の方ですけどね、県が元になってましたね。その県をクリックしますね。
今度はグーグルマップのところですね、県のね、地図が出てきまして、そのどこの県のどこに映画館があったのかね、そのマークが出てくるんですよ。
各ね、映画館の名前だけじゃなくてね、細かい住所まで登録したんですね。
日本中のどこら辺にね、どんな風な映画館があったのかがわかって面白いんですね。
例えば自分ね、へーと思ったのはですね、1920年代にね、岩手県の森岡市、そのところにですね、映画館があったってことですね。
高畑勲監督、スタジオジブリの高畑勲監督のね、ジブリの前ですけどね、セレフ劇のゴーシューっていうアニメがあるんですよ。
1982年の作品なんです。宮沢賢治のね、セレフ劇のゴーシュー、これはアニメ化したものなんですよね。
その作品の中にですね、アニメ映画が出てくるんですよね。その映画を盛り上げるためにですね、楽団としてね、セレフ劇となっているのがゴーシュー、主人公なんですよ。
この部分ですよね、宮沢賢治のね、小説では出てこない部分の描写なんですよね。
というわけでですね、その映画を見てですね、宮沢賢治が生きていた頃、この小説が書かれた頃ですね、賢治がモデルとしたね、森岡氏、そこのとこですね、映画館がこんな風にね、身近にあったのかなーとね、疑問に思っていたんですね。
もしかしたら高畑勲監督のね、間違い、あるいはですね、あのー、わざとね、演出したことなのかなーって、長年ね、疑問に思っていたんですね。
ですも、これを見るとね、そういうことはあり得るな、というのが分かったわけですね。
この映画館のね、マークなんですよね、映画中のところは緑色のピンがあってまして、閉館した映画館はですね、赤色なんですね。
そしてですね、正確じゃないんですね、ところは、はてなマークが付いているんですね。
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ですもね、本当にすごい老作ですね。日本中のところにマークを付けたわけですからね。
例えば福島県寮ですね、忠美町、あそこの映画館2つもあったらしいんですよ。びっくりですね。
またあと、阿部熊さんちのね、川内村、そこにも映画館があった時代があるんですね。
それから藍津田島町、そこにもあったらしいんですよね。
まあ福島県内ね、あちこちはてなマークだらけなんでね、それがどこにあったのかね、調べてね、
まあこのカンタさんのところに連絡するっていうのもね、楽しそうだなぁという風に思ってしまいます。
そしてね、それぞれの映画館をクリックしますとね、おおよそいつからいつまで演技をしていたのかわかるんですね。
凍りましたね、バンダイアタミ、そこにも映画館があったんですね。森崎久弥さんの主演のね、駅前シリーズというコメディ映画があるんですよね。
その3作目、奇跡駅前温泉という映画があるんですよ。
これはバンダイアタミ温泉がね、舞台の映画なんですけどね、それは1962年なんですね。
この映画が公開した時ですね、バンダイアタミ温泉にね、映画館があったのかなっていうのが気になるんですね。
これ見ますとね、公開してから数年後ですね、その映画館が閉館になった。
要するにですね、その当時はね、映画館があったってことがわかるんですね。
果たしてですね、バンダイアタミね、この奇跡駅前温泉が上映されたことがあるのかなというのが気になるんですよね。
またあと梅宮達夫さんだとかね、山下慎吾さんが出てくる不良番長シリーズのね、デテトコ勝負っていう映画があります。
1970年の映画ですかね。
その時もね、バンダイアタミが送られていたんですよね。
残念ながらですね、その頃にはこの映画館に無くなったっていうことがわかるんですね。
そのバンダイアタミにあった映画館がですね、現在の永楽館、その辺りあたりにあったらしいんですね。
というわけでね、奇跡駅前温泉、それが不良番長デテトコ勝負、これ2本立てにしてね、そこら辺で上映したらいいのになぁなんて思うんですけどね。
どうでしょうかね。
それにしてもですね、このサイトですかね、カンタっていう人はね、一人で行ってるみたいなんですね。
本当にすごいなぁと思うんですよね。
こういう情報こそですね、国がね、公開したり調整したりするべきじゃないかなと思うんですけどね。
またあと、永楽館のある大学とかもね、こういう情報を調べてね、そしてこういったのを公開すべきだと思うんですけどね。
ふとですね、永楽館の博物館ってあるのかなぁと思ったらですね、日本にはないんですね。
ちょっとびっくりしました。
民家の小さな資料室、そういったものはあるんですけどね。
国の永楽館の博物館ってないんですね。
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クールジャパン戦略とか言ってね、日本のこれからですね、そういった文化が大切だと言っておきながらですね、全然それを使ってないんだなというのが分かるんですね。
吉本空港にね、100億円プレゼントとかしてるっていうのはもう話は流れてくるんですよね。
こういうところにですね、活動にね、ここに費やした方がいいと思うんですけどね。
ただこの消えた永楽館の記憶ですけどね、まだ漏れてる永楽館とかね、今永楽館でもですね、間違ってる情報とかもあるみたいなんですね。
氷橋のね、浅川町に住んでる高齢の人とかの話聞きますよね。
浅川長森の付近にもですね、芝居公園があってね、そこで映画の上映していたって話なんですよ。
そういうところまでね、残念ながら載ってないようなんですね。
最近ですね、びっくりしたんですけどね、グーグルマップですね、浅川長森駅のね、あたりですね、永徳橋って話があるんですよね。
そのあたりを見ますとね、いつの間にかですね、元太良橋跡っていう遺跡ができてるんですよ。
突然そんなね、元太良橋跡っていう遺跡ができててね、びっくりしたんですね。観光名所みたいになったんですね。
なんだろうと思ったらですね、これですね、永徳橋ができる前にですね、木製の橋が架かっていてね、その橋裏がね、建っていた跡なんですよ。
その橋をですね、渡るときですね、木製だったんでね、元太良、元太良と音が鳴ったんでね、元太良橋っていう名前らしいんですね。
日本中にね、当時あったみたいなんですよ。それがね、この氷山市の氷山に残っていることなんですね。
それを先ほど言いましたね、ここら辺に映画館があったんだよって言った人はですね、ここにね、橋があったんだよって当時言ってたんですね。
というわけでね、今ね、誰かがね、グーグルに載せてたら終わりませんけどね、それは観光名所のようになってるんですね。
こういう地域の文化、こういったものを伝えるもの、そういったものを探してね、載せていくことができたらね、面白いなと思うんですけどね。
皆さんはどう思うでしょうかね。
はい、それではまた次回、よろしければピョン吉のお手柄なしでお落ち着きくださいね。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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