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2024-03-18 09:05

#749 福島県出身のすごい画家「もとのりゆき」さんについての話

人気漫画家のバロン吉元さんに弟子入りし、雑誌ガロでデビューした「もとのりゆき」さん。週刊少年ジャンプでSF的な挿絵画家として活動しているときに手塚治虫さんにスカウトされて「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」の設定スタッフとして参加。それをきっかけに「あしたのジョー」、「幻魔大戦」、「宇宙戦艦ヤマト」など劇場用アニメのイメージボードなどに携わったそうです。「Newton」などの科学雑誌、「Oh!X」などのパソコン雑誌などでイラストを制作。ゲームの「イース」シリーズなどでパッケージを制作。代々木アニメーション学院などで15年間講師を務め、その後、作品発表の場を海外に広げ活動。クリントン元大統領にも絵を所蔵されたという逸話をもつ「もとのりゆき」さん。すごい福島県人がいるもんですね。

サマリー

福島県出身のすごい画家「もとのりゆき」さんについての話です。福島県小山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを話しています。

福島県出身の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉
はい、おはようございまーす。本日の放送は2024年の3月17日、日曜日です。
本日は第749回目のお話となりまーす。 このチャンネルは福島県小山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを
だらだらと話をしていくという番組です。 そんな親父の一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何か残ってしまったら
ごめんなさい、我にはなかったんです。 今後もご影響に持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
毎年ビッグパレット福島でですね、クリスチャンラッセンのね、版画の展示会とか行われるじゃないですか。
そんなに毎回やってね、買う人いるのかなぁと思いつつですね、 つい展示したいとね、見に行ってしまいます。
そんなクリスチャンラッセンはですね、日本でデビューさせたプロデューサーの方がですね、 才能を見出しましたね。海外に進出し、海外でですね、特にフランスでですね、人気の福島県出身の画家、イラストレーターの方がいるんですよ。
それが元ノリウキさんという方です。 元ノリウキさん。ひらがなでね、元ノリウキって書くんですね。本名はわからないです。
画家としてはですね、2006年頃までですね、星野郷というね、画郷で活動していたんですね。 最近はですね、ノリウキというね、画郷でも活動している方らしいです。
この方ね、元漫画家さんでね、そしてあとはアニメ関係にも関わった方なんですね。 元ノリウキさん。1949年、福島県生まれ。
ということでそうですね、75歳ぐらいでしょうかね。 残念ながらですね、福島県のどこ出身かというのは不明なんですね。
20歳の頃ですね、両親のハワイへの移住をきっかけにですね、 ハワイと東京を往復する生活を送るようになります。
そしてあと、ファッション美術学校として知られる節モードセミナー。 またですね、アカデミーデザイン学院を経てですね、独自の表現方法を見つけていくんですね。
節モードセミナーってね、あの福島県出身のファッションデザイナー、 イラストレーターのね、
長沢節さんのところですね。 長沢節さんのイラスト、いいんですよね。
現代でもですね、アニメとかイラストにかなり影響を与えている人だと思っています。 そこでね、学ばれたそうなんですね。
その頃からですね、絵を描くことをやってたらしいんですが、 漫画専門誌というのはね、少ない時代です。
というので、歌詞本時代ですね。 末期の頃にですね、活動していたらしいんですね。
そして、漫画家バロン吉本さん。 そこのところに弟子が住んでるんですね。
それで、バロン吉本さんからですね、名前をね、 吉本の元文字をいただきましてね、元のりゆきっていうふうに名乗って活動してるんですね。
バロン吉本さんといえばね、70年代初め頃からですね、 十郷伝というですね、柔術を題材にした漫画ですね。
人気な漫画家さんですね。 この方もですね、節盲導セミナーで学ばれた方なんですよ。
また歌詞本漫画で大活躍された方なんです。 元のりゆきさん、デビュー作はですね、1973年のガロ。
その新人募集でですね、海っていう作品でね、入選したそうです。 その時はね、元のりゆきのね、元々のりゆきの間に点、中黒点がついてるんですね。
その後ですね、別冊漫画アクションだとかね、 週刊マガタイムズなどでね、作品を発表していったようです。
アクション漫画をね、始めているうちにですね、SFアートに絶大な興味を抱くようになりましたね。
そして週刊少年ジャンプにね、写真をね、制作するようになるんですね。 当時はジャンプはですね、出てきたばっかりですね。
マガジンサンデーチャンピオンキングに追いつけ!とね、 どんどんどんどん新人作家をね、導入していった頃ですね。
そして週刊少年ジャンプにですね、SF未来予測画などをね、毎週掲載していたんですね。
当時はですね、漫画雑誌というのはですね、漫画専門誌じゃなくてですね、少年向けの雑誌だったんですね。
ですが、そういった読み物的なね、そういったものね、ページも結構あったんですね。
また、多数の個展をね、開催したことによりましてね、 手塚治虫さんからですね、その画力を認められましてね、
直接電話をいただきまして、手塚治虫さんの制作メンバー、 そちらの方に関与されるんですね。
それで手塚治虫さんの周りにね、福島県出身者がまたいたんだとね、 ちょっとびっくりいたしました。
ここによってですね、映画、アニメのね、制作の重要メンバーとして参加することになります。
その参加したアニメというのは、1980年の日の鳥2772 愛のコスモゾーンですね。
その設定ブレインとして参加したんですね。 アニメーションのね、背景のイメージボード、その他多数のね、設定だったので参加したんですね。
というわけで、ちゃんとね、設定のところにね、お名前があるんですね。 この頃はもう、もともとのりゆきのアイドルに点がなくなってるんですね。
そのですね、手塚作品に限らずですね、 明日の女王、宇宙戦艦ヤマト、玄魔大戦、劇場版ゴルゴ30などなどですね、
アニメーション映画のね、イメージ雑誌、背景のね、イメージボード、そういったものに数多く関わってるんですね。
元ノリウキさんの活動領域の広がり
そして80年代の後半からですね、 ニュートンの創刊、科学雑誌、ニュートンの創刊でですね、多数の科学雑誌出ましたね。
科学的に正しくですね、美しいファインアートが求められるようになるんですね。 で、それを手掛けるようになります。
またあと、パソコンもね、登場してきまして、X68000というパソコンがあったんですね。 その専門の雑誌、OXってあったんですね。
あったんですが、そのカバーアートでも手掛けられるようになるんですね。 そして、ゲーム時代になります。
1987年、イースなどのゲームでも活躍の幅を広げましたね。 イース1、2、3とかね。
あるいはですね、ヨッシーアイランドのパッケージのイラストなども制作をしたそうです。 そして、いろいろアニメーション学院だとかね、デジタルエンターテイメントアカデミーなどね、専門学校で15年間ですね、講習をしてね。
そして、1800人以上の生徒を送り出したそうです。 その後、クリスチャン・ラッセン氏を日本でデビューさせたプロデューサーに才能を見出されましてね、海外にも進出して、
ニューヨークエキスポでね、光る絵画として発表したんですね。 そして、絶大人気を得ることができまして、オールドディズニーシャンも注目されました。
その中の作品の一つですね、ニコノスファンタジーという作品がですね、元アメリカ大統領のクリントン氏もね、所蔵したそうです。
近年ではですね、自分の絵をですね、ジグソーパズル、それを原画にしましたね。 そして、千葉幕張メッセのね、東京おもちゃショーでね、出展とかしてたそうですね。
一般の人が手に入りやすいのは、そのジグソーパズルでしょうかね。 そして現在もですね、全国展示会だとかね、毎年開催して全国駆け回っているそうです。
そしてスピーチャーとかね、ヒーリングとかを求める人にですね、非常に好まれているそうなんですね。
というわけでですね、福島県出身でね、歌唱漫画家、スタートしまして漫画家、アニメのイメージボード作り、それとファインアート、そういったのに入ってきた元ノリウキさんという方がね、いるんですよという話でした。
お元気そうな感じですね。作品はこれからもね、描いていってほしいなと思っております。
はい、それではまた次回よろしく。本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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