2022-09-12 09:41

#197 小林七郎さんの訃報と2016年に行われた男鹿和雄さんの展示会の話

多くのアニメ作品の美術監督をされた小林七郎さんが亡くなられたというニュースを聞きとても悲しいです。小林七郎さんは多くの後輩を育てました。その中のひとり、男鹿和雄さんはジブリ作品など多くの優れたアニメ映画の背景を担当されています。吉永小百合さんの詩画集「第二楽章」では、男鹿さんが原発事故にあった福島県の絵を描いたということで、「第二楽章」の展示会が2016年2月にビックパレットふくしまにて開催されました。そのときの様子などを話しております。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は、2022年の9月12日、月曜日です。
本日は第197回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡見市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が、
響きになったことを誰だら後なしをしていくという番組です。
そんな親父の人言を聞きになりまして、
もしもあなたの心に何か残ってしまったら、ごめんなさい。
悪意はなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご悲劇のほどよろしくお願いいたします。
昨日ですけどもね、9月10日の時だったんですけども、
8月25日の時にですね、アニメの美術監督の小林七郎さんがね、
亡くなられていたというニュースが流れてきたんですよ。
またですね、アニメ界のね、素晴らしい功績をね、
残された方が亡くなったとしてね、非常に悲しいです。
自分の名前のね、ピョン吉というのはですね、
1972年のドコンジョウガエルが好きなからなんですが、
その作品でもですね、小林七郎さんはね、美術監督をされていたんですよね。
シン・オバケノキュウタロウ、カシノキモック、ドコンジョウガエル、
パンダコパンダアメフリックサーカスノマキ、
サムライジャイアンツ、ハジメニンゲンギャートルズ、
ガンバノボウケン、ガンソウテンセイバカボン、
シンキョジンノホシ、イエナキコ、タカラジマ、
シンエースオネラエ、ゲキジョウバンエースオネラエ、
ルパン三世カリオストロの城、明日の女王2、
うるせえ奴ら2、ビューティフリードリーマーなどなどですね。
自分がですね、大好きなアニメ作品の多くがですね、
小林七郎さんが美術監督を手掛けたものなんですよ。
写真のようなね、リアルな背景ではなくてですね、
作品の内容に合わせてね、
タッチや表現方法を大胆に変えるという手法なんですね。
現在のようにですね、漫画やラノベガンの原作が多くてですね、
その原作の雰囲気になるべく近づけることはね、
アニメに求められている時代だとね、
ちょっと小林さんのようなね、背景は好まれないのでね、
これからは出てこないかもしれませんね。
小林さんはね、たくさんの作品を作っただけでなくてですね、
現在アニメ界で活躍されている大勢の美術監督も育てられた方なんです。
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そんな感じでですね、自分作品の多くでね、
背景を担当した小川和夫さんもいるんです。
小川和夫さんもね、小林さんの指導の下、
ドコン城街でね、背景を担当されていた方なんですよね。
その方ですけどね、隣のトトロだとか、
魔女の宅急便、思い出ポロポロ、紅の豚、
平成たぬき合戦ポンポコ、耳を澄ませば、
もののけ姫、千と千尋の神隠し、などなどですね、
多くのジブリ作品の背景を手掛けております。
それから時をかける少女、サマーウォーズ、
化け物の子などの細田守監督の作品も手掛けてますし、
この世界の片隅になどですね、
多くのスクネットアニメ作品のね、
背景を担当されてきた方なんですね。
小川さんはですね、アニメの背景以外にもね、
活躍を広げているんですね。
2016年にですね、高齢無視のビッグパレット復讐までですね、
特別展、第二学章小川雑音展、
吉永さゆりと語り継ぐという展示会がですね、
2月からですね、開催されていたんですね。
これはですね、コーリアムの青年会議所の主催で、
スタジオ、ジブリなどが協力して行われたものです。
女優のね、吉永さゆりさんがね、
CD、詩歌集、第二学章というのをね、出してまして、
その中にですね、小川さんの書いた写真がね、
あるんで、それを展示したものなんです。
第二学章というのは女優の吉永さゆりさんが取り組んでいるものなんですね。
戦争のこと、原爆のこと、原発のこと、映画やテレビとかね、
戦争や被爆の悲劇を演じてきた女優の吉永さゆりさんがね、
伝えたいこと、なかったことにしてはいけないこと、
語り継がなきゃいけないことをですね、
情感豊かな音楽とともにね、朗読しているんですよ。
その4文作がありましてね、その作品なんです。
この詩歌集、CDなんですが、
その3冊を小川和夫さんが担当されていたんですね。
吉永さゆりさんはね、小川さんの絵にね、非常に惚れ込んでね、
1998年からお願いして、そしてずっとこの活動を続けているんです。
1998年といえばね、小野稲毛姫の翌年ですね。
というわけで、それまでの自分の活動を見てきて、
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この人なんじゃなきゃ、というふうに思ったんでしょうね。
会場にはですね、これまで手がけてね、
多くの広島、長崎、沖縄、そして福島の絵が飾られていたんですね。
そして小川雑夫さんがね、会場にいらしていてね、
壁面に大きくですね、福島県の富岡町のよの森公園のね、
桜の絵を描いていたんですね。
ビッグパレット福島といいますとね、
2011年の原発事故の時ですね、
富岡町の避難先のね、一つが尾だったんですね。
その後、ビッグパレット福島のそばにですね、
仮設住宅が建てられて、大勢の避難民を収容していきました。
自分もね、友人を訪ねて、
このビッグパレット福島のところにね、訪れたことがあります。
その場所で展示会を開催というね、
非常に個人的にはインパクトのある展示会でした。
そこにですね、まだ立ち入りができなかったね、
富岡町のよの森公園の桜のトンネルの絵を描いていたんですね。
そこに制限だしにね、一般の人が撮れるようになったのはですね、
今年からなんですね。
というわけで、展示会から6年後の今年の2022年に
実現したということなんですね。
その展示会ではですね、
郡山出身で県内で住むね、
詩人の和吾良一さんだとかね、
あるいは県内に住む人々の詩、
そういったものを一緒に展示してありました。
原発事故の時ですね、福島県をカタカナでね、
福島と書くことが多かったんでね、
福島県民としてね、カタカナで書いてほしくないという意識があるんですけども、
こうやってね、長崎、広島、沖縄と並べてみるとですね、
人間の愚かさ、それから文明、
そういったことをいろいろ考えさせるなという風な感じがいたしました。
実際に福島で起きたこと、
そういったことが目を背けたりですね、
忘れたりしてはいけないなと強く思いました。
本当に小川さんにはね、福島県の絵をね、
描いてくださってありがとうという感じです。
アニメというのはね、監督、
それから原作者、脚本家などのもののようにね、
つい思われがちですけどね、
素晴らしい背景がなければね、成り立たないものです。
アニメの背景を担当する人はね、
アニメ以外のね、その絵を使って
様々な表現活動ができるんだなぁと思いました。
これからもね、大勢のアニメーターの方のね、
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活動をね、活躍、それを期待したいと思っております。
はい、それではまた次回、よろしければ
ペンキさんの撮り話にお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、本当にありがとうございました。
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