ミニFMのブーム
はい、おはようございます。本日の放送は2013年の10月1日、日曜日です。
本日は第581回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県小山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを歌うたらあたなしをしていくという番組です。
そんな親父のひと言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい、悪意はなかったんです。
不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
昨日はですね、ネットサーフィンをしていましたね。
ミニFMの情報サイトをですね、うろうろとしていました。
まだミニFMってね、残ってるんですね。
ミニFMご存知でしょうか。
普通のね、ラジオ放送ではなくてですね、免許の不要なですね、微弱な無線極の話です。
FM放送台のね、設定した周波数でですね、微弱な電波を発するFMステレオ放送の装置の音なんですね。
放送できるエリアはですね、100メートルぐらいなんですね。頑張って。
100メートルの範囲でしか聞こえないラジオ局、一体どんな役に立つのかなというとですね、
昔はですね、福島県の郡山市でもね、薄井通り、そこで土曜日、日曜日ですね、歩行者天国になっていたんですよ。
そこでね、ミニFM局がね、音楽を流したりとかね、していたんですよね。
またですね、湯脇市の方でですね、2009年頃でもですね、長崎ビーチ、海水浴場です。
そちらの方でですね、期間限定ね、あの番組を流していたりとかしたんですね。
またね、その当時80年代の前半ですけどね、スキー場の下田で、そういったことを流したこともありましたしね。
また、大学の学園祭、そこでね、ミニFM局などがやっていることもありましたね。
現在でもですね、ドライブインシアターというイベントがありますよね。
車の中から映画を見るやつね。あの時のですね、映画の音声などはね、このミニFMを使って流していますし、またあとフリーマーケットみたいなね、狭い範囲でね、アナウンス、そういったのをする時にですね、このミニFMを使うこともあるみたいです。
このミニFMですね、1980年代の前半にですね、流行っていたんですよね。
82年か84年の頃ですね、公表されているものがね、約130曲ぐらいあったみたいですね。
日本全国でね、大小2000曲。そのぐらいですね、ミニFM局があったみたいなんですね。
1991年ですね、波の数だけ抱きしめてっていうですね、ホイチュウプロダクションが作った映画が公開されました。
ミニFM局の活動地域
中山美穂さん、小田祐治さんが主演の映画なんですね。 実際にね、実在しましたね、神奈川県のね、庄南にありますミニFM。
そこを舞台としたですね、若者の青春を描いた作品でした。 この映画見たことある方いますでしょうかね。
自分はですね、当時ですね、映画館でね、この映画を見たんですかね。 すでにですね、懐かしいものとしてね、ミニFMがね、登場していましたね。
自分もそのブームの中にね、いた人一人なんだなぁというふうに思ってね、見てみましたね。
その1980年代の初め頃ですね、自分もね、ミニFMに巻き込まれていたんですよ。
当時ですね、理工系の大学に進学しましたね。 自分はですね、非常に安い下宿、そこに住んでいたんですね。
その下宿はですね、大学のすぐそばにありましてね、16人ほどの学生が住んでいたんですよ。
その学生の中にですね、一人ですね、電気工学科の学生がいましてね、いろいろと面白いことをしていたんですね。
例えば下宿のおばさんがね、「ご飯できたよー!」とね、みんなに声をかけるとですね、その2階の人たちにも届くようにですね、スピーカーを取り付けたりとかね。
あるいはですね、「集まって!」と合図でね、インターホンみたいなのをつけるとかね、その上やってたんですね。
その彼がですね、今度ですね、下宿内でラジオ曲を始めるって言うんですよ。 当時はですね、CDが出たばっかりの頃なんですね。
FMトランスミッターというものですね、そのCDプレーダーをつなぎましてね、そしてそれを流す。
また、マイクを差し込みましてね、話をするっていうね、それでラジオ放送とすると。
当時ですね、ラジオにですね、FMチューナーがね、それがあってもですね、 NHKFMしか聞くことができないような時代だったんですね。
他の曲なかったんですよ。 当時の学生ですからね、ファミコンも出たばっかりでね、まあ買えないですしね。
それからもちろんスマホなんかない時代です。 みんな学生はですね、暇を持て余していたんですね、夜ね。
そんなですね、ラジオを聞く人が多かったんですね。 ちなみに先ほど言いましたね、手持ちのCDをね、ミニFMにつないで流すというのはね、著作権法違反ですかね、
やってはいけないことなんですかね。 当時はね、分からなかったんですね。
さてですね、その下宿内のラジオ放送局ですかね、 3年生の先輩ということだったので、放送の時刻になりますね。
1年生の自分はですね、強制的にリスナーとして聞くことを義務付けられていたんですね。
そしてですね、強制的にですね、ラジオにお便りしろって言われるんですよ。 なんでわざわざですね、そのラジオから話を聞く必要があったのかなという謎があったんですかね。
本当にドラえもんのジャイアンのリサイターみたいな感じだったんですね。 ですがね、それなりに面白かったです。
ですけどね、下宿内にあったCDなんてね、限られちゃってね、 もう流し置いちゃうんでね。
そうすると、またレンタルCDなんかもね、当時もうあったかもしれないけどね、 多分むちゃくちゃ高かったと思うんですね。
というわけでね、放送するネタがなくなっちゃうんですね。 ですからね、突然ね、マイクのある部屋のとこ行きましてね、
なんか話せ!というふうにね、呼び出されたりとか、 そんなお手伝いとかそれもありました。
ミニFMの普及の限界
そのうちですね、その先輩ですね、 下宿内だけで聞くのはもったいないなーって言い始めたんですね。
これ中継機を使えばですね、レディアもっと広くできるって言うんですよ。 隣の下宿にですね、中継機を置いてね、置いてもらって。
さらにですね、その隣の下宿にですね、中継機を置いてもらえばね、 っていうふうにやっていけばですね、いずれ大学の周辺全てですね、
このラジオ放送が聞けるようになるって言うんですよ。 すごいなーと思ったんですね。
大学で、大学だけでしか聞こえないラジオ曲。 これができたら本当にすごいなーと思ったんですよ。
で、その中継機をね、3台作るからね、お前もカンパしろと。 っていうんで、強制的にカンパさせられたんですけどね。
結局ですね、その中継機を作るのはね、難しかったみたいですね。 1台もできないままですね。
そのままこのラジオ曲が終わっちゃったんですね。 もしも本当にこれ実現しっかりしていればですね、面白いものになったんじゃないかなと思うんですよね。
波の滑舌だけで抱き締められたやつはね、まぁちょっとロマンチックなところもありますし、 お洒落なところもあるんですけどね。全然そんなことない。
そんなふうなミニFMの記録でした。
現在ですね、車のFMラジオの方でですね、スマホの音楽を聞くためのですね、 FMトランスミッターというのはね、非常に安いじゃないですか。
あれを使えばですね、簡単に個人でもね、ミニFM曲を書くことができちゃうんですよね。
著作権上ね、先ほど言いましたように音楽を流すことはできませんけどね。 この放送みたいなね、自分でやっているような音声メディア、ポッドキャストみたいなんですね。
そういうのをですね、ミニFMで流してもいいよという人がもしもいたらですね、 その番組をね、チョイスしていけばですね、自分でね、話さなくてもですね、そういったラジオ曲を作れそうな気がするんですよね。
どなたかそういうね、ミニFM曲をやろうという人いないんでしょうかね。
例えばこの自分のポッドキャストですね、もう580回過ぎてますんで1回10分としましてね、5800分分あるんですよ。
これ96時間分なんですよ。約4日間。 それ4日間分あるんですよ。
これですね、ミニFM曲からね、延々と流し続けることもできちゃうんですね。 ループをさせればね、無限ループもできちゃうんですからね。
まあこの番組はともかくどうしまして、そういうふうなね、ミニFMの需要というのはないんでしょうかね。 ですけどまぁ実際のところですね、現在はですねみんなスマホ持ってんですね。
FM電波にね、わざわざ飛ばさなくてもいいですよね。 ポッドキャストで配信すればいいだけですよね。
もしかしたらですね、昔ミニFM曲がやっていたね、スキー場だとかね、海岸だとかね、商店街だとかね、大学とかね、ローカルのイベント。
そういうところでね、ローカルの話題を乗せたですね、ポッドキャスト、そういった番組ってね、これからですね、需要を伸びるかもしれないなぁというふうに思ってるんですよね。
というわけでですね、今回はですね、1980年代前半にですね、ミニFM曲のブームというのがありましたね。
そこにね、自分も関係していたんだよという話でした。
はいそれではまた次回よろしくは、ペンキションお楽しみにお付き合いくださいね。 本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。