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おはようございます。本日の放送は2022年5月21日土曜日です。
本日は第83回目のお話となります。
このチャンネルは福島県堀山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が
響きになったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな内緒を一言お聞きになりまして、
もしもあなたの心に何かが残ってしまったらごめんなさい。悪気がなかったんです。
いかにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご悲喜のほどよろしくお願いいたします。
えっと、明日の日曜日なんですけどね。
ラジオのメンバーとね、久々に飲み会なんですよ。
コロナの前はですね、花見、初期払い、忘年会と年に3回ぐらいやったんですよね。
久々の飲み会でね、もしかしたら深酒しちゃって
減水しちゃうんじゃないかなとね、ちょっと予想してるんですね。
そうするとですね、月曜日のね、あの番組がね、収録できるのかなって不安なんですよね。
というわけでこの連続記録ですね、途絶えちゃうの嫌だなーっていうので、
月曜日の分も収録しなきゃいけないなーっていうので、
ちょっと忙しいなと思ってるところです。
今回はですね、自分たちを育ててくれた仮面ライダーなどのね、
編集を担当された菅野潤吉さんについての話です。
菅野潤吉さん、特撮作品を中心ですね、
2000話以上のね、テレビドラマを編集された方なんですよ。
この方がですね、福島県出身なんですね。
1960年代後半からですね、2000年の初め頃までですね、活躍された方なんです。
自分たちがね、あの子供の時にですね、見ていた仮面ライダーなどを見るとね、
必ずエンドロールのところにね、この菅野潤吉っていう名前があったんですよ。
仮面ライダーで言うとね、仮面ライダーからね、ブラックRXね、
そこまでずっとこの菅野さんが編集されてます。
それと、宇宙刑事ギャバンが始まるメタルヒーローシリーズでは、
グンモエロロボコンまでです。
そこまでね、編集されてるんですね。
クーガがね、始まる前にバトンタッチされたっていうね、
そこがちょうどね、あの仮面ライダーの新しい世界が始まるってことでね、
切り替えとしていいところだったんでしょうかね。
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というわけで、自分たちをね、この人の編集のかかってない作品をね、
ほとんど見たことないって感じですよね。
で、この方の編集なんですが、
フィルムをね、スクリプトシートっていうね、
もう作ってあって、その順序に並べていくっていうね、
そんな風な編集を行わないんですね。
各監督の個性に合わせながらね、
自己流でフィルムを繋いでいくっていう趣旨を取ってるんですよ。
で、ある監督はですね、
菅野さんのね、繋いだフィルムがね、
自分の考えと違ってんだけどね、
ちゃんと繋がってるのでね、
納得されて支えられたんでね、
菅野さんのことをね、映像の詐欺師っていう風に呼んでたっていうんですね。
映像の詐欺師ですよ。
で、ある監督はですね、
菅野さんが編集してくれるんだと思ってたんでっていうんで、
撮影をバンバンしてね、
そしたらそれを渡したら、違う人だったっていうんで、
それでその尺の中にね、時間の中に収まるようになっちゃったら困った、
なんてエピソードがあります。
というわけで、これって監督の仕事を完全に丸投げしていたって話ですよね。
仮面ライダーではですね、
攻撃に当たる瞬間を抜いてですね、スピーディーに見せる手法だとか、
別アングルで撮った同じアクションを繰り返して動く手法だとね、
独特のテンポ感を生み出していたんですね。
ジャズで言えばフリージャズみたいな感じでしょうか、
その魅力を子供たちは楽しんでいたんですね。
戦闘員たちがね、
さっき出たのと同じ戦闘員だっていうのがまた出てきて、
おいおい職家の戦闘員って怖いなーなんて思ったりとかね。
仮面ライダーV3の時はね、
V3反転ダブルキックっていうのがですね、
一度キックしてね、空中で逆回転してまた戻ってきてキックするんですよ。
子供でもね、これ物理的に無理だろうと思うんだけども、
もしかしたらV3だったらできるのかなーなんて思ったりとかね。
非常にそのアクションに魅せられたんですね。
それがですね、結局編集っていう人がいると私は思ってないから、
全て監督の場だと思ってますけども、
でも考えてみたら、
この監督の評価にされちゃうのはちょっとおかしいですよね。
というわけで、編集っていう人にも目を向けなきゃいけないなーと思うんですね。
でも菅野さんはね、それは自分が見出したんじゃなくてね、
全て先人が培ってきたものだっていうんでね、
非常に謙虚なんですよ。
ですけども、仮面ライダーやメタルヒーローのファンだったらね、
これ絶対評価してね、喋っていくべきだと思ってるんですね。
菅野さんはね、映画館にね、映画に非常に憧れていたらしいんですね。
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で、また映画の口がないからっていうので、
5年間、小学校の助級員として働いていたらしいんです。
1958年に大英、カメラなんか作ってる大英のとこにね、
兄がね、勤めていたっていうんで、
それを頼って上級してね、どうにか大英の東京撮影所に入って、
編集部に配属されたらしいんですね。
というわけで、映画の方に少しね、携わってたんですが、
その後、一旦大英を辞めてね、
本のね、ユニ販売の仕事で働いて、
その後ですね、また編集のね、師匠にあたる方にね、
一緒に活動することになりまして、
大英、東宝、小竹、日活、東映とですね、
様々な映画の編集に携わったらしいんですね。
で、そこからはテレビドラマの時代になっちゃって、
テレビの方で活躍されるようになったわけですね。
で、2013年に82歳で亡くなったってことなんです。
でね、ちょっと気になるのはですね、実を言うと、
あのー、この菅野さんの字なんです。
草冠の冠なんですね。
あのー、普通福島県で言うとですね、
そのバクサカワモリの区田っていうかね、
そのやつはあのー、菅野と読むんですよ。
大部分の人たぶんこの字を見たら菅野と読むはずなんですね。
ところがこの菅野っていう風に言うんですね。
と言うとですね、実を言うと福島県でもですね、
唯一ですね、この字を使って菅野と読む地域があるんですね。
それはね、福島県の田村市の時山町の辺りなんですよ。
そこだけはですね、菅野って読むんですよ。
というわけで、はっきりしたかわかりませんけども、
もしかしたらこの菅野さんはね、
時山町出身じゃないかなと思ってんですね。
というわけで、菅野さんのご家族がね、
ご健在のうちにですね、
どうにかこれを確認しなければなと思っているわけです。
そして今度ですね、新仮面ライダーがね、
制作進んでますよね。
というわけで、どこまでですね、
今度の新仮面ライダーにですね、
あの菅野さんのね、あの独特のアクションがね、
再現されてるのかなっていうところね、
非常に楽しみしてるんです。
多分庵野監督がやってくださると思って期待してるんですね。
はい、というわけで、また次回よろしくは、
ぴょん吉のオタクの話にお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。