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倉木 凪です。では、親族紹介
の特別編ですけど、最近聞いた話なんだけども
母方の祖父のね 趣味がかなり変わってたってことで
話したんだけど、あの相撲ってね、今はどうなのかわかんないけど 地方授業っていうのが
あって その土俵を作る
ボランティアをやってたらしいんですよね、その組織に
組合に入って
寄付なんかもしてたのかもしれないし それでね
手拭いだとか、いろんな
グッズをもらってたみたいなんですよ
で 当時の横綱と一緒に写真撮ってもらったり
結構重宝されてたわけですよね、その 組合の人は
洋館が 推測するには結構寄付もね結構
ちゃんとしてたからなんじゃないかなっていう推測だけど まあでもやってたのはまあその土俵を作るぐらいで
来た時に土俵を作る、まあそれも大変だろうけどね でも家にね、お相撲さんの絵描いた
コップとか置いてあって あれ全部
いや買ってるのも結構あると思うんだよね、でも ああいうのももらってるのかもしれないですね
あと野球だねー プロレスはしっかり見てたって言ってましたね、あと
いつも仕事から仕事終わって帰ると すぐ寝てたらしいんですよ
なんでかなあと 振り返ってみるとね
毎朝 海に行って
だから朝3時とかね起きて
海に行って漁師の手伝いするんですよ 15歳まで漁師してたんで
だからねまあ自分が思うにはそっちの方 趣味なんじゃないかと思うんだけど
あとこれも聞いたんだけど ソフトは
前行ってた映画館ぐらいしか思い出ないのかと どっか遊びに連れてってくれたとか
ないんでしょっていうふうに改めて聞いたら あのたて具屋さんやってたんだけども
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それで地方でお客さんがいて
地方というか あつさっていう海の近くなんだけど
そこに行って
やっぱり気になるんだよねソフトは
いやー 自分はねトモロコしてあんまり話しないけど
結構話してたのかなと思って聞いたら 祖父がほとんど話してあとは
寝てたって言ってたねで すごい海が綺麗に見えるところがあってそこで起こしてくれて
で一人で遊んでたって言ったんだけど いやー危ないよね一人で
で日本人あの 拉致されたりもねしてるわけだから海辺で
まあそういった 危険もあるし
全くない話じゃないよねそれね
で兄弟はいるんだけども年が離れててね まあそういう時はいつも映画館に行った時もそうだけど一人だったみたいで
あといとこが仲良くていとこんちよく行ってたって言っちゃうな 友達もいるんだけども
いとこと仲良いっていやいいよね自分なんか どっちのいとこも
いとこ3人いるけども みんな18歳離れてるんだよちょうど
まあ18歳 だからちょっとそういう感覚わかんないね
いや羨ましくもたおたりされて仲がいいって聞いてちょうどいい関係性だよね 逆にいとこの子供と同級生なんですよ
まあこれも不思議な関係性ですよね あとねー
みんな戦争で亡くなってしまって いやーこれ昔はそうなんだね
どういう感覚なんだろうな 生き残った自分が
しっかり 人生全うしなきゃって思いなのか
なんか命って別に 明らかんと
なんかもういつどうなるかわかんない 感じになるようなものだと思ってんのか
どんな感覚なのかなって考えちゃったんだけど でお兄さんとお兄さんお互い話だって言ったら
祖父はねめちゃくちゃ怒りっぽくてね そうもそうだ兄弟と似てないんだ全然
この祖父はね これ大事な話してなかったけど
祖父とのどういう関わりだったか自分とのね 自分が
前ね入院してたんですよ祖母が
何ヶ月だろうね2ヶ月1ヶ月2ヶ月それで 毎週
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洋館と二人でお見舞いに行ってたんですね で祖父が迎えに来てくれて
っていうのは最近知ったんだけども で家はいいとこと
当時もう働いてたいいとこと 祖父と
洋館と自分当時おばか なんだけど
いやー 写真でね
祖父の帽子かぶって 遊んでる写真を見てそれで
それはねだから記憶があるんだけど 全然一緒に
遊んだり話したり 記憶がなくてね
当時も3歳ぐらいだったんだよもう 亡くなる
亡くなったのは3歳ぐらいの時で 少しは記憶あっていいはずなんだけど
まあ自分は発語も遅かったしね話し始めるのも 遅かったし
3歳でちょっとまだねあまり話してないんだけどだから で聞いたらね
毎週会ってたわけでしょ だからねいろいろ遊んでもらったり
してていいはずなんだけど なんか自分たちが札幌行ったら
なんかそんなのお構いなしに外に出て行っちゃったり
なんか昔からそうだったみたいだね 休日はどこ行っちゃうのかわかんないけども
いつもどっか出かけて 誰かと会ったりしてたんだろうね
平日は海行って休日は 海行ってからどっか行っちゃうのかなぁ
あんまり孫のこと可愛いと思ってなかったのかな でねおじが離婚して家に来て
で祖父と祖母が育ててたようなもんなんだけども ほんと親のように育てたと思うんだよ
まあでもあの怒りっぽいお
祖父がね 孫にはすごい優しかったって言ってたんで
いわゆる一般的な孫に対する接するあれだけども でねー孫も働いてるのに
自分は癌で 呼吸が苦しいのにね
祖父が入院してるからって 食事を作ってあげて
孫のことは可愛いはずなんだけども あんまり自分のことは
可愛がってくれなかったのかな
でさっき記憶ないって言ったけども まあ唯一というか記憶あるのは
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車の中で
多分いつもあれね昆布 食べてたね
まあすごい匂いするんですよ 確か魚も置いてたりもしたって言ったかな
自分はねその匂いが好きでね 今でも覚えてるんですよ昆布
食べてあの 干したやつね買ったくなったやつ
でなんであんなの置いてたのかって聞いたら 多分眠気覚ましじゃないかって言うんだけど
まああれは眠気覚ましにはなるだろうね もう少し祖父の話しますけどあの
いつだったかな正月だったかな 家族を置いて勝手にねお寿司屋さん行って
家はね貧乏なのに 祖母はすごい
苦労した思いをしてるわけですよ 最後は借金ではないけど赤字で
お店畳むことになるんだけども だから
まあそんな感じなのに 一人でお寿司屋さん行って
で手巻き寿司を 作って食べてたったね
なんでお寿司屋さん行って 寿司食べないんだと思ったけど
まあそういうのが好きな人もいるみたいで 自分で
自分ではないか 手巻きにしてもらって
結構いいものを食べちゃっていたなウニとか
そうやって海に行って 海に美味しい
回転寿司あったんだね いつも寮に
手伝いに行くとこに そりゃそうだよね海の近くで安いし美味しいし
行きつけのとこあったらそれいいですよね あーちょっと何だった
シャコとか イカとか
イカタコ あとハタハタとかね昔
撮りてたって言ったなぁ まあ全部寿司のネタとしてはどうなんだっていうあれだけど
ホタテとかはねあのホウツクとか そっちの方だし日本海っていうよりも
まあイクラも北海道あれだけど それも違うし
ああそれはあれか まあ秋にね
祖父がね 秋にというかね秋にだね
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秋ジャケを 大量に買ってきてで地下に
地下室に保存してもらって親戚の 工場の
地下室地下の冷凍庫に 保存してもらって
で何匹か使って イクラを作るんだけどまぁそれは
大量に食べちゃってたね 羊羹が
でね便秘になるんだけどもそれで でもやっぱり食べちゃってたってたね
でまぁ醤油漬けなんだけど
うちでもね全く同じような味付けで作ってくれたんだけどまぁ 美味しいしね
まあ飲食はご飯にたっぷりかけて食べれるんでね あれはねなんていうか100点満点だったね
子供の中でそう思ってた まあそんな祖父はね
これ祖父の話最後だけど
職人かたぎな人で 仕事に使う材料
木材も 妥協しないで
選んでたやつだねやっぱりいいやつを まあその分家計はどんどん苦しくなってくるんだろうけど
こだわる分ね あとは弟子にもね相当厳しくてしょっちゅう怒鳴ってたって言ってましたね
怖い師匠だったと思うよきっと で食事中は全然話ししないし
まあ普段は優しいみたいなんだけど 仕事中はかなり厳しかったみたいで
そんなのを聞きながら 怒ってるのも分かりながら
生活してるんですよなぜかというと あの洋館がね洋館はなぜかというと工場の隣にも家があったんで
うるさかったと思うよだから 自分はちょっと耐えれないね
絶対無理だと思う 近所で工事してるだけでも無理だから
仕事場でも怒ってるし家で野球見てる時は 多分プロレス見てる時もなんだろうな
まあぶつぶつぶつぶつね画面に向かってね 文句を言ったらしいんですよ
監督の再敗に対して多分言ってるんだろうね 選手が悪いプレーしても言ってるんだろうけども
常にね一人で画面の前で 言ってたんですよね
肌から見たらどうなんだろうな ずっと一人言ってるんでしょ
ちょっと変わってるよね でしょっちゅう夫婦喧嘩して
怒ってばっかりだったんだろうね 宗教の勧誘に来たらそれも
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怒って でもねぇ
借金で困ってるお弟子さんがいたら
お金を返してこないのに 何回もお金をねそのたんびに貸してあげて困ってるって
そういう人情のある人ではあったんだみたいだけど あとねまあ俳優みたいな
もうすごいハンサムだったんで 最近写真を見たんだけどもね
だからモテたと思うよ相当 まあでも浮気をするような
人ではないと思うんだけども まあなんかそうね職人に対してそういう
自分はイメージがあるんだけど 職場ではその分
他では結構 遊んでたりしたのかなぁ
まあでもお酒もそんな飲めないし まあ平日はそうやって寮に行って
帰ってきてすぐ仕事を始めて夜はすぐ寝ちゃってっていう 生活だったんで
どうだろうね 次は父方の祖母の話だけども
こっちはね 自分は間違いなくクソ真面目な人だったんだろうなって
思うんだけども 戦時中ね祖母が
もうこれ会えるの最後かもしれないと もう絶対生きては帰ってこれないっていうようなとこに
映されて 映される
と予定されてて シリアンの計らいがあり
会えることになったのに他の人がね
訓練に行ってるのに自分だけ会うのは 申し訳ないってことで会わなかったって言うんだよ
すぐそこにいるのに いやそういう話聞いてもねそうだし
家にはたくさん辞典あってねー まあこれも最近ねあの
祖母が自費出版した本でわかったんだけど でも定年後はなんかねー
テレビばっかり見てたって言ったんでそれは意外だったんだよな いっつもなんか辞典読んだり
俳句書いたり読書したりしてる イメージだったんだけど
俳句とかはねもう それは
もうずっとつけてたみたいで年取っても で絵も
描いてたみたいだし 図筆も描いてるしそれで
それをねー まあいつか
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そうやって自費出版でもいいから 出すのが夢で
でもあれ何冊ぐらい使ったの作ったのかなと思ってね 今で230万出したとしてもまあ
せいぜい何百冊 多くて
何百冊とか で図書館とかにも置いてもらえるのかなまあ
図書館ぐらいに置いてもらえるか で知り合いとかに配ってですよ
で読んでみたけどまぁ戦時中ノード書いてあってね 最近あの
広島の団体がノーベル平和書取ったりしてるけども そういう活動って大事だと思うんだけどね
ほんとセキュララに事細かに その時の心情をね書いてるんだけども
まあ聞いてて辛くなるような 内容ではあるんだけどね
父方のね祖父はね全く話した記憶もないし 少三まで生きてたんだけど
全く
孫はいいに関せず 可愛かったのかなどうなんだろう
案外可愛かったけど
あれなのかな 発音もね障害があってねうまくいかなかったり
まあ性格的にも相当 社交線なんて
あったもんじゃなかったと思うんだけど 打ち気だし
まあトウモロコシはそれの反面教師 でああいう風になったのかなぁ
外食したらどこ行っても 店員さんに話しかけるし
まあ知り合いはやたら遠いし ほんとねやたら遠いんですよ
やたらと友達を作りたがる しかもいろんな分野のね
きっと定年後もずっと家にいたんじゃないかなって テレビ見てたって言うから
ああそうトウモロコシが 20歳過ぎるまで祖父とは全然話しなかったなって言ってたから多分そうなんだよ
子供ともあんまり話しなかったし そうだねトウモロコシと話して
してた記憶もないね1回洋館と旅行中 しかも一方的にね
でもあるんだけどまぁ話してたな 記憶しかないね祖母と話した記憶もないし
家族集まってみんなの前で 昔の話をしてくれたとか
自分が描いた絵を見せてくれたとかそんなこともなかったしずっと 多分椅子に座ってテレビ見てたり
まあ旅行に行ってもねそんな感じだったんだろうなきっと 写真もね
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トウモロコシと囲碁してる写真しかないね まあでも後は良かったんですよ
まあそうやってアートにも 造形が深くて
でもねこれ最近は最近わかったんだけどこれ意外や意外 祖父もねあの祖父がその祖父がね
宗教に入ってたんだよ すごい現実なんて現実主義でもって言うんじゃない
まあでもそんなものって言ってなんか馬鹿にしてそうだけど まあ祖母に誘われて入ったんだね
でもね祖母とは違ってそんな熱心にはやってなかったんだと思うんだけども 青年が家に来ても全然
関わってなかったみたいだし でもね息子はずっと無職だったわけだけど
長男がねどう思っちゃうのかなぁ からえーっと
80ぐらいでなく なくなってるんで
20で産んでるんです祖母が20の時産んでるから まあ20ぐらいね20ぐらいで産んでるから
あーでも長男結構大きくなるまで生きてたのか ずっと長男は家にいたんだけども
祖父がすぐ亡くなってだからやって家に入れた いたのかなと思ったって
父親と息子ずっと今にいても何回 お互いまた科目だし
言いづらかったと思ったけど それで60年間っていうか
40年間 いたのね
どう思ったんだろうなお互い だからそうやって若くして生まれた子だから
おじは働きに行かないで祖父は働きにいてっていう感じか 次最後の話だけども
二十歳以外の父方の祖父からの流れがまあ大きいと思うんだよね まあ遊ぼうでもなく