1. 北海道から倉木 凪(なぎ)がお届け
  2. 第1755回 引きこもり倉木の闇..
2025-02-22 27:33

第1755回 引きこもり倉木の闇黒期以降の話

引きこもりの生活をユーモアを交えながら赤裸々に語ります。醜いところを露呈するだけだし、悲惨なところをひけらかすことにしかならない、そして引きこもりの意外な面を知ってもらえたとして何のプラスにもならないと思いましたが、それでも挑戦してみようと思いPodcastを始めました。

#潰瘍性大腸炎 #クローン病 #難病 #ひきこもり #憂鬱 #全般性不安障害 #ストレス過多 #自閉症スペクトラム #パーソナリティ障害 #統合失調症 #自傷行為 #適応障害 #PTSD #アスペルガー症候群 #双極性障害 #強迫性障害 #発達障害 #不登校 #ADHD #うつ病 #強迫症 #人間関係 #アラサー #ライフスタイル #メンタルヘルス

雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

サマリー

倉木凪は、引きこもりの暗黒時代を振り返りながら、希望と絶望を繰り返す生活における悩みや心境を語ります。4年目には発達障害という概念に出会い、それをきっかけに今後の進路について考えるようになります。引きこもりを経験した倉木がその後の心情と経験を語るエピソードです。発達障害やうつ病の診断、生活の変化、将来への不安などを中心に、彼の深い内面の葛藤が描かれます。倉木は、自身の暗黒期を振り返りながら、ストイックで完璧主義な生活とその中で直面した社会との関係の葛藤について語ります。また、その過程での身体的苦痛や精神的な不安も明らかにされ、どのようにせめぎ合いながら日常を送っていたのかが描かれています。

引きこもりの暗黒時代
倉木凪です。
昨日も将来のことで、
倉木がこの家に出てからのことですよね。
希望と絶望を繰り返した一日だったんで、
話していきたいんですけど、最近ね、
倉木の引きこもりの暗黒時代までの話ということで、
一応撮ったんだけど、
昨日改めて考えてみて、
3年目、引きこもり3年目、
途中からね、暗黒時代、
自分は名付けたんだけど、
テレビもラジオもネットも見ないっていう時期がありまして、
半年以上ですね。
で、あとはね、
ラジオしか聞かない時もあれば、
テレビね、NHKしか見ないっていう時期が3年目まであって、
2階の窓も開けないしね、
だから夏なんか暑いし、
冬は凍え死にそうになってるし、
結構大変だったんだけど、
精神的にもだいぶひどい状況だね。
で、4年目がね、
暗黒時代が2年目の途中からか、
で、3年目一人暮らしして、
で、帰ってきてからは窓も開けるようになり、
冬もちゃんと暖房つけるようになり、
フロアがあったの確認作業なんかも割と、
それまではメモで書いてたのかな、それをなくして、
それもまあ多少楽になり、
ただストリックだけはね、
結構夏なんかもその分筋トレしてたり、
ただまあ多少時間にも余裕ができて、
っていう風になってた時期ですね、
3年目の途中から。
で、ラジオを聞いて、
だけどもね、
まあトモロコ氏が部屋のぞい、
外からね、覗いてきたのも、
まあこの年かもしんないし、
まあ夜なんかね、トイレに降りたくても降りれないし、
で、何よりね、それまではね、
それまでと違って3年目か、
だから、
もう、生きることに希望はない感じですよ。
大学行かないってもう決まったし、
もう仕事も、
ちょっと諦めかけてる感じだったな、
コピーライト、
テープ起こしとか構成とかも、
まあ唯一見つかった、そういう仕事がもうダメだったようになったし、
ネットビジネスもだいたいもうダメだなって、
だって希望がもうなくなってきた時期ですね。
で、毎日、
まあ、暇つぶしでクラシック聴くしかないっていう、
そんな感じでしたね。
で、本屋にも行けないし、
一人暮らししてたときは行けてたけど、
まあ、歯医者さんにはいってはいるけども、
なんだか、
まあ、しつこくなってた時期だしね。
歯科医生さんは毎回歯ブラシ営業してくるし、
まあ、3年目もそうだけども、
まあ、そうやって多少余裕ができたと言ってもね、
まあ、わけあって寝てるときも、
汗だくになって具合悪くなって、
死にそうになってたりね、
まあ、いろいろあるんですよ。
生活の変化と希望の兆し
言えること言えないこと、
言えること言えないこと、
言えること言えないこと、
言えること言えないこと、
言えること言えないこと、
あのー、
まあ、トモロコシがね、
何回言ってもね、
クラキの洗顔の近くに、
自分の足の、
えー、
テーピングを剥がしたのをボロって置いといたり、
何回言っても直んないし、
洗面台にね、
物を置いて、
まあ、落としてるんだけど、
何回言ってもそれ落ちてるし、
まあ、そんなこともあったし、
それが続いてる時間、
時期もあったし、
なぜか、
自分の歯ブラシを置いてる場所のものが、
なんか動いてるなっていうときも、
があったり、
あと3年目は、
えー、3年目、
3年目はね、まだ、
ヨウカが宗教辞めてなくて、
でね、
5年目に、
えー、
ヨウカも宗教辞めちゃって、
で、そのタイミングでね、
もうタメ谷にも行かなくなって、
それまで行ってたんだよね、意外だったんだけど、
で、そのタイミングで、
毎日、新聞を読んでもらうようになったんですよ、
家にいるから。
まあ、その前の年からあまり行かなくなってたかもしれないけど、
ほんと行かなくなって、完全に行かなくなってから、
家で新聞読んでもらって、
だからそれまで簡易だったんですよね、意外なんだけど。
でね、何が意外かってね、
えー、3年目、
えー、クラキはもう限界、
だと思い、この生活に、
それで、
入院を決めたんですよ、
モリタ療法っていうのがある、
まあ、共悪性障害治す、あれなんだけど、
で、それを、まあ、両親に断られ、
まあ、そっからは、
絶対進路早く探せと、
いう約束を交わしたんだけど、
これが何でこの年だと分かったかな、
昨日、分かったんですよ、それ。
全然いつか分かんなかっただけ。
あー、
4年目ね、発達障害っていう概念に出会って、
だから、それ以前だからか、
それ以前に、
共悪性障害とか、
うつ病とかの、
本を読んでたんですよ。
だからだ。
まあ、だから4年目の始まりだったんですよ。
で、
だからだ。
まあ、だから4年目の始めかもしれないし、
途中あたりかもしれないし、
分かんないんだけど、
まあ、そのあたりね。
でも、宗教には行き続けてたんだな。
で、夜進路調べる感じで、
もう、
1日調べてるって感じだけど、
こっちもね、
まあ、宗教は行くもんだと思ってるから、
当時はね、
まあ、しょうがないと思ってたんだろうな、きっと。
で、4年目はね、
ああ、ちなみに、
いや、3年目、
まあ、2回で、
だから昼間いるんだけど、
まあ、だから難病について言えば、
まあ、1年目から酷いんだけど、
高校生の時に引き続いて、
まあ、今と違って、
午前中、
壊してることも多かったし、
腹根壊して、
だからトモロコシが家出てるの、
待って取りに行くとか、
でも寝る前はないんだよな、
夜中もないし、
午後2回で腹壊してる記憶もあんまりないんだけど、
まあ、でも難病はあったと思うんですよ。
まあ、さっきも言ったように、
まあ、その時その時の苦しみがあってね、
まあ、お風呂がね、
すごい時間かかっちゃうっていう時もあったし、
この時はまだ、
てか、この時が一番ピークかな、足の、
すみ切るのに、
まあ、時間かかって確認作業も、
ひどくて、
3年目、4年目あたりはそんなに、
そんな感じかな、
あ、でも3年目、4年目あたりはそれよりも、
やっぱり歯医者さんに参加受けていくのがね、
すごい辛かったんですよ。
で、いつもね、家帰ってきたらね、
このアットホームな感じで、
って言っても洋館しかいないんだけど、
でも、
まあ、普段家から出ないから、
まあ、冒険に来るのは気持ちなんですよ。
でもね、ストイックなクラフトとしては、
あ、普段こんな風な思いに慣れてしまってんだなと思ってね、
いたんだけど、
うん、この頃は、
将来のこと考えて、
どんどん泥の胸にはまっていく、
そんな感じだったのだろうね。
いや、だから入院するって言ったんだよ。
うん、
まあ、それが3年目の後半か4年目か、
で、それからは洋館の立場もだいぶ、
今までと変わりましたね。
今までと変わり、
こっちは待って、約束を、
発達障害との出会い
守るの待ってあげてる立場だから。
うん、でね、
まあ今回のテーマとして、
まあ、希望と絶望を繰り返してきたってことなんだけど、
えーとね、
5個ありまして、それも、
まあ、それ次回のエピソードで話そうかな、したら。
今回はね、
それは4年目、5年目、
4年目の話なんだけど、
まあ、発達障害の、
ってものに出会って、
まあそれからはね、
まあ鉄道の本、
読んでみたり、
なんかハマらないかなと思って、
あとは、
まあ、発達障害の本に書いてる、
おすすめする本、仕事を、
やってみようとしたり、
でも初めてもね、
えー、1回のパソコンはもう使わなくなってたから、
で、メガネつけたりなんだりっていうルーティンも大変だしね、
本当にたまにやる感じ、プログラミングも。
ね、機械オンチのクラッキーとしては全然、
ネットで調べても英語わかんなくてね、
プログラミングについては。
で、それを短時間でやるのも難しくて、
でも発達障害っていう概念に出会ってから、
少し道が開けた感じがしたし、
それまでと全く価値観が違って、
それまでエリート意識があったけど、
それからは、
もう身の丈にあったことをやっていこうと。
人間はそんなさ、もう、
生まれ持った能力で決まってるんだな、
それを生かしたものをやるしかないなっていう風に、
考えが切り替わったんですよね。
引きこもりの始まり
だからプログラマーが考察が多いとかそういうのも別に気にならないし、
魅力的に感じてたし。
当時はまた鉄音に興味持ってたからまたもう、
面白いもんでね。
それまではそんなに興味なかったんだけど、
鉄音の本なんか雑誌なんか買っちゃって、
読んでましたね。
辞伝とかも読んでたし。
まあでも翻訳だり何だりやってみたけど、
まあやることなんてことは、
まあ全部うまくいかなくて、
まあ途方に暮れちゃうんだけど、その頃は。
でもなんかやる気がみなぎってる感じ。
辞伝なんかも買ってこんな風になりたいなと思って。
ほんとそれからはね、洋館に入院しろと言われて、
病院に行けと言われても、
まあでもそれ以降は行ってこないかな。
いやどうだろう。
こっちは進路を決めるのを待っててあげてる立場だからね。
まあ病院に行けと言われてもだから入院すると言ったんだという感じだし。
ただ、行ってきたことあったかな。
まあでもね、
自分は発達障害になった。
失った日常と不安
それについて何にも解決できてないのに。
とりあえず、
脅迫性障害治したって、
何も意味もないだろうと言い返せるようになったんだけど。
でね、パソコン買った時も、
これもね、日ごもり中の大きな出来事なんだけど。
それもダメでね。
これが5年目ですね。
で、5年目の最初がそんな感じで。
で、発達障害の診断を受けていくんだけども。
当時6月ぐらいだね。
で、その頃なんだけど、もうね、
診断を受けて逆にうつ病もひどくなり、
で、仕事もなんか諦めちゃって。
で、歯医者でも行かなくなったんですよ。
なんか赤い塗られるのも嫌だし。
この病院のやり方はどうしても筋肉が合わなくてね。
それからでも6月の、6年目の2月ぐらいかな。
まあでも大体その辺り。
トモロコシが風邪ひいて、そのタイミングで行かなくなったんですよね。
歯医者にはね。
ああ、でもあれ夏だったかな。
だとしたら8月。
だから診断を受けた直後か。
うん。
それから外出しなくなったんだけど。
そっからは、まあ家での作業がね、
今度靴になって3ヶ月に1回の
髪切ったり、あとは足の爪切ったり。
まあ進路よりもそっちの日常の方に悩みがいった感じかな。
でも進路については、
まあ将来についてはもう常に不安はあるんだけど、でも、
もう進路についてはもう洋館に任せる。
うん。
で、
もう進路についてはもう洋館に任せるしかないから、もう。
こっちは入院するって言って断られてね。
で、
見つけると約束してもらっているわけだから、
もう待つしかないんですよ。
で、その前の年はね、
あった障害で金に出会い。
まあ仕事も、
何かあった障害としてできるかもしれないと障害者枠とかも考えたし。
あ、障害者枠考えてないけど。
何かしらあるだろうなと。
障害者ワークは考えてないけど
何かしらあるだろうなと思って
でも障害者ワークはもう無理だった
5年目は明るい
人と関わりたくないけど
まあ将来関わんなきゃいけない
仕事は絶対無理だし
もう
将来生き地獄確定
でももう生きるしかない
まあそんな心境ですよね
希望なんか
全くないですよ
だから今回本当に話す予定だった
まさに希望と絶望を繰り返した時期だね
結構病院の先生との
やり取りで
トラマできて
それは引きずったんだろうな
まあ外でも出れなくなり
仕事も諦め
まあでも寝たきりにならなかっただけいいけども
それで
逆にでも教学生障害が
酷くなるんですよね
確認作業も多くなり
まあアパートで一人暮らししたとき
とは全然別人ですよ
だから
張った障害の本なんかは
もう読むのやめちゃって
あとだ
IQ
テストやったから
まあそれについては色々調べたけど
まあ5年目も相変わらず
午前中午後と
2回でラジオ聞いて
まあFMか
わかんないけど
NHKですよね聞いて
で洋館が
進路決めて
考える気ないってこと知って
まあ
きつく言って
っていうのを繰り返すっていう
でもまた油断して調べないでって
まあそういうことを繰り返してましたね
まあなんか
こうやって話し合うの中身のない5年目だったら
わかるよだから
5年目6年目
まあでも
診断に行くの毎週ね
大変だったね
まあそれは多少楽になったかなっていう感じがあったんだけど
まあ会社にも行かなくていいし
でも今度家の中の作業が
色々大変だったんだよね
まあそれこそ
布団をね
夏用から冬に変えるとか
衣替えするとか
まあそういうことにだいぶ
エネルギーをかけてしまってた
時期ですね
夏もねなんか
すごい熱く感じてた
じゃないかな
それまではあんまりそんなことに
意識してなかったけど
で6年目はね
旅館に新聞読んでもらってさっき言ったように
修業に
宗教も辞めてもらって
でいいのになり
だから5年目ね途中でラジオ壊れちゃって
新しいラジオが
まあ音が悪くてね
本当にラジオも
ラジオも嫌になってた時期だね
で6年目の1月頃からもうね
ラジオは聴かなくなり
でやっぱりね夜に
進路をひたすら調べてもらう感じ
夜中まで
だから将来の不安は常にあるんだけど
自分ではどうすることもできない
感じでしたね
でその頃はもう施設を調べてもらって
仕事は全然もう諦めてる状態でしたね
新たな希望と挑戦
でこの時期もいろいろあるんですよ
2階で筋トレしたせいで巻き爪ができてしまって
爪なかなか切れないなって
汗がね爪切った次の日からすごい痛くて
まあ前の近所の前の
前の家の人だね
横の人のクラゲに対する
態度があまりにもひどくて
洋館に何かね
パンとかあげるって言われても
もらうなとかあとは遊びに行くなとか
宗教やめてもね
家に来るおばさんがいたんで
すいません
でそれで民の人に
家には来るなって言ってもらったり
まあ次回のエピソードなんですけど
いい施設があったと思ったらそれもだめだったり
あったと思ったらまたあったり
なかったり
でyoutubeで
生活をもらってる人の
動画なんか見て落ち込んだり
で見る動画が
なくなって
それはまだか
まあでもやることなくて暇つぶしがなくて
とりあえず新聞読んでもらうってのも
なかなかつらかったですよこれも
夜はね2階で
ただ棒立ちして
で読んでもらったことを確認するっていう
午前中もそんな感じかな
で食事中は相変わらず
うまく味わえなくて
あと歯の調子もね
なかなか悪くて
咀嚼するのすら
まあならなくて
まああれは
まあ余計な変化だったとは思わないけども
今では机の上に
皿置いて
まあ置いてというか
それを持ち上げ食べるようになったり
まあそれもその排斥の件があってからなんですよ
で7年目
坂道のメンバーに
縁があるメンバーがいるんだけど
まあそれで応援するようになって
いろいろ動画とか見漁って
いた時期ですね
7年目
でこの時期は決して
本当に満ち溢れてた時期かというと
なんだこの年と変わんないんだけど
ちょっと余計なことは考えない
考えてる暇なかった感じだね
夜は同じように
見たものを確認して
まああとはこの時期まあ
寝てる時のルーティンも変わったりしてね
だからその前の年くらいかな
寝てる時ちょっと汗だくんなって
水分不足で熱中症みたいになって
なったのは
まあだから6年目6年目のね
寝てる時のルーティンがあれ
結構大変でしたねあれはあれで
まあ暗きは楽しようとしても
辛くしようとしてもやっぱり
大変になっちゃうところがあるんですよね
まあでもこの年はね自分の中では
不思議な年だと思ってて
夢なのか現実なのかよくわかんない
大事な年ですよね
アイドルを応援してた
まあこの年以降とかけがないものは
ないですよ
その次の年もその次の年も
応援はしてるんだけど
まあ1年でも
この動画見始めるの遅かったら
ダメだったってわかってるんでね
大事な時期でしたね
暗黒期の回想
まあその前の年から応援してればよかったな
とはそれは思うけども
まあこの1年でも
良かったんですよそれは
それで
まあでも暗きはストイックだから
完璧主義だしね
もうやることもたくさんあって
大変でしたよまとめサイト見たり
曲出すたんびにまあいろいろ調べたり
YouTubeもね
YouTuberのいろいろ見たり
途中からね
まあそれでもやることがなくなってきて
そっから大変でしたよどういう動画見るのか
で無神経な暗きが出始めて
結構それまで見れなかった
まあ怖いものまで見れるようになって
でおまけに
好奇心もたくさんあったから
まあいろんなもの見漁って
スラム街だな
裏社会だな
それがまあ6年7年目8年目
9年目
で相変わらず洋館は
進路ちゃんと調べないから
どんどん罰は増えていき
まあ
親であるときは
まあもう葬式には行くなと
行って
でも
まあ祖母が亡くなる前に
会いに行ったんでそれで
じゃあ縁を切るっていう風にして
まあ親と縁切るっていう
反抗したのもまあこの辺りかな
まあどんどん洋館の罰が増えていき
暗きはそれしかできないから
自分で死ぬのも調べれないしネットももう使えないし
今考えてると不思議なもんで
教学生障害がどんどんひどくなる
わけでも
治るわけでもない感じ
ただやっぱり今見たように
いろいろ変化あるんだよな
昔見れなかった
ネットなんてね
ずっと見れてなかったし
ここまで
画面を見るなんてのも
久しぶりだったし
まあそういうのは無神経になってるし
まあでも食事中に
まあ洋館がうるさかったら
うるさいって言ったり
まあそういう制限は増えてたかな
廊下に物を置かないようにしてもらったり
まあトウモロコスにもいろいろ行ってもらって
いろんなとこで物を置いてあったりするから
これはね
9年目とかそのあたりまでかな
まあいろんなとこにね
トウモロコスの物が置いてあって
こんなことはどこの家庭でもありそうだけど
うちはひどかったね
何回言ってもね
人のことなんだと思ってるんだってくらい
まあ忘れるんですよ
トウモロコスが再就職したのが
うーんと
4年目
で5年目に
まあ長いこと続けることになった
会社に
会社っていうか
入ってたね
で一度辞めるんだけど
で一度辞めるんだけどまた復活して
それはこのあたりかな
8年目
9年目
まあそれまではね
廊下も
まあ宗教に行ったり
結構ね日常の
生活の変化が苦しくて
でもそうやってまた再就職してからは
結構
毎日
規則的になってて
時間なんかも決まってきてて
まあそこら辺のね
まああと予定の変更があってもまあ大丈夫になってきて
まあそこら辺は
安定してきていたんだけど
まあ以前は
予定が変更するってためにね
まあ確認作業も多いし
通信ってくるんだけど
ただトウモロコスが
家に
風邪でいるって場合は
まあやっぱり苦しい苦しかったね
別にいなかったからってどうせ
暇つぶししてるだけではあるんだけど
でこのあたりの
問題点としては
足の甲の傷ができて
どんどん広がっていって
でそれに2ヶ月3ヶ月も
寝てるときも起きてる
広く自中激痛で
こんなに痛覚って
常に働くもんだなと思って
あと歯がね
もうまあ
四角花瓶のもっとひどいやつ
もうね
毎日骨折してるよな
あるいは
出産とまでは言わないけど
まあでもそれくらいの痛み
うん
でしたね
まあそういう時期が半年間あり
あと冬はね
2日に1回はね腹壊してるんですよ
寝切りもまあひどい状態になって
でヨーグルトとかも
食べられなくなって
まあ食べれるものがどんどん
少なくなっていった
のもこの辺りかな
焼肉のタレは使えないとか
あと排斥が
いかなくなってからは
銀箔が取れたらどうしようって
そういう不安は常にありましたね
だから固いものは食べれないし
あと
スイスの
Gマル補助団体みたいなとこに行って
まあ安楽死みたいなことだよね
それをやろうとして
まあ登録したり
そういうところに
かと思ったら
なんかアフィリエットなんか始めちゃって
でもそれも雑説して
突然なんかね
衝動的とは言えない
っていうわけではないんだけど
なんか仕事やってみようと思ったのな
その時
なんかやっぱり諦められない
諦められないチームがいたんだねきっと
たまにだけども
自分でも進路入れちゃう
調べてはいたんだろうね
それはやっちゃはいけないっていう
決まりではあったんだけど
まあ自分で調べてたか洋館で調べてもらったか
わかんないけど
いや洋館あまりにも
約束守ってくれないし
進路決める気すら
考える気すらないような感じだから
ただ脱線でとりあえず調べて
たまに自分なりに
考えちゃうんですよそうやって
進路をね
でひたすら
苦しむだけなんだけど
それが何週間か一回あって
日常生活の課題
毎日不安なのが不安なんだけど
それが一瞬とはいえね
生活全体に大きな影響を
あたるわけですよ
将来についての不安が出てくると
それではしたっけ
27:33

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