1. 北海道から倉木 凪(なぎ)がお届け
  2. 第14回奇妙な自閉症スペクトラ..
2024-04-10 23:24

第14回奇妙な自閉症スペクトラム 写真を見ながら振り返る 後編


  1. 高校が奇妙だったという話 高校がケーブルテレビに

  2. 医者と歯医者について語る

  3. 写真を見ながら振り返る 日系ブラジル人の伯父について

  4. 怖かった音

  5. キャンプで孤立

  6. 元プロ野球選手とキャッチボール



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第14回、ポンスダチの発達症が良かったとしたら、地元のケーブルテレビに自分が行っていた高校が出ていて、ある理由があって何度も見返してしまったポンスダチです。
自分が入っていた専門家についての特集だったのですが、自分が通っていた頃もそう感じてはいましたが、女子がちょっと異常と言っていいほど美人な人が多いんです。これは専門家以外のクラスも全く同じことです。
理由は思い当たるところはあったのですが、自分が通っていた頃よりさらに美人な人が増えている印象です。
化粧はしていますが、高校生なのでそんなに厚くはしていないので、その違いではないと思います。
あんなに美人がある特定の学校に集まってくることなんてあるんですかね。例えば東京の芸能人が多く通うような学校はもちろん美人な人が多いでしょう。
有名主律なんかどうなんですかね。ちなみに自分の経験から言うと、お医者さんは美人な人と結婚することが多いので、その息子娘は美男子。
美人が多いように思います。少し離れはずれますが、私学部は親が医者で偏差値が足りなく私学部に通うことになった、あるいは親の司会員を継ぐために司会師になったという人が多いようです。
医者はどうなのかと考えてみましたが、まず親はお金があるというのは質条件で、6年間学費を払わなければいけません。
また育ちも良い人が多いはずです。もちろん親が医者という人の割合は多いと思いますが、
今の情報だけで言うと、もし統計をとってみたら、歯医者の方が親が医者という人が多い可能性が出てきますがどうなんでしょうかね。
これは考えすぎでしょうか。話は戻りますが、美人が多いだけでなく、その高校の後輩は自分が通っていた頃より知的な人が多くなっていると感じました。
ただ進路実績を見てみると、旧定体合格者が自分が通っていた頃と変わっていないので、特に優秀になっているということはなさそうです。
こういうものなんですかね。自分が通っているその時点では、なかなかクラスメイトについて身近な分本性というかわからないというか、そういうことってあるんですかね。
前回で話しましたが、高校の後輩が坂道グループに入りました。やっぱりその影響もあるんでしょうか。
そのアイドルに憧れて入りたいという女子が増えたのは確かかもしれません。 ただそれが美人が増える要因としてどの程度影響しているかどうかということですね。
あと高校の先生ってオシャレな人が多いんですね。多少生徒の人気が高まるぐらいの変化しかないと思いますが、他の人に見られるということもないでしょう。
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自分が通っていた頃もヒゲを生やしている先生何人もいましたし、男性の先生で挑発にしているという先生もいました。
そのケーブルにテレビで出ていた先生もオシャレなワインシャツを着て髪はパーマをかけてました。
その動画を見ていて気づいたのですが自分の通ってた頃は年配の先生が多かったです。
国語の先生は一人が50近く、一人は45、数学は一人は55過ぎで、一人は45近く、英語は一人が50過ぎで、もう一人は55過ぎ。
科学に至っては二人とも自分が2年の時に定年退職しました。もう一人は少し若めの先生でそれでも40近くですね。
生物も40近く、もう一人知っている先生で言うと55過ぎ、もう一人は45ぐらい、物理が45過ぎといった感じですね。
新学校はそういった傾向があるんでしょうかね。まずは高校の先生は地方に最初は飛ばされるそうです。
どこの学校に配属されるかというのは自分ではどうにもならないでしょうか。
なるべくこういった学校に行きたいというのは多分みんなあるんでしょうね。心の底ではあると思います。
そういった意味では転勤する年なんてのは特に高校の先生なんかその後長い人と20年間その学校にいる人なんかもいましたし、本当に人生を決める一大事ですよね。
さて今日は写真を見返しながら前々回に続き子供時代を振り返っていきたいと思います。
さあということで自己紹介でも語りましたが
自分は幼稚園時代は全く行事には参加できず友達遊ぶこともできずといった感じでした。
自分の親戚に日系ブラジル人がいます。自分の父方の祖母の兄弟ですね。
自分が小学校低学年の時に日本に何ヶ月か来ていて自分の家にも祖母と一緒に来たという記憶がありました。ボーリングに行ったり
おもちゃを買ってくれたりした記憶がありました。写真を見ていろいろな新たな事実がわかってきました。
その前にこれは有名なことですが学校でも習ったかもしれません。
ブラジルに日本人の移民は多いです。特にサンパローに日系ブラジル人が多いようです。
そのおじさんもサンパローに住んでました。デカすぎで当時日本人が多くブラジルに行っていたと聞いていたのですが
人口の増えすぎを防ぐという政策だったと最近知りました。
おじさんがなぜ日本に来ていたかというと自分のルーツを知りたくて愛知県でデカすぎをしながら何年間かに渡って
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日本各地に出向いていたようです。青森に自分の実家があるということがわかりそこからどういう経緯かわかりませんが自分の祖母が
自分の兄弟がいることがわかりその兄弟の家に何ヶ月もいることになりました。
そして祖母と一緒に自分の家にも来てくれていました。 写真を見てわかったのですがその1ヶ月後に
そのルーツを探るため再び一人で自分の家に来ました。祖母の家からは2時間ぐらい電車で
かかる距離です。電車といっても速さはまちまちですが。それでこれは記憶がないのですがその人の親族にあたる人なのか
探しに我が家も一緒についていったようです。いろいろと写真が出てきました。ここに行ったということがわかるような
ただどれも記憶が全くないんですよね。ボウリングに行った記憶しかありません。あとおもちゃを買ってくれた記憶ですね。
あと記憶に残っているのはやはりブラジルに何年も行っただけありレディーファーストの精神はすごかったです。
母親が車に乗ろうとするとドアを開けたりとても真摯な人でした。 ただ子供なのでおもちゃを買ってくれた印象が一番強いかなという感じです。
今考えてみるとルーツを探りにブラジルから日本に来てそれに同行できるなんて とても刺激的な体験だと思います。
ただ当時は子供なのでそんなことも通知らずおもちゃで頭がいっぱいでした。 日本に来ていろいろとルーツについてはわかっていろんな出会いがあったようです。
実はそのどれぐらい前になるかわからないのですが祖母もルーツを探しに自分の家に来て
父親が送ってあげて親族の家に何軒も回るということがありました。 それは自分でも記憶がありますね。
それも子供ながらに面白い体験ができているなぁという感じがしました。 でもその何年か間にそうやって兄弟がブラジルから同じようにルーツを探しに来て出会うんですから不思議ですよね。
とにかく自分はおもちゃをくれる人には懐いてましたね。祖母に対してもそうでした。 もし祖母がおもちゃを家にくるたびにくれていなかったらあそこまで懐いていたかわかりません。
簡単な子供でしたね。 祖母はそれをわかっていたかどうかはわかりません。
孫はかわいいのだからそうであろうとなかろうとそんなことはどうでもいいのだと思いますが。
そのおじさんはブラジルで靴屋さんをやっていたそうで奥さんとは死に別れなのか離婚したのかわかりませんが娘さんの家で暮らしていて旦那さんが学者でお手伝いさんがいるような家だったようです。
今だったらもっとブラジルについて詳しく聞いていたでしょう。 親もあまりブラジルについて詳しくは聞かなかったようです。
ただ地元の有名なカレー屋さんに行きコーヒーを飲みあまりおいしくないと言っていたらしいです。
やはりブラジルのコーヒーに比べて日本のコーヒーは低いレベルなんでしょう。 家でもコーヒーを出していたようなのですが、もし今の自分が当時それを見ていたら
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おーコーヒー出すのかーと思いながら見てすごい緊張しながら感想を聞いたと思います。 どういう理由でかコーヒーを出していたようです。
写真を見ていてかなり意外だったのが幼稚園で年中年長になると割と運動会にしっかり参加できてるんですよね。自分の記憶でも割と運動会は
他の行事に比べるとですが参加できてそこまで嫌な思い出でないといった記憶があります。 やはりそぼが来ているしできることはやらなきゃいけないという義務感だったのかわかりませんが
ただ運動がそんなに得意だったわけではないし幼稚園の時なんかはかなり 人体能力が他の子に比べて低かったと思います。
ただ今思い出したのですがカケッコなんかは割と 苦手意識もなくできていたような気がします。
ただピストルの音が怖くてそれは本当にダメでしたね。 信仰宗教に自分も親も入ってきましたがそこでの友達と何度かキャンプに行っていたそうなのですが
海で岩場で子供たちと遊んでいる写真が出てきました。そこに映っている一人が以前から 引きこもりだったということを聞いていたのですが
その子供のうちのどの子か今回特定できてああこの子だったのかという 少し感動がありました。見た雰囲気は2枚目で当時子供ですが
一群といった感じなんですかね。引きこもりになったのは意外です。 その後その時キャンプで一緒にいた人がコンピューター科学だと思うんですが
そういう方面の学者さんをしていてその人のところでパソコンの能力を買われたのか 働くことになりました。確かそこで働き続けているか
IT系企業に就職したかその後したそうです。 パソコンの能力がある人は羨ましいなぁと思ってしまいますね
引きこもりでこんな成功例は他に見たことがありません。かなり理想的です。 まさかどっちも引きこもりになるとはお互いに思ってなかったでしょうね当時は
ここで一つエピソードがあるのですがその父親が宗教の帰り そこのキャンプにいたもう一家族の父親と食事をしていると
途中から参加し自分が教祖から花を一旦持っているのを頼まれた時 目が痛くて持ってるのは大変だったんだけどというような
詳しく覚えてないんですがそういう話をしていると それでその花を蝕ったりしてしまうぐらい
やんちゃでいいんだよというような 内容のことを言ってきました多分自分の息子は当時も引きこもりだったので
引きこもっているのにこうやって自分が言っている宗教にしっかり参加しそれを嫉妬 したのでしょう
そうとしか思いません自分はこう言ってやればよかったと思っています それ本気で言ってるんですかそんな偏った考え方を
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持っている人が宗教の中心にいて大丈夫なんですねです そんな作成的には言いませんがちょっと今はどう忘れましたが
元友達の言い方で何回いい言い方を思いつい思いついては自分の中で空想していました こういうトラウマがあるとこんな風に言ってればよかったなあと後から振り返るんですよね
悔しくてしょうがないんですよ あと父親のソフトボール仲間と旅行に行った写真も出てきました
本当にその集団が自分は嫌でしたね嫌いな音おじさん方でした ただその一人で自分の上司なのです
自分の父親の上司なんですが自分が小さい頃からとても親切にしてくれる人がいて その人が慕っていましたドラゴンボールの金亀仙人を真似て鶴仙人と呼んでいました
なんで鶴だったのかは覚えていませんそれ以外の大人は全員嫌いでしたね そこにいる子供も嫌いでした
他の家族もこんなものなのかなぁと疑問に思いますが 多分他の家庭以上に強制的に自分はそういうとこに入れられ
一緒に連れて行かれてました自分が嫌だろうと嫌でなかろうと本当に辛かったですね その集団とは食事をしたことも何度もかありますし旅行にも何度か行ったはずです
飲み会をしているとそこに行かされることもありました そこに行って冷えたとトウモロコシを食べさせられたり冷えた鍋を食べされたられた記憶があります
何よりその人たちが酒臭いし酔っ払ってるしで嫌でしたとても 貧がないというか自分の親はとても貧のあるありすぎるぐらいの人と全く貧のない人
どっちの集団とも関わるので頭が追いつかないんですよね どっちか片方にしてほしかったです
葬式の写真なんかも出てきました自分と父親だけ寝ていました しかも一番前でですあれがお坊さんの説教の時だと思うとゾッとしますね
葬式といえば最近疑問に思ったのですが夜お披露目に親戚で一緒に男女一緒に 寝ますがあんなの修学旅行
では絶対男女は分け分けますし日本ではその他の場面でも男女が同じ 空間で一緒に大勢で雑魚寝をするなんてことはありえないと思います
です本当に 親族の中でも
つながりの強い人たちだけというのはわかりますがあれは予約すれば誰でもあそこに 泊まれるらしいですね
でもよく考えてみると地方から来ている人もいますしそういった空間は必要だ 必要なのはわかりますがあれみんな何とも思わず
普通に寝てるのは不思議ですね学生なんかは特に女子なんかは嫌ですよね 知らないおじさんたちと一緒の空間で寝るのは
あれも日本独特の面白い文化だなぁと思いました そこで寝ないで遺体の近くで親族で飲んだり話したり
して火を消さないでいるように するという習慣もありますが
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あれお酒好きにとってみたら最高でしょうね朝まで飲んでるで飲んでるんでしょうねそう いう人たちはなんて考えたりもしてみました
小学1年生の時に 多分発達障害だと思うのですが
隣の席に母親と 母親は同行して投稿している
女子児童がいました 小学生の変の時に話しましたねでその
家族と動物園に行ったことがあるそうです その子は母親からすると普通にしているように見えたそうです
なぜその家族と仲良くなったかというと まず自分が何か異変を感じ仲良くしてあげようと思ったのか
余計なおせっかいだと思いますがそれでよく話しかけていました これが皮肉なことにその女の子は大学の栄養学科に通い
多分今は就職していますそして一部は引きこもりになってしまいました その子は2年になってから
特別支援学校に転校しました やっぱり学校では馴染めなかったのだと思います
ただそれがこうそうしたのでしょうね自分は無理して学校に通い続け 高校まで卒業した高校も卒業したのに今こうなってしまっています
家族と写ってる写真はほぼ全て笑顔なんですですが 近所の子と写ってる写真は無表情なものが多かったです
楽しく遊んでないのも伝わってきます 緊張もしていたのかもしれません
これを単なる内弁形と捉えてしまうのは間違いないような気がします とてもなんか極端だなっていう印象を受けましたね
写真全体を通してみると確率的なことで言うと家族で写ってる写真はほぼ100%笑顔です
あと面白い発見があったのですが母親をおどけて笑わそうとしている写真が多かったです 自分にそのような部分というか性格があるようには思いません
母親が笑顔になるとより楽しませようとしておどけていたそうです 全身くねくねさせて踊ったりしていたようです
多幸踊りしていたのを覚えてるんですよね自分でも自信あったんだと思います これは面白いぞと思ってやっていたんだと思います
恥ずかしいですが それが近所の子供と一緒にいると無表情になって楽しくなさそうにずっとしてるんですからね
たぶん意外に遊んでたんじゃないかなと思います 今振り返ってみても心を開ける友人とはなりませんでした
唯一親友と遊んでるときは楽しかったですが それでも
心を開いているという感じではありません かなり気を使っていました
自分の意見を言うことなんかはありませんでした ただ親に対しても心配させないように小学校高学年が中学生になるぐらいまでは本音で何かを言うことはありませんでした
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間違いなく一番の要因は心配させたくないという思いだったはずです
大人に対してはどうだったかというと年長さの時の保育士さんには少し心を開き始めている のだということが伝わる写真がありました
大人に対して少し心を開き始めた証拠だと思います 小学校の1年の時の三人の先生にもだいぶ心が開いていました
ただ矛盾するようですが小学校3、4年ぐらいになるとそれまで 心を開いていたいとこにさえ話しかけづらくなってしまいました
社交的でなくなっていったという意味です これは不思議ですね
ある海水浴でいとこの子供の女の子が何年かぶりに来ていたのか やっぱり何々ちゃんいないとダメだわーとずいぶん回せたことを言っていた記憶があります
普通子供がこんなこと言わないと思うんですがなぜあんなこと言ったのかと思います 単に喜ばせたかっただけとは思いません
そうやって言うことによって気に入られたいと思ったのだろうけど なんとも
子供らしくない発言だと思います 写真を見てあんなこともあったなぁと思い出すこともありますね
チャンバラごっこしていた記憶とか 写真を見て思い出しました
自分はレゴにとてもハマっていて何年間も コンスタントに誕生日やクリスマスで買ってもらっていたのですがその写真がなかったのが意外です
完成したのを自慢げに撮ってる写真があってもいいはずなんですが ありませんでしたね熱中しすぎて写真を撮ることさえも忘れたのでしょうか
ざっと幼稚園の頃小学校の頃の写真を見てきましたが案の定 近所の子同級生と写ってる写真はほとんどありませんでした
他の子と比較してみたらもっと顕著に自分の特性が見えてくると思うのですが 比較してみたいですね
元プロ野球選手とグランドでキャッチボールしてる写真がありました 運よくその人とキャッチボールできたんですよね
その人は今でもプロの世界で監督として 活動していてプロ野球界にとって超貴重人物なのですが
当時は現役時代の選手の姿を見ていないのもあり 名前もかもしれませんでしたがやはり元プロ野球選手の魂はすごいし嬉しかったです
会話することもできました ギターをゴムで作ってもらって弾いてるふりをして楽しんでる写真なんかもありました
これも写真を見てそんなこともあったなと思って記憶が蘇ってきました 記憶って不思議なもので感情もしっかりこの情景と一緒に連鎖して蘇ってくるんですよね
あといとこが ウェディングドレスを着ている写真があったのですが結婚式はしなかったようで
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特に興味がないんだなと思っていたのですがやはり女性というのはウェディングドレスに憧れるようですね
この人は現在難病になってしまいステロイドを打ち続けています
本当に今後どうなっていくか心配な状態です 自分もおそらく難病があるので異例なのかなぁと感じています
はい 引き飯のコーナーここではひきこもりの食事について紹介していきたいと思います
昨日は芋団子を食べました 父親の勤めていたところの偉い人が大量に芋を去年くれ
今年くれて何ヶ月も食べたのですがそれがまだ残っていたようで残りでそれを作って くれたのですがこの芋がとてつもなく美味しいんです
芋餅にすると芋団子にするとバターが中に入ってるんじゃないかと思うぐらい甘くなります 砂糖醤油をつけて食べると本当に美味しいです
そぼんをよく作ってくれていたのですが 小さい頃好きでしたねただ作るのが大変なようで
バーチャーもよく80過ぎていたのに作ってくれていたなぁと思います はいエンディングのコーナーですということで写真を見て振り返ってきました
まとめますと とにかく
近所の自分の同い年ぐらいの子供とはほとんど遊んでいないということです それと今気づいたのですが部活動では先輩とは仲が良く
同級生後輩とあまり仲が良くできないといった傾向が大まかにですが言うとありました 残念なことに先輩とも最終的にはこちらから生意気なこと言ってしまい
失礼なことをさせてしまうというのが中古ともにあったのでなんともそれは一概には言えない ことですが割と先輩とは仲良くできました
どうやら近所の子もだいぶ5歳以上離れた年上の人と遊んでる写真が多いんで たまたま年上の人が多かっただけなのかもしれませんが
まだ仲に入って一緒にやっていけるという感じですね ただソフトボールの集団の話がよく出てきましたがその子供たちは自分の年上だったの
ですがやはりダメでしたね ただそれにもかかわらず自分に対してゲームを一緒にやらないかと言ってくれたり
なんかとても申し訳ないとかやるというかやるせない思いです 今日も聞いていただきありがとうございました
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