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2024-04-10 31:41

第15回実況ひきこもりの毎日 今日はダンスのプロの伯父紹介


  1. 坂道グループ談義

  2. 伯父について ダンスの審査員

  3. 宗教の集いの前の日の旅行の話 新たな展開





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第15回始まりました。
高校の後輩であり、坂道グループのメンバーについての大ニュースがあり、晴天の霹靂といった気分のポンスダチです。
本当に彼女は自分の人生にとって一番ボスというか、そんな存在です。
よくわからない表現になってしまいましたが、そんなところで、
今日はまず本題に入る前に、前回写真を見ながらいろいろ語ってきましたが、だいぶ古い写真になるのですが、
祖母や祖父の若い時の写真が出てきたので、それについてまず語りたいと思います。
母親から祖父は俳優のようだったと聞かされていて、
80過ぎてからの写真を見ても、確かに自分も若い時はかっこよかっただろうなぁと想像していましたが、
自分が想像していた以上に、本当に俳優かと思うほどオーラがあり、ちょっと庶民とは思えないんですよね。
そういう人と血がつながっていると思うと、少し誇らしい気分になります。
これって自分だけでしょうか。
自分の同じ母方の、次は王子の話になりますが、奥さんがとても美人な人だったと聞かされていました。
病気で若い時に亡くなったのですが、ただ王子は若い時、特にそこまで二枚目というわけでもないというように母親から聞かされていましたが、
写真を見ると全くそんなことはありませんでした。王子も俳優にいてもおかしくないぐらい雰囲気のある人でした。
ここら辺でなぜ親戚の話をしようと思ったか説明したいと思いますが、
発達障害の親族には発達障害者が多いという説があり、それについて考察してみたくここでも話すことに決めました。
何か手掛かりがあったらと思います。
王子は柔道を昔からやっていましたね。しょっちゅう骨折をしていたようです。
ただそんなことに恐れることなく立ち向かう精神があったというのがよくわかります。
学生の頃は何日かもかけて山を縦断したり、他にも危険なことをしていたと聞きますね。
危険なことなおかつアドベンチャーなことをしていたようです。
あと大人になってからは少林寺剣法をやっていたと聞きました。
自分は技をかけられたことが一度あるのですが、師範なんじゃないかと思うぐらい一瞬でやられました。
自分が察するには相当強かったのではないかと思っています。
母親とは年が離れていてほとんど家にはいなかったそうです。
結婚した後は外で遊ぶことが多く、奥さんは寂しかったのか浮気をしてしまい離婚することになりましたが、包丁沙汰になるぐらいの時代だったそうです。
03:04
そして子供を連れ実家に帰ってきたようです。そこには母親もいました。
最初は国鉄で働いていましたが、ダンス教室を開き大会では何度も優勝していたそうです。
これがすごいのがプロになるだけですごいことです。
プロ1級で長い間活躍していました。
社交ダンスのプロ1級というのはほんの一部の人しかなれません。
2級3級でもすごいことなのですがそれだけにとどり回りません。
審査員の免許も持っていました。
プロの人たちを審査していたわけですから相当すごいですよね。
実技引きともにものすごい難関をくり抜けてなったのだと思います。
一度スポーツジムに行ってその時は社交ダンスではないのですが
ヒップホップとジャズダンスをおじと一緒に受けたのですが
周りは20代ばかりバリバリダンスをやりそうなストリートな感じの人たちの中で
おじが当時60くらいだったのですが若い人と全く同じように踊っているので
あれは最高にかっこよかったです。
親戚としてとても誇らしかったです。
全く他ジャンルなのですが
ヒップホップの時はちゃんとただ動きを合わせるだけでなく
雰囲気全体がヒップホップになっている
そういった雰囲気をまとわせているという感じで
ジャズの時はジャズのクールな感じにしなやかに動いている
全く別人のようになりあれはすごいです。
親戚の家に帰り
いとこや親みんなの前で
なぜか自分がそのことを自慢してしまいました。
そんな祖父の教室はコロナの影響もあり
あ、祖父でなくおじの教室はコロナの影響もあり
今はもうないのですが
なんとも惜しいですね。
そんなおじの若い頃の写真が出てきて
歳をとってからも他の同世代と比べると
ダンスをやっているので姿勢もいいですし
雰囲気はあるのですが
若い時は本当によりそういった感じだったのですが
誰かに似ているなと思い
あの俳優かなとかいろいろ考えたのですが
自分のいとこ、つまりおじの息子に
とても似ていました。それが驚きでした。
今までの回で自分は進路を
高校時代本当に悩んできたと話しましたが
1年か2年前に大学に行き
そこでダンスサークルに入り
またおじのダンス教室でも教えてもらい
働いていたらきっとおじも喜んでいただら
喜ぶだろうな、自分としても
ダンス界ではおじの名前は知られているわけですから
すぐ自分の名前を覚えてもらえて
きっと居心地も良かっただろうなと想像していました。
それ以前からもし親が事業を起こしていたら
会社の社長をしていたらということですね
きっと進路なんか悩まないでそこに
後継ぎに入っていただろうなと思いますが
父親はそうでないとしても
そうやって親戚で事業を起こしている人がいるのだから
そこに入るのが自然な流れなのではないかと
考えていました。
もしそういう人が親戚にいたらですね
06:00
自分の場合そういう人がいたのだから
そうしていればなと後悔する毎日が
1年ぐらい前に続いていました。
本当に老人中は
あの時こういう進路になんでしなかったんだと
後悔する時期が続く
そんな期間が何度かあったのです。
おじのすごいところが
1日でダンスを教えて
疲れているのにそれからスポーツジムに通うんですよね
夜9時ぐらいに仕事が終わり
そこから多分12時とかそれぐらいまで
ジムに行き
ヒップホップやジャズや結構激しめの
インストラクター付きの体操をして
サウナにも入って帰ってきたようで
それを週何回か分かりませんが
何年も続けていました。
ある時
ニューガッドサブドというヒップホップダンスの
映画を自分に見せてくれました。
ダンスに興味を持ってほしいという
思いだったのかなと考えると
社交ダンスをしていればなと思います。
またおじ夫婦で
ダンスについていろいろ教えてくれることもありました。
身長はこれぐらいあればいいとか
身長さえあれば後は何とでもなるよみたいな
その感じが
鈍感な自分でも分かるくらい明らかに
ダンスを進めてくれている
というような感じでした。
ダンス教室に男性の先生を
何回か雇ったことがあるようなのですが
何人も辞めていったようです。
なので必要としていたのかもしれません。
当時はそんなことにも
気づきませんでしたね。
社交ダンスをやっている人というのは
独特な雰囲気があるんですよね。
一度自分の宗教の集いと
ダンス大会が
同じ建物の中で
同時に開催されるということがあり
その時親戚もいたのですが
お手洗いに行った時にものすごい別世界のような
雰囲気でした。
ポマードで髪を決め、当然大会なので
あれはいいとこの旦那さんに聞くより
2万も3万もするような
特別な
スーツのような衣装で
男性女性ともにすごいオーラがあります。
みんな姿勢がいいんですよね。
歩き方も違いました。
化粧してピシッと決めて
悪く言ってしまうとナルシストみたいな
風に見えますが、大人になって
熱中するものがあって
若い精神を保っていられるというのは
ただただすごいと
感心させられました。
ダンスの飛び抜けて才能がある人って
有名大学を出ていたり
今までyoutubeで見てきた
世界レベルのダンサーなんかは
知能が明らかに高そうな人が多かったです。
知能が高いというよりは
飛び抜けて何かできる
ところがあるという印象です。
あとダンスは
訓練ではどうにもなるものではない
苦手な人は苦手というのが
分かりやすいものですね。
あと運動能力とは
全くと言っていいほど別物
という点も面白いです。
アイドルなんか見ていると運動神経は
悪いのにダンスはできるというメンバーが
結構いました。
同じ身体能力を使うものだと思うのですが
別なようです。
話は長くなりそうなので
そろそろ本編にいきたいと思いますが
今日のテーマは
以前刑事並みに
真相を追求した
という回がありましたが
09:01
宗教で年の暮れに
開催される
集会に旅行があったら
毎年行っていたのですが
ある写真をきっかけに大きく展開が変わったので
それについて話していこうと思います。
さあ、ということで
親戚について
少し最初話しましたが
それや自分の小さい頃の写真を
見ている時に
宗教で旅行に行った時の写真も出てきました。
あやま学院の前で
門の前ですね。
写っている写真なのですが
また一つ答え合わせができたりといった感じです。
かなり意外とあった点は
キャリーバッグを持っていたということです。
母と自分の話の中では
表参道その都市を歩いているので
キャリーバッグを持っていたら
とても歩ける距離がない
だから持って行っているはずがない
ということでした。
最近また考えが変わり
持って行っているとしても
ロッカールームに預けている
というようになりました。
というのも表参道駅から
新横浜に
横浜に行く地下鉄があると思っていたのですが
後から考えてみると
そんなのあるわけがありませんが
それに乗ったのではなく
まず
渋谷駅の地下鉄に乗っている
あるいは表参道駅で
乗ったのではなく
渋谷駅でまで歩いて
帰ったということに気づいたのです。
ただ母親が足が痛かったので
多分校舎の方はないと思いますが
いずれにせよ帰り渋谷駅に
寄らないなんだから
ロッカールームに預けることはないと思っていましたが
ロッカールームに預けている可能性ができていました。
ただそれも外れていました。
どっちを持っていっている年なんて
絶対ないと思っていたからです。
あと服装は
ここ最近
高1の時はこの服
高2の時はこの服と
予想していてそれが当たりました。
またそこから新たな展開がありました。
これは最近
思い出したことなのですが
父親の宗教の友人と
高2の時は
一緒に車に乗せてもらい
帰った時に
その時の写真に写っている服で
車に乗っていて
それは以前からも
そんな記憶はあったのですが
違う周回での
記憶だろうと思っていたのですが
多分その服は
5月に東京に行く時に
服屋さんで
買ったものだという考えになり
またそういえる裏もしっかり
撮ったのですが
5月以降に
その宗教の大きな集いというのは
車で長く時間かけて
行く屋のところにはないと
開催されないという結論になったので
これは高2だということが分かりました。
しかしさらにまた
新たな展開がありました。
その友人の奥さんから
部活のことで質問されました。
その人の息子さんが
自分より年が一つ下で
バトミントンをやっていたのですが
練習試合であるここに行った時の
話をされました。
自分は2年の6月に
部活を辞めています。
12:01
それ以降に話をすることが
あるはずはないことに気づきました。
ただ4月以前だと
その息子さんはまだ
高校でバトミントンに入っていません。
これはどっちを取るかということになったのですが
仮にその人が部活に
入っていないとしても
中学生の時にその高校は強い学校なので
招待されて練習試合をした
ということがある可能性は十分にあるので
そっちの可能性が高いという考えになりました。
4月には
大きな集いがあります。
結論を変えると4月の記憶だ
ということになりました。
5月に買っていたと思ったのが
4月に買っているとなると
その前の年のパーカー
みたいな厚い服だったので
3月、4月は
まだ高校に入っていないし
9月とか秋に買ったという可能性が出てきます。
となると高1の時の
その年の暮れの集いに来ていたという
可能性が出てきました。
その写真を見て分かったのは
他の年もそうなんですが
父親はその集いの前の日の
旅行に行く日も
スーツを着ていて
つまりキャリーバッグにスーツを
入れたりしていません。
ある年に自分の制服を
持っていた年があるのですが
それを持っていったというのは
着ていたという可能性はないということを
確約した上でそう考えたのですが
制服以外で
キャリーバッグを
持つ理由がないんですよね。
父親はスーツを着て
行っている上に
自分でカバンを持っていて
自分も肩からかける小さいバッグではありますが
持っていて
本などの荷物はそこに入れられます。
わざわざキャリーバッグを
持っていっている年で
そうしているわけです。
どこかのロッカールームに
預けたという記憶は
母親も自分もあるんですよね。
この年はないし
鎌倉に行った年の可能性はありません。
その時の映像が残っていて
集いに制服を着ていないのは
はっきりしていて
ということは
小一か小二の横浜の山下公園や
もつ町通り、それから赤レンガ倉庫に
と中華街に
行ったという指定ですね。
その時に新横浜
でなく横浜駅のロッカールームに
間違いなく預けているんですよ。
ただどう考えても
これが表参道に行った年ではないのは
はっきりしています。
時間的にありえないことが分かっているからです。
ただこの写真によって
渋谷にも
その横浜の旅行も
同じ年にしたという
とてもパラドックスのような
事実があったと
判明しました。
小二の時に2日
泊まっているという可能性もあります。
で、集会があった次の日に
山下公園やもつ町通りに
行ったというなら矛盾は生じませんが
また実は
集会の後に
蕎麦屋さんに行ったという記憶があるんですよね。
蕎麦屋さんの中で
知り合いのおばあちゃんたちがいて
15:00
このすわちも
いつもだったら集会の後帰るけど
今日は一泊も一泊するんだなぁ
と思った記憶がありました。
母親もそういった
記憶があると言ってました。
ただ自分は中で会った記憶
母親はお店の前で会った記憶
で、座ってる位置の記憶も違うので
どうも怪しくなってきました。
ただ実際そういった日はあると思うのですが
何度も考え直してみると
これが横浜に
行った時の記憶かどうかは怪しくなりました。
二泊している可能性は
ほぼありません。
なぜかというと
キャリーバッグを持っている
しかも別に革を持っているということは
もう制服を持ってきているに違いないと
話しましたが、制服を持っている時に
同い年位の
人が団体で
帰ることになり
同い年位の何人かがいて
自分は制服を着ていて
鏡か何かに
映っている自分を見た記憶があるんです。
で、キャリーバッグを持っていて
これも記憶としては正しいです。
で、マフラーをして
カーディガンを着てという格好でした。
ということは今話したように
団体で帰っているのですが
団体は当日に帰ります。
ということは二泊している可能性がほぼなくなりました。
ただ蕎麦屋さんで
食べているという可能性は
団体で帰るのだったのが
少し可能性としてはあるなと思いましたが
最終的には
それは考えからなくなりました。
ここで一度説明が足りなかったのと
まとめをしておきますが
親の友人と
中華街に行った年は
ホテルで父親から
娘さんが一人の部屋で
夫婦で一つの部屋だと聞いて
娘さんだけ
別の部屋なんだと思った
ちょっと不思議に思った記憶があるんです。
ただその記憶は
説明が難しいですが
自分が椅子に座っていて
父親がどこどこ歩いてきて
その自分の右斜め前に
鏡と椅子
ビジネスホテルであるやつですね
あんな感じであった記憶なんですが
その位置に椅子があるはずがないんですよね
ビジネスホテルで
ビジネスホテル以外だったら
いくつも椅子があるかもしれませんが
特にその位置にあるという意味では
すごい低いと思います。ただ後から
ふと天から降ってきたように分かったことがあるのですが
自分がベッドに座っているか
もしくは窓の前に椅子があって
ベッドの足の方に
鏡があったなら
右斜め前に鏡が
あったという記憶は正しいんですよね
しかもベッドの
下ら辺に鏡があった
足の方ですね
という記憶も出てきたので
そういった部屋があったなということですね
そういった意味でも可能性としては
出てきました
その部屋の記憶が
最初中3だと思っていたのが
後3ではないかという考えになったのですが
その日の
多分夜11時とかだと思いますが
何故かエレベーターに乗り
1階に行ってるんですよね
それを思い出してから結構時間が経ってから
あることに気づきました
18:00
東横院では朝食を食べた記憶がないんです
最初は母親が
朝食を食べたと言っていたので
あるかと思っていたのですが
母親が若い時に
東横院で食べたという記憶の可能性が
高いということが分かりました
今は全く変わっていますが
当時は母親は
朝食をモネタリーなく感じたようで
それで食べてないという可能性は十分ある
ということが分かったからです
なので食べてない可能性があると
言える根拠ができました
だとすると前の日にコンビニに
次の日の朝のブーを買ってきている
と考えても
おかしくはありません
エレベーターで1階に降りて
という記憶はその時の記憶だったと思います
ただ以前話したように
ある知り合いのおばあちゃんから
これからも部屋帰って勉強するんでしょう
と言われた記憶があったのですが
その時に中学生の時
使っていた参考書の
記憶しか出ませんでした
というかその記憶で間違いないと思っていました
ただそれだと矛盾してしまいます
高3の記憶なのか中3の記憶なのか
ただ人間の記憶という
不思議なもので
多分これ高3の時の記憶なんで
記憶が混ざっちゃってるんですよね
ある時にふと
高校の数学の結構難しい問題集を
朝方
だと思うんですが
ホテルの中でやってる記憶が出てきました
もしかするとこれをやっていたかもしれませんし
それは分かりません
あと朝ホテルで
コーヒー牛乳を飲んでる記憶を思い出しました
なのできっと
昨晩コンビニで何か買ってきてるんですよね
その時にこのおばあちゃんに
スイスをおごってもらったんですよ
で集会で
今日は特別なことをやるから
早めに行くというように
ホテルの中で
自分がキャリーバッグをいじってる時に
話しかけられた記憶があるんですよ
それがスーパーホテルの記憶か
東横インの記憶かが曖昧なんですが
多分東横インなんですよね
ただその集会が
宗教にとって
自分が高3の時に不思議となる年だったので
ただ高3の時に
何か特別なことをやったという記憶はないんで
高2の時にその前の年ということで
何か特別なことをやったという可能性はあるんですよね
自分が
高2の時に
紙の矯正というのかストレートにするやつ
の機械を買って
ホテルでやった記憶がある時思い出しました
それだけでは
スーパーホテルのか東横インのかの記憶なのかが
曖昧だけど多分スーパーホテルの時に
朝食を食べに行ってる時に
コンセントにさしといて
帰ってきたら
すごい熱を持っていた
という風に考えられるんですよね
仮にスーパーホテルの記憶
だとしらですが
はっきりしているのは
コンセントにさしといてすごい熱を持っていた
という記憶だけなのですが
それは高2の時の記憶です
なぜそういう理由かというと
高1の時はまだ部活動をやっていて
ストレートにしようとしたりしないし
高3の時は帽子をかぶっていて
あとDVDに映ってる髪型も
髪を上に上げていたので
そういう理由がありえないんですよね
あと昨日
21:00
表参道台の写真を発見したという話があった
あれからもいろいろ考えたのですが
いろいろ発見があって
発見がある分矛盾もいろいろ
生じてきたんですが
その写真は表参道の写真と言いましたが
表参道に行った時に
青山学院にも行っていて
という前提で考えているのにそう言いましたが
青山学院の門の前で
撮っている写真であって
それが高1の時の写真である
という可能性は完全には否定できません
可能性としてはもちろん低いです
前の年に青山学院に行って
次の年に表参道に行って
どっちも同じ年に行け
という話ですよね
ただ
そう考えたくなる理由は
高1の時に表参道に行ってはなく
青山学院に行っていて
その後すぐ
渋谷駅まで戻って
新横浜まで
横浜に行って
青山元町通り
中華街に行っていると考えたら
キャリーバッグをロッカールームに預けたという
記憶も正しかったことになりますし
矛盾が入ります
たださすがにこれは
考えからなくしてしまっていいのではないかと
思っています
可能性として低すぎるんですよね
自分でも
地元から羽田空港まで
彼に何時間で行って
そこから電車に乗るまで何時間
経ってそこから渋谷まで
行くので振り返ってみました
でも最速だとすると
最速で仮に考えていくと
赤レンガ倉庫に
だいたい3時とか
それぐらいに着くのは理論上可能でもあるんですよね
だとすればロッカールームに
キャリーバッグを預けているという考え
矛盾もなくなります
ただ渋谷に行った年に
わざわざ中華街に行く前に
山下公園とか見るかなという
そこは怪しいですが
ただ知り合いと中華街で
待ち合わせていて
それまでに時間があるから
そうやって山下公園
赤レンガを見に行った
という考え方は十分にできます
まとめると
中一の時はプリンスホテルに
行っている
中二の時は団体で行っている
中三の時に浅草に行っている
高一の時は
スーパーホテルに泊まっている
話し忘れましたがそば屋さんで
なんかこの
高一の時に本屋で
永遠辞典を買って
これで本当に良かったのかなと
携帯を見ながら辞典について
調べているといった記憶があるんですよね
そのお店のある道路の
感じとかそれも記憶が
その時の記憶と一致するんですよね
ただグーグルのマップで見てみると
そのような道路も存在しないし
そのようなそば屋さんも存在しませんでした
高一の時は
制服を
とりあえず着ていっているか
ジャンバーを着ていって
中にワイシャツを着ているか
最初ジャンバーを着ていると
言っているとしたら
黒色のジャンバーを着ていると思ったのですが
その写真に写っていた
パーカーみたいな服ですね
24:00
それを購入の時に買っているのだとしたら
高一の時に
服屋さんで何か買った記憶があるのですが
それはジャンバーだということになり
自分がこの時気に入っていた
ジャンバーというのがユニクロの
ジャンバーなんですが
高一の時に買ったという記憶はないのですが
この時買っているとしたら
高一の時に着ていっている可能性があります
周回にジャンバーで
出たという記憶もあるのですが
ワイシャツで出ていたという記憶もあります
ワイシャツ着ている時は
大体席のここらへん
その時は周回でこんなことをした
制服の時は
後ろの方で周回ではこんなことをした
という記憶があり
その周回でこんなことをしていた
というのも少し曖昧なのですが
多分購入の時に制服
高一の時はジャンバー
という風に考えると筋道が通ります
さっき二泊した記憶があると言いましたが
二泊した時は
ホールの前の方に座っていた記憶なんですよね
ホールの前の方というのは今話した通り
高一の時なんですよ
ホテルの時の記憶とも
がっちするんですよね
ホテルで朝食をスーパーホテルで
2回目食べた時だと思うんですが
久しぶりに食べるなと思った記憶なんですよ
スーパーホテルで1回食べた記憶があるけど
でも本当に食べたかなと言ったら
薄い記憶なんですよね
その時に座った位置も覚えているんですよ
それ以降食べていないのもはっきりしています
ということは
今話した
校舎の方の朝食の時に
二泊しているという可能性はないんですよね
ということは二泊したというのは
高一に限られることが分かりました
それ以外選択肢としてはありえません
ということなんですが
あとこれも話し忘れていましたが
キャリーバッグを持っているとしたら
帰り自分の地域の人たちは
途中で抜け出すので
ホールの席だとしても
横の席だとしても
他の人の前を通り抜けて
行かなきゃいけないのですが
キャリーバッグを持っていっているとしたら
相当通り抜けるのが大変だし
母親が言うには
キャリーバッグを椅子の下に
入れる隙間なんてないってことなんですよね
たださっきも話したように
団体で帰る時にキャリーバッグを
制服を着ているとしに
持っていた記憶があるんですよ
そこは不思議なんですよね
今日いろいろ考え上げたあげく
結論が出ました
こういう風に考えました
これが一番矛盾が少ないです
高1の時にキャリーバッグは
持っておらず
山下公園に行き
その前に赤レンガ倉庫ですね
最後は元町通り
そこから中区街にタクシーで向かい
知り合いの家族
娘さんがいるって言った家族ですね
と一緒に食事を
取っている
今思い出したんですけど
この食事を取った場所も
グーグルマップで相当探しました
この通りのこの店の可能性が高いなと
一見非常に似た
作りの店があったんですよね
ただその店だとそんな通りには
行ってる可能性がないという
また矛盾が生じてきて
なかなか記憶との矛盾が
生じてしまうんですよね
27:00
で購入の時にキャリーバッグを
持っていて
青山君や表参道に行き
そこから
横浜に行きロッカールームに
キャリーバッグを預け
でまだその時点で昼間なんですよ
で中華街に行き
食事をしてそれだけで他では
どこにも寄らずホテルに向かう
最初は
こんな考えはなかったです
当然昼間
中華街行ってる時山下公園とか
行ってる年だろうと
だいぶ頭柔らかくして考えた結果
こういう結論に至りました
で降参の時は鎌倉に行ってる
データ
これが一番大事なんですが
じゃあホテルはどうだったか
1年の時ははっきりします
スーパーホテルでした
この考えだとスーパーホテルに
3年間行ってるという最大の
危機は免れました
なぜかというとその記憶だと
トヨコインで行った記憶で
トヨコインと回数が
実際に止まった回数とは
合わなくなってしまって
それは恐ろしいです
それは避けられました
ただトヨコインに
降参の時と降任の時
どっちに行ってるか
その前に言い忘れましたが
降参の時に夕食
どこにとってるか
これも自分としては大事なことなのですが
多分お好み焼きです
ただそれがここで
どこかの記憶と勘違いしてるのか
ただお好み焼き以外の可能性は
全くないんですよね
最終的な結論としては
中華がいて知り合いで
一緒に食べたと言いましたが
多分その年の可能性が高いので
だとすると降任
お餅サンドを歩いてる時の記憶だと思うんですが
やっぱり東京は
建物と建物の間が狭いなと
感じていて
あと修学旅行で景色がとても
あるホテルでよかったので
その2点から言って
どうかなと思い
窓を見たという記憶があって
修学旅行は降任の時なので
降任でスーパーホテル
後半が東横インという考えになります
それだと
あと以前話したように
ドラゴンアッシュの曲をよく聞いていたのが
降任の時で
MDプレイヤーで
聞いていたという記憶もあるのですが
それがスーパーホテルの
2段ベッドの
2段ベッドの上で聞いていた記憶なんですよね
MDウォークマンって結構
かすばるんで
ポケットの中に入れたりしないんで
カバンを自分で持っていってる年なんですよ
写真が出てきたので
自分でカバン持っていってるということは
ほぼ確定なんですが
降任の時ですね
その考えからいくと
降参の時は東横インになります
という風にホテルの場所は特定できませんでした
はいひきめしのコーナーです
ひきめしのコーナーとは
昨日はヒレ風を出たんですが
自分はもともと
豚肉と鶏肉と牛肉の
違いが全くわからなくて
というよりその
30:01
これはお肉だ
という認識はできてると思うのですが
その豚と牛と
鶏の違いがあるとか
そういった概念が
全くないんですよ
お肉を食べてるという意識しかない
いろいろ理由はあると思うのですが
よくお肉の区別の仕方に
部位で区別する場合
下がりとかカルビとか
ロースとかですね
そんなのも
全くそれが
部位の分類法だということも
わかってないんですよ
確かカルビというのは部位の場所
というわけではないんですよね
バラ肉のことを
カルビと言っていたはずです
そうなってくるとますますわからないし
豚肉と牛肉と
鶏肉をわかるようになったのは本当に
5年くらい前ですかね
一度わかるようになってもまたわからなくなるんですよ
やっとわかるようになったかと思ったら
昨日また完全に鶏だと思って
食べたのが
ヒレカツでした
安いお肉だと思って食べたのが
普段食べてるお肉より高かったんです
聞いて衝撃です
ただ異常に美味しいなと思いました
衣も大変美味しかったです
エンディングのコーナーです
半年間ケージ並みに
シンスを追求してきたのですが
しばらく興味が薄れていて
一安心していたのですが
写真が出てきてパンドラの箱を開けてしまい
また悩む日々が続いて寝れなくなりました
ただこうやってポッドキャストで
それについて話できたので
それは良かったです
聞いていただきありがとうございました
31:41

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