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2024-11-23 11:04

#7 息子が残した悲しい詩の贈り物 / 岡真史詩集『ぼくは12歳』高史明・岡百合子編集 その1

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(※音が聴こにくい部分があります。すみません。)

今回は、岡真史の詩集「ぼくは12歳」

12歳にして自殺してしまった最愛のひとり息子を無くした悲しみから
残された父母が見出す高潔な祈りがあとがきに残されています。

悲しみの底からどう生きるのか、父母の言葉から感じ取りたいと思います。

また若干12歳にして、透明な光を放つ無垢な詩も、ゆっくり味わいたいと思います。

サマリー

岡政文の詩集『ぼくは12歳』は、亡くなった両親によって編纂されており、彼が12歳で自殺する前に書いた詩が収められています。詩の中には、彼が抱いていた光と暗さの両面が表現されており、親の悲痛な思いが込められています。

詩集の紹介
こんにちは。
じゃあ、いきますか。
はい。
じゅんさん、今日の一冊は何ですか?
今日はですね、ぼくは12歳。
ぼくは12歳。
詩集です。
岡政文さんっていう方の。
岡政文さん。
詩集です。
詩集ね。いいですね。初めて見ました。
ちくま。
そう、ちくま書房から出てるんですよ。
ぼくは12歳。
これね、
高史明さんと岡百合子さんっていう方が編集してるんですけど、
これ、どちらも作家さんなんですよ。
高史明さんと岡百合子さんの一人息子が、岡政文。
ご夫婦なんですね。
高史明さんって字の通りさ、在日コミュニティの方だから、
お母さんの名前の岡で言ってるんですよ。
この子が12歳で自殺しちゃうんですよ。
で、亡くなった後にこのお父さんとお母さんがこの詩集を作って編んでまたしたっていう。
そういう詩集なんですよ。
その岡くんが書いてた詩ってこと?
高史明の後書き
亡くなる前に書いてた詩。
亡くなる前、半年前くらいから詩を書き始めて、それを収録したっていう。
でね、この詩ももちろん紹介したいんですけど、後書きがね、すさこしいんですよ。
誰が後書きを?
両方書いてるんですよ。
これをちょっと読みたいな。
どうしようかな。
ちょっとね、お父さんの高史明さんの方から行きますね。
後書きとしてっていうことを書いてます。
この詩集の主であり、私どもの最愛の一人子正文がこの世を去りましたのは1975年7月17日のことでした。
暑かった一日が夕暮れて間もなくのことです。
まさふみはおりしも暗い夜空にとどろいた雷鳴に裂かれて青白く染まった大空に自らの身を投げ永遠の大地に帰っていったのでした。
去年12歳でした。
っていうところから始まりますね。
これ、こういうトーンで始まっていくものなんですけど、
高史明さんの言葉の力もすごい。
青白く染まった大地に自らの身を投げ永遠の大地に帰っていったのでした。
これ本当にね、読んでいくとわかるんですけどね。
これ高史明さんのお父さんとしての実感なんですよね。
高史明さんがこういう世界観を抱いてる人でもあるっていう。
だからこういう何とも言えない言葉が出てくるんです。
読んでいきますね。
それから早くも一年の歳月が巡り来ようとしています。
悲しみは日々新たに突き上がり、青ざめた体内の奥深くへと沈んでいきますが、
その深み行く先はそこ知れないように思えます。
私どもは生きている限りこの悲しみから救われることはないでしょう。
また救われたいとも思っていません。
言葉がないね。
この後に言えることがないでしょう。
そういうことね。
こういう境域に生きていらっしゃるんですね。
救われることはないでしょう。また救われたいとも思っていません。
救われたいとも思っていませんっていうのはね、そうなんですよ。
繰り込んでいきますね。
ある力強さも感じるんですよね。
読んでいったほうが訴えかけるものがあると思うので、読んでいきますね。
この詩集は、政文の死後に発見された死の手帳を元にしております。
政文は人知れず詩を書いていたのでした。
それは6年生の晩週から始められて、詩のその日に終わるものです。
それまで政文は日記を書いていました。
詩を書き始めてから日記は中断されています。
政文にとってこの詩は日々の日記として書かれていたものかもしれません。
その詩は、まだ拙く、まだ幼く拙いものであると言えるでしょう。
そこには言葉との格闘の跡が見えません。
しかし、人に読ませることを目的としたものではないがゆえに、
自ら流れ出たと思える透明な光があります。
少年のみが用いる多彩な彩り、陽気さ、甘さ、弱さや無邪気さの糸に縫い込まれて、
その透明な光が小さな輝きを放つように思えます。
それはまた、この少年の目に映った世の暗さと光を表していると言えるでしょう。
こう思ってしまう親の淡さをお許しください。
いいねこれ。
人に読ませることを目的としたものではないがゆえに、
自ら流れ出たと思える透明な光があります。
お父さんとして孔子みなさん、この詩を通じて光を感じてるんですよね。
この光っていうのはとても象徴的な言葉なんで、光が何かって言葉で表現できないんですけど、
たぶん最後に紹介したいですけど、読者一人ひとりが感じ取れる光がある。
ここまで読んでくるとね、その詩をね。
本当に読んでいくとね、お父さんとお母さんにとっては本当に固有な光が感じられたんだと思うんですよ、この詩を通じてね。
読むとね。
ともあれ、詩の手帳に詩を書いていたとき、
政文にとっての読者とは一人自分のみであったと思えます。
その言葉は、一緒に収録いたしました学校での作文や読書感想文と相通じるものを持ちながら、
時々透明な異なった響きを奏でているように感じられます。
詩の手帳の表紙には、ある時期に後から書きつけたと思える言葉がありました。
表紙の表にあった言葉です。
ひとり、ただ、崩れ去るのを待つだけ。
詩の手帳が発見され、表のこの言葉を目にしたとき、
私は息を呑み、鋭く寂しい言葉に差しつかれながら、
胸をくがら、止めどなく突き上がってくる涙を抑えることができませんでした。
その日から、何度この手帳を取り上げたことでしょう。
表紙の言葉は、今や手連れで擦り切れてしまい、私どもの胸に移り刻まれてしまいました。
この詩の手帳は、政文が私どもに残していった唯一の悲しい贈り物だったといえます。
もう、最愛の息子を抱きしめることができないでしょう。
だから、せめて息子が残したこの詩集を抱きしめるしかなくて、何度も抱きしめて、
表紙の言葉は、今や手連れで擦り切れてしまって、私どもの胸に移って刻まれています。
唯一残していってくれた悲しい贈り物だったんです。
これに支えられたんですよね。
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