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2024-11-09 09:11

#3 知への向き合い方 / 小林秀雄『人生について』より「私の人生観」③

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(※音が聴こにくい部分があります。すみません。)

今回は、近代の文芸批評を確立された小林秀雄の講演集「人生について」から『私の人生観』

人生観の「観」という字は、もともと仏教の言葉からきており、色んな角度から「観」を深める。

#恵信僧都
#往生要集
#二十五菩薩来迎図
00:00
これちょっともう一個、最後にぜひ引っ張ってきてるのあるんで、いいですか、ぜひ。
えっとね、これ釈迦の話とか入ってるんですね。
で、阿含経っていうお経があるんですよ。これちょっと読むんですけど、阿含経の中にこういう意味の話がある。
ある人が、釈迦に、この世は無常であるか、常住であるか、有限であるか、無限であるか、生命とは何か、肉体とは何か、
そういう形而上学的問題を、形而上学的っていうのは、哲学的って読み換えていいと思うんです。
哲学的問題をいろいろ持ち出して、回答を迫った。
ところが、釈迦はそういう質問には自分は答えない。
お前は毒薬に当たっているのに、医者に毒薬の本質について回答を求める負傷者のようなものだ。
どんな回答が与えられるにせよ、それはお前の苦しみと真とは何の関係もないことだ。
自分は毒薬を抜くことを教えるだけであり、そう答えた。
って言うんですよ。
面白いでしょ。
お前は毒薬に当たっているのに、医者に毒薬の本質について回答を求める負傷者のようなものだ。
毒とは何ですか?毒薬とは何ですか?
確かに意味ないんですよ。
そうじゃなくて、お前の苦しみとか死に関することが大事だろ。
お前の生きた痛みとか、実感とか実存が大事だろってこと言うんですよ。
毒早く抜いてくださいと。この毒をどうやったら抜けるんですかとか。
ないしはもう間に合わなくて、死ななければならないときにこの怖さとどう向き合ったらいいのか。
そういうことに対して自分は答えたいってこと言うんですよ。
これ続きがあるんですけども。
これがいわゆる如来の不記であります。不記っていうのは記することができない不記であります。
如来、超訳すると真理ってことなんです。真理は記することができないのであります。
つまり不記とは形而上学、哲学の不可能を言うのであるが、真理は言葉にはできないということなんです。
不記とは形而上学の不可能を言うのであるが、ただそういう消極的な意味にとどまらない。
空の形而上学は不可能だが、空の体験というものは可能である。空は不記だが、行うことによって空を表すことはできる。本当に知るとは行うことだ。
そういう積極的な意味も含まれているようであります。
03:02
空は不記だが、これも真理はって言っていいと思うんですよ。
真理は不記、言葉にすることはできないが、行うことによって真理を表すことはできる。本当に知るということは行うことだ。
ってことまで言う。さっきの観の流れで。話してください。
観の流れで言ってくれてるんですね。
だから浄土って何なんですかね。悟りって何なんですかね。体験する。行う。そんなの言葉に表すことができない。
禅に不立文字って言いますけど。でも行うことによって見出すことができる。ことを言ってるんですよ。
昨日中田さんと帰りの電車で。
急に日常の話になって。
今の僕はですけど、難しい哲学書を読むのが微妙だなって思ってるのは
そっちよりかはエッセイのほうが好きなんだっていうのは、
エッセイっていうのは日常の行い営みのことを書いてあるんだけど、その中に真理が秘められてるっていうことがやっぱり伝わってくる。
なるほどね。
昨日の電車の帰りの話の意味がさらに深まりましたね。今日のこの話を聞くとね。
どうなんですかね。
そこに身に出そうと。
どっかで紹介したんですけど、ヘッセのシッダールタとかすごい好きなんですけどね。
あれは仏道の、仏教の本当にいい入門書だと思ってまして、
やっぱり小説で書かれると物語があるから、そこの中に本当に大事なものが伝わってくるんですよ。
難しいお経を読むよりも、なんかそっちのほうがやっぱり入りやすい感じがしてて。
空とか言えないですよ。でもあの主人公の中にやっぱり伝わってくるものがある。
06:06
小説とかエッセイが哲学じゃないなんて言えないです。むしろ何よりの哲学な感じがするわけなんです。
むしろ哲学書のほうが概念に本質に頭で読むみたいな感じになっちゃう。
今日の観るの話を聞くとさらにそれをすごく実感として、同じ小説を読んでいても、ミル。
力によって。
ここに何を生み出すかがね。読む力、見る力が。
めっちゃくちゃ面白かったなあ。缶だけでも十分な。
でも観の話だけでも小橋説人さんがこの人生缶のテーマで言いたかったことの大事な話が入った感じがしますね。
人生観、見るっていう簡単なものを見る。
普通に言ってたように、パソコンがあるとか電車があるみたいなことですけれども、
観はやっぱり修行して鍛錬してようやく見えてくるっていう。
人生観の観も人生を歩んでいく中で段々と見えてくるっていう。
止まらないですね。止まらないですね。
小林秀雄さんの人生観っていうのは、
もちろん聞きたいから、この講演の依頼者の方もそれで語ってくださいってお願いしたんでしょうけども、
小林秀雄さんの残してくれた書物を読んでいけば、段々と見えてくるんだと思うんですよ。
なんかすごい、人生について読んでみたくなった。
いいでしょ。いいですね、これ。
ちょっともう一個だけ、我々聞くっていうことを仕事にしてるじゃないですか。
聞くっていうところもある意味見る深さがあるんだと思うんですよ。
聞くと見るので。
これは今、読むと聞くと見るってほぼ同じ。
一つの発してくれた言葉に、その人の苦悩や背景を見に行く。
聞くの深さもこの見るの深さにつながってるんだ。
つながってそうな感覚はなんとなくね、ありますよね。
いやー面白い。
09:00
ありがとうございます。
じゃあ、そろそろ終わりますか。
終わっときましょうか。
ありがとうございます。
09:11

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