2022-03-17 08:10

(7)「変貌の人 娘と交わした禁煙の誓い」

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阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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ナビゲーターは内田健介でお届けします。
この広大な敷地の中には、林や池もあり、庭にはちょっとした野菜畑まであった。
門から玄関までは、なだらかな登りの坂道。
ところせましと植木が並んでいる。
トラ番記者たちが訪れると、いつも門のところで厚子夫人が、上品な優しい笑顔で出迎えてくれた。
ある日、その厚子夫人がそっと教えてくれた。
実はね、うちの主人禁煙してるのよ。
これには驚いた。
吉田監督といえば阪神でも屈指のヘビースモーカー。
第一次政権時代でも1日60本は軽く吸っていたと聞く。
だからあんな逸話も生まれた。
それが、旧団関係者の中で最も有名な丸吉事件だ。
逸話によると、吉田監督はタバコ好きのくせにすぐどこかに置き忘れたという。
そのたんび、
すまん、1本くれへんか。
と、コーチや選手に求めた。
ある日、某選手がその逆手を取って、吉田監督に、
監督、タバコを1本ください、と求めると、
なんと、1本1本にボールペンで、
丸よし、と書かれてあったという。
いやはや、ようできたおもろい話である。
吉田イコールケチのイメージがこんな逸話を生んだのだろう。
だが真相は少し違う。
真相はこうだ。
試合中、吉田監督はベンチでもよくタバコを吸い、
箱をベンチ奥の壁の3に置いていた。
ところが、いざ吸おうと思ったらいつもタバコがない。
壁の3には選手やコーチたちも置いていたのだ。
そこで、自分のタバコと間違われないようにと、
マジックで箱に、丸よし、と書いた。
その話におひれがついて、
1本1本に書いた、となったのである。
1本1本、そんなあほなことしまっかいな。
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と、また吉田監督は笑った。
その人が禁煙、むりむり。
ところが、続いているという。
何かを立つくらいの精神力がないと、監督なんか勤まらないとよく言ってましたから。
それに、タバコをやめるとき、ちょっとした事件があったもんですから。
と、厚子夫人は微笑んだ。
監督を受けるに際し、吉田監督は、
禁煙の誓いを立てた。
だが、そう簡単には禁煙はできない。
外で吸ってはポケットに入れて、自宅に持ち帰った。
そのタバコを長女の友子さんが取り上げては、
ぽいっと捨てたり隠したり。
吉田監督も必死に探した、
家中の引き出しという引き出し戸棚の中、
ついには禁断の地、友子さんの部屋までこっそりと忍び込んで、
机の引き出しを開けると、
そんな父親の行動を見透かしたかのように、
残念でした。タバコはないよ。友子。
の紙切れんが一枚。
がっかりしましたわ。照れくさい中華。
もてあすばれてまんねん。
以来、一本も吸っていない。
変貌の人、吉田監督の何もかもが、
7年前とは違っていた。
辞任した安藤監督の後を受け、
第23代阪神監督に就任した吉田は、
前監督から残された大きな宿題があった。
それが、岡田明信のポジション問題だった。
昭和57年7月、二類の守備についていた岡田は、
雨に濡れた芝に足を滑らせて、
右太ももの肉離れを起こした。
以来、岡田の守備位置は、
二類になったり、雷都に回ったり。
辞任前の安藤構想では、
二類・真由美・雷都・岡田でほぼ固まっていた。
だが、吉田監督の考えは違っていた。
59年11月10日午後5時から、
大阪梅田のホテル阪神でポジション会議が行われた。
トラバン記者たちの間でも意見は分かれた。
午後9時過ぎ、会議が終わった。
予想通りの結果に驚きはなかった。
が、トラバン記者たちの顔には、
なんでや、の思いがあった。
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それを吉田監督は敏感に感じ取った。
記者の一人が、日本一の言葉に思わずプッと吹き出した。
その途端、吉田監督はその記者を指差した。
これほど記者の反応を敏感に受け止め、
投手をむき出しにしてくる監督を見るのは初めてだった。
先輩記者によると、それが予算の強さでもあり、
周囲の人に嫌われる弱さでもあるという。
低すぎるのとちゃいますか。
一二塁間の打球の処理も抜群にうまい。
私は岡田に賭けたいんです。
わろうた記者を見返したる。
吉田監督の本性を見たような気がした。
お相手は正福天皇と、
私、内田健介がお送りしました。
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