2022-03-22 07:18

(12)殴られたら殴り返せ これが60年の名言大賞

阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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00:01
ナビゲーターは、私、内田健介でお届けします。
第12話
殴られたら殴り返せ!
これが、60年の名言大賞。
プロ野球の監督は、3つのタイプに分けられる。
1つ目は、プロ野球の監督です。
プロ野球の監督は、3つのタイプに分けられる。
1つ目は、作戦を立て、自ら栽培を振るう知性タイプ。
2つ目は、闘性タイプ。
栽培などはヘッドコーチに任せ、
俺について来い!と、前面に立って選手を引っ張っていく。
そして3つ目は、優秀なスタッフを集め、
その上にどっかり乗っかる名称タイプ。
阪神の吉田監督は、知性と闘性の2つの要素を兼ね備えた監督だった。
4月21日、名古屋球場での中日2回戦でのこと。
阪神は1回裏、ワンナウと満塁のピンチを招えた。
中日大島のあたりは、さあどころ、
加計府から二塁ベースに入った岡田にボールが渡る。
誰もが偵察だと思った。
ところが、一塁奏者のもっかが岡田へ猛烈なスライディング。
岡田は吹っ飛ばされて一塁厄送球。
二人が生還してしまった。
エラーと足の痛さで罰の悪そうな顔してベンチに戻ってきた岡田に、
吉田監督の怒鳴り声が飛んだ。
岡田、怒らなあかんで。殴られたら殴り返せや。
殴られて痛がってるだけやったらあかんのや。
吉田監督の迫力にベンチの全員がすくんだという。
この言葉が、この昭和60年の阪神の名言大賞になった。
そして、吉田監督はもう一つの顔を、
5月15日、甲子園球場での対応戦で見せた。
同点で迎えた延長戦。
阪神は戦闘の台打、長尾が2塁打を放った。
太陽ベンチは続く真弓を敬遠。
ノーアウト1-2塁とし、1塁手を田代から大久保へ、
3塁手をレヨンから調子に変えた。
続く北村の送りバントに備えての守備固めだ。
阪神ベンチでは吉田監督が北村を呼んで何か話をしている。
ここはセオリー通り、北村がバントで送って2-3塁。
バースがフォアボールで歩かされても、
1ナウト満塁で、駆けふや!
私はさよならの舞台を想像した。
03:01
ところが、北村はなんと、
ライト前へクリーンギット!
ノーアウト満塁で、バースに打順が回ったのだ。
バースが軽々と犠牲フライを打ち、
この年初めてのさよなら勝ちだ。
なぜ吉田監督は北村にバントさせなかったのか。
首脳陣は選手に難しいことをさせるんやのうて、
楽にできることをさせなあかんのです。
あの場面では対応は前進守備。
バントするよりヒット打つ方が楽。
確率が高いと判断したんですわ。
この勝負感が吉田監督の持ち味。
致勝にして当勝たるゆえんだ。
ところが、7月に入って吉田監督の采配が微妙に狂いだした。
序盤戦、弱い当主人を脅威的な打力でカバーしてきたが、
その歯車が狂いだ。
原因はいつも大量点を狙いに行くベンチの采配にあった。
確かに強硬策で行きたくなるほど、
この時期の当主人は悲惨な状態だった。
7月12日の巨人戦では18アンダーを打たれ13失点。
翌13日も2試合連続で毎回アンダーを打たれ、
10失点。
しかも1戦目の6回から2戦目の4回までなんと、
7イニング連続ホームランを食らった。
さすがにこれでは奏者をバントで送っている場合ではない。
だが、強硬策の失敗はバースやカケフ、
岡田たちのリズムまで崩してしまったのだ。
7月16日、17日の広島球場での広島戦では、
いずれも1回に真由美がヒットで出類したが、
送りバントを使わず、強硬策が裏目に出て連敗。
トラバン記者たちも試合後、吉田監督に迫った。
どうして送りバントを使わないんです?
後ろに自分のバントを持ってくれる人たちがいると、
自分のバントを持ってくれると、
どうして送りバントを使わないんです?
後ろにバースやカケフ、岡田が控えているのに。
得点権に奏者を勧めて相手投手にプレッシャーをかけるべきでしょう。
序盤戦はそうして勝ってきたじゃないですか。
監督への質問というより、それはもう訴えに近かった。
その度に吉田監督は、
気するところがありまして、と言葉を濁した。
吉田監督を現役時代から取材してきた産経スポーツの大先輩、
平本渡る記者は、その心中をこう指摘した。
06:00
それは吉田監督のプライドだ。
あの人は自分のバントを持ってくれる。
自分のバントを持ってくれる。
あの人は自分のバントを持ってくれる。
ショーとしてのプライドは人一倍高い。
トラバン記者たちの言うことが正解と分かっていても、
素直に認められない。
認めることが尺に触る。
だから、私たちが送りバントを使えと言えば言うほど、
吉田監督は自分のバントを持ってくれる。
自分のバントを持ってくれる。
自分のバントを持ってくれる。
だから、私たちが言うほど、吉田監督は
意固地になって教皇策に出る。
そんな感じだ。
とんでもない、
強情っ張りの、
頑固親父である。
07:18

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