2022-03-18 06:36

(8)「2つの目の決断 木戸再生 大きな賭け」

阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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00:01
ナビゲーターは、私、内田健介でお届けします。
第8話 二つ目の決断 火戸再生
大きな賭け
岡田昭信を日本一の二類種に
という言葉を笑った記者に
その笑いを一年間忘れまへんで
と迫った吉田監督
2月から高知・秋で始まったキャンプでは
夕暮れ近くまでノックの雨を降らせ
二類種・岡田を指導する姿は見る者を黙らせた
余談だが、吉田監督はこの一件を
全ての戦いを終えたシーズンオフのある日
トラバン記者たちを招いた懇親会で
一人の記者に向かってこう言った
この執念深さも
よっさんの強みなんや
と私は思った
吉田監督は二類種・岡田のほかに
もう一つ大きな決断を下していた
それが聖保守・木戸勝彦の抜擢だった
吉田監督は昭和59年の安藤大政下で聖保守を務めていた
笠間を引退させ高知にした
誰を制裁にするのか
その質量ともに足りない
普通ならトレードで補強となるのだが
吉田監督は土台作りに固執した
11月14日初めての戦力検討会議の席でも
土台作りの方針に逆行するようなことはしとうない
とトレード策をきっぱり否定
と制裁に木戸を指名したのである
当時の木戸は忘れられた存在になりかけていた
大阪のPL学園から法政大学に進み
昭和57年のドラフト1位で阪神に入団
1年目は腰を痛めて出場わずか8試合
03:01
2年目も26試合に出場しただけで
多分は二軍暮らし
だが吉田監督は木戸のアマチュア時代に
多くの大舞台を踏んでいるという経験と
物応じしない性格に欠けたのである
昭和59年のセリーグの覇者小竹氏監督率いる
赤ヘル軍団との開幕戦
吉田監督は昭和57年のドラフト1位で
大阪に入団
昭和59年のドラフト1位で
昭和57年のドラフト1位で
昭和57年のドラフト1位で
昭和57年のドラフト1位で
藤井登樹監督は
昭和57年のドラフト1位で
吉田監督は
昭和57年のドラフト1位で
吉田監督は
3年間取締役
説得し招併したコーチだけにその絆は強い そして全員がつい先日までテレビやラジオの野球解説をしていただけに
喋りのうまいこと 付けられたあだ名がおしゃべり内閣
口先だけで肝心の指導力には疑問不がつくという周囲の冷ややかな評価の現れだった
そんな陰口を吹き飛ばすためにも開幕戦には勝たねばならない その思いはトラバン記者たちも同じだった
この年の3月に大阪で行われた大相撲を張る場所で地元近畿大学出身の第一ちゃんこと 大関朝潮が初優勝を果たした
さらに秋には何十年かぶりにハレー彗星が地球に大接近すると言う となれば
大阪で何かが起こりそうや と世間では早くからもう優勝が噂された
さすがにこの時点でトラバン記者が阪神の優勝を口にするのは 見識を疑われたが広島との開幕戦に挑む猛虎たちに去年とは違う
06:03
何かを感じていたのは 事実だった
ああああああ お相手は勝負固定コート
私内田健介がお送りしました
06:36

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