2022-03-19 07:24

(9)「阪神入団拒否?巨人と密約??―あのマイクが勝ちよった」

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阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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00:01
ナビゲーターは私、内田健介でお届けします。
第9話 阪神入団拒否!巨人と密約?
あのマイクが勝ち寄った!
昭和60年、阪神は2位の広島に7ゲーム、3位の巨人には12ゲーム差をつけて優勝した。
チーム打率は2割8分5輪で1位。三冠王に輝いたバースが3割5分、岡田が3割4分2輪で2位、真由美も3割2分2輪で5位に入った。
一番すごいのは219本を放ったホームランだ。バース54本、加計夫40本、岡田35本、真由美34本と4人が30本超え。佐野と木戸が共に13本。先発メンバーで2桁本類打できなかったのは2番の平田と7番の平田の2人というのだから、とてつもない打戦だった。
5月も中旬に入って、広島の小場監督が阪神の回進撃に警戒警報を発した。
カープ盤の記者たちは思わず耳を疑った。すると小場監督は、
小場監督の予言は当たっていた。
5月12日、神宮球場でのヤクルト5回戦で、入団2年目、二十歳の左腕、中田がヤクルト打線を3アンダに抑えて、プロ入り初勝利を寒風で飾ったのである。
あのマイクが勝ち寄った。
吉田監督に左腕を持ち上げられ、ファンの大歓声に応えている中田を見て、深くにも涙を流してしまった。
03:05
中田浩二、通称マイク。彼との出会いは2年前の昭和58年11月22日、ドラフト会議の日だった。
その年、阪神は1位でリッカーの中西、2位で日産自動車の池田、そして3位で沖縄江南高校のエース、中田を指名した。
中田はなぜか父親の朝利さんとドラフトの前の日から都内のビジネスホテルに泊まっていた。
トラバン記者たちはホテルに駆けつけ、午後7時から記者会見が始まった。
すると中田が切り出した。
僕は阪神には行きません。行けない理由があるんです。
なんと、いきなり入団拒否宣言。
大学進学か。
いやいやいや、そんなはずはない。事前の進路希望調査でも確かプロ入りになっとったはずや。
なんで阪神に入団できんねんや。
中田の言葉はさらに衝撃的だった。
僕、巨人に入団することになっているんです。だから阪神から指名されて困っているんです。
え、中田と巨人が密約。大ニュースやないか。
ちょっと待てよ、中田と巨人の密約説?なんて聞いたことないで。
各社のトラバン記者たちも首をひねっている。
とりあえず裏付け取材のため、一旦記者会見は中断した。
1時間後、巨人の担当記者から情報が届いた。
密約なんてとんでもない。巨人も確かに中田を獲得リストの中に入れていたようです。
ただ、指名順位はもっと下。阪神さんにサインで指名されたら仕方がないって。
それにスカウトは中田の両親とも会ったこともないと言ってます。
家族にも会ったことがないのになんで密約ができるね。
中田の記者会見が再開した。
そうですよ。巨人のスカウトの方とはまだ一度も会ったことはありません。
中田はあっさりと言ってのけた。
ほな、その約束っていうのはなんやねん。
中田が胸を張った。
巨人のスカウトが僕の高校に来てくれたんです。
それだけかいな。
はい。
ドラフト調査のため、江南高校に各9団のスカウトが訪れた。
巨人もその一つ。それを中田は巨人の約束と思い込んでしまったのだ。
06:03
あのな。
指名記者会見は急遽中田へのドラフト講座に変わった。
映画スカウトは指名戦選手でも一度は学校や会社に見に来るもんなんや。
それに指名する選手にはあらかじめ監督や校長先生それに家族のところへ挨拶に来る。
そういうもんや。
なんだ。そうだったんですか。
一通り説明を聞き終えた中田は悩みが晴れたのか満面の笑みを浮かべ。
じゃあ阪神に入ります。
こうして阪神の中田は誕生したのである。
その中田がプロ初勝利。
この昭和60年の一際輝く一勝であった。
お相手は勝負固定ウコート。
わたくし内田健介がお送りしました。
07:24

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