1. 音声で聴く スポーツ、ここが知りたい
  2. アスリート密着取材にかける思..
2022-12-21 33:02

アスリート密着取材にかける思い プロデューサー、武藤靖さん

荒い息遣いに頬を伝って落ちる汗。歓喜の雄たけびに落胆の吐息。戦いの場を離れたアスリートが、安らぎのひと時に見せる穏やかな笑顔。テレビカメラが捉える噓偽りのない一挙一動が、ドキュメンタリー番組の命綱だ。
 番組制作プロデューサーの武藤靖さんは、各競技を代表するアスリートに文字通り「密着」し、その素顔を視聴者に届けてきた。カメラを回しながら、何を思い、何を伝えようとしているのか。カメラには映らない苦労など番組制作の裏側や、番組にかける熱い思いなどについてうかがった。

 ■武藤靖(むとう・やすし) 昭和1969(昭和44)年生まれ。90年にテレビ制作会社「テレビマンユニオン」に入社。民放やNHKなどの番組制作を手掛ける。その後、大手出版社系の映像会社でドキュメンタリー番組や情報番組の演出、プロデュースを担った。
 2007年、番組制作やマネジメントなどを担う株式会社あずさの代表取締役に就任。代表的な仕事としては、毎日放送の『情熱大陸」で柔道家やレスリング選手、大相撲の関取ら多くのドキュメンタリー番組を制作。医療や看護に関する番組、映像の制作も手掛ける。



■この番組は

産経Podcast「音声で聴く スポーツ、ここが知りたい」は、アスリートご本人やコーチ、団体運営者の肉声インタビューをお届けします。

【制作】産経新聞東京本社・運動部
【更新】毎週水曜日(予定)

                                      

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アスリート選手のドキュメント制作
産経新聞のポッドキャストでお送りするスポーツここが知りたい。
担当は産経新聞運動部の森田恵史です。
今回はテレビ番組プロデューサーの武藤靖さんにお話を伺います。
武藤さん、よろしくお願いします。
武藤さんのご紹介です。
1990年にテレビ番組製作会社テレビマンユニオンに入社。
民放やNHKのテレビ番組製作に携わってこられました。
その後、大手出版社系の映像会社でドキュメンタリー番組や情報番組の演出、プロデュースを手がけます。
2007年には番組製作やマネジメント、本の出版などを担う株式会社アズサの代表取締役に就任されました。
代表的なお仕事の一つ、毎日放送の情熱大陸では柔道家やレスリング選手をはじめ多くのドキュメンタリー番組を制作。
その他に、医療や看護に関する番組、映像の製作も手がけてこられました。
今回は、スポーツ選手のドキュメンタリー番組がどのようにして出来上がり、放送されるのかお話を伺いたいと思います。
武藤さん、よろしくお願いいたします。
アスリート選手のドキュメント制作手順と斉藤選手事例
よろしくお願いします。
武藤さんは、数多くのアスリートのドキュメントを手がけてこられたと聞いていますけれども、これまでに番組を制作したアスリートはどんな方々いらっしゃるんですか?
アスリートで言うと、柔道であれば吉田秀彦選手、鈴木圭一選手、井上恒生選手、中村美里選手などもやっておりますし、レスリングで言うと女子が注目されている中で、その当時は吉田沙織選手、遠坂恵里選手、
金メダリストですね。
それから河合理作選手などを取材させてもらいました。
ビッグネームばっかりですね。
そうですね。どうしてもオリンピックで金メダルという期待がかかる選手。オリンピックに向けて金を取れるかというパターンであったりとか、その瞬間に立ち会うことが出来たりとか、
あとは2回目の金メダルを取ることが出来るかというようなことがあったり、オリンピックの舞台に挑戦するというようなことを取ったりとか、そういう形で言うと、そういう人に注目が集まるのかなというふうに思います。
それ以外で言うと、車椅子で普通の一般の健常者と戦うアームレスラーを取材したことがあったりとか、あとはちょっと珍しかった、当時だと珍しかったんですけど、ブラックバスのバスアングラーの並木敏成さんという、アメリカでトップの世界で活躍しているという人を取材しましたね。
最近ですと?
最近ですとも、ついこの間、16日の斉藤達郎選手を取材しました。
斉藤選手の番組は10月の中旬の放送でしたよね。情熱大陸だったと思うんですけど、普段の稽古とか、それから初衣装をなさった4月の全日本選手権の舞台裏ですとか、あと大阪の5次会への帰省の様子とかですね、本当に文字通りの密着だったと思うんですよね。
こうしたドキュメントっていうのは、例えば発案から放送までどんな手順があるんですか?
そうですね。もともと斉藤選手は、僕が柔道の取材を結構しているっていうのもあって、彼が中学の時から、お父さんが有名な斉藤人彦先生だったんで、その間に合いから中学の時から彼のことを見ていたんですね。
なので、お互いに面識もあったし、彼自身も僕のことをなんとなく分かっていたと思うんですよね。
その中で国士官大学に入って、中学が集まる中、若干20歳、全日本選手権を取ったと。
注目されている中でようやく形になったと。シニア大会で形を残したということで、これはいけるなっていうのがやっぱりあったんですね。
本人とも、僕がジョネス大陸という番組をやっているというのも彼はもちろん知っていたので、ちょっと企画を出したいなと思っているという話をして。
その時に、もしやるってことになったら、負けても勝っても必ずインタビューに答えてほしいと。
カメラの前には立ってほしいと。それが約束だよと。
これはどのアスリートにも必ず、そういう試合とかの時には必ず言うんですけど。
それがまず約束ごとで必ずあるんですね。取材の質問に対しては。
本人も大丈夫ですと。絶対勝ちます。というような話も含めてあったんですけど。
その中で、本人と一緒の確認ができたので、番組の実際の毎日放送のプロデューサーにこういう素晴らしい選手が注目されている選手がいると。
僕の中ではですけど、間違いなく次のオリンピック、またその次のオリンピック、金を狙える選手であるだろうという期待の人間なんですというプレゼンをしまして。
面白そうだねと。やっぱり斉藤達郎っていう存在感を意外に知っている人が多いので、
なんとなく聞いてて面白そうだなと思ってたんだよね。彼は企画来るんじゃないかなと思ってましたみたいな感じもあって。
じゃあぜひやりましょうかという形でやることが正式に決まって。
本人にもう一度斉藤、大丈夫なんだねという話と、あとは国史館大学の関係者の方にも取材の話をちゃんとして、
全体的にOKをもらって、じゃあやりますという形でスタートするということですね。
結構その企画がゴーサインに出て軌道に乗るまでだいぶ時間というのはかかるんですか?
慎重にやるパターンと、もう勢いでどんどんいけちゃうパターンとあるんですけど、柔道の世界ってやっぱりピシッとしてるんですよね。
なのでそこはちゃんと筋を通して、対しても企画書と手順をちゃんと踏んでOKをいただいて、窓口もあんまりあちこちにならないようにして、
一つにまとめてやるというような形。そういうちゃんとした形をとってスタートするというふうにしてます。
斉藤選手はすごくスケールの大きな柔道で、本当に注目の選手、次の2024年のパリオリンピックでの注目の選手の一人だと思うんですけど、
そういう意味では武藤さんが取り上げられてこられた方っていうのは、本当にビッグネームの方々が非常に多いと思うんですけども、
将来的に必ずスポーツの中心を担うというような、それぞれの競技の中心を担うような方にも光を当てて、
それを世の中の人に知ってもらうという役目っていうのも終わりなんですかね。
そうですね、その通りだと思います。
一番難しいのは、例えば斉藤選手の番組ですと、ご実家に帰省されて、印象に残っているのが車の中で、
アスリートとの距離感の縮め方
お父さんの斉藤志利先生も亡くなりになっているんですけども、ごつ団の前で手を合わせる、そういう映像を撮るのだけはやめてくれと勘弁してほしいというようなことを正直におっしゃっていて、
それを放送もされていましたけれども、こういうのって本当にアスリートとの距離を縮めないと、なかなか信頼関係がないと成り立たない部分っていうのは結構あると思うんですよね。
この辺の距離をどう縮めるのか、あるいは逆にどう距離を保つかっていう、この適度な距離ですよね。これに関しては難しいところですよね。
あのシーンも正直彼が心を僕らに開いてくれているからこそ撮れたんですけど、あのシーンを使う、使わないっていうところも正直あると思うんですよね。
テレビとか、例えばそういう映像に残ってしまうものを新聞記者がどうしてたとしても、写真では収めないでほしいとかっていうのって、
すごく本人の思いがあるからこそ、はっきりとカメラの前で言ってくれたと思うんで、
それを今までやってきたことを批判するのでは全然なくて、彼が本当に素直な気持ちで、
あの一言に、いかにお父さんっていう存在が大事なんだっていうことが、僕は伝わると思ったので、あのシーンは絶対使おうと。
テレビだからとか、マスコミがとかっていうのは一切なく、あの言葉は多分カメラが回ってなくて聞いたら、僕も本当に胸に突き刺さる言葉と思うんですね。
なので、そういう意味も含めて、あのシーンはお父さんに対する彼の気持ちっていうのはすごくあったので、絶対使おうと思ったんですよ。
距離感っていうのは、本当にナーナーになりすぎてもいけないと思うんですよね。
距離をちゃんと撮りながらっていうところなんですけど、僕が一番思うのは、何でもお互いに言い合える中、
いいことも悪いことも、相手に言い取って、これは本当にやめてくださいっていうことがあれば、それは素直に言ってもらって、
でもどうしても撮りたいんだったら、ちゃんとわかってもらうように説得をするというか、本人の話をする。
実際に結果的にそれが放送されて、本人がどう撮るかっていうところが一番大事で、
やっぱりやらなかったら他が良かったっていうようなことにならないように、そこには自分たちで、チームとして、
わかってもらえるような形に必ずするんだっていうふうには思ってますよね。
距離感の撮り方っていきなりそんなに仲良くなれるわけでもないし、
やっぱり一番は迷惑にならないように、なるべく彼らの近くにいるっていうことかな。
彼らの視界に入るとか入らないではなくて、彼らが気づいてなくても近くで見ているとか、離れたところで見ているとか、
多分そういうのって伝わるんですよね、本人たちに。
たぶんそれは色々と会話していく中でとか、あって思うところもあるんでしょうし、
そうやって見えない形でも通じていくっていうか、伝わっていくっていうのがあって、
そうやってだんだん詰めていくっていうかな、関係を作っていく。
良いところも悪いところもお互いにわかってくると思う。
そうやって取材者との関係を作っていくっていうのが僕の中でのやり方かなと思います。
女性アスリートとの距離感
だから時間はかかる。
そうですよね。新聞記者もそうですけど、良い時も悪い時もやっぱり共にあるっていう部分っていうのが理想的な関係ですよね。
例えば30分の番組があるとしますよね。
この枠の番組を制作するのに、だいたい時間というのは1つの番組ができるまでどれくらいの時間がかかるんですか?
時間で考えると、私が携わってきた番組の中で言うと、一番短かったのが1ヶ月半くらいですね。
かなり早いペースですね。
早いです。それで放送なんで、その間編集もやらなきゃいけないし、
期間で言ったら並行しながらもっていうところでもちろんあるんですけど、でも1ヶ月半くらいですね。
最長で言うと1年間、野球選手ですね。
巨人の宇都宮選手、統治巨人の宇都宮選手を1年間丸々やらさせていただきました。
でも今で忘れないのは、やっぱり宇都宮選手って何も嫌な顔一つせず、ちゃんと向き合ってくれる。
やっぱり巨人を離れて西部に行かれて、後輩たちからも慕われてっていうのが、やっぱそうだよなっていうのが改めて感心して、
僕にとっての1年間ってすごく忘れられない1年間でしたね。
先日引退されて、大節あるいは指導の道に入っていかれると思うんですけど。
いい指導者になると思います。
話がまた戻ってしまうんですけど、やっぱり男性のアスリート、それから女性のアスリート、男女の差でもなかなか宇都宮さん男性でいらっしゃるし、
女性のアスリート、先ほど吉田沙織さんとか遠坂えりさんとかレスリングの金メダリストのお名前出ましたけど、
女性のアスリートあるいは女性の対象者に関しての距離の取り方、これは難しくないんですか?
正直言って、レスリングの女子の話で言えば、学校そのものには女性しかいないっていうか、
男性はもちろんいるんですけど、練習する場所、環境の中にはほぼほぼ女性しかいないわけですよね。
コーチと監督にその当時はいたりっていうのがあったんですけど、
その中で全く関係ない第三者の僕らが入ってくるっていうのは、かなり難しい部分ではあると思いますね。
でも、僕らがそう思っているだけで、取材を受ける彼女たちにとってみれば、それはあまり関係なかったりするんですよね。
なので、その距離を詰めるとかっていうよりは、いかに自分たちがその人たちの環境に入っていけるかっていうのが大切だったですね。
なので、いつの間にか会話したり、距離を詰めていくというか、撮影をしていく中で、
普通の男性のアスリートをやっている時と変わらないなって思うんですよね。
彼女たちって、やっぱりアスリートってそういうところがあると思うんですよね。
男も女も関係ないっていうか、すごく感心させられるっていう言い方もないですけど、
いつの間にか普通に輪の中に入っていて、何も気にせず。
逆に男性的だなって思う時もあるし、はっきりしてるとかっていうところも出てくるし。
そういう意味で言うと、全く仕事がやりづらいなんてことはなかったですね。
アスリート取材の魅力
逆に、もうちょっと気を使ったほうがいいのかだったような時があるくらいで。
全然そういう方たちではなかったです。
ある意味、武藤さんが取材現場に行かれて、違和感なくそこにいらっしゃるっていうことは、
ご自身を空気とかあるいは満水とか、自然な形で存在する一人っていうふうに、
そういう意識されることはあるんですか?
そうあってほしいなと思いますけど、実際問題はわからないじゃないですか。
でも、いつも何日間か間が入っていくと、
普通にまた自然に入っていける、受け入れられているっていうところがあるので、
そういう意味で言うと、やっぱりアスリートの取材ってしやすいなとは思いますね。
やっぱりトップの人たちだったり、そういう部分はあるのかもしれないですね。
やっぱりトップでやってるっていう自覚を持ってやってる人たちって、ちょっと違うんですよね。
そこはすごく、自分をよく見せようとか、自分の世界にこうやって入ってくれないでほしいとか、
自分をカッコよく見せようとかっていうのはまずないですよね。
なんかやっぱりさらけ出してるっていうか。
だからなんだと思うんですよね。受け入れてもらいやすいっていうんですよね。
逆にもう遠慮してたら、書いて必要な感じでしょう。
どうしても取材相手の経緯っていう部分が邪魔をして踏み込めない部分っていうのもよく感じたりもするんですよね、現場の記者としては。
この辺りっていうのは武藤さんはあんまり持たないようにしてるんですか?
経緯を持たないじゃなくて、無駄な遠慮って言いますか?
そこはやっぱり、どうしても僕の世界っていうか、ドキュメンタリーで追っかけていくってなると、
時間がやっぱり長いじゃないですか。
例えば記者の方たちだと、1時間なり2時間の中で話を聞き出したりとかっていう、
どうしてもなったり。
で、取材を受けるってなったら、いろんな通社の記者で1人の下を囲んで質問をしたり。
なかなか一対一とか、少人数での関係っていうのはないと思うんですね。
でもやっぱり、僕らがやっている密着取材なんていうのは、
少人数で本人たちと向き合っているので、関係も作りやすいし、
作りやすいっていうのかな、間違ってたらたぶん相当嫌がれると思うんですけど、
いい関係でできていれば、お互いが言い合えるようになるので、
わかってもらえるので、そういう意味では遠慮もなるべくしないように。
やっぱりこれいけないなって思うときがあるんですよね。
女性も男性も全くそうなんですけど。
そういうときに、どう相手に分からないようにっていうわけじゃないけど、
迷惑をかかんないようにとかっていうふうにして、うまくずらしていくかっていう。
そこはやっぱりちょっと悩みどころではありますけども、
そういう考えながら修正しながらやるっていうのはありますよね。
これは経験を積んでいく中で見分かれていく感覚ではあるんでしょうね。
そうですね。
幼少期からの夢と医療番組制作
先ほどご紹介したんですけど、
武藤さんは医療や看護の番組制作もなさってきたということで、
守備範囲が本当に広いですよね。スポーツに限らず。
聞きましたところ、医療とか看護ですね。
これがこの世界に入られるきっかけになったというふうに。
そうですよね。
だから、もともと僕がテレビの業界をやりたいんだっていうふうに思ったきっかけっていうのが、
幼馴染の子が隣の家に住んでいて、同級生でいつも一緒に遊んでたんですけど、
その人間と高校の時に、彼が僕の部屋に窓から入ってくるんですけど、
将来ちょっと行き詰まる、将来のことを考えていく高校を間違えたみたいな話になって、
僕もまさにその通りでそういう感じだったので、
その時にいろんな話をした中で、
彼がキーちゃんって言うんですけど、
キーちゃんが私に、将来俺はテレビに文字を出す人になりたいんだって言ったんですね。
僕はもう何をしていいかもわからなくて、
ただその話を聞いて、かっこいいな、じゃあ俺それ文字を出すのに支持する人になりたいって、
冗談で言ったつもりっていうか、自分の冗談で言ったんですけど、
本当にそれがやりたくなっちゃったんですよ。
で、それを真剣に考えるようになった時に、
当時、人にもなかなか言えなかったんですよ。
その中で、キーちゃんと母親にだけは将来の夢をやりたいんだ、
デレクターという仕事になりたいんだっていう話をした時に、
当時、高校の頭のいい学校でも全然なかったし、
父親は職人で厳しい人だったので、
そんな父親にも言えるあれもなく、
ただ人に言えば笑われるような、
何言ってんだよ、と。
近所の人にも言ったら笑われるような、
近所じゃないや、親戚の人だ、に言ったら笑われるような、
そんな話だったんですよね。
ただ、母親だけは頑張ってみたらっていうようなことを言ってくれて、
そういうのがあったのが、高校1年生の終わりから2年生の夢で。
母親が、お父さんにも私は言うから、というようなこともあって、
毎日頑張ろうと思ってたんですね。
それで、そんな母親が具合が悪くなって、
高校2年生の時に亡くなってしまうんですよ。
その時に、亡くなってしまった時に、
病室で僕がその姿を見た時、亡くなった時に、
そこで看護師さんが泣いてたんですよね。
それで、素敵な看護師さんが泣いている姿を見て、
看護師さんとかお医者さんって、
医療関係の人って、こうやって泣いちゃいけないのに、
って聞いているけども、泣いている姿を見た時に、
母親って、この人にとってはいい人だったのかな、
いい患者だったのかな、と思いながら、
それが印象に残っていたんですよ。
そんな形で、思っていたのが印象にあって、
父親と将来の話をした時に、
母親が有意言だということで、
アスリートにかける思い
頑張ってみろと、応援するよと言ってくれたので、
それをやるにあたって、
私は看護師さんとかが、人手不足で大変だというのを、
当時、テレビとか雑誌とか新聞とかで、
いろいろ面にする機会が多かったので、
こういう人たちのためになれるような番組、
看護師さんのニーズが増えて、
こういう人たちが苦しまなくていいようなことに
貢献できたらな、みたいなのを本当に思ったんですよね。
それが正直な話というか、
ひっかけだったんですよね。
それを目指してやっていく中で、
医療の看護師さんのこととかもすごくあったので、
ディレクターになって、
本当に1年目、2年目の時に、
民放の1時間番組で、
そのチャンスがやってきて、
看護師さんのドキュメンタリーをやることができたんですね。
その時に、僕はまだ力不足だったので、
当時のプロデューサーにボロクソに言われたんですけど、
でも、やっぱり自分のやりたいと思ってたのが、
やれるっていう喜びは、
どんなに苦しくても、
やれたんだっていうのを思って、
またもっとちゃんとやれるようにやりたいっていうのは、
常にその時は思いました。
常にその時から覚えてますけど。
というのがきっかけです。
そういう意味では、入り口になった医療や看護というのも、
スポーツとまた別の軸として、
お父さんのお仕事のライフワークの1つということになるんでしょうか。
そうですね。どうしても今は、
医療系の医療現場で活躍されてるとか、
看護師さんとかっていう機会は減ってはきてるんですよね。
どうしてもアスリートのほうの仕事が多いというか、
そっちのほうの注目される選手のほうに行っちゃってしまうのが多いんですけど、
その中でも、医療関係とか、
その人の命のために頑張っている人なんていうのは、
やっていきたいと思ってるし、
過去にも大谷拓子さんという、
日本骨髄バンクを作るきっかけとなった方がいます。
その人のドキュメンタリーを作ったことがあるんですね。
その時は、本当に彼女は自分が白血病になって、
どうしても薬もなければ、
それこそ骨髄を提供するというシステムすらなかったので、
彼女は苦しみながらも、
当時、自分の身内から骨髄がちょうどあって、
骨髄移植をして、
要するに元気になられたという方なんですけど、
彼女が入院している時に、
同じ病気で苦しんでいた小学校の女の子が亡くなったりとか、
そういう姿を見て、
こういう組織としてバンクというものを作る必要があるんだというのを、
大学の先生たちと一緒に手を組んで活動して、
今の骨髄バンクの基礎になったということなんですけど、
僕も彼女のドキュメンタリーを2回やっているんですけど、
全く違う形での番組でやっているんですけど、
ドキュメンタリー番組のほうの、
もう一本の番組でやった時には、
取材している時に、女の子が白血病にかかってしまって、
このところに励ましに、
大谷さんが行く。
僕らも一緒に同行させていただいて、
それは本当にそれでいいのかというのは、
僕らの中でも葛藤あったんですけど、
その中でも、
向こうの患者さん側の家族がぜひ来てほしいと、
要するに彼女にパワーを与えてほしいと、
おっしゃってくれて、
受け入れてくれて、
なおかつ、本人もぜひと言ってくれたので行ったんですけど、
車でそれこそ向かっている途中、
患者さんのお兄さんから、
ご自宅にいらしたんですけど、
お兄さんから連絡ができて、
今日はもしかしたら話ができないかもしれないとか、
結構つらい状態なんだっていうのは言ってたんですけど、
僕らがカメラに入って行ったら、
笑顔で迎えてくれるんですよ。
えーっと思いながら、
笑顔に迎えてくれて、
普通にできてるんですよ。
お話もさせてもらって、
僕なんかにも冗談を言ってくれたりとか、
すごく大谷さん自身のパワーもあるし、
彼女にとっては特別な日だったと思うんですよね。
元気になったんですって、
僕らが来るんだって近くに来たっていうのが分かった段階から、
すごくパワーが湧いたような感じだったみたいですよね。
カメラの前では普通にしてくれたんですけど、
そこから数日経って、
放送ギリギリでなくなっちゃったんですよね。
でも本当にそこもどうだったんだろうなって、
放送すべきかどうかっていうのはそこの部分ですね。
っていうのもあったんですけど、
家族も、僕らももちろんですけど、
放送んでっていうふうになったので、
じゃあこれはしっかり形にしましょうって思って、
っていう風な形で放送したんですけど、
そんなこともありました。
東京オリンピックが終わってですね、
スポーツ界の熱っていうのが一段落した感があるんですけれども、
スポーツの魅力っていうかその価値ですね、
これはもうどんな時代でも色あせないものがあると思うんですよね。
アスリートのドキュメンタリー番組を通して、
武藤さんが一番伝えたい思いっていうのは何ですか?
アスリートの番組の思いっていうのは、
まず、今東京オリンピックが終わってしまって、
みんな日本中の各競技が、
東京オリンピックで結果を出すっていうのを目標に、
頑張ったと思うんですよ。
ただ、東京オリンピックがこういう形で終わってしまって、
無観客であったりとか色んな問題もある中で、
終わってしまって、その熱が冷めてしまったというか、
そこにみんなが行って終わってしまったっていうのが、
今あると思うんですよね。
アスリートへの密着取材の意義
でも、アスリート、戦っている選手たちももちろんそうですけど、
その周りの人たちも、
全然東京オリンピックで終わってないわけですね。
常に戦い続けているわけで、
そこに注目をしなきゃいけないというか、
やり続けなきゃいけない。
何も彼らは変わっていないわけで、
逆に変わったって言ったらサポート体制とか、
色んな団体とか協会とか、
もちろん企業も、近寄らがだんだんなくなってくるという現状があるので、
そんな中でも、やっぱり彼らがやってきていることは変わらないということは、
ちゃんと伝え続けたいなとは思っています。
ブキュメンタリーの番組を作る上で、
こういうことを考えていますという番組作りの心情とか、
どういったものが終わりですか?
取材者に対しての大切な時間を、
僕らはいただいて撮影させていただくということもあるんですけど、
自分がさせていただいているんだ、取材をさせていただいているんだという、
とにかくそのことは絶対に僕の中では大切にしているんですね。
彼らの本当に貴重な時間を奪って、こちらに向いてもらっているので、
そこは僕らも頑張らなきゃいけない。
彼らがやっているんだなという感じでやっていたら、
いいものなんかは絶対にできないし、
そういうふうに思われるのも尺だなというか、
そういうふうにならないように、というのを常に持ってやっていますね。
彼らのスタートの時点で必ず僕が約束するのは、
見せたくない時とか、つらい時とか、
わかりやすく言ったら勝敗で負けてしまった時とか、
という時でも必ずカメラの前で話をしてくれと、
質問に答えてくれという約束を必ずするんですね、スタートに。
それができない人を取材しようとは思わないし、
自分のいいとこだけを見せようというふうに思われている方の取材なんてしても、
決していいものはできないし、たぶんそれは本物ではないんですよね。
なので、自分のつらいもの、悔しいところ、
全てを取ってみてくださいというような方が、
本当の自分を出せと思うんですよね。
そういうことを約束して必ず取材をするというふうに思っていますね。
どんなアスリートもそうですよね。
勝ち続けることというのは、本当にごく一握りの人しかできないし、
必ず何かのつまずきというのはありますし、
いい時もあればしんどい時もあるという、
寄り添ってこそという部分というのはあるんでしょうね。
逆にそういうところを見ているからこそ、
僕らも多分人に見えない部分を探っていこうというか、
彼らの努力をちゃんと抑えておこうとか、
マイナースポーツのアスリートへの密着取材
という部分がだんだん見えてくるんでしょうね。
だから、やっちゃうだけでいいとこだけして、はいどうぞというようなものには、
僕らもやっておこうとは思わないし、
それでは絶対いいものはできないと思うんですよね。
最後になりますけれども、
武藤さんが今後、番組で密着したいアスリートとか、
あるいはこういう番組を作りたいんだというような思いがございましたら教えてください。
そうですね。やっぱりそういう意味で言うと、さっき言ったように、
アスリートは全く変わっていかないというか、
目標を見失うようなことなく一生懸命やっていくと思うので、
そういう意味で言うと、僕のテンションというかモチベーションとしても、
いろんな競技のアスリートを取り上げていきたいなというのを取材したいなと思うんですよね。
その中でもやっぱり、もともとマイナースポーツで注目されていない選手もいっぱいいるので、
この状況でいくと、もっと全く知られないような人がいっぱいいると思うんですよ。
そういう競技もいっぱいあるし、そういう人もやっぱり、
スポーツの世界でこれだけ頑張っているんだという人たちがいるので、
そういう人たちにも注目していきたいなと思います。
スポーツ人口が本当に減っているというのが、
僕も少年柔道に携わっている部分があるので、本当に感じるんですけど、
子どもが柔道やスポーツ、野球もサッカーもそうですけど、
やっぱり減ってきているんですよね。
やっぱり絶対スポーツって必要だと思うんですよ。
チームワークだったり、柔道っていったい何か時にも勤務ができるしとか、
いろんなプラスの要素がいっぱいあると思うので、
スポーツを続けていくということは非常に大切なことだと思うので、
そういう意味で言うと、いろんな競技がいっぱいあるので、
その中で何か一つでもいいから、ずっとやれとは思っていませんけど、
スポーツへの情熱と子どもたちへの影響
やるということが大事だなって思いますよね。
子どもたちがスポーツをやりたいと思えるようなものが増えてほしいなとは正直思います。
その入り口が情熱大陸であったり、武藤さんが作られる他のドキュメントや番組だったらいいですよね。
そうですね。そうなってくれれば本当に嬉しいですけどね。
はい、頑張ります。
今回は普段なかなか覗き見ることができないアスリートのドキュメンタリー番組の制作過程についてお話を伺いました。
番組を見る際に裏側でこんなご苦労があるんだという想像を働かせると、楽しさや味わいがまた違ってくると思うんですよね。
本当に今日どうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。すみません。
番組をフォローすると最新エピソードが自宅のWi-Fiで自動ダウンロードされるので、外出の際にはオフラインでも楽しめます。
歩きながら、運転しながら、地下鉄でも大丈夫。ぜひフォローをお願いします。
33:02

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