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みなさんこんにちは、ぼくらのスモールビジネスのコウスケです。
この番組は、小さくはじめて大きく稼ぎ、人生を謳歌しているスモールビジネスの経営者をお呼びして、その知られざる世界、生き様に迫る番組です。
前回に引き続きですね、日本初のエンタメ家電ブランド、ファンロジーの公式スターを運営しておりますファンロジー株式会社代表の植村悠希さんをゲストにお迎えしております。よろしくお願いします。
ということで、どんどん過去に深掘っていけたらなと思いますが、本当にいい話聞けると思いますよ。先に言っておくわ。
なので、ぼくと植村さんは実は知り合いですということで、一番最初に知り合ったのが、ぼくが前の船原さんの会社にいた時の中国の展示会に一緒に行きましょうっていうツアーをやった時に植村さんがお客さんとして来ていました。
コウスケさんがツアーをやってて。
そう、ツアーをアテンドする側で、ぼくも別に中国語わかんないんですけど、位置かかりみたいな感じで言ってて、植村さんが来ておりましたと。
で、甲州広域会かな?
そうですね、甲州だったと思います。
甲州広域会ってものすごい広い展示会のところで、本当に携帯みたいなものからコンクリートとか。
はっ?
ボトリングの機械とか。
ニッチ。
ニッチというか、このペットボトルにいわゆる工場、ジャジャジャジャジャジャジャってずっと回っていくやつ。
で、この中に水を入れてキャップをするみたいな。そういう機械を売ってたりとか。
それからもうほんと布みたいなものも売ってたり。
何でも売ってて、もう世界中から人が来て商談をする場っていうのがあって、とんでもないですよね。
全部見れないですよね。
あれはもう無理ですね。一日じゃ見切れないです。
ビッグサイトとかそういう規模じゃないんですよね。
もう全然。
レベルが違いますね。
その例え分からないけど。
一日じゃ見れない。
まあまあそうですね。
まあまあルーブルですね。
で、そんな中で一緒に行きましたと。
で、上村さんはもう、え、あの時の上村さんの状況ってどんな感じだったんですか?
何やられてたんですかね。
あの時は国内メーカーさんの製品を仕入れて販売する。
卸業者みたいな感じですかね。やってましたね。
それをプラットフォームで売ってたのかと。
ああそうですプラットフォームで。
アマゾンとかで。
ああなるほどなるほど。
そうそうそう。なんで国内の業者から物を仕入れてアマゾンで売ってないところとかに営業かけるんですかね。
ああそうですね。そんな感じでしたね。
なんでまだまだ当時その2016年とかってアマゾンで売ってないメーカーとかっていうのがたくさんあったので、そこにまあうちに下ろしてくれと。
で、アマゾンで売りますみたいなんで。
まあなんで日本の国内の取引だったので、まあ変なトラブルもないし。
そうですね。
そもそも売れるし、まあ確率次第で。
そうですね。本当にそんな感じでした。
販売代理みたいな感じ。
そして卸業者ですよね。
ああそうか。仕入れて売るですね。
本当に卸業者ですよね。
その時はまだ個人事業でしたかね。
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その時は法人なりして、一期目二期目とかそれぐらいだったかなって感じですかね。
その時ちなみに従業員制何人だったんですか。
その時は正社員はまだいなかったかな。まあいても一人か二人。でもほとんどアルバイトが5、6人でやってもらってたみたいな感じですかね。
なるほど。で中国に行ったきっかけは何だったんですか。やっぱ仕入れのためみたいな。国内だけじゃダメだみたいな感じになったんですか。
きっかけは、やっぱり自分の製品を、ちょっとまあ起業してからには自分の製品を持って商売したいなっていうのが。
そっちなんだ。なんかおもろいネタないかなみたいなノリじゃなかった。
そうだと思ってた。
そうだと思ってた。国内だけだと不安やし、まあそれもあると思うんですけど。
でも私も思った。海外のものを仕入れて日本で売るを同じことをやろうとしてたのかなって思ったんですけど、そうじゃなかったんですね。
もちろんまあそういった側面もないとはもちろんゼロではないですけど、やっぱり自分の製品持ちたいっていうのがやっぱり一番のきっかけではありますよね。
このままずーっと流して売る、まあその卸売りというか勝者みたいなことだと思うんですけど、これをずっと俺は死ぬまでやってて楽しいのかなみたいな。
なるほど。
そうなんですよね。まああのままやっていてその売上とか利益っていうのはどうなったかわかんないですけど、仮にまあ稼げていたとしても、これその自分自身この人生楽しく生きたいみたいなところと、もういいのかなみたいなっていうのも思ったっていうのがきっかけの一つではありますよね。
じゃあ結構もともとがどうかわかんないんですけど、自分の商品をいつか作りたいみたいなのはあったんですかね?それともだんだん。
そうだんだん強くなっていた方ですかね。
そうなんですね。なんかそれってなんだろう、なんでというか卸売りじゃ物足りなくなっちゃったのって何が物足りなかったんだろうな。
なんですかね。あんまり言うと世の中のそういう会社の人たちにあるかなと思うんですけど、まあ私個人としてはなんかやっぱ面白みがない。本当に単純にそれだけですね。個人として面白さを感じられなかったみたいな。
やっぱ作ってみたい気持ちみたいな。
作ってみたいとか、もっとなんか複雑なことをしたいとか、なんかよりどんどんレベルの高いことを。レベルって言ったらこれはまたあるんですけど、難しいことをしたい。自分にとって難しいことをしたいという感じですかね。
面白いですね。でも難しいの方向もいろいろあると思うんですけど、自分で作るの方に行ったのかと思って。
そうですね。そういうことですね。
難しい商品取り扱うのもあったかもしれないですね。
そうですね。
確かに。
すごい精密機器輸入するとか。
そうですね。
ダイヤモンドみたいなのとかやるとか、いろいろあった中で、メーカーというのを選んだんですけど。
なんで一緒に展示会にぐるぐる回っていて、確か、口がいだったら言ってほしいんですけど、こんなちっちゃいモバイルのプロジェクターがあったんですよ。
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このペットボトルぐらいの大きさで。今は割とあるじゃないですか。
あるある。
当時なかったんですよね。
はいはい。
で、これめっちゃ面白いじゃないですか。上村さんこれやったらいいじゃないですか。みたいな本当もう適当な。
いいじゃないですか。みたいな感じなんですけど。で、それがきっかけですね。
そうですね。
ええ?
本当にそれが最初のきっかけです。
おいー。
そうよ。
トースケさん。きっかけ。
割とターニングポイントいるよ。
本当にそうです。
それは仲いいって。
それもあって、これはもうちょっと私の中の大きなターニングポイントの一つだったので、このお話はぜひ受けさせていただきたいなというところで。
そうなんです。
で、あの時はクラファンやったんでしたっけ?
そうですね。確かクラファンやったかな。やった気がしますね。幕開けか何か。
そうですよね。なので一番最初もうゼロの段階で何始めるかっていうと、まずは展示会行ってこれ面白いと思ったらメーカーと交渉してサンプル作ってもらいますと。で、LP作るんですよね。
はいはい。
ウェブページ作って、そこで今もやってますけど、当時もっとすごかったですよね。幕開けで新しいプロダクトを売るみたいな。クラファンで売る。
要は予約販売なわけですよね。なので最初の仕入れのリスクがなく、世の中の市場テストもできるみたいな感じで。
確かに。
そうそうそう。で、やりました。で、中国のメーカーにサンプル作って、ロゴだけ入れてもらったサンプルとか作って、それをオシャレなムービーとか作って売って売れた分だけ作ります。
っていうのが最初。
そうですね。一番最初。
本当に樋口さん言った通り、やってたっていう感じ。
そうですね。本当に一番最初。
クラファンでそこそこ売れた?
多分ね、僕本当にそこから全然あんまりそういう風になっちゃったんで。そこからもう知らない話です。
クラファンはそこそこに売れた気がしますね。
どれぐらい売れたんですか?
もうちょっと結構覚えてないですけど、数百万円ぐらいは売れましたね。
そうですね。
もちろん初体験じゃないですか。注目とかメーカーとのやり取りでOEMで、思ってたんとちゃうのがいっぱい来るわけじゃないですか。
全然来ないし、来たと思ったらなんかもうずれてるし、音ってかも光らないし、バージョンがおかしいし、端子がなんか巻かってるしみたいな。
いっぱいあるじゃないですか。
いっぱいありますね。
本当にそんなばっかりなんですけど、結局それは乗り越えて納品するじゃないですか。
一発クラファンのプロジェクター納品して、一旦終わりなんですけど、その後は?
その後はですね、クラファン以外にもプロジェクターを確か1,2機種ぐらい売ってまして、そこでラインナップを。
最初はプロジェクター専門店みたいな感じでしたがね、プロジェクターの中でいろんなラインナップ。
例えばモバイルプロジェクターでケーブルレスで稼働ができるタイプとか、本当に末置きの一般的なHDMIでつないで電源を引いてくる。
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その代わり明るさが結構あるよみたいなプロジェクターとか、そういったプロジェクターのラインナップをしばらくは広げてやってましたね。
その時はまだOEMなんですよね?中身はいじってたんですかね?
そうですね、徐々にいじり始めていったって感じですかね。
それがやっぱすごいわ。なかなかそこ踏み込めないもん。
大平 なんで?
わかんないもん。
大平 わかんないからね。
わかんないもん。だってさ、よしじゃあちょっと分解してみようって。
大平 わかんない。
もともとそういう学校とか行ってたんですか?
いやいや、もう全然関係ないです。
大平 例えば最初どういう注文の付け方をしたんですか?何がきっかけでどういう注文を付け出したっていうか。
本当に単純にこの端子がいらないとか、もう本当にユーザーの視点に立って、質問知識なんてないので、
もう本当にこの部品はどうするの、もういらないんじゃないとか、ここを直してとか、ここの品質が悪いからもうちょっとこうならないようにしてとか、
本当にユーザー目線で単純に言っていったって感じですよね。
大平 買ったお客さんの声を聞いてっていうのと、自分ももちろんユーザー目線で。
そうですそうです、自分で。あまりに酷いものとかやっぱりさすがに出す前にもう分かるし出せない、そのまま販売もできないので、
自分でこうやってフィードバックしていって、あとは市場のお客様の声も聞いて、それもまたフィードバックしていって、
というところがやっぱり一番のスタートですよね。
それ、工場はいくつも付き合いました?やっていく過程で。
あ、もうここもうダメだみたいな。
あ、ありましたありました、でもやっぱりいくつも。
大平 そうなんですかね。もちろん海外でってことですね。
そうです、海外の工場で。
大平 言語とかもどうしたんですか?
言語はもう力技ですよね。
大平 あははは。
もうGoogleの翻訳で、中国のSNS、WeChatっていうのが日本でいうLINEみたいに流行っているので、
そこでずっと英語でやり取りしてみたいな感じですよね。
大平 すごい、そうなんだ。それも結構大変そう。
どうですかね。翻訳がすごい便利なので、そんな大変ってことは、言語で大変ってことはないかなと思うんですけど、
でもどうかな。ニュアンスをやっぱり伝えるのとか、文化の違いとか。
大平 もうちょっと音をよくとか言っても、なんか音の良さが…
音をよくとか、そうですそうですそうですそうです。そういうことを伝えるとか、そういった難しさはありますよね。
大平 じゃあ結構、工場はここがちょっと良くないからもうちょっと変えようみたいなのを何回かやられてるんですか。
それはもうありますよ。それは常にですね。
それはアリエクスプレスとかで色々探してって感じですか。
最初はそうでしたね。
大平 探す場所があるんですか。
アリババとか、要は中国のB2BのAmazonみたいなすげえプラットフォームがあって、各工場がそこに登録して出品してるのよ。
なので、例えばそこでBluetoothスピーカーとかだったら、サンプルはタダで、例えば500個から量産しますみたいな。
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1個あたりいくらですとか、ODMとかもロットスによって色々対応しますみたいなのが書いてあるのよ。
そこを1個1個当たってったってことですよね。
そうですね。一番最初はやっぱりそこですね。そっからは横の繋がりとか、紹介とか。
あとは、自分であの後も何回か一人で中国に行ったりもしたので、そこで探してきたりとか。
大平 講習行って。
講習とか審査とか色々行って、常に探す作業っていうのはしてましたね。
大平 今は割と付き合う工場は決まってる?
今はそうですね。やっぱりこれだけ難しくなってくると色々…
大平 できるとこもねえみたいな。
そうな出来るとこもないですし、帰るとまた色んなこの説明とかしなきゃいけないですしっていうのもありますから。
どういってもやっぱり常に良いところを探す努力っていうのが続けていますね。
大平 今もやってるんだ。
それはもうやめないです。
大平 ちなみに一番最初OEMに初めてチャレンジするみたいになった時に、
大平 康介さんがプロジェクトいいじゃないですかって言ったのはあると思うんですけど、
大平 やっぱり市場とかを調べたりしたんですか?
大平 何でそれに最終的に決めたのかみたいなところが。単純にノリとかでもいいんですけど。
でも勘かもしれないですね。
大平 康介さん!
なんかでもそんななかったですもんね。日本人が見て物珍しかったんですよ。
何これこんなちっちゃいのにスピーカーですげえプロジェクター映るじゃんみたいな。
ちゃんと綺麗に映るし。今でこそアンカーが出してるけど。
あんなちゃんとまだ洗練されてないですけどね。
大平 すごい面白いですよね。そういう意味では。そういう場に見に行くだけでも珍しい物が見つかるっていうのは。
本当に当時はプロジェクターって言えば、昔教室とか学校で使うこの本当に大きなプロジェクターみたいなのが思い浮かべるのが普通だったので、
そういう意味ではかなり本当にまだ市場がないところに参入できたっていうのは運が良かったでしょうね。
それはあると思います。プロジェクターっていうでかい市場の中の派生というか呼ばれるプロジェクターみたいなのって多分なかったんですよ。
大平 10年前とかはなかったですよね。
そこにポーンと行けて最初にスタート出して幕開けでちょっと面白いじゃんっていうところをOEMでも取れたわけですよ。今はもう無理じゃないですか。
大平 無理無理無理無理。
今は無理なんで、じゃあ今何だろうなとかちょっと思っちゃうけど。
だからそのタイミングはめっちゃ良かったです。
本当にそれは運が良かったですね。
なるほど。じゃあそのOEMからどんどん仲をいじるようになってて、そこからどう成長していったみたいなのはあるんですか。
だからそのタイミング良いまではさ、タイミング良いまではさ、いけるじゃん。チャンス掴んでさ、これいけるかもって思ってそこからブレずにいくわけですよ。
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プロジェクターからBluetoothのスピーカーっていろいろ派生していったと思うんですけど、そのままやっぱこうブレずにやり抜く力すごくない。
すごい。てかなんかOEMで当たったからOEMでいろいろ横展開していこうが普通の人の考え方じゃないですか。リスク的にもあるから。
多分あるあるの考え方は一発クラファンで当てましたと。じゃあ次何当てようかなって別の商品でクラファンやりたかったです。
クラファンは割と楽なんですよ。一発作って終わりで資金繰りも良いし、作った後の製造責任とかなんかうやむやにできるんで。
クラファンなんだ。
そうそうそう。なので普通そっち行くんですよ。クラファンって美味しいみたいな。
何が当たるかみたいな視点になってくる。
そうそうそう。新しいものを次探そうみたいになるんだけど、そこでちゃんとプロジェクターにフォーカスしてコツコツといって。
中身いじり出す。
そうだからそこよ。普通仲いじらんよ。
いじらんいじらん。
いじらんいじらん。いじれん。開けても。
だってめんどくさいもん。わかんないし、中国の工場とやり取りっていうの大変だし、時間もかかるし、その間に売り上げどうするのみたいな。
確かに確かに。
そうだからちゃんとその事業の基盤があったからできたってのも多分あると思う。
だから既存の事業でちゃんと生活ができる従業員も賄えるっていう状況で社長がこういやっつってやって、ある程度目先の金を考えずにできているはずなんですよ。
なるほどね。
じゃないとできないじゃない。
できないできない。
だっていじるってサンプル来てやり取りって何ヶ月かかるし。
最初結構今よりも時間かかったとかあるんですか?
そうですねやっぱりやり取りも今よりはかかったと思いますね。もう1年とかかかったかもしれないですね。
それはやっぱり国内の卸売は引き続きやりつつそちらをやっていたみたいな感じですか?
そうですね当時はやっていてやっぱり資金繰りとかちゃんと生活もありますからやっていって徐々に縮小して今はもう一切やってないみたいな感じなんですよね。
10年でそこまでいくってやっぱすごい。
すごいよ。
すごい気がする。
ほんとすごいと思うよ。
今だって卸売全くやってないっていうのがもうなんかヒャーって感じですね。
確かにね惰性でやって利益出てたらやりたくなる気持ちあるじゃん。
そうそうプラスアルバムしたくなるじゃん人って。
やらないんだ。
やらないんですね。
やらないです。やっててもたぶんある程度の売上とか利益っていうのは出てたと思うんですけど、やっぱりリソースをどこに配分するかみたいなところで。
そうですよね。
やっぱりその生産性を最大化させるにはやっぱり一つのことになるべくフォーカスしていったほうがいいと思うので、そこはもうスパッとやめようっていう感じで。
なんだ登り方も堅実だし、絞り方もやっぱすごい堅実なんだよね。
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すごいのよ。ずっと言ってるじゃない。すごいのよ。
割とすごい話ばっかしてるんですけど、なんかやらかしたエピソードみたいなちょっと。
失敗あれば。
もろてもいいですか?
やらかしたエピソードですか。
失敗エピソード。
いやでもなんか細かいところでいけばもう無限にあるような気がしますけどね。
これやっちゃったなみたいな。今でも思い出すみたいなの。
やっぱりその品質のところですかね。なんか作ったものの品質がやっぱりちょっと問題があって、このままでちょっと販売できないということで、
もう2000台?3000台ぐらいを引き戻して、会社のフロアがあるんですけど、そこ全部バーって商品めつくして、丸一日みんなで作業みたいなのをしたのは大変でしたね。
作業って直すんですかみんなで?
もう一個一個で作業で直すしかないですね。
2000個?
直すんだ。直してどうにかなったんだ。
直します。
よかった、捨てたとかと思った。
とりあえず捨てることもできたけどフィニッシュに置いといたとか。
なんかもう滞留したのかと思った。
ドキドキ。
それで売れたんですね。
それで売れましたけど、その作業やっぱり大変でしたね。それが2回ぐらいありましたね。2、3000台のものが。
2回。
その品質管理に不手際があったから。
あとで不手際があったんですよね。で、現地の工場に戻すのもやっぱりだいぶこの輸送のコストっていうのがかかってしまいますから。
確かに確かに。そうですよね。
なので、例えばパーツとか必要ではファームウェアアップデートのデータをもらって一個一個。
やる全部。全部。
大変。
大変ですよ。
どれぐらいかかるんですかね。1000台、3000台は。
どうですかね。
みんなでコツコツ1週間とか2週間とか。
あ、でもそんな感じ。
糸はそんな感じですね。
そうですよ。
はーい。
あるんだやっぱりそういうこと。
いや、ざらにあると思います。
あります。
でもなんかすごいなって思うのは、作ったけど売れなかったみたいなのがないのが私すごいなと今思って。
はい。
やっぱり商品の目の付けどころ、これを商品にしようっていう付けどころと、
あとやっぱり品質管理っておっしゃってる、自分でこだわって開発するっていうところがやっぱりセンスが終わりなんですかね。
どうなんですかね。
なんか言えないですよ。すごくないですかなんか。
いやセンスの一言で片付けちゃいけませんよ。奥さん。
語りますからね。
じゃあ綿密なですね、知見とノウハウがきっとあるはず。
知らん。
それはちょっと企業秘密なんであれですけど、やっぱりでもそれも積み重ねは大きいですよね。
何回もやって、あんま売れなかったみたいなやっぱり全然あるので。
本当にやって失敗してやって失敗して、もうPDCAを本当にどろくさく回しての結果ですよね。
なるほど。確かにもともと漆売りされてたってことはその辺の見る目っていうのはその時点で休まれてる。
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そうかもしれないですね。
ちなみにPDCA回す時って徹底的に言語化したりとかするんですか?
言語化そうですね。
徹底的にロジカルに詰めていく人と感覚のまま取っておく人みたいな色々あると思うんですよね。
これはちょっと今回もう少しこうしたかったねみたいなことをどうやってPDCA回してるのかみたいなところってお話できる範囲でいいんですか?
私はどっちかというと感覚派かもしれないですね。
それで回ります?
私は。結構感覚派なんですよね。
そうなんですか。
もちろん論理的な部分もものすごく大事にしますし、書いてなんかやる時もあるし、四小言のマップみたいなやる時もありますし、
でもそれだけに頼りすぎないっていうかその直感とか感とかそういう部分を大事にしたいなっていうのは思ってますね。
やっぱり両方大事ですよね。
それは本当に。
それこそだって製造台数とかってもうロジカルで詰めきれないんですよ。
そうですそうです。最後はもう度胸とか。
いやもう本当に。
コロナだと?
そうなんですよ。
プラスマイナスどっち?
そうなんですよ。
この時とかなんか影響はありました?
この時は本当に幸いなことに私たちのものは家電でやっぱり家で使うものが多いですから。
逆に?
そうですね。極端に上がるとかではないですけど、ものすごい悪くはならなかったですね。
工場もなんか一部メーカー止まったっていうのもあったじゃないですか。
中国の製造が大変だったんですか?
それは大変でした。ものすごく。本当にやっぱりサプライチェーンがもう止まってしまって。
あとは同じような時期にコロナとちょっと遅れた半導体が不足した時がありましたね。
ありましたね。
それは結構きつかったですね。
作りたいけど部品がないと。
作りたいけど部品がないみたいなところですよね。
それはどうしたんですか?
それはもう頑張るしかないですよね。
頑張るしかない。待つしかないでしょ。
待つしかない。
結局その工場もどっかから半導体を仕入れてるけど、その半導体がもう仕入れ先から全部なくなって。
もう世界的にない状況ですから。
だってトヨタですら調達できないですよ。
無理だよね。
もう我々じゃあ無理です。
それは待つしかないってのは本当に待つしかないんですか?
そうです。で、その待つための準備ですかね。
平たけば至近ぐりとかいうところですけど。
確かに。
そういうところをしっかりやるというところで、なんとかというところですね。
前回経営とかすごい勉強されたみたいなお話をしてましたけど、
それはいつどうやって勉強されたのかとかってあるんですか?
もちろん実地もあるでしょうけど。
はいはい。それはもう本当にひたすら本読んだみたいな感じですかね。
独学!
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独学して自分で試してみてみたいな感じですかね。
そうです。読んで試して読んで試して。
すげえ。
独学でしょ経営なんて。
そっかそういうもの?
学校行けないもんね。そんな暇ねえわ。
そうだよね。実地しかないですもんね。
ないですないです。
経営的なやっちゃったっていうエピソードとかあるんですけど。
それもたぶんいくらでもありますけどね。
ああそうなんだ。なんか言えることとかあればぜひなんですけど。
いくらでもありますけど。
ああそうだ最近従業員の話をよく聞くようにしましたね。
ほうほうほう。
なんか元から全く聞いてなかったわけではなかったと思うんですけど。
もう飽きる。
なあなんか振り返ってみると4,5年前はちょっとやっぱ指示をこう出して。
とにかくこれやってみたいな。
ああなるほどね。
みたいなのが多くて。
本当にトップダウンものすごいどこまでかわからないですけど。
ちょっとトップダウン気味にあってたところもやっぱり。
指示だったんですね。
あったかなっていうのもあったんですけど。
やっぱり人の話を聞いてあげる。それがあってても間違っててもしっかり聞いてあげると。
自分で気づけることもやっぱり結構多いですし。
これ言ったけど違いますねみたいな。
授業員本人が気づいてくれるっていうパターンもすごくありますし。
あとは聞いてくれればこの人の言うことは聞こうかなみたいになったりもするので。
そこは私の失敗で今すごく活かしているところでありますね。
それはなんかやっぱり聞いてなかったがゆえに例えば人が辞めちゃったとかうまくコミュニケーションできなかったとか。
それもやっぱり少なからずありましたね。
ちなみに今の6人になった経緯とかお話できる範囲で。
はいはいはい。私結構草野球ずっとやってまして。
はい。
19歳の時に私これも自分でチームを作って。
えっうん。
それをもう18年間19年間毎週毎週欠かさずやってました。
休みなく。
はい。
ずっとずっとやってるんですけど。
野球好きなんですね。
大好きですね。でもそこのメンバーで入ってくれたっていうのがありますね。
そのメンバーが結構そのうちの何でしょう上のマネージャークラスでずっとやってくれてるんですけど。
はい。
それはすごい良かったなみたいなところですね。
野球。
野球繋がって。
野球で繋がって転職してきてくれたみたいな。
そうです。野球チームに結構いろんな職種は本当に雑談にいるんですけど。
ちょっと辞めて転職先探してるみたいな時にちょっと来ないかみたいな感じで誘ったのがずっと子さんで今いてくれてるメンバーですね。
なるほど。確かにね。それでその自分的にも欲しい職種の人だったらね。
もうお互いなんだろう同じ釜の飯を食ってるじゃないですか。
そうですそうです。
強いですよねお互いの呼吸が上がってるし。
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それは本当に。
野球やると結構人となり分かりそうですね。
そうですそうです。
チームプレーがどんぐらいできるのかとか。
一緒にスポーツとか一緒に仕事はその人の結構ね丸はた感がありますよね。
ちゃんとそのナイアゴラのカバーとか。
本当に細かいところが出るんですよ。
ミスした時のその人の態度とかね。
そうですそうです。
めっちゃ大事。
仲間を養う応援するのか。
ヘイヘイみたいな言うのか相手に対してね。
それもその人のキャラクターによってどっちがいいかとかですね。
めっちゃあるな。
特に男同士だとやっぱり一緒にスポーツするといろんなところ見えるし仲良くもなるし。
確かにね。
絆がねできますよね。
野球でリクルーティング。
野球上手いと採用するって全く別ですよね。
それはもう全然別です。
めちゃくちゃ打つけど性格悪いみたいな。
いないですいないです。
野球したらわかるな。
梅村さんのチームすごい良いチーム層。
そうですかね。わからないですけど。
ちなみにポジション何なんですか?
ポジションはピッチャー。
すげえピッチャーで社長やばい。
ちょっとした自慢ですけど今470勝ぐらいしてます。
すごいじゃん。金ヤン越えじゃないですか。
盛り上がってしょうがないんですがお時間ということで。
また次週にお伺いしようかなと思います。
今後の話だったりもっと深い話をお伺いできたらなと思いますか。
という感じでございます。梅村さん今週もありがとうございました。
ありがとうございました。
番組をお聞きの皆様この番組僕らのスモールビジネスでは
Xでのハッシュタグ僕スモで感想質問の投稿をお待ちしております。
僕はひらがなスモアカタカナだそうです。
投稿いただいたら番組で取り上げさせていただきます。
あとアップルポッドキャストとスポティファイのレビューも何卒よろしくお願いします。
お願いします。
バイバーイ。
バイバイ。