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フィリピ人への手紙4章、1節から3節 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ、このように主にあって固く立ってください、愛する者たち。
ユオディアに進め、神的に進めます。 あなた方は主にあって同じ思いになってください。
そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。 彼女たちを助けてあげてください。
この人たちは、命の書に長記されているクレメンスや、その他の私の同僚者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。
以上です。今日はこのところから、女性リーダーと題して見事を取り継ぎます。皆さんおはようございます。
早いもので1月も最後の日曜日になりました。先週は大雪で、私が生まれた三重県の横海市も、高速道路が止まってしまって、非常に大変な時だったようです。
また、日本ではトヨタ自動車の社長が後退するということで、大きな話題になりました。
社長が公認の社長、やはり男性でしたね。なかなか女性の社長がつくということはないようですが、今日は聖書には、この女性のリーダーについて、
はっきり教えているということで、そういうことを軸に学びますけれども、それとともに、3つの点の中の一番最初は、
この箇所からわかる、聖書の真実性、歴史性ということ、私たちの信仰の際の聖書の歴史性ということを、まず最初、この実例を今日の箇所から学んで、その上で、
信仰の位置や、また女性としての聖書の地位ということを、共に学んでいきたいと思います。
まず最初、信仰の拠り所、聖書の歴史性ということですね。3節でこう書いてあります。
そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。 彼女たちを助けてあげてください。
このフィリピン教会には、この女性のリーダーが2人いて、先ほど言ったユーモディアとシントケ、その2人が、
小さな意見の違いがありました。 教会が大きく分裂したり、2人がいがみ合うということではなかったんですけれども、その問題が大きくなる前に、パウロは今日のこの
1節から3節、特に2節、3節を教えているというんです。 その中で、真の協力者に、この2人の女性リーダーを、
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仲互いしないように取り持ってくださいということを教えているわけです。 それはそれとしまして、この最初の箇所を学ぶ前提として、ある信学者の
こういう言葉を見てみましょう。 ちょっと読んでみますね。聖書には、キリスト教の福音の基礎となる素晴らしい
歴史的事実が書かれています。 聖書は、福音が確かに歴史的な真実を土台にしていることを見せてくれているのです。
という言葉なんですね。これ誰が書いているかというと、 私がよく引用する信学者であり牧師であるイギリス人のアリスター・マクグラスという人の言葉です。
マクグラスは、オクスフォード大学の
今で言う、信学部と言って、そのオクスフォード大学の信学部の教授であり、学長であられた方です。 さっき、世界ランキング、大学ランキングを調べたら、オクスフォード大学って今世界1位なんです。
そういう大学の教授が、この聖書の歴史的な真実性ということを、この著作、著作の中で、聖書のガイドって本なんですけど、その中ではっきりと言っている。
それは、彼が聖書の歴史的信憑性を疑うことがないと言っていることを、すごく注目に値することなんですね。
それはつまり、キリスト教信仰の土台が確かなものであるという、そういう言葉にもなるわけです。
その上で、今日見ているピリピの御言葉は、キリストの福音の歴史的事実が、聖書に示されている実例であるということを具体的に
例示しているわけなんですね。だから、そのところちょっと詳しく見ていきます。
この2人の間に入ってほしい真の協力者、誰か。
おそらく、ルカ、福音書を書いた、使徒の働きを書いたルカだろうと言われています。
なぜそれがわかるのかと言いますと、使徒の働きの16章から推測できるんですね。
実は使徒の働きを書いたルカは、この16章で、このピリピ伝道についてこう書いてるんですね。
私たちはトロアス、ピリピの近くの港から船出して、サモトラ家に直行し、翌日ネアポリスに着いた。
そこからピリピに行った。ここから読んでみましょうか。
この街はマケドニアのこの地方の主要な街で、植民都市であった。私たちはこの街に数日滞在した。
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このピリピのことをルカが書いている。ここで言う私たちっていうのは、書いているルカ、そしてパウロとその一項を指しているんですね。
ここから何がわかるかというと、 ピリピに最初に福音を伝えた、
パウロとともにこの使徒の著者のルカはピリピに滞在したことがわかります。
そしてそれからですね、後で皆さん読んでほしいんですけども、 パウロがいなくなって5年ぐらいしたら戻ってくるんです、ピリピに。
その間、使徒の20の1から5を見ると、 その5年間ですね、
ルカがピリピに滞在したってことがわかるんです。 その間におそらくルカはパウロの手紙を受け取ったのじゃないかとも言われているんですね。
ちょっと先進の地図になりますけども、このピリピですね、 パウロはローマで統合されていた。
この大体この辺りから船出して、一番最初にピリピに到達したパウロの一行に、 ルカも含まれていて5年間そこに滞在したということなんです。
このちょっと、
勉強みたいな話になっちゃいましたけども、 先ほど冒頭に挙げたマクグラスは聖書の確かさを教える中で、
このルカについて、こう紹介しているんですね。 彼は歴史家として綿密で丁寧にルカの福音書と人の働きを書きました。
その2つの書物の中で彼が使う地名、ピリピの地名や政治的な用語は、 聖書以外の資料からもその信憑性が裏付けられていますといって、
聖書がどれほど歴史的信憑性があるかということをマクグラスが紹介するときに、 このルカのことも挙げているって言うんですね。
まあそういうことでですね、この真の協力者をパウロはルカとして、 そのルカにですね、
ユオディアとシュントケの間を取り持ってくれと、 このピリピ音の山で言っているということを、今日ちょっと注目しておいて欲しいんですね。
その上で先ほど読んだマクグラスの引用を少し長く読んでみますね。 聖書にはキリスト教の福音の基礎となる素晴らしい歴史的事実が書かれています。
聖書は福音が確かに歴史的な真実を土台にしていることを見せてくれているのです。 ここで読んでみましょうか。
聖書はキリスト教徒として生きることの希望と喜びに実質を与えてくれます。 多くの日本人の方は、こういうことを知らないでキリスト教が口頭向けだというかもしれませんが、
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聖書、そして私たちの信仰はこのようなしっかりした歴史的あるいは学術的なものに基づいて、今成り立っているということをぜひ知って、その確信を持っていただきたいと思うわけです。
2番目、今度は今日の箇職の中身からもう少し学んでいきましょう。 些細なことにとらわれずという大事なポイントがあります。
パウルは今日の御言葉の冒頭でこう教えていますね。 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び冠よ、このように主にあって堅く立ってください。
愛する者たち、ユーモディアに進め、神的に進めます。 あなた方は主にあって、同じ思いになってください。
あなた方は主にあって、同じ思いになってください。と教えています。 その真意は何でしょうか。
先ほど言いましたけど、この ユーモディアと神的というのは女性です。
そしてピリピ教会、パウルを亡き後のそこのリーダーだったんですね。
教会の様子を見てですね、教会に行くべき方針を決める。 その間に少し食い違いがあったどんなのか、おそらくですね
信仰の危機に直面していたピリピ教会が、あるいはクリスチャンがどう生きるべきか、どうあるべきかというその意見、
どうやってカタクサツかという、そのあり方の違いだったんじゃないかと言われています。 もしかしたらですね、それまで見てきたように、このユダヤ教の一派の教えを受け入れるかどうかとか、
そういうことと、 旧約聖書の立法の問題をどう捉えるかということで、些細な意見の違いがあったんじゃないかと言われています。
しかしね、パウルはですね、こういうことを教えています。 小さなことに目を向けて争うんじゃなくて、福音のために一緒に戦ってきた。
そういうことで協力し合いなさい。 そこに目を向けるように教えているんですね。
小さなことではなく、大きなことに目を向け、福音のために一緒に戦ってきた。 そしてこれからも協力して戦うように、そこにパウルは注目させていただいたわけです。
その上で、3節でこう言っていますね。 この人たちは、この2人は、命の書に名前が記されているクレメンスやその他の私の道路者たちとともに、
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福音のために私と一緒に戦ったのですと言っています。 だから
大きな争いになっていなかったけれども、 目の前にいるその意見の違うクリスチャン、
立場の違うクリスチャンは敵ではない。 本当の目に向け、戦いとして注ぐべき相手は
外であって、目の前の人は信仰のために一緒に戦っている 仲間なんですよと呼びかけている。
私もいっぱいの仕事をしてますけど、非常に営業に力を入れているんです。 そうすると営業に力を入れているから一致するんですね。
間の小さなことじゃなくて、どうやって営業の成績を出すかということで協力していますから、 些細なことで争わなくなります。
目が外に向かっていると、この些細なことで争わないということがあるかもしれません。
いつも言ってますけれども、フィリピンの人たちはローマ帝国の中で少数派として生きていましたよね。
クリスチャンとして。それは日本のクリスチャンにも当てはまります。
アメリカに行くと、FMラジオを聞くと、たくさんキリスト教専門放送が流れているんですよ。
クリスチャン専門のミュージシャンもたくさんいて、 アメリカでクリスチャンですと言っても別に何か普通なんですけども、やはり日本だとマイノリティですよね。
そういう中にいる私たち、 礼拝を守っているクリスチャンは日本では全人口の1%に満たないと言われているんですね。
0.2%とも0.5%とも言われている。 その少数派の中の少数派の日本人のクリスチャン。
私はですね、だから日本人としてクリスチャンで生きていくってこと自体がもう戦いだと思っている。
それで立派な、ちょっと表現悪いかもしれませんけど、 信仰の戦いを戦って生き抜いている。
クリスチャンが普通にこの世界、世の中で仕事や家庭で生活していること自体、そういうふうに私は捉えているんですね。
ですから、私たちは小さな違いを捨てて、小さな存在の中にあるマイノリティの仲間としてですね、
一つの思いで、福音のために共に戦っている仲間だという意識を、やはりクリスチャン同士持つべきだということなんですね。
特に問題が起こっているか、いるんじゃなくて、そういう意識で クリスチャン同士をお互い見ていきましょうという意味で言っています。
パウロは、今日の歌詞でこう言っているんですね。
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フィリピンの人たちに対して、こう呼びかけています。ちょっと読んでみましょうか。
私の愛し慕う兄弟姉妹たち、私の喜び冠よ。
私の愛し慕う兄弟姉妹たち。 パウロはフィリピンのクリスチャンに言っています。
そして私の喜びであり、私が天に行った時に神の前で誇るべき、あなた方は冠ですよ。
フィリピンのクリスチャンに言っている。それはすなわち私たちに対する神様の見方でもあるんですね。
私たちは神様の目から見たら、愛し慕われている存在だ。
そして神の目に喜ばれている存在。 そして神の目に冠のように栄誉ある存在だ。
それが私であり、また私の隣にいる兄弟姉妹だ。 クリスチャンだ。
そういう見方でお互いを見合い尊重し合っていく。 お互い喜び合っていくというのが、この
教会の中でのお互いの在り方だと、今日学びながら強く確信したわけです。
さらに、この今日の箇所では
同じ天国の国籍がある天国人として
一緒に一致するように。 そのようにパウロは進めているんですね。
私たちは、家庭でもあるいは職場でも
お互い内向きであるときは、先ほどのように争いが起こりやすいんですね。
小さなこだわりを捨てて目が外に向くときに、私たちは一致できる。 その中でパウロは同じ
家族、国民だということを意識させています。 日本に住民基本台帳というのがあります。
そこにこの住民が票が登録されているんですけども、当時もローマの市民は
この人はローマ市民ですという公式文書に文字通り名前が記されていたんです。
そこに名前があるということが、先週言ったようにすごく誇りになったんですね。
私はローマの市民だ。 でもパウロは、そんな
燃え尽きて亡くなってしまうようなローマ市民の台帳なんかではなくて、あなた方は
永遠に残る 神の命の書に名前が記されているんですよ。
そしてお互いその神の命の書に名前が記されている 同じ天の国籍を持つ
同胞なんですよ。だからお互いを認めて 天の国民としてお互いを尊重し合って
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調和して生きていきましょう、生きていきなさいということを呼びかけているわけです。
先ほども言いましたけれども パウロが私の愛し慕う兄弟姉妹たち
私の喜び冠よというように私たちは神様に愛され喜ばれ そして神様にとっては誇らしい存在ですね
そしてその とても大事な神の国の民として神に見られているだけではなくて
私たちは同じ天の国籍を持って 命の書に記されている同じ国民としてお互いを尊重し合い
喜び合う存在である、そういうことを 忘れないでいきたいと思うわけです
最後に 女性のリーダーということについて見ていきましょう
ちょっと難しい名前ですけど、しばらく読んできたので みんな読めると思うので、ちょっとここで読んでみましょうか
ユーオディアリススメ、シンティケニススメマス あなた方は主にあって同じ思いになってください
昔の、ちょっと前の役ではシュントケだったんで 呼びやすかったですね、シュントケ
シンティケってなんかちょっとわからないんですけどね、でもこの2人 これは女性のリーダーとしてパウルが名前を挙げている
非常に珍しいんだそうです こういう、なんて言うんですかね
聖書の途中で誰かわからない人の女性の名前が出てくることは珍しい 当時の文章でも珍しい
でもそれほどですね この2人が教会にとって大事なリーダーであったということがわかるわけ
そして この2人だけではなくて、使徒の16章で
パウロの初めてのですね ピリピ伝道の改新者、それは誰でした
紫布商人の リディア
前の聖書ではルディアです 彼女はですね今で言えばアファレル会社の女社長です
ユニクロじゃないですけどね、そういう女柳社長みたいな 会長みたいな、そういう非常に社会的な地位も高い人
その人はこのリディアさんは パウロの選挙を経済的にも支援しましたし
広い家を開放してパウロに止めたりですね その後教会をそこで立ち上げて
運営していった人です このようにピリピの教会では女性が活躍しました
ちなみにですね各国で女性がどれほど社会で リーダーシップを発揮しているかということがわかる指数がいくつかある中で
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こういう指数があるの知ってます? その国の国会議員の女性のパーセンテージ
何割が女性、国会議員、衆議院、参議院 日本何位だと思います?日本
2年前のね統計見たら日本は166位 下の方の下なんですね
よく識者の人はこの日本での女性のリーダーとしての地位が尊重されていないことが よく現れていて恥ずかしいと言われているんですね
まあ 一方ですねある学者は
今日の聖書の箇所では 女性のリーダーシップを聖書が後押ししている証拠です
聖書は
女性のリーダーを言ってますし 精霊には性別がないって言い方している
女性だろうが男性だろうが精霊はもちる リーダーとしてももちる
言ってですね まさに
先ほど言いましたけれども この箇所はですね
冒頭に挙げました マグラス教授の言葉
聖書はキリスト教徒として生きることの希望と喜びに 実質を与えてくれますと言っていますけれども
まさに今日の見言葉などにわかるように聖書は この女性が生きる希望と喜びに実質を与える書物である
それだけじゃなくて聖書というのは男女 ジェンダーのその性別に限らず聖書は生きる希望と喜びに実質を与えてくれる
そういう書物であるということもわかるわけですね その見言葉にですねよりどころを持って
男性であろうが女性であろうが先に自分の性認識が 変わっていようがですね
聖書よりどころとして 希望と喜びに満ちた
人生は今お互いでやりたいと思います 最後にこのパウロの
このことを表した別の言葉を見て終わりにしたいと思います ガラティアベトの手紙3章27節28節です
読んでいますね キリストにつくバブテストを受けたあなた方は皆キリストを来たのです
ちょっと長い数から最後に見ましょう3回 ユダヤ人もキリシャ人もなく奴隷も自由人もなく男と女もありません
あなた方は皆キリストエースにあって一つだからです お祈りしましょう天の神様皆を賛美いたします
あなたが私たちの確かな信仰の拠り所として 聖書を残してくださったことを感謝いたします
どうかそこから私たちが生きる喜びをまさに知ることができるようにどうか導いて ください
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またあなたの御言葉は私たちが男性であっても女性であっても あなたのために神様と人のために豊かに用いられるまた
様々なふさわしい地位に与えられるということを教えていることを感謝いたします どうかこれらの御言葉の言葉御言葉に支えられながら私たちがこの社会の中であるがまま
あなたのために人のために用いられていくことができるようにどうか導いてください この願いで感謝を私たちの救い主
主イエス様のお名前によってお祈りしますアーメン しばらく御言葉に応えて1分ほど黙祷しましょう
アーメン
アーメン