00:03
人々への手紙、3章14節から こういうわけで私は膝をかがめて、天と地にあるすべての家族の、家族という呼び名のもとである道地の前に祈ります。
どうか道地が、その栄光の豊かさに従って、うちなる人に働く御霊により、力をもってあなた方を強めて下さいますように。
信仰によって、あなた方の心の内にキリストを住ませて下さいますように。
以上です。 今日はこの箇所から、
強い心、強い心と題して見事話を取り継ぎます。
皆さん、おはようございます。 9月も最後の日曜日になりました。
昨日まで、 先週ですね、暑さが戻って、
ある日なんかは、金曜日でしょうか、真夏日、30度を超えた日もありましたね。 昨日、京都は涼しくなって、
体調、なかなか体を調子整えたり、また体の弱さを覚えたりすることもありますけれども、
9月最後の日曜ともに、詩を礼拝し、見言葉に耳を傾けられることを幸いに思います。
さて、 今日の箇所で実はパウロは、3章の1節から始めた祈りに戻るんですね。
実は3章の2節から13節では、祈りから脱線して大切な真理を語ってきて、それを学んできましたが、
今日の箇所でまた、こういうわけでということで、祈りに戻りました。
そしてこの祈りは、3章の最後、21節まで続きます。
3つあるいは4つの祈りの内容があるんですが、
一つ一つをですね、私はこの機会にじっくり、私自身も学んでみたいということがあるので、
一つ一つの、英語で言えば、祈りのリクエスト、祈りの課題を、本当に丁寧に学んでいきたいと思います。
今日のこの箇所を理解する上でコツがあるんですね。
ここに前にも掲示しました。すみません。
コツはですね、
聞こえない、ごめんなさい。
声が聞こえない、すみません。
ちょっとテストしますんで、音が出ますけど。
03:06
テスト、テスト。
これで聞こえますでしょうか?
聞こえたら、聞こえますか?聞こえない?
えーと、
これで聞こえますでしょうか?
OK、はい、じゃあこれで話します。すみません。
はい、すみません。
じゃあこれでいきます。
今日の主題はですね、神様が心を強めて下さいますようにという主題ですが、
4つの点から学びます。
そして、
ここにはですね、パウロが大切な真理を別の言葉で言い換えているという理解する上でのコツがあるんですね。
そのことを思い巡らしながら、
4つの点から学んでいきましょう。
まず最初は、1番、
強い心とは内面の強さであるという、そういう意味ですね。
3章の16節、17節、
前半だけ読んでいますね。
道化御父がその栄光の豊かさに従って、
内なる人に働く御霊により、
力をもって、あなた方を強めて下さいますように。
ここの部分なんですけれども、
この内なる人とですね、心という言葉が入れ替えられています。
そこで皆さん、もう一度考えていただきたいんですが、
心とは一体何でしょうか?
ということですね。
先ほど申し上げましたが、
ここでパウロは、ちょっと図を作ってみたんですけれども、
心をですね、
17節と16節で入れ替えて使っています。
ちょっと前で説明しましょう。
16節で、
内なる人と言ってますけど、それを17節で
心の内にという言葉で言い替えている。
このようにですね、心はですね、
内なる人、
一般的に学者たちに言わせれば、心というのはですね、
知性と感情と意志が関わっている部分を心と言います。
これはですね、パウロの第一の研究者である
ジェームス・ダンという人をはじめとして、パウロの進学者が言っている
パウロが言うところの心は、
知性と感情と意志に
06:01
関わる部分を心と言っているんですね。
あるいはそれらを
司る場所としての心、
内なる人と言っています。
で、例えばですね、この関係、
私はですね、子供の頃、親にね、こう言われて育ったんですね。
駄菓子屋さんに行ってはいけません。駄菓子屋さん、行きましたけど内緒で。
駄菓子屋さんに行ってはいけないと言われるとですね、
駄菓子屋さんの前に通っても入ろうとしないんですね。
あるいはまあ、入りたいと思わないわけなんです。
で、それはどういうことかというと、
親に駄菓子屋さんで買い食いしてはいけないという価値観をですね、
思考の中に入れられているわけですね。
そうするとその思考が影響して、
意思に働いて、別に駄菓子屋さんに行かなくてもいいや、
行くのをやめようという、そういう意思が働くわけです。
ちょっとわかりやすい例で例えましたけど、
このように、考え方、価値観と意思は密接に関係しているっていうのは皆さんわかりますよね。
で、それをパウルは内なる人とか、心という言葉で表しています。
さらにパウルはそれを、この聖書の歌詞で突き進めて、
ここにありますけど、
見言葉や神様の見心を喜んで、それを行う意思を持つ、そういう意味で捉えていたんです。
神様の見言葉や見心を喜ぶ、そしてそれを行いたいという部分を、
特にパウルは内なる人、心と言っていました。
で、そのことがよくわかる聖書の歌詞がローマ人の手紙7章に書いてあります。
22節から23節です。ちょっと読める方読んでみましょう。
3、はい。
すなわち、私は内なる人としては、神の立法を喜んでいるのに、
私の体の中には異なった立法があって、
それが私の心の立法に対して戦いを挑み、
私を体の中にある罪の立法の虜にしているのを見出すのです。
ここに、内なる人としては、神の立法を喜んでいると言っています。
だからその人間の中でも特に神様の見心や見言葉を喜んで、
それを行いたいと思う部分が、いわゆる心とか内なる人という部分。
別の言い方をすると、もし私たちが、皆さんがですね、
聖書の言葉は素晴らしいな、神様の見心を行いたいなということがわかるのであれば、
それは皆さんの心、内なる人が働いているというか、そういうことなんですね。
内なる人が、うまく言えないんですけども、心が動いているということなんです。
09:04
でも、私たちいつも言っていますが、罪の性質が残るので、葛藤が起こるわけですね。
見心にそむいたことをしたりとか。
そのためにパウルは祈るんです。
この神様の見言葉や見心を喜んで行うことができるように、心を強めてください。
そのようにパウルは祈っているんですね。
まず最初は、強い心とは内面の強さ、特に神様の見言葉や見心を喜んで行おうとする。
それがその心であり、強い心だというんです。
2番目、どうやってその心が強くなるか。
それは、聖霊を授かりイエス様が宿ることによって、心が強くされるということなんですね。
この3章16、17節の見言葉に、こうありますね。
どうか御父がその栄光の豊かさに従って、
うちなる人に働く御霊により、力をもってあなた方を強めてくださいますように。
実はこれ、ギリシャ語では難しい公文になっていて、直訳するとこんな感じになるんですね。
神様によってあなた方が強められるように、
神が力を授けてくださいますように、
この力が聖霊によってあなた方のうちなる人に授けられますようにということです。
つまり強調点は、神が力を与える、神が力を授けて心が強められる、
そういう意味がこの祈りに込められています。
繰り返しになりますが、このように、
神様は私たちに聖霊を授けてくださって、私たちのうちなる人に力を与えてくださる。
ここでもコツがあります。パウロはそれを言い換えているんですね。
この17節前にありますけれども、
それはすなわち、聖霊によって心が強められるということは、
すなわち、信仰によってあなた方の心のうちにキリストを住ませてくださいますようにとあるように、
聖霊が心に宿るというのはイエス様が心に住むということと同じだということなんです。
さあこれはですね、理屈では理解しにくいですね。
聖霊とイエス様はどっちが住んでいるんですか?両方住んでいるんですか?
しかしよく言いますように、三味一体の真理というものがあるように、
そういうものもそのままそうだと受け止めて信じてください。
そしてその約束に信頼するということが大切なんです。
12:02
信じている私の中にイエス様が住んでおられるんだ。
神様は私に聖霊を授けて力を与えてくださるんだ。
そして私の心を強めてくださるんだ。
そのように信じて神に祈り求めていく。
人のために祈るということが大事なんですね。
そしてさらに大事なことはですね、
私たちは体は弱っていきます。
年とともにいろんな部分が痛くなったり、自由が利かなくなってしまいますね。
でもパウロはその内なる人は新しくなって強められていくって約束してるんですね。
この御言葉をちょっと見てください。
第2コリント4章16節ですね。
読める方は一緒に読んでみましょうか。
ですから私たちは勇気を失いません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
私たちの心、内なる人は聖霊によって、イエス様によって実は日々新たにされていく。
強められていく。
そういう希望があるということも覚えておいてください。
3番目、強い心。
その強さの源は、神の栄光の豊かさにあるということなんですね。
ちょっとまた繰り返しになります。読める方は3章16節抜粋、これを読んでみましょう。
3番目、どうか父がその栄光の豊かさに従って、あなた方を強めて下さいますように。
この栄光の豊かさ、それは神御自身の無限の豊かさというのです。
難しい言葉で言うと、栄光というのは、神の性質のすべてを総括した言葉、
Sum of Attributes of God という言葉ですが、神のご性質のすべてをまとめて表して言葉が栄光だとも言われていますが、
とにかく栄光の豊かさ、それは神御自身の無限の豊かさというのですね。
そしてもう一つ大事な言葉がここに、3章の前の部分に書かれています。
その前の3章の15節に、パウロは祈りの根拠として、このように言っています。
天と地にあるすべての家族の家族という呼び名の下である道の前に祈ります。
パウロが祈るにあたって、祈っている神様の豊かさを確認したりする、そういう告白なんです。
15:08
ここで言う家族という呼び名とは、イリシャ語でパトリアと言います。
父というのはパテールと言います。ちょっと韻を踏んでいるのですが、
男女同堅とか話抜きにして、昔は父から子孫がどんどん生まれていくという、アブラハムの子、イサクの子というように父から子孫が生まれ、部族が生まれるという考えがあったので、
その父を元にする家族という言葉には、部族や国民という意味であるんですね。
この天と地にあるすべての家族の家族という呼び名という言葉には、
天地万物すべて名のつくものは神様に由来するという意味なんです。
例えば、先週1週間、国際的な話題ではTPPとかがありましたね。
TPP、中国と台湾が入るとか、あるいはクワッドとかですね、4カ国がアメリカで会って、代表がアメリカで会っているとか、
そういう話題があって、いろんな国々がありますけれども、そういう国々、日本とかアフガニスタンということもこういう家族という呼び名ということに入っていますね。
あるいはすべて名のつくものは神様に由来するわけですから、例えば、このいろんな国々もそうですし、
太陽や月などの天体もそうですね。これ何かスーパー紙を噛んでですね、そこで観測されるニュートリノ、ほんのちっちゃな粒子も。
そしてこのイトカワという惑星ですね、地球と火星の間のイトカワという惑星で、
このハヤブサが言って石取ってきましたけど、こういうイトカワという惑星も、とにかく天地万物すべての大きなものから小さなものまですべて神様が作られて、
神様が保っておられる。神が存在を保っている。そういう意味がですね、この
すべての家族という呼び名の源の父という意味があるんですね。
だから私たちが偉大な神様という時にそういう意味があるわけです。
すべてのものの源であり、すべてを保っておられる節理の神様。
で、これがですね、神の栄光の富の豊かさということを裏付ける言葉なんですね。
つまり神様はケチケチして物惜しみする神様じゃないんです。
ある人よく言いますけど、金持ちほどケチだって言うんですね。
18:01
円単位でこう握ったり。でも神様というのは永遠の神様で、その富は無尽像であります。
この空がですね、秋の空、本当秋晴れ最近美しいです。中秋の明月なんかもありましたけど、
空が高く広くて、そしてその先が果てしないわけですよね、宇宙の果てまで。
そのような無限の豊かさの中から神様は私たちに必要な力を十分授けてくださる。
ケチケチ物惜しみせず、肝よく喜んで与えてくださるお方です。
そして私たちの内なる人を強めてくださる方です。
この神の豊かな、神の無尽像の豊かさを詩編の作者はこう歌っていますね。
読める方、一緒に読んでみましょうか。
ここ最初だけ私読みますね。詩編57編9節10節。
主よ、私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたに褒め歌を歌いましょう。
次読んでみましょう。3、あなたの恵みは大きく天にまで及び、あなたの誠は雲にまで及ぶからです。
続いて詩編103編11節読んでみましょう。3、天が地上はるかに高いように、御恵みは主を恐れる者の上に大きい。
私たちが力を求めて祈る神様は、これほど偉大な神様、無尽像の中から喜んで与えてくださる神様。
天を見上げる時に、そのことを覚え、神に頼りましょう。
最後のポイントです。最後は、ひざまずいて祈り求めるパウロの姿ですね。
3の14を読めるかで読んでみましょうか。3、こういうわけで、私は膝をかがめて道の前に祈ります。
3章14節。 昔の演歌にね、私祈ってますなんていうのがありましたけども、
パウロは祈っている。どうやって祈っているか。膝をかがめて祈っている。 これは非常に珍しい表現です。
パウロが育ったユダヤ教の信仰はですね、ひざまずいて祈ることはしません。ほとんどあまり。
よっぽどのことがない限り。だいたい立って祈る。あるいは手を挙げて賛美しますと言いますけど、立って手を挙げて顔を天に向けて祈るのがユダヤ教旧約聖書の一般的な祈りです。
新約聖書の時代になってから、ひざまずいて祈ることが一般的になりましたが、これは
感情の深みや真剣さを表す姿勢だというですね。 必死の祈りとか
21:07
心をすすぎ出す祈り。 新約聖書にいっぱいそういう例があります。
死んだ人のために祈ったペテロとかですね。 命を投げ出す前のステパノの祈りとか。
そして代表的なのがこの月瀬真似でのイエス様の祈りですね。
ひざまずいて、汗が血のように浸かった。このような
受難を控えたイエス様の苦しみも抱いて、ひざまずいて祈られたお姿もあったわけです。
私たちも時に心を注ぎ出して祈ることがありますね。 そして
その時に今日の見事場で示された神様の想像もできないほどの偉大さを思い起こして、
神様の前にひれ伏して祈ることもあるでしょう。 悩みの中で神様に力を求めて、神にすがりつく、
文字通りひざまずいて祈ることもあるでしょう。 その中で何を祈るか、今日のパウロの祈りを祈ってみてはどうでしょう。
神様精霊によって私の心に力を与え、私の心を強めてください。
うちなるイエス様が私を強めてください。 そしてまたパウロに習って、
私にある兄弟姉妹家族のために、身近な人のために祈ることもできるかと思います。 神に期待して力を求めて祈り祈り合うお互いでありたいと思います。お祈りしましょう。
天の父なる神様、皆を賛美いたします。
あなたが 私たちの想像もできないほど偉大な神様である
計り知れない富の御言葉にありますけど どうぞ知り尽くせないあなたの豊かさを私たちが知ることができるように
私たちを導いてください。 パウロのようにどうか私たちが
お互いにまた自らのためにあなたに会って、うちなる人、心が強められるように祈っていくことができるようにどうか導いてください。
この願いと感謝を救い主シューイエス様のお名前によって祈ります。 アーメン
それでは1分ほどそれぞれでお祈りしてください。