まずはちょっと最初に、宇都宮さんのことをもともとご存じの方にとっては当たり前というか、周知の事実なのかもしれないんですけど、
結構経歴が割と変わってるかなっていうのがあるので、ちょっとその辺りを聞かせてもらえたらなと思うんですけども。
今現在はデザイナーさんされてるってことだと思うんですけど、その前がウェブの製作会社のディレクターさんになるんですかね。
そうですね。
そのさらに前が、私が知っている言葉で言うと、いわゆる物資の方に入門といいますか、弟子入りしていたみたいな感じだったんですよね。
そうですね。
ちょっとその辺りを知らせていただいてもいいですか。
そうですね。大きく今、杉本さんおっしゃっていただいた通り、物資への支持の期間というのと、ウェブのディレクター時代というのと、あと今であるデザイナーの時代という感じで、3つ大きく分かれていまして。
ちょっと話していくと長くなっちゃうんですけども、なるべくかいつまみながらお話ができればと思います。
まず一番初めの物資への支持という時代ですね。
まず仏像を彫る職人のことを物資と呼ぶんですけれども、その物資に大学の卒業後にまず弟子入りをするという形で支持をしまして、仏像ですとか、あといわゆる木彫刻を彫るみたいな形の仕事からキャリアをスタートしていきました。
それはなんでなんですか?そういうことに興味があったっていうことなんですか?
そうですね。大学卒業する間際にどういう仕事をするみたいなことってやっぱり考えると思うんですけれども、その時に子供の頃から遡っていって、自分が何が好きだったのかみたいなことを一回紙に書き出してみたんです。
そうすると子供の頃からでいうと、学校の授業とかでいうと図工が好きだったな、みたいな。その中でも木彫刻が一番好きだったな、みたいなですね。そんな感じで出てきました、キーワードですね。
で、同じようにその子供の頃自分がグッと来てたものみたいなものをまあいろいろ書いていくわけですよね。そうすると書いていくと仏像っていうキーワードも出てきて、で、あ、仏像と彫刻を物資だ、みたいなですね。そんな感じで決めたみたいなのが当時の考えだったんですよね。
うーん、なるほど。じゃあ結構なんかその今はこの今話していただいたテンションは結構ノリで決めちゃいました、みたいな感じの温度感ですけど、当時はちゃんと真剣に考えた上でやったってことなんですよね。
うーん、当時の自分なりには多分真剣に考えてたと思うんですけれど、なんというか今から見ると物事の決め方として、なんというかそんなパズルみたいなね決め方ってどうなんだろうと思うところもありますね。
うーん、なるほど。なんかでも私はちょっとわかるような気がするっていうか、結構私は中学生ぐらいの時にまだ将来の夢も何も決まってないような頃に、結構なんかもうまさしく中学生だなっていう感じの考えなんですけど、なんかかっこいいからっていう理由で刀鍛冶とかどうやったらなれるのかなとかそういうふうに考えたりとかして、
で、あの図書室とか図書館とか行って、刀鍛冶になるにはどうしたらいいのかみたいな感じで調べてみたりとかしてたことがあるんですよね。なんというかわかるような気もしますけどね。
でもそういう感覚ですね。それがいい大人になってどうなんだっていう話ではあるんですけど。
でもなんかあれじゃないですか、私なんかも思い返すと結構そういうこと多いんですけど、その当時は割とちゃんと考えてそういう選択をしたなって振り返ると感じることって私はいろいろあるんですけど、当時はいろいろ偶然もあったのかもしれませんけど、そういう中で自分で進んで選んだ道ってことですね。
そうですね。そこだけはちゃんとあるんですけどね。
実際どうだったですか、そのお仕事的には。
仕事的には、まずはじめはやっぱり何もできない状態なので、もう本当になんというか見習いみたいな感じなんですね。
一番初めは彫刻を掘るときって大体100本ぐらいの実を使うんですけど、それをまず研げるようになることから。
なるほど。
100本の実の研ぎ方がやっぱり違う。
なのでもう朝から晩まで研いでるみたいな感じですね。最初の1、2ヶ月ぐらいはですね。
でも研ぎ終えたらやることないんで、とにかくお館にくっついて何をやってるかを見るみたいな感じですね。
あのあれですね、落語とか多分、そういう伝統芸能の世界に近いかもしれないんですけど。
とにかくお館の後ろについてやってることを見て、そこから何かこう学んでいくみたいな。
考えて学ぶみたいな感じですね、多分ね。そんなようなことをしていましたね。
で、だんだんこう少しずつ小さいものから掘らせてもらうようになっていって。
で、ちょっとずつちょっとずつ掘っていくと。掘れるようになっていく。
で、仕事も終わった後とかね、週末とかなんかはやっぱり自分でも見よう見までで掘って。
それをお館だったりに見てもらって。みたいな感じでちょっとずつこう掘れるようになっていったら、そこから任される仕事も増えていくみたいな。
そんなような感じで進んでいった感じですね。
なるほど。実際それをお仕事にされていた期間は長かったんですか?
3年半ですね。3年半ですね。
3年半だとまだ一人前になれなさそうな感覚がちょっとありますけど、どうなんですか?
そうですそうです。まさに一旦区切りとしては5年っていうところが当時は言われていたんですけど、
ただ5年経ったところで独立される方も一部はいるんですけれど、やっぱり多くの場合は10年ぐらいは親方の下でそのまま働かれて、その後で独立みたいな方が多い傾向があった気はします。
なるほど。結構同門というか、お弟子さんたちいっぱいいる感じの場所だったんですかね。
私いた時は、その時にいた兄弟子はお一人だったんですけれども、そこから先輩にあたるような兄弟子ですね。独立されているような方も何人かいらっしゃったような子たちですね。
でも、少ない方だったとは思います。多いところですと、その一箇所というか一時に10人ぐらいのお弟子さんが抱えてらっしゃるような大きいところもあったりもするんですけれども。
すごいな。全然想像がつかないけど、結構いるもんなんですかね。まったくどんな業界、業界って言っていいのかわかんないけども、どういう世界なんだろうっていうのが想像つかないですけど。
でも要は伝統工芸の職人さんみたいな感じですもんね。
はい、まさにそういう感じですね。おそらくですけど、今は本当に多分少ないんじゃないかなと思いますね。
当時も新しく入ってくる人、やっぱり減ってるって話はよく聞いていたので。
なるほど。なんかどうなんですか。その頃の経験が今となっては実は何かの役に立ってるとか。
そうですね。多分でもいくつかあると思うんですけれど、1個はやっぱり見て学ぶというか、基本的には教えていただくことっていうのはないんですよね。
やってることを見て、何でそれをやってるのかとか、何かどこに力を入れてて、だからこうなってるのかみたいな、力の入れ具合だったりもそうなんですけど。
そのやってる行為をすごく注意深く見るっていうところですね。そこから自分が感じ取って学び取って、それを自分でやってみる。
で、親方に怒鳴られてきたんですね。そういう自分で考えるっていうことをすごくしていくっていう訓練は、養うことができたんじゃないかなというふうにはすごく思うところはありますね。
あとは、やっぱりすごい厳しい親方だったんで、めちゃくちゃおっかなかったんですけど。
基本的にはやっぱりその、「はい!」とか、「ありがとうございました!」くらいしか自分は言葉を発してないんですよ。その3年半くらいの間。
基本的にやっぱりその、親方が言ったことをそのまま丸呑みするというかですね。
何か、やっぱり初めのうちっていうのは特にそうだと思うんだけど、何も型がないような時というのは、先人が積み上げてきたものっていうのをそのまま丸ごと受け取るというかですね。
何かそういう体験って、なかなか少ないじゃないですか。
そうですね、そうですね。
もちろんそれが現代的じゃないところがすごくあるんですけれど、ただ何というか、そういうのをやってみて気づいたこともいっぱいあったなっていうのは、今から振り返ることですけど。
何かわかる話かな。私はやっぱり剣道とかもやってたし、武道の世界もそうなんですよね。やっぱり何か手取り足取り教えてくれる。
部活、せいぜい部活だったので、そういう意味では先輩方が手取り足取り教えてはくれるんですけど、先生とか師範みたいな人たちはあんまり手取り足取り教えてくれなくて。
とにかく先生に向かって休みなく突っ込んでいかなきゃいけないみたいな空気があって、突っ込んでいくんですけど、先生たちはいなしてるだけで、
あんた方は疲れなくていいよな、こっちは全力で突っ込み続けてるからもうヘトヘトだよって思いながら突っ込み続けていくんですけど。
そういうのも現代的ではないですよね。でも私は結構学生時代を思い返してみると、ああいう育て方されたのは別に今となっては経験値としては良かったのかなって思っちゃいますけどね、なんとなく。
たぶんこれ後になって振り返ってわかることみたいなところってすごくあるんじゃないかなと思ってて、
肩みたいなものって、初めはあんまりしのごの言わずにやるみたいな、それによって体に覚えさせるじゃないけど、一旦まず理屈は抜いておいて、まずそれをひたすらやってみる。
やってみて体に覚えさせて、だんだんその肩が自分に馴染んできたら、だんだん自由になれるというか、そういう段階みたいなものはあるんじゃないかなっていう気もしていて、それはもちろん後になって気づくことなんですけれど、
特に後になってというか、今から思ってぐらいのレベルなんですけどね。そうですね。
なので、やっぱりその昔から続いてる教え方というか学び方には一見非合理、一見合理的じゃないと思うけれど、でもなんだかんだ実は理にかなってるものもあるんだろうなーみたいなのは改めて思いますよね。
そうですよね。私は本当におっしゃってることすごいわかる気がします。部活でむちゃくちゃさせられたから、大概のことは大丈夫だなって思えちゃうし、あれができたんだからまあ大丈夫だろうみたいな感覚はあったりするし、
その経験って人生トータルで見たときにプラスなのマイナスなのって言われるとちょっと判断難しいんですけど、でも乗り越えてきたなっていう自信にはなってるような気はするんですよね。だから、前時代的だし、現代ではね、それこそやっちゃいけないと思うんですけど。
でも私は結構肯定的に捉えちゃうというか、自分がそういうところに身を置いてきたっていうのもあると思うんですけどね。割とそういうやり方も正解ではないにせよ、一つ何か得られるものはあるなーとはやっぱ思いますかね。
なるほど。でも結局3年半で離れてしまったのはなぜだったんですか、それは。
それがですね、やっぱり始めたきっかけがさっきちょっとお話したような、「そんな決め方していいの?」みたいな決め方だったので、今から思うと本当に恥ずかしいんですけれど、仏像を彫りたいっていうことぐらいしか本当に考えてなかったんですよね、当時は。
大変だったし、しんどかったですけれど、仏像を彫っていること自体はすごく楽しかったので、そこについては何らないんですけれど、やっぱり始めてみるとだんだんこう、実情がわかってくるというかですね。
特にあの、親方のお仕事の状況、受注状況ですとか、あとは独立された兄弟子のお仕事状況とかですね、こう、だんだんわかってくるんですね。
そうですね。
これは生活していくのはかなり厳しいぞということを、だんだん不安を感じ始めてしまいまして。ただ、本当は今、これも今思えばの話なんですけれど、そこでベースとなるような技術をきちんと身につけておけば、それはその、例えば領域は自分でいくらでも変えられるじゃないですか。
はい。
なので、その、ああもう木彫刻の業界終わったみたいなですね。思い込む必要って本当は全くないし、むしろ自分が身につけた技術を違う形に転換できる、ある意味チャンスみたいなところもあるわけなんで、本当はそんなに不安がある必要はないんだよっていうふうに、今だったら言ってあげられるんですけれど。
そうですね。
当時は本当に、特にあの、修行していた頃、師事していた頃というのは、もう本当に閉じこもっていて、全く親方と兄弟子以外の方とは会わずに、ひたすら彫ってるっていう、かなり堅いことで生活をしてたんですよ。
はい。
なので、やっぱり視野が相当狭くなってたっていうのは、やっぱりあるかなと思っていて、その、これはやばいぞって思い始めてしまったら、ああちょっと何とかしないと何とかしないとみたいに、ちょっと変な思考にぐるぐる回り出しちゃって、
まあちょっと仏像は諦めようというふうに判断しちゃったみたいなところが当時だったんですね。
いやでも結構、結構な決断だったんじゃないですか、それ自体は。
そうなんですよね。
なんかその、その先がだって、想像できないまま辞めるしかないですもんね、そういう場合って。
そうなんですよ。
その先どうしようっていうのが。
いや本当にそうなんですよ。
辞めるにせよ、何をするっていうことも全く決めてなく、当然ながら就職先も決めてなく、ただちょっとこのままじゃやばいみたいな、本当に正体不明な不安だけですよね。
実態のない不安だけがある状態で、まあ渡るようにっていうとちょっとあれですけれども、やっぱりちゃんと腰をすげて考えた上で辞めるっていうところに立っていなかったんで、当時は。
お先真っ暗みたいなところはありましたね。
そう、今だから笑って振り返れるけどね、多分当時はちょっと結構な決断だったんじゃないかなと思いますけどね。
特にその3年半の間ってもうこもりにこもっていたので、全く情報にも何も触れてないくらいこもり方だったんですよ。
親方もとても厳しい方だったので。
はい。
なので、なんていうか浦島太郎じゃないですけれども、かつ今後の自分もよくわからないみたいなんですね。本当に真っ暗な状態でしたね、当時は。
なるほど。そこからもういきなり自分なりに考えて職探しとか、いろいろ経た上でウェブ系に行くって感じなんですか?
そうですね。半年ぐらいはやっぱり何も決まらずフリーターみたいなことをしてたんですよ。
そうするうちにネットを徘徊するようになりまして、そこでウェブサイトっていうのが当時いろいろ作り始められつつあったみたいなところの存在を知って、
中村雄吾さんのモナリザですよね、フラッシュサイトの出会いまして、めちゃめちゃ衝撃を受けたんですよね。
何このかっこよさっていうかっこよさで、いまだにウェブサイトで言うとあの時の衝撃を超えるような出会いというのはないくらいの衝撃度で、しびれてですね。
ちょっとこういうことに関わる仕事がしたいなと、その時に思いまして、デザイン会社に応募をしまくり、案の定大量に落とされまくりみたいなですね。
あった後で、本当にすっごく小さなデザイン会社に、なんというか、強いて言うならアシスタントみたいな形で何とか盛り込ませていただくことになったんですね。
そこからアシスタントのディレクターみたいな形になっていって、だんだんディレクターみたいな立場を埋め直していただくようになって、ちょっとずついろんな経験させていただいて、
そこからいろんなウェブのプロダクションですとか、広告の代理店ですね、みたいな形に移っていきながら、本当にわゆるコーポレートサイトの政策ですとか、ウェブの広告のキャンペーンサイトとかですね、
そういったもののディレクションに携わるようになっていったみたいな。それが大体10年ぐらいの期間あったというような感じです。
たぶんその生涯のキャリアの長さで言うと、ディレクター時代が一番長い感じなんですか?
そうなんです。ディレクター時代が一番長くてですね。
これは本当にちょっと失礼に聞こえてしまったら申し訳ないですけど、今初めて宇都宮さんと対面、対面ではないんですけど、ブラウザ越しに今やり取りさせていただいている感じは、物越しは確かにディレクターさんっぽいっていうか。
そうですか。
たぶんこういう感じでプロジェクトを進行していくんだろうな、この柔らかい感じで進行していくんだろうなっていう感じはしますけどね。
そうですか。それはでも嬉しいですね。
私なんかは結構、こういうノーマライズFMとかはまだいいんですけど、仕事で誰かと打ち合わせってなると結構むすっとしちゃうっていうか。
そうなんですか?
ちょっとクールぶっちゃうような感じのところがあるんですけど。
結構ディレクションされる方たちってみんな優しいというか柔らかいような感じのオーラを持ってる方が多いなっていう気がするんで、そういうものを宇都宮さんの振る舞いの中に感じたような気がしたんですけど。
ありがとうございます。
でもディレクター自体、別に制作自体をしたいっていうよりは、もうディレクション自体で全然当時は不満がなかったというか楽しくお仕事されてたみたいな感じですか?
これも今から思うとではあるんですけど、基本的に私の人生は今から思うとの連続なんですけれど。
一番初め、なんでデザイナーじゃなくてディレクターになったのかっていうところから、ある意味道を間違えてしまったというかですね、ところがあるんですけれども。
自分はこれが好きなんだな、楽しいんだなって分かったっていうところまでは全然ハッピーな話なんですけど、それで食っていくぞっていうところにまたでかい壁があるわけじゃないですか。
そこはどうだったんですか。
これもでもなんていうか、幸いなことにフリーランスだったので、自分が受注してくるようなお仕事っていっぱいあったわけなんですね、その当時、ディレクターとしてですね。
で、その受注してきた仕事みたいなところを少しずつ細分化していって、この単純なこのタスクは俺やろうみたいなですね。
で、ここの部分は外部の方にお願いしようとか。
で、外部の方にお願いしたデザインだったりを見ながら、ああこうやるのかみたいな感じで覚えていったりとかですね。
ちょっとずつちょっとずつ学んでいきながら、で、だんだんこうデザインのタスクの部分を高めていって、で、ちょっとずつそのフリーランスの一応デザイナーみたいな形の見え方で実績をちょっとずつ積み上げていくみたいなことをしてたんですね。
で、デザインを始めようと思ったのは38だったんですけども、そこから2年ぐらいかな、そんなような期間を得て、40ぐらいになったタイミングで、すごいおそろおそろだったんですけど、当時は。
肩書きに初めてデザイナーとか。いいんだろうか、俺。
でもそこはまあ嬉しさもあったんじゃないですか、そこは自分なりに。
そうですね、そうだと思います。もう名乗ってもいいかもしれないなみたいな風に、でもいいんだろうかみたいなものの半々ですよね。
いやわかる気がする。なんか私も自分がプログラマーって名乗っていいかすごい悩んだ時期がありましたね。なんかこれも結構ノーマライズFMで話してることではあるんですけど、私はその全然違う業界で働いてたときに趣味でプログラミングをしていて、
WebGLの人みたいな感じで有名になっちゃったとき、なってきたときはまだ全然プログラマーではなくて、サンデープログラマーだったので、仕事としてプログラムを書いてる人ではなかったから、実際にその肩書きいつから名乗っていいのかって、なんかすごい考えてしまったような時もあったんで。
周りはなんかすごい、あのWebGLの杉本さんですかって周りは言ってくれるんですけど、いや俺なんか普段フォークリフト乗ってんだけどなーみたいな感じで。
わかる気がします。なんかその、デザイナーって名乗っていいのか、いやでもここは名乗らなきゃダメだなみたいな気持ちもやっぱ同時にあるじゃないですか。
そうなんですよね。
やっぱ自分なりにけじめじゃないんだけど、ちゃんと肩書きを書いて。
名乗ることでね。
そうですね。名乗ることで本当にそうだと思います。
なるほど。じゃあそういった感じで、だから多分フリーランスだったのが宇都宮さんの場合は結構よくプラスに作用したというか、自分でハンドリングしながら少しずつ比重を変えていくことがうまくできて、
その40の時にデザイナーと初めて名乗って以降はもうずっとデザイナーさんとして現在に至るって感じですか。
そうですね。そういう感じですね。
なるほどなぁ。なんかすごい、何だろう、過剰書きにして経歴を拝見するとすごいなんか不思議な感じなんですけど。
この分断は何なの?
そうですね。でもお話聞きながら振り返ってみると、なんかちゃんと繋がってんだなっていう感じはしますけどね。
いいことばかりではなくてもちろんトラブルだったり体が壊されたりってあったと思うんですけど、ちゃんとその理由があって今に至ってるんだなっていうのはすごく分かりました。
なるほどなぁ。
じゃあ今はご自身では結構なんかその満足されているというか、デザイナーとしてどうなんですか。今もやっぱ修行している感覚なのか、毎日楽しく過ごしているみたいな感覚なのか、どういう状態なんですか。
楽しいは楽しいんですよね。やっぱり自分の生活っていうところと仕事っていうところと人生みたいなところがちゃんと地続きになっている実感はあるので、そういう意味ではとても満足度の高い状態にはあるだろうなというところなんですけれども。
ただね、それはそれとしても、もちろん自分が至らない部分っていうのはたくさんあるわけなので、SNSを見てすごい実績をね、へこむみたいな。
ありますね。
俺向いてないわみたいなですね。そういうところはやっぱり毎日のようにありますよね。
まあそうですよね。多分そういう感じだから日々努力し続けられるっていうのもあると思うんで、大事な感覚だとは思いますけどね。
楽しいっていうのはでもありますよね。基本的にはデザインしてると結構時間を忘れちゃうので、多分そういうところはすごくいいところなんだろうなと思いますね。
手がけられてるのは結構ウェブのデザインっていう感じですか?
そうですね。もちろんロゴですとか、ビジュアルアイデンティティとかグラフィックみたいな事例もあるんですけれども、でもウェブのやっぱりデザインっていうのが8割ぐらいとかかなぐらいは占めているところもあるので、
あと自分自身もやっぱりウェブのデザインが一番好きなんですよ。デザインしてて一番楽しいなって思うところでもあったりして、もちろんそれぞれやればやるだけ面白さっていうのは見つかるんですけれども、
ウェブはすごく好きなので、その意味ではやっぱり比重も高いかなとは思いますね。
なるほど。今回宇都宮さんをゲストに呼ぶにあたって聞いてみたいなと思ってた部分なんですけど、ポートフォリオとか株式会社Cのコーポレートサイトなんかもそうだと思うんですけど、結構縦書きをよく使ってらっしゃるイメージがあって、
なんでもかんでも縦書きにしてるっていうことではなくて、たぶん自分の裁量が広い場合にデザインの候補の一つに縦書きが入る感じなのかなって思ってるんですけど、
なんか私の勝手な先入観ではその物資の経験があるとかそういうところからなんか和のテイストがめちゃくちゃ強い人なのではみたいなジャスをすごくしてたんですけど、
なんか今お話聞いてみると別にそんな感じでもないなっていうのがあって、だとするとあの縦書きにこだわったデザインとか、何があれを生み出してるのかなっていうのがちょっと気になってて、
っていうのはその前にバケモノの遺跡さんがゲストで出てくれたときに、結構その日本人の感性が今後世界で認められることってあるかもしれないよねみたいな話をするときに、
縦書きで右から左に流れていくみたいなことだったりとか、そういうのって結構日本人の方が感性的に世界で優れてるんじゃないですかねみたいな話を当時したことがあって、
結構それ私の中で忘れられない話っていうか、本当にあるんじゃないかなってずっと思ってた部分があったんですね。なので宇都宮さんのポートフォリオサイト拝見したときに、これなんかその答えにかなり近いのかもしれないって、
私は全然デザインとかわかんないんですけど、当時拝見したときはその遺跡さんと話したことを思い出したんですよね、あのサイトを見たときに。だからなんかその、これもしかしたら私の勝手な印象なのかもしれないですけど、
その宇都宮さんの中に結構その日本的なものとか、和のテイストを感じるものっていうのが結構強く意識されたりするのかなーっていうのはちょっと伺ってみたいなと思ったんですよね。
おだしょー ありがとうございます。見ていただいてめちゃくちゃ光栄です。
そうですね、まず至高という意味ではすごくあります。
特に日本の芸術ですね、とても個人的にやっぱり好き、ずっと好きだっていうところがやっぱりあるんですよね。それはなんというか、ごく自然に受け入れられる美しさというものがあると思っていて、
特にやっぱり日本は四季がね、最近はちょっと春とか秋とかほとんどなくなってきちゃってはいるんですけれど、やっぱりその四季がちゃんとあって、その季節の移り変わりがあって、その移り変わるっていうところの中に美を見出すというかですね。
そういう感性、とても繊細な感性ですよね。そういうところってすごく自分自身が一番惹かれる部分っていうところがあるので、そういう美意識への自分の意識はとても、多分これは変わらずずっと持ち続けているものなんだろうなと思うんですね。
根底として多分あるような、ある種自分が最も憧れるような感受性というか、持っていたい感受性だなというのはすごくあるっていうのが一点と、あと一方でその表現っていうところに転換したときに、それまさに多分先ほどの伊関さんの話に多分通ずるところがあると思うんですけど、
やっぱりその良くも悪くも表現ってやっぱりグローバル化に伴ってフラット化していってる部分ってあると思うんですね。これはデザインで限らず、あらゆる表現に通ずるものだと思うんですけども、そのフラット化している状況っていうところの中で、
日本人が作ってもアメリカ人が作ってもドイツ人が作ってもベトナム人が作っても変わらないようなものっていうところの中ですと、それなんていうか、すごく自分自身をどう世界の中で位置づけるかっていうところの中でやっぱり埋没してしまうっていうところはすごくあるなーっていうところはずっと考えてはいたんですね。
そう考えていくと、やっぱり自分は日本人であるし、特にその日本的な美意識みたいなところにとても惹かれるっていうところがあるわけなので、そこに従ったものづくりというかその表現ですね、をしていくというのが多分世界の中でどう自分を位置づけるかっていう中では、多分ベースになるんだろうなーっていうのはとても意識はしてるんですね。
なるほど。
で、そういう意味でその表現が日本的なモチーフを用いるとかですね、そういったところっていうのはやっぱり出てくるんだろうなーっていうのもあるし、意図的に使ってるっていうところもあったりします。
なるほど。これ多分人によって答えも違うし取り組み方も人それぞれだと思うんですけど、結構宇都宮さんの中ではやっぱりデザインの中に自分自身の表現っていうのが結構強めに入ってるというか、しっかり表現したいなーっていう気持ちがちゃんと奥底にあってデザインされてるっていう感じなんですね。
そうですね。厳密にはクライアントワークではほぼ何も出してなくてですね。
自分では出してないつもりですけど、ちょっと分からないですけど、出ちゃってるかもしれないんですけれども。
Cのコーポレートサイトと自分自身のポートフォリオサイトの2つに関しては、ある意味自由にやっていい領域なので、そこだけ自分がぼんやり考えていたところをある種ちょっとぶつけてみるというか試してみる場としてはすごい合っていたので、そこでやってみたみたいなところはありますね。
ただクライアントワークではやっぱりそのもちろん目的が違ったりとか当然するので、そこはあまり出てくるところは多分ないんじゃないかと思ってるんですけれども。
そこは多分やっぱり人それぞれだったり、あるいは組織とかチームの目指しているところによって変わってくると思うんですよね。
例えばチームラボさんみたいなところって、もうチームラボだなってパッと見で分かるというか、たとえそれがクライアントワークであっても自分たちのカラーをちゃんと落とし込んだものが多分アウトプットされることが多いと思うんですけど。
でも結構ウェブの制作だとやっぱりクライアントワークだったらクライアントさんありきで動くべきだなっていうことが多いと思うし、一方でクライアントワークであっても滲み出してきてしまうあの人たち感みたいなのもあるじゃないですか。
たぶんそこはどういう感じの方向性でやっているかによると思うんですけど、宇都宮さんご自身はそこは結構しっかり切り分けているというか、クライアントワークはあくまでもお客さんありきみたいな感じは結構徹底されている感じですか。
いやーこれもそのこれすごい大事なテーマだと思っていて、やっぱり自分のその先ほどの話を振り返ってもそうなんですけど結構その自分の思い込みによってあの自分はこうこういう役割でこう動くべきだとかですね結構自分で決めちゃうというか自分で枠を決め過ぎてしまう嫌いっていうのはやっぱり多くあったんですよ。
たぶんそのちょっと昔のタイプの人間だからだと思うんですけど私が、なんか変に真面目すぎるというかですね、型に合わせようとしすぎるみたいなところも傾向があったので、ある種そのデザイナーはクライアントワークに対してプロとして結果を出すべきみたいなですね。
ある種のその思い込みに近いような部分というか、そういうところにやっぱり縛られてきてしまっている部分がすごいあるなっていうのはすごい実感はしてるんですよね。
一方でその人が何かを作る、あるいはそのクライアントも人なのでその人と自分とが出会ってものが作られるっていうところで、その場でしかできないものができるはずなんですね。
本来はクライアントとか受注者発注者みたいな関係は超えて、本来はもうちょっと溶け合うものだろうなと思ってるんですよ。
で、ちょっとそういうふうなものづくりの仕方っていうのはもっとできるはずだし、たぶんそういうふうにしていかないと、何ていうか、豊かなものにたぶんならないんだなっていうふうにちょっと思ってるんですね。
すごい理想論なんですけれど、でもある意味そのAIがやっぱりどんどん進化していけばいくほど、アウトプットっていうのはたぶん一定レベルのものって高いものが作れる状態になると思うんですよね。
で、対してその自分のやってる仕事っていうのは、ある入力インプットに対してこういうふうに変換して、こういうふうに出力するっていうその3段階だと思ってるんですけれど、出力するっていうところがいわゆるデザインみたいに捉えられがちだったとは思うんですけれど、
実際のところはすごく肝になってる。そのある入力に対して、こう変換、こう解釈してこう変換するっていうところだったりするんですよね。出力っていうのはある意味、結果みたいなところもあって、
そのこう変換する、こう解釈してこう変換するっていうところって人間の部分じゃないですか、すごく。かつすごく俗人性の高いところだと思うんですね。その人じゃないと、その人だからこういうふうに解釈したとか、あるいはこういう入力、こういう人と出会うことによって初めてこう変換されたみたいなところもすごく偶然性の高いところもあったりするところがある。
なんというか、そこに目を向けていった方がいいんだろうなと思ったんですね。そうすると、そのクライアントと自分たちのようなデザイナーとの関係性みたいなものとか、あとはプロジェクトの進み方とかプロジェクトの作られ方とかですね。
なんか多分、もっと溶け合うようにしていった方が多分いいんだろうなみたいなのは結構感じるようになってきていて、特にここやっぱり数年になって感じるようになってきていて。で、やっぱりたまにそういうプロジェクトに近いようなものがあったりするときもあるんですね。
プロジェクトっていうのはやっぱりこうあるべきなんだろうなというか、そのものが作られていくことって多分そういうことなんだろうなみたいにだんだんちょっと思うようになってきていて、ちょっとそのプロジェクトのなんていうか、あり方の試行錯誤をこれからしてみたいなってちょっと思ってたりするんですね。
そうすると多分、すごい俗人的になっていくはずなんですよ。自然と特にデザイナーでよく言われる話として、その作家性みたいな言葉ってあると思うんですけれど。
それってそのなんていうか、ある意味その人らしさというか、その人じゃないとできないものみたいなところだと思うんですね。そういうところがやっぱり高まれば高まるほど、その人が仕事をする意味とか、その人が社会にいてその人が働く意味とか、なんていうか、もっと個人が多分浮き立つはずなんですよね。
そうするとやっぱりもっと豊かなものに多分なるはずだと思うんで、なんかそういうものづくりってもっとできるんだろうなーっていうのをちょっとぼんやり思ってるんですね、最近。
うーん、なるほど。今のお話ちょっと伺ってて思ったんですけど、うちのみなさんが多分、普段からこういうことずっと考えてるんだろうなっていうのはわかりました。
たとえば今お話いただいたことって、即興で作れるような順度の磨かれ方じゃなかったなって感じたというか、やっぱり普段から自分に対しても周りの周辺に起きてることに対しても常に気を配って観察して考えてって、繰り返してる人にしか喋れない話だったなって今の話を思うので。
たぶん世の中の平均は言われたことをやるだけが平均だと思うんですよ、基本的に人間の多くのどんな職業でもだいたいそういう人が平均だと思うんですけど、たぶん今の話はなかなか聞けない。
たぶんここの順度まで持ってってる人なかなか見つかんない系のやつだなって思いました、話聞いてて。
いや結構私とかも、なんだろう、日常的にぐるぐる考えちゃうことっていろいろあって、AIの登場に対して感じることとか、自分の職業に対して感じることとかいろいろあるわけですよね。
やっぱCGも、それこそAIの得意領域っていうか、人間いらないんじゃないっていうふうになりがちな職業かなと思うんですよね、グラフィックス関係って。
でもそういう中でも、じゃあ自分たちの価値ってなんだろうとかっていうことを、考える人と考えない人っていう線引きがまずあると思ってて、考える人の中にもやっぱりどこまでそれを突き詰められるかっていうところに個人差があると思うんですよね。
私は結構そういうの考えちゃうんですけど、宇都宮さんの今のお話は結構潜ってんなって思いましたね。結構深いところまで行っちゃってんなって思いましたけど。
なるほど。やっぱ複雑なところの味わいっていうんですかね。それが今たぶん豊かっていう言葉で表現されたと思うんですけど。
ただ単に条件反射で入力に対して、統計的にこれが答えだからってパッて返ってくるような、そういうロジカルなものではなくて、もっと複雑回帰というか、そこがたぶん豊かってことだと思うんですけど。
そういうところをもっともっと探求していけたらなみたいなとこなんですね、たぶん。
なんていうか、できてみないとわからないけど面白いなって。
最近クライアントワークとかでも、あんまり提案を、例えば提案を通すみたいな考え方って、なんていうか、やっぱりつまんないなって思ってて。
初めこういう案を作ったんだけれど、できたらものはあら違うわみたいなんですね。でもこっちのほうがいいかもって結構最近増えてきていて、そういうほうが楽しいなって思うようになってきたんですよね。
それってその担当者の人がいて、自分が出会って初めてできたものじゃないですか。
それってすごい価値あることだよね。
いやー、やっぱ日本人っぽいな。そういうのをちょっと日本人っぽい感じがする。
あんまり、なんだろう、うまく言語化できないな。
よく言われるのが、わびさびみたいなことよく言われると思うんですけど、それに近い日本的なものを感じる気がするな。
何なんだろうな、ちょっと私がうまく言語化できないですけど、たぶん宇都宮さんの中にあるアイデンティティがやっぱりちゃんとしっかり日本人的っていうか、そういうところがあるのかな、なんか考え方が。
まあ私も結構日本人的考え方すぐしちゃうっていうか、結構古い人間だからっていうのもあると思うんですけど。
わかります。たぶん自動化されないことっていいなと思っていて、自動化されないっていうことは予定調和でないっていうこともあるし、すごく偶然性に左右されるものだと思うんですね。
そういうところの中にある揺らぎみたいなところの中に楽しさとか豊かさを見つけるみたいなところの感覚ってすごく日本人の自然感みたいなところに多分重なるところもあると思うし。
そうですね。本当おっしゃる通りだと思います。なんかやっぱり季節を感じて、なんとなくぼんやりしただけで過ごしちゃう時間とか、すごい大事ですもんね。
やっぱそういう時間ない毎日を過ごしちゃうと、本当になんか豊かじゃないって。なんか豊かって言葉ばっかり使っちゃってあれなんですけど、心がやっぱり豊かじゃない状態になっちゃうなっていう、私の経験的にもそんな気がするし。
なんかこう外とか星景色とかぼんやり眺めてるだけみたいな時間って結構大事かなって最近よく感じることではあるんで。
なんかキーワードは遊びってことかなと思ってて、揺らぎがあるってことは遊びがあるってこともあるじゃないですか。
そうですね。
で、楽しいっていうところも遊びみたいなところあったりするじゃないですか。だからその、なんというか、きっちりネジが締まりきってない感じというか。
たぶんその遊びがあるから、作られるものもいろんな可能性が開かれてるんですよね。
たぶんそういう状態をプロジェクトの中にどう組み込むことができるかとかですね。
デザインのプロセスでもどういうふうにその遊びの部分を持たせられるかとか、人との協業の仕方とかもそうだと思うんですけど。
そういうふうにもうちょっと自分が柔軟にあれたら、たぶんもっとなんか伸びしろがあるんだろうなあっていうのを見ていて。
まあでもやっぱりその、私もすごく頭の硬い人間で真面目に生きてきちゃったんで。
昔からの考え方、特にやっぱり植え付けられてしまったような、こうでなければならないみたいなですね。職業観に結構やっぱり縛られてるんですよね。
そこをちょっとずつ、もうちょっとやっぱりちょっとずつという意味で開放していけると、たぶん今後も楽しんだろうなあって思いますね。
いやーなんかちょっと私がちょっとその宇都宮さんの純度に唐突できてない感じがして、なんかちょっと申し訳ない気持ちがしますね。
同じレベル感になってなかったら話が通じないじゃないですか、そこって。
だからちょっと私が宇都宮さんレベルにまでちょっと純度が高められてないのが申し訳ない感じがしますね。
まあでもこれは本当になんというか、単なるまだ妄想みたいなところで、こうあったらいいなぐらいぼんやりしたものなんですよね。
まだ実態が伴っているものではないので、むしろね、実際のリアルな経営者の方々とかって、やっぱり日々そういうことと向き合われてると思うんで。
逆にそういう方と話をもっとしないとなーみたいなのは思ったりもしつつ、結構こもっちゃうタイプなので。
でも最近結構いろんなところでインタビューだったり対談だったりとかされてるイメージですけどね。
ここ数ヶ月かもしれませんね。やっぱりディレクター時代の10年にわたる黒子生活というものがすごく染み付いていてですね。
なるべく表に出ないというかですね、なるべく奥に奥にいるようにしようみたいな意識がすごく強くて。
それであまり接する機会というのが少なかったことがあるんですけれども、本当にどんな偶然かちょっとわからないんですけれども、
たまたまお声がけいただくような機会がちょっとずつ最近急にいただくことも出てきて、
自分なんかがみたいな意識がすごい高かったんですけど、これは今日もこのままだったんですけれどもね。
何というか、やってみると実は苦手だったんじゃなくて、これは慣れの問題だったんだなみたいに思うこともこの年にしてようやくわかってきてですね。
本当にノーマライズFMはそんな格式高いものではないんで、絶対いいんですけど。
ただ宇都宮さんがおっしゃってることもわかるんですよ。
私も結構最初、勉強会のゲストに登壇してもらえませんか?みたいに言われたときは、え?ってなりましたもん。
自分なんかが人に公釈を垂れる側をやるんですか?みたいな感じの感覚はすごいわかるし、
さらにその先の、やってみたらこれ意外とやればやるだけできるなみたいな感覚だったりとか、
あとはやってみた結果起こるプラスの作用みたいなものって、やってみないとわかんないじゃないですか。
なんかすごく巨大な壁のように感じてるけど、思い切って飛び越えてみたら、実は思ってたよりそんな壁高くも分厚くもないし、
実は越えた先にすごくいいこと、いろいろ自分が想像してなかったような広がりがあるじゃないですか。
たぶん私も宇都宮さんに声かけたかどうかって関係してると思うんですよ。
最近よく見るなってことは、声かけたら出てもらえるかもなっていう思考はたぶん私の中でも働いてたはずなんですよね。
やっぱ露出が増えることって、自分が想像している以上に社会に大きく、実は薄く広く広がってるっていうか影響が、
そういうのあるなって私自身は感じることが多いですよね。
だからWebGL総本山とかノーマライズFMとかやってると普段本当にこんなことやってて何の意味があるのかなって思うことが多いんですけど、
でもたぶんこれがあったことで起こったことってすごくいっぱいあるのかなって私は思うんで。
間違いなくそうだね。
だからたぶん宇都宮さんご自身が殻を破ってじゃないですけど、
最近いろんなところで活動されたり、例えばインタビューとか対談に応じたりみたいなこともすごくプラスにせよしてんじゃないかなって私は思いますけどね。
一つちょっと役割を見つけたみたいなところが最近あってですね。
呪いを解くというかですね。
例えば自分で言いますと38歳でデザインをいきなり始め、デザイナーと名乗り始めるのが40歳からみたいな。
結構ちょっと珍しいタイプのキャリアだと思うんですよ。
デザイナーというのはある意味一般的な見え方みたいな形で言ってしまうと、
感性がすごく大事で、センスがとても大事で、それは若い方が担わないとダメなもので、
年を持った人は早々に引退して若い人に譲り渡してみたいなですね。
そういうある種の呪いみたいなものってあると思うんですよね。
そういう呪いを自分の1個のサンプルがあると楽になる人が多分いるんじゃないかなと思ったんですね。
そういう人が今度は違う呪いを解くみたいになってくると、
多分いろんな人がデザインをやれるような環境が作られてくる未来もあり得るんじゃないかというふうに最近ちょっと思うようになったんですね。
そう考えると、何か非難するという意味じゃないですけど、東京、青山、イケメン、オシャレみたいなね、
ある種の王道的な肩にはまったイメージみたいなものからどんどん派生した、
いろんなこういう人もいる、こういうデザイナーもいる、みたいな状況ってすごく豊かになるはずで、
そういう役割の呪いを解く係りの年齢版みたいな。
役割であれば、これまですごく自分も一人でずっとやってきたので、
何かに対して、このウェブのコミュニティに対してもそうですし、貢献をしてくるってことは一切してきてないんですね。
杉本さんがされていらっしゃってきてるようなことですとかもそうだと思うんですけど、
ある種のフリーライドみたいな形で自分も来ていたので、こういう役割であったらもしかすると自分は、
なんていうか、恩を返すとは言わないですけど、何かできることはあるかもしれないなぁみたいなのは最近ちょっと思うようになってきて、
そういう役割としてノーマライズFMを出ていけばいいかなみたいなのはすごく悩んだんですけど、思ったところはあったんです。
はいはい、なるほど。
いやでも、それは多分すごく勇気づけられる人とかは絶対いるだろうなと思うし、
私もそうなんですけど、始めるのに遅いってないなっていうふうに思ってらっしゃるんじゃないかなと思うんですけど、私も結構そう思ってて、
私自身もね、まったく外野のところからFGLでWebの世界に入ってきたっていうところはちょっと異色と言えば異色だと思うし、
なんていうか、もう30代だからやっちゃダメって誰も決めちゃいなくて、自分で決めちゃってるんですよね、だいたいそういうことって。
そうなんですよ。
だから多分そういうことを、もっと気持ち次第だよとか踏み出せば変わるかもしれないよっていうことをすごく伝えたいなぁみたいなことは私も思うことがあるし、
前例があるっていいですよね。
わかる気がしますね、すごく。
要は人から教わるのも別に嫌じゃないんですけど、どっちかっていうと自分で何でもやりたくなっちゃうし、
で、人に教えてくださいって言われても別に嫌じゃないし、教えてあげるのも多分たまたまなんですけど、上手だほうだとは思うんですよ。
多分その教えてあげたくてもうまく教えられない、スキルが伴わないっていうことも世の中にあると思うんですけど、
多分私の場合はスキル伴ってんじゃないかなっていう感覚が自分の中にはあるので、
それはお話をしててもよくわかります。教えられるの多分すごい上手い方なんだろうなって思いますね。
結構アドリブで返せるかどうかだったりとか、落ち着いたトーンで喋れるかどうかみたいなことって、
そうですね。
肯定的に身につけられるスキルではあると思うんですけど、とはいえ自然にできる人とできない人って多分いると思うんですよね。
私の場合はたまたま偶然そこが普通にやれば普通にできるっていうことだっただけだと思うんですけど、
なのでできるかもなって安直に、でもどうだろうな、私なんかが案件ではありましたね。
その一番最初はやっぱり人集まらなかったらどうするのみたいなとこもありますし、
当時たぶん今ほどWebGLの人ではなかったと思うんだけど、でもやってみようかなって思うぐらいなんで、
それなりに自分はWebGLで名前を知られてるとは思ってたとは思うんですけどね。
でもすごく勇気のいる決断ではあったんじゃないかなと思いますけどね。
最初の、一番最初の踏み出すとき、やっぱりすごくありますよね。
そうですね、確か10人ちょっとぐらいだったと思います。
初めてスクールやるぞって言ったときは、それぐらいの人数が集まってくれて、
でも年々どんどん人数が増えていって、やっと最近頭打ちというか、たぶんこれぐらいが平均なのかなっていうのはなんとなくわかるようになってきたんですけど、
でももっと早く終わっちゃうと思ってたんで、WebGLの流行がピークを迎えてだんだん下がっていくって私は思っていたので、
こんなに長く続けられるとは考えてなかったんですけど、
でもなんですかね、なんか続けられてますね、今でも。
若干自分でも理由はわかんないんですけど。
楽しみみたいなものって今はどんなことがあったりします?
普段、私はさすがにもう10年とかやってるんですよね。
WebGLスクールも今年やったので10期目だったんで、振り返れば10年経ってるっていう感じで、
そうなると結構さすがにルーティンワークとまでは言わないんですけど、
今年もやるぞっていう出来事ではあるんですよね、一つの。
いやーわかんない。結局だから一番難しいなって思うのは、
相手側がどう思ってるかは割とわかんないっていうか、
その文句があったとして文句を言ってくれる人はまずいないっていうことなんですよ。
スクールやってて思うのは、何か自分の求めてたものじゃなかったなーとか、
思ってたより全然何か面白くねーなーとかっていうそういうネガティブな反応って、
まあまず出してくれる人いないので、絶対いるはずなんですよねって思ってやってます、私は。
絶対100点ではないなって思います。
まあこれはでもあれですよね、もちろん気にしちゃうんだけれど、多分気にしないがいいんでしょうね。
そうなんですよね。だからそれ気にしすぎると何の変哲もない教科書通りのことしかできなくなっちゃうから、
どんどん平均値に行ってしまうので。
だからよくある話かもしれないですけど、全員にとっての100点は絶対にできないと思っているので、
それなら少しでも平均点が高くなるように自分なりに毎年模索してるっていう感じですかね。
だから一回やらなくしたものをもう一回やるようになったりすることもありますし、
今年はこれ削ってこういうことやってみようかなみたいなことをやることもあるし、
本当に結構いろいろ変えたりしながらなんだかんだ10年やってるっていう感じですかね。
参考になるな。多分これは変化をどう捉えるかというか、変わることをどう考えるかみたいな話だと思うんですよね。
意図的に自分で作る変化もあると思うし、でもそれだけでは足らなくて、さっきの話で言うと遊びですよね。
遊びの部分を設けることで偶然性みたいなところを持たせて、
そこで起きる不良にあわあわしながら対応することをむしろ楽しむというか、
それによってまた変わっていくみたいなんですね。そういうことですよね。
だからなるべくやっぱり受講者さんたちをできれば一人残らず拾いたいし、
一人残らず満足させたいっていう気持ちはありますよ。
やっぱりつまんねぇなとかお金無駄にしちゃったなみたいな感覚は絶対味わってほしくはないわけですよね。
だから頑張るのは頑張るんですけど、やっぱり現実問題としては、
それはいろんな性格の人、いろんなものを求めてる人がいるわけで、
私がやったものがすべての人に100点満点には絶対にならないっていうのは、
現実問題としては受け入れるしかないんで、その中で何ができるかなみたいなことはやっぱり考えますね。
難しい…っていうか答えはないと思ってはいるんですけど。
だから毎年楽しみながらやってるっていうのはそういうところなのかもしれないです。
たぶんこれがもう1回作ったテキストを毎年同じように話して、
同じサンプル提供してってやってたらたぶんつまんなくなっちゃうんですけど、
毎年全部ではないですけど作り直すところがあって、
カリキュラーの内容が変わって10年間来ているので、
そういうところを自分なりには楽しんでいるかもしれないですね。
ちなみに私、今回の先ほどのコロソのお話でちょっと言うと、
もう講座納品し終わっちゃってるんですけれど、
後で考えて、これあれだなみたいに、
自分の過ちではないんですけど、ここが足らなかったとかですね。
これはたぶん人が見たら突っ込まれるとこだなみたいに、
後で気づくことって、やっぱり教えるっていうことの性質上あるとは思うんですけれど、
すごい悶々としてるんですよ。日々。
結構、それはあれですね。やっぱりリアルタイムでやれないタイプのやつだと難しいですよね。
そうかそうか、そういうことか。
私の場合は結構リアルタイムにやるようなスクールなんで、
その場で突っ込み受けて恥ずかしい思いをすることは毎年1回か2回ぐらいありますね。
知ったかぶりしてしまって、コメントで突っ込みが入って、
すいませんでしたみたいになっちゃうことももちろんあるし。
でもその場でなるべく軌道修正できるというか。
できるものはしますね。
たぶん私の今の宇都宮さんの経験に私の中で一番近いのはむしろあれですね。
たぶん書籍の書き方っていうか、本になっちゃってるじゃんっていう。
そうですよね。
その後から突っ込まれたときに、
例えばなんか明らかに間違ったこと書いてて、
それ突っ込まれるとしたら、たぶんその当時の私が知らなかったっていう、
ただ単にごめんなさい案件なんですけど、とはいえ本はもう出ちゃってるので直せないっていうパターンもあるし、
あとは思想的にわかりやすさを重視して書いたつもりが、
読者によってはわかりやすく書いたことを違うじゃんって言ってしまうみたいなことも起こり得るわけですよね。
私の場合後者ですね。
そういうふうに言われてしまったときに、
そこわかりやすくしたかったからこういうふうに表現したんだけどなみたいなふうに思うことはもちろんあるんですけど、
でもとはいえ本の中にそういう注釈は今更入れられないので、
自分との折り合いのつけ方かなみたいな。
だからあんまり気にしすぎちゃいけないなって思うので、
なんかそういう気持ちになりたくないから結構頑張ります、最初に。
作るときに頑張りますね。
なるべく突っ込まれないように。
突っ込まれないようにっていうのは違うな。
その正しい知識をちゃんとお渡しできるようにっていうところで、結構頑張っちゃいますね。
今年のWebGLスクールは結構仕上がってる人たちが多い、割合が多い年だったんですよ。
だから、たぶんこんだけ仕上がってる人たちに有益なものを渡すってなったらっていうふうに、
すごい襟元をただすような気持ちになったというか。
毎年一生懸命やってはいるんですけど、
今年の不良の事態だったんですけど、こんな仕上がってる人たちが受けちゃうの?みたいな感じになって、
これはいつもの年よりも襟元たださないとやべえぞって思ったんですよね。
毎年そういう気持ちでやれよって話ではあるんですけど、
ただそういう自分の中で不足の事態が起こったときに、やっぱり変化が起こるんだなっていうのは今年も思いましたね。
だから、宇都宮さんの講座もどれくらい続くのか、あるいはこれからどうなっていくのかわからない部分は、
ご自身で決められることではない部分もあると思うんで、わかんないところではあると思うんですけど、
ちょっとなんか楽しみですね。どんな感じで。
なんかレスポンスとかはあるんですか、受けた方からの。
いや、基本的にはないんですよね。
どなたが買われたかとか、どなたが受講されたかみたいなことってわからないんですよ。
講師側には知らされないので。
その方とのコミュニケーションも取れない状態ですね。
じゃあ結構一方的に出すだけのプラットフォームの形なんですね。
そうなんですよ。YouTubeとかの感覚ですよね、きっと。
それだとやっぱなんかちょっともやもやしそうですね。
そうなんですよね。反応がわからないというか、どう理解していただけたのかとか、どう伝わったのかとかがちょっとわからないので。
それはちょっと私もなんかそれだと不安を感じるかもしれません、すごく。
いやどうなんですかね。なんかちょっと怖いですね。
でもなんか今日いろいろお話聞いてきた感じだと、なんて言うんですかね。
多分ちょっと私は聞いてみたいなと思っちゃいますけどね、講座の内容気になるなって思いますけどね。
ただそのプラットフォーム上にフィードバックを返す仕組みがないっていうのはちょっとドキドキするなという気がします。
いやそうなんですよね、本当に。だから本当に自己満足になってなければいいなっていうところだけが本当に気になるってことですね。
そうですよね。いやなんかね、わかりますよ、なんかスクールも本当になんか感想とかなかなか、まあみんな言ってくれる人はね言ってくれるんですけど、
全員が教えてくれるわけではないんで、多分その言ってくれない側の人たち、感想寄せてくれない方々ってどんなこと考えてたのかなってすごい。
毎年気になるし、ノーマライズFMも滅多に感想とか来ないんで、みんなどんな気持ちで聞いてるのかなって、いつも不安に思ってますけどね。
やっぱりでも仕事をしながら聞かせていただくことが多いですね。
どうなんですかね、みんな楽しんでくれてるんだったらいいんですけど、一応なんかそのポッドキャストの登録してくれてる人の数は増えてってるような気がするんですけどね。
ただまあ劇的にドカーって増えたりはしないんで、みんなどんな感想を持ってるんだろうなって思っちゃいますけど。
やっぱり普段、実績とかでしか知らない方の話が聞けるってすごく楽しいんで、純粋に楽しく聞いてますね。ありがたいです、本当に。そういう機会ってなかなかないですからね。
いや本当そうですよね。たぶん今回の宇都宮さんの話も、たぶんいろんな人の中で、ああこんな人なんだっていうことが起こってると思いますけどね。
意外と声だけで人間性って結構伝わりますよね。
ああそうですよね。
こんな感じの人なんだって、喋ってる様子だけ聞いてても感じるなって思うんで、なんかポッドキャストってそこが面白いところだなと思いますけどね。
そうですね。なんていうか、やっぱり声って嘘をつけないっていうか、偽ってもやっぱり出ちゃうところがあるんで、そこが面白いし怖いし。
そうですね。
いやー。
いやー怖いな。
大丈夫だと思います。
楽しくね、いろんな話聞いてきたんですけども、だいぶ時間が経ってしまったので、今日のところはね、この辺りで終わりにしていこうかなと思います。
はい、宇都宮さんちょっと今日初めてこうやって対面で話すっていうような状況ではあったんですけど、本当になんかいろんな、他の方では多分聞けないだろうなっていう話がいろいろ聞けたのでね、最高に面白かったなと思いました。本当にありがとうございました。
いやー楽しかったです。ありがとうございました。
ちょっとまた、あれですね、なんかどっかで会うことがあったりとかしたら、今日聞けなかった話もあったりをするんで。