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こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は毎回違う働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考える番組です。
今日はデザイナーのハルナさんにですね、ちょっとお越しいただいて、 ハルナさんのお仕事ですね、いろいろ聞いていきたいなと思います。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いしまーす。
まあ、って言ってもね。
お越しいただいたっていうか。
お越しいただいたんじゃないね。あ、伺ったんだね。
来ていただいてるね。
確かに。今日はね、鎌倉に伺ってね、ちょっと来てるんで、出張?
出張版。
出張版ってことになるのかな。
よろしくお願いします。
よろしくお願いしまーす。
最初に一応冒頭で、これまでのお仕事の職歴というか経歴みたいなものを聞いてるんだけど、改めてなんですけど教えてもらっていいですか。
はい、私は大学が美大とかじゃなくて、普通の文系の大学に行ってて、で卒業した後に新宿あたりのウェブ制作の会社に入りました。
ここは名前がちょっと言えないですって感じなんですけど。
そこで、デザイン系のスキルを持ってなかった時なんで、ウェブディレクターとして働き始めて、そこで結構いろんなデザインのこととか教えてもらって、自分でも作るようになって、
そこを1年半ぐらい働いて、辞めまして、次が渋谷に拠点があるカイユーっていう会社に転職をしました。
そこがウェブメディアをやってる会社で、そこのウェブメディアの中のUIを作ったりだとか、あとグラフィック作ったりだとか、
自宅でウェブサイトを作ったりだとか、あとモーションとかを簡単なものとかを作ったりしてました。
で、そこが4年ぐらい働きましたね。
で、その後が株式会社カヤックっていう会社に転職をしまして、
それも1年ぐらい前ですかね。
で、ちょっとやったことないことやってみたいなって思いまして、ゲームのデザイナーとして転職をするっていう。
で、今に至るって感じです。
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ありがとうございます。
カッチリした話。
カッチリした。
で、まあそうね、個々の詳しい話はちょっとこれから教えてもらおうと思うんだけど。
もう一つ、これまで特に大体卒業してからぐらいかな、大学卒業してから暮らしてきた町の最寄駅の返力みたいなものもちょっと聞きたいんだけど。
一社目が社宅がある会社だったんですよ。
池袋駅から3駅ぐらい、茶色い線。
茶色い線は。
副都心か。
副都心線。
で、3駅ぐらい行ったところに小竹向原っていうところがあるんですけど、そこで、そこの1Kの激狭アパートに住んでました。
で、その後、転職をすると出てかなきゃいけないんですよ、社宅だからね。
そんな金もなかったんで、下北沢と笹塚の間に大田橋っていうところがあるんですけど、そこで、そこのどうしても私畳の部屋に住みたいなっていう時期だったんで、畳の木造アパートに住み始めるっていうのをやって、
で、その後が、今旦那さんと同棲をその後始めるんで、京都っていう町に引っ越しました。
で、仕事がフルリモートになったので、その後が今鎌倉に住むようになってますね。
そっか、鎌倉来るまでは働き始めてからずっと都内いたってことなのか。
そうそうそうそう。
まあ割と場所はこういう点々と。
点々としてるけど。
なるほどな、ありがとうございます。
じゃあ、まあちょっと、一旦こうまずさっきの、そもそも大学、大学の専攻ってなんだったんだっけ?
そうですね。
それ以外は全然覚えてなくて。
私は国際学部国際社会学科っていうところにいまして、
そこで、総合学部だったから、例えば社会学の授業も受けることができるし、
芸術系の授業も受けることができるし、美学みたいなのとか、
あとなんだろう、国際関係学みたいなやつとか、結構いろいろと、
なんかこの国際社会をいろんな軸から見てみようみたいなところなの。
だからなんかそこで勉強してて、
ゼミロ先生、この人の授業が面白いっていうだけで、
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中国の歴史政治史っていう、政治の歴史、歴史解釈について研究しましょうみたいなゼミに入るのね。
で、なんだけど、その先生の授業はすごい面白かったんだけど、
やり始めてみて、私あんまり興味がないってことに分かっちゃって、
だから卒論はマジで全然関係ないこと書いて、
先生に僕はちょっと評価ができないけど、
君はとりあえず卒業さえしてくれればいいって言われたから、
はいって言って卒論出して卒業したって感じ。
ちなみに何書いたの?
それはなんかジェンダー論みたいなのを書いて、
ジェンダー論っていうか、男性学みたいな、女性学に対する。
で、なんかその男性、80年代ぐらいから2010年代ぐらいまでの、
その男性、理想の男性像ってどういうふうに映っていったんだろうみたいな話を、
なんかこのテレビドラマゲツクの中で描かれてる人の特徴の変化を追って調べていく。
で、じゃあこれってゲツクってさ、女性も結構見たりするから、
これが理想の男性像で、
昔ってさこのタバコをすごいスパスパ吸ってさ、
オラオラでついてこいみたいな人なんだけど、
2010年代ぐらいになると星野源みたいなさ、
なんか優しくって家事やってくれて、
なんかこちらのことも尊重してくれるみたいな人になっていくのね。
だからなんかこの男性って中心にいるように見えて、
実は女性のその男性感に包囲されてますよね、みたいな話を書いた。
それめちゃめちゃ読みたいけど。
もうね、葬り去った。
あまりにも粗末で。
確かにそれだとだいぶ専門のゼミというか研究室の内容とはかなり離れる。
最初卒論を書き始めたぐらいはちゃんと頑張って、
中国と台湾の関係論みたいな、
台湾に留学してたから書こうと思ったんだけど、
ダメだ書ききれないってなって、あんま興味ないって思ってやめるっていう。
それはさ、ちょっと話はあれになるんだけど、
特にじゃあそこの研究室の内容も、あるいはもしかしたら卒論の内容自体も、
就活の方向性みたいなものとは全くかけ離れてた。
かけ離れてたね。
何をさ、新卒ってよく聞かれるやつあるじゃないですか、
新卒のときの就活の方は、時空とまでは言わないかもしれないけど、
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方向性というかこういうのを受けてたとか当時はあった?
なんかなるべく働きたくなかった。
だし就活もあんまやりたくなくて、
で、なんかみんな就活始めたし、
とりあえず幕張あたりで合同説明会みたいなのあるじゃん。
あれに行ってみるかって思って、
うわーってなって、
なんか働ける気がしなかった。
で、ただ、なんかこの4代出してもらって、
しかも留学行ってるから1年遅れてるから、
親をちょっと安心させたい気持ちになって、
5社ぐらい就活を受けた。
で、そこで1個だけ引っかかったとこがあって、
そこに就職してみたみたいな感じだった。
なるべく働きたくなかった。
それはどうだった?そこは入って、
それがその1社目のウェブ製作の会社?
ウェブ製作の部門にはいたんだけど、
オフィス機器とかを扱ってるとこだったの。
ポピー機とか電話とか。
で、今ってウェブサイトがないと、
ビジネスのクレジットカードって作れないよね。
だから中小企業の人でサイト作りたいっていう人めちゃくちゃいて、
じゃあうちコピー機とウェブサイトのセットで作ったら、
お得になりますよみたいな売り込み方をしてたとこだったのね。
で、そこで就職したんだけど、
すごい良い人たちが多かった。
派遣さんとかでデザイナーで入ってる人たちが、
すごい良い人たちで私も気が合うんだけど、
社員さんが私はあんまり気が合わなくて、
なんだろうな、
私ちょっと乗ってる船の方向違いすぎるかもしれないみたいなのが、
入って3ヶ月ぐらいで気づくのね。
ただ何にもできないさ、
昨日まで大学生だったやつがさ、
ちゃんとプロのデザイナーさんが近くにいてさ、
自分もその制作に一応携わっててさ、
こういう風にやればいいんだみたいなのを教えてもらえるっていうのはすごい良かったかもしれない。
乗ってる船の方向性、どういう違和感だった?
その3ヶ月目ぐらいで、
まあでも働きたくないけど、
まあ何とかとりあえず働くかよいしょって言って。
そうだった。
あのね、最初の1ヶ月目って研修なの。
で、なんか引かれるかもしれないんだけど、
そこの会社結構体育会系だったのね。
最初のあたりってお客様だからさ、
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辞めさせないようにしなきゃいけないから、
なんか優しいんだけど、
最後の最後に合宿みたいなやつが存在してて、
なんかなんだろうな、
プレゼンみたいなの。
この、例えばこのチラシを自分たちで考えてプレゼンをしてみてくださいみたいな感じのやつで、
で、なんか最初の1回は審査員の人たちに見てもらえせず、
なんかもう入室の仕方から悪いからもう帰ってみたいな感じで、
なんかそういうのを何回もやらされるみたいな。
結構極限まで人を追い詰めるタイプの合宿をやってる。
で、ここでちょっとおやおやって思うんだけど、
他のところがさ、
なんかどうやってるかなんて知らないから、
あの、おやおやとは思うんだけど、
まあまあ、こんなもんなんかな、社会人って思いながらやる。
で、2ヶ月目に配属になって、
で、えっと、なんか、朝9時に会社に行って、
このね、壁に大きく尺みたいなのが貼ってあって、
それをみんなで大声で読むみたいな感じで、
で、おやーってなるじゃん。
目が覚めるよね。
おやー、これはって思って、
で、まあそれも2ヶ月目、なんとなく過ごして、
で、3ヶ月目に、一応なんか、
アシスタントとして案件一緒にやるみたいな時に、
なんか、その、なんだろうね、
あんまり楽しそうに働いてないなって思って、
まあそもそも私はあんま働きたくないなって思ってたから、あれなんだけど、
なんか、ここの人たちすごいなんか、
なんだろうな、なんか、無気力な感じするなって思って、
社員さんたちが、
なんかあんま楽しそうじゃないなみたいな、
私、なんか毎日その売上げみたいなのに追い詰められてるし、みたいに思って、
ちょっと乗ってる船の方向違いすぎるなってなるの。
そうですね。
じゃあもうその時点では、まあちょっと、
どっかで下船しようと。
そう、そんな感じだった。
結局最終的にはそこはどれぐらいトータルいた?
たぶんね、1年半ぐらいいた。
で、じゃあまあ下船することを見越しつつ、
そのただ関わってる中で、ちょっとこう、
近しい距離だったデザイナーさんたちとの関わりとかが増えてくるって感じだね。
そうだね、なんかその、
デザインツールぐらいは使えるようになってからやめようって思ったし、
あと、なんだろうな、なんか、
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あんまり、例えば3年とかいちゃって、
ちょっと主戦力になっちゃって、やめづらくなってる人とかを見てたから、
なんか、なるべく短期間でやることはやって、
やめようみたいな気持ちだった、その時は。
じゃあもうあれなんだね、
残りの1年3ヶ月の公開はもう、
いかにこう、非常に良い形でやめるかっていうのを決めて、
そうだった、そうだった。
それってさ、もともとデザイナー職みたいなのには、
まあほら、一応そのウェブのデザインとかをするっていうことは、
多分おそらく知ってて、一応入ってるでしょ?
でもちょっと他受けてたからしたらわかんないけど、
なんとなく薄らぼんやりとは、興味のある領域だったの?
それとももう完全に入ってから、
ああこういうのもあるんだっていう感じ?
でも薄らぼんやりとはあったかもしれないかもね、なんか、
ただなんか自分の中にできるわけないって思ってた、
そういうデザイナーみたいなのを。
例えばセンスがなきゃいけないだとか、
それこそなんか本当センスみたいなのの仕事だろうなって思ってたから、
なんか自分にはそういうことはできないけど、
でもディレクターだったら、なんかそのセンスとかじゃなくて、
結構進行管理的なスキルの方が求められるから、
これだったら自分でもできそうみたいな感じで、
確かに制作みたいなのは、
子供の頃から物を作るとかは好きだったから、
それが自分の仕事にできたら、
働きたくないながらもいいかもしれないみたいな。
ディレクター、ウェブディレクターみたいなって、
俺もそんなにきちんと整理できてるわけじゃないからさ、
改めてどういう仕事の範囲というか、
ちょっと教えて欲しいんだけど、どういうこと?
結構大きくあって、
お客さんとの接触、
営業さんから引き継いだ後のお客さんとの打ち合わせとか、
こういう修正お願いしますみたいなのを管理するのがウェブディレクターだし、
その納品スケジュールを考えるとか、
あとデザイナーさんたちの負担をなるべく軽くできるように
コース管理みたいなのをするし、
あとはSEO的なところの設定をやる人だし、
って感じかな。
ただ結構いろんなことをする。
それこそデザイナーさんと打ち合わせをして、
こういうものが上がってきましたって時に、
お客さんとの要望から離れてないかっていうのを、
私たちがその話を聞いてるから、
ここはこういう風にしてくださいみたいな、
もう一回戻すみたいなとか、
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あとは納品前にクオリティチェックをして、
これでお渡しですみたいな感じのこと。
そうするとディレクターっていう職種からある意味入っていったっていうのは、
確かに未経験からデザインになるのってなかなか難しそうだなっていうイメージはあるけど、
少なくとも春名にとってはかなりいい入り口だったというか。
そうかもしれない。
デザイナーさんたちってセンス、
センスって何かが降ってくるみたいな風に思ったりするんじゃない?
けど別にそういうわけじゃなくて、
今までのこのストックを整理して使ってるとかみたいなものだから、
ちゃんと勉強すれば私にもできるかもしれないみたいなのを間近で見れた。
そこではディレクターとして、
デザイナー、デザインツールみたいなものを触れる機会とかも増やしつつ、
1年半くらい勤めて、
もう辞めれるなっていうタイミングがあった?自分の中で。
そうだね、そろそろ辞めようかなって時に、
昔、飲食店でバイトをしてた時に、
一緒にバイトをしてた子がいて、私の2個下ぐらいなんだけど、
その子が就活の時期みたいなので、インターンをやってたのね。
で、なんかその子と久々に会った時に、
なんか転職しようかなって思ってんだよねみたいな話をしてたら、
なんか渡辺さんに、渡辺って言うんですけど、
渡辺さんにすごい合いそうな会社ありますよみたいなのを紹介してもらって、
話し聞きに行ったのが2社目。
階優。
そう。
階優はね、まあ結構、
普通にネットで記事触れることとかも多いような気もするけど。
昨日は11周年だったらしい。
そうなの?
結構、すごいよね。
今日が収録日が3月の16だから、階優さん。
3月15日、最高の日。
最高の日。
じゃあそこで面接して、階優にはデザイナーとして入った?
一応なんかそのデザイナー見習い、ディレクターみたいな感じ。
じゃあちょっとこう、経験職種として入りつつ、新しい領域?
そうそう、そんな感じだった。
なんかでもすごいこう、うまくいった転職っていう感じする。
そうだったね。なんか転職しようかなって時も、私すごい面接とか苦手だから、
就活の時も5社ぐらいしか受けてないんだけど、
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転職の時もそこしか受けてなくて、
で、なんかここ行けなかったら、もうちょっと頑張るかぐらいのやつだったの。
なんか他に行きたい会社は別にないしな、みたいな感じだった。
そっか、じゃあそこで社宅を出て、小竹向原の社宅を出て、下北沢に移ったってこと?
そうそう、そうなんですよ。
仕事も変わって、小竹向原から下北沢に移るっていうのは、
まあほら、よく寒かるのみたいな言われたりもするけど、やっぱりだいぶ生活は変わる。
変わるね、変わる変わる。
なんか小竹向原って、ほんとね、夜になるとあんまり何もない町だし、
なんか池袋に飲みに行くとかもさ、なんか田舎モンだから池袋なんて怖いみたいな気持ちになっちゃうんだけど、
なんか下北沢が一応歩いて10分ぐらいでも行けるから、
なんか歩いて遊びに行けて帰ってこれる都会に近づくみたいな感じのテンションだったのと、
あと大学時代の、別に大学同じじゃないんだけど仲良い子がその近くに住んでたっていうのを。
あー、了解ね。
だいぶ変わっただから。
街に飛び込みやすくなったというか。
確かに池袋よりはね、こうまだ親密な規模感というか、あるよね。
私なんか、割とダメな人間なんですけど、
割とすっぴんでパジャマで駅前の無印良品とか行っちゃうんだけど、
なんか同じような人が割といるから安心できる街だなって思いながら生きてた。
あのね、あの路面との無印良品。
下北沢の。
安心、安心。
確かに。
木家だってね、来られてもね。
生活してるんだぞ、こっちはみたいな。
生活者だからな。
そう、生活してる。
そっか、じゃあそれで海遊には、海遊にいた間はずっとそのディレクター兼、
まあでも見習いとして入ってるから、それがどんどんこうより独り立ちしていくというか。
そうだね。
そういう形なの。
デザイナーになったな、ちゃんとそこで。
最初が入った時に、ディレクターの人が辞めちゃったみたいなタイミングだったから、
それの穴埋め的に入ったってのもあるし、
で、私が入った1ヶ月後ぐらいに唯一行ったデザイナーさんも辞めちゃう。
で、だからいなくなったら誰かがやるしかないから、
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そこでなんか自分でどうにかやってみたいなとかでやってた。
海遊っていうのはそうするとあれだよね、
そもそも多分その普通にメディアとして見る分には、
あ、そういうウェブメディアをやってる会社なんだ、ウェブメディアでいいのかな。
ウェブメディアだね。
けど、それとは別に、
まあ、住宅でウェブサイトとかを作るっていう仕事も受けてて、
そっちの主に職業というか、をやってたっていうか。
本当ね、どっちもかな。
最初の2年ぐらいは、私しかデザイナーがいない時期だったから、
まあ、住宅でデザインを作る。
デザイナー1人体制ってさ、中の仕事もやりつつだと結構大変なんで、
パートナーのデザイナーさんにお願いするっていうの。
で、それのディレクションをやるみたいなのもあったし、
中のデザイン業務、例えばそういうサムネイルを作ったりだとか、
あと中のUIを改善しましょうみたいなことだったりとかは、
自分で手を動かしてやるみたいな感じだったかね。
でもそこで、デザイナーとして一人立ちをしたというか。
まあ、そうかね、一応。
ちゃんと土壌に上がったぐらいのテンションかね。
それはさ、ある意味辞めたことによってチャンスが巡ってきた。
早めにかもしれない、早めにってだけなのかもしれないけど、
早くチャレンジするというか、チャンスが巡ってきたっていう感覚に近いのか、
それとも結構、言っても密経験とは言わないけど、
まだ見習い段階で、ちょっと早くないかみたいな感じだった、その当時は。
どんな感覚だった?割とこう、できるできるみたいな感じだった?
いや、なんかその時は、はったりかましてたかもしれない。
できるって。
で、できるって言っちゃったらできないためじゃん。
だから、どうにか、自分でどうにかいろいろと調べて、どうにかできるようになってっていうのが、
だから、そういうストレッチはめちゃくちゃあった気がする。
そうだよ、はったりは結構大事なのかもな。
できないですってなったら、じゃあどうするの?みたいな話になっちゃうじゃん。
どうにかやらなきゃいけないんだから。
なんだけど、じゃあ、できますって言って、
できますって言っちゃったらさ、やらないと信用もなくなっちゃうからさ、めちゃくちゃ必死になるよね。
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なんか、ディレクター業務とかの方だと、できてるできてないって、
ちゃんとある管理するべきものがあって、それがもう玉落ちに玉落ちを重ねてるとか、
もうなんか構数管理がぐちゃんぐちゃんだとか、
なんかできてない場合のさ、想像もつきやすいし、なんかわかりやすいような気もするんだけど、
その当時のデザイナーとしてのその業務の中では、どういうことができてればそれはできてるっていう。
どういうはったりの交わし方なの?そのデザイン。
うーんとね、デザイナーのできてるできてないっていうのは、クオリティと速さだと思ってて、
例えばさ、1枚のグラフィックを作るためにさ、1日とかかかってたらさ、
私の給料をいくら出してもさ、そんな仕事って進んでないじゃん。
だからそうすると会社にとっては赤字になるんだけど、
じゃあこれ半日でできるって言われて、
で、その半日でできるっていうのはある程度のクオリティの上で半日でできるっていう話なんだよね。
で、だからじゃあできますみたいなのを、
本当はちょっとできない、やばいかもしれないっていうのを思いつつ、
できますみたいなのを言って、どうにか急いでやるみたいなのとかやってる。
あーなるほどね。
で、だからそれがたまにクオリティに達さないこともあるわけじゃん。
その時は平山みたいな感じ。
じゃあはったりがうまく機能したこともあれば、出し切らなかったこともある。
ある。もちろんある。
なるほどね。
そして会友には4年くらいいたんだよね。
で、2年くらいである程度わかってきて、
基本的にはもうその後半の2年も、
同じような領域の仕事のほうより発展型というか、
それとも途中でさ、ちょっと仕事内容が変わったりとか、この期間ってあった?
ウェブメディアだけでマネタイズをするっていうのは厳しいっていう話になった。
例明期みたいな時って、アドネットワークをサイトに入れていけば、
PVに応じてめちゃくちゃ稼げるみたいな時代だったんだけど、今もうそういう感じでもないから、
じゃあもうちょっとその、受託を増やしましょうみたいな時が来て、
で、そこのデザイナー兼PMみたいな感じになった。
インナーの仕事っていうのはもう一人いたデザイナーの人がやって、
私は基本的に受託の仕事とか、
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例えばグラフィック作る仕事とかが来たら、
仕事が中にあったらそれをやるみたいな感じになってた。
一番最初の収穫の時の話と戻るんだけどさ、
結構できることが増えて、聞いてるとしっかり働いてるようになってた。
その時は働きたくないっていうモチベは変わってた?
それとも働きたくないは別にはあって、ただ何かが違うとか。
どうなんだろうな。
でも、すごい集中力のない子供だったんですよ。
学生だったんですよ。
例えば卒論書いてる時も意味もわかんなくスマホいじっちゃうみたいな感じとか。
なんだけど、デザインの仕事をしてる時はそれが全然なかったのね。
他の仕事はあんまりやったことがないけど、
これしかできないかもしれないみたいな感じになるの。
じゃなかったら30分で集中力の切れる人間なんてどこの会社もいらないじゃん。
なんだけど、デザイン仕事とか4時間ぐらいぶっ続けてやっても全然大丈夫だったの。
だから、働きたくないっていう意識は確かに薄れてるんだけど、
これしかできないかもしれないっていうちょっとした脅迫感にすり替わっただけっていう感じになった。
すごいね、でもなんかこのデザインだったらできるっていうのは、
逆にPMみたいなことは頑張ってやらなきゃいけない感覚なの。
頑張ってやらなきゃいけない。
なるほど。面白いな。
それなんでだと思う?自分で、なんで自分はデザインだったらこんなにいけちゃう?
どうなんだろう、なんかデザインって、なんだろ、5W1Hの、
例えば、いつどこで誰に何を伝えたいかっていうのを整理して、
それを例えばウェブだったら、
誰の人にちゃんと正しく届くように情報整理するっていうものなんだよね。
その情報整理してるっていう時がめちゃくちゃ面白いなっていうのもあるし、
あとレイアウトしてる時っていうのもすごい悩んでるんだけど、
なんかこっちの方がいいかもしれないとか、あっちの方がいいかもしれないとかっていうのも
ずっと頭の中でぐるぐる考えてるんだけど、結構それが途切れないんだよね。
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だから、なんか他のことだと、考えてるうちに意味わかんなくなって、
スマホ開いちゃおうみたいな感じになるんだけど、デザインだと割とそれがない。
- 見つかってよかったよねっていう。
ありがとうございます。それ面白いな。
一旦、そうしよっか。そしたら、一旦まずは、
働きたくなかったハルナが、働けるかもしれないっていう、
こうね、様子がというか、ちょっと希望を見つけて、
働いていたところまでまずは伺って、続きの話は後半でまた聞いていきたいなと思います。
- ありがとうございます。
- ありがとうございます。引き続きお願いします。