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2023-09-11 1:42:30

048. クリエイターとアーティストの境界線

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@r21nomi さん(NEORT 株式会社 CEO)をお迎えして、NEORT という組織の事業や運営についての話、ある種の使命感のようなものに突き動かされているという話、アートギャラリーと作家の関係性の話、デジタル系のアーティストは職業プログラマとしても生きていけてしまうという話、日本と海外とのアートに対する考え方や捉え方の違い、一見なにがなんだかわからないアートのその先にあるもの、自分自身を定義するときアーティストという言葉が一番しっくりくる話、アーティストはそれを見る人とコミュニケーションを取りたいのか、写真をやり始めて変わった世界、デモシーンが教えてくれた世界観、アートと創作の境界線、自分のために何かを作ることの意義についてなどお話しました。


* NEORT の事業やマネタイズ

* 自分がやらないと可能性が1つ潰れてしまう

* NEORT++(ネオルトツー)という場所について

* 作家とギャラリーが協力して展示を作る

* 誰かに見せるつもりで作品を作るということ

* 作品を見せるための場作り

* 作品を見てもらうことを意識した製作・創作

* デジタル系のアーティストが少ない理由

* 日本人のアートに対するリテラシーの話

* デジタルアートはとても自由なところが良い

* よくわからないものがわかったような気がする快感

* 可能性が見えるようになったことの興奮

* なんだかよくわからないものをもっと見てみたい

* 自分のどのあたりがアーティストなのか

* アーティストは作品についてコミュニケーションしたいのか

* 単純に好きなものについて話すのは楽しいよねという話

* 写真を撮るようになって世界が変わった話

* アーティストとしてはギークすぎる一方で……

* ギークとしてはアーティスティックすぎる人たち

* アートとクリエイションの境界はどこにあるのか

* 自分のためになにかを作る

* MEET YOUR ART FESTIVAL 2023「Time to Change」

* NEORT


## show notes


* 組織として、あるいは個人として、目指している世界やビジョン

* 表現者としての自分自身についてはどのように捉えているのか

* 普段の生活のなかでクリエイティビティを磨くような、なにか意識していること


サマリー

本エピソードでは、クリエイティブコーディングやジェネラティブアートに興味を持つニーノミさんをゲストに迎え、デジタルアートのビジネス化やマネタイズについて話されています。ニーノミさんは個展やオンラインプラットフォームの運営などを通じて、デジタルアートをビジネスとして成立させる道を模索しています。アートの拡張や展示方法を考える場としてのネオルト2の役割について、新たな展示のアプローチについて話し合われています。アーティストとクリエイターの境界線について考え、作品を表現することの意義やアートマーケットの存在について話し合われています。デジタルクリエイターやアーティストの境界線について話し合い、作品として作る視点と技術の組み合わせの可能性について考えています。ドクサスさんが写真を撮ることで新たな視点を見つけ、磨かれていく過程について話しています。彼が写真を撮ることで見えてくる世界の多様性や自己表現の大切さについても触れられています。アートと創作の境界線について考え、写真の新たな可能性を探求することが重要であると述べられました。オフラインでの作品展示とオンラインでの鑑賞体験を提供したいという思いを持っているアーティストの話があります。

00:18
始まりました、normalize.fmの今日は第48回になります。
だんだん気候が落ち着いてきて、真夏みたいなところから少しずつ秋に近づいてきているのかなというタイミングなんですけれども、
今日も元気に撮っていきたいと思います。
ニーノミさんの活動
今日のゲストは、クリエイティブコーディングだったりとか、あとウェブの方でも結構どちらかというとジェネラティブアートみたいなものとかにね、
結構興味のある方々だとおそらく知っているゲストの方なんじゃないかなと思うんですけれども、
今日のゲストはですね、ネオルト株式会社代表のニーノミさんにお越しいただきました。
ニーノミさん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
だいぶね、シェーダー結構書いてる人とかの中でもネオルト使ってるよっていう人いるんじゃないかなと思うんですけれども、
意外とニーノミさんご本人のことって意外と知らない人も多いんじゃないかなと思いますので、
今日はね、いろんなところからお話聞いていけたらなと思っていますので、早速始めていきたいと思います。
はい、じゃあニーノミさん早速なんですけれども、まずはちょっとご自身の方から簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、ニーノミと申します。
ネオルトというデジタルアートをメインの事業領域にしている会社をやっておりまして、そこの代表をしております。
2019年ぐらいに会社を立ち上げて、そこからデジタルアートっていう新しいテクノロジーを使ったアートをどのように発展させて楽しめるようにしていくかっていうのをやっている会社になります。
僕自身はエンジニアのバックグラウンドを持っていて、ずっと行動を書いてきた人間なんですけど、
そこからちょっとずつ表現の分野の方に興味が移っていって、クリエイティブコーティングっていうコードで絵を描くっていうような活動をやったりですとか、シェーダーを描き始めたりとか、
そこから徐々にアートの方に自分の軸足が移っていったりとかしながら、一貫して新しいテクノロジーを使って表現活動をやっていって、
その表現をする人たちを支援するような環境作りもやろうとしているという人間です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
多分他にあんまりいない感じの方ですよね。
そうかもしれないですね。
似たようなことやってるっていうのは、例えば普通に会社に勤めながら趣味で似たようなことやってるっていう人はいるかもしれないんですけど、
自分で起業して、しっかりそこを軸足にした状態でいろいろ活動されている方って、おそらく他にあんまり聞いたことがなくて、結構唯一無二の存在なのかなと思ってるんですけど。
そうですよね。コードを書いてアートを作るみたいな人とか、表現分野でテクノロジーを活かしてるっていう人は結構増えてきた印象はありますけど、
確かにこういうビジネス的なところまでやっている人間はそんなにいないかもしれないし、まだまだ結構難しいところだと思うので、あんまり他には見ないかもしれないですね。
そうですね。でもなんか、私が観測している範囲は結構、二宮美さんの活動に神話性の高い人たちが比較的多いのかなと思うので、
今はXっていう名前になっちゃいましたけど、ツイッター見てても、わりと定期的に今度はこんなことやってるんだみたいなのが結構観測されることが多い方なのかなと私個人は思ってるんですけど、
なんかその一番最初の接点、確かなんかイベントに呼んでいただいたのが確か最初だったなと思うんですけど、あれもかなり前だよな。何年くらい前だろう?もうかなり前ですよね。
2019年に僕がNeortっていう会社を作って、オンラインのプラットフォームでNeort.ioっていうサイトがあって、自分が作った作品をアップロードしてみんなで楽しむみたいな、
イラストレーターにおけるピクシブみたいな存在を目指して作ったサービスがあって、それをローンチした後にちょっとしたミートアップみたいなのをやって、そこでドクザスさんをお呼びさせていただいて、ちょっとしたトークとかをお願いした記憶がありますね。
あの時は確か田所先生とかも来てて、結構人数もそこそこ集まってたような記憶がありますね。
本当の最初の最初を話すと、2018年の東京デモフェストで一回挨拶をさせてもらっていて、その時に一方的に僕が存じ上げていて、ちょこっとだけお話をさせてもらった記憶があって、その後にこのままNeortを立ち上げて、ミートアップでまたお会いしたっていう感じだった気がします。
どうですか?当時思い描いていた未来と今現在と見比べてみると、ご自身の中ではどういう感じなんですか?いろいろなことがあったとは思うんですけど、現時点ではどういう感じなんですか?
デジタルアートのビジネス化
そうですね。でも当時はこういうデジタルアートとかのシーンをどうやってビジネスにするんだみたいなのは全く描けてなかったんですけど、NFTが出てきたりとか、それをきっかけにジェネラティブアートが再評価をされるようになったりとかということを受けて、
こういったテクノロジーを使ったアートのシーンもちゃんとビジネスとして成立するんだなっていうのが今はかなり手応えがあるので、まだ会社として大きな成果を出しているわけではないですが、向かっている方向は間違ってないんだなっていうのは結構感じますね。
なるほど。これ本当に今言うなよっていう話かもしれないんですけど、当時私が二ノ美さんの活動とかネオルトとかを見ていて、どうやってマネタイズしていくのかがマジでわかんないっていうか、本当どういうふうにしていくんだろうなっていうのが心配な部分もあったし、
とはいえ私なんかが心配するような立場でもないから、どうしても影から見守るぐらいのことしかできなかったんですけど、長く継続して見ていくとイベントを開催したりとか、個展を開催したりとか、いろいろなことをやられているのを見てて、
少なくとも続けられるぐらいの状態ではあるっていうのが見ててわかったので、なんかそのあたり心配半分、興味半分みたいな感じでずっと見てたんですけど、どうやってマネタイズするかみたいなところはやっぱりまだ模索中というか、こうすれば完成っていうのはなかなかないのかなって思うんですけど。
まだ非常に難しいところですよね。
そうですよね。
だからここまで何で続けられているのかというと、自分がもともとコードを書いている人間だったので、シンプルにコードを書いてサービスを作るお手伝いもちょこっとやったりとかしながら、会社自体も全然小さい規模なので、何とか続けるようにっていうことを意識してやってきたっていうところですね。
マネタイズ的な話で言うと、今は作品をオンラインでデジタルフォーマットのまま売るっていうことが、NFTが出たことによって可能になって、今現在だとそんなに簡単な話ではないんですけど、そういうことができるっていうのが一時期は証明されていて、そこから関心もワッと集まったので、
絶対無理っていう感じではないかっていうやり方があるなっていうのは今思っていて、それをどう持続させる形で続けていくかっていうところかなと思いますね。
なるほどな。これ別に上から目線で言うつもりでも、忖度するつもりでも全くないんですけど、例えばWebGLの普及活動とかも、言ったらマネタイズどうやっての案件なんですよ、結局。
そうですよね。
私の場合はスクールの運営だったりとかもあるし、あとは単純に住宅、にいのびさんと同じで住宅の案件を受けたりとかして、そこから結局生活するためのお金っていうのは稼げてはいるんですけど、ただとはいえ普及活動自体はお金を生まないっていうか、
そうですね。
思想だったり自分がやりたいって思ってる思いだけでは食っていけないっていう意味ではちょっと似ているところがあるのかなと思っていて、なのですごく諦めないでやってほしいっていうか、自分もそうなんですけど、やっぱ誰かがやってないと誰もやらなくなっちゃうものってあるなって思ってて。
そうですね。
やっぱそのデジタルな技術をアートっていう側面から何かどんな形にしていくっていうのは多分言葉で言うほど簡単じゃなくて、それを真っ直ぐそこに突っ込んでいってる存在っていうのは私の中ではすごく希少な人だなって思ってるので、大変な部分はもちろんあると思うんですけど、何とか続けてもらいたいなっていうふうに思ってますね。
なんか独卒さんもそうなのかなって思うんですけど、仲間、使命感みたいなのを持っているところがあって。
そうですよね。
自分がやらないと、別にそんな自分を課題評価してるわけじゃないけど、自分がここでアクセル踏んでいかないとやめちゃったら可能性が1個潰れちゃうし、自分にもできることがたくさんあると思うから、まだ少しでも火が灯っているうちは続けようかなっていうのはありますね。
本当にめちゃくちゃ応援してます、私。
ありがとうございます。
本当に同じって言うとちょっとおこがましいんですけど、本当にWebGLとかWebGPUとかいろんなAPIがあって、それを普及したり、人に分かるように解説したりみたいなことって基本的にはお金を生まないっていうか、
でもエンジニア、日本は特にそういう傾向があるのかもしれないですけど、開発者が無償で記事を書いたりして情報をシェアしたりして、業界全体の底上げをしていくっていうのは文化的にもともとあるっちゃあるので、
自分がそのめちゃくちゃ壮大なことやってるとは思わないんですけど、とはいえでもね、先立つものがないと夢語ってるだけじゃ何もできないんで、やっぱそのあたり難しいなとはね、普段からよく感じるんですけど、
でも二宮さんの場合も、やっぱなんか、いや、使命感みたいなのないとたぶん続けられないと思いますよ、本当に。
そうですよね。
そう思います。
情熱と使命感と、あとはなんか、なんだろうな、自分が頑張れば何かしら生き残れる術を持っているっていうのは大きいかもしれないですね。
あーそうですね、最悪なんか住宅で、
行動白みたいなことができるっていうのは、
確かに、それは確かにな。
そうですね、本当に何もなかったら、なんかそれこそお笑い芸人みたいな感じになっちゃうというか、もうね、あとは辞めてただ働くっていう選択肢しかないみたいになっちゃうから。
そうですね。
それに比べたらそうですよね。
まあそういう、何だろうな、いざとなったら自分一人食ってきれる分ぐらいの仕事ができるっていうのもあって始めたっていうのはあるかもしれないですね。
なるほどですね。
確かにそれはあるかもしれないですね。
私も人を雇わずにずっとやってるのはそういう気持ちがあるっていう部分もあるかもしれないです。
一応私も法人化はしてるんですけど誰も雇ってなくて一人でやってるんですけど。
やっぱりもし従業員の方がどなたかいらっしゃるってなったら気分で辞めたりとかできないし。
そうっすよね。
そこら辺難しいなって思いますね。
ビジネスとしてスケールさせていくならどんどん雇ったほうがいいのかもしれないけど、
結構モチベーションがやっぱりお金を稼ぐことではないところが軸足になってるじゃないですか、なんとなく。
だからそこら辺がちょっと難しいとこですよね。
あとはもしかしたらどこかでアクセルを踏むタイミングが来るのかもしれないけど、
僕の場合はまだそのタイミングが来てないと思ってるので、今はそれを探してる段階というか。
なるほど。
普段はどうなんですか。
全然私想像がつかないんですけど、
例えば展示とかも結構そのネオルト側からこういうのやりませんかって声かける感じなんですか、普段って。
展示の運営
そうですね。
この話もしかしたらしてなかったかもしれないんで、
はじめにちょっとしておくと、今、バクロ町のほうでネオルト2っていうリアルのアートギャラリーをやっておりまして、
これまではオンライン上のプラットフォームだけだったんですけど、
2022年の4月から物理的な空間を持ち始めて、展示を開催して作品を販売するみたいな形態でアートギャラリーを運営してるんですね。
毎回展示の作り方でいうと、基本的にはネオルトのほうからアーティストさんのほうに連絡をして一緒にやりませんかって提案をする形なんですけど、
ちょくちょく作家さんのほうから提案してくれたりとか、どこかで会った際にカジュアルにお話をさせてもらって、そこから発展していくみたいなこともありますね。
なるほど。
そこら辺は、新井のみさんが独断で、独断でっていうとちょっとあれなんですけど、独自の心理眼みたいなもので、この人だったらいい展示になるんじゃないかなみたいなところで選定して声がけするみたいな感じですか。
そうですね。そういうことが多いですね。
あのスペースのコンセプトとしては、コンピューターテクノロジーを使ってアートの可能性を開拓するようなスペースっていうふうに歌っていて、新しいテクノロジーがどんどん出てきている中で、
そういったものがどうアートを拡張して面白くしていくのかっていうのを、この展示を作る我々と作家と、あとはそのスペースに来てくれた人と考えるような場所にしたいと思っているので、
実験的なことをしている人だったりとか、新しいテクノロジーを使って面白いことをやっているような人に声がけをさせてもらって、一緒に展示を作っていくという感じですね。
なるほどな。じゃあ結構、ちょっと急に自分の話をしちゃうんですけど、最近結構写真とかを自分で撮るようになって、写真展とかもやっぱりこう、自分がやるっていうわけではないんですけど、写真展ってどういうものなんだろうなとかっていうことを気にしたりするようになってきて、
結局写真展っていうのも、写真を撮っている作家さん、写真家さん本人と、ギャラリー側の人たちとか、企画をしている人たちと、相互的な作業があって展示になってるなっていうのがなんとなくわかってきて、
それを何かわかった上で見てみると、ネオルトも結構そういう場所なのかなっていうのがあったので、結構二宮さんの方からアプローチする部分もすごく大事な役割を果たしてるんじゃないかなっていう想像があって、実際その辺どうなのかなっていうのをちょっと聞いてみたかったんですよね。
でもそうだと思いますよ。ネオルト2のギャラリーもコマーシャルギャラリーというふうな立て付けでやっていて、要はアーティストさんの作品を展示で紹介しつつ、作品を売っていくっていう場所なんですね。
アート作品って一般的にはコレクターさんに作品を販売して、そういうコレクターさんがこの作品はこういうところがいいぞみたいなところとかをいろんな人に伝えてくれて、
あとは批評家の方がいて、この作品はアートの歴史においてどういう意味を持っていて、だからどんな価値があるかみたいなことを語っていったりするんですけど、そういう作品をアーティストが作って表現して終わりっていうだけじゃなくて、
その作品を取り巻くいろんな人たちがいて、アートの歴史の中でどういう価値が帯びるのかみたいなことを話しながら作っていくっていうような世界だったりするので、
ギャラリーの中で作品を紹介する人がどのような観点でその作家を面白いと思っていて、それをプレゼンテーションしていくのかっていうのはすごく大事だと思うので、
そのネオルト2に限らず、いろんなアートギャラリーにおいても展示されている作品って、かなりギャラリーの人のセンスじゃないな、
なんかその観点が非常に含まれていて、すごい重要な存在だとは思っています。
なんかそういうのって、もともとそういうのに関わるようなお仕事されたことがあるって感じなんですか?
いや、全然ですよ。
現場で叩き上げていくような感じですか?
そうですね。学生時代とかはデザインをやっていたので、単に機械的なものを作るだけの、機能的なものを作るエンジニアではなかったんですけど、
見た目に美しいものだったりとか、感覚的にグッとくるようなものが好きだったんですけど、
最初、クリエイティブコーディングを始めたときは、アートは美しさだったりとか、
すごい作家の表現したいものが現れているものだみたいなふうに思っていて、
それも間違いではないと思うんですけど、そういう程度にしか思っていなかったんですけど、
デジタルアートをいかにしていろんな人に知ってもらうかっていう中で、
アートのことについて自分なりに調べていったり勉強する中で、
このアートっていうものの中にも、ルールみたいなものだったりとか、
価値の判断基準みたいなものがあって、どういうプレイヤーがいてみたいなことを知っていくと、
単に作家が持っているうちのあるものを表現したものっていうだけじゃないんだなっていうのが分かってきて、
これも一種の競技ではないけど、ある程度のルールみたいなのがあったりとか、
ビジネスとして関わる人がいながら回っている市場なんだなっていうのはすごい感じたんですよね。
いや、ほんとそうだと思います。
なんかもう本当に同じことを思いました。
写真店のこととか調べてたときに、やっぱ写真も一種アート的な部分があるものだと思うんですけど、
全く写真やってなかった頃の私の思ってた世界と違いすぎて、
ただ写真撮ってるだけやろうってずっと思ってたんですけど、
それをセレクトして展示して、どういうふうに展示するか、どういうふうに見せるかみたいなところって、
本当に言葉では言い尽くせないような、いろんなことを考えて、いろんな人が関わってやってるんだっていうのが、
すごい驚きだったんですよね、私の中で。
今まで誰だってスマートフォンで写真撮れる、動画も撮れる時代で、
でもやっぱ写真家さんたちって特別なんだなっていうのがわかるっていうか、
多分アートの世界もやっぱり、いろんなアートがある中でそれぞれの世界でそういうのがあると思うんですけど、
デジタルアートをこれを実地のオフラインの場所で展示して見せるっていうのは、
それはそれでやっぱり一つの言葉では言い尽くせないものなんじゃないかなって思うし、
そこに関わってたぶん現場にいないと培われない何かが絶対あるだろうなって思うんですよね。
本当にそうだと思います。
デジタルアートなんかは別に物理的な空間にインストールして見せる必要もないですし、
何なら多くの人は自分で作ったものをSNSとかにアップロードして、
アート展示の意義とギャラリーの役割
たくさんの人に見てもらっていいねとか反応があってっていうのが一般的だと思うんですけど、
自分が作ったものをどんな環境でどういう人たちに鑑賞してもらうのかっていうところまでは考えないと思うんですよ。
考えないですよね普通は。
スマホでもPCでもどんなデバイスでも見れるので、
どんな環境で見てもらうかっていうのはあまり考えないと思うんですけど、
実際に展示をやるってなったらその空間でどんなふうに見せるんだみたいなことを改めて考えたりすると、
日々自分が作っているものの最終的なアウトプットがどうやって楽しまれるのが一番自分としてグッとくるんだろうとか考えるようになるんですよね。
そういうところは展示をやったりとか、人に届けるっていうことを意識するようになって考えるようになりましたよね。
間違いない。本当そうですよ。
だって私も適当にいいなと思った場所で適当にシャッター切ってるだけのときはすげえ気が楽なんですけど、
ひとたび本にしようとか、自分なりに出版ではないんですけど、
自分で写真をまとめて冊子にできるサービスっていまいっぱいあって、
それをたまに1ヶ月に1回ぐらいやるんですよ、今月撮った写真をまとめて一冊にするみたいなのをやるんですけど、
それやろうと思った瞬間からなんかすげえ大変になるんですよね。
適当に撮ったやつを適当に並べただけだとダメではないんですよ。
ダメではないんだけど、やっぱそれってあんまり意味ないなって思っちゃうし、
まとめるならまとめるなりの何か意味が自分の中にないといけなくて。
今の私ってまだ写真始めて1年も経ってないぐらいなんで、
ただ撮ってきたものを、ただ適当にいいものを抜粋して並べただけっていうところにしか自分は至ってないなと思ってるんですけど、
でもこれがどんどん鮮明化していくというか、もっともっと自分の中で磨き込まれていったら、
多分もっと全然違うものになっていくと思うし、それをまた人に見せるってなると、
また違ってくるんだろうなって思うし。
なんか本当、我々結構このデジタルな世界でアートっぽいことやってる人も含めて、
CGやってる人たちの多くって、そういう見せ方を考慮して作ってないっていうか、
そうなるつもりで描いてないっていうか、なんかフィーリングで描いてることが多いから。
そうですね。でもそれってすごい自然なことというか当たり前だと思ってて、
僕もそうだったし、別にそれが良い悪いじゃないんですけど、ただ単純にそういう機会が少ないんだなと思っていて。
本当そうだと思います。まずそういう可能性がある、そういう選択肢があるってこと考えないですもんね、なかなか。
そうですね。だから本当に、特に若い人なんかはめちゃくちゃ面白いものづくりしてる人多いじゃないですか。
いいですね。
CGとかVRとか、その辺は本当にすごい才能が溢れてるなと思ってるんですけど、
自分の作ったものをちゃんと発表する場だったりとか見てもらう場っていうのがそんなに存在しない気がしていて、
それがSNSだったりとか映像として流れていったりとか、
今だったらバーチャル空間のヴィアルチャットとかその中で作品を表現するみたいなのもあるかもしれないですけど、
あまり自分が作ったものを鑑賞してもらう、楽しんでもらう環境まで考えてアウトプットしてる人っていうのはそんなにいない気がするので、
それは単にそういう機会が少ないから、そういう可能性のことを考えないっていうだけな気がするんですけど、
もったいないなって僕は思っていて、その人がもったいないっていうよりは、
そういう業界というかその環境が発展していってないことがもったいないなと思うので、
そういう場作りをもっと探求する人が増えるといいんじゃないかなって思ってるんですね。
そうですね。その辺も結構起業されたことのきっかけだったりもするんですか?
そうです。むしろそれが一番の理由かもしれないですね。
自分も作ったものをTwitterとかInstagramにアップロードして、いくつかいいねがついて流れていくみたいなことをずっと繰り返していて、
僕の場合はプログラムを書いてリアルタイムにレンタリングする何かを作っているので、
動画にしてそれをTwitterに流してみたいなって全然最適なアウトプットではないですし、
スマホのスクリーンで見たりとかパソコンの画面で見るっていうのもなんか違うし、
でも作っているもの自体は他の人のものも含めてすごい面白いなと思っていたので、
こういう作品を楽しめる環境を作りたいなっていうところからネオルトを始めたんですね。
まだその問題に対しての最適な解は出せていない状態ですけど、
それが絶対必要だろうなとは思っていますし、そういうのを作らないといけないなと思うんですよ。
デジタルアートの展示とアウトプットの可能性
そうですね。本当そうだと思います。
前回出てくれた西辻さんっていう方がいらっしゃって、
その方もシェーダーを描かれる方なんですけど、
シェーダーを描いて絵を作って、それを割とガチ目のコンテストに出品して、
静止画を紙に焼いて、それを割とガチ目のアートのコンテストに出して、
それで大賞を取っちゃったっていう人だったんですけど。
すごい。
なんかその時も私話聞いてて思ったんですけど、絶対俺たちそんなこと考えねえよなって思うんですよ、普通に考えると。
そうなんですよね。
シェーダーライブコーディングしてたりとか、VJみたいなことして、
うわ、かっこいい、すげえ、みたいなことはいっぱいやってきたし見てきたけど、
それを4Kで焼いてみて出展してみようっていう発想ないし、
それが大賞を取って有名になるみたいな道を全く選択肢として考えないし、
たぶんそれと同じように、ネオルト2で展示しようみたいなことって、
なかなか考えないと思うんですよ、普通は。
本当にそうだと思います。
だからたぶん新宿さんとかネオルトが目指しているところって、
たぶんすごくそういう意味でも価値があるというか、選択肢を広げることの一つなのかなって思うんで、
そこら辺はやっぱり企業のきっかけでもあったっていう話でしたけど、
すごく大事にしている部分っていう感じなんですね、そうすると。
そうですね。ものすごくたくさんの人が面白いものづくりをしていて、
それらを楽しめる環境がまだ少ないと思ったので、
そういうところが増えるべきなんじゃないかなって思ってます。
いや、間違いないですね、それは。本当にそうだと思うわ。
なんか私も写真やんなかったらこんなことたぶん考えなかったんですけど、
いや、なんかね、なんだろうな。
なんか本当そういうことをそもそも根本から考えてないんだよな、普段。
それはまあしょうがないことなのかもしれないんですけど、
作品を作って発表する意義
集めて展示するっていう頭がまあないですよね。なんかそういう発想がないっていうか。
そうですね。なんだろうな。
なんか自分の作っているものを作品として発表するみたいなことを、
当時の僕もあまり考えてなかったし、
そういうのを意識しない人って多いんじゃないかなって思うんですね。
自分の好奇心をベースにして表現したいものを作ってこんなものができたっていう。
僕はそれ自体はめちゃくちゃ面白いし、すごい意義深いと思うんですけど、
それを作品としてちゃんと自分のコンセプトとかメッセージを込めて発信したら、
もっと広い層に届きそうな気もするんですよ。
アートってそういうものかなと思っていて、自分が表現したいものがあって、
それがアートの歴史の中でどういう意味があって、
自分はこれを作れました。
それを評価している人がいて、それに価値がついていくっていうようなものだと思うんで。
別に全ての創作がアートである必要はないんですけど、
アートとは何か
そういう作品としてものづくりをするっていう機会がもっとあってもいいんじゃないかなと思っていて、
そういったものづくりはクライアントワークとも違いますし、
日々の実験的なスケッチ的なものとも多分違いますし、
そういう自分の創作を作品としてアウトプットするような機会がもっと増えても面白いんじゃないかなって思うんですよ。
そうですね、それ本当そうだと思います。本当にそう思います。
まあでもなんかどうなんですかね。今の若い子たちとかはどうなんだろうな。
どこからが若いでどこからが若くないっていうところの線引き難しいんですけど、
実際じゃあこういう道もあるよっていうことを十分に示してあげられたとしたら、
そこに一体どれぐらいの需要があるというか、どれぐらいの人がじゃあやってみようっていうふうになるのか、
なんか私も全然想像がつかないですけど、
まあでも結構大学とかでこう展示してとかっていうのはよくやると思うんですけど、
それがやっぱ社会人になったりするとそういう機会全然ないっていう人が大半だと思うんで。
自分の創作物で生きていくみたいなのは当然難しいし、
特にこういうテクノロジーアート系の分野では選択肢に上がらないと思うので、
アーティストになるっていう選択もほぼしないでしょうし、
テクノロジーを使えたらそうじゃない、
クライアントワークだったりとかいろんなところで引っ張りだくだと思うので、
そういったところで全然生きていけちゃうから、
自分の創作で生きていかなくてもいいですよね、きっと。
そうですね。現実としてはそういうふうになりがちっていうか、
そこに落ち着いちゃいがちですよね、普通にやってるとね。
比較する必要ないんですけど、僕がやってるギャラリーって3つのアートスペースが入っていて、
1個のボロボロのビルの中の3階部分が僕らのネオルトツーっていうスペースで、
下と上はコンテンポラリーアートのスペースなんですね。
絵を描いたりとか彫刻家だったりとかっていう方の展示をよくやってるんですけど、
そういう方ってなかなか彫刻自体がクライアントワークにはなりづらかったりするので、
アーティストとして生きていかないとそれの代替はないっていう人たちが多いんですよね。
なるほど。
だからアーティストとしてしか生きられないみたいな人がすごい多くて。
だから自分の作る作品で生きていかなくちゃいけないっていうような、
そういうハングリー精神にも似たようなものを持っている人が多い気がしていて、
それは行動がかけてウェブサイトやアプリも作れて、
でも自分の趣味で表現活動をしてますっていう人よりも、
アーティストとしてやっていく選択が多いですよね、きっと。
そうですね。
どっちがいいわけでもないんですけど、
現実問題としていろんなところで活動のチャンスがあるプログラマーとか、
そういうデジタルのクリエイションができる人っていうのはアーティストを選ばない人が多い気がするんですよ。
そうかも。そう言われてみたらそうかもしれないですね。
本当にどっちがいい悪いんじゃないんですけど、
僕がこういうギャラリーの仕事を始めてみて、
そうなんだなってすごい思ったんですよ。
面白い。その話めちゃくちゃ面白い話ですね。
それ確かにあるかもしんないな。
いや、多分そうだと思いますよ。実際そうだと思います。
それ多分にのみさんの感覚の話だけじゃなくて、
たぶんちゃんと調べたら統計的にも絶対そう思いますね。
なるほどな。
確かにそうですね。
デジタルな人たちって、本当にいろんなお金の稼ぎ方ありますもんね。
デジタルの技術ってね。
確かに。
そうですね。
確かにそうだな。彫刻しかできないってなったら、
そしたらもうそこにかけるしかないですもんね、全てを。
そうなんですよ。だから結構変態的な動きをしてる人が多くて、
本当に自分の全てをその作品に継ぎ込んで、
それに向き合ってるんだろうなって人がたくさんいるんですよね。
そうですね。
だからその純度まで高められるデジタルな人って、
たぶんなかなか環境がそれを許さないというか、
そういうふうになりにくいんでしょうね、たぶんね。
そうだと思いますね。
ここからなんだろうな。
こういうデジタルのものづくりをしている人でも、
自分の作品を作って、それがコレクターの手に渡ってお金になるっていうことだったりとか、
そういう創作によって生きていく可能性があるっていうのを知ってもらうというか、
実例をたくさん作ることで、
そういうアーティストとして生きようっていう選択肢が出てきたら面白いかなと思っていて。
そうですね。
たぶん環境がまずなかったら、
何もなくて、ただ俺はそうやって生きていくんだっていうふうにできないですもんね。
アートとして評価されるっていう世界がまずないと、
それだけでやっていくことはならないんで、順番的に。
そうなんですよね。
それが必ずしもアートである必要もないとは思うんですけど、
分かりやすくアートマーケットの中だと、作った作品は何らかの評価を下されて、
そこに金銭的な価値がついてみたいな構造にはなっているので、
そこに乗るようなデジタルクリエイターとかがいて、もっと増えてもいいんじゃないかなって思うんです。
私全然無知なんで、ちょっと検討違いな質問だったら申し訳ないんですけど、
日本と海外で比べると、みたいなのあったりするんですか、そういうところって。
アートの理解と普及
やっぱり海外の方がそもそもアートっていうものに対するリテラシーが高いみたいなのはあるかもしれないですね。
日常的に部屋に絵画を飾っていたりとか、
誰かへのプレゼントとしてちょっとしたアート作品を買って送るとかっていうのもあったりするみたいですし、
そういう日常生活の中でアートに触れる機会が多分日本人よりも多いんじゃないですかね。
っていうので、アートをまず買うっていう習慣がそんなに得意なものではないのと、
日々生活していてアートが身近に溢れているので、アーティストになるっていう選択肢をする人も多いのかな。
確かに。
やっぱり日本は本当に絵を買いますなんていうと、
なんか変な目で見られるというか、
単純にアートを楽しんでる人っていうふうにはなかなか見なされない見え方になっちゃいがちなところがありますもんね。
日本人って美術館の企画展、ごっほ展とか何々展とかあったりすると思うんですけど、
そういうのに対する来場者数って世界的に見てもめちゃくちゃ多いんですって。
絵にもかかわらず、絵を買うとかアートを買うっていうことに関してはもうめちゃくちゃ事例が少なくて。
アートマーケットの中で日本が占める割合って4%とかそれぐらいしかないみたいで、
アート作品を売ってビジネスをするっていう意味では厳しい市場らしいんですけど、
でも美術館にはめちゃめちゃ多くの人が足を運んで、興味はすごい持っているらしいんですね。
だから結構特殊な国民性というか。
そうですね。
ネオルトⅡのお客さんたちはどうですか?
私が何回かお伺いしたときは、ご挨拶させていただいたときは、
あの時は高尾さんの展示をやられたときだったかな、だったと思うんですけど、
結構なんか家族連れとかもいたりして、意外と年齢層もバラバラで、
なんかやっぱ不思議な感じがしたというか、
例えば高尾さんだったら高尾さんの周辺にはこういう人がいそうだなっていうなんとなくあるじゃないですか。
デジタルアートとか好きなこういう感じの人がいるのかなと思いきや、
結構普通に子連れの家族連れの方が来てたりとかして、
やっぱり全然デジタルでやるのとこうやって実地でやるのって全然違うなってあの時も思ったんですけど。
そうですね。いろんな層の人は来てくれますし、
あのビル自体がコンテンポラリーアートのスペースもあったりとか、
ネオルトみたいなデジタルのスペースがあったりとか、いろんなギャラリーがミックスして入っているので、
そのビルに来てくれた人が全部巡るみたいな感じもあって、
割と来る層は広い気がしますね。
そうですよね。だから多分みんな別に見て何も感じないとかそういうわけでもないし、
見たら多分普通にそれを楽しめる部分はあるんだと思うんですけど、
とはいえアート作品を買うってなると急になんか変な感じになっちゃいますよね。
そうですね。ちょっとその敷居は高い気がしますね。
なんでなんですかね。なんか家とかに別に飾っても飾ってる人とかもやっぱ少ないですよね、多分。
そうですね。少ないとは思いますね。大部ほど大きな壁はないだろうし。
確かにね。なんか自分の好きなアーティストとかっていうのも、
海外とかの方々と比べたら少ないのかもしれないですよね、日本人の場合は。
そうかも。イラストレーターさんとかそういう方はたくさんいて、ファンもたくさんいらっしゃると思いますけど、
アートっていう文脈で言うとちょっと違ったりする感じもしますし。
なんか漫画とかイラストだと確かになんかこの人のファンですみたいなのあると思うんですけど、
アーティストってなると急になんか誰のって別にないっていうか。
なんかそんな感じですよね、確かにね。
本当にそうなんですよね。
なんでなんだろうな。
だからクリエイターさんはめちゃくちゃファンが多いのかもしれない。ファンというか強いのかな、日本的には。
イラストを描いたりとか映像、アニメーションを作ったりとか。
確かに。
漫画とか。
そうですね。だからやっぱりそもそもがクリエイティブとアートっていうものがごちゃ混ぜになっちゃってるというか、
ちゃんとそこを噛み砕けてない人が多いような気がしますね、なんとなくですけど。
そもそもアートというものに対する理解がやっぱりちょっと足りてないというか。
だから先ほどその新見さんはリテラシーという言葉で表現されてましたけど、まさにリテラシーなのかもしれないですね。
シンプルにその分野を知らないだけな気がしますけどね。
そうですね。
全ての人が創作物をアートにするべきだと思わないんですけど、
単純に作ったものに価値が帯びて、それが評価をされて金銭的な価値に還元されるみたいな、
アートのそういう構造を知らない人が多分多いんじゃないかなと思っていて。
そうですよね。だって教わったことない気がしますもん。
教わらないですね。
教わらないですよね。
教わらないですね。
アートが何たるかみたいな、そもそもアートとはみたいな話もほとんどされることないし、
そういうふうにアートの世界はこういうふうに回ってんだよみたいなことも教わることないですもんね。
そうですね。
でも何か作っているものとしては、クリエイターさんがめちゃめちゃ面白いものづくりをしていると思っているので、
ちょっとこういうアートの分野の絵を見てものづくりをしても、かなり面白い創作につながるんじゃないかなって思うんですよね。
そうですね。
これは若干僕のポジショントークに入ってますけど、
作品作りの視点
でもそういうアートの分野でクリエイティビティを発揮するデジタルクリエイターさんとかもっと増えてもいいんじゃないかなって思ってるんですよね。
そうですね。
なんかもっと、結構WebGLスクールとかJLSLスクールでもよく言う話なんですけど、
人に見せようと思って作るものって絶対変わってくるんですよね。
自分の感覚でただシェーダーを描いて、綺麗な絵ができたなとかかっこいい絵になったなっていうだけのものと、
作品として作るっていう視点で取り組んでいるものって、明らかに別のものになるじゃないですか。
そうですね。
アーティストであれとは別に思わないんですけど、スクールの中でもよく言うのは、やらないのはマジで損ですよっていうふうに言うんですよ。
せっかくスクールという環境があって、みんなで一斉にスタートラインからバーンってスタートしてやっていくわけだから、
恥ずかしさ、自分はこんなものしか作れないみたいな劣等感だったりとか恥ずかしさみたいなものって本当にもったいないから、
それを見せたからといってバカにするような人いないじゃないですか、別に、実際問題として。
そんなものを見せんじゃねえみたいなことを言う人っていないし、結局自分で自分にブレーキをかけてるだけだと思うんですよね、多くの場合って。
そう思います。
社会に対して、母数の多いところに対してボーンって放り投げれば、それは中には心ないことを言う人だったりいてもおかしくないと思うんですけど、
少なくともスクールみたいな環境でみんなで学んでいこうっていう状況下で、お前のやつダメだろみたいなこと言うやつは絶対いないわけで。
だからもう、やらないと損ですよっていう感じのことを結構最初に言ったりするんですけど。
多くの人がそういうモチベーションで作品作りしてたら全然違う世界が実は開けてくるんじゃないかみたいなのはやっぱり思うことありますね、私自身も。
そうですよね。だから東京デモフェストとかこの前やったセッションズとかなんかめちゃくちゃ貴重な機会だなと思ってて。
確かに。
ああいう作品として発表する場所っていうのはめちゃくちゃ意義深いなって思ってるんですよね。
ほんとそうだと思います。なんで、結構JLSLのスクールの方では発表会やったりしてるんですけど、やっぱね、ああいうのはすげえいいなと思いますね。
すごくなんか出した人はめっちゃ良かったって言ってくれる人が多いような気がしますね。
これやったことないとわかんないじゃないですか。と俺は思ってるんですよね。
俺も東京デモフェストとかなんかで作品出した時に、みんなで見るわけですよね、その作品を。
自分の作品が流れるか流れないか待ちながらドキドキしている時っていうのが、何て言うんだろう、得難い経験なんですよね。
言葉で説明できないっていうか。絶対やった方がいいですよっていつもみんなに言ってるんですけど。
多分なんか、ほんと作品作り、なんかちょっとすごい話が迷走してきたというか、すごい変なとこに巻き込んじゃったような感じの話題で申し訳ないんですけど、
なんか私はデジタルアート、アートじゃなくてもいいとは思うんですけど、やっぱり作品を作れる環境っていうのが、もっともっと増えていったらいいなっていうのは単純に思ってて。
なんか本当にネオルト2で展示されてるやつとかも、もっともっといろんなものを見てみたいなって思うし、
そういう意味では本当に、なんかこれも最初に戻っちゃうような感じですけど、新井さんの活動は本当にすげえ貴重人材だなって思ってます。
だからこういうWebGLも含め、プログラミングが一個のツールだと僕は思っているので、
なんかこのコートで書いてるからといって、必ずしもこのスクリーンの中で全てを完結させる必要もないと思うので、
アートの奥深さの開拓
そういったプログラミングを別のメディアに落とし込んだりとか、別の形態で作品として発表することができるっていうのも、
アートっていう、割といろんなジャンルを包括しているフィールドだからできることなのかなと思っていて、
映像であれば映像として出力をしないといけないと思うので、MP4だったりとかリアルタイムのスクリーンで見る映像にしなくちゃいけないんですけど、
コートで作ったものを3Dプリントに落として彫刻にしてもいいし、
スクリーンを組み合わせて立体的な彫刻みたいなのを作って、
その表面のサーフェイスをテクスチャーみたいに貼って、そこにシェーダーを書いてもいいし、
1個の自分の表現のツールとしてこういうWebGLとかプログラミングを使うっていう選択肢も全然ありだと思うし、
そういう方向がもっと増えると僕は面白い気がしているので、
そういう選択ができるのって、一つの形態に縛られないアートみたいな自由なジャンルだからできるんじゃないかなって思うんですよね。
そうですね。
本当に、今日すげえふわふわした話ばっかりしちゃって申し訳ないですけど、
本当に、最近アートの奥深さっていうものが自分でわかるようになってきちゃったというか、
本当に私、アートみたいなものを特に全然やってこなかったし、
あんまりそういうことを考えてこなかったし、
エンジニア全としているというか、プログラマー全としているというか、
何でもロジカルに考えちゃうようなことばっかりやってきたんですけど、
写真をやり始めたせいで、自分のアーティストっぽいところが少しずつ開発されているような感覚があって、
素晴らしいじゃないですか。
気になってしょうがないですよね。
アートというものに対して、アンテナがすごい立ってしまっているような感覚があって、
本当に自分で自分を殻に閉じ込めてるなっていうことをすごく感じるんですよね、最近。
っていうのは、例えば写真店とかのウェブサイトとかを見ていて、
こういう写真、こういう作品が受賞しましたよみたいな、
その選考結果のページとかを見ていると、
ぱっと見、マジでわけがわかんないっていうか、意味がわかんない絵なんですよ、その絵だけを見たときに。
これの何がすごくてこんなことになってるんだっていうことがまずわかんないし、
でもわかるようになりたいなとも思うし、
よくよくその作品の解説とか読んでみると、
AIでジェネレートしたものをディスプレイに移して、そこに観光史を重ねて観光させたやつを写真に現像してみたいなことが書いてあって、
とんでもないことを考えるやつがいるなと思って。
その人は要は、AIという最新の技術がある中で写真とはどうあるべきかみたいなことを自分なりに表現したっていうことなんですけど、
こんなとんでもないことを考えるやついるんだっていうことの興奮がもう襲ってくるし、
それをわかった上で、さっきの意味わからんやつを見てみると、なるほどなっていうふうになるんですよ。
自分の中で消化できたときの、なんていうんですか、アドレナリンが出る感じが、
アートって本当にすげえなっていうふうに思うんですよね、最近。
たぶんデジタルな、たとえばネオルト2とかで展示されてるものとかも、
さっき作り手とギャラリーの人との共同作業というか、みんなで作ってるものだよっていうのはお話あったと思うんですけど、
アートの奥深さの感じ方
結局見る側がどれだけそこをうまく受け取れるかみたいな部分もあるし、
そこって逆に受け取り方は受け取りっていうのは自由っていうか、読み取れて嬉しいっていうのも一つ正解だと思うし、
わかんないままっていうのも、それはそれでダメではないと思うんですよ。
なんかその懐の深さっていうか、奥深さみたいなもんが、なんか最近すごい個人的に、
自分の中ですごく言語化できない興奮みたいなものがあって、
なんかだからニーノさんの話聞いてるとなんかすごい楽しくなってきちゃって、ちょっと興奮気味になってきちゃうんですけど。
すごいですね、写真を自分で撮り始めて、いろんな写真を見るようになってからそういうことを感じるようになったわけですね。
感じるようになりましたっていうのは、なんか本当に意味がわかんないんですよ。
なんかその有名な写真家のとか、有名な、今人気のある日本の写真家はこの人ですよみたいな人の写真とか見て、
マジでわかんないですよ、何がいいんだか。何がいいんだかわかんないし、
なんでこれが評価されてるのかっていうのも全然わかんないですよ、大体のものって見ても。
でもなんかたまにわかるやつっていうか、そういうことなんだっていうのが理解できるものがちらほら出てきたときの、
この先に多分あるんだろうなっていうゴールがどこか、ゴールっていうか、そういう世界が絶対あるなっていう確信だけはあって、
そこにまだ行けないみたいな感じなんですよね。
でもなんかその可能性を見つけてしまったから、そんなにハマってしまったのかもしれないですね。
そういうことです。
世の中に溢れる一般的なものってすごくわかりやすくて、パッと見たり体験したときにわかるようなものが多いじゃないですか。
最近は特にそういうわかりやすいものが親しまれているような気もするんですけど、
パッと見たときに何なのかよくわからないけど、なんかちょっと気になるみたいな引っかかりがあるものがなんだろうな、
その奥に何か面白いものが隠れていたりとかするのかもしれないですね。
本当にそうだと思います。
なんかさっき芸術家のアーティストの方は、例えば彫刻だったらそれしかできないっていうある種の変態的なみたいな話もあったんですけど、
なんかその順度でデジタルやれてる人って多分なかなかいなくて、
そういう意味では可能性の塊っていうか、まさにこれから広がっていく世界なんじゃないかなって思うし、
なんか写真とかはね、もう結構そういう次元の人たちしか逆にいないっていうか、
有名な写真家さんたちの写真見ても、マージで素人撮ったやつと見分けつかないっていうかわかんないっていうか、
自分ではうまく消化できないんですよ。
ただ、でも違うんだろうなっていうことだけはわかってきたんですよね、なんか最近。
なんかそこがこう、存在することの可能性だけはわかってしまったから。
そうなんですよね。
なんかその作品の裏側にある何かに可能性を感じてしまうというか、見出してしまうみたいな。
そういう奥行き感がアートには顕著にあるような気がするから、そこに結構グッと起きているのかな。
そうですね。多分なんか結構エンジニアっぽい感じの方たちは間接的に関わってることが多いのかもしれないですよね。
なんか例えば映像とかもやっぱりCG使って映像が作られてっていうのはもう当たり前になってきてるし、
なんかみんな近い場所にはいるんだけど、自分自身が何かすごい煮詰めて煮詰めてこう、
味の濃い感じになったものをドンって出すみたいなのは、あんまりやってる人が、今は少なくともあんまりいない感じはするんで。
そうですね。
でも作れるスキルのある人たちがほとんどだと思うので、
持っているその武器を使って何かしらのものを作ったら、それが何であれ結構面白いものが出来上がるんだろうと思うんですよ。
いやー間違いない。本当だってもう、ツイッターとか見てても、
なんでこんな若いのにこんなこと出来ちゃうんだこいつ、みたいなやついっぱいいますからね。
本当にそうなんですよね。
本当にそう思います。
だから本当なんか、見せてもらいたいっていうか、見てみたいですよね。
そういう作品をもっともっとたくさん。
そうなんですよ。
だからそういう、なんだろうな、お客さんがいてそこに対して作った素晴らしいものっていうだけじゃなくて、
その一人の人間が見ている世界を作品に落とし込んだなんだかよくわからないものを見てみたいなという気が。
そうですね。
するんですよ。
なんだかよくわからないものを本当に見てみたいです。本当に。
だってCGはやっぱりこうすれば鉄板っていう見せ方がある程度あるし、
なんだかよくわからないもののレベルに到達している表現ってあんま見ないっすもん正直。
そうですね。
シンプルにね、なんだかよくわからないものを作っただけではお金にならないから、
やらないっていうのがまともな感覚なんですけど、
そうですね。
それを何かやって続けてしまうのがアーティストなんで、
たまにはそういう創作をしてもいいんじゃないでしょうかと。
そうですね。本当そう思います。
ドクサスさんの写真撮影の始まり
本当なんかわけわかんないものとか、一生懸命作ってるやつを掘り返して、
みんな並べて見てみたいって本当に思っちゃいますね。
ニーノミさんご自身はどうなんですか?
自分自身はクリエイターなのか、それともアーティストなのかで言うと、
どういうふうに捉えてるんですか?自分自身のことは。
自分は結構最近はアーティスト志向も強くてですね、
ネオルトの代表としてはそういったアーティストさんの活動を支援するようなことをやってるんですけど、
同時に自分として表現したいものもたくさんあって、
そういう表現したいものがやっぱりアートというフォーマットで出すほうが合っているんだろうなって思うんですよね。
自分はプログラムを書いて何かしらのビジュアルを作るっていうことが多いんですけど、
映像を作りたいわけでもないですし、インタラクションできるインスタレーションをそれだけを作りたいわけでもないし、
アウトプットのメディアがすごく自分はその時によって変わるので、
映像作家とも言えないし、CGアーティストも言えないし、もちろんイラストレーターでもないし、
アウトプットの形態は何でもありで、表現を自由にできるアートっていうフィールドがあっていて、
かつ自分が作るものは視覚的には普遍的なものかもしれないですけど、
自分が見ている世界を自分なりに解釈して、それにコンセプトを与えて作品として落とし込むっていうことが楽しかったりするので、
そういうことを考えていくと、シンプルなクリエイションっていうよりはアートとして見てもらった方が自分としてはいいんですよね。
だからそういったものが最近はあっているなと思っていて。
じゃあやっぱりそういう意味ではすごい転職というか、なるべくして現在に至ってるっていう感じですね。
本当にそうかもしれないですね。
一応このアートのことをずっと考えて、それとテクノロジーを組み合わせて何ができるかっていうのを考えていく中で、
環境作りもやりたいし、自分として表現したいものもどんどん生まれてくるっていうところで、
アーティストでもあり、環境を作る企業家でもあるみたいな感じでやっているのかな。
なんかこれ本当に個人的な質問になっちゃうんですけど、ただの興味になっちゃうんですけど、
例えばニーノミさんご自身がアーティストとして何かを作って展示したりしているときに、
見に来た人たちにどう振る舞ってもらうのがいいですか。
そこはやっぱりこれはどういう意味なんですかって聞いてほしいのか、
何も言わずに立ち去っていってしまうことでそれで別に構わないのか、どうなんですか、そこらへん。
どう見ていただいても構わないんですけど、
自分としては何かこれが何なのかみたいなのを色々コミュニケーションして話して、
僕自身も新しい側面を見出してもらいたいし、
そういう意味で積極的に話したりしてくれると嬉しいなとは思いますね。
なんか一般的にはどうなんですか、そういう現場に結構立ち会うことも多いと思うんですけど、
やっぱりその表現したい本人が結構その場所にいる場合は、
割とみんな来場者さんたちとお話しされる方が多い感じですかね。
アーティスト本人がいたら話すことの方が多いと思いますね。
なるほど。
なんか自分が展示とかやったことないから全く想像つかないんですけど、
なんか例えば自分が撮った写真とか展示してて、
この写真はどういうあれなんですかとか聞かれたら、
写真を通じた自己表現
俺何も言えねえなと思ってる。
みんなどうなんだ、なんかその展示するレベルにまで行ってる人たちだったら、
やっぱ聞かれたら嬉しいもんなのか、説明した方が嬉しいんですかね、聞かれた方が嬉しいとか、
なんかそこら辺が全く自分では想像できないなと思ったんですけど。
わかんないですけど、
でもなんか自分が作ったものについて話をするのって楽しくないですかね。
なんかそうか、そうですね、確かにそうですね。
多分いろいろ聞かれたら、なんか話せるようなことってどんどん出てくる気がするし、
もしかしたらその人なりの新しい観点を与えてくれるかもしれないし、
僕はそういうコミュニケーションすること自体は普通に楽しいので積極的にやるんですけど。
確かにな、そうですね。
なんかでもそうですね、自分が何か作ってそれについて別に褒めてくれなくても、
一緒にそれについて話してるだけで楽しいですもんね。
そうそう、この写真これどこで撮ったんですかとか、何枚ぐらい撮ったんですかとか、
そんなたまいない話でもいい気がするし。
いや確かにそれでもいいな、確かにそうっすね。
そんなシンプルな会話でもなんか楽しい気がするんだよな。
そうですね、言われてみりゃそうだわ。
だって何も言わずに立ち去られるよりは、それは興味持ってくれた方が絶対嬉しいですもんね。
そうですね。
確かには。
なんかでも写真とかになっちゃうともう、これについて聞いていいのかなみたいな気持ちになっちゃうときもあるから、
そこら辺はまあ人によっていろいろあるのかもしれないですけどね。
そうかもしれないですね。
なるほどな。
ドクサスさんがこれほど写真にはまっているとは。
いや私結構ね、なんかもうちょっと個人的な話をしちゃうんですけど、
ずっと仕事が超忙しすぎて、
なんかもう自分に対してのインプットがない状態で、
ずっと仕事だけをしているみたいな状態が2年ぐらいあったんですよね。
それでもう1回ちょっと、
暇になりすぎるぐらい暇にしたほうがいいなと思ったんですよ。
暇になりすぎるぐらい暇にしてる状態に今入ってるんですけど、
いろいろ片付いて、
まあ割と余裕のある状態に今なっていきつつあるんですけど、
それと写真をやり始めたタイミングが割とこうシンクロしていたせいで、
ずっと写真をやってても大丈夫な状況になっちゃったんですね。
これもノーマライズFMで何度か喋ってるんですけど、
家の事情でちょっと朝早く起きなきゃいけなくなって、
もう5時台とかに起きるようになったんですよ。
で、外を散歩しに行くようになって、
ただ歩いてるのつまんないから写真撮ろうかなってなったっていう経緯だったんですけど、
撮ってたらだんだん楽しくなってきちゃって、
割と写真を撮るために散歩に行くようになっちゃったんですよね。
最初はおまけのつもりで撮ってただけだったんですけど。
で、時間も結構余裕があるんで、
朝6時くらいに起きて3時間くらい散歩して写真撮って、
家に帰ってきてそれを選別して、
フォルダーの中でいらないやついるやつを選別して、
で、その日の何枚かをセレクトするんですよ。
その残ったやつの中からその日の何枚かをセレクトして、
で、その写真を上げてるツイッターアカウントのほうにやってあげて、
別にそこでは何も言わないんですけど、
それをさらに月でまたまとめて1冊の本にして、
すごいですね。
ってやってると、別に自分がアーティストになったとは思わないんですけど、
なんか磨かれてくるものがあるんですよね。
写真撮影の喜びと新たな視点
やっぱりなんか違って見えるようになってくるっていうか、
続けてると違うものに感じ始めてくるんですよ、少しずつなんですけど。
今は作品を撮ってる感覚でカメラを撮れるようになってきたって感じですね、だんだん。
作品を作るつもりで構えられるようになってきたっていうか、
ただなんとなく撮ってたところが、
なんとなくその最終的に作品になるなっていう感覚で撮ることができるようになってきたっていう感じで、
なんかね、もう本当に1日の半分ぐらいを写真に使ってますね、今は。
すごいですね。やっぱりその選ぶっていうプロセスが大事なのかもしれないですね。
撮ったものを選別して何を見せるべきかみたいなことを考えて、
それを写真を撮るときも意識するようになって、
どこに出かけるかも多分意識するようになって、
そういうサイクルがなんか、
世の中を見るレンズが新しくなったじゃないけど、見方がちょっと変わるのかもしれないですね。
本当にそうだと思います。
なんかもう見えてる世界は全然違いますね、1年前と。
やっぱりこんなとこにこんな世界あったんだっていうのを意外とみんな見てるようで見てないですからね。
それが1年前の自分を思い返すとわかるっていうか、
目には視界には入ってるけど見てないっていうか、
捉えてないものがいっぱい無数にあって、
写真をやり始めると同じもの撮ってたらつまんないから、
いろんなものを撮るようになっていくんですよ、続けてれば続けてる分だけ。
こんなしゃがんでここ見てみたらこんなもんあったんだみたいな感じのこととか、
いろんなことがあって、
ほんとね、1日3,400枚くらいは撮るんですよ。
3時間とか外にいるんで、
3,400枚とか撮って、
で、その中から残るのが大体数十枚残って、
その数十枚残ったやつの中から3枚ぐらいとかがTwitterに上がって、
さらにその中から1ヶ月にまとめて100枚ぐらいが本になるんですけど、
そんなこと1年やってたらそれはなんかおかしな感じになってきますよね。
やっぱりそうですよね、それを続けてたら自分の中で何かしら表現したいものとか見えてくるものは出てきそうですよね。
そう、なんかね、もう無関心ではいられなくなるっていうか、
嫌でも何かが抽出されてきちゃうっていうか、
自分というフィルターを通して残ったものが見えちゃうんですよね、なんか。
それをやり続けていくと多分変態的な人になっていくんだと思うんですけど。
そうですね、いやこれですよ本当に。
ドクサスさんみたいなこういう行いをする人が増えてくると面白いなと思うんです。
そうですよね、だからデジタルアートとかをやる場合も多分同じで、
なんかもうとにかくシェーダー描くのが楽しい。
シェーダーを毎日毎日、少しずつでもいいから毎日描くみたいなことをやってると、
やっぱりその自分の中で一つの形が見えてくるっていうか、
作品にする価値のあるものが自分の中で立ち上ってくるっていうか。
で、それをやっぱなんかアウトプットする場所がないっていうのはすごく悲しいことっていうか、
もったいないじゃないですか。
そうですね。
だからまあ、なんか写真だったらいっぱい写真っていうのとかもあるし、
なんかすごい大きいショーとかもあるし、
自分がそれに応募するかどうかはまた別の話ですけど、
少なくとも場は用意されていて、
デジタルの世界もね、もっともっとそういうアウトプットしていい場所っていうのが増えたらいいなっていうのはやっぱ思いますね。
ちなみに独卒さんが本にしたりしてるのは何か目的があったりとかするんですか?
それともこれまで撮ったものがあるからせっかくだから。
最初はせっかくだからだったんですよね。
最初はせっかくだからっていう感覚だったし、
セレクトしてみるっていうことを一回やってみようと思ったんですよ。
写真家になるとかそういうことは別に思ってないんだけども、
同じことをやってみたいっていうか、経験してみたいと思ったんで、
一回その1ヶ月分の写真を全部並べて、並べてって言っても別に印刷とかはしてないでディスプレイ上なんですけど、
全部並べて見てみて、その中から引っ張り出してきたやつを本にするつもりで並べてみたんですけど、
これは相当大変だなと思って、ただ事じゃねえなと思って。
でもまあ初心者なんで、何も考えてないっちゃ考えてないですよ。
適当に見栄えよく並べてみて、ここに余白を入れたほうがいいのか、入れないほうがいいのか、
2つ並べたほうがいいのか、1つでちょっと余白広めで置いたほうがいいのかとか考えるじゃないですか、分かんないなりに。
その分かんないなりに考えて、いやこれはただ事じゃねえっていうことが分かって、
ちょっと飽きるまでやってみようかなと思って毎月やってるって感じですね。
なるほどね。
いや本当にね、枠あるかないかで全然違って見えるんですよ、写真の見え方が。
いやそうですよね。
アートと写真の関係性
だからなんかすごい、本当自分が別に写真家になろうとまでは思ってないんですけど、
こんな世界があるんだっていうことが面白すぎて、やってしまうって感じですかね。
いやいいですね、めちゃくちゃいいなそれ。
なんか多分デジタルで何かを作ってる人たちも、
作品にするつもりでやったら全然違う世界が見えるんですよね、多分なんですけど。
いや本当にそうですよ。
めちゃくちゃそうで、普段作ってるものも、
じゃあ例えば物理的な場所で展示するってなったら、
そのまま普段作ってるもの出してもなんかイケてないなって思ったりとかするからだから、
それ用にどうやったらかっこよく見えるのかとか考えるとちょっと作り方も変わるし、
物理的な空間じゃなくてもいいかもしれないですけど、
ウェブサイト上で綺麗に見せたりとかするとかを考えると、
多分ただ作ったものをレイアウトするだけだとなんか違うなみたいなのはあるんですよね。
いや本当そうだと思います。
本当にそうだと思います。
やっぱり作品にするぞっていうつもりでやると、
本当に全然別物になってくるなっていうのは、
なんか最近もう身をもって感じているところではあるんで、本当にそうだと思いますね。
大事ですね。
見えないさん自身はどうなんですか、そういう普段から結構意識して、
作品にするっていうつもりで取り組むみたいなことって割と普段からやられてるんですか?
制作だったり創作だったりする時に。
そうですね。結構意識してそういう時間を取るようにしていて、
自分の作品作りはコンスタントにやってますし、
一方で素振りみたいな感覚でスケッチのような感じで、
短時間で作るみたいなこともできる限りやろうとしてますけどね。
もっとこういう話できる人増えるといいですよね。
いや本当にそう思います。
本当なんかさ、恥ずかしくってできないですよ。
なかなかこういう話、人に。
自分が写真とどう向き合ってるかみたいな話とか。
そうかもしれないですよね。
そういうこと話せる場所がないもんな、だって。
そうですね、場所もあんまないですよね。
場所もないし、どうしたらいいのかわかんないけど、
なんかもっともっとこういうことをやってったら面白いのになっては思うんですけどね。
でもきっと少なからずこういうマインドを持ってたりとか、
こういうトピックにちょっとグッとくるみたいな人って多い気がするんですよね。
特にコードで絵を描く人、CGやってる人とか、
デモシーンだったりとか、そういうところで表現をしてる人って
結構こういうトピックにはグッとくるんじゃないかなと思っていて。
絶対みんなもっとこういう話したいはずなんだけどなって思ってますね。
そう、なんかこのデモシーンを最初に知ったときに、
デモシーンを表現する言葉として、
アーティストとしてはオタクすぎるけど、
オタクであるにはアーティスティックすぎるみたいな、
そういう人にとってもデモシーンはめちゃくちゃいい場所だみたいな、
こういう風に語られていることがあって、
当時の僕はめちゃくちゃそれが刺さって、
自分のマインドがもろそれだったので、
こういうアートの話とか、制作の話とか、
エモい話をぶつけられるシーンってなかなかないようで、
結構みんなそういうのには興味があるんじゃないかなって。
ほんとなんか、こういうノーモライズFMみたいなやつで少しでも、
ちょっとでも興味持ってくれる人とか増やしたり。
確かにそういう観点ではこういうポッドキャストってめちゃくちゃ貴重ですね。
そう、なんか考えてることやっぱり音にして、
世の中に届けられる、聞いてる人そんな別に多くはないんですけど、
届けられるっていうのはすごい価値があるなって思うんですよね。
僕もドクターさんが写真を最近やってるのは知ってましたけど、
ここまでどっぷりハマってて、
しかもかなりアーティスティックな方面でずっと来てるとは知らなかったから。
ほんとなんかね、自分でも想像してなかったです。
最初やっぱ小っちゃいコンデジを買って、コンパクトデジタルカメラを買って、
それで携帯のスマホの延長線くらいの感じで撮ってるわけですよね、なんとなく。
スマホより画質がいいんだろうぐらいの感じで撮ってるんですけど、最初は。
でも最近なんかもういろいろ考えちゃいますね。
別に本当に写真家で食っていくぞみたいなことを思ってるわけじゃないし、
そんな大それた何かがあるわけではないんですけど、
結局なんか自分自身との対話みたいな感じなんですよ、その写真を撮るっていうことが。
だからほんとアートっぽいんですよね。
お金を稼ぐ手段として考えてるんじゃなくて、
自分の中から湧き出してくるものによって突き動かされてる感じがすごくて。
ほんとなんかね、楽しいんですよね、それが。
うん、そうっすよね。
だって僕めっちゃドクサスさんが作ってる写真集見てみたいですし、
それは多分なんかシンプルにドクサスさんって知らずに見て感じることよりも、
ドクサスさんの人柄とかこういうコンテキストを知ったからこそ見てくってくるものが多分あると思うし、
それはお仕事としてクライアントがいて作るものとは絶対に異なるものになると思うから、
そうですね。
そういう意味ではめちゃくちゃ意義のある行いなんですよね。
いや本当にそうだと思います。
なんか写真って本当に誰でも撮れるから、
現代では誰でも撮れるものなので、
SNSの中にはもうとんでもない量の写真があるわけで、
それをやっぱり作品っていう形にしようってやってる人は全体から見ればごく一部なんですけど、
それでもすごいたくさんの人がいて、
だいたい自分が思いつくようなことは誰かがもうすでにやってるし、
何かやったからといって何かがあるわけでもないんですけど、
ただ自分の内側から出てくるものによって突きよがされて写真を撮り、
それを本にしてみたりして、
多分誰に見せるわけでもないんですけど、
自分で自分自身に今は満足してるだけで全然いいなって思ってるし、
ただ多分今二宮さんがおっしゃれたように、
独卒というキャラクターがまずあってその上で見るっていうのと、
ただそれが置いてあるっていうのでは全然違うだろうなとは思いますね。
その通りだと思いますね。
アートと創作の境界線ってそこにもあるんじゃないかなと思っていて、
アウトプットされたものがかっこよかったり美しかったり、
それだけでも評価されるのがクリエイションかなとは思っていて、
でも例えばアートって誰が作っているからこそ価値が出るものだと思っているので、
たとえ見た目がそんなに綺麗じゃなかったとしても、
一人の人間が見ている世界が現れていたもので、
その人のことを知っているからこそもっと魅力的に見えたりとか、
絶対その作り手とめちゃくちゃ紐づいているのがアートだったりする日もするし、
それ本当そうだと思います。
パッと見アートが何言いたいか分からないのって、
そういうところが分かっていないとダメなんだろうなって思うし。
本当にただ素人が撮ったものとの違いは、
パッと見では何も分からないというかないんですよ、実際そんな差は。
でも何枚か並べた中で浮き上がってくるものはあって、
それを感じ取れる能力に人によって差があるんですよね、多分。
私はそんな能力がないので全部同じに見えるんですけど、
それをもうちょっと磨きたいなって思ってるし、
多分なんかやっぱりただ写真を見せられるより、
なぜそれを撮ったのかが分かったほうが楽しいし、
その写真を撮った人がどういう人なのかが分かったほうがより楽しいんですよね。
結構有名な写真家さんとかの写真集を1冊見ただけだと何も感じなくても、
2冊3冊見ていくと、やっぱり人間が分かってくるっていうか、
写真を通じてその人が見えてくるんですよね。
そうするとやっぱりもう1回1冊目に戻って見た時とかに別のものに見えるっていうか、
変わって見えるんですよね。
だからCGとかもありきたりな加算合成でピカピカしましたみたいなだけのものとして見るんじゃなくて、
やっぱりこの人が作ったからこういう作品なんだよねっていうのが合わさったほうがやっぱり興奮しますもんね。
そうそう、そうなんですよね。
それはすごい分かる気がします。
この人だからこれ作れたんだなっていうのを踏まえて見てるとめっちゃ楽しいっていうのはあるなと思いますね。
写真の探求とAIの進化
そうなんですよね。写真もでもこれからがどんどん探求されていくような気もしていて、
AIとかによって簡単に写実的なものを作れるようになって、思い描くものが作られるようになってからこそ、
今写真に何ができるんだろうみたいなのは考えられる気がしていて、
昔絵画が流行っていた時期に写真が出たことによって絵画が次のステージに上がったのように、
こういう新しいメディア、テクノロジーが出てきたときに今のメディアで何ができるかっていうのは、
そういうのを探求するのはアーティストの役割だったりとか、
アーティストがそこを率先して始めたりするんじゃないかなっていう気がしていて。
そうですね。本当にそうだと思います。
多分、今誰もがカメラを撮れるようになったからこそ、
本物の人はよりすごさが際立っているっていうか、
ちゃんと作品として捉えようと思って、そういう目で見てみると全然違うなっていうのは分かるし、
別に偉そうなことを言うつもりは本当にないんですけど、
すごい人の写真を見ると圧倒される感覚が最近芽生えてきて、
さっきちょっと話したようなAIと組み合わせてみましたみたいなとんでもないことを考えるやつもいたりとかして、
すげえ楽しいなって思ってますね。
だからこれからの時代の写真っていうものをもうしばらく見ていたいなっていうところはやっぱり私も思うところがありますね。
本当にAIで何でも作れちゃいますからね、今の時代。
そういう中で果たして写真が、写真だって結局デジタルなんだからピクセルの集合でしかないっていう意味ではCGと一緒ですからね。
そうですね、デジタルカメラで撮る写真はね。
そういう中でね、写真というものが果たしてどういう風になっていくのかみたいなのはすごい興味があるし、
で、なくなっちゃわないだろうなとも思うんですよね。なくなっちゃうことはないだろうなと思うから。
ただ写真の定義が変わっていくっていうか、そのフィルム時代の写真とは明らかに違うものになっちゃってるわけで、
同じように定義が変わっていくんだろうなと思うんですけどね。
そうですね。で、そういう写真とは何ぞやみたいなのが考えられる時代にそれでも写真の価値を探求するのは、
多分クリエーションとして商業的な写真を撮る人たちってよりも、
こういうアーティストだったりが写真をメディアとして使っているようなアーティストの人たちの方が、
そこを必死になって探求するんじゃないかなって気がするんですよね。
そうですね。いいですね。こういう話ができるだけでもう楽しくなってきて。
楽しくなってきて話が尽きないけども。
本当だから、ちょっと無理やり元のレールに話題を戻すんですけど。
はい。
なんかこう、新井のみさんご自身がっていうとこでもいいし、ネオルトとしてっていうとこでもいいんですけど、
今まで今日いろいろな話してきたんですけど、そういう中も踏まえて今後なんかもっとこういうふうにしていきたいなとか。
はい。
そういう思いみたいなものだったり、野望みたいなものとかでもいいんですけど、何かあれば聞いてみたいなと思うんですけど。
僕が今やっていることは主にそういうコンピューターテクノロジーを使ってアートをいかに面白くするかっていうことなんですけど、
NFTと作品の体験
圧倒的にその作品に対立する体験が足りてないなと思っていて、
こういうNFTによってたくさんの作品が流通するようにはなりましたけど、
未だにNFTを手にした後に、じゃあこの作品をどう楽しめるかっていうことはまだ提示されていないのがほとんどだし、
スマホで見たりパソコンで見たりとかっていうのがほとんどだし、
物理的な空間で展示するにしてもその場所に行くっていう制約はありますし、
これだけいろんなテクノロジーが出てきたにもかかわらず、
そういう新しいテクノロジーによって作られた作品を楽しむ体験自体が全然ないっていう、
そこをやっぱり解決したいなと思うんで、
その作品に対立する鑑賞体験になるのかなっていうものをもっと作りたいと思っていて、
そこを俺ととしてはやっていきたいなというふうに思っています。
なるほど。じゃあ結構オフラインで実地でやるっていうところに今のところは重点を置いているというか。
今はそうですね、今はそうですけど、
でもそれも多分自分の中で100%納得できる界ではないということで、
だから正直そうだな、VRとかなんかめちゃくちゃ期待してますし、
そうですよね、だからいわゆるパソコンのモニターみたいなもの以上の何かがまだ、
別のものがこれからどんどん出てくるかもしれないから、
そうですそうです。
オンラインでディスプレイ越しに見るっていうことを否定するわけでもないってことですよね。
そういうことの延長線上も含めていろんな見せ方とか体験を提供できたらみたいな感じですか。
作品の見せ方と体験の提供
そうですね、VR空間だったらなんかディスプレイに出すっていうことは必要ないと思うから、
もうその空間全体、ワールド全体を一つの作品とするようなものがたくさん出てくると思いますし、
一方でそういうスクリーンに表示して作品とするっていうものについては、
自分の部屋に飾れるようにしたりだとかっていうようなことがもっとあってもいいと思うし、
その作られた作品に最適なフォーマットで、
ちゃんとその作品を楽しむっていうような環境を作りたいなってところですね。
いやー、いいですね。
なんかね、ほんと今日呼んでよかったなって思ってます。
ありがとうございます。
そういうことなかなか伝える機会ってないじゃないですか。
そうですね、ないですね。
やっぱり言葉に、なんか思ってはいてもなかなか言葉にする機会がない。
で、やっぱそれがすごい社会的損失というと言い過ぎかもしれないんですけど、
こういうこと考えてる人がいるんだよっていうことがちょっとでも誰かの耳に入るだけでも、
勇気をもらえる人がいたり、いろんなことを感じる人がいるんじゃないかなと思うし。
そうですね。
もうなんかここまで深い話をすることってそんなに多くないし、
こういうお話がいろんな人に聞いてもらえるっていうのもあまり多くないから、
こういうポッドキャストとかは非常にありがたい機会ですね。
そうですね。
すごく重要な存在です。
いや本当に、なんか私は一人で自分の写真の話ばっかりしちゃいましたけど。
いやでも、そういう話ってそんな結構いろんな人にしてるわけじゃないですよ。
いや全然してない人にしてないです。
そうですよね。
だからこの回を通じて、そういうドクサスさんのアーティスティックな一面を会話見る人も多いわけですね。
いやでもまだちょっと、自分がアーティストとはちょっとおこがましくて言えないですけど。
でもそういうマインドを持っているっていうのはすごく面白いし、興味深いなそれは。
いつかどっかで展示できたらいいなとは思いますけどね。
でも、なんかそこに自分が至ったなって思えるのがいつになるのかはちょっと想像できないですね、今の時点では。
やっぱ今はただ初心者が素人が好き勝手に撮ってるだけっていうところにいるんだろうなって思うから。
でもそれだけでもちょっとドクサスさん的には見える世界がちょっと変わったっていうところで、非常に大きな出来事だったんじゃないですか。
いや本当にそれは思いますね。
なんて節穴の目をしていたんだ俺はっていうのは本当に思います。
本当に。だから多分ここで出会ってなかった人生と出会った人生は相当違うなと思いますね。相当違うなと思います。
写真を通して多分自分自身に向き合っているっていうことだったかなとも思うので、何かの自分のためにものを作るっていうのはそういうことでもあるんじゃないですかね。
いや本当そうですね。自分のためにやることってあんまり普段実際ないっていうか、なかったんですよね、そんなに。
そんなになかった中で、写真だけは自分のために撮ってる感じなんで、誰にも邪魔されないっていうか、自分の好きにやりたいようにやるみたいなところが私の人生の中では珍しい出来事かもしれないですね、結構。
だからなんか楽しくて、ついついのめり込んでしまったっていう感じだったんですけどね。
すごいことですよ、本当にそういう経験をできるっていうのはね。
なんかこういうのも結構運が絡むっていうか、写真だってだって、例えば5年前の自分に対して、この中でどれかにハマります、どれでしょうってその中にカメラとか写真って入ってても、
多分選ばないですもんね。それぐらい自分でやると思ってなかったから、マジでなんか運もあるなって思います。
なんか本当にタイミングとか環境の変化みたいな運があって、出会ったり出会わなかったりするなって思うから。
だから本当にネオルト2とかも、そこに行ったことによって人生変わる人絶対いると思うし。
あーまあ確かにね、そうかもしれない。
本当にそうだと思いますよ。だからそういう環境があるっていうことは本当にすごいことだなって思いますね。
やっぱり続けることは大事ですね。
そうですね。ちょっと大変だとは思うんですけど、ぜひ続けていただきたいですね。
はい、では今日はですね、ちょっと私が自分の話をしすぎちゃった感があってちょっと恐縮なんですけれども、
なかなかこういう話ができる人がいないので、ついつい私もテンションが上がってしゃべってしまってね、本当に呼んでよかったなと思いました。
大変だと思うんですけれども、その人たちによって立場が変わったり、
この日まで東京の天王寺というエリアで
ミットヨアアートフェスティバルというアートフェアがあります。
そのアートのイベントにNEORT2僕がやってるギャラリーで参加をしますので
よかったらぜひ遊びに来てください。
なんかこれはどっかウェブサイトとかリンク的なものは
もしあるようだったら後でちょっと教えてもらえれば。
はい、ウェブサイトありますので後で共有します。
ありがとうございます。ショーノートの方にもそれ貼っておきますので
興味のある方はぜひ行ってみてください。
内容的にはどんな感じなんですか?
このアートフェアは作品を展示しながら販売をするというような形態のイベントで
このミットヨアアートっていうイベントが割と比較的
新しいアーティストとか若い作家さんとか
そういう人たちをもっとプッシュしていこうっていうようなフェアで
現代アートは中心なんですけど他にも音楽とかファッションとか
いろんなカルチャーをミックスしたかなり大きなイベントになっていて
テノーズアイルっていう寺田倉庫とかがあるようなエリアがあるんですけど
その辺の一帯を全部ジャックしてやる大きなイベントらしくて
そのアートフェアの一ブースにネオルト2として出展させていただくんですね。
そこに作家の作品を何個か展示をして
僕も作品を出させてもらうんですけど
そういう感じで作品を展示しつつ販売しつつ
いろんなアーティストに出会えるようなイベントになっております。
なるほど。
そんな規模のデカいやつだとは知らなかったんですけど
なんかちょっと楽しみですね。
ぜひ気になる方はチェックしてみていただければと思います。
ありがとうございます。
しゅんさんちょっと今日は長くなっちゃいましたけど
ありがとうございました。
ありがとうございました。
いろんなお話が聞けて私はもうだいぶ楽しかったんですけど
僕も独雑さんの新しい一面が見れたようで楽しかったです。
ありがとうございます。
じゃああとは最後のいつものノーマライズFMのお知らせになりますけども
ノーマライズFMではシャープノーマライズFMというハッシュタグで
皆さんからのご意見ご感想など募集しておりますので
何か感じることがあったら気軽にシェアしてもらえたらと思います。
では今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
01:42:30

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