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2024-08-09 45:26

当事者は「野良カウンセラー」になる【1035】

グタグタ回です。

00:01
おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット、第1035回をお送りします。
えーと、今日は朝が結構早くてですね。
8月の9日、朝7時43分です。
なんとなくなんですが、朝晩が少し涼しめになってきたような、昼は相変わらずめちゃんこ暑いっていう感じなんですけど、
どうやら、なんとなく朝晩も耐えがたいみたいな、最悪の時期は脱したような、朝晩耐えがたいと。
やっぱりこう、睡眠に差し障るじゃないですか。
クーラー、きつめにしないと、寝てられないみたいになってしまうのも厳しいので、
最近ようやくそれが抜けてですね。
朝晩がホッとできれば、割となんとかなるなっていう感じが。
昼は極端に言うと、家から出なければいいみたいなのがありますから。
昨日、一昨日と連日出かけたんですけど、出ると厳しいなっていう日が続いてますけど、昼はですね。
夜は全然いけるなという感じがしまして、だいぶこれで違う感じがします。
今今のお知らせがちょっとですね、なくて、
そうだなぁ。いいや、パスさせていただきまして、
本題もまたちょっとでもね、あやすやな本題しか今日はなんかないんですよ。
頭が放散中。久しぶりにこう早く起きてやってるからに違いなくて、
二度にしてからやりゃいいんですけど、
二度にしてからちょっと今日はやるにはやや用事がですね、
昼前前後から立て込んでくるので、やっぱり今取るしか、今取るのが妥当だろうということなんですが、
頭が放散気味なんですね。拡散してしまっている感じなんですよ。
で、まあ適当に思いつくところからベラベラしゃぶっていくつもりでおりますけど、
まずあの、最近立て続けにノラカウンセリング批判というものを読んでいてですね、
結構厳しく言われてるなぁと、まあ僕が言われてるわけじゃないんでいいんですけど、
えーと、むしろですね、僕こういう変なところはあるんだな、
これ対抗意識も入ってるんだろうけど、色々複雑な気持ちがあるんですよ。
で、その、なんかこう3ヶ月カウンセリングとかいう名前にしてやろうかなって思っちゃったりするんですね。
あの一つにはめんどくさいなっていうのが出てきたんですよ。
なんか非難されるならされる方が楽なんじゃないかっていうか、楽っていうのは違うんだけど、
えー、非難されるということがあった方が事態が少しクリアになる部分もあるなっていう、
えー、細かく考えるとそうなんですよね。
03:01
えーと、別に非難されたいわけじゃないんでね、ただ、
あのー、だから3ヶ月カウンセリングとかやると多分ね、非難も何もないんですよ。
反応がないんですよ、どうせ。
だから一番そういう風になると一人相撲もはなはだしいと思うんで、
しかもなんか3ヶ月チャレンジの方がサービス的にいい名前でしたってことになるともう目も当てられないじゃないですか。
だからこのままにしておくべきなんだろうなと思いつつ、
3ヶ月カウンセリングっていう風にすると、
中でやってることは少しはクリアになるよねっていうのもちょっとあってですね、
あのー、ちょっと考えちゃうんですよね。
僕名前変えるの好きなのかもしれませんね。
あの、あれなんですよ。
普通に、本とかもそうなんだけど、
やっぱりこう、名前とかビシッと決めておいて、動かさないみたいな考え抜いてね、
っていうのがいいっていうのあるじゃないですか。
明らかに私はそれに、あのー、なんていうのかね、共感しかねてるんですよね。
いや、なんか出してから、良くなかったらちょいちょい変えていけばいいじゃんという、
多分これはですね、昔のメガヒットを作る発想としては最悪の発想だと思うんですよね。
まあ、やっぱドラえもんはドラえもんという名前が素晴らしかったと思うんですよ。
でも僕は、なんかそういうのがめんどくさいと感じる、多分人間で、
出してからヒットしなかったら名前、だからこのね、
あの元々グッドモーニングバイブスで始まったこれも、
ついに名前が4回ぐらい変わって、今に行き着いているわけですが、
要するにその、そういうことなんですよね。
一貫性がないんですよ、実際のところ。
しかも一貫性を持ちたいという気持ちもないんですよ、実のところ。
持たねばいけないというものを感じるんですよ。
特に現代のような時代には持つべきであると。
ただ、べきであると思っているだけで、
しかも僕はべきに十分、なんていうんですかね、
従って生きていない人間なんで、べきに従っていればですね、
あれですよね、中高早稲田だったら、
そのまま行って、離婚系でも出て、
そっち系の人間になってそうなりものですよね。
僕は明らかにべきに従えないから、
そもそも正社員として働いたことが一日たりともないという、
そういう生き方をして、ついに50を迎えているわけですからね。
もう今さら無理ですよ。
無理っていうのはつまり、
普通に考えたらこのキャリアじゃ誰も雇ってくれないですよね。
キャリアないですもんね。
僕キャリアってものが大事だから、
例えば子育てしている最中にキャリアが遅れをとって、
女性は美だっていうのを読んで、
最初まず何があったかって意味がわからなかったんですよ。
マジで。
意味がわからないっていうのは、なんていうんだ、
最悪じゃないですか。最低というべきなのかな。
僕はこれは男女論だっていうことすらわかってなかった。
06:00
なぜならキャリアというものの意味がわかってなかったんですよ。
もう本当に。
いつまでわかってなかったかっていうと、
多分40ぐらいまでわかってなかったです。
本当に。
キャリアキャリアいう言葉がですね、
LIFAC界隈で出てきて、
ようやく何を言わんとしているのかがわかったんですよ。
すいません。
喋ってると熱くなる。
この話題、課題なんとかしなければいけませんね。
喋ってるとどうしても涼しくなったとかって、
あっさりいい気になってる場合じゃないですね。
すげえ今、熱くなりました。
ほんのちょっとしか喋ってないんで、6分ですもんね。
お前15分ぐらいにしとけよっていうのは、
友達にやたら言われてるんですけど、
一時ね、もうみんな諦めましたけどね。
僕はこうやって諦めさせてしまうんですね。
これを頑固さだとか、
貫いてて素晴らしいとか言われるんですけど、
全く違うんですよね。
15分にしようと思ってる日に戦果に立つ人間なんですよ。
これがね、たぶん私のパーソナリティなんだって、
最近かなり気づいたんですよ。
僕、働く前としてたってことはないんですよ。
昔のなんかの兵庫みたいに、
ニート兵庫みたいに、
働いたら負けであるとか別に思ったことないんですよ。
ただ、気がついたら働かないまま30過ぎてたっていうタイプなんですよね。
で、キャリアって言葉は40になって理解したみたいな。
積み重ねみたいなものに、
何の興味もたぶん持ってないんですよね。
心の底では、たぶん。
わかるんですよ。
ロボット心理学とかまで書いたぐらいだから、
習慣化みたいな話もわかるんだけど、
実は僕は習慣化ってものも、
本当のところ大して興味持ってないんですよね。
だから継続することの凄さみたいな話で、
よく私はどっかで急に取り上げられたりして、
急に褒めたたえられるんだけど、
継続はしてない気がするんですよね。
する気も全くないですしね。
これも本当に難しいというか、
申し訳ないっていうのとも違うんだけど、
ややこしい立場がありまして、
特に酒の席とかで、
タキさん素晴らしいっていう、
例えば1000回もポッドキャストを続けられていて、
素晴らしいって話をされると、
水を刺してしまうんですよね、結局ね。
1000回も続けることの何が素晴らしいんだろう、
っていうのがまずあるのと、
1000回続けているだけじゃなくて、
誰だって喋りたいこと喋って、
1000回続けるぐらいできるっていう感じしかしないんで、
そしてそのまんまに近いことを、
酒が入っていると特に、
BRとかですけどね、
そのまんま喋っちゃうんで、
相手がすごい失望か怒りを、
どうしても多少は覚えてしまうという、
これをクラゾンさんに寄せれば、
佐々木さんの言葉に攻撃が入っているってことになるんでしょうけど、
入ってるのかもしれないけれども、
09:01
別にしょうがなくない、
みたいなのもあるんですよね。
つまり、続けようとして、
1000回も続くはずない気がするんですよ。
習慣化なんてとんでもないと思うんですよ。
だってこれ毎朝辞めろって言われてた時期ありますからね、奥様に。
習慣化なんて本当、
習慣化ってめちゃくちゃ頑固じゃないと無理ですよね。
ある意味、
これを習慣化でやるってことになってくると、
うさぎ飛びやってんじゃないんでね。
前に喋ることはこれでも違うはずなんで、
1回も同じこと喋ってないですよね。
何を習慣にしてると、
この場合人は言うんだろうと。
ポッドキャストのこのタップするの習慣化っていう感じが、
全く同じことやってる感じがするのは、
この三脚にiPhone立ててタップするところだけですよね。
これ習慣化の力いらんだろうって感じがするんですよ。
喋ってるのは毎日毎日、
全く僕は新しいことを喋ってる気になってるし、
この感覚がなくなったら1日たりとも続かないと思います。
これだけは間違いなく言えると、
ご飯食べる時毎回思うんですよね、
習慣化って何か違う意味がする。
習慣でご飯食べられないですよね。
僕キキとしてご飯食べる方なんですよ。
食べるのすごい好きなんですね、たぶん。
この割に太ってなくて、
これは大変ありがたいことだと思ってるんですけど、
別に僕太ってもいいと思ってるんだけどね。
太らないんですよね。
で、食べるの好きなんですよ。
あっ、これで今日放産してるでしょ。
話がまとまってないんですよね。
食べるの好きで思い出したんですけど、
夏バテで食欲を失うという意味が、
今年になってついにわかりました。
失いました。びっくりしました。ほんとに。
心の底からびっくりした。
昨日、やむを得ずって言うのかな、
出先で食べようと思ったんですよね。
相模大野ってところでね。
グッドバイブスファクトリーのTVを
浦野健三さんと撮ってる相模大野で、
食べていこうと。
全く食べる気がしない。
あんなことは生まれて一度もない気がします。
外食で食べる気がしないなんて。
でね、あれなんですよね。
フルーツが食べたいとか。
暑いからなんだと思うんですけど、
フルーツが食べたい。なんだそれって感じ。
僕からするとフルーツはご飯でもなんでもないんで。
フルーツって僕は、うち寺なんですね。
寺って果物あげるじゃないですか。
分かるかな。仏壇にね、
仏殿にね、果物いっぱいあげてくださるんですよ。
信者さん。だいたいお見舞いの品と似てるんですよ。
桃とかメロンとか。
見舞いのいいものをやっぱりあげられるんですよ。
で、食べ放題なんですよ。寺の子ってのは。
だから僕はフルーツというものを
ご飯代わりにしちゃ絶対ダメだって
親に言われてる。
フルーツしか食べたくなるじゃないですか。
そんなことやってたら。
だから絶対ダメだっていう風に
なんかこう、変にというか、
うちの親って結構しつけにうるさかったんで。
考えてみるとね。テレビ買わないぐらいですからね。
フルーツってご飯代わりにしないっていうのが
もう鉄則みたいになったんで。
フルーツ飯代わりに食うってのはないなっていう。
なんか流行るじゃないですか。
12:01
ライフハックの人たちって好きだから
もうなんか脱、なんだっけ。
えっと、ほら。
でんぷんみたいな感じで朝から
朝はフルーツと野菜だけみたいな。
あれ僕絶対できないですよね。
なんかもう親が激怒するみたいな。
その感覚が残ってるんですよ。
やろうと思えばできるかもしれないけど
なんかもうそんなことをやる奴はアホだみたいな
ノリになっちゃってるから頭が。
そこをあえて曲げて無理やり
朝リンゴだけとかってやる気がしないですよね。
リンゴダイエットみたいな。
拡散してますね。
何の話してるのか分かんなくなりましたけど
とにかくフルーツが食べたいって思って
衝撃を受けた。
それぐらいご飯食べるの大好き人間なんで
食欲が湧かない人の気持ちってのが
一切理解できなかったんですね。
夏どれほど暑くても。
で、多分僕はこれ分かってなかったんですよね。
自分の体が。
食べまくって下痢するみたいな。
すいませんちょっと汚い話になったんだけど
そういう夏弱ってんですよ一応はね。
でも好きだから食べちゃうわけですね。
で、それを消化が不十分で多分
うまくいかなくて出てしまって
太らないみたいな。
良くないんですよこの太らないっていうのはね。
で、ただ食欲を失うということがない人間だったから
そうは言っても
そこで困るってことはなかったんだけど
昨日初めて明瞭に全く食べたくない。
お腹空いてるはずなのに全く食べたくない
っていうのを痛感して
年のせいもおそらくありますが
でもこれは正常なのかもなと思ったんですね。
で、何が痛いかというとですね。
習慣化で物は食えないってことなんですよ。
だって習慣ならもうとっくに根付いてるじゃないですか。
私は食欲で物を食ってるんであって
習慣では絶対物は食べてないし
毎回ね、食べてる物は一期一会なんですよね。
僕一期一会って一番理解できるのは食べ物なんですよ。
全く同じような物を食べてても
新鮮さを失うってことはないんですね。
多分これ食欲がすごいはっきりしてるからなんだろうなと
思っておるんですけれども
そういうことなんですよね。
だからそれと似てるんですこのポッドキャスト。
毎回同じような事をやってるようには見えるかもしれないけど
毎回全く違う。
だからこれについては新しい一期一会とか今ここっていうのを
あえて考える必要は一切僕はないんですよね。
これには圧倒的に集中できています。
だから出来がいいって話はしてないんですよ。
集中できているってことですね。
好きでやってるってことだし
欲求が極めて強くはっきりとあるので
習慣化の力を使うとかっていう必要がないんですよね。
やる気を出すっていう必要もなくてやる気はあるんですよ。
意思の力に頼るとかもいらなくて意思の力もあるんですよ。
十分にある。150ぐらいあるうちの2ぐらい使いはできるぐらいあるんですよ。
15:02
だからこれをやるのに苦労はない。
この種の話も何か失望されるんですよね。
でもこの方が楽だと思うんですよね正直言って。
できればこういう作業じゃないものは次第に限ると思うんですよ。
次第にいかないですよ。
やりたくないこともいわゆる習慣化の力でやるのもあるけど
極力少なくした方がいいんじゃないかと思いますよね。
逆でしょさっきの。
僕は今100ぐらいやる気があるうちの3ぐらい使えばできることをやってるって言ったんだけど
習慣化とか言った話になってくるとき
やる気は3しかないのに100のことやりましょうって話してるじゃないですか。
だから無理なことをやらなきゃなんなくなるんじゃないのかって思うわけですね。
工夫とか習慣とかそういうものが。
で、それは恵まれてるせいだって話になるじゃないですか。
ここで戻ってくるんですよ。
つまり、だけど私はキャリアとかないんですよ。
恵まれてるんではなくて
恵まれようとする努力というものは身を結んでくれないという気がするんですね。
つまり積み上げるってのは
才の瓦積みを思い出すんですよ。
あれって無理な努力じゃないですか。
まあ結構、草津温泉とか行くと結構積み上がってるなって思うんだけど
なんかでもあれを見る思いなんですよね。
キャリアを積むって。
できる人はいると思う。
やっぱり瓦積みでもなんか20個ぐらい積める不思議な人もいますからね。
でも普通に無理だろうって思う。
やっぱ崩れるよね、ああいうものは。
積めば積むほど崩れるように見える。
そういう努力を一つもしない方が
うまくいくことってあるんじゃないかなと。
これは際立って無責任なんで
特に年を取ってからは人に進めないとしてるんですけど
若い人には特に進めないことにしてるんですけど
キャリア頑張りましょうみたいな感じで
心にもないことを。
でも心にもないからですね。
私のことを私が言うのは
それはそれではばかられるんですよね。
結局どうなるかというと何も言うことはなくなる。
こうして失望されるんだなっていうね。
そういう何も言うことないくせに
なぜこれを1000回も続けられるのかというと
こういう話しかしてないからですよ、それは。
なんかこう、役に立つ話が一つもある意味なくて
いいんじゃないかぐらいに。
いいんじゃないかっていうか、これ無料ですしね。
無料だからではないんだよな、僕は。
3ヶ月カウンセリングにしようかと思ってるのも
同じようなことしか言えないくせに
カウンセリングなんですよね。
でもあれも同じで
カウンセリングなんて特にそうなんですけど
私のはカウンセリングではないんですけどね。
カウンセリングも今は治療行為ではないみたいなこと
これは訳あってそういうことを言わなきゃ
なんなくなってるんだと思うんだけどね。
読んでるうちに思うんですよ。
やっぱりやってることはあんまり
正直変わらないんだよなという
18:02
違いはあるんですけれども
でもやっぱりやってることは正直変わらないんだよな
アドバイスしないみたいな
アドバイスしないなんて嘘で
アドバイス絶対してると思うんだけど
アドバイスしないってのも
つまりは役に立つことを喋ったって
役には立たないっていう話
してるわけだと思うんですね。
それは意図しない何かがっていう
言えば話早いんですけど
意図しないことはできないじゃないですか。
我々は意図というものを持ってるから。
で、意図しないことをやろうとすると
何が起きるかというと
何も喋らないってことが
起こるはずなんですよ。
で、かわいはようが一番いいのは
何もしないことだっていうわけですよ。
一緒にただそこにいるだけっていうね。
私は基本それは正しいと思うんです。
そうはできるはずがないし
それはフロイトですらそんなことやってるはずないんだけど
でも結局それは正しいと思うんですよね。
できないことだけど
正しいのはそうだろうと
一緒にいると
お母さんが一緒にいるみたいな話なんですけど
物思いにふけるっていうのもそうじゃないですか。
カウンセラーが物思いにふけるって言ってるんだけど
カウンセラーに物思いにふけられてもねって
思うじゃないですか。
私こんなに何でもいいですけど
それこそキャリアのことで悩んでるんですって言って
カウンセラーが思わず
って言ったまま
黙って考え込み始める。
これが物思いにふけるですよ。
そんなんでしかも
じゃあ45分で
1万円とかって言うわけですよ。
お前に物思いにふけられても困るんだよって
なりそうなもんじゃないですか。
でも私は物思いにふけるのは
極めて正しいと思うんですよ。
物思いにふけてる間に
諸葛孔明みたいに
すっげーこと考えてくれてるって言ってんなら
まだいいんだけど
私はすっかり途方に暮れていたとか
大河がそういうことを平気で書いてるわけですよ。
もうどうしていいのかわからなかったとかね。
これってただ困ってるだけじゃないですか。
その目の前で。
これがいいんですよね。
でも私は絶対これが正しいと思う。
今日一番力が入ったね。
ここがね。
絶対これが正しいと思いますね。
あのー
今日は分析的な
そのー
知識の役にすら立たない話。
知識の話すら僕は
ど素人で
フェイクニュースまがいのものではないのかって言われても
文句の言えない立場でしゃべるんで
大して意味ないんですけど
そういうのですらないという
あのー
これは私の技法ではないし
実際にそうできてるとか
なってるってわけですらないんですけど
一緒に困ってくれる人が
いるかいないかってでかい。
と最近はめちゃくちゃ思うんですよ。
本当に。
AIが出てきたせいだと思う。
僕はですねやっぱね
ライフハックは
AI化した時期があると思う。
できもしないくせに。
だってAIになれるわけないじゃないですか。
21:00
人間がね。
昨日もすごいなと思ったんですよ。
何か数十秒で漫画入っちゃうんですよね。
1ページ。
そんなくせに
なれっこないんですよ。
あのこの時代に
スピーディーに仕事を
高速に生産性を上げるとか
どういう意味があるんだろうなって
ほんと
思うようになりました。
あのーだって漫画を
えーと
少なくとも私が書く漫画よりは
明らかに
ハイレベルな漫画を
1ページ
1分以内に書かれてしまって
それに勝てる人がいるとでも
思うのは
ナンセンスですよね。
ナンセンスの際ですよね。
もしある1ページだけなら
1分以内に書けたとしても
AIは疲れないわけですからね。
あれ24時間続けることができるわけですよ。
そんなことできるわけないじゃないですか。
あのー
だから1時間あれば
60ページの漫画が
かけてしまうわけでしょう。
しかもそのレベルは
一方なわけじゃないですか。
手塚治虫さん
しかも風に書こうとすれば
手塚治虫さんが書いたかのようにも
かけてしまうわけじゃないですか。
これで
速度で競うってことに
どういう意味が
あるのか
全然もう
ナンセンスの極みな感じがするんですよ。
答えを出してくれればいいというのは
私も最近チャットGPTで遊んでるんですけど
文字通り遊んでるんですけどね。
あのー
こういうことで
まあ何でもいいんですけど
例えばタスク集と
もっと広めたいですって
ワーッと答え出してくれるんですよ。
本当に
ワーッと
へーって思うわけですよ。
一問一答で
ナイスなアドバイスが欲しいなら
あれで十分ですよ。
チャットGPTがやってくれないことは
困ってくれない。
彼らは困ったフリをできても
困ってはくれない。
絶対に。
考えてもくれない。
そもそも考えてないですからね。
我々が言う意味での考えるは
彼らにはない。
猿のタイプと似てる話ですね。
これはね。
これを僕が読んだのは
野口幸男さんの本ででしたけど
ああいう発想もあると思うんですよ。
デタラメなキーボードをずっと打ってれば
2B or not 2Bが出てくる。
出てくるかもしれない。
だけど
それは
私はシェイクスピアが出したって話とは
違うように私には感じられるし
それしかないんですよね。
もはや。
中国人の部屋とか
中国語の部屋と話は似てますよね。
全部同じだと思う。
あれをどう捉えるかですよね。
人の心がやってることは
あれと同じだと捉える人もいるでしょう。
そこに違いがあるわけではないと。
つまり
コンピューターが考えてないなら
人間も考えてないんだってことですよね。
AIが考えてないなら
人が考えてるということも
ないんだってことですよね。
それは
ブラックボックスの中の話をするなら
そうなのかもしれないんだけど
私は最近考えるという行為は
絶対
現実空間の中で起きていることだと。
24:00
これはようやくちょっと精神分析っぽい
話になってきましたけど。
いわゆる考えられない考え。
だってAIが
不在の母親で悩むわけないじゃないですか。
AIが
錯覚するってこともないじゃないですか。
ここにお母さんがいない
っていうのと、つまり誰もいないってことなんだけど
夜が
私の足を掴む。
つまりAIは統合失調症にならない
と僕は思うんですよね。
妄想分裂症でもいいんですけれども。
えーと
それもあれですよね。
浦澤直樹さんがプルートの
最終刊で
精神病理を病むロボットみたいなのを
書き出しましたけれども。
あれはさすが漫画家って思ったんですけれども。
実際ああいうことは起こらない。
あれはよくできたロジックのように
見せてあるけれども、実際ああいうことは起こらない。
あの
僕が言いたいのは
その漫画の話では
でも別になくてですね。
あの
困るっていうこと。
困ってくれない。
つまり
一時の
ライフハック会の
ビジネス書会も同じでしたけど
すぐ答えが出てくる。
あれがですね
僕は思うんですけどね。
人を
なんだろうな
人を
イリュージョンに閉じ込める
って気がするんですね。
解決策ってのは
いいんですよ。
僕らなんかまさにそのために
そこが変われて生きてきたようなもんですから
僕なんかは。
そうなんだけど
スッと解決策が出てくるというのが
一つの希望になるわけですよ。
解決策そのものは
採用できなくても
人にはいろんな理由で
考えつかないはずはないんですよ。
昔あったんですよ。
スピードファックスかなんかに書いたと思うんですけど
あの面白いなと思ったのが
あんまり話が長い人の
話を遮る方法みたいな
なんかペンを落とすとか
かなりの演技力がいるんじゃないかと思ったんですけど
だいたいペン落としたからって
話しすぎの人の話止まるかっていう
僕みたいにこう黙って
30分も平気で話せるような人間の話が
ペン落とされたくらいで止むだろうか
っていうのはあるにせよ。
これね
パッと出てくることの
希望みたいなものがありまして
パッと出てこない
っていうのは
その人の中の
親対象だと僕は思うんですけど
親対象に
褒められちゃうんですね。
人によっては
ちょっと
聞かれた質問に答えるのですらも
すごい
言い淀んだり
言い直しが
大量に発生したり
ドモリっぽくなるっていうケースが
ドモリの話とはまた違うんですけど
27:01
あるじゃないですか。
そういう人はいらっしゃると思うんですね。
言われても
あ、佐々木ですみたいな感じになっちゃうと
これは
親対象がきついって僕は
普通に思うんですよ。
なんかこう
間違ったことは絶対言えないみたいな
そういう人にアイディアって
アイディアはないはずないんですけど
出せないじゃないですか。
だってそんなペン落とす
そんなんで話
やめさせようっていうわけ
みたいなことを
言われる恐怖ってのが
内面から湧き上がってきたら
何を考えついても無理ですよ。
発信できませんよね。
だから私ライフハック界で
一時ブログが流行ってた
ブログ界みたいになってたんですよね
ライフハック界というよりは
発信発信言ってたのは
あれはビジネスの関係もあるんだけど
悪いことではないなってよく思ったことがあるんですよ。
発信できる人からすると
不思議な感じがするかもしれないけど
発信ってのは
内面の抵抗を必ず生むんですよ。
この辺の話を昔
寺江という漫画で竹宮圭子さんが書いてた
人間はどんな行動を起こすときでも
いくらかは良心の過酌を感じる。
それは竹宮圭子さん的世界だなって
僕は少し思ったんですけど
感じるかもしれないけど
それを自覚できるほど
感じる人の数が
そんなに発動的に多いとは思えんだ
って思ったんですよね。
でもそこを機械につかれると
本当だろうなって思うんですけどね。
嫌じゃないですか。
スーパーコンピューターの化け物みたいなやつに
自分が一番気にしていることを
電気信号的に送られてくるなんて
最高に嫌じゃないですか。
それはなるほどなと思ったんだけど
やっぱり漫画家なんで
そこはね
うまいこと書くもんだなと思ったんですよね。
そういう過酌があると
アイディア出しなんて
とんでもないわけですよ。
どうしたって無理で
だからドリームキラーがいないとか
心理的安全な空間とかで
アイディアを心置きなく出しましょう
っていう話はよく聞くんだけど
僕はここには
一つなんかですね
うまくいくかもしれないから
いいんじゃないかなと思う一方で
ただなって思うことがあるんですね。
つまり
他人が批判しなくったって
批判者内部にいるんで
その批判者っていうものが
内側から目を光らせている限りは
なかなか難しいんですよ。
だからペン落としてね
話を遮るっていうハックがありますよ
みたいなことを言って
後でですね
あの人たちみんなに
バカだと思われたんじゃないかなって
思っちゃうんですよ。
内側に批判者がいるから
批判者が外にいないという保障をいくら出したからと言って
それによって
自分が自由に振る舞えるか
っていうとそうでもないと思うんです。
この内なる批判者こそが
最大の
30:01
ターゲットであって
外にドリームキラーがいるかいないか
っていうのは
僕はそれに比べると
非常にさまつな問題だろう
って思うんですよね。
外にいたから厳しいことになったんじゃないのって
思えるかもしれないけど
そうじゃないっていうのが精神分析ですよね。
親は内にいるんですよ。
自我が形成される途上で
その親の近くなり
イメージなり
無意識なり言葉なりは
全部一緒に入ってきてるから
インストールされてしまう。
これが内的対象ですよね。
外に親はもちろんいるんだけれども
親とドリームキラーは
全然違うんですよ。距離が違うでしょ。
生まれたとき
自我が未形成の段階で
絶え間なく自分に接し
自分に言葉をかけ
自分の
養育もし
食事もくれて
シェアをしてくれた
その親の考えというものと
見ず知らぬの
ドリームキラーが遠くで言ってることは
全然違うんですよ。
だから外から出てくる言葉などというものは
実際私たちなんて
気にも止めてないって
僕は思うんですよね。
外の炎上が怖いと言ってる人たちは
みんな内なる批判者というものを
本来恐れているのであって
決して外の人間の
云々観音みたいなもの
本気で恐れてるわけじゃない。
私このことに気づいてからは
もう全然この種のことは怖くなくなったんで
いかに自分が
母親を恐れていたか
父親もでもあるんだけど
痛感するんですよね。
本当にそれ以後の出来事において
私をバッシングしてきた人たち
なんていうものは
それこそ本に書きましたけど
訳のわからん棒とかで殴られたこともあるんだけど
全然なんてことないですよ。
やっぱり親ってすごいなって思うんですよね。
じゃあ親はそんなに
お前を殴ったのかって言うとそんなことはないんですよ。
でも
なんて言えばいいのかな
例えば私にとっての
ちょっと暴力的だった担任教師などというものは
好きでもなんでもないから
彼に嫌われるかどうかなんていうのは
些細な話ですよ。
親のことというのは
多分私が自分が意識できているように
はるかに私は親のことが好きだから
親に何か言われるとか
思われる
嫌われるかもしれないということは言えないんですよね。
言えないしできない。
だからバカだと思われるっていうのは
そこら辺の人にバカだと思われたって
絵でもないですよ。
本当に。
でも親にバカだと思われるのは
私は親よりもはるかに頭は自分回ってると
今思ってますけど
それでもね、親にバカだと思われたくないんですよね。
無意識で。
これがバカだと思われたくない
ってことだと思うんですよね。
話がもはや拡散しすぎて
どこからどう繋がってきたのかが
一個もわからなくなってきつつありますけれども
食欲の話をしてたら
つまり一期一会の話をしてて
週間間みたいな話をしていて
全然繋がってこないですね。
なぜ今親の話をしているんですかね。
33:01
多分聞いている方には
わかっている方もいらっしゃると思うんですけど
しゃべっている方って
もう本当に
今33歳の子が
親の話をしていて
もう本当に
今33分って書いてありますけど
30分前僕しゃべってたこと
本当何一つ思い出せませんから
えーと
だから私最近記録を取らない
ってことをやってるんですけど
この話はまた後日にしましょう。
とにかく記憶というのは歪むんで
この歪みが大事だなって思っておるんですね。
フロイトがそれに近いことを
言ってるんですけども
彼はいわゆる患者さんのノートを取るときに
絶対その場ではメモをしない。
そして絶対直後にはノートしない
っていうのを言ってるんですね。
したっていいけれども私はしないよ
っていうことを書いていて
なぜかというと多分歪みが
大事だからなんですよ。
主観的なインパクトというものが
そこに残ってなければいけなくて
しかもそれは随時変更
していくじゃないですか。
メモに書き止めてしまうと
大事だったというポイントが
大事だったところに絞られてしまいますよね。
この番組でおなじみですけれども
私たちが大事だと思っていることは
外して大事じゃないんですよ
カウンセリングにおいてはね。
あの
チャロックホームズみたいなものですよ。
みんながここが大事だと思っている注目点は
実は要するに
なんていうんだろう
でこい、おとりみたいなものであって
本当に大事なポイントは
全然違うところにあると。
でも普通そっちに注意向かないじゃないですか。
だからフロイトは言ったんですよ。
平等に漂う注意っていう
優秀なこと。平等に漂ったら
それはもう注意じゃないんだけど
でも彼は平等に漂う注意っていう
表現を取りたかったんですよね。
つまり本当に
そこで語られていることや
課題にされていることは
パッと聞いたことや
パッと目に入ったこととは違うってことですよね。
だからそれをメモに取ってしまうと
ますますわけがわからなくなってしまうので
だから私たちが事実だと思ったもの
の中には
おそらく何もないっていう話なんですね。
その時気づくことすらなかったものに
後から気づくことがあるみたいな
話なので
それは気づいたことをメモすることによって
ますます遠ざけてしまう
っていうのを恐れて
フロイトは結局のところ全てを記録する
ってことは不可能ですし、意味がありませんから。
で、全てに注意を向ける
っていうのも同じなんですよ。
全てに注意を向けるっていうのがまさにフロイトの言ったことなんだけど
土台無理なんですよね。
そうしたらもう注意でも何でもなくなっちゃう。
あれがですね
こういう話につながってたんですね。
つまり全てに注意を向ける
ということが僕は困る
ということだと思うんですよ。
途方に暮れたり困ったり
するのは話の焦点が
見えてないからなんだと思うんですね。
で、どんどんどんどんそこに
追加の情報を入れていくことになるわけです。
僕たちやら何やら
ますますわけがわからなくなって
これが大事なんですよ。
こういう話の
聞き方をしない限り
36:01
注意を平等にただ言わせる
どころか注意がいっぺんに休まっちゃうんですよね。
簡単に。あなたが困っているのは
こういうことなんですよと。
ここから先はもうAIの世界ですよね。
であればこれが対策になるでしょうと。
ならないんですよそんなものは。
それはでこいみたいなものでしかない
上に
やって欲しいことですら
多分ないから。
もっともその話を無視もできない。
相手はそれを訴えているわけだから。
だから会社に行って
会社ははかどらないんです。
困っているのであれば
それに困っているんだけど
それに対してこうすればどうでしょう
合わせればどうでしょう
多分全部跳ねつけられるか
採用されない。
本当はそれには困ってないから。
本当に何で困っているのか
本人も他の人も誰も気づいていない。
そういう話がずっと繰り返されていて
途方に暮れる。
そしてこのまますっかりカウンセリングが
行き詰まり1年が経過したとかいう
劇で出てくる。つまり何の役にも
立ってないということですよね。
例えば。
カウンセラーって何の役にも立たない。
そして相手は本当に罵り始める。
あんたは本当に全く何の役にも立たない。
全く
その通りだと思って
考え込んじゃう。
物思いに吹ける。
こういうやり取りをAIはしてくれない。
役に立ってしまうんですよ。
で、例えばですけどね
こういう話から先をするとむしろ
つまらなくなる気がするんだけど
でもここまで話した以上
そういう話をするしかなくなってきたんで
しますけれど
なんでこういうことが役に
立つのって思われるかもしれませんが
例えばカウンセラーは役に立たないと
思う。
そしてこの状態も全然役に立ってない。
でもですね
クライアントは金払って
1年も通ってるわけですよ。
何の役にも立たない
ということを言い続けに
1年も通ってきてるわけですよ。
何をしているのかというと
やっぱりクライアントの気持ちが
伝わってるんですよ。
何の役にも立たない私っていう
その辛さがあるんですよ。
その辛さが誰にも分かってもらえないんですよ。
ましてAIには分かってもらえない。
何の役にも立たないじゃないですか。
私はいつも困ってると言って
AIに質問をしては答えを
返してもらって
それを例えば会社で
アピールすると。
これって昔ビジネス書でも
よくやっていたようなことなんですよ。
こういう時はこういう
長話に困ってます。
じゃあペンを落としましょう。
それを読んでペンを落として
長話止まった。
よかったってなるけど
ならないじゃないですか。
それによってペンを落とすことによって
長話を止められたとしてですね。
そして問題が解決したとして
その力は一体どこにあるのか。
スピードハックスの著者とかにあるわけでしょ。
自分無能だって思う。
分かりませんよこれは。
私はそういうことが言いたいわけじゃない。
ただこれをそのまま実践し
そのまま問題が解決してみたところで
39:01
ある種の問題は
居残り続けちゃいますよね。
私という人間が
課題を解決できないという
その問題はそういう解決の仕方によっては
解決されないです。
そして
普通に今はそういう時代なんですよ。
普通に問題の解決と問題というものは
どっちも最初から設定されていて
ただ自分は
中国語の部屋の人みたいに
茨の道を歩きながら
この漢字を運び
あっちに出すと窓口から別の漢字がやってきて
それをまた元のところに戻す。
つまり会話の間を
何の意味も分からないまま
ただ体中は痛くなりながら
それを続けるだけの人になってしまっている
っていうのが
中国語の部屋のような話ですね。
アシュラだったっけ。
まあいいんだけど。
つまり中身が空っぽなアレですよ。
AIというものを
使ってやり取りするっていうのも
そういうような形になるじゃないですか。
この状況が
辛いですっていう話を
持ってく先がないわけですよね。
問題が解決さえすればいい
というのであればですよ。
で、その時に
AIは悩んじゃくれない
わけですよ。
だから私は無能かもしれないって書いて
あなたは無能ではありませんとか
って言ってくるだけなんですよ。
その辺は昔
寺江で竹宮圭子さんが盛んに書いてましたね。
マザーイライザー
って言うんですけどね。
スーパーコンピューターAIみたいなやつがいて
あらゆる人間の精神を
支配しているっていうわけですよ。
でもそのスーパーコンピューターは
新しいミュータントの
あらゆる人間の心を支配する
新しいミュータントから
守るために
人間の心を徹底的に支配しているという
そういう非常に
手塚治虫さんの
火の鳥からインスパイアされた作品
なんですけどね。
これは
僕らが
ずっと今そういう話を
多分しているんだろうなと。
だからカウンセラーは無能だって思う。
それはクライアントの
気持ちが乗り移ってるわけですよ。
こうして初めてカウンセラーさんが
物思いにふけて
途方に暮れていた
わけが明らかになってくるんですよ。
訴えてる話と
何の関係もない
訴えてる話を解決できない
カウンセラーというものは
そこにいるんですよ。
それが自分が伝えたいことなんですよ。
こういうのが一例としてある
ってことです。別に
これが全てではないし
アドバイスしないってわけでもないし
いつも途方に暮れてるってわけでもないんだけれども
こういうこともできることがある
っていう話でもありますし
何よりも
なんていうんですかね
そういう
話なんだなと思うのが
なんていうんですかね
昨日もそういう話を少し
クラザノさんとしたんですけれども
42:01
解決されていく
僕らの時代ってそういう時代だな
って思うんですよね
解決されるか置き去りにされるかのどっちかを
選択させられる
そしてそれ以外の道というものは
遮蔽されてしまっている
私のアトピーがそうだったんだけど
結局医者に行くと
治してくれるか治せないとされるかの
どっちかじゃないですか
話が私が3ヶ月カウンセリングにしたいかな
みたいに言ったのは
野良カウンセラーはいなくならないって思ってるんですね
最近クシクモと言うべきなのか
やっぱ話がまともりませんね
山崎隆明さんが
精神分析の歩き方を書かれた人が
今度は当事者と専門家
っていうたぶん
すごいタイトルだったと思うんですよね
非常に僕は楽しみにしておりますけれども
当事者と専門家だよな
って思うんですよ
その間に野良カウンセラーがいるんですよ
多くの野良カウンセラーは
実は当事者だったケースが
すっごい多いと思うんですよ
多少真面目にやってればってことですけどね
でも僕からすると
最近その引きを極めて批判していたというか
筆を極めて批判されていた
野良カウンセリングの記事も
金儲けだけを考えているって書いてたんだけど
それだって当事者だよな
と思うんですよね
金が儲けられなくて心を病むっていう人
あるいは金を儲けすぎて心を病むって
いっぱいいるわけじゃないですか
だから
それらの問題にカウンセラーというものが
専門家というものが
完全には答えきれてないと思うんですよ
例えば専門家の中に
困っている正式のカウンセラーさんって
多分結構いらっしゃいますからね
それらは現代が
与えてくる
圧というか課題に
耐えかねているわけですよ結局
もちろん
国家の不備みたいなもの
いろいろあるんですけど
実際あるんですけど
そういうムーブメントもやっていかなければいけない
みたいに書いてあるしそうなんだと思うんですけど
僕は正式じゃないからやんないですけども
つまりそういうことなんだ
と思うんですよ
これを
解決できないというのは
カウンセラーさんが解決するべき
ことではないのかもしれないけれども
でもすっごい
お金のことが頭から離れなくて困ってるんです
って問題はカウンセラーさんは
解決するわけでしょ
でもカウンセラーさんだってお金に困っている
ってことは結局お金のことが
頭から離れないわけじゃないですか
こういうところに難しさ
ってのがあって
カウンセラーというのは必ずしも
カウンセラーではないので
しかし当事者というのは問題の専門家
ではあるはずなので
例えば私は
アトピーになってない医者よりも
アトピーというものに詳しいはずなので
だって私はアトピーだったわけですからね
お医者さんの方が詳しいってのは
知識の話としてはそうなんだけれども
治せない知識ってのは一体どういう意味なんだ
っていうことになっちゃうじゃないですか
そして
アトピーの人間が
アトピーをするっていうのは
いやそれはけしからんとか言っても
無駄じゃないですか
もちろん正式の方が治る確率が高いとかって
45:01
話はありますよね
でも当事者確率では生きていられませんからね
ゼロ百ですからね
治るか治らないか
そのゼロ百がいけないんだって
いうのであれば
ゼロ百じゃなくなれば治るっていう
何かが欲しくなりますよね
そんなものはないんですけれども
こういう話が全部
ある意味集約されてくるよな
と思ったわけですね
45:26

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