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おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット、第1036回をお送りします。
テイク2です。これね、久しぶりにやっちゃったんですけど、忘れてたんですよね。
途中で止められないんですよ、現在の録音システムの場合。止められはするんだけど、止めるとどっちかが犠牲になるという、非常に綱渡り的な収録状況で、
なんとか改善しなければいけないんですけど、改善する気がしてないという感じで、絶対方法はあるんですけど、気がしてないわけですね。
1036回です。8月13日火曜日、山の日の翌日であることを言う理由はないんですけど、8月8時45分ですね。
もう暑いんで、録る場所も考えなきゃいけないし、ファイルをこうやってですね、合体もさせられないし、
このSpotifyは一体何をもってこれを改善だと思っているのかが、もちろん収益につながるとかいう話は、僕には何の関係もないですしね。
なんとか前も言いましたね。だから繰り返しになっちゃうんですけども。
マスに訴えているもの以外は切り捨てたくなるというサービスのやり方を、
今ネットでは自然とそうなりやすいんですけど、これなんとかならないのかなって本当思いますね。
有料にすればいいんだけどね、要するにね。
お知らせがありまして、8月16日の金曜日にタスクショットクラウド2がいよいよ公式リリースとなるはずです。
先ほどJ松崎さんのポストを数箇所で見たので、ほぼ確実だと思います。
ドイツ時間は、なので向こうは、日本時間の正確な時間は今失念してしまったんですけど、
とにかく公式リリースになることは確実なので、よろしければ試してみていただければと思います。
これはもうバジェット選びませんしブラウザなんで、これ以上の機能はもうあれには入れられないだろうぐらいに入ってくると思います。
それが重すぎるとか多すぎるっていうお意見もあると思うんですけど、
そういう方のためにライトを用意しており、追ってライトを用意する予定でおりますので、
これは良くて今年中と僕は思いますけれども、わかんないですけど、
今年中かなと思っておりますが、その辺に出ると素晴らしいなと、お互い素晴らしいなっていうのはユーザー側さんと我々側と両方いいんじゃないかということですね。
ライトはさすがにライトというだけであって操作性の軽量感半端なくて、
私も今はこれを使っていて、2は仕事で、仕事というか書斎に入ったら2になるっていう感じにしてあるんですけれども、
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そういう感じで動機は取れません。だから手動動機っていうのかな。
私は手動でも動機は取ってませんけど、あれをログの代わりにするつもりはもはやあまりないので、
ログの代わりというよりは、もはや僕にとってはタスクシュートクラウド自体が職場ですからね。
そこにコンテンツはすべて集めているという感じなので、
このコンテンツがそのような場所に預けておいて大丈夫なのか議論っていうのも、
大丈夫だと思うんですけどね。結構タスクシュートクラウドもそんなにデータがすっとんだって話聞かなかったんで、
大丈夫だと思うんですけど、私にとっては今週のものが残ってれば、それ以前のものはもうほぼどうでもいいんですよ。
特にログという意味では1年前のものとかには興味がほぼ全くないので、
ライフログを別に取りたいんだったら、レイワンとかを使ったりエヴァノートで取ればいいんじゃないかなっていうのが私の思うところで、
ライフログってあまり細かく取るとデータとしては役に立つかもしれませんけど、あまり楽しいものじゃなくなる気がするんでね。
この辺は趣味なんで完全に。私はライフログってもはや取ってませんが、
ここ1ヶ月のものが直近1ヶ月が残ってればいいかなと思ってます。
これを言っても誰も納得しないと思うんで、別に訴えるつもりはないですけど、
1ヶ月は残ってないと困るなとは思うんですよ。
でも1ヶ月以前のものは例えば本の原稿等にしても、
すっとんだらすっとんだで書き直すよっていうつもりでおりますんで、
これですね、一旦こういう風になると別になんてことないような気がしてくるんですよね、面白いもんで。
もちろん原稿を失ったら発狂するみたいなケースもあるんだと思うんですけども、
1ヶ月以上前の原稿でもしそれがどこにもないって言うんであれば、
多分かなりの分頑張れば救出できると思うんですよね。
でもどこにもないって言うんなら書くよなって感じしかしないんですね。
昨日のとかだったらなんとなくまだ残ってるだろうっていう気持ち、
昨日のなら記憶で書き直せるっていう部分があるんですけどね。
全く同じものは無理でしょうって言うんですけど、むしろ全く同じものを書くということのメリットがよくわからないんですよ。
後から書いていくのほうが良くなるんじゃないかぐらいに思うんで、
もしだから消失して復旧させるというのであればですね、
リライドするからいいんじゃないかっていう気もするんですよね。
どっちみち私は同じようなことを繰り返し書いてるわけですから。
この話これからもうちょっと出ますけれども、
とりあえずはまずは16日の金曜日に公式リリースということになります。
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あと今言ったようなのは私の感性の話であって、
多分そんなに簡単にデータ飛ばないはずなんで大丈夫だと思います。
ただそういうことが気になるというのであれば、
やっぱりコピペでもなんでもEvernoteにガンガン入れておくとかいうのはありだと思いますね。
この2つに両方にあってまたがっていて、
ダブルであって、しかも両方飛ぶ。
それは書き直せということですよ。
そのぐらいでいいと思いますね。確率から考えれば。
今日の書き直すから言ってもいいんですけどね、
要するにさっきリライト前に、違う、リテイク前に考えてたことなんですが、
要は投影度5かってやつなんですね。
あの言葉って、私も具体で交えると一層説明がややこしくなり、
おそらく説明を結構間違えてたと思うんですけど、
あれは対称に投影するっていうことですからね。
これ対称2。これも対称の影が落ちるみたいな言い方をするから、
でも影って上に落ちるもんじゃないですか。
だからやっぱり対称2なんですよね。
2なのか、私時々対称を通してみたいな雰囲気を持ってるよな、
これそういうふうに使ってる人もいるしなとか、
いろいろ思うんだけど、私はなるべく松木さんにですね、
松木くにひろさんに、そうようにそうように。
松木さんと藤山さんと同じような書き方のものはもう、
基本的に僕の中では公式見解だぐらいなんです。
それも勝手な意見なんですけどね。
絶対それには同意できないって人だっているに決まってるんだけど、
そこはちょっと飛ばすことにしましてですね。
私別にここがね、やっぱり正式じゃないものの強みだなって、
最近本当に思うんで。
正式じゃないだけに、自分が今一番好きなのは藤畑さんなんだってときは、
藤畑さんを公式にしておけばこと足りてしまうんでね。
無責任だって言われるかもしれないけど、
これは物理学やってるわけじゃないんで、
それを言ったら無責任じゃない人文の人なんて僕はいないと思うんですよ。
だって極端な意見って世の中に必ずありますからね。
物理学にだって実はありますけど、
人文は本当に真逆が公式だってお互い言える世界ですから。
私は公式でないと断ってますからね、何度も。
法援同意使い。
投影同意使いというのは、投影だというふうに松木さんがはっきり書かれていたので、
私はそれにはものすごく同意するのでですね。
なぜならこれは投影されて、それに左右されないっていうケースを見るのが、
そもそもとても難しいからなんですよ。
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例えば、佐々木はろくでない、ろくでもないって思ってる人が、
ものすごくそう思ってる人が結構権力を持ってて、
でも私の目の前に現れて、いかにお前がどうしようもないかみたいなことをガンガン言われたときに、
それ投影なんだけど、それに影響されずにいるってのはほぼ不可能ですよ。
私なんかの感じじゃ全然不可能で、
そういう人も一見そう振る舞えるっていうのとは違うんですよね。
一見私も腕でも組んで、なんかこう机上に見えるようにできるかもしれないけど、
たぶんそれは机上に見えてるだけで、内心めちゃくちゃ動揺していて、
ほぼ頭真っ白になるわけですよ。
妄想分裂ポジションに入るってことですね。
これが投影同一化の原理だと僕は思うんですね。
でも投影ってのは基本的には人に直接するものではないんですね。
必ず対象に対してする、対象の不原因というのか、
とにかく対象に対してやるものだと。
ここをなぜ強調するかというと、
さっきの例を今度は投影してるの主体は赤ちゃんだとして、
お母さんに投影していると赤ちゃんは思い込んでるケースを考えてみてほしいということなんですね。
ここを考えないと、
妄想性の精神病とか統合主張症の人の振る舞いの意味が全く理解できなくなってしまう。
私最初は本当に全く理解できなかったんですね。
身内にいてですね。
だからこういうことについて考えるようになったんですよ。
身内にいて全く理解できないということ。
そして私がやっぱりしばしばいただくクレームで、
クレームってやっぱりですね、
こういうサービス業みたいなことをやってると、
特に個人でやってると気にはなるわけですよ。
昨日もJさんとね、
アンケートのご意見とかについてちょっと議論してたというか、
話してたわけですけど、
やっぱり気にはなるわけですよ。
クレームっぽいもの。
自分が悪いんじゃないかって思っちゃうからなんですよね。
これがグッドバイブス流に暮らさぬ系統さんに言うと、
罪というものはそもそもないっていうのと、
そもそもそんなものが罪かっていうのを繰り返し問うっていうのをですね、
言ってる部分なんだけど、
これを私の今ホットに考えてる領域で言うと、
つまり投影だってことなんですよ。
投影されたときなんですよね、
一つのポイントとして。
投影されたときに気にはなるってのはどういう意味なんだろうって、
私は最近すごい考えるんですよ。
まず非常に面白いことに、
クレームって意味がだいたいわからないんですよ。
よく読めば読むほどよくわからなくなってくるんですよね。
読書100遍って言うじゃないですか。
100回読むと頭が混乱するのがクレームの面白いところなんですよ。
最初のところがもっと面白いことに、
意味はわからないのに悪意は伝わるんですよ。
ここがですね、僕がクレームというものに、
実はすごい興味を引かれたポイントなんですよね。
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意味はわからないのに悪意は伝わる。
あのですね、よくグッドバイブスなんかのバイブスっていうのを捉えて、
波動系とかって言われることもあるんですけれどもね、
あのあれは野野医者は笑うで読むと、
非常にこう臨床系から、臨床の考え方から波動というものに対して、
遠畑さんが面白おかしく書いてるのが実によく伝わってくるんだけど、
いずれにしてもこう波動系っていうのは、
ホカルトだって言いたげじゃないですか。
波を伝えるなんておかしいっていうわけですよ。
ところが現実の世界では伝わるんですよね。
全部が全部じゃないですよ。
でも意味がわからないのに悪意が伝わるっていうのは、
波動じゃないかもしれないけれども、なんかおかしいじゃないですか。
意味わかってないなら悪意が伝わるわけがないですよね。
しかし赤ちゃんが切実に泣いているのを聞くと、
割と周りの人ってみんな不愉快になるじゃないですか。
赤ちゃんはただ泣いてるだけなんだけど、
うるさいからだっていうかもしれないけど、
単にデシベルが同じ音を出しても、
みんながどの程度不快になるかは内容次第で変わると思うんですよ。
赤ちゃんの泣き声っていうのは、
ある種の人にとってはすっごい不快なんですよね。
だから怒り出す人とか、席外す人とか、
だから赤ちゃん連れてるお母さんとかがすごい気にされるんだけど、
私今赤ちゃんが泣いてるのを聞くのはものすごい好きなんですよ。
なんでかっていうと、あれを聞いてると統合失調ってものが
わかる気がするんですよね。
グラインすごいなって私が勝手に思ってるだけですよ。
本当でも思うんですよね。
赤ちゃんって一瞬で態度が変わるじゃないですか。
めちゃくちゃ幸せそうになったかと思うと、
もうなんかこの世の終わりみたいに泣き始める。
あの切り替えられるタイミングで見てるとよくわかるんですよ。
これ本当自分の子供を育ててる時にわかりたかったですね。
なんとなくはわかったんだけど親だから。
これほど手に取るようにわかるっていうのはまさにこのことで、
やっぱり赤ちゃんは伝えてきてるんだなっていうのがわかるんですよ。
と同時にこれはボーダーっていうのは本当だなって思うんですよ。
完全に理想化とか脱可地化が繰り返されてますよね。
山崎孝明さんはによると、
なんだっけ、名前忘れちゃう。
綾波玲さんだっけ、違ったかな。
違うな、アスカだ。
アスカはボーダーだって言ってたのね。
エヴァンゲリオンの話ですね。
そうなんだろうなと思うんだけど、
これはいわゆるジョークで、冗談で話してた話なんですよ。
私が思うのはですね、
このやっぱり理想化と脱可地化。
その人は精神が不安定だって言われるわけですよね、よくね。
なんつうんだろうな、ものすごいグイグイきていきなり怒り出す。
この独特の押し切る感じがありますよね。
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もうちょっと距離を空けて付き合っていきましょうみたいなのを
構わずどんどん押して突っ張りが入ってくる感じなんですよ、
お相撲さんのね。
どんどんどんってきて、距離がどんどん縮まってきて、
この人自分に恋を持ってくれるのは分かるんだけど、
なんか早いっていうかね、展開がね。
早いなと思ってると急に激動し始めて。
佐紀さんは本当にひどい人だみたいなことを言い始めて。
意味分かんないじゃないですか。
さっきのこのクレームの雰囲気と似てくるわけですね。
意味は分からないんだけど、怒ってることは分かるんですよね。
悪意は伝わってくる。怒りは伝わってくる。
しかし、何にどういう理由で怒ってるのかは、話を聞いてもさっぱり分からない。
これが投影なんですよ。
つまり投影というのは、もちろん私に投影をしてるんだけど相手は何かをですね、
その人の心の中で起きてることなんです。
で、私さっき脅迫という話をしたじゃないですか。
つまり例えば、公式のタスクシュートクラウド2の話をしたときに、
コンテンツを失うというのは許しがたいみたい。
それは投影なんですよ。
ただ、客観的に悪いことが起きてるわけじゃないってことね。
客観的に悪いことが起きてるわけじゃないのを客観的に悪いと思い込んだとき、
人はですね、それにすっごいこだわり始めるんですね。
ものすごいこだわり始める。
以前、私、自動販売機に100円を飲まれて怒り狂う男子高校生の話をしたことが
このポッドキャストであったと思うんですけど、そんな感じになるんですよ。
いくら高校生がお金ないとは言ってもですね、
100円だ、200円だを飲まれて、
自動販売機を蹴り飛ばすほど貧乏ではないと思うんですよね。
そもそも自販使ってる段階からしても。
でも、そういう風になるじゃないですか、人ってのはね。
損をしたくないのは万国共通だっていう考えは、私は全然信じてないんですね。
そんなことは信じられない。
例えば、その人の年収が100億とかだった場合、
まあそれはちょっと行き過ぎか、まあでもいいや。
100円飲まれて激怒していたら、なんかバランス変えてるじゃないですか。
客観的に決まらないんですよ、これは、きっと。
多分対象というものに投影するんですね、私たちは。
赤ちゃんは、お母さん変わるはずないですよね。
お母さんが急に理想のお母さんだったり、
1秒後に虐待のひどいお母さんになったり、そんなことは起こらない。
赤ちゃんの方で期限が1秒ごとに変わるというのは、
1秒は言い過ぎかもしれないけど、数秒ごとに変わるのは、
間違いなく投影をしているせいなんですよ。
投影ってのは、非常に非常に分かりにくいんですよね。
なぜかというと、相手にしか見えないから。
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私が投影をされても、分からないんですね。
相手が何を言わんとしているのか。
これをある意味、分かるためにカウンセリングってするんだと思うんですね。
相手は一体どういう投影をするのか。
フレームワード多くの人は違って、
投影といっても非常に微妙な投影の仕方をするので、
一見したところ、コミュニケーションは普通に続いていて、
正常なやり取りがなされているようでも、
相手は投影を、僕もそうだけど、投影をし合うのでお互いに、
分かるようで実は分かんない。
コミュニケーションって非常に難しいんですね。
この投影がなきゃ簡単なんだろうけど、
ないってことはすごい稀なことなので、
ただ投影を盛大にする人。
これはもう完全に一人で、
グワーッとなったりニコニコしたりっていう、
教会霊的な、いわゆる総極的にですね、
いいお母さんだなった時になってみたり、
悪いお母さんだってなってみたり、
つまり何の話をしているかというとシンデレラです。
いいお母さんはいなくなり、
ひどいママ母がやってきた。
ではないんですよ、あれは。
いいお母さんとひどいお母さんが、
同じ人物なの。
シンデレラから見ると、
だから彼女は、あれがまさに、
妄想水準なんですよ。
妄想の状態。
それを子供ってのは、
妄想の状態と変わらない状態で生きているって、
見抜いたというのかな。
そこを強烈に指摘したのが、
クラインなんですね、メラニー・クライン。
フロイトでもあるんですけどね。
だから発達論が出てくるわけですよ。
本当は発達の問題を問題にしているわけではないわけですね、
精神分析は。
子供の心が精神病だと、
仮定してみたら、
分かりやすくなるんじゃないっていう、
ある種の提案だと思うんですよ。
決して、子供とはこういう最初精神病の子として、
生まれてくるんですという発達論を、
展開したいわけではないんですね。
ただ、おそらくこの推量には、
相当良い線いっている部分があるので、
そう考えてみると分かりやすくなる。
それがどうしても発達論にも繋がってきてしまう。
だって子供って精神病水準だよねって言ってしまう。
それが言ってみれば現実というものを、
理解できるようになっていくというのを、
発達的に見ることもできるわけですよね。
だから発達論みたいに見えちゃうんだけど、
本当は発達論がやりたいわけでは多分ないと思うんですよ。
この人一体どの水準にいるんだろうっていうのを、
二歳児水準とか一歳児水準とか、
情緒の話なんですよ、しかもそれは。
知的にはそうじゃないから、非常に分かりにくいわけですよ。
ものすごい怒って怒鳴りまくってる赤ちゃんのように、
論理的なクレームをぶつけてくるから、
クレームを読んでも論理的なんだけど、
意味はよく分からないってことが起こるわけです。
情緒的にはただ泣き喚いてる子供の水準で頑張っちゃってるから、
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相手の人は分からないわけですよ。
で、それはこういう言い方をすると何か見下してるように、
多少はそういうところ僕にもあるかもしれないけど、
私も情緒水準では二歳三歳児に一気に戻ることが多々あるんで、
決して見下せる話ではないんですね。
主に現代の教育ってのは、
知的にはものすごく人を引っ張って上げていくけど、
情緒的には割とほとんど本人なんで、
上がってこない人はいっぱいいるわけですね。
特に子供の頃から早期教育とか地域とか頑張って、
頭を良くしようとしてしまうと、
子供は要するに情緒的に親に褒められたいもんだから、
頭でいろんな部分を補いつつ、
情緒が発達しないまま置き去りにされていくんですよね。
で、それ悪いことだと誰も思わないから、
そのまま事態が進行して、
気がつくと30、40、50になってくるわけですよ。
私、いつも思うんですよね。
孔子とかは役に立たないと。
あの時代の人ってすごい情緒的に成熟できないと、
あんな長生きできないから死獣で不悪とか言ってられるわけですよ。
それはすごく情緒的に進展が著しい人に起こることで、
私たちは俳優時代の話って参考にできる気がしないんですよね。
僕らは大体みんな思春期水準ぐらいに考えながら、
中年を送っている気がするんです。
代わりに世の中が進んでいる上に、
技術が進歩している上に、
物的に苦労しないから、
あの時代の人たちほどは絶対に苦労しないから、
わからないわけですよ。
私たちは情緒が覆い隠される、
情緒的な不備というものは、
そういうふうに考えるほうが、
物事が分かりやすいなって思うんですね。
あの時代の人たちって一本教わると、
首とかをはねられるわけじゃないですか。
恐れと不安とかいうのは、
よっぽど弾力がついている世界だと思うんですね。
我々はそういう世界には生きていないと思うんですよ。
多分ハチに刺されたとかで大騒ぎするような、
つまり、情緒的にはかなり子供っぽいところに
生きているんだけど、
代わりに早々とやすく首を落とされないわけだから、
そんなに情緒的に成熟しなくても、
十分に普通にやっていける。
だから取り乱した時の、
情緒の取り乱し方と知的な取り乱し方の、
バランスのあるさがあると思うんですね。
知的にはすごい高い水準にあるので、
この人は非常に厳しいことをおっしゃるが、
言っている意味が全然わからないが、
ものすごい怒っていることはわかるっていうような現象が、
割とホイホイ出てくると思うんです。
これを共栄同一化という概念で納得していくと、
そこに脅迫めいたもの、
つまりこれは脅すっていう意味ではないですね。
気にするってことです。
非常に脅迫性をめいたものも、
24:02
まずセットで登場するはずだと思うんですよ。
ものすごくいろんなことを気にしてしまっているから。
気にするってのも若干子どもっぽいじゃないですか。
赤ちゃんはちょっとムズガルって言いますけど、
難しいわけですよ。
赤ちゃんはお難しい方なわけですよ。
ちょっと暑いと叫ぶ。
お腹が空くと叫ぶ。
抱っこされないと叫ぶみたいな。
これってすごい脅迫的な感じがしますよね。
何も気にせずにいられる赤ちゃんっていうものが、
もしいるとすると、
それは将来かなり見込みがありそうじゃないですか。
そんな感じがしません。
弾力があるっていう、
肝が太いとか言われるやつですよね。
肝試しってそういうことですよね。
気が小さいというのは、つまり細かいってことなんですよ。
細かなことに気が付く。
私たちの時代はみんなそうなりやすいはずなんですよ。
弾力があるっていうことそれ自体が、
あまり高く評価されるようのない時代ですから。
大らかであるって同じですよね。
だから逆に逆なんだと思うんですよね。
水木しげるさんみたいな人が、
妙に高く評価されることにもなると思うんですよね。
大らかだから。
全然気にしないみたいなタイプだから。
そういう人っていうのは今時、
多くはならないはずなんだと思うんです。
この投影ってのがですね、
つまり万能空想って言葉がここでも出てくると思うんだけど、
赤ちゃんはさっきも言ったように、
お母さんという対象に、お母さんにじゃなくて、
自分の心の中のお母さんらしきもの。
まだ多分我々が対象と言えるほど、対象も文化してない。
文化ってのはつまりはっきりとした対象を持ってないと思うんですけど、
むしろお化けみたいなお母さん。
あるいは天使みたいなお母さん。
つまり超自然的な存在なんですよね。
対象としての話ですね。
しかもおっぱいがやたらでかいみたいな。
ほとんどおっぱいが顔だみたいな。
そういうもう、だからいいおっぱい悪いおっぱい言うんですね。
このお母さんというもの。
これを心の中で対象に投影していくわけですよ。
いいなあみたいなのを投影したり、
ひどいなあみたいなのを投影する。
ここを、だから僕通じてって途中で言いたくなるんだけど、
通してお母さんに接していくものだから、
お母さんはそのひどいなあに対してひどくなってしまうわけ。
いやいやお母さん全然ひどくないじゃんみたいな。
ニコニコして抱っこしてくれてるじゃんとしても、
赤ちゃんの投影は盛大なわけです。
信じてるから。
自分の心の中のお母さんの悪魔みたいな奴だというのを心の底から信じてるから、
全力で投影しちゃうわけです。
投影力100%なわけですよ。
そうすると、投影が実現してしまう。
お母さんが怒りだすって意味じゃないですよ。
怒るかもしれないけど、怒るとすると事態をもっと悪くするんだけど、
全く怒らないとしてもですね、
私がイメージした通りのお母さんがそこにいると、
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つまり投影同一化は幻覚を生み出すんですね。
そこにいると確信してしまう。
そして自分が全力で泣き始めると、
ものすごい不愉快になってくるんです。
これは全てお母さんのせいなんですよ。
つまりこうやって幻覚を見るんですね。
多分統合失調とか妄想性分裂病の人っていうのは、
こうやって幻覚を作ってしまうんですよ。
この時やってることが、
松木邦博さんの本とかに読んでいただければ、
必ず書いてあることなんだけど、
排出なんですよ。やってること。
排出というのはつまり、うんこを出してるわけです。
お腹が空いてるのにうんこを出すっていうのはおかしいかもしれないけど、
お腹が空いているっていう概念は散々喋ってるように、
お腹というものがそもそも赤ちゃんを知らない。
食べ物を食べればいいってことも知らない。
何も知らない。対応の仕方が全くわからない。
ただとにかく悪いものだから。切り落とす。
ここに自傷的なものが出てくるケースがあるわけですよね。
自分の中にある悪いものを捨てていく。
そのために相手に悪いものをぶつけていくわけです。
この場合相手っていうのは悪いお母さん。
そうするとお母さんはますます悪くなってる。
悪いものをぶつけられてるから。
このようにして幻覚と自分の行動を起こしてますから。
泣く。泣き叫ぶ。足をバタバタさせる。
そして何かを外へ出そうと頑張る。
このままうんこを出しちゃうこともありますよね。
そうするとますます不愉快になりますよね。
現実がどんどん悪くなっていく。
そのために自分が行動を起こしてしまっている。
というのが投影同一化であり、これが実現してしまう。
でも何も実現していないわけですね。
これはただ泣き喚めただけなんですよ。
でもこのようにして実現する実現というのは何かというと
空想の世界でありながら現実でもあるわけですね。
そして大事なのはここから先なんですよ。
お母さんが普通のお母さんであれば何にもお母さん悪くなってないんだけど
よしよしって言っていろいろとあやしてあげる。
そしてミルクをあげる。あるいはおっぱいをあげる。
そうすると赤ちゃんはもちろんおっぱいなんかに
そんなに簡単に納得するはずもなく
叫び泣いて排出排出で頑張っているんだけど
不意に飲んでしまうということをやりますよね。
わけ分かってないからね。飲んでしまう。
そうすると徐々に気持ちが良くなってきて
例の不快だ、お腹がすくというらしき
お腹がすくというものではないらしき不愉快感というものが消滅する。
こうして赤ちゃんは実現するわけですよ。自分の空想を。
この不愉快なものをついに完全に外に追い出して
悪いお母さんをやっつけた。
王子様と結婚しました。めでたしめでたしってやつですね。
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つまり丸物をここでやっつけるということに成功するわけですね。
自分がバタバタ手足をしてもしかしたらうんこも出して
叫ぶことによってついにこの悪い自分の中の
お腹なのかどうなのかすらわからない空腹感みたいな
悪いやつが外に出てしまいめでたいわけです。
達成されるわけです。正義は勝ったわけですよ。
ここに万能空想というものが、これ完全に空想ですよね。
正義が勝ったこととおっぱいを飲むことは何の関係もないですよね。
全く関係ないですよね。全然関係ない。
でも赤ちゃんの中ではおそらく完全に関係づくわけですよね。
これによって私たちは万能空想というものを成立させてきた
歴史的過去を持っているわけ。記憶ですよね。私たちは。
もちろん覚えてないんだけどこういう記憶を持っている。
おそらくこれを何百回何千回と繰り返してきている。
そのために私たちはこういう考え方を平気で持つわけですよ。
非常に極端に言うと怒鳴り散らし喚き散らし
自分の中の不快感を人に向かって現実に向かって投げれば投げるほど
自体は正常化され素晴らしい世の中がやってくるという
世界に生きている人も実際いらっしゃるわけですよ。
50になろうと80になろうと変化がないその件に関しては。
この状態というのが世の中でいうところの良くて
境界性人格障害というふうに見られてしまうわけですね。
そしてそういう専門知識がない人だったとしてもむしろない人ならなおのこと
そのような人たちは扱いにくいと考える。
自分の上司とかだった場合特にそう考える。
だからそういう人は孤独になりやすいという事態があるわけですね。
正常化すればするほどなぜか孤独になっている。
本人の中では非常に納得がいかないわけですよね。
自分はこんなに正しいことをやっているのに周りの人間はどんどん離れていき
全く理解がなっていないという迫害妄想を持つと
不思議と赤ちゃんの状態というのは非常に迫害的に赤ちゃん自身はおそらく思っているようにですね。
だってそれまで子宮の中にいて絶対こういうことは起きなかったのに
非常に迫害されている感じがするじゃないですか。
シンデレラはママ母がいじめられていると思ったじゃないですか。
成長する過程では掃除とか自分でできないといけないんだけど
どうしてもそうは捉えられない。
今までそんなことを言われることはなかったわけだから
やっぱりいいお母さんが戻ってきてほしいわけですよ。
どんな時でも自分が泣きさえしていれば幸せを運んでくる。
シンデレラ泣いてたじゃないですか。
そしたらカボチャを馬車に変えてくれる。
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完全に万能空想の世界ですよね。
そして悪人は退治されてめでたく終わるという
この物語は子供が好きな物語なわけですね。
これはつまり投影同一化であって万能空想なわけですね。
投影した通りにお母さんはママ母になってしまうわけですよ。
しかも悪いママ母になってしまう。
これは自分が投影した通りの結末を迎えるんですね。
だから泣く。
すると良いお母さんがどこかから戻ってきてくれて
おっぱいをくれるわけですよ。
そして馬車に乗って幸せな結末を迎える。
こういうストーリーが私たちの脳内では
繰り返し繰り返し実演されていて
その途中にものすごく脅迫的になる部分というのがあるわけですよね。
ちょっとした不快が非常に大きな困難に感じられ
掃除しろって言われてるだけなんだけれども
すごい酷い目にあってると。
今まで掃除なんて絶対にお母さんがしてくれてたのに
自分の部屋を掃除しろとかって言い出す。
酷い虐待なわけですよ。
子供の目からしてみると。
そう思ってみていると本当に酷くなっていくっていう
事態が進行していくわけですよ。
これはゼロ社員の時から何ら変わってないんですね。
僕らこの戦略だけで生きてる人は
若い人ではほとんどいませんけれども
この戦略で生きていきたいなと思っている人は
多分結構いない子はないわけです。
冗長的にはですね。
だから私たちは
何だろうな。
時々そういう手紙なりメールなり
というものをもらう。
ちょっとした不快というものを
その人が抱く。
あるいは私がこういうポッドキャストなり
100日チャレンジなりで書く。
いやー頑張ってくださいとか思わず書いてしまうと
頑張れと言われたことによってですね
すごく傷つくっていうことがあり得るわけですよ。
例えば
鬱的な状態に、欲鬱的な状態にあって
頑張れと言われるというのが良くないというのは
世の中では十分知られたことだと。
なのにこの人頑張れとか
メンタルとか言ってるのに平気で言ってくると。
ものすごい不愉快になったということで
この不愉快感を何とかして
自分の中から取り出してしまわないと
一生欲鬱に悩まされることになるかもしれないと
空腹になった赤ちゃんの情緒は
必ず感じるわけですね。
その時に非常に知的に
今の話は知的でしたよね。
知的なので
ただ私にうんこ投げるっていう
それはそれで大変困りますが
良くないので
非常に知的な
排泄と
言われてしまうんですけれども
何と言えばいいんですかね。
排出がいいかな。
投影ですね。
そして非常に自分の中に感じた不快というものを
投影していくと。
36:01
私はさすがにこういう構造を
理解するようになりましたけれども
理解する以前であれば
完全に不快になってましたから
それに対して
例えば無視するといったような
攻撃をするかもしれない。
様々なことが考えられますけれども
私自身も
その不快感というものをぶつけられて
不快な存在として
相手に対して振る舞っていく
ということが起きるわけですね。
このようにして相手の方の
投影同一化というものが
実現され
万能空想の世界というものが実現されて
やはり私が思った通り
ふざきというのは
人を攻撃するひどいやつだったんだと。
100日チャレンジとか
3ヶ月チャレンジで
人を勧誘するときだけ
いい顔をするけれども
あの顔は実際にその裏があって
その裏側にある悪い
本質というものが
ここに現れてきた。
私が想像した通りだと。
ここから先は難しいんですよね。
だからといって私をショッピーで
金庫刑とかにできたら
正義が達成されるのかもしれないけど
現実にはそれはなかなか
簡単なことではないわけです。
色々私の方にも事情がありますからね。
つまりそういう風にして
現実というものがどの程度
達成されるかで
万能空想というものが
現実化していくんだけど
危険な世界に生きることには
なりますよね。
なぜならばそれは現実と
かけ離れていく方向に向かうから
だからこれは
不快原則と言われるものであって
残念ながら我々は
この一次過程の中だけでは
生きられないんですよね。
二次過程という現実原則というものが
必要になる。で、この時
いやでも現実原則つらいじゃんと
自分が不快なのに
不快なものを
遠ざけるでもなく
バッシングするでもなく
正義を完結するでもなく
不快というものを
自分が抱え込まなければならないって
本当にそんな生き方
したくないよねと。それが
欲打つ不安と言われている
ものなんだと思うんですね。
これを頑張って
これに持ちこたえるとか
こらえるとかしていく方法を
考えていきましょうというのが
おそらくカウンセリングと言われているものだし
そうでなかったとしても
やっぱり
昔うちの親父もそういうことを喋ってましたけれども
結局はそこに行きつきますよね
現実を受け入れる
その能力があるんだったら
受け入れましょうと。俺の不快どうしてくれるんだ
っていうのを
そこでどうやって
していくかですよね。
Good Vibesで言うと
それはイリュージョンですという話をしたり
罪と罰はありませんという
話をしたり
あるんですけれども
要するに
その不快だと思っているものは
現実に実在している客観的不快ではない
ということを認識できれば
そもそも不快というものを
どうするこうするということをしなくて済む
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これが一つのアプローチですよね。