1. グッドモーニングボイス
  2. 【667GMV】良い悪いは心の中だ..
2022-09-08 43:55

【667GMV】良い悪いは心の中だけにある

全体としては良いものしかない
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
下収録ですね。
しょうがないというか、
BGMの方は、つけるにしても後で音量調整にしようと思うんですけど、
こういうことになっています。
ものすごく最近は、9月始まってから見守るシーンですよね、変化が。
やろうとしていることの半分も進行しない。
これもまさにグッドワイフス的です。
一寸先は闇的ですね。
これを一寸先は闇ってことわざだから、
大昔からみんなこう思っていたんだけど、
なかなかそう思えずにやっているってことが多かったんでしょうね。
断続的に9月の60分対話のやつ、
募集させていただいております。
枠残り残数出しておくべきだなと最近思っていて、
その辺もいじりたいと思っています。
割とですね、体調がちょっと崩れたといったこともあって、
いじる暇がないんですよね。
気がつくと時間が全滅していて、
昨日しかも美容院に行って、
美容院に行っている最中で、
娘が帰ってくるぞ的なラインが入ったりして、
変や多いんで、
もう気がついたら夕方の不思議なことに4時みたいな感じで、
全然収録をしているところではないわけですよ。
しかも100日チャレンジに、
これは全然悪い意味じゃないですよ。
100日チャレンジにコメントをつけると、
これもですね、分かってきたんですけども、
倉野さんのようにはつけられないんですけどね。
つけられないんだけど、
倉野さん100日チャレンジやってませんよ。
ちなみにグッドバイブスファクトリーとかで、
倉野さんのようなコメントは僕にはつけられないんだけど、
でも結構つけるのが楽しくなってきていて、
気がつくと全員分つけかねない勢いで、
これもそういうことをやっていると、
今度は本の原稿を書く時間が別のところに行ってしまうので、
だんだん上がってきたんですよ。
個性と役割というものがですね。
なんていうんですかね。
大谷翔平さんとか見てると思うんですよね。
みんな無理しすぎだよ、体壊すよとかって思う人もいるじゃないですか。
そしてそれは間違っちゃいないんですよ。
ああいうことをやっていると、外して体壊すんだけど、
でも彼は壊さないんですよね。
そして見てて凄まじいと思うのは、
ニトリをやっている日ですよね。
初回投げるじゃないですか、ピッチャーとして投げるんですよ。
普通そこで休みに入るんですよ。
日本でもプロ以上であれば、
ましてメジャーリーガーであれば。
ところが彼はその次の回に行ったら席に立つので、
しかもあの人が先頭バッターとか2番とかだから、
03:02
急いで帰ってきて、すぐ今度はヘルメットつけてバッターになるみたいな。
休む暇どこにもないんですよね。
でもそれでですね、よく思うんですよ、あれを見ていて。
これを自由と見るだろうか、不自由と見るだろうか。
好きでやってるんだから、結構最初の頃はいろいろ言われたりして、
無理矢理やってたんだから、まさに自由にやってるんだけど、
全然あそこに自分の選択の位置がないようにも見えますよね。
まさにそうしなきゃいけないから、
どこにも選択できるところがなくて、
まっすぐそこに向かっちゃうしかないみたいな、
必然性って私がよく言うんだけれども、
でもやめることはできるんですよ、簡単に。
やめたいって言えば即座にでもやることはできるんです。
あれ、無理矢理やらせてくれって言ってやってるような世界ですからね。
この辺のことを時々思います。
自由っていう話をした時、大変なんですよ。
引きこもって全ての時間が自分の自由になるという状態で、
でもそのどの行動にも必然性が感じられないという中でやっていくのは、
究極的にはどっちもイリュージョンだから同じなんですけどね。
でも多分絶対同じだとは感じられないと思うんですよね。
首も回らないほど忙しくて、
私に仕事を押し付けてくるみたいな話を聞いた時に、
それはどっちがいいのかなっていうのをいつも考えますね。
どっちがいいっていう話をするべきなのかと、
このままさせられていけない、壊されてしまうっていうのも、
あながち嘘ではないと思うんですよ。
じゃあロサンゼルスエンゼルスのブラック企業というべきなのか、
あのままやってて壊れる可能性ってありますからね、はっきり言って。
でも彼は止めてもやりたいっていうタイプですよね。
この辺をどう考えるのか、
それは好きかどうかだって言われるかもしれませんけど、
好きでやってることだってめちゃくちゃ大変なことっていっぱいありますからね。
彼がやってることは明らかに好きでやってることですけど、
でもはっきり言ってめちゃくちゃ大変ですからね、あれは。
普通の人は、僕の感覚では、
あの大変さは経験しようがないなっていう感じがします。
昔、現役復活した時に、
それを見守っていたというか、見ていた元テニスプレーヤー、
それもプロの人ですね、アナウンサーと解説者がですね、
自分もやりたいと思うことあったけど、
やっぱりクルームさんのやらなくてよかったなと自分は思っちゃうと言ってたんですよ。
やっぱりそういうことなんじゃないかなって思うんですよね。
別に僕はそんなに過酷なことをしなきゃいけない人間はいけないとは思わないですし、
その言い分もめちゃくちゃ普通だと思うんですけれども、
06:03
大変だということが搾取されているというか、
いろんなことがそこにあるはずなんだと。
だからずっと裏企業で頑張りましょうって話をしているわけではないんですよ。
だけれども、そこは客観的には決まらないことだろうなとは思いますね。
というのは全然余談で、どうでもいい話ですよ。
今日は何の話をしようとしていたんだ?
クラブノさんが知恵さんという方と恋愛相談のポッドキャストみたいなのをお話しされています。
全部は僕は聞いていないんですけど、若い頃なら絶対全部聞いていたと思うんですけどね。
今は時々気になったりすると聞いて、一番最近なのかわからないんですけど、
嫌われるということについて。
そこでも出てきたんですけど、有名なのがあるじゃないですか。
嫌われると言えば、嫌われる勇気じゃないですか。
アンドラーの心理学を演出にした自己啓発ということになっていますね。
僕はあれが売れた最大の理由はもう一つしかなくて、タイトルだって確信しているんですけどね。
これだけのタイトルが付けられればなんと、これは職業病みたいなもんですよ。
僕が嫌われる勇気を見て、やられたなと思ったのは、あれを思い出しました。
キャプテン・ツバサ。
私はサッカー全然興味はなかったんだけど、読めましたからね。
もうタイトルにやられているっていう、職業病ですよね。
そもそも嫌われる勇気はいいんですけど、アンドラーの話は今はちょっと。
プラズマさんの話は全くそうだなと思いながら、同じような話をするとですね。
なんか偉く違った、ものすごくもってまわった話を始めることになるんですよ。
これが私の、もしかすると個性なんですよね。
結局役割とまでは言えないかもしれないけど、
私はこういう風に結局考えていない、自然な感覚でいられないんですよね。
プラズマさんの言葉の方が自然だから、普通に話せよって言われるかもしれないんですけど、
僕が普通に話すと、ああはならないんですよね。困ったことに。
だからどういう話になるかというと、
昨日かな、一昨日か、全く同じような話をするんですけど、
私ならですね、嫌われるという悩みは結局内的対象と。
09:01
で、なぜって思われると思うんですけど、内的対象はですね、
あまりこの言葉扱いは難に来ているんですけど、
バイパラ、バイポラというかな、
二極になってしまうんですね。
この話はしてますよね、いつも。
バイポラという言葉を使っていないだけです。
バイポラ・ディスオーダーといえば、
これも双極性障害、すなわち双鬱なんですよ。
この言葉は避けてますよね。
わけやすく避けてないんですよ。
それは良いんですけども、
二極、すなわち良いなんとか悪いなんとか、二極です。
良いおっぱい、悪いおっぱいというのは、
一番最初に私たちが、もっと前あるかもしれませんが、
でも生まれて早々に私たちが経験する、
二極化なんですよね。
生後何日後かは知りません。
もしかすると何ヶ月かも知りません。
何にしても良いものと悪いものを分断してしまう。
で、嫌われるって言うんだから、
その人は悪い何かと関わっている。
悪い何かと関わっているというのは、
全部原則的には内的だと思います。
まずそもそも内的対象というのは、
絶対部分対象なんですよね。
まあ大体対象なんて部分対象ばっかりですけども、
良いものと悪いものが、
二極化されているという段階では、
完全に分裂しちゃっているので、
もしかするとおっぱいは二種類あるのかもしれません。
お母さんは二人いるのかもしれません。
お父さんも二人いるのかもしれません。
良いお母さんと悪いお母さんが我が家には別々にいると、
赤ちゃんは自分で全てを把握できないから、
そういう発想になってもおかしくはないんですよね。
だけれども他人から見れば当然というのは、
イリュージョンに決まっているわけです。
で、このように悪いお母さんとか良いお母さんとか、
二人いるってことは、
もう分裂させたから内部にしかいません。
外部には一人しかいない。
あともう一つは、良いだの悪いだのってのは、
自分にとっての、自分の都合の話をしているので、
明らかに自分の心の中に住まわせています。
ここが非常に大事なところですね。
これを成人になった我々はしばしば見誤ろうと、
大きな誤解の中に突入している。
つまり内部にあるはずのものを、
いや外部にあるんだよと思っている。
この辺がつまり神経衝撃というか、
本当に現実をちゃんと見ていると、
自分には見えないはずなのですね。
嫌われるっていうことは、
相手は自分を嫌っているわけですよ。
だから嫌われるようなところは、
直さなきゃいけないという考え方になります。
つまりそれは自分にも悪い部分があるんですね。
そういう話ですよね。
ちょっと大丈夫かな。
12:02
大丈夫か。
つまりここには良し悪しで分けるという分裂があって、
しかもその良し悪しそれぞれというのは、
どっちかというと悪い方の問題なんですけど、
これをやっちゃうんですよ。
これをやっちゃうととてもその人、
一見したところ、嫌う嫌わないとか嫌う好きっていうのは、
相手に対して影響を与えると我々は思い出します。
相手に初めて影響を与えるのは自分だけなんです。
自分だけじゃないかもしれないけど、
強烈に自分だけなんです。
なぜならば嫌な自分があるわけだから、
私が好きなものを二つに分けてしまったら、
私の心の中で好きなものに対する私と、
嫌なものに対する私というふうに分かれるんですよ。
嫌いなものを食べたら嫌な気分になるじゃないですか。
好きな人に嫌われたら嫌な気分になるじゃないですか。
つまりこの嫌な気分になるっていう私を抱え込むことになるんで、
これをできれば脱したくないなって思うじゃないですか。
つまり簡単に言うと、
嫌な気分になりたくないなって思うじゃないですか。
でも好きな人と関わる中で、
相手の嫌なところというものがあるということは、
どっちかというとずっと関わってなければいけません。
家族とかだったら思いっきりそうなります。
私はこの良いおっぱい、悪いおっぱいで、
一番フッと考えつくのは良い会社、悪い会社なんですよ。
会社は一個なんだけど、
給料をくれるときは良い会社だし、
そのほか全ての日は悪い会社なんですよ。
これって一個しか会社はないんだから、
心の中だけの話です。
そして悪い会社とはいえ、
自分が行く会社だから関わらないわけにはいかないです。
関わるたびに我々は警戒するはずなのですよ。
この悪い会社の悪い面が自分の前に登場してきたら、
私は嫌な気分ですから、
この気分にはなりたくないから、
この気分にならないように気をつけようって
普通の人は誰でもするじゃないですか。
例えばその悪い会社には、
パワハラのゴンゲのような課長がいます。
この課長となるべく顔を合わせずに、
顔を合わせるにしても短い時間で済ませるようにする。
そういう風に気をつけるはずですよ。
そのような図式があるんだったら、
悪い課長がいるんだけど、
のうのうとその人に接近していきますっていうのはおかしいです。
悪い課長がいて、その課長と接触すれば、
自分の気分が害される可能性が極めて大だというのは、
このように接触しないように気をつけるはずなんですよ。
15:02
つまり、悪いものに近寄らないように気をつけるのが、
私たちの自然な戦略じゃないですか。
だから、いい会社と悪いと、
私たちは心穏やかじゃない状態というものを
必ず背負って歩くことになるはずなんです。
その会社に行かずに済むんだったら、
その会社に行かずに済むんだったらいいんですけれども、
その会社に行かずに済むんだったら、
たぶん、こんないい会社と悪い会社戦略とかは取らないと思うんですよ。
どうでもいいですから。
当然、どうでもいい会社になり、
その会社は心の中から出ていくんですよね。
で、このいい思い、悪い思いと言葉に私が、
この戦略を打ち立てた私たちは、
その記憶をもうとっくに忘れ去ってるからです。
ここまで対抗して初めて、
つまりゼロ戦時までに
遡る起源を持ってるこのやり方。
良し悪しを分割して、
悪い方から距離を置こうという、
意外と今ツイッターでも
とくとくと語られているんだけど、
この戦略はものすごく原始的で、
おそらく原始人だってやってただろうし、
もしかすると霊長尾は一般にやってるような気がするんですよね。
つまり、とっても単純な方法だ。
覚えておきたいと思うんですよ。
とっても単純だから、僕らはすぐこれに頼るんですよね。
で、その結果についてあんまり深く考えないんですよ。
おそらく赤ちゃんだった場合、
例えば嫌なお母さんが怒るお母さんだったら、
もうこいつとは絶縁だって思うとは思うんですよね。
この態度、とてもヒステリーじゃないですか。
もう一歩行きましょう。
悪いお母さんとは絶縁するという風に、
心から強く全人格をかけてそのように決意したんだとか、
たぶん悪いお母さんと関係している私と、
いいお母さんと関係している私は完全に分断する。
そこが記憶で繋がりにくくなります。
私はヒステリーにおける乖離って、これは普通だと思うんですよ。
いいものと接している私と、悪いものと接している私は別人であると。
私たちは幸いここまではまずいかない。
ここまではまずいかないから何をするかというと、
悪いものといいものと関係している私は、
まるで別人のようになってしまうという認識に留めると思うんですね。
そういう言い方をする人っていますよね。
夫の嫌なところが現れると、
私もまるで別人みたいになっちゃうから嫌なのみたいな。
とうとうとおっしゃるじゃないですか。
これ言うってことは、私は少し乖離気味になるのって
別の言い方にすれば言っているのと近いところがあるんですよ。
18:06
そんな言い方に聞こえているとは思わないから
こういう言葉がさらっと出てくるのと、
カウンセリアーとかやっている人にはそう聞こえかねないセリフなんですよ、あれは。
だから、いい存在、悪い存在、同じ存在に対して
そうやって分割している上で、
悪いものと接する私というものをとても嫌な私だから、
嫌な人ってありますかね。
そこをすごく警戒して日々生きているんです、
っていう話になった場合、
これでつらい思いをしているのはほとんどその人だけなんですよ。
だからこれをやるっていうのは要注意だなって思うんです。
やるときはやるんだけれども、
なるべく全体対称、全体対称というのはつまり、
いいものと悪いものが同じ存在だという方向に向かわせた方がいいと思います。
結局これ、乖離とか分割を完全に覚えようとかしない限りは、
ある程度は程度問題です。
両極にすごく分かれているように見えるのか、
同じ存在なんだけれども、
それとも二つの方面に分かれているように見えるのか、
あるいはもう少し違って、
同じ存在なんだけれども、
ほんの一時的に悪くなることもあるぐらいなのか、
この三つは割と違うと思うんですよね。
全体対称というのは外部にありますから、絶対に。
そうですよね。会社って外にあるじゃないですか。
つまり対称が一つになっていればいるほど、
外に我々はそれがあるという認識に近づけるはずなんですよ。
それには二面があるとか言い出して、
その二面性が両極に分裂している方向に向かっていれば向かっているほど、
私たちの内的対称になっているんですよ。
部分ですから。いい面と悪い面があって部分ですから。
全体を自分の中に入れることはできないじゃないですか。
私の心の中にお母さんがいて、それは全体ですというのがおかしいじゃないですか。
外側にもお母さんがいるから、
あなたの心の中にいるのが全体だったら、
外側の何だったってことになっちゃうじゃないですか。
亡くなった方の場合はちょっと違うんだけれども、
その人の思い出みたいなのはいろんな人が持っているから、
やっぱり部分じゃないんですよ。
内的対称というのだけあってですね。
対称というのは対外内的だし、対外部分だったんですね。
だから内的部分対称とか言ったりするんですよ。
こういうことを喋っている私が、つまり倉田のサムネにも
ごく普通の言葉で嫌われる話ができていないって話を冒頭にしたわけです。
それで、嫌われるということは、つまりどういうわけじゃった。
私を救うこの人と、私を嫌うこの人がいるっていうのは、
21:03
もう心の中の二人です。
対称は一人なんだから。
で、それが好き嫌いが時々入れ替わるという程度になれば、
外側にいる感じが強くなってくるんですが、
はっきり分かれているというか、存在の相手にしているわけです。
外側の一人がだんだん遠のいている感じになってくるんですよ。
この嫌われるっていう話は、結局嫌うっていう話と交往していて、
嫌っているその人のことを私は嫌いですっていうふうに普通の人は書きますので、
嫌なメールとかすぐ分かると思いますよね。
そういうメールには関わりたくないという話をしておきながら、
そのメールのことが忘れられなくなってきたりするじゃないですか。
私この話ですね、自分のものを書いているとしょっちゅう考えることがあるんですよね。
例えば私がツイッターとかをやったり、コメントを出したりすると気に入らないと。
本当に気に入らないと思うのだったら、やっぱり読まないというのが健全だと思うんですよ。
たまにいるじゃないですか、本当に気に入らないものをやたら読みに行くっていう人。
あれが自分の中で、これは心の中で思うと思うんですけども、
この人は嫌いなものの面倒を見ているっていう感じがする。
よくあるじゃないですか、例えば日本政府がすごく嫌いなんで、
常に日本政府の動画をウォッチするみたいな、そういう発想ってあるじゃないですか。
僕はあれやっぱり不健全だなって思うんですよ。
これは政治の話じゃないですよ。
政府に批判的ではない方がいいのかとか、そういう話ではないんだけれども、
常に嫌いなものをウォッチし続けるっていう心理って、実はすごい不思議じゃないですかね。
これについては私は、そういう傾向のある方っていうのは、
よほどこれについて、いくらこういう風に言っても無駄かもしれませんが、
やっぱりよほど注意してそのことについて考えて、
なんとかしてやめるっていう方法を取った方がいいと思うんですよね。
思い出したんですけど、発言こまちをずっと見ちゃいますとか、そういう話ですよ、これは。
つまり、悪い対象はいつも内的対象だし、悪い対象はいつも部分対象なってくるんです。
全体的に見えれば、やっぱりそれは良いものだと思いますよ。
これはすごくおかしい考えだって思われるかもしれないんですけれども、
私は外部に全体としてあるものが悪いものだと。
考えても悪いというのがやっぱり、自分にとって都合が悪いっていう意味に含むと、
そういう基準とかを判定する意味を失う。
24:06
赤ちゃんが悪いおっぱいだって言ってるのは、自分が飲めないからですよね。
それは自分にとって都合が悪いから悪いのであって、
そのおっぱいが赤ちゃんと何の関係もなければですね、
そのおっぱいについて良いだ悪いだを言うはずがないと思うんですね。
ということは、そのおっぱいは良いわけですよ。
少なくとも悪いっていうふうに判断するほどの根拠がない。
こういう言い方ってよくありますよね。
あの会社は本当にひどい会社なんだけど、やっぱり給料が良くて辞められないんだよね。
これが良いと悪いですよね。
これ、その人にとっての都合を喋ってるじゃないですか。
これがですね、客観化しちゃダメだというか、
これが客観的に見えるようになったら相当、やっぱり考える必要がある。
これ以上のことは私、この番組では言いませんが、
考える必要ぐらいはあるんじゃないかって思うんですよ。
自分にとって都合が悪いっていうことが良し悪しなんですよ。
客観的なことはそこにはないと思うんですよね。
ところが私たちは悪いと思ったものを思いたいんですよ。
多分そういうところがあるんですよね。
そういう生き物なんだと思う。
これ長寿が的な話につながってくるんだと思うんですけれども、
やっぱり日本という国は悪い国だって思ってる人は、
できれば全ての人にそう思ってほしいと思っちゃうんですよ。
自分にとって都合が悪いから悪い国だって思うのは、
なんか残念な感じがするんだと思うんですね。
だけど意味悪いを言うときはだいたい都合なんですよ、その人にとって。
都合が悪いから悪いんですよ。
それはしょうがないという点はですね、
意識しておいて損はないような気がするんです。
悪いと思ってるってことは、一部難点的なものを自分の中に入れ込んで、
それについて感じている話なんだと。
日本の一部というかですね、それを自分の心の中に入れ込んで、
これが気に食わないから私は嫌な気分になるんだって、
そういう風な図式にしておかないと、救いようがなくなっちゃうような気がするんですよ。
これだったら自分にとって都合の悪い部分を修正してもらうから、
これも簡単じゃないですけど、人なら可能だと思うんですよね。
あるいはその人のことを忘れてしまうかも。
どちらかにすればいいと思う。
その人のことを忘れるというのは必ずしもその人と、
結果としてはそうなると思うんですけど、
距離を分けるとか分かれるということは必ずしも直結しないと思います。
私はですね、どちらかというと、
例えば仲のいい恋人が遠距離恋愛をしています。
27:03
そしてその人が何をやっているか、相手が何をやっているか、
話したりしていないときには忘れていますというのは、
かなり健全な関係のような気がするんですね。
一方ですぐそばにいるんだけども、
しょっちゅう喧嘩していて、でも相手のことを四六時中考えています。
この方が多いような気がするんだけど、
これはつらいと思うんですよ。
全然健全な感じはしないんです。
相手のことをずっと考えているときは、
相手というのは全部内的対象のはずなんですよ。
外部にいる相手とは直接関係がないんです。
これは自分にとっての都合の良し悪しを、
について考えているんだと思います。
だって相手が他の女とデートしている、
それは悪い、悪いかもしれないけど、
それは自分にとって悪いって話をしているわけですよ。
結局その悪い対象というものが外にある。
そしてそれは悪い対象なんだけれども、
部分的に良い面にあるという考え方をしようとすると、
どうしてもそれは自分にとって良いという話で、
高級をくれる、たくさんの給料をくれる会社というのは、
まさにそういう意味です。
あれはブラック企業であり、
外儀的に悪いというのはそういうことですよね。
あれはブラック企業であり、
誰がどう見てもブラックであって、
社会に存在していること自体が悪なんだが、
良い面もある。
それは俺にたくさんの給料をくれる。
これおかしいですよね。
良い面になってないと思うんですよ。
それはただ自分にとって都合をしゃべっているだけで、
全然良い面になってないと思うんですね。
だからこの考え方は無理だと思うんですよ。
悪い悪の存在。
外側に悪の組織として存在しているんだけど、
良い面もあるというのはおかしいと思うんですね。
どっちかというとやっぱり、
良い存在なんだけれども、
嫌なところもあるのほうが、
まだ自然な感覚で受け止められると思うんです。
だから悪いだけの存在というのは、
外的にあるように、
現実にあるように思えたら、
その時を相当自分の心の中にある、
やっぱり悪いお母さんなんですよね。
その思い出について考えたほうがいいと、
自分は思うんですよ。
私にもそれはいっぱいあるわけです。
悪いお母さん。
これを結局、
いろんな出来事に投影しているだけなんですよね。
悪いお母さん。
人に嫌われるのが怖いというのは、
結局ですよ。
私にとっては。
昔々お母さんに、
お前うちの子じゃないからねという、
そのセリフを言われた時の心理状態を、
再生しちゃうからという、
ただそれだけなんですよ。
今だったら、
うちの子じゃないからって母に言われても、
全然苦にならないから。
だからその恐怖は、
ぐっと下がっているわけですよ。
ぐっと下がっているということを認識すると、
30:00
非常に不思議になるんだと思う。
例えば、
好きな女性がいたとして、
その人に嫌われたという、
経験をしたとしても、
以前に送って、
その少ない理由が、
お母さんにうちの子じゃないからって言われても、
困らなくなったからっていうのを、
なんだか不思議な感じがするんだけど、
この観点が精神分析的なんだよね。
つまり、
嫌われる勇気のアドランティックとは、
だいぶ違うっていうことですね。
これはあくまでも精神分析的な話です。
最近、
ここからは違う話にだんだんなっていくんですけど、
最近、
ババア・レイコさんの、
名前もしたかもしれないけど、
精神分析的、
的ですよ。
人格理論の基礎という。
僕、この本が、
そういえばですね、
一番分かりやすかったなと。
多分これ、
今音声聞いているだけなんで、
それでもそのタイトルかって思われるそうなんだけど、
表紙を見ると、
全く買う意欲を失わせそうな表紙をして、
エメラルドブルーの線が、
上から1、2、3、上と1番下と丸。
エメラルドブルーの線の上に、
精神分析的人格理論の基礎っていうのが、
毛筆みたいなのが大きく書いてあるので、
その下にババア・レイコ、
ちょって書いてある。
ただそれだけの本なんですよ。
大学の教科書みたいなんですよ。
でも、バレないんだと思うんですよね。
だからあれですよね。
三日でわかるフロイトみたいな本を、
皆さん読むんだけど、
ああいう本が難しいんですよ。
そういうふうに思われないでしょうけれども、
三日で読むフロイトとかって、
私最近ちょっと読んでみたんだけど、
めちゃくちゃ難しいですよ。
あれでフロイトがわかるようになったら、
天才だなと思います。
こういうふうに、
根節丁寧に書いてある本が、
ちっとも面白そうにも、
分かりやすそうにも、
見えない表紙をしているから、
多分世の中ではこういう本が受け入れられないので、
遠畑先生みたいな人が、
すげえ頑張っていたら、
ギャンをいっぱい織りまぜている、
なにむなしい感じが、
最近私するんですよね。
実に分かりやすい、
ごく普通の、
ただ非常に教科書的な本があって、
しかもそれが結構高いし、
絶版になっていたりして、
書店だと6000円とか、
もう多分買う気が全くしなくなるレベルに、
なっちゃっているとはいけなくて、
で、三日でわかるフロイトみたいなのが、
言ってみるが、
彫訳みたいなものなんで、
分かりやすくはないんですよ。
分かりやすそうに見えるんですけれども、
33:00
全然分かりやすくはないんですよね。
こういう、
分かってから読めば分かります。
分かってから読めば分かるんですよ。
そもそも分かってから、
三日で読むフロイトを読む、
非常に困った話だと、
そうなる理由もよく分かるんですよ。
このフォトキャストを喋っていて、
頭アップとしてですね、
一個一個のいろいろな話と、
全部つながっちゃっているみたいで、
話すとなったら、
全部話さなきゃならない気がするんですけど、
全部話すと、
やっぱり十字架になれば必要な気がするし、
だから一つ一つ話していくとですね、
あちら立てれば、
こちらが立たないみたいなことに、
話す側の心理としては、
すごくなるんですよね。
長寺岳っていう言葉をポッと言っても、
この言葉には説明がいるんだよ、
その説明をするために、
内的対照みたいなのが欲しくなってきて、
それの説明がいるじゃん。
こういう解きほくしにくい作りになっているんですよ、
これは。
特にこのフロイトの話って、
そういうところがあるなと思います。
グッドバイムスにもなくはないし、
タスクシュートにすらあるんですけれども、
それでタスクシュート出てきたら、
ついでにさっき話した、
例えばどの順番だと、
どのタスクの価値も、
どのタスクの価値も基本的には同じだというのは、
バイプラーを意識して悪いなとか、
分けてしまうと、
自分の都合に合わせて、
その結果、
自分の気分が持ち込むか、
それを避けるという、
それを警戒する、
警戒モードを常に抱え込むと、
いった事態を招くんですね。
例えば、いい読者、悪い読者、
読者って分けがちですよね。
そういうことをやると、
悪い読者からのクレームとか、
星1レビューとか、
常に警戒していなければならなくなるんですよ。
こういう風になっていて、
それはもう当然、
著者がやるべきことだよねと思って、
いつらいらっしゃる著者もいるんですよ。
とっても辛いと思う。
この警戒って、
実は永久に続きますよね。
終わることがないじゃないですか、
本一度出してしまって、
しかもその読者がいるんだから。
こういうのを一切やめにかかろうとするにして、
そういった著者ってあるんですよ。
ものすごくみんなありますよ。
36:02
自分の赤本を全消しにして、
でもそれをやっちゃうと、
資産があるのはいいでしょうけど、
生きていなくなりますよね、今度は。
そういうジレンマには、
あまりこみかねないんですよね。
絶対警戒モードで生きるか、
書くの一切やめるか。
筆を折ると言ったセリフの話ですよ。
私これね、
全然見合わないと思うんですよ、
やってることが。
これは単なる実務的な話をしているんです。
来るクレームなんて、
1%にも満たないのに、
これを多大に恐れて、
残りの99%の
そっちの読者さんは、
みんなメリットをくださるわけですから、
これを前世にする、
っていう話を、
これが5対5になるっていうのは、
考えものだと思うんですよ、多少はね。
2つに1つはクレームだっていうぐらいだったら、
好評に対して悪評が、
1対1であるぐらいだったら、
それだったら、
心を配る、
価値も多少はあると思うんですよ。
なんでそんなこと考えられないんですかね。
10%にも遠く及ばない、
という状態がずっと続くんです。
それが0.01でもやだっていう話をしているときに、
僕らこれやってるんですよ。
心の中の、
嫌な自分が出てくる、
嫌な自分が対応させられる、
という事態を避けるために、
この心の中の、
嫌な自分が出てくるっていうのは、
本当にこう、
人によってはなんだろうけど、
致命的に精神的にストレスなんですね。
それはそうですよ。
お母さんが、
あんた出て行きなさいって言われたときに、
衝撃に等しいレベルなんですね。
あるいは赤ちゃんが、
もうこのおっぱいは出なくなったっていうのは、
夏に井戸が枯れた、
江戸時代の、
お百姓さん的な世界ですよね。
どういう事態が起きるのか、
分かってないわけだから、
それぐらいのダメージを食らうんですよね。
でもそれは、
今思えばですよ、
どうでもいいレベルの話じゃないですか。
これとだから、
結びつけるべきじゃないと思うんです。
外的対象、全体対象として見るというのは、
外にその人たちはいますよ、
という意味で、
外にいるという事は、
悪人じゃないって事だと思うんですよね。
こういう所から、
結局こういう話をしていると、
そうか、
グッドワイプスで生前を引いていったな、
という話になっていくんですけどね。
もう一つ、
倉元さんが、
さっきのチェイさんとの、
嫌われる勇気というのは、
嫌わない勇気だと言っても、
そういう普通な言葉で言えば、
まあいいわけですよ。
内的対象とか言わずにね。
嫌わない勇気というのは、
結局内的対象とか言っちゃうんで、
嫌う嫌わないというのは都合じゃないですか。
フレーム迷路を嫌うというのは、
嫌うとは言い切れないかもしれないけど、
やっぱり都合なんですよ。
他の人にとってはどうでもいいのか、
それは客観的な悪とも言えないと思うんですよ。
39:00
気分が悪くなるから、
そういう都合なんだと思うんですよ。
僕らは分割というものを作り出すんですよ。
これは、先日か先日言った通り、
両極に分かれるんですよ。
良い丸まる、悪い丸まるというのは、
天国のように素晴らしい丸まると、
地獄のように最悪の丸まるには、
分かれるんですよ。
この分け方が変だというのは、
でもそう見えますよ、著者には。
ファンレターで佐々木さんが書いている、
本当にスクワレは素晴らしいです、
というのは天国の意味じゃないですか。
僕から見ればね。
それに対して、
あなたはもう二度と描かない方がいいです、
本当に地獄のように思うんですよ。
でもその両極は、
どう考えれば僕が作り出していくもので、
そこを意識すれば、
作り出さなければ、
こんな苦しみがなくなるというのが、
分かるんですよ。
だってその地獄の丸まるをやっている人だって、
他の著者にとっては、
天国みたいな例が出しているかもしれないので、
客観的にその人が、
円馬大王みたいな訳じゃないんですよ。
あくまでも、
僕のフィルターを通すから、
円馬大王みたいな。
これで、どうしてタスクシュートの
さっきの話を出したかというと、
どんなタスクもいい丸まるも、
いいタスクも悪いタスクも、
分からないということ。
それは私の目を通すから、
私の癖を、
四六時中監視して、
とにかくこれをやめるべきだと。
価値のないタスクをやって、
時間を無駄にするというのは、
絶対に避けたいじゃないですかと言われれば、
私もそれに反対するのは、
すごい心苦しくなるんだけど、
それをやる限りは、
例えば、
とても嫌なメールを、
編集さんからもらいましたら、
返事を出さないという選択は、
できないわけですよ。
で、返事を出すというタスクを持つことになって、
この時に、
その編集さんからの名前出しみたいなのは、
地獄のメールみたいに見えてしまって、
ものすごい嫌ですよね。
そして必ず、
著者であればこう考えるんですけど、
二度とそんなメールをもらわないように、
心がけようと、
いいものを書くなり、
そういう編集とは組まないように、
こういうありとあらゆる警戒と、
警戒ですね、
警戒モードで、
本当につらいことだと思うんです。
だって、いつどこからそういうのが出るのか、
わかったもんじゃないし、
そして、なんといっても、
その場合から、
両極っていうのは嘘だもんね。
いい面とやる面ぐらいのがあるかもしれないけど、
最高と最悪っていうのは、
本当に嘘なんだよ。
これは、
メールなりフレームなりをもらった
著者さんは、
当然だと思うかもしれませんけれども、
ありとあらゆる恋愛をして、
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こじらせていらっしゃるようで、
こじらせるって言いますよね。
そういう方の恋愛の仕方って、
まさにこのパターンにままってて、
これを外から見てるときは、
大体の人はみんな、
もっと冷静になればいいのにって、
平気で言うんですよ。
私にしてみればですね、
この書いた感想の良し悪しなどというのは、
なんだか命がけの恋愛になっちゃってる人に比べれば、
どうでもいいことだと思うんですよ。
結局、
知恵さんと蔵野さんのホットニュースは、
恋愛でした。
恋愛ってこれがもう来やすいんですよ。
嫌われたらもう地獄ですよ。
その地獄は、
僕がちょっとしたクレームをもらうレベルでは
全然ないと思うんですよ。
よくあるじゃないですか。
よくあるって言っても、
僕はそういう漫画をよく読むんですけれども、
ちょっとすっごくイケてる、
イケメンの彼氏の顔色が曇ると、
もうなんか自作的に
しちゃいたくなってしまう
女の子みたいに出てくるようになるじゃないですか。
あの心理状態なんですよ。
でもあれもやっぱりバイパラなんですよ。
内的対象が
そう言ってるんですよ。
内的対象にそう言わせてると
僕は言いたくなるんですけれども、
内的対象がそう言ってるわけです。
素晴らしい彼氏と
最悪の彼氏に分けるんですよ。
そしてその最悪の彼氏を
呼び出してしまうような
やり方にするから、
曇りとして出てくる。
でもこの恐怖ってのはまさに
悪いお母さんです。
さっきまですっごい幸せだったのに
悪いお母さんが急に出てきて
そこを片付けなさいと言い出して
そういう心理なんだと
私は思う。
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