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2020-12-05 49:30

Tak.さんと出版記念対談!

『佐々木さん、自分の時間がないんです』の出版を記念して共著したTak.さんと対談しました!
00:01
今回はですね、このポッドキャストで、いつもと違う形でですね、
ゲストでインタビューを、インタビューというか対談をですね、お届けしたいと思います。
今回私が出した、Kindle Unlimited対応の本で、「佐々木さん、自分の時間がないんです。」という本を出したんですけれども、
その協調者であるTackさんと今回つながっていますので、お話ししたいと思います。
Tackさん、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
今回、「佐々木さん、自分の時間がないんです。」という本も佐々木さんと一緒に作らせてもらったんですけれども、
一応対談形式の本で、僕がメインで佐々木さんに聞くという形式の本なんですが。
そうですね。僕から佐々木さんにちょっと感想を聞く感じにしようと思うんですけども。
はい、お願いします。
いきなりざっくりした質問なんですが、佐々木さん、今回やってみて率直に言ってどうでしたか、その経験として。
良かったですか。
もちろん良かったですね。
自分の言いたいことって伝わった感じします、佐々木さんとして。
伝わったかどうかはわからない。読み手によって違うでしょうけれども、出したという意味では出せたというふうには思います。
僕はでも、しゃべるにしても本を書くにしても、一応そういう感覚は毎度出ますね。
言いたいことは言えていると思っています。
言いたいことは言えているという感じが一応佐々木さんとしてはあると。
はい。よくなかったことはないです。
まあなかったら出ないですよね、本当に。
わかんないですけどね。でもそういうことって僕にはイメージができないんですよね。
書いてみたり喋ってみたりしたけれども言いたいことが言えなかったみたいなことは、そういう経験ってないんです。
ああ、本当ですか。
聞き手としては一応、佐々木さんが伝えたいこともちゃんと文字になったかなっていうことが結構気になってたんで。
それはもう……。
バッチリですよ。それは良かったです。
もうまずはそこがクリアできてないと話にならないので。
それは大丈夫だと思いますね。
内容的に、佐々木さん的に、あの本を見たときにポイントというか……。
結構いろんな話が出てくると思うんですけど、佐々木さん的に一番ポイントになるのってどの辺だと思うんですか。
ポイントというか、この辺を読んでほしいというか、この辺を受け取ってほしいというか。
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あまり長い本でもないですし、全体的にさらっと読めるんじゃないかという、ここを特に否定はないんですけどね。
一番というか、やっぱりタイトルにある通りで、自分の時間がないということは、
自分の時間がないということで、そこに固執しなくてもいいはずだということを前編を通して言っているので、
そのことさえどこからでも拾っていただければいいかなというふうには思っているんですよね。
ただ全体の中で言ったことなので、全体を通さないと、たぶん納得のいく形にまではいかないんだろうなとは思いますね。
ただ、何度も話したことだから何度も話す繰り返しにしかならないんですけども、
自分の時間というものを、たぶん今の時代はすごく求める流れになったんですけど、
それを取るのは実に容易なことではないんだけれども、取れなくても困ることはないんだということが、
何らかの形でクリアされれば良いと思っていて、
自明じゃないということが何よりも大事かなと僕は思ってますね。
自分の時間というものが存在するっていうことが、僕の中では全く自明じゃないから、
すべての人にとってそれが自明だということになってなければいいわけで、
あとはそれが手に入らない、何とかして手に入れないといけないということから、
解放されればそれでいいと思っていますね。
そこですよね。
それしかないことだからね。
そうなんですよ。だいたい3万5千字ぐらいあるんですけど、一貫してそれを言ってるわけですよね、須田木さんが。
自分の時間というものはなくてもいい、それがあるというのは自明ではないっていう話を、
いろんな形で一貫して言ってるわけですよね、あの中で。
そうですね。もともと何度かあちこちで言ってきたことを、ここに集約させて喋ってるという感じなものなので、
それ以外のことはないと思いますね。
そうですね。佐々木さんの喋ったり書いたりしたことを、特にここ数年フローしていると、
この話ってよくいろんなところで出てくるんですよね。形を変えていろんなところで出てくるんですよね。
それはやっぱりそういう疑念とか、そういうものが必要だっていうのが、
特に私の仕事の関係上をぶつかってくるから、それに対してその都度打ち返す。
打ち返し方は僕は、一貫してこの件に関しては変化がないと思うので、
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ここ最近は特に強化されてはきてるけど、基本的なスタンスは何ら変わってないと思うんですよね。
ここ7,8年はたぶん全く変わってないでしょうね。そういうふうに思っているので。
取れなければいけないわけじゃないっていう前の段階に、
これが取れてる人がいっぱいいるんだっていう前提があるんだけど、そんなことはないと僕は思いますね。
結局僕がこの話、実はそれ以外の話もたくさん聞いてたんですけど、
最終的に本としてその話に、自分の時間の話に集約してたんですけど。
この話を聞きたい、この話を中心でまとめたいと思った理由って、
やっぱり佐々木さんは一貫してそう言っていたかもしれないけれども、
やっぱり世の中的に主流な考え方ではおそらくないだろう。
僕の勝手な印象かもしれないですけど、
自分の時間がなくていいというのは、世の中的な主流の考え方ではないだろうと思うんですね。
特にタスク管理とかライフハックとかに興味を持つ人。
つまり多くの佐々木さんの読者だったり、そういう人たちにとってそれは自明ではないし、
むしろそれいらないんですよって言われちゃうとどうしていいかわからなくなっちゃう人が結構いるんじゃないかっていう印象を持ってたんですね。
僕自身もそういう感覚を抱くことがあったというか。
自分の時間って広くいろんな意味で取れると思うんですけど、
一応本の中の定義は、自分にとって重要なことをする時間っていう定義ですね。
やっぱりタスク管理とかライフハックとか時間管理みたいなことに興味を持つ、それをやりたいって。
やっぱり何とか時間をやりくりして重要なことをやる時間を取りたいとか、
なんか義のある時間にしたいとか、っていう動機を持ってる人が多分多いと思うんですよね。
いや自分の時間なくていいんですよ。そんなもとはちことは自明じゃないんですよ。
そういう人たちにその言葉だけ聞くと反発を受けるんじゃないかっていう印象を正直僕は持ってたと。
だからそこで佐々木さんの真意を聞きたいというところが、話を聞く側としての動機だったというか。
09:08
聞いてみると、ああなるほどなと思うところはたくさん。
ああそういうことかって思うところがたくさんあったんですよね。
だからそういう人たちが、自分の時間なくていいんですよって言われても
ひょっとしたら反発を感じるかもしれない。
その印象とはだいぶ違う印象に、自分の中では話を聞いた後になっているところがある。
だから読んでくれた人にとっても、そうであるといいなというふうには思ってるんですけども。
やっぱりなかなかそれでも伝わりにくい話だと思うんですよね、正直。
どこらへんが?
自分にとって重要なことをする時間は必要ない。
え?って思うんじゃないかと思うんですよ、単純に。
そういう言い方をしてしまうとね。
それに関しては、これも繰り返しになっちゃいますけども、
自分にとって重要なことをする時間は既に十分取ってるっていう言い方になるんですよ。
自分というのは流動的な存在だから、一貫していない存在だから、
次々その自分、その自分、時間が経つにつれ変化していく自分にとって、
それぞれの自分にとって重要っていうことの意味は変わってくるので、
その次々一番重要なことはしているはずなんですよ。
っていう答えですよね、私がしゃべってる。
だから自分にとって重要なことをするということであれば、
もう既にやっているはずだということですよね。
これ以外の一貫した自分にとって一貫して重要であることをする時間を取れないというのは、
それはある意味当然というか、そのほうがむしろいいんじゃないかと思いますけどね。
だからまさにそういう話を本の中でもう少し詳しくしてるということですよね。
なので、そのあたりの話にちょっとでも興味を感じた方はぜひ読んでほしいなというところなんですけど。
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自分のブログにも書いたんですけど、
重要なことをする時間を取らなければいけない。
それを主体的に、能動的に取っていかなければいけないっていう、
いろんなメッセージがあるわけですよね。
いろんなところからやってくるメッセージってことですね。
佐々木さんからではなくて、タスク管理、ライフハック、いろんな意味での自己啓発っていうところ。
そういうところで何かしらヒントを求めて読んでたりすると、そういうメッセージがたくさんやってくる。
非常にそれはもうよくわかるんですけれども。
重要なことをする時間を取らなきゃいけない。
取らなきゃいけないというか、重要なことを主体的にやっていかなきゃいけない。
そのメッセージを受け取って、なんとかそれをやろうと思うけれども、できないっていうことが非常におそらく多く起こっていて。
なんとか状況を改善しようとしてそれをやっているのに、
結局それができないものだから、よけい苦しい思いをしたり悩んじゃったりする人っていうのもよく見かける気がするんですよね。
そういう人にとっての、逆のメッセージじゃないですけど、
ちょっと違う考え方をしてみませんかっていう意味で、
受け取ってみる価値のあることが書かれてるんじゃないかなというふうに感じるんですよね。
あの本が出来上がった後で自分で読み返してみたんですけど。
たぶんそうなんですよね。そうなんでしょうね。
ちょっと違う考え方ではないんですけどね、きっと。
たぶん自明なんでしょうね。自明なんだと思うんです。
そういうメッセージ、今おっしゃったようなメッセージって、例えば主体的って言ったときにそれの意味するところを捉えるのは、
僕は無理があるとそもそも思ってるんですけども、無理がないっていうことになってるんですよね。
そういう意味で自明なんだと思うんですよ。
主体的に自分にとって重要なことをしようとして、しかもそれができないっていう話になったときに、
その主体性って、今ずいぶん難しい話を展開してるようで、
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しかも僕がしゃべってることは別に難しいことじゃないので、あれなんですけども。
あれっていうのはつまり、どうして入り組んじゃうのかなって毎度思うんですけども。
そのとき主体性とかっていう言葉を持ったときにね、たぶん出てきているのはすごく単純な話であって、
非常に極端な話をしてしまうと、どっかの独裁国家みたいなところで、
鞭とかで打たれて何かさせられるっていうのが嫌だから、
私たちは主体的に生きなければならないという程度のニュアンスだと思うんですよ。
だけれども、僕らの生きてる世界ってそこまで非主体的なはずないので、
何か強制されてやらされているのは嫌だっていうのは、それはそうだと思うんだけど、
じゃあ主体的にって言ったときに、そんなにですね、その源泉はどこから来てるんだろうとか、
そのところに寄ってきたるところは、本当に主体の大元に自分自身があるんだろうかとか、
そういう問い合わせにはなってないと思うから、
だから主体的っていうのが自明になってくるんだろうなって気がする。
そういう人たちにてっぱりとってっていう。
そう、誰が読んでもわりとそういう本っていうのは。
だけど僕、これを出すときも、いつも話が入り組んでるんだけど、
話は単純な話のはずで、例えばもう夜寝てたいとか朝起きたくない。
これは主体だと思うんだよね。
ひとつひとつ考えてみると、これをタスク手法を使うと非常に簡単にできるんだけど、
大概の人は使ってはいないから、なんとなくバクっとしてるんだと思うんですけど、
例えば寝起きするときに、起きたくないって思ってるのがこれが主体だし、
トイレに行くときに、僕トイレすごい出すんですけど、
トイレってのはね。
トイレの話多いですよね、佐々木さん。
なぜかというと、疑念を差し挟む余地がないでしょって言いたいわけですよ。
あなたはトイレに行きたい、ここに疑問の余地はないじゃないですかと。
これ主体じゃないかと。
で、なんでそういうのは自分にとって重要じゃないって思おうとするんだろうかと。
多くの方がおっしゃる、自分にとって重要ってのはエヴァノートの整理とかそういうことを言うのかもしれないけど、
そんなはずないでしょうと言いたいわけですよ。
トイレに行くのはめちゃくちゃ主体的に自明じゃないですか。
これの寄ってきたるところが偉い人なんだろうか、偉い人にトイレに行かされてるんだろうかって思う人、
いるはずがないですよね。
それほどはっきり自分がしたいと思うことをザクッとするときは主体的なのに、
エヴァノートの整理って書いてあるのに漫画読んじゃうんですってときは、
大してしたくないはずだと僕は思う。
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それに比べるとちっとも主体わけじゃない。
それをするのがなぜ主体的なのかって思うんですよね。
それは多分僕が思うに、ライフハックとかそういう本とかで主体的に振る舞いましょうって言われているにもかかわらず、
そういう人々が、僕もそうだったと思うんですけど、ライフハックしてまで、
例えば英語の勉強とかプログラミングの勉強ってしようと思ったときは、
全然主体的ではないと思う。
それは人々から望まれているから、これをやっとけば格好がつくとか、
そこまで言わないでしても、これをやっとくと人々があなたはよくできるとか言ってくれるとか、
そういうことと結びついているからこそ、そっちのほうに引っ張られるのであって、
それは主体性とは僕は関係ないことだと思う。
それが良い悪いとかではないんです。
むしろ良いと思うんだけど、良いということは社会的だっていうことを、
あの本の中で繰り返し述べましたよね。
実際に私はライフハックとかにそれほど興味のない人は、
そこまでそういうことに興味を持たないんだと思うんです。
やりたいと思ったら漫画読むし、ショッピングモール行ってショッピングするし、
それが主体的か社会的かなんていちいち考えもしないけれども、
僕らは多分に、ちゃんとした行動を取ろうとした時は、
自分がしたいと思っていたとしても、かなり社会的な行動になっていて、
そこでね、無理やりそこを区別しようとしても、
どっちが寄ってきたら厳選かはっきりしながらあると思うんですね。
英語の勉強を本当にしたいのは自分自身なんだろうか、人に求められてるんだろうか、
考えれば考えるほどドスボにハマっていく気がして、
主体って言ったら僕はもう眠るとか食べるとか、そういうのは主体だ。
多分人が望んでいようといまいとやる。
でも多分ですけれども、僕だったらですね、
例えば本を書くなり、こういうふうに喋るなりの活動も全部、
人が一切、見る人が一人もこの世にいなくなったらやんないと思うんですよね。
だからここに僕は主体性だけを見るっていうのは不可能だと思うんですよ。
そうするとそれは自分の時間というものの意味は、
誰がそれを求めると自分が思っているかによってすごく変わってきちゃうんですよね。
そこもまた大変流動的だと思うんですよ。
今なんか全然眠くもなんともないからこうやって一生懸命喋るっていうモチベーション湧いてきてますけど、
これが夜の3時だったら、全く僕はこういう気持ちで寝ないですね。
寝るしかない。
だから一分一分、私の望む、私にとっての大事っていうことは変わるし、
主体的にですね、主体的にだとしても。
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しかも私という存在も変わっていくし、これをとどめようがないわけじゃないですか。
だからそこについてね、そんなに何時何分に何をしようと思ったけどそれができませんということに悩むことはないと思う。
そのときに一番いい自分の答えを自分自身が出せるはずですと、申し上げたいわけです。
そうですね、そこですよね。
これも本の中で佐々木さんが一貫して言っている話だと思うんですけど、これを言っている本なんですね。
そこで、そんなことをしていたらダメ人間になっちゃうとか、そういうことないですって言いたいんですよ。
そんなことはないはずです。
なぜなら皆さん、社会的なことをそんなに考えていて、主体だか社会だかわからないほど、
自分がやりたいと思ってることなんだけど人が望んでることかもしれないようなことを望んじゃうみたいな状態になってるんだから、
十分社会的じゃないですか。それでいいじゃないですか。
という話をしてみていたい。
そこは非常にわかった。
ああ、なるほど。思ったんですよ。
主体的にやりたいと考えていることの多くは社会的である。
こんな短く求めていいのかわからないですけど、でもそういうことじゃないですか。
まさにそういうことです。
そのことについては非常によくわかったというか、なるほどと思ったんですよね。
たとえば10年前の自分のことを思い起こしたときに、
10年前のスタッフさんですね、僕ですね。
会社員だったときの自分のことを考えて、
そもそも自分の時間というか時間がなかったんですね、そのときに。
自由になる時間が全然ないってことですね。
ほんともう常に睡眠時間が4時間切ってるような状態が続いてた時期があったんですね。
そのときに本を読んだわけですね、タスク管理、時間管理の本を読むわけですよ。
読みますよね。好きであれば特に読むと思いますよ。
もうちょっとその前からですけど、古典としての七つの習慣というものがあって。
絶対読みますよね。僕もそういうときに読んだんです。
あの本って主体的に自分にとって重要なことを選んでやりなさいと書いてある本だと思うんですけど、
ものすごく単純化して一言で言うと。
まあいろんないいことが書いてあるから、みんな1ページごとに付箋を貼っちゃうんですよね。
自分にとって重要なことは何か考えなさい。考えるだけじゃなくて書きなさい。
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それを例えばミッション・ステートメントのような形で書き出して、それを目指して、それを基準にして生きるといいですよというようなことが書いてある。
やっぱそれをやろうとするわけですよ。
10年前はもうすでにそれをやろうとしてなかったけど、20年前はやろうとしましたね。
できないわけです。
できるところもあるとは思うんですけどね。
全部はミッション・ステートメントを仮に書いたとして、それをよし実行するぞと思うと。
ミッションに関するタスクを一つ入れようと、ちゃんとフランク・リンプランナーとかを買ってきてやるわけですね。
これは一番重要なことだと。
プライオリティAにすると。これをやらなきゃいけない。
でも手をつけられないまま気がつくと、時間は25時30分だと。
というようなことが常に繰り返し続けている。
そのときに、これじゃだめだと思うわけですよ。
自分は結局その環境を離れてしまって、解決することなく環境が変わったので、そういう状況はなくなったんですけども。
おそらくあの職場には今もそうやっている人たちがたくさんいるだろうし、
違う職場でも今のいろんな仕事の状況、そういう状況下にある人はおそらくたくさんいるだろう。
7つの習慣に救いを求めたり、GTDに救いを求めたりしている人がいるんだけれども。
7つの習慣に変えてやるみたいに主体的に重要なことをやろうとしたんだけど俺はできない。
ただでさえだめなのに、そのダメなところから抜け出そうとして一生懸命やるそれさえもできない。
俺はダメだみたいになっちゃってる人を見かけるんだよ、プライベートでもネット上でもね。
それはやっぱりちょっと違うんじゃないか。
7つの習慣が間違ってるわけでは全くないし、GTDが間違ってるわけでは全くないんだけども。
それはちょっと違うんじゃないかと思ってるところがあって。
それに対してどうトローチするかという考え方の一つとして、
佐々木さんの考え方ってすごく興味があったというか聞いてみたかったというか。
そういうところから始まったものでもあったんですよね。
GTDの話とかしたじゃないですか、この本の中には入ってないけど。
はいはい、しましたね。
27:00
相手が巨大だなと今お話を伺ってても思いましたね。
僕ではちょっと勢力的に力不足だろうなという気はいたしますね。
ただタクサルのお話が20年前とおっしゃったじゃないですか。
そういうことも含むと僕は思ってるんですよ。
やっぱり時代は変わるし、GTDにしても七つの習慣にしても、
僕はこれらと、それらの本がどういう話を想定しているのかはちょっとわかりにくいんですけども。
僕はタスクシュートっていうのは、あの本のベースにもタスクシュートが大きくあるんでね。
タスクシュートっていうのが大きく違うと思うのは、主体的っていったときに、
その主体がいる環境はどこなんだろうって思うわけですよ。
七つの習慣は本だから、すべての読者の環境を勝手に想像したとしても意味はありませんから、
なんとなくこういう環境なんだろうなっていうような想定があるのかもしれないけど、
あれはだいぶ大昔の、しかもアメリカじゃないですか。
主体は環境から独立しては立たないわけですよね。
どう考えてもやっぱり、そこがタスクシュートっていうのは僕は大変面白いと思うんですけども、
環境を記述してるわけじゃないですか、ある意味。
すべての行動を書くから、抜け目ではないはずだから、
すべてのことについて書かれているから、
その人はどういうところにいる人なんだろうってことが、あれを見ればある程度はわかる。
タスクシュートの記録を見れば。
記録を見ればね。
環境から独立していない主体なんで、
どういう環境において自分が大事だと思っていることをやるかっていうことが、
自分が何を大事って思うかにすごく影響を与えるに決まっていますから、
タクさんのような非常に過酷な環境にある人が考える大事なことと、
私のようにそれほど過酷なわけじゃない環境にある人間が考える大事なことは全く全然違うんだし、
タクさんがいらっしゃったところの環境について、
タクさんがどう思っていらっしゃったかっていうのはすごく大きいと思うんですね。
その環境に、今さっきタクさんは抜け出すっていう話をされてたけど、
抜け出すことが大事だということであれば、
その環境においてどうこうってことを考える前に、いきなり抜け出しちゃえばいいと思うんですよね。
その人が考えることっていうのはまた、例えば仕事を辞めて実家に帰るんだったらば、
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実家はその人にとってあるのかないのかも大きな問題になるし、
実家と仲がいいのかどうかも大事な問題だし、
そもそも実家に帰らせてくれるのかどうかも大事な問題じゃないですか。
そういう一人一人にとって選択するべきことって、一つ一つ全然違うわけだから、
その人にとって何が大事かというのは、まずその環境に居続けるつもりなのかどうなのか。
その環境が好きなのか嫌いなのか。
そして、嫌いだから脱却したいっていうことであれば、
その環境の中でどんな後避をするかとしても大事じゃないわけですよね。
そのことについてまずどう考えるかっていうのは、
その人がどういう私であるかが大きな意味を持つと思うんですよね。
主体的に考えれば、みんなが大事だと思うことが似たり似たりになるってことは決してないので、
そこのところで私っていうのは流動的だっていう観点がないと、
つまり主体的に重要だっていうことが環境と無関係にあるみたいな感じにはならないわけだから。
だから環境が何を自分に求めてきているのかということが、
すごく何を大事だって思うかにそのまま直結するので、
どこからが主体で、どこまでが環境なのかをはっきりさせようとするっていうのは、
無理がどうしてもやっぱりその都度あるなと思うんですよ。
それを別々に考えることがあたかもできるように思うから、
そこで正しい判断ができると主体になると思っちゃう気がするんですね。
畑目から見ると、そこの会社もう辞めたほうがいいんじゃないのって。
この話、今僕喋ってて思ったんですけど、
相変わらずまた抽象的な話をするとこう見てくるんだけど、簡単な話なんですよね。
例えばその会社にしても、もうブラックだから辞めたほうがいいじゃんって、
周りの人は友達も含めて家族もみんな思ってるのに、
主体となっている人はなぜかそこにいなきゃいけないと思い込むようなところがありますよね。
ここで僕は、こういう環境の厳しさに負けずに戦い抜いて家族を守っていくことが、
僕にとって大事なんだって、いらっしゃるじゃないですか。
でもこの判断をしてしまうのは、環境と自分が分離していて、
私ってものがいるっていうふうに思い込んでいて、
その私ってのは正しい判断を真剣に考えさえすれば、考え抜きさえすれば、
僕7つの集会のときそういうニュアンスを持ったんですよね。
抜きさえすれば答えが出るという、答えが出るとは僕には思えないんですよ。
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私にそんなに一貫して正しいこと、こういう道に進むのが正しいんだっていうことがわかるとはとても思えないんですよ。
どう考えてもわかんないだろうなって思うんですよね。
それは、環境って変わるんで、私も変化しちゃうんで、一貫した答えは出ないんで。
トイレに行った後は、やっぱりトイレにもう一回行きたいとは思わないし、
その前はトイレは喫緊の課題なんですよね。
この一瞬で人間って矛盾した答えを平気で出すのに、なぜやめるか、言い続けるのかっていうのは、
それは都度都度ものすごくね、赤になったり青になったり赤になったり青になったりで、ちゃんとした答え出ないと思うんですよね。
ちゃんとした考えを持って、それこそあれですけどね、自分の頭で考えようですけどね。
自分の頭で考えれば、ちゃんとした答えが出せるって考えるのは僕は大きな間違いだと思うんですね。
だからある人は、その会社にいてはいけないと周りの人はみんな思ってるんだけど、
なぜか言い続けてそのまま死んじゃったりするみたいな話が出るわけじゃないですか。
それってその人の判断ミスなのかなって思うんですよ。私はそうは思わないんですよね。
だから自分で判断していけないと思うんですよ、つまり。
これね、重要な話ですよね。
まさにこの話を聞きたかったんだなと思ったんですよ、本の内容も含めて。
まさに佐々木さんの話で重要だと思ったのって、今のところなんですよね。
あの環境にとっぷりいる状態で、その環境にいる前提のまま自分が思っている重要なことっていうのは、
結局その環境の影響下にあるわけだし、
しかもその主体、まさに佐々木さんがさっき言ってたみたいに主体的に判断する、主体的に考える。
その主体がそもそもその環境の中にどっぷり使っちゃっている中で、
本当にそれが後から見たときに、正しい正しくないって言ったからちょっと違うんですけど、
その判断でいいのか、その中で重要なことって思っていたことが本当にそれでよかったのか。
そうだとは限らないなっていうことがあって。
そうだとは限らないし、結局それはわからないと思うんですよ。
そう、今の一連の話が実は僕が一番聞きたかったわけですね、今回の。
36:02
だから実家に出るのが正しいわけではなくて、
その会社で一番大事なことをするのが正しいのかもわからないんですけど、わからないんですよ。
本人も必ず逆転してると思うんですよ、頻繁にね。
だから、自分が重要だと思うことをその都度やるんだけれども、それ以外にそれ以上にって言うべきなんですよね。
それ以上に主体的であろうとしたって、それは無理だと思うんですよね。
だからそんなことを考えるよりは、その会社にいるということで、とりあえずあるならば、
その会社にいて使ってる24時間でなんとかできるところまでなんとかするっていうふうに考えて、
それ以外の時間を求めるようなことはしないほうが、まだしも賢明だと思うんですよ。
それだったら、4時間の睡眠って厳しいですけれども、なんとかやっていけるかなと。
でもやっぱりそのときそのとき思うんですけど、他人が自分に何を望んでるかっていうのはすごくシグナルとして重大だと思うんですよね。
だから自分の奥さんが、あるいは自分の知っている実家のお母さんとかでもいいんですけど、
ちょっとその会社どうなのみたいなのを言ったら、阻止するべきじゃないと思うんですよね。
そのために主体というものにこだわらないほうがいいと、私は思うんですよね。
その言われたときには、心配されてるからちょっと辞めたくなったなって思うじゃないですか。
でも会社に行ったらまた、絶対ここにいなきゃだめだって思うじゃないですか。
そういう混乱があるはずなんですよ。
だからそれは一貫してないんだと思うんですよね。
その中で、正しいというよりはいろんな人の話を聞きながら、
この状態でなんとかしていくためにはどういうことができるんだろう、ぐらいなところが精一杯なんじゃないですかね。
逆にこの状態でなんともならなかったらどうするのかっていうか。
すごくシンプルに、例えば家族なら家族が、そんな働き方して大丈夫なのって仮に言ったとしたら、
それをすんなり受け止めるじゃないですか。
いやでも家族を守るために自分は……っていう、そういう体制じゃないと思うんですよね、本来必要なのは。
そういうときたぶん、そんなにスムーズにいくはずないと思うんで、結局衝突すると思うんですけども、
39:02
その話はしたらいいと思うんで。たくさん本の中でしましたね、聞いたらいいと。
やっぱりもう一つはしたらいいと思うんです。
なんかね、そういう話はね、人はブログに書くとかエヴァノートには書くけど、言われたときに相手には言わないとか、おかしいものですよ。
この界隈の人にありがちな行動じゃないですか。
君と息子を守るために自分は燃え尽きて灰になるまで働くつもりなんだ。
そうしたら何か止めてくれたりしてくれると思うんですよ。
そこで違う話をして、いや大丈夫だからとか言って、よくわからない決意のほうはミッション・ステートメントに書くとか、そうじゃないと思うんですけどね。
結局だから判断できないわけですよ。判断できないから議論すればいいと思うんですよ。
やっぱりそこで燃え尽きて灰になってはいけないわけですよね。
いけないというか、燃え尽きて灰にならないほうがいいと僕は思うんですよ。
それはね、またダメですよ灰になっちゃう。
本人だってね、絶対そう思ってるんですよ。
それはたぶんね、燃え尽きることも灰になることもないですってどこかで思ってるんですよ。
だから結局思うに正しくは判断できないと思うんですよ。
僕が正しい判断ができるわけじゃないから、ただ僕はそういうふうにならないほうがいいと思いますっていう程度なんだけど。
話いろんな人とすればですね、たぶん、つまりどこかの環境だけにいているくせに、
そしてそこの環境下における重要とか要求とかをばかり重視するくせに主体的だと思うのはやっぱりおかしいじゃないですか。
主体的って言葉は、どうしてどこかから独立した言葉のように出てきちゃうんだろうっていうふうな話を、本では言いたかったんです。
ニュアンスとして、例えば会社の仕事の流れがこうだからとか、
上司がこう言われたからとか、監修としてこうだからみたいな、
そういうのに流されるんじゃなくっていう意味の主体的はあると思うんですけどね。
そういうときにさらっと出てくるから、なんとなく真の主体みたいなものがあるような、
そういう自明性が出てくるんでしょうね。
でもそれは私が途中で言ったあれですよ。
独裁国家で命令されるのが嫌だからってならよくわかります。
みんなそう思ってるんだと思うんですよ。
でもそういうことと関係なく、主体が目指すべきものみたいなものがポッと出てくるかなって感じがするんですよね。
ミッション・ステータメントを書くとしても、24種類くらい書いたほうがいいと思いますよね。
42:06
ああ、そういう意味ですね。
1時間ずつ書いたらいいと思いますよ。
多分ね、全然真逆のステータメントが定期で出てくるんですよね。
一貫してはいないですよね。
そういう24つを無駄に把握的によくやるじゃないですか。
たくさんとは何も関係ないですけど、アウトライナーとかでまとめて、
最後の1個にまとまったやつが真のステータメントみたいな。
それは嘘だと思うんですよね。
やっぱり流動的なのであって、固定的に見たものを統合して出てきたものだから真実だってことにはならないと思うんですよ。
お腹空いてるとき食べたいっていうのが真実であるのと、
お腹いっぱいのときはもういいって思うのが真実であって、
足して2で割りゃいいってもんじゃないと思うし。
全部そうなんだと思うんですよ。
つどつど向かう方向は出てくるのであって、
あとはもうその先に行くしかないじゃないですか。
ただ、そのときはより多くの人の話を聞くべきだし、
自分の矛盾するたくさんの声を聞いたほうがいいですよね。
それね、たぶん聞くことになると思うんですよね。
それを聞くからこそ、やろうとしてたことができないわけですよ。
やろうとしてたことができないってことは、
なんだかのタイミングで私はこれを絶対やったほうがいいって思うんだけど、
やるタイミングになると違うことをしたくなったり、
それしたくなくなったりするってわけじゃないですか。
それは、要は矛盾している自分の話を聞かざるを得なくなってるんだと思うし、
っていう話を書きましたけれども、
その中でどこかに行き着くんであって、
なんか最初から行き着くところが正しくここであるっていうことは言えないと思うんですよね。
でもね、僕もそれこそそうで、
アウトライナーに自分にとって重要なことを書きましょうっていう話を書いてますけど、
それを一つに統合しようとは書いてないんですね。
いろんなことを書いて、それが全部あるときに重要だと思ったことなんですよね。
たぶんそこも同じことだったと思うんですよね、瀬木さんが言ってたと。
そういうふうになるはず。同じことだと思います。
ごめんなさい、それをしてるんですよ。
タスクシュートを見るとそれがわかるんですよ。
一番大事なことを書いてるというよりも、一番大事なことをしてるんですよ。
一番大事なことしかしてないんですよ。
その時々に大事だと判断したことをしてるっていう意味ですよね。
45:06
そうです。
人間が行動するっていうのはやっぱりひと手間なんで、面倒くさいし、
エネルギーも使うので、するからには大事なんですよ、それって。
僕はよく思うんですよ。
瀬木さん、自分の意思で自分の人生の方向性を変えていきたい、
あるいは変えていこうとする、
そういう行動とか心の動きについてはどう思いますか。
主体的というか能動的に変えていこうと思う概念であると思うんですけど、
そういうことについてはどう思いますか。
固執的だと感じます。
固執の固でしょ。
あと執着の執。
そういう感じをつまり、その決意をするのは何らかの意味で過去のある時点だと思うんですね。
過去のある時点の自分の決定にこだわるということはそこまでこだわって、
その決定において自分の全人生を方向づけようというのは、
すごく固執というものを感じさせますね。
やっぱりそれもよしよしじゃないですね。
それにそれほど固執しなければならない理由があるんだろうなっていうふうに私は感じます。
だからそういうのって、よく小説とかフィクションになるじゃないですか。
2つあると思うんですよね。
僕は小説の題材としてほぼベストなのは、復讐か恋愛だと思ってるんですよ。
復讐も恋愛も固執ですよね。
あるタイミングで、この人間に殺して思い知らせなければもう俺は生きている意味が全くないっていう人が、
ひたすらひたすら殺しに行くというのが復讐小説で。
モンテクリスマス。
あれは大体面白いんですよ。あれは固執。
そうそうそうそう。超代表作はそれですね。
あとこの人とくっつかなければ死ぬってのはいっぱいありますよね。
ロミオとジュリエットもそうですけど。
あれも固執ですよね、間違いなく。
だから固執がその人を持っとるってことは、僕はそういう感じを受けるんだけど、あるんですよね。
でもそれは、先にあるものがどういうものであれ、復讐であれ、恋愛であれ、
何かの理想の達成であれ、基本的には固執する理由があったのかなと。
長くなっちゃうからあれですけど、
この今度機会があったら佐々木さんの恋愛論を聞いてみたいと今非常に思いましたね。
佐々木さんはどうやって恋愛をするんだろう。
私は恋愛向きじゃないと思います。
48:03
非常に時代にあったというか、この50分ぐらい話してますけど、
ここで出てきたような話で悩んでいたり困っていたりするような人には
一回ちょっとチラッとあの本を読んでいただけるといいかなと思いますね。
そうですね、今の話を受けて読んでいただけると大変です。
面白い部分もあるんじゃないかなと思います。
人とか状況にもよるんですけど、
ちょっと目から鱗が落ちたり救われたりする人ももしかしたらいる。
楽になる人はいるかもしれない。
そうですね、楽になってくれるといいですね。
別にミッション持ってても全然通る話だと思う。
いろいろこの話で、これずっとし続けると3時間ぐらいしゃべれそうなんですけど、
さすがにあれなのでこのぐらいにしておこうと思います。
また別途やってもいいかなと思うんですけど。
了解でございます。
ありがとうございました。
はい、そうですね。
じゃあ今度は終わりにしておきます。
ありがとうございました。
失礼します。
ありがとうございます。
49:30

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