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2021-07-01 1:16:43

第七十五回:Tak.さんとノウハウを本で伝える難しさについて

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はい、打合せCast第75回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
つい昨日の夕方頃に編集さんからメールをいただきまして、新刊の作業が全部終わりましたと、
交流を迎えましたというお知らせが来まして、とんと私も本作りに関しては作業は全部終わりということになりました。
素晴らしい。
はい。
ありがとうございます。
いろんなおめでとうのタイミングがあるんですよね、コーンってね。
だいぶ終わったっていう、ようやく終わって3体というSF小説を買ってたんですけども、
これは交流が終わって読まないでよ、コーンと。
我慢してたんですね。
それがようやく読めるかなという感じで、作業自体はほとんど僕触ってなかったんですけど、
最後のこういうデザインにしますけどどうですかっていう簡単なチェック作業とかが残ってたくらいで、それもようやく終わりまして。
全体像みたいなのがあれなんですけど、表紙が新書っていうのはレーベルでデザインが統一されてるんですよね。
例えば高段差現代新書でいうとカバーで使われてる色、四角の色は違うんですけど、デザインそのものは全部一緒とか、
岩波新書もほぼ一緒でタイトルだけが違うっていう作り方なんですけども、
今回は全面帯といってカバーと同じサイズの帯をつけることで、派手なインパクトのある表紙っぽく見える帯をつけるっていうもので、
手書き風の文字が後ろに載っているというデザインになるようで、結構目立つ予感があります。
すごいインパクトですよね。
すみません。
だから、上場ではたぶん僕がもっかライバルと考えている『ライティングの哲学』という本は、さらに別の方向でインパクトがあるタイトルが表紙なんですね。
こう来るのかっていう表紙でしたね。
『日常』っていう作品に描かれているイラストレーターか漫画家さんの表紙デザインなんですけども、これがまたインパクトがありまして、思わず買ってしまうと思うんですけど。
でも、たまたま今回はこういういろんな経緯で2冊の本が同時に出ることを知ってますけど、知ってるから予約しちゃうんですけど、
そういう情報を持ってなくて、一読者として本屋さんの新書のコーナーを歩いていて、その2冊がたぶん近くに積まれると思うんですけど、
たぶん両方買っちゃいますね。
そういう人たち向けの本であることは間違いないですね。
だからやっぱりそれぞれの本が、こっちの本に引き寄せられる人はおそらくもう一方にもっていう感じになると思うんで、
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まあそうでしょうね。
そういうのが、総情報化ができるのではないかなという感じはしますけどね。
ライティングの哲学はそのまま書くこと、ライティングについてなんですけど、
僕の本もノート術と言いながら、半分ノート論みたいな本で、ノートって書くための装置ですから、
結局両方とも書くという行為を扱っている本なので、僕が書店員なら同じコーナーに並べますね。
その新書とか関係ないとしても同じコーナーに並べると思います。
そうですね。
僕も昔、本屋さんでバイトですけど、あるちっちゃい棚を担当していたこともあるんですけど、
僕もたぶん、呼び知識がなくてもたぶん同じ場所に置くと思いますけどね。
まあ、そういう新書コーナーに、言ってみれば知的生産の技術の本じゃないですか、簡単に言ったら。
だから岩波とか、講談した現代とか、僕らが若い頃に棚に手を伸ばしていたような気持ちを若い人たちが持ってくれたらいいなと思うんですが、
案外だから最近の新書ってそういうの少ないんですよね。知的生産系の技術の本って。
そうですね。
結構ビジネス書方面に流れていったというか。
昔の新書っぽい感じの本が減りましたよね。
知的生産の技術でもビジネスにどう役立つかという文脈で語られることが多くて、割とその新書みたいなフラットな文脈では少なかったんで、
もちろんそのビジネスに役立つみたいな話もあるでしょうけども、メインがそこではないという点が結構新しくというか、古くて新しいというか、そういう感じですね。
ちなみに全面帯の手書き文字なんですけど、僕のアイデアじゃなくてデザイナーさんのアイデアなんですけど、
すごいですね。
あれはちょっと他にも似たような面白い仕掛けが本の中には仕込めているので、楽しみにしていただければと思います。
それは楽しみです。
全面帯は果たして帯なのか問題というか。
新書というジャンルで目立とうとすると、まあなりますよね。面白いですよね。
だから例えば、文庫本でも、例えば古典的な日本文学の小説とかでも、カバーを変えて出ているバージョンというのがあるんですよね。
ありますね。
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例えばライトナベル風の可愛らしいキャラが描いてあるだけで、結構別の本に見えてくる。内容は一緒なんですけど、別の本に見えてくるというのがあって、
カバーで遊べるというのは遊べるというか、そこにデザインの工夫の余地があるというのは、結構本の面白いところでもありますよね。
そうですね。
はい、またちょいちょい小出しに情報を出せていったらなと思っているんですが、今回のテーマは僕の本ではなくて、6月17日に発売されたマリエさんの「ときほぐす手帳。いいことばかりが続くわけじゃない日々をゆるやかに積む私のノートの使い方」という本についてなんですが、
私、ほぼ当然というふうに発売日に変えまして、すぐさま読んだんですけど、かなり面白かったというか、こういう本が読みたかったなという感じが強くしたんですね。
たくさんはどうでしたかね?
僕もほぼ出た瞬間に買って、その日に、ざっとその日に読んで、その後からもう一回ちょっと読んだ感じですけど、ほぼ同じ感想ですね。
僕は大体マリエさんの本って基本的に好きなんですけど、いかにもマリエさんらしいし、一言で言うと良かったなと思いました。
その良さはどこにあるんでしょう?
実用書でネタバレかどうかっていうのも変な話ですけど、やっぱりこの構成ですよね。
実用書でありノウハウ本、以前にマリエさんが出されたバレットジャーナルを中心とした本の補足とか、ちょっと時が経っての補足みたいな位置づけの本だと思うんですけど、
そういう意味合いでのノウハウが語られていくんですけれども、これさえやっておけば全部うまくいくよという風にはなってない。
プジティブで力強いおすすめの情報もあるんだけれども、それだけで終わってないというか、むしろそれをひっくり返しているところもあるし、
それだけでも、むしろネガティブと言えるほどの印象を受けるようなことも後半に書かれてるんだけど、でもそこまで含めて読み終わると極めに非常にポジティブな感覚が残るという良い本だし、
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セルフパブリッシングのメリットを非常に活かしているとも感じたし。
それは感じるというか、ここまで率直な感じは出版企画ではなかなか難しいというか、もう少しメイクアップされますよね、普通の場合は。
でしょうね。
メイクアップされることが良しか悪しかはわからないんですけど、同じように僕もこの本を読んでリアルだなというのを一番感じまして、リアルだなというのは張りボテではないという言い方でもいいんですけど、お客様が来るとき用に整えた部屋ではなくて、
そこで生活している人がそこにいるなというのはっきり感じられるノウハウ、ノウハウ本というか、ハウトゥー本というかわからないですけどの書き方がされているなと思って、一応それは僕はリアルなノウハウ本と仮に名付けたんですけども、
広い意味での役立つ本ってこういうことが書かれていた方がいいなというのを改めて読んで感じたんですけど、逆に言うとビジネス出版されている本しか読んでないとその対比が見えてこないんで、
こういう書かれ方をしていた方がいいということすらも気づかないというか、ノウハウ本の書き方とはこうあるべきだという観念がビジネス風に仕上がってしまうところがあって、
リアルな本に出会えたおかげでちょっと考え方がいろいろ開けてきたなというのもあるんですよ。
で、さかのぼってみると、僕がそのリアルさを感じた本ってアウトラインプロセッシングライフなんですよね。
で、思うんですけど、序盤は力強いノウハウの全身が語られつつも、途中から不協和音というか、でもこれでいいのだろうかっていう声が出てくるっていうところで転調するんですよね。僕の中で転調を感じたんですけど、でもまさにそれこそがリアルな心情だなと僕が感じて、
しかもそのリアルな心情が大体一般的なノウハウ本ではまるっとデリートされているところなんですよね。
この方法をやっていれば大丈夫だよっていう元気づけというか、エンハンスでページの最初から最後まで進むのが商業出版のノウハウ本なんですけど、
それはそのようにエンハンスすることが大切だからっていうこともあるんでしょうけど、でも実践したときにそんなに人数の場では行かないと思うんですよね。
行かないでしょうね。
行かなくなったときにどうしたらいいのかが、そういう本を読んでただけではわからないんですよね。だからGTDに迷ったときにどうしたらいいのかをGTD本ではわからないわけですよ。
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でも人はやっぱり10人いたら9人ぐらいはそういう迷いっていうのに遭遇してしまうわけで、
だとしたら結構サポート外になってるってことですね。その本が対象としてるもんって。非常に限定的というか、素直にその話を信じられて、
最初からうまくいって最後までうまくいく人はその本だけでいいですけどみたいな感じになっちゃってるんですよ。
それ見た目はすごく美しいんですけど、本当の意味で役立つのかというと、僕は実は結構片手落ちだんではないかなというふうに感じますね。
はい、はい。全く同じように感じますね。
で、やっぱりその読者がノウハウ本を読んで、そんなすんなりはいかないよなというのは当たり前だと思うんですけど、
おそらく著者もそんなにすんなり言ってないはずなんですよね。
そうでしょうね、おそらくは。
まして、書きながら疑念が湧いてきたりする。こんなこと書いてるけど本当かなみたいなことが浮かんできたりするんですよね。
そんな不確かなことをお前はノウハウ本として書いてるのかと思うかもしれないですけど、
いや、多分何の疑念も浮かんでこないほど確かなことってものすごく単純なことか、もしくはものすごく無神経な著者か。
いや、ビジネス系で成功してる人って言葉悪いですけど、おそらくそういう人が多いと思いますよ。
ある種のちょっとサイコパス風というか、自身に疑念を持たない人というか、
それが多分カリスマ性の逆転パターンなんですね、それが結局のところ。
そういう方に確信持ってるからあの人はすごいという風になるんで、だからそういう人が活躍するのは当然ですけども、
結構危うさというか見過ごしてる点があるのは間違いないでしょうね、それは。
だと思うんですね。でも、それがそういう、ある種の無神経さに貫かれているからこそいいっていうことももちろんあり得るんですけど、
例えば、うちは朝キャストでGTDについて何回か話したかやりますけど、
やってみたらできないよねっていう人はいるじゃないですか。
その時に、でもこの本にはできるって書いてある、これやるとうまくいくって書いてあるのに、
俺はできない、俺はダメだって思う人もいれば、嘘つくんじゃねえよ、嘘じゃねえかみたいな、
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本にその、起こす先を向ける人もいれば、パターンはいろいろあると思うんですけど、
何かいずれにしてもGTDがダメだったと思う人もいれば、俺はダメだったからGTDできなかったって思う人もいる。
でもいずれにしてもそこから離れちゃったりする人がいるかもしれないんですよね。
でも、例えばデビット・アレンもGTDうまくいかないことがあるんだよっていうことが分かることによって、いや絶対あると思うんですよね。
それはあると思うんですよ。
だいたいデビット・アレンさんはGTDを今の形に確立するのにたぶん20年くらいかかってるはずなんで、
その間にいろんなうまくいかないことを繰り返してるわけだし、たぶん確立した後もうまくいかないことはあったはずだと思うんですよね。
それが分かることによって、救われるというか、それによってこのGTDなりなんだりというものは信頼できると感じる人もおそらくいると思うんですよね。
はい、わかります。
僕はどっちかというとそういうふうに感じるタイプなので、
そういうふうに書かれている、例えば今回のマリエさんの時、手帳みたいな本を読むと非常に嬉しくなるというか、嬉しくなるし、でもそういう本を書くのって結構大変だと思うんで、
まあ勇気はいりますよね、とりあえず。
それをやったということに対するリスペクトも感じるし、なのでいろんな意味でよかったかなと思いますね。
そういう本が読みたい。読みたいし書きたい。
そうですね。書く方になるとまたもう一段難しくはなるんですけど、
例えば以前にビジネス書が新版となって再発売されるときに、必ず完全版になってしまうというか、
より洗練されてしまうんです。
洗練されてしまうというか、洗練されるんですよね、同じノウハウでも。当然より固く、より分厚くなるんですよね、GTDの本を見ればよくわかるんですけども。
分厚くなりましたね、それはね。
システムとして完成度が高まるということは、僕は逆に言うと複雑な人間性から遠ざかると僕は思うんですよね。
距離が離れていくんですね。だから、人間っていろいろあるよねっていう部分が全部抜けて、システムだけの完成度がどんどん高まっていってしまうっていうことが、多分GTDに限らずあって、
それはリアルさから離れていく、モデル化されすぎてリアルじゃなくなっていくっていうことだと思うんですけど、
これはね、だから最終的に、あんまり誰も幸福にしない道行きというか、
先ほど言われたGTDがうまくいかなかったときに、まあ、うまくいかない人が多いと思うんですけど、
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自己否定するとか、自分がダメだと思う、ないといえばこんなもんダメだって投げ捨てるか、あるいは逆にもっとGTDを理解しなければみたいな方向もあると思うんですよ。
この3つって、GTDなので行われる行為をかりにセルフマネージメントとか外力するとしたら、
その3つの行為ってセルフマネージメントのどれにも貢献しないんですよね。
当然自己否定っていうのは良くないですし、例えばGTDは全部ダメだって言ってGTDに含まれてる良いことを摂取しないのもやっぱり足りてないですし、
もっとGTDを理解したらうまくいくっていうのは、これ多分何も解決してないんですよね。
これ知識が好きな人に起こりがちなトラップなんですけど、
言ったらGTDの自分のズレっていうのを見て、そのズレを修正することが必要なんですよ、そういう場合には。
GTDを理解すればするほど、さっき言った自分とのズレがむしろ広がるんですよね。
だから、完璧なノウハウを、完璧に形作られたノウハウ本って、
そういったズレを埋めさせるよりも、むしろ固定したりとか広げたりしてしまうんで、
そこがリアルさがないノウハウ本の大きな問題やし、しかもビジネス賞が落ちてるわけというのかな、
その完全版になるときに必ずそうなってしまうっていうのは、そういう本の方がいいっていうことだと思うんですけど、評価とか出版している方からの判断として。
でもね、やっぱりそうじゃないと思うんですよね。
難しいところですよね。
例えば、Amazonのレビューに、なんかこう書いてあるけど、こうじゃないか、星1みたいなのが書かれる危険というのもはらんでるわけですよね。
そういう本っていうのはね。
だからやっぱり勇気はいりますよね。
でも、星1、低評価が起こることを回避するために、その完璧に仕上げるっていうのは、ある種の、なんていうのかな、権威主義というんですかね。
中身ではなくて、整えておけばいいだろう的な考え方だとしたら、それはやっぱり読者のことを考えていないと思うんですよね。
もちろん、著者がさっき言ったように、完全にその方法が絶対に正しいのであると。
自分がこれまで歩んできた苦難の道というのをすべて忘れ去って、本当にこれがいいんだって言ってるんであれば、もうこれは全く読みしようがない問題ですけど。
そうじゃないんじゃないかな。
実は、この本で書くときに悩んでる人がいるとしたら、実はその悩みそのものを書いた方がリアルなノウハウの方が役立つんだよということを、もうちょっと積極的に言っていった方がいいのではないかなと。
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これって例えばExcelの操作方法の話じゃないじゃないですか。
Excelの操作方法の話だったら、もっと断言していいと思うんですよ。
Excelのショートカットを使えば作業時間が効率化しますって話は断言していいと思うんですけど。
シェルフマネジメントって自分の扱いっていう人間を対象に含むものなので、それをシンプルに断言するっていうのはちょっと危ういですよね。
そう思うんですけどね。
同じように思う人がどれぐらい世の中にいるんだろうなと思うんですよね。
結構いるんじゃないかと思うんですけど。
ビジネス賞に当てられすぎた人たちっていうのがもう多分すでに大量発生してて、マリエさんの時報フォグス手帳もすでにAmazonレビューで星が12個ついてて4点何歩ぐらいですけど、
やっぱりそういうリアルさに安心感を感じる人っていうのは多いと思うんですよね。
そうでしょうね。
ここ最近そういう、だからちょっとリアルさを含んだっていうか、できるビジネスパーソンに憧れているけどもやっぱり無理な部分があるよねっていうところ、
こういうのって自己管理というか、意識高い系というふうに表現して、そういうのを目指すのって全部違うよね、ハハハって笑うタイプの、なんていうんですかね、卓観系というかそういうのもあるんですけど、
それもまた僕は行き過ぎだと思うんですよね。
良くなりたいとかうまくやりたいって気持ちは多分あると思うんですけど、でもその通りにはいかないけどちょっと頑張ろうみたいな塩梅のラインが僕の中ではリアルなのが本なんですよ。
そういう心のありようまでも含めた記述っていうのがなされてた方が役に立つ実用書になる、まあ読み手を傷つけないという言い方もできますけども、やっぱり広い意味でそれが一番役立つと思うんですよね。
僕もそう思います。
僕自分の中ではそれをエモい実用書と呼んでるんですけど。
笑笑笑。エモい実用書ね。なるほど。
逆に言うと普通の実用書はあまりエモくない?
まあそのエモい部分を削り落とすことが要請されてるんじゃないかなと。
だからシステマティックな実用書ってことですね、要するに。
そうですね。
でそのノウハウの本ならノウハウ以外のことは余計なこととみなして、要するに著者の葛藤とか失敗談みたいなものはいらないよね、ノウハウを伝えなりっていう風にみなしておそらく削られてる。
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内緒はもうその悩みみたいなものは克服したものとして過去形で語られるかどっちかですね、きっと。
まあそうですね。
この方法を身につける前の私はいつもこんなに失敗をしていましたっていうなんか前書きがあって。
そういう感じ。
しかしこれ以来私はこんなにいけてますよっていう前書きがあって、あとはもう実用的なやり方が書いてあると。
そうか。
やっぱりでも以前何かの会で話、いろんな人と話をしてたんですけど、lifehacking.jpの堀さんっていらっしゃるじゃないですか。堀さんと別の方が喋っておられて、堀さんが「GTGとかそんなに真面目にやってないですよ」って言われたら驚いてた人がいたんですよね。
ということはやっぱり、ああやって発信したり本書いてる人はあれを完璧にやってるものだと言わなくても、いや、だから言わないからか。
言わないとそう思われるんですね。
完璧にやってませんによってわざわざ言わない限りは完璧にやってると思われるんですね、たぶんきっと。
まあそうでしょうね。
書者としては、自分はここで10って書いてるけど、まあそれが8ぐらいでもいいよと心の中で思っているとしても、読者はやっぱり10であるべきだと呼んでしまうんでしょうね、そこは。
そうでしょうね。
で、やっぱり情報としてはまあ10書くじゃないですか。
そうですね、はい、それはそうです。
その10のうちのまあ7なり8でもいいよと内心を持ってるんだけれども、もちろん情報として網羅するために10まで書くわけですよね。
これをすでに、すでにじゃない、なんだっけ、ごめんなさい。
これをすべて理念通り完璧にやるとこういうやり方になりますよっていうのは示した上で、
まあでも僕もまあこんなに実際にはここまでやってないですけどねっていうのがたぶんあるんでしょうけど、まあ書いてないじゃないですか。
そうですね。
もちろんその人だってタイミングによって10やることがあるかもしれないし、タイミングによって5かもしれないしっていう波がたぶんあるんですよね。
でもたぶん読者としては、ああ堀さんは毎日これを10までやって、その完璧なセルフマネジメントを実践されているに違いないすごいなと思いながら読む人が多いわけですよね。
はい。
僕だってそうですよね、考えて、そういう、やっぱりそうやって読みますよね、あの感覚としては。
そうだから、著者としてはだからある種の説得力というか、まあ伝えたいことがあれば10画なのも当然として、
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でもまあ使命の都合上10+αの部分が書けないで、実はそこが読者にとって本当に強かったことっていうことはあり得るわけで、これは難しいんですよね。
もっと単純な話だったらいいんですけどね、アウトラインの操作方法とかいうことだけを伝えたらいいんですけど、それを使って構造を作るときにどんなことを考えたりとか、
あるいはその提示された構造、こうやって完成図示してますけど3日後には全然違う構造になってますみたいなこと書けないわけで、
書けないですよね。 書き終わったことの後の話です、実際。しかもそうやってチャカしてしまうのもちょっと雰囲気と違うなという気持ちもあって、
だからそう、ノウハウ本を書くっていうのは、いやノウハウ本というか、人間が関わる実践を含むノウハウ本を書く場合っていうのが非常に難しいんですよね。
そうですね。
だから多分理想形は理想形として示さなきゃいけないと思うんですけど、それに加えて現実形を見せる。
その現実の形っていうのはおそらく人によって変わるので、ノウハウ本、書者として理想形は示す。でも自分はこうですよっていうのも示す。
で、そのこうですよの部分は自分はこうだけど他の人は違うかもしれないっていう。なんかこうそういう風にできればいいなと思うんですけど。
そういう風にできればいいですね。それはそういう風にできればいいんですけど、何かができなさを歓喜してるっていうか、
チェキシーさんの技術を何度目かわからなくなり読み返してたんですけど、冒頭にやっぱりチェキシーさんに王道はないと。実際自分でやってみるしかないと。
ここの本が正解なわけではないということを結構冒頭で宣言されてるんですよね。そういうことが昔は可能だったはずなんですけど、
今それは難しいような編集雰囲気が多分世の中には蔓延してるんやろうなという気はしますが。
福田さんは今回の本を作るときにそういう難しさって感じましたか?
感じたというか意識はしましたね。意識したからノート術と言いながら、いわゆる今までのノート術というのは、このようなノートの使い方をすれば、
Youは成功をゲットできるよという本ではないですね。
ノート論って言ってるのはつまりノートを書くっていうのはどういうことなのかっていうある種の原理性に迫っているということなので、
具体的なツール名とか実装方法は今回はあえて深く言及してないですね。そういうのを出すとそれが正解だと思われる懸念があったので、
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細かい技法というか独学体前で出てるような感じでこういう書き方の方法とかありますよみたいな感じはいくつも提示してますけど、
いわゆる完成されたメソッドというかシステムというかフレームワークみたいなものは意図的に書いてないですね。
だから情報法、勘違いしやすくなる情報を見せないというのがその本で取った方法で、システムを先に提示しておいてこれだけが正解じゃないですよっていう方法も多分あるでしょうけど、その場合はそこの部分がカットされてしまう恐れはあるでしょうね。
でもやっぱりリアルさをそれでも残す方向でやったという感じですね。
リアルだと勘違いされないっていうのかな。なるべく抽象的に話を進めることでリアルであることを避けているとか、実際は自分で考えましょうみたいな余白をだいぶ残している本かな今回の本。
だからこれも別に僕が確信を持ってその方法に至ったわけじゃないんですけど、今までと同じような書き方をしたら多分同じようになるだろうなというのが思ってたんで、だからこれまでのノウハウ本とはだいぶテイストが違う本ですね今回は。
たくさんが今まで書いてきた本とか今書こうとしている本とかでノウハウを書く上で気をつけていることとかってあります?
そこまで意識してはないですけど、やっぱりこれさえやればうまくいきますよという書き方はしないようには注意してます。
ただ一方で、こう思いますとか、断定することを避けすぎることも避けるように気をつけてます。バランスがすごく難しい。
それは弱いですからね。
だから結構断定口調になってるんだけど、そのさっきのアウトラインプロセッションライフのところみたいに、そこまで断定口調できたのに突然あれ違うんじゃない?みたいなやり方にしちゃったりとか、いきなり作者がそこに疑念を挟むみたいな構造にしたりとか、いろいろやりはしましたけど、これは到底商業出版で許されないなと思いながらやりますけど。
そういう冒険とかチャレンジができるのがやっぱりセルフファブレッシングのいいところで、言うと逆に言うとやっぱりそういう商業企画を整えるときって、著者自身も何か期待されるゾーンに寄せがちですし、編集者もそれに沿った企画案とか編集をプロモートしがちなので、先をと思ってても引き寄せられるところはあるんでしょうね。
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当然そこには数字上の目標というものが原然としてあるはずなので、やっぱりそこを踏まえればというところですよね。
例えば独学大全のヒットというのを考えてみたときに、あれは成功法を示す本じゃないじゃないですか。むしろ人間というのはすげえ挫折するもんだぞってはっきり言っちゃってますよね。だからもうはっきり言っちゃったらいいんじゃないかなと思うんですけど。
情報量として完成されたシステムを提示するだけでいいっていうのは、情報量不足というか以前どこかで言ったんですけど、プログラミングとか何でもいいですけど、自分の知らないことをやろうとしているときに、手順とかコードが書いてあったとするじゃないですか。
コードをコピペして実行したと、ならエラーが出ると。でも紹介文の方ではもう次行ってると。エラーのことは言及されてない。もうどうしたらいいかわからん。ここでもう止まるんですよね。
例えばそこでこういうエラーが出たら、ここの設定が間違ってるかもしれませんよって書いたらだけで、僕は次に進めるようになるわけですね。完成されたシステムというのはそういうエラーを著者が乗り越えちゃってきたから書いてないんですよね。
で同じエラーをしたらもう二度とそこに戻れないようになってるんですよ。だからやっぱり情報量として足りてないんですね。完成されたシステムだけの基準っていうのは。だからそれをよろしく、多分完成に見えて実はむしろ全然不足してるんですよ。僕からするとね。
だからそこの理解が作り手側に足りてないということなんだろうか。
それはわからないですけど。ただその好みとして、自分が読むときの好みとしてはやっぱりその完成された情報はもちろん欲しいけれども、その背景にある何かがついてきてほしいというか、そこをも一緒に提供してくれることで、
その本来のその目的であるその完成された情報が頭に入ってくるっていうところがあって、それがもちろん本の形式によっていろんな形の背景情報があるんですけど、
コラムで歴史が書いてあったりする場合もあれば、昔の新書だったら結構単なる余談が書いてあったかもしれないです。
でもその単なる余談を合わせて同時に摂取することによってその余談じゃない部分が頭に定着するということが確かにあったなって思うんですよ。
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その体験を今なかなかできなくなってるなと。
ただそれは自分の年をとったことによって、自分の摂取の仕方が変わってきた面もあるかもしれないので、100%その本のせいだけじゃないかもしれないですけど。
それこそ木村泉さんの作文技術か、あれなんて余談を取り除くと半分ぐらいの厚さになるんじゃないかと思うんですよね。
まあそうでしょうね、きっと。
でもやっぱりその余談に駆動されて読んでいくというか、そういう経験が確かにできたなと。
ちなみにたくさん本を読むときって、例えば目次チェックして気になるところだけ読む派ですか、それともとりあえず頭から最後まで読む派ですか?
頭から最後まで読む派です。
まあそうなんでしょうね、やっぱり僕と一緒ですよね。
いや逆に思ったんですけど、そのような余談を絡めてメッセージを書いていくと、初めから終わりまで読まないといけないじゃないですか、逆に言うと。
そうです。
それは逆に言うとシステム完結でシステムのことを単単的に書くと、そこだけどこを拾い読みすればいいのかがはっきりする。
で、情報効率はいいんですよね。だから僕たちはものすごく古いことを言ってるのかもしれないんですけど。
いやそうじゃないですか、そうだと思いますね。
なるほど。
僕はあれなんですね、確定申告をするときの手引きあるじゃないですか、ついてくるやつ。
確定申告の手引きみたいなやつついてくるじゃないですか。
あれでさえ頭から読みますからね、毎年。
それすごいな。
でも必要なところだけ拾い読みするべきものだと思うんですけど。
そうです、そうです。
それをやろうとするとわかんなくなっちゃうんですよ。
そうか、なるほど。
だから頭から読みながら、ここいらない、ここいらないって線で消していけない。
だから読まないと必ずどっかで見落としをするし、あれの作りの問題もあるんですけど。
だから逆に書くときもそういう前提で書いちゃうところがありますよね。
僕も大体そうですね。だから頭から終わりまで読んでもらえるように話を組み立てガチというか。
だから素案書だけで読んでもスッカスカってことはないですけど、ちょっと理解の階段が足りてないようなことが多いですね、大体。
ただ、だからすごく古いことを言っているのは多分間違いないと思うんですけど。
でも一本では断片的な情報の摂取だったらネットでいくらでもできるので。
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断片的でない情報はむしろ、ネットが普通に使えるようになった時代こそ、それとは違う形になっていなきゃいけないんじゃないかという気持ちもあるし、別にそれがそうじゃないといけないとは思わないんですけど。
ここが以前英語で読んだ「How to take smart notes」という本があって、非常に分かりにくかったんですよね。内容は分かったんですよ、もちろん。
内容は分かったですけど、さっき言われたように全体像の把握が結局最後までできなかったんですけど。
だからこの話はどう絡んでいるのかっていうのをいつも自分は逆にそれを意識しながら読んでいるんだろうなというのを逆に思ったんですけど。
一方で、Gohさんっていう方は非常に読みやすい、分かりやすいって言われていて、Gohさんは気になったものだけをパッと読むっていう読み方をされているって言われていて、だからその形に適した書き方がされているんだろうなと。
全体像を抜きにしても読める形になっているんだろうなと。だとしたら古いのはやっぱり僕なんだろうなと思うんですけど。
古い新しいというか、好みなんでしょうね。
でも僕、読んでも全体像がよく分からなかったって言ったら僕あれですね、Rider Carolさんのレッドジャーナルの本。あれは分かりにくかったですね。
分かりにくかったですね。初版と後半のバランスが取れてない感じがありましたし、一つのメッセージに向かって本を構成している感じじゃないですね、あの本も。
途中でどんどん分岐しているんだけど、分岐しているということがよく分からない。でもそれでも嫌いかっていうと嫌いじゃないんですよね、あの本が。
それはやっぱり背景かな。あの著者自身の背景とか心境が結構赤裸々に描かれてますからね、あの本は。
そうですね。多分そういうところが好きなのかもしれない。
なんでバレットジャーナルのようなものが出来上がったのかっていうことは分かるじゃないですか。
そうですね、それ分かります。
必死と分かるんですか。
必死と分かりますね、確かに。
そういう意味では、デビット・アレンのGetting Things Done、一番最初のやつも、あれも分かりにくいと思いましたし。
確かに。
だから、まあいろいろですよね。何の結論にもならないですけど。
まあもちろんそう、まあいろいろであっても我々はノウハウを描かなければならないし、描くときに何かの決断が必要なのですが。
42:13
まあ文脈を補佐するという意味でいろいろなことが描かれているっていうのと、その背景が描かれていることで、その書き手とかのノウハウを考案した人の欲求というか欲望というか、こういうことをしたいからこのノウハウが出てきたんだよっていうのが分かると、そのノウハウを位置付けることができるんで、理解しやすくなるというのはありますね。
はい。
だとすると?だからその理解をすると、そのノウハウっていうのはその欲求に応える形でデザインされたっていうことが分かるじゃないですか。
はい。
つまりそれは心理ではない、心理というか絶対的なものではないっていう理解になりますよね。
だからそこからなくなると、あたかもそのシステムが汎用的に見えるというか。
ああ、はいはいはい。
そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう
そうですね、そういう書き方ですよね。何に自分は困っていて何を失敗してきてっていうのが延々と書いてあって、
そうですね。
で、すごくシンプルにその提示するノウハウがその後に出てくるっていう。
うん。でもやっぱりあの厚みがないと、あそこまでの理解には至れないでしょうね。もちろんWikipediaでパッと読んだだけで、システム自体は分かりますけど、
はい。
その形になっているのかとかは分からないでしょうね。
そうですね。で、あの長い前段がないと多分調整理法、例えば押し出しファイリングのシステムだけ説明されても、でもそうは言っても分類したほうがいいんじゃないってほとんどの人が言うんじゃないかと思うんですよね。
そうか。彼はそれことごとくちゃんと論破、論破というか反論を書いてますからね。
そう、その前に全部反論を考えるあらゆる反論に対して答えをその前に示してるわけですよね。
ああいう手続きが学者さんで感じますよね。
しかもその前段の反論に反論している部分が実は読み物としてすごく面白く書かれているという、エッセイとして面白く書かれているということが本のポイントだったんじゃないかなと今にして思えば感じますね。
今よりも僕はさらにあれに反論できますけどさすがに。
45:02
でも読み物としては面白いですし参考になりましたしだから整理というものを考える上でどこが要点になるのかとかどこがボトルネックになるのかっていうのをあの本を読んで理解したところがあって、それは完成したシステムを手にすること以上に多分価値のあることでしょうね。
はいはいはい。
だから完成されたGTDを覚えた場合にそこの理解が多分なぜそういうのが必要になってきてそれをしないとどうなるのかっていうのがわからないというか、わからないから調整できない。自分に合わせて調整できないみたいなそういう先の進めなさがあるんかもしれないですね。
やっぱりあのGTDもアレンさんの本を読んでると結局GTD以前の手法に対するアンチテーゼみたいなところから始まってるところがあって、だからそのそれ以前の手法GTD以前の手法で悪戦苦闘していた経験がある人にすごい刺さるところがあるんですね。
ああそうかそうかそうか。
刺さるところが。でももうGTDが生まれてから20年以上経ってるんで最初からGTDに入っちゃうとそのああそうそうがないんですよ。
そうかそうかそうかそうか確かに。
逆にGTDが最初でそれに対して、アンチとまでは言わなくてもそのGTD、反GTD的な方法を主張する人がいて、その方法が実はそのGTD以前の方法にすごい似ているみたいなこう面白いことが起こったりするんですよね。
だからカルチャーとカウンターカルチャーがお互いに繰り返していくような構図が全く同じ構図があるわけですね。
そうか。
でもそれは健全なことですよね。だから逆に言えば。
健全だと思いますね。
そうかそうか。
GTD以前ってあのいわゆるシステム手帳みたいなものの前世時代があって、ゴールプランニング的なこう、目標とするゴールを書いてそれに至るまでのステップを書いてそれを日々の時間の中に落とし込んでいくっていう構造を、リフィールの中にそういう構造を持った製品が結構あってですね。
デイプランナーとかタイムシステムとか。80年代から90年代にかけてそういうものがあって、そのゴールっていうのって会社員のゴールだよねっていう問題意識からそれを自分の人生のゴールに置き換えないとっていうところでフランクリンプランナーが出てきたみたいな流れがあって、
それを踏まえた上でデビット・アレンが「いや、ゴール設定してもうまくいかないよね」っていうところからGTDになったんだと僕は理解してるんですけど。
48:09
なるほどね、確かに。
そのGTDがあまりにも受け入れられてしかもその直後にそのスマホアプリの時代が来たんで、ほとんどのアプリがGTDの影響を何らかの形で受けてるわけですよね。
そうするとその考え方は当たり前に仕事のマネジメントの考え方としてデフォルトになっちゃって、
そうすると最初の頃の「現実ってそうだよね」っていう考え方がなくなっちゃったんですよね。
そうか、でも情報接種者そのものが歴史を持ってるから動いていくんですね、それは。
面白いですね。
でも今やったら例えばインボックスという概念は僕の中でほぼ解体されてて、デイリーページでいいよねってなってますし、
コンテキスト別のリストってそもそも無理だよねと思うんですけど、それはでもやっぱりその歴史を踏まえてるからそう思うんですよね。
そうかそうかそうか。
ということはノウハウを書く人は気にせず構成がアップデートしてくれることを期待して書くということも多分可能なんでしょうね。
別に一冊の本だけで文化が完結のわけではないので。
あとやっぱりその背景ってやっぱり必要なんだと思うんですよね。その何にどういう問題、自分の問題を解決しようとしてこういう方向に立ったのかっていうことをやっぱ書いてないと。
それはアレですね、その同じ構造、アイデアメモを走り書きしてただけではダメで、ちゃんと文章化しないと残せないよっていうのと同じ情報構造の関係になってますね。
ああ、そうですね。
結局メモの背景を残さないと来生来の自分にとって意味不明なものになるっていうのと、
全く同じ構造があって、やっぱり文脈の記述っていうのがその情報を位置づける上で非常に重要だということで、システマティックの話だけではやっぱり足りないんでしょうね。それ足りないと言っていいと思いますね。
そうですね、文脈ですね。
そこで最初の話に戻るとやっぱりこのマリエさんの今回のトキホグス手帳はその文脈というか背景というか、それが本の構造の中に組み込まれていて、そこがすごくいいと思いました。
文脈を書くとリアルになる。それはだからその文脈というのは著者にとってそのノウハウはどういうこと、意味を持つかということが記述されるから、著者の文脈がそこで綴られると。
51:11
著者の文脈が綴られるということは、それは読んでる人とは違う文脈になるということで、逆にそこに文脈がないとそのシステムがいわゆる僕らの上の構造に立って、僕らはそのシステムの界に位置づけられてしまうんですけど、
リアルなノウハウ音はそれぞれの読み手が主人ルートに立てるという感じで、だからやっぱり文脈を書いておく、どんな形でもいいから文脈を書いていくっていうのは、数行であっても多分書いておくと書いておかへんではだいぶ違うんでしょうね、きっと。
例えば、たくさんがアウトライナーを使っていいよって言われる文脈として、たくさんはアウトライナーを使えないとほとんど文章が書けないっていう文脈がまずあるじゃないですか。これ抜くと多分話変わってきますよね、きっと。
変わってきますね。
そういうのが同じ話ですね、だから。
ただそこで気をつけなきゃいけないのは、いや俺はなくても書けるけどっていう人が出てきてここで終わっちゃうってはいけないわけですよね。
そうですね。
だからなんかこう、同期となる、もちろんすべての場合じゃないですけれども、これを書くに至った同期につながる背景とか文脈、それは個人的なものとして提示しつつ、でも提示されるノウハウはもっと広いものじゃないといけない。もっと一般化できるものじゃないといけないような気がしますね。
それはあんただけの話でしょって言われちゃったらもうそこで終わりなので。
だから、ボスn=1をスタートとするけれども、n=allまでいかなくて、n=somebodyぐらいの、ある属性を持った人であればこれは使えるだろうっていう領域までをノウハウはリーチしたいけど、この方法が全人類に使えるよというところまではいかないという、この間ぐらいに留めておくっていう書き方。
そうですね。
背景、それは多分本に書いてないと思うんですけど、アウトライナーについて語る人の多くが文章を書ける人だったっていう印象を持ってて、語る人っていうか、それこそ野口幸平さんとかもそうだったし、木村隆三さんもそうだったと思うんですけど、
アウトライナーっていうものがあって、人によっては便利かもしれないけど、そんなにいらないなっていうようなスタンスの人が結構いて、問題はそういう人はアウトライナーがなくても書けている人だったりするんですけど、別に野口さんとかじゃないんですけど、
54:07
でも世の中には、例えば僕のような、本当に400字以上書こうとすると頭がパンクしちゃうような人が時々いて、そういう人にとってはもっとアウトライナー、もしくはアウトライナーじゃなくてもそういうツールというのが重要な意味を持つことがあり得るわけですよね。
だからそれを、こういうのはあるけど、こういうのは実際そんな役に立たないよって書くのは違うんじゃないかってずっと思ってたんですよね。
そうか違うのかと思って、そこに触れるチャンスを逃してしまう人がいるかもしれないんで。ただその人がそれは必要としてないっていうのはもちろんそれは事実で、それを書いたって全然問題ないわけですよ。
だから逆にその人はそっちに置いておいて、必要とする人が書いた何かが欲しいじゃないですか。
いやでも本当にだから書けてしまう人は書けないのがどういう状況なのか多分わからないんですよね。イメージできないから。
その自分が書ける程度がもう全世界共通であるぐらいの認識なんですね。書ける人っていうのは。だから言及もできないですね。だからそこに期待しちゃダメなんですね。だからもう書けない人が言うしかないっていう。
ただ問題は書けない人は書くのが大変なんでなかなか書けないっていう。
まあですねそれは。
そういうこうパラドキシカルなことが起こるわけですけど。
いやでも例えば、たくさん400字ぐらいでもしんどいっていう話されましたけど、僕は2000字ぐらいやったらひょひょいと書けてしまうわけですね。これはもう。
でもやっぱり例えば1漫字とか2漫字の原稿になるとたくさんと同じ書けなさが出てくるんですよね。やっぱりそれはもう。だから人間なんで脳の許容っていうのが絶対あるわけで、そこの限界ぶつかってしまうんですよね。そういう時にたくさんが教えられた方法が生きてくるんですよね。
普段2000字の時はひょひょと書けてる僕でもあるレベルに行くとその困難さを共有するところがあって、そこで役立つことがあるっていうのがリーチというか射程の広さですよね。そこは。
はいはいそうですね。そう。あといいなと思いますけど。
こうね、これは。野口さんもなんか超発想法という本で、KJ法はこんなものは凡人が必死にアイデアを出すための方法で普通に頭働く人間はいらんとかって述べられてたんですけど、
いやまさにその凡人のための方法が必要なんだと僕はその時強く思ったんですが。
我々凡人は凡人なので。
いやでも自分も頭がいいと思ってるんだったらその時は思ったんですけど。
あの橘…まあ先日亡くなられた橘卓司さんがそれ書いてたんですけど。
57:10
こっちのソフトウェアか。あれでKJ法についてやっぱり同じようなこと書かれてましたよね。
カードを使うのは馬鹿らしいと書かれてましたし。
あまり頭の良くない人が集団で考えるときに必要な方法みたいな。
いやアウトラインもこんなものをいちいち組み替えてやってられるかと思ってやらなくなったっておっしゃられてましたね。
僕はかなり若い頃それに影響されてアウトライナーを使わない期間が長く続いたんです。やっぱりでも本能影響って強いですよね、そう考えると。
アウトライナー、アウトラインについても言ってましたっけ?
はい。エコンテ型とひらめき型っていう2つのカードで。
はいはいはいはい。
で自分は最初言われたからアウトラインっていうの作ってたんだけど、書く度に変わってくるから、こんなもん手間かかるだけだからって言って、それ以来一切作らないようにしてるっておっしゃられてました。
で僕はそれを見てかっこええと思って、僕自身もその頃からアウトラインは作らない人間やったんで、そうかこのやり方が正しいんだっていう援軍を得たというかね、虎の意を借りたというか。
それ以降かなり長い期間アウトライナーっていうツールは目にしてたけど使ったことはなかったですね。
まあそこでね、アウトラインとアウトライナーはまた違うという話があるわけですね。
使わない人には区別つかないですからそれ。
さっき一冊の本で完却する必要ないとか言いながらもやっぱりその本に受ける影響って、僕も同じこと考えてますから、やっぱりそのやり方が正しいんだってずっと思ってたところがあるんで、まあそういう簡単にはいかないですね。
ただね、でもだからじゃあそういうことを書くべきじゃないっていうか、そうではなく、それぞれの立場の人がそれぞれに書けばいいんですけど。
ただやっぱり書ける人、優れた人の方が発信する分量も当然多くなるし、力もあるしパワフルなので負けちゃいますよね。
まあそうか。
たぶん本をこれから出に取って読もうという人は、たくさんが400人どれぐらい苦労するかがわからないですよね。
その本が例えば数万字の本が世に出てること自体ほぼ奇跡的なものであるっていうのはわからないですからね。
わからないでしょうね。
時々ツイートをアウトライナーで書いてますけど。
デイブバイナーみたいにただツイート、アウトラインからツイートするためとかではなくて、ただツイートを考えるためにということですよね。
1:00:02
ツイートを考えるために、一つのツイートに20分ぐらいかけてたりすることが多いです。
だからそうですね、そこの辺が案外見えてこないところがあって、自分が文章を苦労して書いているっていうところと、
その人は誰でもある希望になると苦労するっていう話が実はアウトラインプロセッシングの多分大切なところなんでしょうね。
だから文章が得意不得意というよりも、その自分の処理できる範囲の広い狭いはあるんですけど、
たとえ広い人でもそのある限界を超えれば、おそらく同じ問題にぶつかるということだと思うんですよね。
あとは問題は、じゃあ僕みたいに書けない人がアウトラインナーを同じように使えばみんな書けるかっていうと、それもまた多分そうじゃなくて、
ダメな人、このやり方ではダメな人っていうのも当然いるはずなんですよね。
でもそれをすべてすくうことは一人の人間には無理なので、だからどれだけ閉じた書き方をしないかということなんですけど、
これもまたさっきの話に戻ってきますが、ひら切った書き方をしすぎると説得力がないというか、
説得力って何かっていうと、そのツールを実際に手法とかをやってみようっていう気持ちにさせる力というか、
それがないとノウハウ文書いてる意味がないじゃないですか。意味がないじゃないですか、言わへんけど。
効果あるかどうかわかりませんけど、やってみてくださいねでは多分ダメだと思いますよ。
はい。
だからとりあえずやってもらうためには自信満々に出すことは必要だと思うんですけど、
そうですね。
でもその、でも違う方法もありますよっていうその機微を示すっていう、結構難しいことをしようとしてるわけですね、これはきっと。
だから自分としては自信満々に出しつつでもそこに嘘がないようにするという、
その考えてみるとものすごいツナ渡り的なことをしなきゃいけないですね。
確かに。
ある部分では自信満々であることは間違いないじゃないですか。
そうですね。
やっぱ確信がないと書けないですね。
そうですね、そりゃそうです。
そこの部分をどうやって開いていくかっていうのは、まだ確率、ノウハウとしては確率されてないというか、
ノウハウ本の書き方なんて本もあんまり読んだことはないんですが、技術書の書き方やったら結構あるんですけど、
技術書というか、プロブレイングの本の書き方とかやったらあるんですけど、
ノウハウ本ってその実践者がいるっていう、で、実践者と共駐する人が違う人間っていうのは当たり前で、
違う人間っていうことは違う性質とか違う能力とか違う経歴を持ってるっていうことなんで、
1:03:02
パソコンの場合は、これはWindowsの話ですよって前提を置きますけど、
人間の場合って共通点があるのかないのかもわからないですからね。
そうですね。
だから一般化がそもそも難しいんですよね、ノウハウ本というのは。
そうですね。
でも今技術書の話でましたけど、同じノウハウ本でも技術書の方がそういう背景が書いてあって面白いなと思うことありますよね。
僕全然プログラミングとかしないんですけど、
あの、オライリーのプログラミング関係の本って結構単に楽しむためだけに読んでたりすることありますよね。
で、ああいうのを書く人って結構知識も興味の範囲も広がったりするんで、文章うまい人多いし、面白いんですよね、読んでて。
だからそういう背景が欠落してるのってどっちかっていうと、ビジネス寄りの方のノウハウ書が多いですよね。
確かに。
そうか、確かに。それはそうですね。
だから、昔の教養知識審査の技術とかそういう技術書には背景があるけど、ビジネス書にはないし、多分ないように作られているというか。
なんか、プロモートのせいなんですかね。プロモーションのせいなのか何かわからないですが。
もちろんそうじゃないものもあると思いますけど。
そうか。だから、やっぱ効率性なんでしょうね。情報の摂取の効率性を上げるためにそうなってるんでしょうね、きっと。考えられるとしたら。
そうなんでしょうね。
だから、そういう、自分でセルフパブリシックするときはそういうのに近いられないでしょうとか言うだけで進みますけど、
そういう舞台にチャンスが回ってきたときにどうしたらいいのかっていうのは考えとかはいけませんよね、これは。
難しいですよね、そこは。
いや、さすがにでも僕は僕の仕事のやり方が素晴らしいからみんな真似しましょうっていう本は恥ずかしくて書けないんですけどね。
そういう本の依頼はきっとくらいで何も来ないと思いますけど。
そうですね。そこは適材適当ということなんですけど。
逆に言うと、ビジネス主は言われたコンテストに従えば、たぶん間違った依頼は飛んでこないからいいとして、自分がノウハウ書とかブログでそういうの書くときにどうするかっていう話ですよね。
そうでしょうね。
ある程度の一般化というか、他の人にもできる要素を見出しつつも、でもこれはやっぱり自分の方だよというところで留めておく勇気とか言うか、あるいは失敗もありましたっていう話をする勇気というか。
1:06:13
でも、セルフパブリッシングしてる人って、なり上がろうとは別にしてないじゃないですか。変な言い方をすると。
そうですね。
だから自分を必要以上に大きく見せるモチベーションがそんなにないというか、だからこういう素敵な本が出やすいっていうのはあるでしょうね。きっと。
そうでしょうね。
なり上がろうとしてやるタイプの人はたぶんもうどこか別のところに移っていかれたんではないかと思いますけど。
確かにそうですね。今この領域でこれをしてるってことはそうじゃないということですけどね。おそらく。
もっと初期にいたんじゃないですかね。そういう人は。
いや、わかんないけど。
僕はもうやっぱり皆さんのノウハウを、どんなノウハウでもいいから知的生さんでも仕事でてもいいんですけど、読みたいなと思いつつも、やっぱり書くのって難しいなっていうのをひしひしと感じてて。
で、どう書けばいいのかっていうのはアドバイスしづらいんですけど、やっぱり自分なりの全体を出せばいいんじゃないですかねっていうのは、時北施長を読んで思いましたね。なんか普通に面白いですからね、その本が。
いや、そうなんですよ。
本ってやっぱり面白い方がいいじゃないですか。そう、いい方。
そう思います。
だからやっぱり、面白いと思って読んでいたらノウハウも身に付いたっていうのが、やっぱり僕は理想だと思うんですけどね。
だからどっちかっていう、エッセイ書く気分の方が近いんでしょうね。この時北施というのはノウハウ本というよりエッセイに近いっていう人なので。
そうですね。
だからこのノウハウを伝えてやろうっていう感じじゃなくて、僕とノウハウの関係性を記述していくっていう方が読み物としても面白いし、読者にとっても役に立つ本になるのではないかという仮説ですね、今のところは。
はいはいはい、そうですね。
これだから難しいんですね。セルフバウルシング本の書き方とか、書評記事の書き方っていうのも実は提携がなくて、どう書いていいかわからんっていう声が多いんですけども。
ルールではないですけど、ある指針を出した方が人のアウトプットは多分増えるんだろうなという感じはあって。
はい。
だからノウハウ本の書き方みたいなもちょっと言及した方がいいかもしれませんね。
ああ、なるほど。ノウハウ本そうですね。ノウハウ本、ノウハウ、ノウハウ記事もそうですけどね。
そうですね、おそらくは。ノウハウの伝え方か。ノウハウの伝え方って今言いましたけど、めちゃめちゃ難しいっていう話ですね。
そもそもノウハウなんですかね、これ。
1:09:03
そう、思ったんですけど、ノウハウの伝え方も思いました。
普通にノウハウって言ってましたけど、どうなんだ?
これはもう個人の問題だと思うんですけど、気分としては小説を書いているぐらいの気持ちで書いてます。
いや、わかりますよ。研究派の頭から最後まで読むタイプの文章を書く人は多分半分以上そうやと思いますよ。
はい、そうなんですよ。
ノウハウ成分が含まれているエッセイとか小説とかそういう感じですよね。
だから伝えたいというんじゃなくて、ある種の表現欲求的なものの方が上位に来たっているところがありますよね。
それはビジネス本の文脈には合わないでしょうね。
僕としてはその文脈に合うが合わないが、そっちに一致を想じたいですけどね。
僕自身もどちらかとしてはそちら側で活躍じゃないな、仕事をしたいと思ってますけども。
自分が好きなのがそういうタイプの本なんで、
書きたいと願うのもそういうタイプになっちゃいますよね。
当然書くのは難しくなるというかね、フレームに当てはめにくいというか、当てはめられないというか。
最初にこの話をして、次にこの話をして、こうしたらできましたという感じには多分ならないので、
現状と交わしづらいですよね。そこは純粋に趣味というか好みの問題で好きな部分だけ読めた方がいいという人は間違いなくいるでしょうし。
もちろんいると思います。
これはどっちが正解とはいえませんけど、でもそういう本を書く場合でも文脈を添えるというところの重要性は多分変わらないと思いますね。
そうですね。
やっぱり理想としてはそうやって、例えば必要なところだけ拾って読もうとして、そこの部分を読んでみたら、つい前後も読んでしまって、結局全部読んでしまっていましたって言われたらきっと嬉しいだろうなと思うんですけど。
それはわかります。
読者を引きずり込んでやろうとは思って書いているので、僕も思って書いているので、だからそういうのは嬉しいですね、そういう結果になったら。
まあそんなとこかな。
これは結論はないですけど、みんな文脈を書きましょうということぐらいはまあ必要提言として出せるかな。多分その方がクオリティも上がりそうな気はしますね。無味感想にならないというか。
そうですね。
書き手としてどっちが書きやすいのか、まあでもそっちの方が書きやすいんちゃうかなと思うんですけどね。どうなんですかね。
そういうのが書きやすいんですけどね。
1:12:02
まああの文脈部分を書きすぎてその膨大な自分語りの中にちょっと実用上が入っているみたいになっちゃったら削ればいいわけですからね。
まあそうですね。
だからそういうのは、小説とまさにおっしゃいましたけど、ノウハウって、ノウハウをシンプルに突き詰めると表面だけというか、情報だけが伝わるというかな。
小説を言うと体験が描写されるんですよね。体験が描写されることがやっぱり一番大切やなと思うんです。
はい。
擬似的な体験にしか過ぎないですけど、ある種のその空想、真相の中で経験が行われることがノウハウには多分重要なことで、
まあそのコッシュだけ知りたいという場合はもちろんそんなものは余計なんですが、結局コッシュだけ知っても実践しないとわからないわけじゃないですか。
はい。
その実践を軽くバーチャルリアリティ的に体験できるというか、こういうことをしてるんだなっていうのをわかる方が多分良いので、だからそうですね。
その究極系型からリアルなセミナー形式というか、教えられる人が逐一やってるのを見るっていう体験が多分一番伝わりやすいんですけど、
本はその意味では難しいんですよね。半分なので体験を伝えられるのが。
これは奥深いですね。奥深いというか多分解決はできないんですけども。
うん。
でも一つの自分の指針としてはできるだけ、読んでる人との距離が遠くならないように、嫌にならないとか嫌いにならないように、
勝つ自信を持って進められる本というのを書いていきたいなというところでしょうか。
はい。
はい。
そうですね。
何の役に立つかどうかはわからない。でもこのポッドキャストを聞いてる人は、たぶん知的生産に興味を持ってる人も多くおそらくは。
自分もチャンスがあったら本を書こうと思ってる人も多いと思うので、
はいはい。
ちょっと意識していただければ多分良いというか、ビジネス方向に進まなくても、ビジネス方向に進んだら悪いわけじゃないですけど。
進んでも一向に構わないんですけど。
そうですね。
ある雰囲気を帯びた本を書くためにはそういうのを意識した方がいいんじゃないかなっていうことですね。
そうですね。
はい。
あとやっぱりどうしても自分がたりとかエモさは良くないことだという観念がちょっと最近あるために、
それを書きたいんだけど書かずにいるっていうのはちょっともったいないかなという感じがします。
書かないと思ってるのに書かないのはおもたないですよね。書くのが嫌やと思ってるのやったら無理しちゃ書く必要ないですけど。
1:15:05
そうなんですね。
自分がたりを嫌がるのは自分がたりをする人が声が大きいからなんですかね。
それは分からないですけどね。
元は全ての自分がたりが悪いと誰かが言ったわけじゃないと思うんですけど。
はい、もちろん。
確かにここでその話すんなよっていうタイプの自分がたりはあるじゃないですか。
はい、あります。
多分そういうもののことだと思うんですけど、全ての自分がたりが悪いと僕はさらさら思わないですね。
そうですね。むしろもっといいぞ、もっとやれっていう感じがしますけどね。
だからやっぱりその人の文脈とか状況とか欲望とかがありありと出てくる場所なんでね、それが。
そう。
だから僕らは小説を読むようにそれを読んでるんですよね。
そう、そうですね。
ということか。
だからまあそうじゃない人もいるのはおかしいですけど。
そういうことですね。
だからあらゆるものに小説を見てるということですね、だから僕らは。
そうですね。
そうです。
はい。
とりあえず今回はこういう話だったんですが、自分はこういうノウハウ本のほうが好みだよとか、
逆に自分がノウハウ本を書くときはこういうことを気につけてるっていうのがもしあれば、
ハッシュタグ打ち合わせ、キャスト、ひらがなで打ち合わせ、アルファベットでキャストまでお送りいただければクラスタがキャッチしたいと思います。
はい、というわけで今回はこれまでにしたいと思いますが、たくさん何かご紹介しておりますか?
特にないです。
進捗はしてます。
それは良かった。
はい。
では今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
01:16:43

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