1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 500】先送りセラピーや..
2021-11-24 41:44

【GMV 500】先送りセラピーやりました!

反省しない
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日お休みいただいたのは宿室だったからですね。
別に、ここのところちょっとかけたりしてるんですけど、この番組も。
基本的には、このタイミングは、娘が学校に行っているからこれで撮れるというタイミングで。
いつも通りであれば撮れるんだけど、休まれているとね、いろいろとやらなきゃならないことが家の周りのことで増えるんですよ。
で、できてないということであって、別に平日毎日という基本は変わってないので、
体調不良等ですね、なんかあったんだなぐらいに思っておいていただければ、
もし毎日聞かれている方はですね、別にそういう方は多くないと思うんですが、
毎日聞かれている方はそんなふうに思っておいていただければ、
まだまだ、やめるとかいうのとか、数が変ないと続かないなとかいう感じは全然持ってないので、
毎日なるべく収録しようと。
ただ、娘が学校休むとできなくなる可能性はあります。
で、昨日、これ500回目なんですね。
間違ってなければ、グッドモーニングバイブス500回。
500回を記念して何もないんですが、もしよろしければTwitterとかでテーマを投げていただくとですね、
カッシュタグで投げていただくと、それについてはしゃべります。
なぜかというと、何のこの依頼も来た試しがないんですよね。
この番組では。
だからもしあれば、それはしゃべります。
これが500回かな。
昨日、久しぶりにライフハック系というのか、すごくグッドバイブスに寄りましたけど、
ライフハック系のセミナーを開催して、おかげさまで満席になりまして、
先送りをテーマにしてやったんですけど、よかったです。
その満席になってできたということは。
考えてみると、これはですね、グッドバイブスのこの活動に携わらせてもらっている前は、
つまり3年以上前は、ほぼ毎月のように何らかの形でやっていたにもかかわらず、
やらなくなってしまっていた気もするんですね。
だから、これはある意味、僕が新しい活動をやったからといって、
勝手に辞めるのはあれだよなと思ってもいてですね、
そんなことを考える必要は、多分そんなことを考えていた僕だけかもしれませんが、
タスクカフェという、小橋裕夫さんとずっとやっていたのも、
百何回で終わってしまっていますし、これはコロナのためなのでしょうがないんですけどね、
03:00
私はまた、コロナはまだ収束していないんですけど、
収束が近づきつつあるような気もするので、
この種のことはやっていこうかなと思っております。
いくらグッドバイブスが、私はグッドバイブスでもうやるぞって思っていても、
とにかくそういうのではないのがいいみたいな方もいらっしゃるかもしれないし、
結局ただ、僕のところに来てしまうときもあれですけど、
聞かれると必ずグッドバイブス的な話は出ちゃいますけどね、
それでもいいからやってもらいたいという人もいるかもしれませんが、
ライフハック横浜というのもずっとやっていて、
これもコロナだから止まっているんですけど、
そういうのもやっていこうと思っています。
別にやっちゃダメになったとかそんなことではないですから、
思いっきりライフハックをやっているわけにはいかないですし、
昨日もいっぱい出たんですけど、精神分析よりも多いになっちゃいます。
あれどちらかというと、
少なくともグッドバイブスだから2017年まではほぼ封じ込めだったんですよ。
ポロッポロッとは出ていましたよね、フロイトとかユニとか。
本当に封じ込めていました。
というのは、ライフハックとは馴染みが悪いというふうに
僕がかなり強く思い込んでいたせいと、
多分これを聞き苦しいと思う人がいっぱいいるに違い、
メラニ・クラインとか本当にまともにしゃべるとですね、
嫌になっちゃう人もいると思うんですよ、絶対に。
だからメラニ・クラインとか、あんなフロイトだってそうです。
もう封じ込めるぐらいのノリで。
イヴ・ホワイトとかイヴ・ブラックって割と有名だったじゃないですか、
有名なんですよ。
でも今は話題に昇らないですよね、はっきり言って。
ああいう話というのはもう、
気持ちが悪いかおかるかの、あるいは両方かのどっちかというのが
大事なんですよね。
ヒステリーという言葉も事実上禁止用語に近いですし、
もうとにかく僕は封印してたんですよ。
そしてなるべく一生懸命ですね、好きなパブロフ、
まあ面白いんですけどね、そっちもそっちで、
行動科学、認知心理学、社会心理学、行動経済学という方に
寄せていってたんですよ。
で、そこで一生懸命ですね、好きなパブロフ、
面白いんですけどね、そっちもそっちで、
行動科学、認知心理学、社会心理学、
自分の心理上、自分の気持ちとしては、
そっちの方が大好きというわけでは決してないんですけど、
そっちに寄せておくことがライフハック的であるというですね、
もうそう信じてたんでね、そうしてた。
特に大橋さんと一緒にやるときには、
ここはもうちょっと精神分析的な話を出さないで、
済まされないよなっていうぐらいに寄ってきたら、
精神分析的な話をしてたんですけど、
なんかその時に変な空気になるみたいな、
変な空気は間違いなく僕の忌み付けなんですよ。
間違いなくそうなんです。
変な空気になってるんだって信じて物を見れば、
06:01
何でもそう見えるんですよね。
でもそう思ってもたもんですから、
なんか嫌な間違ったことをやってしまったと思って、
今後封印しようみたいになるわけです。
そういうのがどんどん強化されていて、
本当に封印する癖がついてたんですね。
人前では喋んないぞみたいな、そういう。
でもそうするとある種のフラストレーションがたまるので、
家で読んでるのはフロイトっぽい本ばっかりとか、
あるいはフロイトっぽく解釈すると、
面白いコミックがたくさんあって、
それを読み拭けるとか、
こうして吐き送りって行われるんですよね。
行動主義的な本を書かなきゃいけないんだけど、
なんかもう気が乗らなくて、
ずっとかわいいハイオー先生の読んじゃうとかね、
やってたわけですよ。
それが今にそこそこ生きてるんで、
やっぱり無駄なことはないなって思うんですけれども、
当時は現実逃避だったんですね。
文字通りの現実逃避なんですよ。
しかもユングとかって夢っぽいから、
一層現実逃避感が強いんですよね。
とにかく現実的には、
好きな行動科学の話をしなければいかんと思ってたから、
そして今でもある程度はそういうプレッシャーもあるわけですよね。
だからそういう原稿を書くんだけど、
正直あんまりそんなにすげえ書きたいわけじゃなくて、
ネズミがレバーを倒すとエサがもらえるとすぐにレバーを倒すようになります。
電気ショックを与えるとレバーを倒すようになりません。
それはそうなんですが、別にそんな話なんつうんですかね。
そうなんですよ。
これをライフハックに生かすみたいなことも、
徹底的に書けばそこそこの内容になるし、
面白くもなると思うし、
知られていないこともいくらもあるんだけれども、
何度も何度も書いていて、
すごく充実感が味わえるかというと、
なかなかそうもいかないですよね。
だから逃げるわけですよ。
イヴ・ホワイトとかにね。
でもそれは表には出せないと。
そういう状態が延々続いていたわけですね。
昔は炎上とかを今より遥かに恐れていたので、
HSPとかADDとかに至っても、
発達障害とかに至ってもね、
封じ込めてたんですよね、実質的には。
そういう話題は一切書かない。
ブログにはかなり狭めてあるか、
私の個人的なハテナブログとかノートブログに、
いろんなエクスキューズを交えた上で、
関係ない話ですけどさせてねみたいな感じで、
だから漏れ出すみたいな世界。
本当に僕の中から漏れ出すみたいな。
漏らしておかないと、
タスクかかりとかで喋っちゃうかもしれないじゃないですか。
別にいいんですけど。
タスクかかりとかで喋ると、
関係者に迷惑かかるなと思ってたから、
大どころでは絶対タスクシュートかける好きなわけですよ。
そうするとパリッとした感じがするんですよね。
ただ、面白いのかな、これっていうのは。
09:02
面白くなくても役に立てばいいっていうのが、
基本的なスタンスだったんで。
でもやっぱり、私は面白いのが全てみたいなところもあるんで、
そういう分裂があったってことがありました。
面白いんだろうか、これでっていう。
だから、ことさら面白くしようという努力はするんで、
それもそれで無駄じゃなかったかなと思うんですけどね。
これは東映ドイツカっぽいとか思ってもいかにかと思って、
好きなから説明するみたいなことを頑張ってたというわけです。
東映ドイツカとか言い出すと、
それはそれでわけわかんなくなるのも事実なので、
それで良かったのかもしれないんですけどね。
今になってそんな話をしてもしょうがないんで。
ただ、昨日ご参加いただいた方はお分かりの通り、
今はあんまり遠慮なく振っちゃってます。
目いっぱい振り切れていて、
ここまでやっぱり振り切れるためには、
自分一人でやる必要もあるなと思った次第で、
今後もこういうのを定期的に、
あんまり大規模にはできないんで、
小規模にやっていきたいかなと。
一つちょっと、反省はしないというのは、
これは精神分析じゃなくてグッドバイオスですが、
反省しないことにしているんで、
この反省しないというのも、
昨日もっと強調すればよかったなと思っておるんですけれども、
反省するということを今日はテーマにしたいと思いつつ、
昨日の反省点として、
7名というのはあまりよろしくなかったかなと思って、
6名というふうにするかというふうに、
ただこれも本当のことは分からないので、
本当に7が良くないのか、6が良いのかみたいなのもあるんですけどね。
時間は2時間では足りないから、
2時間半にしようとは思っています。
6にするか7にするかという攻め合いは、
すごく考えようとは思いました。
やっぱり先送りというテーマ、
今後もずっと全部先送りでいくかも分からないんですが、
幅が広いんですよね、
人が先送りをするといったとき、
何を意味しているのか。
その幅を全域を網羅するには、
7名2時間というのでは短いかなという、
ただ規模を小さくしていれば、
絶対にうまくいくとか、濃くなるとか限らないので、
そこもちょっと考えつつやっていきたいと思っています。
考えつつやるのは当たり前で、
毎回考えつつやっているので、
それはわざわざここで宣言するかどうかの問題でもないんですが、
そんな感じです。
昨日のその反省点というか、
反省しない反省点は、
つまり、
反省しちゃいけないということを、
もっと言うべきだったという反省なんですけれども、
何とも矛盾しているのですが、
まず、昨日一つ衝撃を受けたのが、
母子ユニットというものは、
複数あるというふうに、
自分の中に複数の機能を持っている、
つまり機能ごとにあるというふうに、
12:00
理解されていた方がいらっしゃっていて、
これはそうではないんですよという話を、
昨日させてもらいました。
それはですね、脳科学で出てくる脳の機能、
脳の機能というのは、
例えば水を飲むという機能とか、
食事をするという機能ごとに母子があるみたいな、
そういう解釈になられていた方がいて、
そっか、説明がやっぱり足りていないなと、
ただ説明を全部するのも、
やっぱり20時間とかなので、
たとえこのポッドキャストを聞かれていたとしても、
実際に、
実際に、
実際に、
実際に、
実際に、
実際にこのポッドキャストを聞かれていたとしても、
このポッドキャストは体系的に説明していませんから、
何度も言っている通り、
これで精神分析を学んだらダメですからね。
そんな方はいないと思うんですけどね。
母子は一つです。
基本的に、
自分が子供でも、
自分が母でもありません。
自分は母子なんですよ。
ここがポイントです。
だからなんですけども、
昨日ここも後半で少し強調させていただきましたが、
実母とイコールではないですから、
実母の影響はあるはずです。
ですが、実母とイコールじゃないですからね。
私のお母さんそのものというわけではない。
私の心の中には、
私が幼児だった、
というか乳児だった、
私と母との関係をインストールしていて、
しかもそのインストールの仕方は、
これは精神分析の考え方だと僕は思っているんですけど、
このインストールの仕方は、
ある程度遺伝的に定められているので、
このインストールの仕方には幅があるけれども、
一つの形があって、
そこからは相当逸脱しにくくなっていますよ、
というところの母子域は一つなんですよ。
要するに、最初に赤ちゃんが自分だけでは何もできない、
それは自分自身がそうだったと。
だけれども、そこには必ず絶対に、
母親はいなかったとしても母親相当の存在はあって、
しかも自分はどんなケースでも母親から生まれたはずであって、
この二つは多分事実としてあると思うんですね。
なければ生まれていないだろうと。
だから実母というものの影響がゼロってことはあり得ない。
実母がいなければおそらく自分はそこにいないよねと、
そのことを知らないですけれどもね、僕も。
だから絶対に自分の実母が実母かどうかは分からないですが、
多分そうだよねと思っていると。
プラス、情緒的に自分はそういう意識は全くないままで、
完全に母親に依存しきっているということは
15:01
どういうことかというと、
完全に依存させてくれているというのは他者じゃないということなんですね。
完全に私のことを依存させてくれているのはある種の自分であると。
環境としての母親みたいな言い方をするんですけれども、
どんな言い方をしてもこれですね、分かりにくくなるんですよ。
なぜなら僕たちはそれを第三者の目線から見ちゃうからなんです。
そうではなく自分が乳児だと思って、
なるべく自分が主観的に乳児だと思うと、
自分と母という文化というものがまだ未文化なので、
多分母親のことも自分だと思っちゃっているわけですよね。
多分これは間違いなくそうだろうと思うんですよ。
ただ私自身それについての記憶があるわけじゃないから、
ここはあくまでも推定ですよ、推測。
母親だと思っておっぱいくれたり水飲ませたりしてくれるのは、
自分自身だと思っちゃっているんですよ。
だからそれが本当は自分じゃないんだって気づいた瞬間に、
それはトラウマになりかねないっていう理屈があるんだけど、
それは一旦置いといてですね。
とにかく自分と自分が見ているものどっちも自分だと思い込んでいて、
だから自分は万能なんですよ。
なぜならば、どっちも自分なんだから、
自分は無力で頼りないわけじゃないんですよ。
おっぱいが飲みたいという自分と、おっぱいを飲ませるという自分と、
両方自分なんで、一体となっているその自分という状態、
つまり甘えたいという気持ちと甘えさせてあげるという気持ちが一体となっていて、
それが自分の心、一つの心として形成されている。
だからこのよく母子ユニットみたいに昨日もしゃべりましたけど、
母と子の間にハイフンが入るやつ、
自分を子側だと思ってみちゃいけないんですよ。
自分は母子ユニットで自分自身で、それで一つで、自分の心で一つなんですね。
母親機能とかって言っちゃうんですけど、私も機能っていうとファンクションなんですが、
そうすると水飲ませるとか、ご飯食べさせるとか、おっぱいあげるとか、子守唄歌ってくれるとか、
全部アンドロイドでも良さそうになるじゃないですか。
何がいけないかというか、いけなくはないんだけど、
ここにもう一つ大事なのは情緒含みだってことなんですよね。
つまり甘えというのは情緒ですから、
情緒というのはちょっと機能っぽくない感じがするんですね、私は。
だからここを機能と言いたくないんですよ。
何か母親というもの、あるいは母親そのものみたいな感じ、
それが自分自身でもあるって感じ。
この感じの中で一体感を持っている時は、
弱いとは自分のことを感じないはずだって思うんですね。
だって子供をあやしたりしている時の母親は自分を弱いとは感じてないと思うんですよ。
18:05
弱いものだとは感じてないと思うんですね。
だから万能だという感じを持っていると、
この感じを抱いていれば、
例えば昨日の文脈で言うと、先を繰りはしないはずだっていうことなんですよ。
さらに言うならば、依頼をしてきたということは、
特に依頼の仕方があんまり良くない依頼の仕方、
上から目線だったり、それこそ感じが悪かったりした場合、
相手は甘えているから、それを子供だとみなすことで、
自分の母親機能を使うということは、
弱くないから自分はやれるはずだっていう含みがあるんですね。
だから自分がやろうとしていることであろうと、
人がやろうとしていることであろうと、
人に頼まれたことであろうと、
基本的には同じのはずで、
もしこれがというか、先翼に届くケースでは常にこれがなんですけど、
手に余るとか、めんどくさそうだとか、
このめんどくさそうだが一つのキーワードですね。
面倒を見るって言うじゃないですか。
母はこの面倒を見るって言うんですけれども、
面倒そうってことは、
これは自分がケアすべきことであろうと、
面倒そうってことは、
これは自分がケアすべきことではないっていう含みがあるんですよね。
子供の面倒を見るのは、
面倒ライクじゃないんですよね。
ライク面倒は、
それっぽいっていう意味ですよね。
面倒チックじゃないですよね。
面倒くさそうだってのは、
自分がケアするそんな対象じゃないっていう含みがありますよね。
だからケアする気持ちに自分も慣れないんだと思うんですよ。
つまり母親になれないんだと思うんですよ。
この場合の母親は実母でもなければ、
女性って意味では全くないですね。
父親だろうと男の人だろうと子供だろうと構わないんですよ。
ただ母親なんですね。
この文脈で言うところの母親なんです。
そうすると、
その機能果たしたくないわけじゃないですか。
面倒くさいとか先送りにしたいとかいう時には、
自分の母親機能というものを果たしたくない。
特にそういう風になりやすいのが一つは、
頼んできた相手を攻撃したいっていう場合ですよね。
一つの分裂がそこにあって、
頼んできたのは私の知ったことではないというのは、
相手に対する若干にせよ攻撃の含みがあると思うんですよ。
特に先送りとの文脈で、
それこそさっき言ったような認知心理学的な世界では、
これを受動攻撃性と言ったりするんですね。
サボタージュとかもそうですよね。
もうちょっと因出な感じがあるんですけどね、受動攻撃性には。
なんかこう引き受けておいて、ずっと放置しておいて、
21:00
相手を困らせると。
もちろん怒られますけれども、
怒られても本当の意味で困るのは相手だと。
ある種のクビになりにくい会社とかで、
そしてコミュニティがうまくいっていないとこれが発生しやすくて、
ここも認知行動科学の割には、
すごく精神分析っぽい雰囲気の話になっていて、
要は本人は必ずしもその意識してないんですよ。
ただ面倒くさそうだとかって思ってるようには思ってるんだけど、
実際には頼んできた相手に対する異種があって、
実際には頼んできた相手に対する意思返しがしたいんですね。
理由はいろいろあると思います。
その場合は母子の話をするよりは、
もはや父親的な話になってくるんですね。
例えばその上司が他のやつを悲喜していると。
面白くねえと。
だから受動的に攻撃してやろうと。
そういうような気持ちがですね、意識下で働いてきて、
その仕事を手掛けようとすると、
なんかイライラして違うことがしたくなる。
そういう心理ってあるんですよ。
この話は先々、先送りセラピーとかでもしていきたいと思うんですが、
僕は昔受動攻撃生の話を何度か研修とかでもしたことがあります。
これは全部社会心理学的な話の中でしたんですけど、
今思えばあれは絶対精神分析の文脈でやったほうが良かったなと思うんですよ。
ヒステリーに限りなく近いとか近いか、
もしくするとヒステリーそのものだなと思うんだけど、
当時は当然そういうことは一切封印して、
冒頭で言った通り封印して、
これを必ず社会心理学と認知心理学と、
そういうところから説明しようとして、
だってこの受動攻撃生、最初に先送りの話の中で展開してきた人、
社会心理学者なんですよ。
今思うとこれのどこに社会、
まあでも会社だから社会かみたいな、
当時も変だなと思ってたんですよ。
なんか社会心理学者とか、
臨床の人も入ってきてるんだけど、
社会心理学にもこういう考え方があることになって、
モチベーションって社会心理学で出てくるようですからね。
僕はいつもそれに何か納得のいかないものを感じてたんですよ。
アメリカにいた時にね、
モチベーションっていう言葉が最初に出てくるのはソーシャルサイコロジーなんだけど、
なんかモチベーションっていうのはそこじゃないような気が、
少なくとも認知心理学なような気が、
あるいは生理心理学とか、
脳の中でのドーパミンの有無とか、
そういう話から来てほしいなと思ったんだけど、
そんなことではないんですね。
社会心理学で出てくる。
まあいいんですが、
そういうことがありました。
で、そういうふうにすると攻撃するわけですから、
当然先送りするわけです。
攻撃、先送りが当然ではないんだけど、
先送りというのは一つの弱者の攻撃戦力、
だから受動攻撃戦力、
弱者の攻撃戦力、
だから受動攻撃性なんですね。
弱者の攻撃戦力、
24:00
この場合もそうなんだけど、
全部弱者なんですよ。
何で弱者なのかというと、
自分が母親機能を弱めているか使ってないかなので、
弱者になってしまうんですね。
母子から子供だけ気に離すと、
頼りなさというものが出てくるわけです。
つまり自分は元々心の中では、
母子、一つの母子なんですよ。
何か不愉快な感じがあると、
そうすると自分でそれをなんとかできる。
それが一体となっているということが、
つまり自分が万能だということだと思うんですね。
水を飲みたいと思ったら、水を飲める。
その時には必ずこの不快感というものが発生するんだけど、
そんな不快感というものは何度でもなるよというのを、
自分の中で包み込めるはずなんですね。
ところが意外と実際にはそうではない。
ある上司から仕事を振られると不快になる。
そしてそんな不快をなんとかなるよと、
自分で包み込むことはできずに、
その上司が悪人だということになってしまう。
なぜ悪人なのかというと、
同僚を無駄にエコヒーキして、
本当は優秀な自分の方をもっと高く評価するべきな、
のにしない。
こういうふうに依頼されたことが不愉快だと、
どこかに悪事を働いた人が発生させられて、
その悪事を働いた人に罰を与えなければ、
気が済まなくなってくるわけですね。
その罰として先送りするわけですよ。
そういうことを受動攻撃性って僕は言うんだと思うんですね。
あるいは、
昨日も出てきたんですけど、
自分が子供になってしまって、
母親が切り落とされたので、
めちゃくちゃ弱くなるわけですね。
これが不安になるということや、
そもそも罰を与えられるということだったと思うんです。
お母さんが、
あんたなんかもううちの子じゃないからねって、
昔のお母さんが時々そういうことを、
割と平然と言ってのげたんです。
私も100回ぐらい聞いたんですけど、
100回ぐらい聞くと狼少年になっちゃうんですけどね。
罰なんですよ、あれは。
お前は子供だということを思い知れというわけなんです。
失落園っていうのかな。
失落園言ったら言い過ぎか、
疎外院ぐらいでいいですかね。
家から切り出すということですよね。
日本の甘えの一つの構造に、
甘えを罰として使うんですよね。
お前は甘えていることが前までは許されていたけど、
そこまで甘えることは許さないからっていうのが、
イコール、家から指名出すとか、
コミュニティから指名出すとか、
この話は顔色をうかがうでも書きましたけど、
切り落とすというか、
家から切り出すというか、
切り落とすということをするわけです。
つまり罰なんですね。
そうすると罰ってどういうことが起こるかというと、
自分が突然母親機能を停止させられて、
強制停止ですよね。
27:00
子供だけで追っ張り出されると。
ウィニコットが一人だけの子供など、
乳児というものはいないと言ったんだけど、
一人だけの乳児にさせられちゃうわけですよね。
それが罰なんだと思うんです。
この罰が起こると、
子供たちはすごい不安になる。
当たり前ですよね。
つまり英語ではヘルプレスネスなんですけど、
ヘルプできない存在として、
一人で放置されるので、
母親に言ったら最悪の場合は、
命に関わるわけです。
そのことを子供に思い知らせて、
今後家の言うことは全部聞けって、
そういう話なんですけどね。
このいうことが起こるので、
反省しちゃいけないんだと思うんですよね。
反省するというのは、
自分を罰するということであって、
自分の中の母親機能を全停止させるということに、
全停止にはなりませんけれども、
少なくとも反省したテーマについては停止すると。
これが起こるから、
私たちは仕事が先へ進められなくなるんですよ、きっと。
このことを昨日、やっぱりもうちょい強く
強調点として出すべきだったなと思うんです。
つまり私たちは、もしユニットっていったときには、
一つの肉の塊ではないんですね。
一つの肉の塊は、
何もできない一つの肉の塊としてスタートするので、
これだけだったら、
そうに命に別情がありますね。
つまり、
一つの、一個の肉体ではないという状態になっているから、
万能なんです。
一個の、一つの肉体であったら、
事実上アウトに近いわけですよ。
この心理状態になると、
僕らは大体において、
ごくごく基本的な日常生活は遅れるんですけれども、
それしかできなくなりかねないというところがあるわけです。
何をするにも不安になってしまう。
だから母親機能が停止した子供機能だけに自分を
同一化してしまうと、
何をすることもできなくなります。
特に、セミナーとか、
セミナーの告知とか、
告知文を書くとか、
ことごとく先に送りたくなるわけです。
つまり、もう不安のそのものなわけですよ。
また失敗するんじゃないだろうかとか、
この母親的な話をするのは今後封印しようとか、
やっぱりフロイドの話とかをするからみんな気持ち悪がるから、
これはやめようとか、
そうすることによって、
大丈夫と言ってくれる母親はいなくなった状態なので、
大丈夫じゃないわけですよね。
そういえば、あの人はすごくつまんなさそうにしてたとか、
いろんな証拠が集まり始めるわけです。
これは利用可能性ヒューリスティックでも
説明できますけれども、
そういうふうにして、
いろんな自分の悪事が封印されていくわけですよ。
二度と悪いことはしません。
これが反省ってもんじゃないですか。
二度と悪いことはしません。
30:01
今後は好きな話だけにしておきます。
こうすると、思った以上に自分の保証が減るんですよね。
昔の私の状態というのは、
まさにそういう状態だったわけです。
思った以上に自分の選択の余地が狭まっていく。
しかも、とても面白いことに、
こうすべきだという意見が今のところは主流なんですよ。
私はだから、自分で自分の手足を縛っておいて、
仕事を先送りしたくなりますっていうのもないよなって思うんですね。
PDCAって言うじゃないですか。
プランを立てて実行してみると、
次回は母子ユニットの話と先送りの話を掛け合わせようというプランで行きましたと。
しゃべってみましたと。
Dですね。チェックしてみたところ、
あまり受けがよろしくありませんでしたと。
で、アナリティクスで大いに反省して、
今後このような話は封印しましょうと。
これやるわけですよね。
ネタが減っていく一方だと思うんですね。
考えようによっては。
読みようによってはというか、
考えようによってはですね。
大いに反省して、今後こういう悪いことはしません。
悪いことはしゃべりませんと。
これが良いって言うんですよね。
そうすると、私から精神分析をバッサリ取るっていうのは、
今の話からバッサリ取れば、ものすごい狭いんですよ。
私の2013、4、5、6の頃の感覚はまさにそんな感じです。
先細ってんなみたいな感じなんですよ。
なんだけど、無理やりそこから最新のネタとかを集め出してくる方が
正しいやり方なんですということになってたし、
なかなかそういう体制、
だってクラウドさんいなかったですからね、私の世界には。
どこにいるのか分かんない状態ですもんね。
私の2015年の頃だったら本当に見えなくなったなっていう感じだったんで。
なくなったとは思ってなかったんですけども。
しかも、もともとクラウドさんのお話の中にも
グッドバイブスみたいな話は微塵もなかったんで、
どっちかといえば完全にそうではなかったけど、
PDCAみたいな話の方がメインでしたし、
あと大橋さんと仕事をしていて、他にいるJ松崎さんとかベックさんとか、
みんなクラスク管理、ライフハックの界隈で、
一部PDCAは少し難しいなみたいなノリがあったとしてもですね、
PDCAに乗っかったとしても、
ほぼ間違いない世界だったわけですよ。
しかもライフハックだけじゃないですよね。
その外側だって、今では政治の世界だって、
あるいは日能研だってPDCA言うんですよ。
私娘の受験計画表みたいなのを見て、
思いっきりPDCAって書いてありましたから、
もう日本全国でPDCA、万歳みたいなムードの中で、
この精神分析で、あるいは反省させると犯罪者になりますみたいな
岡村さんだったんですけど、
ああいう考え方って、
口にするのも難しいみたいな感じがあるじゃないですか。
ましてライフハックセミナーで、
その話はもう逆張りをやっているだけになってしまうんですよね。
33:03
そういうわけではないんだけど。
だけれども、反省するとやっぱりこういう先戻りを
自分に強いることになっちゃうじゃないですか。
不安になってしまうんですよね。
そういう意味で、
反省するとやっぱりこういう先戻りを
自分に強いることになっちゃうじゃないですか。
不安になったから、結局これは受けが悪いとか、
なんとなくパージされている気持ちがするとか、
そういう感じで自分の口を塞いでいって、
不安になったから自分を縮めるわけですよね。
その時に要するに、
機能が停止させられて、
そんな絶対大丈夫とかいう愚かな考えは捨てろというわけで、
生まれたばかりの乳児みたいな状態になるんですよね。
僕はだから何名かの方は、
ライフハックを押し進めていくうちに、
ほぼほぼ引きこもっても不思議はないと思っています。
自ドイド感たっぷりになっていけばですね、
自己主張をするということは、
この種の危険を取ることになります。
危険という言い方をするならば、
まずは無しで取ることになります。
無謀極まりない。
だからずっと下がっていって、
何を目指すか。
僕だったらですね、
株に投資しますね。
他に方法はないような気がします。
誰にも何も主張せず、
誰にも見つからず、
こっそりと大金を集めていくのが、
人生一番安全な感じがしますよね。
ギャンブルですけど。
僕ならそういうふうに、
フロイトを言っちゃダメです。
一歩間違うと、
行動経済学だって、
資格取らずに喋るのは危険ですし、
認知心理学と社会心理学は、
最近の最新のっていうのは、
少なくなってきているので、
ネタも少なくなって、
全く同じ話を受けもしないのに、
一生懸命喋るしかなくなります。
行動科学も今は、
ずっと好きな以来、
それほど革命的って話、
出せませんから。
というふうになっていくとですね、
そしてライフハックでも、
最新のニュース、最新のニュースを
出していくじゃないですか。
これはそういうことなんだと思うんですよ。
でもそんなことをして、
ライフハックぐらいなら、
株式投資に全力を尽くす方が、
いいと思うんですよね。
PDCAでやると、
大体反省点って出てくるものですよね。
一人でも不満を持ってたらダメってなったら、
特にそういうことになります。
だから、もうぐっと下がっていって、
自分の手足を縛って、
口も封じるんだったら、
もうケンタッキーの株だわ、
なんだろう、
あれですよね、
配当が高いけれども、
利幅が薄いとか、
そういうことを研究してですね、
一生食べていけるような、
それこそ老後2000万ですよね。
そういう方に突っ走った方が
安全だという風になっても、
不自由はないと思うんですよ。
そして一切を封じると、
ライフハックなんてまだいいんですよ。
極めて個人的な世界なんで、
36:01
これがそうじゃないところに行くと、
本当にどういうところで
何を言われるか分からないことが
全てであるならば、
みんな投資に走って、
そんなに不自由じゃないと思うんですね。
そうすれば安全に、
じゃあ安全ですよね、
ギャングルですけど、
お金を失う危険というのが
どうしても隙間と言いますけどね。
そうなったところで、
お金が入れば、
たぶん地沿いのまま、
たぶん生きていくということに
だんだんなっていくと思うんですよ。
Amazonで買い物をし、
投資で儲けて、
人とは関わらない、
けれども、これで思うように
お金が入らなかった場合、
という不安というのはあるので、
この不安が絶大になったときに、
私たちは3Fで行動できるんだと思うんです。
これが私がこの間、
対談させていただいた顔色の時と、
会社は無理ゲーって書いた方が
おっしゃっていたことだと思うんですね。
強い不安がそのうち上がってくると、
そのモチベーションで
行動が不意にできるんだ、
ということなんです。
ただし、これは身体的な負荷が大きいので、
身体リスクは伴うと思うんですよ。
先日、かき分け塾で
謎の体調不良って言葉が出てきたんですけど、
このグーッと自分の行動を狭めに、
狭めに、狭めに、
つまり何もしないってことですよね。
突き詰めて言うと、
ヘルプレスネスな、依存しまくりな自分は
もう何もできない、
家で困っている以外はできないんだけど、
そうしていると、お金がなくなり、
いずれ家にも住めなくなるという不安が募ると。
この不安を言動力にして、
言ってみれば万有を振るってですね、
いや、いいんだ。
自分は言いたいことを言おうってドーンと出ると。
すっごく不安なんだけど、
ドーンと出ると。
そういうやり方っていうのが、
たぶん3Fに訴えたモチベーションの
高め方なんだと思うんです。
これは先送りをするのは当たり前ですよね。
逆に言うと、
ギリギリになるまで先送ることで、
これ以上先送れないってなったときに、
爆発力を使って実行すると。
で、謎の体調不良は、
僕はそれは仕方ないんじゃないかなって思うんですよね。
このやり方を続ける限りにおいては。
これはギリギリで
しみきり間際の一時のパワーだから、
そんなに頻繁に
先送りをする必要はない。
一時のパワーだから、
そんなに頻繁に
使うものじゃないからっていうことも
あると思うんですけど、
このやり方で
かかる身体の
コストっていうのは
結構バカにならなくて、
しみきり間際にそれなりの
エネルギーを投入して、
しかも身体には基本関係ないことなんで。
例えば告知文これによって
万有を振るって、
もうしょうがない。
ツイッター中に
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何かのCMを
みんなが嫌うかもしれないけど
しようっていう時に言って、
必要なのはタイピングのパワーとかだけですから。
それが
背骨からの大量の
コルチゾールとか
いらんのですよね、全然そういうものは。
筋肉を非常に硬くするとか、
血があんまり出血しないようにするとか、
そういう細胞は
もちろんライオンに噛まれた時には
役に立つんですけれども、
基本的には
告知をする時には何の役にも立たないのに、
エネルギーだけは増大、
爆大なんですよ。
なぜ爆大かというと、
やっぱりそれはライオンから逃げるぐらいの
危機感というものが
そこに必要とされるからですよね。
だからこれは先送りと
締め切り間際の
シンドロームみたいなやつと、
あとは体調不良は
全部込み込みの話だと思います。
だけれども、
そういう方法を取れば
投資に走るとか、
あるいは
ギャンブル的なリスクを
侵すことなく、
それなりに事業をやっている方の場合に
なると思うんですよね。
会社ではそうやって
締め切り間際の爆発力を
いくらやったからといって
一定以上のお金が急にもらえる
ということにはならないと思うので、
だから会社での方法というのは
もっと受動広域性をなだめる方法の方が
役に立つんだと思います。
昨日は
そんなようなことを
いろいろと
反省材料として
今後やっていこうと、
だから反省しないぞということなんです。
ここで僕が反省してしまうと
多分このセミナーを継続するのは
やめることになるんですよね。
オプションを一つ自分で消すと。
これを突き詰めていくと
やっぱりさっきの
元に戻るんですよ。
投資に走るか、
受動広域性で誰かを悪人だ
ということにして
その人を罰するということが
自分の仕事のように思うか
さもなければ
ちょっと身体を痛めつけて
体調不良は
引き受けて頑張るかと。
それを僕は実際
2016年の段階でほぼ間違いなく
全部やってたんですよね。
少なくともそれをやると
関係者と友達は減っていく。
なぜか減っていく。
全然なぜかじゃないんだけど
ずっと縮まっていき
そして体調不良が
定期的に訪れると
そういうことになってたわけです。
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