1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 501】タスクシュート だ..
2021-11-25 42:28

【GMV 501】タスクシュート だけを使う

未来を想定できないようにやる
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
12月4日なので、来週の土曜日ですね。
最終回となる、グッドボイス勉強会のシーズン2、最終回。
ちょっと回数忘れましたが、最終回です。
最終編みたいなところもあると思うんですけど、テーマはギフトモードですね。
私が、比較的グッドワイブス中、得意とはしない分野。
これも、得て増えてはあると思うんですけども、
倉園さんも告知の中にありましたけど、
これを知らないという人は多分いないかなと思います。
私も別に、これがさっぱりわからないというものではないので、
一つ意識もそうなんですけれども、
これもさっぱりわからないという人は、多分僕はいないと思うんですよ。
むしろそういう人っていうのは、よほど自分を個別意識の方に、
そして利己的な、ある意味、利己的というと非難がましいんですけどね。
そうじゃなくて、フロイト的に言うと、
リビドを自分の何かに集約させているっていう感じなんですよね。
他に回さないように気をつけていないと、そうはならないんじゃないかなって思うんですよ。
それ自体一つのゲームみたいなものですよね。
例えばお金とかね、お金を貯めるのが何より大事で、
とにかく理由はどうでもよくてある意味、老後とか言うんですけど、
老後って言っても、いつ思って老後とかは、
多分そんなに厳密に意識しているとは思えないんですよね。
だいたい老後という時にどんなことを思い、何を求めているかっていうのを、
事前には本当に把握できないんじゃないですか。
私も例えば、現在もう間もなく50ですが、
50の頃自分がどう感じているかなんて分からないんですよ。
よく言うじゃないですか、僕は別にそこはなかったけど、
20歳の頃には老人にだけはなりたくないとかって言うじゃないですか。
今のような年齢を老人に近いとするとですね、
別にそんなに違いはなかったりもするわけですよね。
このこと自体がはなはだ許しがたいと、割とあれなんですよね。
時代を遡り、ドイツの後期ロマン派と言われた人が盛んにこれを言うんですよね。
ヘルマンヘッセとか、老人の醜さみたいなことをやけに言うんだけど、
自分が老人になってみるとなんかちょっと違うんですよね。
そういうのっていろいろあります。
03:02
ゲーテが老けてたのが許せないとかね。
若い人の割と感覚なんだと思うんですけど。
そういうふうに、なんて言うんですかね。
これは結局肉体というものに気持ちが集約されつつ、ある時に感じることだと思いますけれども、
そういうふうにむしろ今時そこまで言う人ってむしろ稀じゃないですか。
老けて見にくくなる前に、バラのトゲで自殺しようみたいな。
あれはリル家の話ですけどね。
彼は本当にバラのトゲで死んじゃったんだっけ。
こういう人たちって僕は不思議なんですよね。
そんなんで死ぬだろうかって思っちゃうんですけどね。
そういう人たちもいましたけど。
だから人ってなんでもできちゃいますが、
普通はそういうことはないと思うんですよ、今時ね。
若作りしようと思えば、今ってかなりいくらでもできちゃうじゃないですか。
そういう意味でも1900年代の産物だなって思うんですよね、ああいうのって。
いろんな価値観あると思うんですけれども、
それでもギフトモードと一つ意識が全く分かりませんという人はいないと思うんですね。
だからグッドワイブズというのはあんまり無理せずやれるというところを
クラウドさんは気をつけているんじゃないかなと思います。
何にしてもそういうことで、早々ですけどね。
来週土曜日ですからそんな時間ないんですが、
オンラインですのでご都合よろしければということでよろしくお願いします。
そのギフトモードではなくて、
何を言おうとするのかすぐ分からなくなるんですけれども、
ライフハックを、
私が今ここで喋ろうとしていることとか、
ポッドキャストで喋っていることは要は、
ライフハックをなるべくグッドワイブズよりで実行していこうという話をしたいわけですね。
先日もお話ししましたけど、例えば先送りということがあるわけですね。
タスク管理をしていても、
いざまさにネクストアクションが目に見えた瞬間に、
ネクストアクションはプロジェクトAについて資料をまとめるとある、
これを見た瞬間に、
例えば可能ならばですが、
YouTubeを見るとかそういう話なんですよ。
そういう話が一つあると思うんですね、ライフハックには。
これにもいろんな要素というか要因からこういう現象が起こってくると思うんですけれども、
06:08
このライフハックの限界みたいなものに突き当たったときに、
僕らがついついですね、そっちの人たちに、
極力自分を機械みたいにみなしたいという願望があるんですよ、多分。
これを見た瞬間にこれをやるとかいうのは、ロボットみたいなんですよね。
このロボットみたいというのは、
つまり私たちはロボットを見た瞬間に、
ロボットみたいになりたいというのは、
一つのロボットについてのイリュージョンがあるんだと思うんですね。
感情はないはずだ、みたいな。
ということはつまり、感情が邪魔だって言っているわけですよね、この場合には。
で、私が一つのロボットについてのイリュージョンというのは、
つまり、感情が邪魔だって言っているわけですよね、この場合には。
で、私が長らくですね、この問題はタスクシュートだっていう話をしてきているのも、
一つにはタスクシュートがこの問題をだいたい片付けてくれたからなんです。
で、どうしてだいたい片付けることができたかというと、
必ず自分が何をしようとしているのかということと、
したいと思っているのかということを、いちいち対比させて突きつけてくる。
この突きつけ感が嫌だっていう意見はあると思うんですけど、
ここを突きつかないと、行動を変容するはずがないんですよ。
で、二つしかないんですよ。行動を変えるか、感情を変えるか。
つまり、なぜ私がDMMとかファンザとか言うかというとですね、
対比のコントラストがでかくないと、僕らはすぐこういうところでですね、
同じことを言いたいだけなんですけどね、誤魔化しちゃうんですよね。
なんかね、可能な限り、犯罪じゃ困るんだけど、
可能な限りダメだそれはと思っているものをここに持ってきたいんですよ。
比較対象として。ここを適当な気持ちで誤魔化していると、
ここを誤魔化すぐらいならタスクシュートなんてしないほうがいいと思うんですよね。
どんなふうに組んでみたところでGTDだろうとタスクシュートだろうと、
全く同じ構造用の欠陥があると思うんですよ。
つまりあれば、過去に書いたものを現在やらせようという話なんですよ。
09:00
どうやってもそうなるはずなんですね。
そこをどうやって回避するかを一生懸命タスクシュートはある程度考えている。
少なくとも自分はそれを考えているんだけど、一般にはここはそもそも無視されがちなんですね。
カラゾノさんはGood Vibesのセミナーでこれをはっきりと、
かなり数字を使って表現してくれたんですけど、
そういうことも滅多に行われることはないんですが、
過去に自分が決めたことの通りに自分が動けば未来はベターだというのは、
構造上の欠点だと僕は思うんですよ。
そのようなことが言えるわけがないですよね。
だって未来を知らないのに過去の一点で決めたことが、
未来を良くするという保証を与えるんですって言っているのは、
既に嘘をついているんですよ。
でもしょうがないから、これしかできないからこうやるんですけどね。
構造上の欠点というのは気になることを洗い出して、
それをしたら、これをしたら、実はどうなるってことを、
例えばデビッド・アレンさんなりが保証してくれるわけがないじゃないですか。
それが良いんですよって言ったって、
何が良いかどうかがどうして彼にわかるのかと、
わかるわけがないじゃないですか。
気になることを洗い出しそれを実行すれば良い結果になるとか、
良い気分になるはまだ良いですよ。
良い気分になるは。
それだって他人が保証できるはずはないと思うんですよね。
他人の気持ちをですね。
つまりあそこにはいつでも必ずある原理的な問題点が含まれているわけですよね。
過去に決定したことを実行すれば未来が良くなるという嘘をついているわけですよ。
そうなるかもしれませんが、
そうならない可能性が既にいくらか付きまとっているわけですね。
だからなんですよ。
だからタスクシュートの方が私は推しだというのは、
つまりタスクシュートはまずそんなことは全く言わないわけじゃないけど、
早々に廃棄するんですね。
過去に決めるってことを極力避けるんですよ。
GTDだけではないんですけど、
普通に書き出したことをやるというのは、
書き出すのは絶対に過去に書き出すことしかできないんですよね。
書き出した瞬間に実行するってことをしてないんですよ。
まずこれが一つの大きな問題点。
書き出した時気になっているのならば、
その時にやればいいんだけど、
僕らは時間がないと思っているので、
書き出した時には実行できないと思っているから、
必ず書き出すのは過去になってしまって、実行するのは後になるんですね。
ここにタイムラグがあるんですよ。
私が思うに、現在その時にやる気になっているとかしなきゃいけないと、
その気持ちが一番現実に近くて、
過去にそう思ったというのはもう当てにならないと思うんですね。
実際には今やらなきゃと思っているっていうその時の判断だって怪しいものなんだけど、
それがタイムラグが発生しちゃったらもうかなりダメだと思うんですよ。
12:00
自分でそのことを信じられないから、
だからさっきまであれほど切迫感を持って、
プロジェクトAの資料を集めなきゃと思っていたって、
いざやろうと思うとまだいいんじゃないかと思うから、
反座を見たりするわけですよ。
これは過去の自分の判断なんて当てにならないと思っている自分がいるってことなんですね。
こういう自分に対する、自分の気持ちにおける判断と、
その判断に対する信頼度っていうのは常に揺らぐんで、
揺らがないはずはないんで、ここがいつも一貫していることが好ましいっていう風に
ライハックの人は一時的に思うんですけど、それはとんだ誤解で、
例えば過去に思ったことが絶対的な確信として一生涯変わらないということであれば、
例えば過去に一回お腹が空いちゃったら一生涯物を食ってなきゃならないってことになるじゃないですか。
そういうことになったらとても困るので、
私たちは記憶の状態が後退するんですよね、どんどん。
記憶の状態がどんどん後退するということは、
フロイト流に言うと失策が起きるわけですよ。
あることが大事だと思っていたんだけど、
もういくらか時間が経つとそのことはどうでもよくなりますと言ってないと僕ら困るんですよね。
そうしないと、一旦寝たら二度と起き上がれないとか、
起きてしまったら二度と眠れないとか、
喉が渇いたら永遠に水を飲んでなきゃならないとか、
こういう病気は全部あるんでね。
おかしな話にしか聞こえないかと、
思うんですけれども、
でもこういうのに近い状態になることってあるじゃないですか。
四六時中ギャングルやってなければならないとか、
四六時中タバコ吸ってなきゃいけないとか、
そういうことは起こるんですよ、現実には。
だから一旦無意識の中で何かの、
これがフロイトがリビドウの固着って呼んだんだけど、
今で言えば何て言えばいいんですかね、
固集みたいな感じなんですよね。
固集が固定されるんですよ。
だから私はラインハックの方面に向かって言いたいことの一つは、
どんな欲求が固着してもやばいですよってことなんですよ。
一生英語の勉強していたくないと思うんですね。
寝る間も惜しんでずっとですよ。
これは一旦固着が起こると、そういうことは起きるんですよ、現実に。
そしてその人が幸福になった例は一つもないと思うんですね、僕は。
たぶん一つもないですよね、その状態が永遠に続いて。
だって生物としては無理がありますから。
先日お話しした謎の体調不良というのは、
今ちょっとヒットしたキーワードで、
私たちの体を容易に壊すと思うんですね。
過去に決めたことをいつまでもやり続けたいというのは、
極めてまずい状態だと思います。
身体は常に流動しているので、
そういうことを知るためにも、
この種のことに囚われやすい方はペットを飼うといいんですよ。
15:04
私はいつもこれを他の生物に教わっている気がするんですね。
他の生物って流動的じゃないですか。
サイクルはあるにせよ、
いつもいつも同じことを求めているっていう状態ってまずいと思うんですね。
猫とかどう見てもいつもいつも同じことを求めちゃいないという感じがするし、
人だってそうですよね。
なのに僕らはいつもいつも同じことを求めることを自分に求めようとするんですよ。
ずっと筋トレしていたりとか、
なんでもいいんですけど、
そんなことはあり得ない。
だから、変動が起こるんですね。
この変動は、
24時間の間に相当めまぐるしく変わるということは、
分単位で変動しちゃうんで、
だから同じ状態は続かないんで、
さっき書き出したことがもうやりたくなくなるというのは当たり前なんですね。
この当たり前とは付き合っていかなきゃいけなくて、
ここを意志力で変更しようとか、
習慣の力でなんとかしようとするのは、
一つの理想として、
力でなんとかしようとするのは、
一つのリスクを取ることになるはずです。
こういうことがありますので、
タスクシュートっていうのはどうやるかというと、
これからやろうとすることを書いたりはしないんですよ、原則。
ここは無視されているケースも多々あって、
GTDとくっつけるようにして、
気になることをまず書き出して、
気になる人いっぱいにしちゃうというケースは多々あると思いますが、
本当はそうではないんですね。
やったことを書いていくんですよ。
こうすることで、今やりたいことが今できるじゃないですか。
このタイムラグが発生しないことが大事。
翌日以降はリピードタスクなんで、
ある意味、過去に自分がやろうと決めたことをやるんではないんですね。
過去にやったことを同じようなタイミングでやるかどうかを検討しつつ、
その時に違うことをやる必要があれば違うことをやる。
こういう対比をすることで、
いつもいつも僕らがタスクシュートでは、
自分の未来と自分を対比せずに済む。
自分の過去と現在を対比するという形をとる。
これはこれで、原理的な問題は残っていると思うんですね。
結局、過去と対比しちゃいますからね。
でも、現代の現在を生きる上に、
こういうものに興味を持っちゃった精神的な人にとっては、
この辺が妥協点の一つかなと思っています。
未来のあるべき姿と今の、
例えば想定された未来と現在を比較してしまえば、
だいたい罪悪感を持つことになるしかないんですよね。
しかも、それを実行するのが未来ときていますから、
18:02
すごく無責任になってしまう僕らは、自分に対してですね。
あんなこともこんなことも当然できるだろうと思うんですけど、
当然できないわけですよ。
なぜなら、自分自身は変化しませんからね、ある点においては。
例えば自分のスキルとかは、
数分で求心するってことはまあ起こらないので、
そういうふうにやろうとすると、
必ず過去に決めた自分の勝手な妄想みたいなものに
囚われるか、それとも罪悪感を持って無視するかの
いずれかをだいたい選択するためになる。
これをせずに済ませたいんですよ、要するに。
せずに済ませられた方がおそらく物事進むだろうというふうに
考えているわけです。
お話がそれなりに単純なんですけど、
ややこしく聞こえますよね。
タスクシュートで僕がやろうとしてきているのは、
つまり未来に何も想定しないんだから、
本当のところ過去からの申し送り事項、つまりリピートタスクですね。
これしか出てきちゃいけないんだと自分は今思っているんです。
どうしてもどうしても今までのリピートじゃないものを
追加するんだということになったら、一旦それをやってみて、
リピートタスクとして形成して、翌日以降に申し送るんですよ。
翌日にそれをかつて実行した以上、
リピートタスクというのは全部そういうもののはずなので、
かつて実行したもののみがリピートタスクなので、
実行していないものは一個もタスクとして登場しちゃいけないんですね。
まず何もないときに実行してみて、これをリピートタスクにするんですよ。
その後でリピートタスクとして続けていくと、
これは過去を参照して現在の行動を決定するということになるんですけどね。
そういうふうにするんならばやりましょうと。
ただしその場合は1日後ですよということに基本的にはなるわけです。
この考え方がたぶん全然納得されないと思うんですね。
どうしてそういうふうになるかというと、
一つは、一つはではないんですけど、もういつも同じなんですが、
私らが決める、何かをしようと決めると。
この決めるが邪魔なんですよね。
何かをすると決めると、それを実行するのは必ず過去に決められたことになってしまう。
この形がおかしいと僕は思うんです。
これをやろうとするといつまで経ってもできない気がするんですよ。
これをやろうという、これをですね、笑い話みたいになりやすいんだけど、
これをやろうとすると決めては後に回し、決めては後に回すっていう癖がつくんだと思うんですよ。
21:04
後でやるんだから、今はやらなくていいやっていう気持ちをわざわざ生じさせていると言いますか、
そういう習慣が身につくんですよ。
よくタスクシュートでも言われるんですよね。
習慣だっていることはできますが、習慣化されていないことをするにはどうやれば習慣化できるでしょう?
っていう全問答みたいな質問が飛ぶんですけど、そうじゃないんですよ。
何かにつけては先送りするという習慣も一緒に形成されているんです。
そういう言い方をするならば。
だから極力選択とか意思を発揮せずにやろうとすればするほどこういうことになっていくんですね。
習慣的に出場することができるように、習慣的に作業クーリーすることもできるんですよ。
何か重い仕事があるなと思ったら、これを後でやることに決めて今は別のことにするという習慣が身についているんですよ。
これをタスクシュートに記入しましょうという話なんですよ。
嫌でも、そういうことをしないとここだけ例外になっちゃうじゃないですか。
これは習慣になっていない行動だからできないという説明になってしまうんじゃないですか。
それは間違った説明なんです。
正しくは、つらい仕事をしようと思うときは必ずファン座を見るという習慣が形成されているんですよ。
これをタスクシュートに記録するべきなんですよ。
ここに一切の例外を求めちゃいけないんですね。
何々をしようと思ったということはタスクシュートには書けないんです。
何々をしましたということしかタスクシュートには書いちゃいけないんですね。
これをやることで、グッドワイブスではないんですけれども、少しグッドワイブスに近づくと僕は思うんですね。
未来がなくなりますから。
未来をなくすというのは非常に大事だと思うんですよ。
未来がなくならない限り、僕らはすぐ未来というスペースを使って現在やりたくないことをやらない理由を正当にすることができちゃう。
現在やりたくないこと以外のことをしようと。
そのために未来にやるべきことを置いておくという便利なやり方ができるんですよ。
過去はできないじゃないですか。
やるべきことを過去に置いたから、やったことに仮にして今やりたいことをやるということはできないんですよ。
こういう考え方を僕らはすることができない。
だから過去というのは埋まっているはずなのでいいわけですよ。
だけど未来というのは埋まっていないと思っているから、僕らは平気で未来に何か起き、
それを未来にやるということに決定した上で現在やりたくないことをやるんです。
現在やりたくないことを避けるんですね。
この習慣をただ身につけている。
この習慣を打ち破るには未来という時間を消しちゃえばいいわけです。
まともと未来という時間はないんで、ここがまた受け入れられてないんでしょうけれども、
24:05
未来という時間は想念なんで、たぶん未来という時間を目で見るとか知っているというか、
例えば僕の頭の中の未来がどうなっているのかを他人が把握するということは不可能なんですね。
なぜならそれは僕の脳内にある、そして実際に脳内にないから。
イリュージョンなんで。
だから未来を消すというのは実は簡単なことなのですね。
未来についてあるものだと勝手に仮定して作り出して初めてあるものであって、
未来を一切最初から持たなければこういうことは許されなくなるというか、実行不可能になります。
それでは夢がないというのは僕は嘘だと思うんですね。
これは夢の話をしているんじゃないんですね、たぶん。
やりたくないことを避ける話をしているだけなんだと思うんです。
未来をワクワク感のあるものでいっぱいにしておけば夢があるというのは僕はデタラメだと思うんですよ。
だってそのワクワク感のあるものをいざ実行しようとすると嫌だというわけじゃないですか。
中国語の勉強とかね。
未来に置いておけばワクワクするけど現在やろうとするとすっごくしぶるというのは夢じゃないと思うんですよね。
実際にそれはやりたくないということなんだと思うんです。
ただ今それをしないのにスキルだけ身につく、これが夢なんでしょう。
例えば中国語の勉強は実際しないんだけど中国語のスキルだけ身につくというのが究極的には夢だと思うんですよね。
そういうものって世の中ではすごく喜ばれるじゃないですか。
筋トレはしないけど筋肉がつくとかダイエットはしないけど痩せるとかそういうものが一番いいわけじゃないですか。
これは夢と呼んでいるんだと僕は思う。
つまり未来に置くということは現在それをしないということなんですよ。
これを言うとストイックだと言われるんですよね。
僕はこれはストイックではないと思うんです。
リアリズムだとか言うんだけどそれはそうかもしれない。
でも未来を消しちゃうということによって現在の活力が戻ってくるのであればこれはストイックというものじゃないと思うんですね。
だから僕は直ちに今すぐ中国語の勉強をしましょうと言ったことは一度もない。
必ずファン座を見るならファン座を見ると書けと言ってるだけですね。
何をしてもいいんですよ。これが非常に第一だと思うんですね。
ある方がこれはタスクシュートへの批判としてなんだけれどもこういう話をしたんですよ。
私佐々木はそのように優雅、実際のタスクシュートでYouTubeを見たりファン座を見るというので埋まっているというタスクシュートを見たことがない。
27:00
僕はこの批判は二重に厳密じゃないと思うんですね。
一つは私はそういうのを見たことがある。自分のタスクシュートで。
人に公開しないだけであって自分のタスクシュートでは見たことが何度もあります。
不誠人みたいにしますよ。人に公開する時も思いっきり商品名出しません。
でも例えば私は社員研修とかでこういうのをむしろ出します。
ラインハッカーの人だから出さないんですよ。分かっていると思いますからね。
でもめちゃくちゃなものは結構見たことあります。見せてくれる人もいますよ。
だから見たことがないという方は、こう言っては何かもしれませんけれども、
その人に見せると非難されるんじゃないかと思われているんですよ。
僕だってそういうふうに言われたことあります。
スタッフさんにこんなのを見せると何を言われるか分からないから見せられないんです。
何も僕は言わないと思いますけどそう思われているんだなと思います。
つまりそんなに人に見せられるような生活ばかりみんなが送っていると思う方が僕はどうかと思う。
これが2つ目ですね。
1つ目はそういうタスクシュートはあるに決まっているってことですよ。
見たことがないからといってそういうものはないはずだっていうことにはならないっていうのが1つ目で、
2つ目はそれを見るか見ないかは大事な問題じゃないはずです。
そんなものはあるに決まっているんですよ。
自分のがそうなるはずです。
ちゃんとやれば絶対にそうなるはずです。
人というのは見せるために生活を送っているんじゃないので、
見せられないようなタスクシュートなんていくらもあるわけですよ。
自分のがそうじゃないから見たことがない気がするんですよ。
自分のがそうじゃないから見ないわけじゃないですか。
そしてそういう堕落した生活を送り売るのは自分だけなんだけど、
それすら自分に隠すから、自分にすらそれを隠すから見ることがなくなってしまうんですね。
堕落じゃないってことなんですよ。
もう受け入れられたことはないんですけどね。
堕落だということになってるんですよね。
多分よっぽど。
でも僕は違うと思うんですよ。
未来に何かやりたくもないことを置いてキラキラさせた上で、
今やってることを自分でなるべく自分にも隠すという方が
よっぽど堕落的だと思います。
そういう意味ではね。
これをやるっていうことは、
ものすごく自分に嘘をつき続けることになるはずなんですよ。
しかも罪悪感は持つことになっちゃうと思うんですよ。
罪悪感を持たないっていうのも、
既に持たないならこうはならないでしょうし、
罪悪感を持つっていうことを自分に強いておきながら、
30:01
それは未来のキラキラで解消するわけじゃないですか。
これが一番まずいんじゃないかと思うんです。
で、僕はね、
他の方法論だと、これを構造上解消できないんじゃないかと思ってるんですね。
えーっと、
今という概念が一般的なタスクリストにはないので、
グッドワイルスで言うところの今とは違うけど、
タスクシュートには現場的なタスクシュートがあるんです。
今という概念が一般的なタスクリストにはないので、
グッドワイルスで言うところの今とは違うけど、
グッドワイルスで言うところの今とは違うけど、
タスクシュートには現在という概念がありますから、
どれが現在かを指で示せますから、
僕はこれは一般的なタスク管理ではできないことだと思うんですね。
どれが今なんですかと、今とはどれを指すんですかというのは言えないと思うんですよ。
タスクシュートは構造上言えるんですよ。
終わったことが過去であり、
その終わったことの次に書いてあることが現在でなければいけないって、
そういう言い方ができるんですね。
だから現在何をしているんですかということに対する答えが一応書かれています。
もしかして実行何もしていませんという、
これ嘘ですからね。
何もしていなくったってなんかしてますからね。
死んでないならば。
だから何もしていませんという答えはあり得るんですが、
何もしていないという状態をタスクシュートに持たせているってことは、
それはタスクシュートはやってないってことになるんですね。
過去のどういう記録が残っているかどうでもいいんですよ。
現在何が記録されて、
何て言うんですかね、
現在何を実行している、
現在進行形は何という名称になっているかというのが、
自分の認識と合致していなければダメなんです。
それさえ合致していれば極端に言うといいんですよ。
ただそれが間違いなく生まれて初めてやることか、
初めてタスクシュートを使った場合には、
リピートタスク表示になってないですけど、
リピートになっているっていうのが基本原則ですけどね。
つまりそれは前にやった時の名前では、
どういう名前で呼ばれていましたかということに対して、
一応の答えがあるということです。
これは名前ですからね。
ウッドマイクスでグラゾンさんが言う通り、
同じことを私たちはしないので、
あくまでも同じような、あるいは同じだと思っているものに
同一の名称をつけているというだけなんで、
その名称は何ですかということなんです。
名前なんですよ、これは。
ただ、この2つが揃ってない限りタスクシュートではないと僕は思うんですが、
この2つは普通は揃いますよ。
今朝食食べてます。
それには朝食って書いてます。
これでいいんですよ。
これはできるようになったけどっていうのは、
僕はそこから先は何もないと思います。
33:00
何か違うところは、
ここから先があるというのは、
常に未来にやりたくないことをおいて、
そしてそれは未来においてはやりたいことに生まれ変わることになっていて、
現在やっていることについては自分に隠し事をしているという状態であって、
それはタスクシュートではないと僕は思います。
何か違うものです。
別にそれがいけない点ではないですよ。
僕の推しではないというだけです。
僕はタスクシュート以外はもう推してないので、
タスク管理においてはですね。
だからタスクシュートだけを推してますから、
そして自分今はGoogleカレンダーが別としてタスクシュートしか使ってませんから、
僕はっきりその通りに今言えるので、
今もうTodoistとかはGoogleカレンダーの一部として使ってますけれども、
つまり予定だけはTodoistに載ってますけどね、
両方で管理しておいた方が、つまり予定のことで、
GoogleカレンダーでやるよりTodoistでやる方が僕には便利に思えるので、
それを推してますけれども、
実際Todoistはタスク管理は一切介在させてないので、
タスクシュートだけを使ってます。
これが一番いいです。
自分に嘘をつかなくて済みますからね。
嘘はつけますよ自分に。
でも少なくともタスクと時間についてだけは、
もう一切嘘をつく必要はなくなったので、
これが一番確実だと思います。
見通しが悪くなるってよくそういう話が出るんですけど、
見通しというのは未来なんですよ。
タスクシュートに未来が載ってはいないので、
見通しは関係ないんですよね、本当は。
最初は、しばらくのかなりの間ですけど、
補助輪的に終了予定時刻が寝る時刻の付近になっているかというのは、
補助輪的にはいいと思います。
が、それはその時間に寝られる保証をしているわけではないし、
その時間に寝ることが決まっているわけでもない。
別にこれは機能していれば十分だと思うんですよ。
普通なら機能するようになるはずですからね。
リピートタスクだけで形成されているのであれば。
だから僕はほぼリピートタスクだけで形成されているし、
予定が入ってきた時には、
その予定は多分リピートタスクの何かと間違いなく関係がある予定なので、
リピートタスクとそいつを入れ替えてしまえば大体こと足りるんですよ。
これとグッドワイフスをどうやっているかっていう、
これももう大体分かりきったことのような気がするんですけどね。
まずあれですよ。
これが冒頭で述べた、つまりギフトモードの得手増えてってやつなんですけど、
基本的にそれが依頼であるならば、
でも自分の肉体からの依頼も依頼なんで、
ギフトモードでやることですね。
ギフトモードでやるということは、これはみんなが知っているんだけど、
例えば私で言うならば、
36:01
私の娘に向けてやっている時の気持ちで全部やるということです。
これもですね、とっさにそれはしんどいってことになるらしいんですけど、
僕は娘にやる時が一番しんどくない。
だから多分、これは多分ですが、他の人にしても、
ギフトモードでやるのがしんどいということはない。
多分可能性としてあるのは、
あの上司に対してギフトモードに入れないって話だと思います。
ここはもうグッドバイブスですね。
倉園さんのお話を聞いた方が話早いと思います。
私は、これは全部が全部できているという話ではなく心がけの問題。
でも、このどっちに寄せるかというのは大きなポイントで、
絶対ギフトモードは無理っていう、
ギフトモード、アンチギフトモードみたいな、
そういうのはあったんで今まではね。
アンチギフトモードでやるか、
娘に向けてやっているような気持ちに寄せるようとするかで、
違ってくるっていうことです。
これをなるべく全タスクに、
特に最初にやったらいいと思うのは、
タスクシュートを使っている人ならばですね、
自分の肉体が養成しているものには、
絶対これをやった方がいいです。
だって、絶対にこれをやって損することはないはずですよ。
自分の肉体からの養成なのに、
アンチギフトモードでやることほど若げたことはないじゃないですか。
だったらやらないほうがいいですよね。
自分の体のために、
自分の体を攻撃しているようなもんです。
でもこれも、気をつけてないと全くないとは言えなくなりますから、
極力自分、
僕はもう自分の体のためにやることは、
食事とか、寝るとか、お風呂入るとか、
全部自分の娘にやるっていうモードでやってます。
非常にいいんですよ、これは。
これはさしてグッドバイブス的ではないですけどね、
十分肉体中心的な上にエグイスティックですが、
それでもこれはこうしたほうがいいです。
この時間極めて長いですからね。
寝るのと食事と風呂と、
全部足したら10時間大いに突破できる。
これをアンチギフトモードでやることほど、
残念なことはないと思うんですよね。
多分関わっている全ての人が嫌いっていうことはあんまりないと思うんで、
タスクのうちの行動のうちのいくつかを
ギフトモードでするのは、
割とすんなり行くと思うんですよ。
自分の娘向けに、
何ら無理はない。
何かを切り替える必要はないですからね。
この2つだけでもしばらくはいいんじゃないかと思うんです。
この2つのことを考えてみても、
未来っていらないじゃないですか。
明日の入浴をする時間とかも、
そんなに厳密に決める理由はないし、
何かを逆算する必要はないですよね。
100回目のお風呂で何かを達成するとかもないじゃないですか。
そういう意味ではないと思うんですよ。
だからギフトモードでやることと、
未来をいちいち想定しないということは、
結構近いんですよ。
39:01
最早期の子育てはちょっと違うと思うんですよね。
100日後とか、8ヶ月後とかに、
一定の寄宿が必要になってくる。
でもそれは、
ある意味では特殊な事例であって、
そういうパターンの時っても、
稀に出てくるんですよね。
そういう時に、
自分の子育てに関しては、
自分が想定した通りに、
子供が育つってことはないですから、
例えば8ヶ月後に、
ハイハイするようにしなくちゃとかって、
親は別に思う必要はないし、
あれは思わないほうが、
大体良い結果になると思います。
これをやたらやりたがる人もいるんですけども、
やっぱりそういう時こそ、
あれですよね、
そういう話に時ほど届かないんだけど、
76個くらいの子育てが、
自分の子育てに関しては、
やたらやたらと届かないんだけど、
76億の個性ってやつですよ。
今は78億って話になってたかな。
とにかく、
子供ってのは、
一人一人全然違うんで、
できるようになった時は、
なぜか不意っていうのがありますから、
うちの子は例えば箸が使えるようになったのは、
不意だったので、
徐々にじゃないことってありますからね、
プロジェクトモードでやらないことの方が、
多分望ましいと思いますね。
ただこれは、
多分子育ての価値観みたいな話が入ってくるんで、
猛烈に逆襲される可能性はあるんで、
ここでしか言えないような話に近いと思います。
子供3人とも灯台に入れるみたいな話をしようとする時に、
このような悠長なことを言ってるってこと自体が、
ほとんど罪みたいなもんですから、
犯罪みたいな話になってきますからね。
ここを織り合うのは、
僕は相当難しいと思うんですよ。
基礎的な価値観なんで、
僕は娘を育てるにあたって、
別段、倉園さんのウッドバイオスよりはるか手前、
以前、2012年ですから、
うちの子供が生まれたのは、
どう考えてもプロジェクトをそこについて組みたいとは、
かけらほども思いませんでしたからね。
でもこれは価値観だと思うんで、
ベースにある。
自然に任せときゃいいっていうのは、
一つの価値観ですよね。
自然というものを育てるわけではないので、
そういうことはありますが、
基本的にはタスク主義、
タスクシュートのいいところは、
リピートタスクの大半は、
見方上がりとは何の関係もないので、
未来の想定を必要とする項目がほぼほぼないんですよ。
ここにギフトボードというものを投入してみると、
未来を想定する意味が全くなくなるはずなんですね。
この状態に入ってしまえば、
なぜタスクシュートでリピートなのかということ、
過去参照型なのかということ、
そして現在が何より重要って話はどうしてなのかということが、
そんなに疑問には思われなくなるはずだというふうに、
久しぶりにタスクシュートで時間を埋め尽くしましたけれども、
そんなふうに思います。
42:01
だから先送り問題というものが、
先送り問題というのは本当はそうじゃなくて、
今やりたくないことを、
今やらずに済ませる方法問題なんだけど、
そのようなものはですね、
実は僕はこれに関してだけならば、
タスクシュート1本でこと足りると本当は思っています。
42:28

コメント

スクロール